ネーデルランド(低地地方)
Berkel 版 『オランダ科学史』に関して
前に、研究所に入ったこの本をパラパラ見て居る時、ベークマンの項目で2次文献の欄に Eio Honma さんの名前が入っているのを見て、大変刺激を受けた事を覚えています。今回の帰国で本人とお会いし、いろいろこの本について説明を受けたので、改めて手に取ってみました。
近頃邦訳された『オランダ科学史』(朝倉書店、2000年)との関係ですが、僕は結局購入しなかったので、訳者の塚原東吾さんがどのくらい真摯な態度で本書の事を紹介しているか、確かな事は言えません。とにかく、邦訳書は本書の元になった第1版を翻訳したものらしいです。もともとオランダ語で書かれた第1版を英訳(230ページ足らず)し、そこにテーマ別の最新論考を加え、さらに圧倒的な人物別資料編を加えて、全体で650頁余りの大冊となっているのが本書です。かなりデフィニティヴなものだと思います。ある程度大きな図書館はどこでもこれを備えるべきです。
でも、BH的な観点から言わせてもらえば、難点はあります。それは、本書の核となった van Berkel 氏の1985年のオリジナル書(邦訳された部分)では、オランダ科学を16世紀末の Simon Stevin というエンジニア&数学者から初めており、全体的な印象もこの人はポジティヴィストではないか? と思えるぐらい内容に偏向のある書物だからです。テーマ編では、それを補うように医学の歴史という論考などが入っていますが、初期近代の生命の科学や物質の科学に対する紙幅の割き方は驚くほど前時代的です。ルネサンス期のオランダの優れた植物学者達を始めとするナチュラリスト達は殆ど登場しません。初期近代における医学や自然学に大きなインパクトを与えたキミスト達(錬金術師=化学者)やパラケルスス主義者になると皆無です。また、オランダで活躍したドイツ人グラウバーやベッヒャーなどの事はほぼノーコメント。錬金術師 Theobald van Hoghelande を輩出した デカルトとも深い関係があったと考えられる Hoghelande一家についても何もありません。唯一の救いはSylvius について少しあるだけで、後は Hermann Boerhaave の時代まで虚無が続きます。このように、本書はその完成度とは裏腹に、初期近代オランダの科学文化について僕が知りたいと考えている情報を殆ど何も提供してくれないというシロモノなのです。相当高い本だと思いますが、個人としては買いではありません。
とにかく、本間さんから頂いた歴史からほぼ忘れられた一書である
F.M.Jaeger 著 『歴史研究:16-17世紀オランダにおける自然科学の歴史知識への貢献』
(Historische Studien: Bijdragen tot de Kennis van de Geschiedenis der
Natuurwetenschappen in de Nederlanden gedurende de 16e en 17e Eeuw. Wolters,
Groningen, 1919) やA.アーバーの『近代植物学の起源』(1933年著)(八坂書房、1990年)の方が、どんなに古くても、よっぽど魅力的に見えるのは僕だけではないと思います。
実際,Berkel 博士のあの論文(最初のモノグラフ)では数学史・医学史は意図的に排除されています.さらに,Berkel 博士がポジティヴィストだという指摘は或る意味その通りだと思います.というのも Berkel 博士は近代初頭の「世界像の機械化」という Dijksterhuis のテーゼを応用する形で Beeckman についての博士論文(1983年)をものにして,その勢いで1985年にオランダ語版をしあげたのですから.
> オランダは醒めた国であって神秘的思想は重要でなく,
> 国土のように,哲学的深みもない
> いわゆる科学も実利的・技術的発想で貫かれている
というのが Berkel 博士のオランダ科学史記述の基本的立場で.だからオランダ語版は「ステーフィンの足跡に倣って」という題名の著作になっているのです.(ステーフィンがそのような人物であったということ).
Berkel 博士が近代初頭で最も重視するのは機械論的世界像です.その機械論的世界像は,ルネサンスの魔術的・自然主義的世界像に対抗する形で提出されたのだという(若干古い)図式が,特に Beeckman についての博士論文に見られます.両方の世界像は数学への関心・技術技芸の重視などを共有しながら,カルヴァン主義とラムス主義によって決定的に異なるというのです.特にラムス主義を重視する点が Berkel 博士(そして,オランダの著名な科学史家 Hooykaas) の主張となっています.このような観点からすれば,キミストは出る幕がないわけです.
