「地下世界:ライプニッツ以前の地学史研究の課題」
(1)
平井 浩(2)
(地質学史懇話会会報、第16号、2001年、13-17頁)
筆者は、西欧初期近代の物質(特に鉱物)の科学における「種子」の理論に関する研究で地学に関する文献を多く分析する機会を得てきた(3)。今回の発表では、特にルネサンス期から1691年頃に執筆されたと考えられるライプニッツの地学書『プロトガイア』の成立までの、近代科学の形成期といわれる時代の地球内部
- 「地下世界」 - についての思想がいかに展開されていったかを考慮して行く上で、今後さらに研究がなされなければならない幾つかの課題点について概説した。その際、現代科学の発展にとって直接的に重要であったものでなく、その当時の人間にとって重要であった著作群に光をあてる事に重点を置いた。
ルネサンス期と一般に称される14-15世紀のイタリアに「人文主義」と呼ばれる古代ギリシア・ローマの著作家の古典に対する文献学的かつ文法学的な志向性をもつ研究が隆盛した。人文主義者達の活動を通して、古代の文献に対する知識が増大し、よりオリジナルに近いテクストが手に入るようになった。とりわけ、ディオスコリデス(Dioscorides)の医薬用本草書『マテリア・メディカ』(Materia
medica)に医師達の関心は集まった。植物だけに留まらず、自然物の医薬的利用の観点から古代人の記した鉱物と実際の(特にアルプス以北で鉱夫達の間で知られている)鉱物界の物質との対応を知る必要が感じられるようになった。この要請にいち早く応えたのが、ボヘミア山地の鉱山地帯の医者であったゲオルグ・アグリコラ(Georg
Agricola)であった。
彼は、当時の大学教育で標準的だったアリストテレス主義の自然学を学んだ後、医学を学ぶためにイタリアに留学し、隆盛を極めていた人文主義的な手法を学び、ヴェネツィアではヒポクラテスの著作集の編集などにもたずさわった。彼の著作中で特に有名なのは、鉱山技術についての百科全書的な書『デ・レ・メタリカ』(De
re metallica. Froben, Basel, 1550)と、中世のアルベルトゥス・マグヌス(Albertus
Magnus)の『鉱物についての5書』(De mineralibus libri V)以降で最も重要な体系的鉱物学書といわれる『発掘物の本性について』(De
natura fossilium. Froben, Basel, 1546)の2冊であろう。しかし、彼は、地球内部に関することや、山、川、泉、鉱物・金属の形成についてまとめたルネサンス期で最も重要な地学書『地下の事物の原因と起源について』(De
ortu et causis subterraneorum. Froben, Basel, 1546)も著した(4)。それは、西欧初期近代の最初の本格的な地学書として認識されねばならない。そこに見られる地下世界の記述では、大学教育カリキュラムで採用されていたアリストテレスの『気象論』や、アリストテレスの著作にかけていた鉱物に関する記述を補うために用いられたアルベルトゥスの上述書以外にも、古代ローマのストア主義哲学者セネカの『自然研究』(Quaestiones
naturales)が多用され(5)、スポンジ状の地下を流れる蒸気や水についての説明がなされた。従って、アグリコラには、それまでの伝統的なアリストテレス主義の流れにルネサンス人文主義ならではのアイデアの混入が見られるのである。彼の著作は、ルネサンス期の地下世界の議論において常に重用され、議論の枠組みに大きな影響を与えた。
ディオスコリデスの本草書『マテリア・メディカ』の註釈を行う事に関心を集中させていた16世紀後半のナチュラリスト達は、鉱物についての議論にあてられている第5巻の理解のためにアグリコラの著作を参考にした。同時に、地下世界および鉱物形成理論を『地下の事物の原因と起源について』から受け入れた。特に顕著なのは、イタリアのピエトロ・マッティオリ(Pietro
Mattioli)である。彼のディオスコリデス註解書が大成功を納めたことにより、アグリコラの地下世界の事物に関する記述は、綿密な交信網を作り上げて情報の交換を積極的に行っていたディオスコリデス研究者間で最も信頼しうる権威となった。そのネットワークの中心にいた人物が、ピサ植物園の初代園長ルカ・ギニ(Luca
Ghini)であった。その後を継いだアンドレアス・チェザルピーノ(Andreas Cesalpino)の鉱物学書『鉱物について』(De
