BH@ワシントン

 



 

 

2007111-4日にワシントンで行われる次のアメリカ科学史学会の年会に

参加するまでの道のりをつづります。

 

 

特別セッション

機械の中のアルケウス

Archeus in Machina

112日金曜日330530

 

 

2007. 11. 7

  無事に帰って来ました。時差ボケにならないように、忙しく動いて眠気を散らしています。

 

 

2007. 11. 6

 今日は、アメリカ滞在の最終日です。絵ハガキを郵便局に出しに行く以外は、何もしません。19のフライトなので17に空港に着くようにと、余裕を持って15にはブルックリンを発つ予定です。

 

  仏語版ゲマ論文は、泣く泣く緊急処置として引用のためのラテン語を削って文字数を落とした訳ですが、先方から返事があり、それで問題はないようです。あとは編集の人が読んで、細かいことを言って来るかも知れませんが、それは通常のプロセスです。

 

  今は帰ってからすぐにしないといけないことを考えています。取りあえず、図書館に借りている本を返しに行って、幾つか借り出してくることと、ラヴェンナ会議の読み原稿を仕上げることです。一応、アメリカに来るときの飛行機の中で読み返した訳ですが、セネカの『自然学問題集』からの引用の部分を英語訳でチェックすることが残っています。> あ、そうだ、ゼンネルト論文の校正の仕上げを忘れないようにしないといけません。

 

帰りの飛行機の中では、Kuni 君に PDF 版をもらった論文プラトンからキケロまでの宇宙宗教 Pierre Boyancé, “La religion astrale de Platon à Cicéron”, Revue des études grecques, 65 (1952), pp. 312-349 を読み始めました。この論文はキュモンに捧げられています。しかし、読めば読むほどボワヤンセというのは、キュモンフェスティジェールに劣らないスゴイ人だったのだなということが理解できます。個人的な今年の大発見です。基本的なテーゼは、キュモンやフェスティジェールが東方に求めたローマ帝国での宇宙宗教の起源が、むしろギリシアのピタゴラス派によって発展し、プラトン主義の伝統内で盛んになったのだということが述べられています。この重要な議論がローマ帝国文化の百科事典たる ANRW にエントリーさえないのは不思議なくらいですが、これはおそらくはボワヤンセが著作単位でこの問題をまとめなかったことにあるのではないでしょうか?ラテン世界におけるプラトン主義を研究した Gersh の大著もこの問題を全く拾えていません。しかし、キュモンもフェスティジェールも扱っている問題ですので、ボワヤンセだけが騒いでいるものではないのです。この問題がその後の帝政期のプラトン主義研究から消え去ってしまったところが、僕には謎で仕方ありません。中期プラトン主義を研究対象として打ち立てた Dillon Donini に問題があるのではないでしょうか?

 

 

2007. 11. 5

  何だか朝の3時に目が覚めました。実はアメリカ滞在中ずっと、夜中にパタッと目が覚めます。どうやら、これは時差ボケのようです。 最初は6時だったのですが、それが5時になり、いまは冬時間に移行したこともあり、3時となった訳です。それでも、7時頃まで粘ってから身支度をして朝食をとり、その後にナンシーさんとニューヨーク市大学の図書館までナンシーさんが注文した本を取りに行って来ました。午後に最後にもう一回だけマンハッタンを散歩しました。それ以外は何もしていません。

 

  リクエストに応えて、金曜のセッションの模様をもう少し書き加えました。

 

 

2007. 11. 4

  今日は移動日です。すべてスムーズに行き、9時前にホテルを発って、2時半過ぎに無事にブルックリンの家に帰って来ました。

 

  帰って来てメールボックスを開けると、出発前に提出した仏語版ゲマ論文が、35000の文字制限を超えているというメールがありました。そこにスペースを含むと言っています。でもですよ、最初に貰った注意書きのメールには35000字とだけ書いてあって、スペースのことは一切触れてなかったのです。脚注をカウントするのは当たり前として、スペースをカウントするとは思いませんでした。で、スペースを含める方法でカウントし直してみると41000字あります。仕方なく、すぐに出来ることということでラテン語を切り取りました。これで、34991です。まだ文句を言ってくるでしょうか?