それと,オランダ科学史学会の会誌 Gewina の最新号に Lissa Roberts によるこの本の辛口の書評があります.(Gewina, 2000, 23: 285-290:これは英語で書かれている) Lissa は去年 Isis にオランダ物の論文を書いている人物ですね.Lissa も6つの各論において生命科学と化学が扱われていないことに不満を述べています.(書評自体は,例の本が統一された史観を与えることができているか,ということを巡ってなされています)
私も「Berkel 史観」の日本への移入者の1人であるので(他はいないかもしれないけれど) Berkel 博士の弁護に回るべきなのでしょうが,上で名前が出た科学史家からも判るように,オランダの主流の科学史は Berkel 路線だということです.(H.F.Cohen はポパー主義者だし) 現在は,研究者のほとんどが19世紀に目を向けてしまい(Berkel 博士自身も) 17世紀とそれ以前については目立った人材がオランダにいないということもこの時代の「オランダ科学史」の再検討を遅らせているのだと思います.(だから私でさえ留学できたのですよ)
長々書きました.
失礼します.
『オランダ科学史』にかんして、本書のオランダ語版(訳書の原本)を一部にとりこんだ拡充された英語版についてのコメント、読ませていただきました。
なんだか、昨年は日蘭交流400年記念ということで、オランダにはいろいろと注目をしていただきました。それでも、「科学史」については、(『蘭学』が科学史であるにもかかわらず)、それほどでもなかったので、残念におもっておりました。そんななか、平井さんのように、ベルギー(しかもフランス語圏)から、わがオランダ科学史に、熱い視線を送っていただいていること、こころ嬉しく存じております。
さて、ご存知のとおり、オランダ語版原書は、医学史・数学史は扱っていません。そして個別の領域に精通する研究者の視点に立てば、通史のもつ難点はあり、ご指摘のようにキミストたちは論じられていないし、重要な諸人物が省かれているなどのご指摘に十分な妥当性はあると思います。でもそれを、「(ある史観による)偏向」とみるか、「限られた紙面の都合」と考えるか、まあ、どちらもいけるとは思ってもいます。
というわけで小生的には、通史の持つ細かい点の問題はあるにしろ、それでも、オランダの科学文化の辿ってきた歴史の一面は、(シモン・ステヴィンがそうであったように、科学面でも、実利・実用志向は一貫していて、形而上学的性向が排除されていること)、本書ではなかなかよく書けていると、とりあえず、訳者は著者を擁護しています。
まあこれらは、そもそも、ホーイカースや、ダイクステルハウスのテーゼで、オランダ科学史の記述ではスタンダードなものでしょう。
ベルケル氏は「ポジティヴィスト」であるというように、平井さん・本間さんは見ておられるようですが、まあ、それはそれとしても、小生は、別に、このような歴史記述をする上で、それがそれほどおおきな問題であるとは、この段階では、あまり思ってはおりません。そもそも、「オランダ科学史」を本格的に論じた本は、オランダでさえも、世の中にはこれ一冊しかないのですし、日本への紹介は、ここからはじめるのは、とりあえず妥当であると考えております。(もちろん、訳については拙い部分も多く、今になって冷や汗をかいているところです。 errata を作成中ですので、不適切な用語など、どうぞ、ご指摘ください。)
あと、書誌的な問題としては、英語版は、大きくてよいのですが、(それと、英語なので、とりあえず、アクセシビリティが高い、という利点はあるでしょう)、じつは小生的には、あまりできばえがよいと思っておりません。 (オランダ語版のほうで、十分であると考えております。)本間さんの示唆にあるとおり、(Lissa Roberts が書評したように、)量的には充実していますが、特に拡充した部分にばらつきが大きく、全体として何を狙っているのかわからないと考えております。これはどちらかというと、ベルケル氏より、本書にかかわった残り2人のアメリカ系オランダ人(?)の共同編集者の問題かと考えます。ハンドブックとしては使い出はあります。日本語訳でも、文献注や文献解題などをいれたいと考えておりましたが、なにしろ、ほとんどがオランダ語なので、今回は残念ながら省き、かわりと言ってはなんですが、日本の読者のために、蘭学とオランダ科学史(日蘭科学交流小史)という解説をつけておきました。また、英語版でオランダ語版を英訳したという部分はテキスト部分のみを抜き出しているもので、人物紹介などは、オランダ語版にもほとんど収録されており、日本語版はオランダ語版に沿って、通読が可能なよう、文中に組みこみました。
