ごくごく個人的な「本」日記



 

ニューヨーク&フィリー紀行 

 

2006. 7. 14

  さあ、皆さん、ついにニューヨーク&フィリー紀行の始まりです。

 

  まずは、一日目の出発日、14日の金曜日です。朝の6時半に起きて身支度をし、8時の電車に乗って空港へと向かいました。待ち合わせしていた道連れと無事に落ち合い、搭乗手続きを済ませ見送りに来た人を合わせ4人でカフェへ。話が弾みすぎたせいか、搭乗時間ギリギリとなってしまい慌てましたが、無事に飛行機に乗り込みました。ほぼ定刻通りに飛行機は飛び立ちました。何度乗っても、欧州と日本の間のフライトは長くて辛いのですが、道連れとずっと話をしていたせいか、8時間のフライトはあっという間に過ぎ去り、現地時間で午後の1時半(ベルギーとの時差は6時間です)にJFK国際空港に到着しました。少し面倒な入国審査を済ませ、エアー・トレイン、ロングアイランド交通と乗り継ぎ、マンハッタンの中央にあるペン・ステーションには3時過ぎには到着。そこからタクシーに乗って少し南にあるユニオン・スクエア近くにあるホテルに無事に着きました。

 

  ホテルの手続きを済ませて、荷物を置き、体勢を立て直して、まずは散歩がてらホテル近くにあるフラット・アイロン・ビルを見学に出かけました。ニューヨークの町は碁盤の目のようになっていて、しかも、42番街というように数字で道の名前がつけられているので簡単ですが、やはり最初は慣れるための時間が必要です。フラット・アイロン・ビルを写真に納めて、隣にあったカフェのテラスで一息をつきました。しかし、欧州に比べるとテラスの数が異様に少ないですね。この時点で6時近くになっていたと思います。

 

 

その後は、少し歩いて行ける距離にあるエンパイアー・ステート・ビルに向かいました。ビルの展望台から眺めるマンハッタンは、やはり美しいの一言に尽きます。ロンドンや東京のビル群とは比べ物にならない何かを感じます。気持ちの問題でしょうか?写真中央に見える尖塔のあるアールデコ調のクライスラー・ビルは秀逸です。エンパイアー・ステート・ビルを出たところ辺りで夕暮れを迎えました。徒歩でホテルまで向かう途中で食事をしてホテルについたのは11時過ぎたと思いますが、ベルギー時間では既に朝の7時を迎えていることになり、長い長い一日は終わりました。

 

 

 

2006. 7. 15

  さて、2日目は朝食のないホテル近くのカフェで朝食を8時に取ったあと、バスでマンハッタン島の南端にあるフェリー乗り場に向かいました。ここから、自由の女神を見学するための船が出ています。9時前に着いたのですが、既に長蛇の列が出来ています。それでも待つこと45分くらいで無事に乗船し、自由の女神のある島に向かって出発しました。

 

 

  自由の女神の後、エリス島というところに拠ってマンハッタン島に戻ってきました。次に、2001年のテロで消え去ったワールド・トレード・センターの跡地を見学して、昼食を済ませ、近くのウォール街にあるニューヨーク証券取引所の前を通って、2日目のメイン・イヴェントであるヘリコプター・ツアーの出発点であるヘリポートがある第6埠頭へと向かいました。

 

 

  ヘリコプターなんて乗るのは生まれて初めてだったのですが、いや〜、良かったです。フライトの時間は20と短いので高いかもしれませんが、ニューヨークの空をしなやかに舞うという、一生に一度あるか・ないかの体験ですから、それだけの価値はあることは僕が保障します!さて、この日の仕上げとして、名物のネイキッド・カウボーイを探しにマンハッタンの真ん中にあるタイムズ・スクエアに向かいました。ほどなく見つけることが出来ましたが、テレヴィで見たときの印象と違って既に超有名人となっているようで、女の子たちに取り囲まれて写真撮影ばかりで、まったくギターを弾く暇すらないようです。その後は、近くに発見したベルギー・ビールを飲ませるカフェで白ビールを堪能し、少しウチに戻ったような感じを味わって帰ってきました。

 

 

 

2006. 7. 16

  ニューヨーク滞在の3日目は、最初の2日間の疲れのせいでノロノロ・モードです。ゆっくり目に起きて朝食を取った後は、セントラル・パークの入り口をかすめてから、すぐ近くのタイム・ワーナー・ビル内にあるCNNのテレヴィ・スタジオ見学のツアーに参加しました。次に、レキシントン・アヴェニューに面してのショッピング街でデジタル・カメラを品定めです。そして、バスでマンハッタンを南下し、中華街リトル・イタリーをそぞろ歩きしました。ホテルに帰る直前に近所のメキシコ料理店のブリトーのテイク・アウトを取って帰りました。日本のセヴン・イレヴンで売っているものとは全然違って、チリ・コン・カルネをコーンの皮で巻いた感じといえば良いでしょうか?ライスが入っているところが以外でした。

 

 

2006. 7. 17

  もう、ニューヨーク滞在の最終日です。午後3時前の電車でフィラデルフィアに向かいます。残り時間を有効活用しようと、まずはウォール街の近くにあるバッファロー像を見学し、次にワールド・ファイナンシャル・センター、そして最後に中華街に戻って買い物をしてホテルに戻り、預けてあった荷物を受け取ってペン・ステーションに向かいました。