 

 

2007. 11. 3

  今日は本の展示場で2冊ほど本を買いました。まずは、ブルースの待ちに待った新作『リバヴィウスと錬金術の変容Bruce T. Moran, Andreas Libavius, and the Transformation of Alchemy, Science History Publications, 2007、そして巨人のレアな論文を集めたキミアの約束:化学哲学における経験と神秘主義 Allen Debus, The Chemical Promise : Experiment and Mysticism in the Chemical Philosophy, 1550-1800, Science History Publications, 2007 です。後者に収められた26本にもおよぶ論文群は、BH の形成過程に大きなインパクトを与えたものです。2つで90ドル (送料・税なし)でした。おいおい出ることになるであろう中古本をアメリカから取り寄せるよりも、安くつくかも知れません。

 

  

 

 ナンシーさんと3時半に落ち合った後は、5時半からのレセプションに参加し、そこであの Ann Blair 氏を紹介してもらい3人で食事をすることになりました。いや〜、非常に緊張しました。まだ僕の仕事を認知してもらった訳ではないですが、彼女はフランスに知り合いの研究者が多いようで、それは最近僕が知りあった人たちなので、そのうちにコンタクトは成立すると思います。

 

昨日の件は MIT ではなく、CALTECH California Institute of Technology でした。もう一人のエライ人からも言われたので、ほぼ間違いないと思いますが、次の春にカリフォルニアである質料形相論についての国際会議に招待されることになりそうです。ついに、BH もカリフォルニアに進出となります。どうなるかまだ分りませんが、縁起が良いのでワールド・ワイドのリストにカリフォルニアも付け加えることにします。これも、全てナンシーさんの強力なプッシュのおかげです。

 

 

2007. 11. 2

  ついに、Bruniana & Campanelliana 誌に掲載予定の仏語版ゼンネルト論文の校正刷りが届きました。ここワシントンのホテルの部屋にはプリンターがないので、欧州に帰ってからプリント・アウトして、校正をしたいと思います。頁打ちは、477-495ですね。> ホテルの中で一度通して読んでしまいました。文字化けを避けるために、アクセントなしで出したギリシア語に編集部の方でアクセントを振ってくれていますが、幾つか間違いがあるのでそれを補正しないといけません。あとは問題ないようです。しかし、皆さんには申し訳ないですが、つくづく自分なりに良く書けた論文だなあと勝手に感心しています。この仏語版は、Bruniana & Campanelliana 誌に出るものなので、主にヨーロッパのルネサンス哲学の専門家向けですが、早く世界向けの Isis 誌に載る英語版が出ないかなと思っています。

 

  朝10時のコーヒー・ブレイクでナンシーさんと落ち合う予定にしていたのですが、少し遅れて待ち合わせの本の展示場に行ってみると、見て御覧といってナンシーさんにあるスタンドに連れて行かれました。おお!惜しくも間に合わないことになっていたはずのナンシーさんの新作『歴史、医学、そしてルネサンスの学問伝統Nancy G. Siraisi, History, Medicine, and the Tradition of Renaissance Learning, UMP, 2007 が、出来立てホヤホヤの湯気が出ている状態で堂々と陳列されています。早速にも手に取って中身をパラパラと覗きました。400頁を超えるズッシリとした重み、構想10年の本書を皆さんも是非近くの図書館に入れさせて、手に取って下さい。

 

 

  無事に特別セッションが終わりました。クリストフがやむを得ない事情で欠席となり代読者だったので、彼への質問への答えはなかったということもあり、議論のさらなる盛り上がりは望めなかったのですが、それでも通常では満足いく出来だと思います。相変わらず英語での発表(というより、そのあとのディスカッション)では非常に緊張します。> 会議の直後に Kuni 君とチャットしてだいたいの説明をしたので書いたつもりになっていたのですけれど、様子を書いてないとアダム君に指摘されました。すいません。とにかくです、我々のセッションは小さな会場でしたが、立ち見が出るほどで最初に数えた段階では聴衆は50を超えていました。僕が知る限りでもハル・クックやマーガレット・オスラーなどの有名人が詰めかけて、議論を盛り上げていました。ああ、僕ももっと流暢に英語でディスカッションに加わること出来れば良かったのですが、まだヒアリングの力が弱いというか、聞いて理解したことに確信を持って、ストレートに相手を説得できる的確な表現で即答できないところが悲しいですね。がんばります。あとでナンシーさんに聞いたところでは、彼女が今回の会議で聞いた全ての発表のなかで、我々のセッションが一番オリジナルで輝いていたようです。

 