というわけで、長く書きましたが、とりあえず。平井さんの観点から、ホーイカースや、ダイクステルハウスは、どのようにみておられるのでしょう。うーん、話はつきそうにありませんが、とりいそぎ。
科学史ML参加の皆さま&東吾さん
丁寧なコメントどうもありがとうございました。邦訳書『オランダ科学史』の良い宣伝にもなるので、話しをもう少し続けましょう。
日本にとってオランダは切っても切れない仲に長々とあった訳ですから、唯一の通史として、その価値を十分持っている van Berkel 氏の書が(邦訳にしろ、英訳大増補版にしろ)、紹介に値する一書であることは、僕も大いに認めています。また、もちろん全体的な流れを重視した通史という性格上、特にそれが、19-20世紀を含む近現代にまで達している通史であることから生じる紙幅等の不都合は取り敢えずおおめに見る、全体を見通した東吾さんの見解は、より的確であると思います。そういった点を重々承知した上で、僕も本間さんも、西欧初期近代科学の研究者の目から見ての踏み込んだ分析を敢えて試みたわけです。(ML参加の皆さんに議論の成り行きが分かりやすいように、一時的にまとめてみました。)
以下、東吾さんと基本的に意見を同じにする部分にはコメントしませんが、もう少し契機となった問題の部分を掘り下げてみたいと思います。
そもそも「ネーデルランド」(以下では、オランダと言うよりは、本来の題名通りネーデルランドで行こうと思います)の科学とは、どんなものでしょうか? 第一に、van Berkel 氏の射程では、現在のネーデルランドと言う国の地理的限界とそこから限定される「生粋の」(と言って良いか分かりませんが)ネーデルランド人の業績に的を絞りすぎている気がするのです。第二に、特に我々初期近代の研究者の目からすると、偉大な業績を残したネーデルランドの科学の歴史は、16世紀末の Simon Stevin やライデン大学から始まるのでなく、もっと前から始めるべきでないのではないか?ということです。
僕には、van Berkel 氏の取り扱いは、地理的・時間的にネーデルランド人自ら、その科学の歴史を矮小化してしまっている気がするのです。特に国別の科学の特色が固まってくる18世紀以降よりも前の時代の場合、その弊害が大きいような気がします。
どうしてこういう事を言うかというと、言ってみれば一種の「大ネーデルランド主義」ではありますが、旧・南ネーデルランド(主にフランドル、現在のベルギー北部)では、オランダ語を話し、北ネーデルランドとは、歴史的・文化的に緊密な関係を持っていたわけで、van Berkel 氏自身が言われる通り、北の科学は、ルネサンス期の南の科学的活動が、宗教難民的な移民によって北に移植された事から活発になるのですから、これを現在の国境で区切って、北の活動だけネーデルランドとして捉えることは、歴史の矮小化ではないか?と思えるのです。16世紀のメルカトル図法のメルカトルや植物学のドドネウス、17世紀前半の医学者ファン・ヘルモント等々、16世紀から17世紀全般を通しての間は、南ネーデルランド人の業績も踏まえた広い視野が必要だったような気がします。そういう人間達を生み出した活発な活動を営んでいた環境を考慮に入れることも必要ではないでしょうか?そういう根源的な「起源」を不透明にする問題を van Berkel 氏の書は、含んでいることが第1点です。
と、同時に、Stevin と Beeckman という「生粋」のネーデルランド人からストーリーを起す、van Berkel 氏のねらいは、やはり、機械論的世界像という合理の「光」が、それまでの「闇」を葬ったという、啓蒙の世紀以来の合理主義というか、19世紀的な発展の歴史観というか、そういう歴史観の延長で書かれていることも、紙幅の問題だけではないような気がします。地理的・時間的な切り方の問題と、生命の科学や物質の科学を抜きに話しを進めようとする態度には、明らかな関係があると僕には思えます。機械論礼賛的な説明に馴染みにくい生命や物質の科学の話は、こうして歴史から消されてしまう訳です。例えばですが、18世紀のネーデルランド科学のキー・パーソン Hermann Boerhaave の仕事を理解する上では、どうしても、その背景となる生命や物質の科学の伝統を押さえておく必要があると思います。こういう問題は、機械論礼賛のポジティヴィストが一番苦手としていたもので、それが、van Berkel 氏の書の弱い部分として、如実に反映されていると思えます。