metallicis. Roma, 1596)も、アグリコラの影響を色濃く反映している。大部のアグリコラの著作集に比べ携帯し易かった彼の鉱物学書も、かなりの影響を17世紀前半に及ぼした(6)。
残念ながら、非常に早い時期から歴史家達の関心を集め盛んに研究された『デ・レ・メタリカ』などに比べると、このように重要であったアグリコラの『地下の事物の原因と起源について』は、体系的な研究が殆どなされておらず、この書の理解と正しい位置付けが初期近代の地学史を研究しようとする歴史家の急務として残されている。
アグリコラの著作に見られるような、アリストテレスの世界観にルネサンスの人文主義ならではのセネカ等の古代ストア派哲学者の著作の再生から得られたアイデアを混交させる伝統とは別に、地下世界についての思考へのもう一つ画期的な人文主義の影響は、プラントン主義の復活であった。宇宙論書『ティマイオス』以外はそれまで西欧で殆ど知られていなかったプラントンの著作の翻訳を行ったフィレンツェのプラトン・アカデミーの主要人物が、マルシリオ・フィッチーノ(Marsilio
Ficino)である。それまでのアリストテレス主義自然学の根幹をプラトン主義形而上学で置き換えることを彼は意図しており、種々のプラトンへの註解作品の中で、その後のルネサンス期の宇宙論に大きな影響を与える独自のアイデアを展開して行った。例えば、コペルニクスが太陽中心説に至った経緯が現在でも盛んに議論されているが、明らかに彼はフィッチーノの太陽と宇宙の成り立ちの理論を読んでいた。フィッチーノの影響を受けたルネサンス期のプラントン主義者(というよりは、むしろフィッチーノ主義者)は、世界という大宇宙(マクロクスモス)と人間という小宇宙(ミクロコスモス)の対応という古代からあるアイデアを好み、発展させた。また、全ての事物が生き、成長し、消滅して行くというライフサイクルを鉱物界や地下世界に認めたことも特筆すべき点である。そこでは、大地や宇宙そのものが一種の霊魂を持ち、生きていると理解された(7)。
フィッチーノのプラトン主義的な宇宙論に大きく影響を受けて、17世紀の地下世界についての思考伝統の構築に寄与したもう一つの大きな勢力が「化学哲学者」(ケミカル・フィロソファー)達だった(8)。彼等は、ルネサンス期の医学史上最も重要なスイス人医師パラケルスス(Paracelsus)の思想に大きく影響されていた。17世紀に化学哲学者達の著作中で発達する地下世界観は、アリストテレス主義がうまく取り入れることのできなかった聖書の『創世記』に見られる天地創造の物語を巧みに取り入れることに成功した。彼等の描く地下世界像の代表的な例が、英国のパラケルスス主義者ロバート・フラッド(Robert
Fludd)とエドワード・ジョーダン(Edward Jorden)のものだろう。特にフラッドの宇宙観の影響を受けた17世紀中葉の著作家達は、宇宙というマクロコスモスと人体というミクロコスモスの対応だけでなく、地球の内部に人体の血液循環の類比を読み取るなどの人体と地下世界の類比、或は大宇宙と大地内部の類比をみる「ジオ・コスモス」(地下の宇宙・地の世界)的なアイデアを発展させた(9)。このような化学哲学の伝統における「ジオ・コスモス」概念の形成・発展の歴史は、体系的に研究されるべき課題である。
以上のようなルネサンス期からの化学哲学的な伝統内で育ち17世紀半ばに姿を現す地下世界像を専門に取り扱う学問ジャンル「地下世界の自然学」(Physica
subterranea)の概念を、幾多の図像と共に読者に非常にインパクトを与える形で訴えることに成功したのが、有名なローマのイエズス会士アタナシウス・キルヒャー(Athanasius
Kircher)の記念碑的著作『地下世界』(Mundus subterraneum. Amsterdam, 1655-1656)なのである。この書物がそれ以降の地球論に与えた影響は計り知れないものがあるが、その本格的な研究はまだ殆ど行われていない(10)。キルヒャーの地下世界像をより化学哲学の伝統に添う形でさらに展開させたものが、ドイツ人ヨハン・ヨアヒム・ベッヒャー(Johann
Joachim Becher)による『地下世界の自然学』(Physica subterranea. Leipzig, 1669)に見られるものなのである(11)。本書は、18世紀の化学にも多大な影響を与えた著作であり、その全貌が詳細に吟味される日が待ち望まれる。