  夕方のレセプションで、ナンシーさんにカリフォルニアの MIT の科学史研究所の非常に偉い人に紹介されました。別に何も頼んでないのですが、次々と人を紹介してくれます。

 

 

2007. 11. 1

  朝にナンシーさんのメガネが見つからないというハプニングがあり、仕方なく眼鏡なしで出発することなりました。しかし、電車とメトロの乗り継ぎは上手く行き、1時前にはワシントンに到着しました。フィラデルフィアと違ってホテルの部屋には無料 LAN はなかったのですが、110ドルつまり3日で30ドルなので、このさいだから有料ですが使っています。ま、いろいろ便利ですよ。皆さんとリアルタイムでチャットなど出来ますしね。3時過ぎに登録ブースが開くので、それまでサンドイッチを食べたりして部屋で待ち、その後も疲れていたので部屋に帰ってワシントンの旅行ガイドを見ていたら、ウトウトしてしまいました。

 

フィラデルフィアのケミカル・ヘリテイジ財団主催のディナーまで時間があるので、本の展示ブースを見に行こうかと思ったら、エライ人たちの会議を終えたナンシーさんが立っていました。メガネが見つかったのよ、と第一声でした。寝る前に書斎に置き忘れたようです。確かに今朝はチェックしませんでした。なるほど。それから二人で時間があるのでホテルの・ロビーのカフェでワインを一杯のみました。ナンシーさんはメガネが見つかったということで非常に安心したようです。30分くらいしてから、僕はディナーに向けてホテルを後にしました。ディナー会場では、おそらくあまり知っている人はいないだろうから、気分的に一人ぼっちなることも覚悟していたのですが、セヴェリヌス研究のジョール・シャケルフォードとリバヴィウスについて本を出したばかりのブルース・モラーンのいるテーブルに着きました。目の前に17世紀のオランダ錬金術に興味があるというよくしゃべる博論生がいて、例のオランダ人のベルケル史観(何度がBHでも紹介したとおり、合理主義的な気質のオランダ人には経験主義的な科学が育つ土壌があったという途方もないナンセンスなものです)は間違っているということで意見が一致したこともあり、彼女が延々としゃべりまくっていたので、ま、それに相槌をうちつつ話半分で食事とワインを堪能していました。

 

 

2007. 10. 31

  今日はハロウィンの日です。そこらへんに仮装した人々が繰り出しています。地下鉄に乗って近くのブルックリン・ハイツというところに行ってみました。マンハッタン島が真正面に見えます。その後、中華街へ向かってみましたが、何も収穫はなしです。

 

 

2007. 10. 30

  それではアメリカに向けて行って来ます。来週の水曜まで1週間留守にしますが、もしかしたらフィラデルフィアの時のようにワシントンのホテルの部屋にはインターネットの接続がついているかも知れません。金曜辺りに一度チェックしてみて下さい。> 何とナンシーさんの家から、近所の誰かの無線 LAN に相乗りすることが出来ました。ということで、日記を平常通りに更新することが出来るみたいです。

 

  朝の6時前に起きて7時の電車に乗り、空港には予定通りに8時半に着きましたが、実はチェックインの締め切りにギリギリの時間でした。危なかったです。10時発のフライトは定刻通りでスムーズでした。しかし、機内が寒くてカゼを引いたかも知れません。すかさず薬を飲みました。飛行機の中では、まず例のフロイデンタール論文を読み、その後にラヴェンナ用の発表原稿のセネカ=リプシウス論文の推敲を行いました。昔は長いフライトは苦痛で仕方なかったのですが、最近は仕事をするとフライトを短く感じるということが分かり、原稿の推敲などをするようにしています。到着してから入国審査を通り、預けていた荷物を速攻で受取って外に出たところで、ナンシーさんとノブさんが待っていてくれました。そのまま車でブルックリンのシライシ家に向かいました。まずは、車の中でアダム君の論文はどうなったか聞かれたので、審査には受かったので出版されるけれど、少々細部に手を加えないといけないという状況を説明しました。

 

 

2007. 10. 29

   ニューヨークで泊めてもらうことなるノブさんとナンシーさんには、リェージュ名物のチョコレート店ガレールで一箱おみあげを買っていこうと思います。カメラ、飛行券、パスポート、あとは何を持って行けば良いのでしょうか?忘れものがないか、いろいろ考えています。肝心要の原稿を忘れちゃ、いけません。> アメリカから携帯に電話が。誰かと思ったらナンシーさんでした。

 

