ドイツ人哲学者・自然学者 G.W. ライプニッツは、17世紀の近代科学の形成期の中で育まれていた諸地球論についての広範な知識を有し、自らの経験的データとをもって地球論史上の記念碑的な著作『プロトガイア』(Protogaea)を執筆する。専門家によると、この著作はおそらく1691年頃に執筆されたと見られているが、その公式な出版は1749年まで待たなければならない。それ以前には、その手稿を運良く見ることができたものや、ライプニッツと直接に地球に関するテーマについて書簡を交わしたもの以外、その内容を知ることは殆どできなかった。唯一の例外は、ライプニッツが深くその運営に関わっていた『ライプツィヒ学報』 (Acta eruditorum) に、1693年に発表された出版予告文である(2)。ライプニッツの地球論は18世紀の半ばまで、主にこの予告文の内容によって知られていたわけである。本邦においても『プロトガイア』自体は、数年前に企画されたライプニッツの著作集に運良く入ることができ、翻訳され広く親しまれるようになっているが(3) 、この予告文は未だ翻訳されていない。今回は、この予告文の翻訳・紹介をすることにしたい(4)。 ハルツの山々と海の間に位置する地域の自然資源に関する調査が、この考察のきっかけを与えた。著者は、一般に考えられている以上の変化を地球が受けてきたと評価している。彼は、モーゼの記述において光と闇が分離されたとされるとき (5) に 、地球を構成する物質の大部分が炎に飲み込まれたという考えを提出している。不透明体、つまり惑星(地球は惑星の一つに数えられている)は、かつては不動の光り輝く星であり、火災の後に一種の外殻を形成するシミによって覆われたと考える人々の意見は以上のように理解されるべきであるという。さらに、この外殻は一種のガラス状の物質であり、ガラスが地球の基礎であり、砂はその滓からできていると推測している。また、全ての種類の土類は、様々な塩の混合、水の循環そして蒸気の作用によって形成されると考えている。(灰化された物質が湿気を引き寄せるように)火の力によって空気中に排出された水は、外殻の冷却化の後に凝集され、一種の「洗剤」或は、化学の術語で言うところの「滴る油」を形成する。それは、焼かれた地表を洗いながら、海を出現させ、その固定塩分を与えた。そういう理由でもってモーゼは、霊感下に、光と闇の分離を最初に記したのである、つまり火という能動的な原理と他の受動的な原理を。そして、次に(モーゼは)受動的な原理を流体と固体に分離しながら、それらが相反発する様にしたがい、土に水を繋げたのである。さらに、著者は、かつて海は現在では陸地となっているところの大部分を覆っていたと考えており、何処も彼処も空洞であった地球の外殻が自身と水の重みと、そしておそらくは地震によって皺を作るときまで、海は高くそびえる山の上まであったと考えている。そこから、傾斜した断層のある山々から、しばしば無数の貝殻やサメの歯、その他の海生動物の遺骸が硬化した沈殿物の中に閉じ込められているのを見るのである。また、著者は、最も高くそびえていた山をも凌駕していた海が、ひび割れや大きく開いた裂け目から地中の深淵に入っていったとも考えている。その後、大部分の地表は固い大地へと変化したのである。著者は、これら全ての事象を [ノアの] 大洪水のみに帰すべきでないと考えている。大きめの地域的浸水でそれらの幾つかは起こるのである。著者は、海の固定塩を火の作用の証拠とするだけでなく、化学実験室での生成物に比するような自然の地下世界での形成物は火山が原因の溶解、昇華、液化、凝集に帰されなければならないと考えている。水からの沈殿は、陸あるいは海起源の事物を包含する幾つもの層を見せたり、結晶化によって硬化した物体の様相を現す。しかしながら、事が火と水の作用を区別することとなると慎重にならざるを得ないだろう。なぜなら、自然は、その目的を達するためには時として「乾」を「湿」として用いることがあるからである。溶解や昇華の状態を経て冷却を受けた物体は、液化や凝集を受けた後に凝結する物のように、実際のところ幾何学的な形態を取ることができるからである。(終)
(1) リェージュ大学科学史研究所。 (2) Acta eruditorum (Leipzig), 1693, januari, pp. 40-42. (3) 『ライプニッツ著作集』第10巻「中国学・地質学・普遍学」(工作舎、1991年)、121-202頁。 (4) Jean-Marie Barrande (ed.), G.W.Leibniz : Protogaea. Mirail, Toulouse, 1993. pp. 198-201 を底本にした。 (5) 『創世記』第1章、第4節。 |