これは、ホーイカースや、ダイクステルハウスのテーゼの問題と大きく絡んでくるのでしょうが、この話しを始めちゃうと長くなるので、論点がボケない内に今回は、ここで取り敢えず止めておこうと思います。つまり、どこからストーリーを始めるかの問題で、例えば南との関係を真面目に取り扱うことが自然だと思うし、そこでの科学は、機械論で片付くものでない要素が大きく入ってくる。それとどう向かい合うか、否か?といったことになるかと思います。
平井さま はじめ、科学史MLのみなさま
塚原です。
平井さんのコメント、どうもありがとうございました。返信が遅くなり、恐縮です。その後、いろいろなところからアドヴァイスや感想・助言をいただきました。また内容に関する問い合わせ等もいくつか寄せられ、日本での翻訳の出版が契機となり、「オランダ科学史」に興味を喚起することが出来たようで、嬉しく思っております。
さて、平井さんのコメントは、貴重な視覚、それも科学史プロフェッションからのもので、「通史」を論議する面白さそのものが含まれていると思っております。ML上での論議を続けさせていただくこと、ご海容されるものと考えております。
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平井さんの論点は、以下の2点にまとめられ、はじめられていました。
@ 現在のネーデルランド(オランダ)の「地理的」限界について、「科学者」の「所属」に関して問題がある。 特に南ネーデルランドでの活発な活動が、論じられていない。
A 現在のネーデルランド(オランダ)の「歴史的」限界について、特に、「古い方」(ベルギー的領域)から見ると、メルカトルやファン・ヘルモントなどの業績が位置付けられていないこと。オランダ科学史の「起源」の問題が不明瞭になっている。
そして、それらのポイントから、
→ 「機械論」(ステヴィン・ベークマン)を、「光」として、「オランダ科学史」の起源とすること:それは「啓蒙」的史観である。
→→ 「起源」において重要な、「生命と物質の学」(この場合は、錬金術的領域)を、「闇」として切り捨てている: 重要な問題、たとえばブールハーフェの理解が出来ない。
結果: 原著者ベルケルは、「機械論礼賛のポジティヴィスト」として、「オランダ科学」の大切な面を苦手としている。
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以上の、大筋で、平井さんのご指摘は、非常にスタンダードな、ベルケル批判として、全く正統派に属するものと考えます。
確かに、例として挙げられたブールハーフェへの評価について、ベルケル的理解では、「ネーデルランドで、最初に、ニュートン主義を支持した」ということがことさら言挙げされ、彼の化学への貢献は、わりあい単純に、「化学の科学化」であった、としています。 (ちょっとこれについて、コメントさせていただくと、小生的には、まあ、それはそれで、正しいかとも考えますが、それのみではない、という見方も成り立つことも諒承しています。これは特に、古いのですが今でも精彩を放っていると考えられる Metzger の仕事などが、より生き生きとブールハーフェの化学を論じていると、小生は個人的に Metzger を好んでおります。)
しかし、一応、訳者として原著者の擁護にまわります。 敢えて、ポレミックに展開すること、ご容赦ください。
ベルケルは、この時代、まさか昔気質の「ポジティヴィスト」というより、まあ、判ってやっている、というようなところがあって、「医学」と「数学」は、敢えて除いた科学史を書く、としています。そうだとすれば、オランダ科学史は、やっぱり、啓蒙の光が、普く照らす、「機械論」がひとつのストーリの軸として、残ることになるのではないのでしょうか。もしくは、「機械論」的な科学をひとつの中心的な側面として、その観点から通史を論じても、あながち無理はなくまとめられる、という好例のような気がしてます。(というより、オランダ科学史って、どんなに自制しても、一定、こうなってしまうのではないのでしょうか。 やっぱ、オランダって、「啓蒙の光、あまりにあまねし」というのが、ぴったりなんだあ、と、すれば、まあ、あっぱれという印象です。)
そして、平井さんがいみじくもご指摘くださった、「オランダ(ネーデルランド・もしくは、大ネーデルランド)」についての @地理的 A歴史的な規定性については、これも、敢えて、「国民国家としてのオランダ」にしているように見られます。 (ベルケル自身は、オランダ史にまつわる諸事情より、「国民国家」という語を避けているようですが。)それでも、どちらかというと、ヨーロッパ型の典型に属するオランダらしく、国民国家的形成のなかでは、「(科学の)血統主義」はとらず、「(科学の)生地主義」的に論じられてはいるのではないかと考えています。(たとえば、デカルトは、血統主義では、あくまで「フランス科学」ですが、知識の生地主義で考えると、知的生産地が、オランダだったから、オランダ科学、とか。)