   今日は原稿を何回も読んでは分量を削って、何とか余裕を持って20で読み終われるようにしようとしていますが、なかなか時間が縮まりません。もう、夜の9時となってしまいました。>明日は6時前に起きます。フライトは10です。午後1時半(欧州とは5時間の時差がありますので、フライトは8時間となります)には、ニューヨークにつきます。

 

 

2007. 10. 28

  ワシントン用の原稿を、声を出して読んでみました。20で納めないといけないところ、22かかりました。ちょっと多い感じです。少し切らないといけません。

 

 

2007. 10. 27

ナンシーさんの話では現在のところニューヨークの気温は何と!21度だそうです。ベルギーは日中の最高温度でさえ10度しかないので、天国地獄の差があります。

 

 

2007. 10. 25

  今日も、図書館に行って新しいマテリアルを掻き集めて来るという何とも抑えがたい衝動にかられたのですが、そこをぐっとガマンして入手している文献の消化に努めました。新しいものを取りに行くのは、ワシントンの後にしたいと思います。

 

 

2007. 10. 24

  ワシントンの原稿の直しに一日ずっと集中しました。だいぶ形になりました。夜からは待ちに待った、ここのところ集めた宇宙神学に関する文献を消化する作業に。しかし、旅の直前に別のプロジェクトに燃えてしまっているのは、何だかよくありません。

 

 

2007. 10. 22

  フィラデルフィアケミカル・ヘリテイジ財団がスポンサーになるディナーが、ワシントンのアメリカ科学史学会の会期中に開かれるのですが、財団からメールが来てお誘いを受けました。現地に到着する木曜日の夜ですし、せっかくのお誘いですから参加することにしました。

 

 

2007. 10. 21

  今週は、ワシントン用の原稿を推敲し、原稿の読み練習をしないといけません。また、旅行の準備も始めないといけません。そうそう、プルーフ・リーディングしてもらったゲマ論文も論集の編集担当のジャクリーンに提出しないといけません。まだ、見直しが済んでいないので、明日にでもしたいとおもいます。

 

 

2007. 10. 20

  今日はバイトがないので、一日を有効に使うことが出来ます。ワシントンでの発表原稿がカタチになりつつあります。良かった、良かった。あと1週間ほど推敲する時間的な余裕があります。ワシントンから帰って来てからは1週間しかないので、ワシントに発つ前にラヴェンナ用のセネカについての原稿を書き始めないといけません。> 書き始めました。今回は時間がないので、いきなり英語で書いています。30の話しをしないといけないので、A4紙で6という感じですが、今は4枚ほど書きました。ただこちらは非常に淡々とした羅列的な記述で、あまりBHらしさを感じさせないものです。全ての原因は、セネカの『自然学問題集』のなかには、それなりに魅惑的な議論はいろいろある訳ですが、なぜかリプシウスはそれらを使わないところにあります。それでは幾ら分析しようにも、翼をもがれた鳥のようなもので、なかなかイロのある議論にはなりません。> 6枚中の5枚まで来ました。あと、1枚分です。ふ〜。

 

 

2007. 10. 18

  今日なって入手できた論文「ソクラテスの神:ヴァロとキケロからテルテュリアヌスまでJean-G. Préaux, « Deus Socratis (De Varron et Cicéron à Tertullien) », Revue belge de philologie, 35 (1957), pp. 333-355 を読んでみました。いや、これはスゴイ。タイトルには出ていませんが、世界霊魂のことがテーマでした。今やっていたことにバッチリです。ああ、もっと落ち着いて読み込みたいところですが、今日こそはワシントン用の発表原稿を書きに移ります。しかし、タイトルは凝っていますが、世界霊魂をメインに議論している労作なのに、世界霊魂とストレートに出さないのはもったいないですよ。こうことで忘れ去られていく論文が、あまりに多いのでしょうね。顔は人形の生命といいますが、タイトルは論文の生命ですな。

 

   午後になってやっと、やっと、ワシントン用の原稿に着手することが出来ました。ブルー・プリントとしてルーヴァン会議で書いていたもののおかげで、あっというまに4枚中の3枚は何とかなりました。あとは、余計なものを削って、もっとファン・ヘルモントガッサンディに紙幅を割くことです。あと1日分の時間があれば何とか目処が立つかも知れません。運の良いことに次の土曜日は時間があります。

 

 