これまで、デカルト以降の幾何学的な解釈を前面に押し出した機械論的な地球生成のメカニズムの説明ばかりが地学史の通史を席巻してきた。しかし、機械論的伝統のみだけでなく化学哲学流のジオ・コスモス的な地下世界の理解を同時に研究し、一つの著作にまとめあげられたものが、偉大なるドイツ人哲学者
G.W.ライプニッツの総合的地学書『プロトガイア』(Protogaea. Goettingen, 1749)なのである(12)。この初期近代西欧の地球論の記念碑を理解するためには、地下世界の自然学の伝統を正しく学び直さなければならないのである。
A.キルヒャー『地下世界』 Mundus subterraneum (Amsterdam, 1655-1656)より
(1)本発表は、数年間にわたって私が山田俊弘氏と交わした e-メール上での議論に基づいており、ここに長々と議論につきあって頂いた氏への感謝の念を表したい。『プロトガイア』以前の地学史に関しては、私のHP内「地下世界の自然学」http://www.geocities.co.jp/Technopolis/9866/labo3.html 参照。
(2) ベルギー・リェージュ大学 科学史研究所 客員研究員(E-mail : jzt07164@nifty.ne.jp)
(3) 博士論文は、H. Hirai, Le concept de semences dans les
theories de la matiere a la Renaissance : de Marsile Ficin a Pierre Gassendi.
(Ph. D. diss. ) University of Lille 3 (France), 1999。筆者が収集・分析できた地学史関係の文献は、“Select Bibliography for Early Earth Sciences.” JAHIGEO
Newsletter, 2, (2000), pp. 4-10 としてまとめた。
(4) 現在では、独訳が全集版第3巻(G.Fraustadt & H.Prescher (eds.), Schriften zur
Geologie und Mineralogie I. Georg Agricola-Ausgewaehlte Werke, vol. III,
VEB, Berlin, 1956)に納められている。
(5) セネカの『自然研究』(東海大学出版会、1993年)は、初期地学史にとって非常に重要であり、その地球論的史的な見地からの分析が待たれる。
(6) 17世紀を通して最も重要であるとされる鉱物学書 Gemmarum et lapidum historia (Hanau, 1609)を著した
Anselmus Boetius de Boodt は、アグリコラとチェザルピーノに多くを負っている。
(7) 例えば、フィッチーノの大成功を納めた主著『愛について』(De Amore)(邦訳『恋の形而上学』、国文社、1985年)では、そのタイトルからは想像されにくいが、宇宙全体に生命を行き渡らせる形而上学的な太陽が世界の中心にあり全てがその周りを回るという、彼独自の宇宙論が展開されており、ルネサンス人に影響を与えたことは否めないだろう。
(8) ルネサンス期のパラケルスス主義および化学哲学については、A.G.ディーバス『近代錬金術の歴史』(平凡社、1999年)を参照。ここには、ジオ・コスモスに関する記述が非常に多い。
(9) フラッドの異端ぎりぎりの神智学的な化学哲学による『創世記』註解の作業を嫌ったデカルトは、フラッドの描いた地球生成の物語を彼の信じるところの幾何学的解釈によって書きかえる。それが、彼の『哲学原理』の第4部に見られるような地球生成の幾何学的メカニズムなのである。彼の解釈は、多くの点で後の機械論的な地球形成理論の伝統に影響を与えた。その一端が、有名なステノの『プロドロムス』にも反映されることになるのである。フラッドの著作については、J.ゴドウィン『交響するイコン:フラッドの神聖宇宙誌
』(平凡社、1987年)参照。
(10) 『地下世界』に収録されている図版群は、J.ゴドウィン『キルヒャーの世界図鑑:よみがえる普遍の夢』(工作舎、1986年)等を通して見ることができる。
(11) 本書の17世紀ドイツ語訳の復刻版が、近々ドイツの G.Olms 書店から出版される予定である。
(12) 『ライプニッツ著作集』第10巻、(工作舎、1991年)、121-202頁。
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