小生は、いわゆる「国民国家論」の射程と「科学史」がどのような接合面を持ち得るのか、さまざまな可能性があると考えております。
「国民国家としてのオランダ」が、ある歴史的・地理的な限定性の中にあり、それ自体が、変容をしてきたことは、まさにその通りであると考えております。しかし、だからといって、「国民国家」は、歴史的構成物・地理的便宜や空間的な暴力による仮構の産物(いわゆる、「想像の共同体」)であるからという理由だけで、単に相対化されてはいけないのではないか、と考えております。
われわれ(歴史家?)にとって、よりスリリングなのは、このような、「国民国家」が、「どのように」そして「なにによって」形成されてきたのか、また、「いつ」・「どこで」変容を遂げたの、「なぜ」かくのごとく展開し、「だれ」により命脈を保ってきたのかを問うことだと思っております。その意味で、知的な面での「機械論」的思考、そして、「実用志向の科学」そして「技術」をバネに、小さいながらも、実に強力な「国民国家」を形成してきたオランダの像は、とても面白いものであると考えております。
その意味で、平井さんの指摘からもれていた、ベルケルのストーリーテリングでのひとつのメリットは、(自分で論じるのはおこがましいのですが)、やはり、「科学の社会的規定性・制度的背景」を論じていたことなのではないのでしょうか。
その意味で、残念ながら「起源」としての南ネーデルランドの知的活動を割愛しても、「制度」としての「ライデン大学」「ユトレヒト大学」「アムステルダム大学」の興亡と攻防や、ファン・ト・ホッフ、ローレンツ、ゼーマンさらにカーマリング・オンネスを生み出した「HBS(高等市民学校)」の成立と展開を論じている点は、オランダ科学史の全体像を与えるのに、まさに、「問題意識(問題構制)」に適合したものである、と考えております。
もちろん、このことは、「起源」としての南ネーデルランドの知的活動や、ファン・ヘルモント、ドドネウス、メルカトルが論じられておらず、そしてさらに言うならば、幕末の日本に大きな影響を与えた、リェージュの製鉄業と、オランダ語で書かれたそのマニュアル書のこと(『鉄熕鋳艦』などのタイトルで、安政期・嘉永期には訳されて広く流布している、とても魅力的な本です。)なども、実は論じられてないことと、単純には、バーターにはできない問題であると考えております。そして小生の領域で言うと、やはり、医学書、なかでも製薬・薬物そして本草書への論及がすくないのは、さびしい限りでもあります。
でもそうであったとしても、スネルダースも論じるように、たとえば、「(国民国家成立以降の)オランダには一切のロマン主義は根付かない」。
ですから、ここで問われるべき問題は: 「なぜ、『機械論』的なるものは、(国民国家)オランダで、これほどまでに、ドミナントであったのか?」 逆に:「国民国家成立以降、『起源』には確実に含まれていたはずの、いわゆる『闇』の部分は、なぜ、これほどまでに、貶められることになったのか?」 という問題であると考えております。 もっと展開するなら:「ある時点の『起源』において、『闇』は『光』に、敗北したのだろうか?いったい、そこでは、何が起こっていたのだろう? 完敗だったのか、一時的撤退、そして、巻土重来を期しているのだろうか?」 ・・・いやいや、決して敗北ではない、というメタのメッセージは、あちこちから強く伝わってきますが、問いたいのは、この『光』なるものの「質」でもあります。
小生の観点からは、非西欧文化の「知」をすべからく『闇』として葬りたおしたこの『光』なるもの、どうにか見極めたく存じております。ともあれそのためには、迂遠にして愚直な道とはいえ、ベルケルの示してくれたオランダ(ネーデルランド)科学史の像を辿ることは、平井さんのご批判を含めて、価値のあることであろうと考えております。
この問いに答える、ひとつの視点・方策として、小生的には、「科学と帝国主義」という研究プログラムがある、と考えています。ベルケルの書が、終章で論じている、「植民地における科学」とは、若干、視点を異にするものですが、とりあえず、ベルケルの議論は、面白く読みました。
どうも、長く書きすぎています。この議論の場は、そろそろ、別のリンクにおいたほうがよいかもしれません。
とりいそぎながら、オランダ(ネーデルランド)の科学史に、興味を感じられる方が増えることを祈って。