2007. 10. 15

   本当は頭の中身を切り替えて、ワシントン用の発表原稿の執筆に移行したかったのですが、ずっとリプシウスに絡んでいて上手く行きませんでした。

 

 

2007. 9. 20

  さて、残り時間について考えています。期日は、1030日から116日がワシントン1113日から15日がラヴェンナ、そして1130日がリプシウス会議です。ラヴェンナ以降の2週間はリプシウスに集中できます。でも、もちろんそれだけでは足りないので、その前から準備が必要です。また、ワシントン以降の1週間でラヴェンナの準備をしていたのでは間に合わないでしょう。ワシントンの話は20で、基本的にはルーヴァンで話したものの延長線上にあり、僕の本からの切り出しですので2週間あれば良いでしょう。ということは、1015日くらいまで、リプシウスダブル発表の原稿執筆にあてることが出来ます。最近の悪い傾向として、準備にかける時間が短くなってきています。例えば、200310月のキルヒャーの発表の時は、ヴァカンスを取らないでひと夏をかけてテクストを読み込んだものでした。う〜ん、良いのかな、こんなことで。ま、とにかくタイトな日程なので、ここからはリズムを崩さないようにしていきたいと思います。

 

 

2007. 9. 11

  昨晩、ラヴェンナ行きを予約したついでに、ワシントン行きの電車のチケットも購入しました。268ドルでした。行きは既にエコノミー席が売り切れで、ビジネスの席を買わなければなりませんでしたが、ナンシーさんと一緒の電車に乗ります。残りは、飛行機です。> 探すのが遅くなったせいか安いものがなくなってしまっていて苦労しましたが、なんとか予約が出来ました。本当は115日の月曜日にアメリカを離れたかったのですが、月曜日の安い券は売り切れでした。それでも運良く見つけられた安めのものが50ユーロでした。> ワシントンのホテルも予約しました。469ドルです。しかし、アメリカの学会に招待なしで参加するには、本当にお金がかかりますね。ご厚意により、ニューヨークナンシーさん宅に泊まることになるのですが、それ以外の費用だけでも1120 ユーロかかります。これに食費が入る訳ですね。一体どれだけをゲントがカヴァーしてくれるか分りません。せめて、ホテル電車代くらいを出してもらえば良しとしましょう。今年は年末に一時帰国は出来そうにありません。

 

           111) 900 NY Penn 1145 Washington DC

           114日(日) 1020 Washington DC 1345 NY Penn

 

           1030日(火) 1000 Brussels NY JFK 1320

           116日(火)  1910 NY JFK Brussels 900

 

 

2007. 8. 8

  ニューヨークから電車で一緒にワシントン入りするための旅の計画をナンシーさんと練っています。おそらくは、木曜日の9の電車に乗らなくてはならないでしょう。

 

 

2007. 8. 1

  ワシントン会議のプログラムが発表されています。僕らの特別セッション機械のなかのアルケウス:17世紀のもう一つの機械論哲学“Archeus in Machina : That Other Mechanical Philosophy in the Seventeenth Century” は、112日金曜日330530に予定されています。それ以外には、僕的には目ぼしいセッションはありませんが、ゲントの同僚スヴェンの企画には顔を出したいと思います。まだ定かではありませんが、おそらく僕はナンシーさんと一緒に、ニューヨークから電車でワシントン入りすると思います。しかし、アメリカの科学史学会年会で特別セッションを企画した日本人というのは、どのくらいいるのでしょうか?もし、それ程いないとしたら、今まで日本人は何をしていたのでしょう?最初からアメリカを目指した人は多いはずなのに… 世の中、何かが間違っているとは思いませんか?

 

 

2007. 7. 9

  ルーヴァン化学史学会におけるスペシャル・セッションの日程が決まりました。831の金曜日11時から13時です。ワシントンアメリカ科学史学会のスペシャル・セッションの日程も、ほぼ同時に決まりました。こちらは、112の金曜日15時半から17時半です。

 

 

2007. 6. 5

  無事にニューヨークに戻ったナンシーさんからメールをもらいました。サンキュです。今度は、ワシントンに行く11月にニューヨークで会いましょうね!

 

 

2007. 5. 18

  ワシントン会議の特別セッションでの発表プロポーザルが受理されました。これで、11月にワシントンに行くことは確実になると思います。

 

 

2007. 3. 20

  あらら、非常に悪いニュースです。ワシントン会議にクリストフが来られなくなってしまいました。クリストフの発表は誰かに代読してもらうことで、このまま計画を遂行するのか、あるいは計画自体を取りやめにするのかを決めなければいけないという事態になりました。ここに来て、一旦復活しかかった運気が、また落ちています。クリストフが行けなくなった理由は、教授に就任するので就任演説112日にしないといけないということです。こればかりは、日程を変える訳には行かないようです。ま、でも、良いことじゃないですか、おめでとうございます。

 

 

2007. 3. 16

  ワシントン会議の特別セッションための200から300語の発表要旨を2週間後の4月2日までに提出しないといけません。発表タイトルは、「ファン・ヘルモントとガッサンディにおける種子的原理と職工的スピリトゥス"Seminal Principles and Mechanical Spirits in Van Helmont and Gassendi" で行きたいとは、2人のパートナーには伝えてあります。僕の場合は、別に何か新しいことをするのではなく、ただ単純に僕の本の中で示した成果からファン・ヘルモントガッサンディの章の最もオイシイところを20分にまとめて、仏語の読めない世界の人に向けて話せば良い訳です。しかしですよ、この辺のことが僕の中で最もホットだったのは7年前1999年です。気持は完全に2冊目にのめり込んでいるので、ちょっとタイムラグが大きすぎます。

 

 

2007. 3. 9

   ついに、ワシントン特別セッションの大まかな枠組みが明らかになりました。タイトルは、「機械の中のアルケウス:17世紀のもう一つの機械論哲学Archeus in machina: That Other Mechanical Philosophy in the Seventeenth Century” です。セッションの司会は Bruce Moran、発表者は ShackelfordHiraiLüthy の3名、そしてコメンテーターは、William R. Newman  というある意味で初期近代キミア研究の現時点での世界トップと並ぶことになりました。> これはこれで感激なのですが、ひとつ問題があります。僕の本を読んだ人は分かると思いますが、僕はこの Shackelford という人が主張していることには、いろいろな点で意見を異にしているのです。この人は仏語の読めない人なので、僕が示したことには一切無頓着です。で、意見の異なる人の音頭取りで展開する話に、そのまま迎合して良いのか?という点です。僕はガッサンディファン・ヘルモントの部分を担当することになるような感じなので、ただ淡々と僕の本の宣伝を兼ねて自分に課された仕事をこなせば良いのですが… 常に最高のものを求めてしまう学術的な良心がうずきます。

 

 

2007. 2. 11

  ワシントンで行われる次のアメリカ科学史学会の年会にセッション企画を持って参加する旨を、ナンシーさんにメールで知らせました。すぐに返事があり、またニューヨークに遊びに行っても良いそうです。その前に、5月にあるナイメーヘンでのワークショップ「霊魂論と他の学問領域」に、ナンシーさんが来るそうです。ならば、それに参加しようかと思います。> まずは、クリストフに前回のように僕の滞在費をナイメーヘン側でもってもらう可能性はあるのかどうか聞いてみました。返事待ちです。

 

 

2007. 2. 6

  もう一つ決めたことは、今年11月にワシントンで行われるアメリカ科学史学会の年会で、クリストフと機械論再考のためのスペシャル・セッションを行うことになりそうです。おそらくは、ビル・ニューマンも参加することになると思います。その後に、それを雑誌 ISIS 用の共著論文としてまとめるというアイデアになっています。これは、そもそも機械論、つまりメカニカルという概念が研究者たちに間違って理解されていたと問題提起するセッションで、歴史に残る伝説的なものとなるでしょう。

 

  機械論という概念は、マリー・ボアスを始めとする英語圏の第2次世界大戦後すぐの世代の歴史家たちがボイルらの言説をもとにプッシュしたもので、教科書的な理解の根底となっているものです。僕より前の世代の研究者は、その理解にドップリと染まっていますし、若い世代でも全く疑いもせずに鵜呑みにしている人間が大半です。しかし、そもそもそのボイル自身がルネサンスのキミア的思想に大きく影響されていたことを鑑みるなら、セヴェリヌスファン・ヘルモントといったキミア伝統の主人公たちがメカニカルというものを全く別の仕方で理解していたことを看過してはならないはずなのです。このスペシャル・セッションは、その点をクローズアップし、常識を覆えすエポック・メイキングな試みとなります。ということで、アメリカの、ひいては世界の科学史界の常識を揺さぶるような問題提起をするようなグループに入るところまで、僕はを進めて来たことになります。分かっているのかな、世の中の人は?

 

 

 

もどる