 

 

  結局、発車時刻ギリギリにフィラデルフィア行きの電車に乗り込み、無事にホテルに着いたのは4時過ぎです。食事のタイミングを逃していたので、まずはホテル近くにあったいかにもアメリカ的なダイナーに入って腹ごしらえをしてから、8時から始まるフィル響のバルトークのコンサートに向かいました。ホテルに帰ってきたのは11時過ぎくらいでしょうか?あっという間に一日が終わった感じです。

 

 

2006. 7. 18

  しかし、何という暑さでしょう?フィラデルフィアは、40度を越す猛暑地獄となっています。本来なら何もする気が出ないで、クーラーの全開バリバリに利いたホテルでじっとしているところですが、近くにある潜水艦の内部が見られるツアーに参加しました。

 

 

  その後は、猛暑の中に無謀にも街をそぞろ歩きして、灼熱地獄に焼かれる寸前でしたが、今日にフィラデルフィア入りしたLJ君と合流し、カフェで乾杯した後に夕飯を一緒に食べに行きました。レストランに入る直前で豪雨となりましたが、なんとか無事に食事にありつけました。

 

 

2006. 7. 19

  朝に最初のホテルを引き払い、会議の主催者が用意したホテルに引っ越ししました。部屋の中にインターネットのLANケーブルがあり、ジャックに差し込むだけで、無料でネットをサーフィンできます。ああ、何と快適なのでしょう。日本では今は当たり前なのかもしれませんが、欧州ではまだまだですし、アメリカでも、これまでのところにはありませんでした。世の中の全てのホテルが、こうあって欲しいものです。驚いたのは、この1週間で約750を越すゴミ・メールが来ていることです。でも、大事なものが2〜3通ありました。なかでも、アメリカに来る前に Annals of Science 誌に投稿したキルヒャー論文の受け取り通知が来ていました。これで、少し安心です。

 

  さて、今日の夕方6時から国際会議はスタートします。今夜は、レセプションと錬金術をテーマにしたクラシック・コンサートがあります。その前に、昨日のカフェでLJ君とビールを飲んでフライド・ポテトを食べたら満腹になってしまい、レセプションで出されたものを全く食べられませんでした。何とも間抜けな計算間違いをしました。> なお、レセプション会場でTシャツ短パンサンダル履きという超ラフな格好をしているのは、僕とLJ君だけでした。ちょっと外しましたかね?でも、そのことをラリーに聞いたら、「ヒロ、ここはアメリカだよ、気にするな」ということです。

 

  レセプションの後には、錬金術をテーマにしたバロック音楽のコンサートがありました。> 疲れていたので、9時のお開きの時間でホテルに戻ることにしました。その際に、LJ君からコピーの山を受け取り、OZW君からの預かり物も無事に頂きました。感謝です。LJ君には、SKMT君、OGW君、NSKWさん宛てのコピーの山を渡しました。

 

 

2006. 7. 20

  結局この滞在中の僕のバイオ・リズムはベルギー時間のままで、米東海岸時で34時頃に眼が覚めてしまいます。今日も既に、こうして朝食までの長い時間を持てあまして過ごさなければなりません。暇な時間があると、無駄な携帯メールばかり送ってしまうので、よくありません。次回の携帯使用料の請求書が怖いです。

 

アツシという名前は誰も覚えてくれないし、そもそも発音不可能であると理解したLJ君は、スカラー・ネームを考えることにしました。あいにく僕のように、名前を短くするだけでは上手くいかないので、ラジカルに誰にでも聞き取りやすい&覚えやすい名前を見つけたい様子です。イニシャルのアルファベットA を尊重すると、一体どんな名前があるかということで、いろいろ思案した挙句、アンディが良いのでは?と思ったのですが、少しして素晴らしい普遍的な名前を見つけることが出来ました。そのものずばり、アダムです。これなら何語でもみな一発で覚えてくれます。会場係の人にネーム・プレートを作り直してもらい、今日からLJ君はアダム・T・ラヴジョイとなりました。> ちなみに僕自身は、子供の頃からずっとヒロ(チャン、君、さん)と呼ばれ続けていたので、まったく違和感がありませんし、とくに仏語でヒロと呼ばれるときの音に非常な親しみを感じています。

 

 

  会議の午前の部は、ディディエ・カーンのフランス王アンリ4の宮廷における錬金術サークルについての発表から始まりました。これは、彼の博論を読んでいれば大体の内容は分かります。次に、Dane Daniel のパラケルスス主義者の神学について、それなりに面白かったです。やっと会うことができたセヴェリヌス研究者の Jole Shackelford は、意外にも化学派の尿分析についての興味深い発表をしていました。午前中のセッションの最後を締めくくる Peter Forshaw の発表はまたまたクーンラートに関するもので、目新しさを感じませんでした。

 

  午後のセッションは、ゲマ会議にも出席予定のステーフェンによるディー、リバヴィウス、ボイルの錬金術の確実性の問題に関する発表のあと、新人 Tara Nummendal による偽錬金術師と王侯の錬金契約についての発表で、テーマの目新しさに多くの人の関心が集まったようです。次のベルギーから参加のブリジッドは、なんと発表寸前に発表台上で倒れて病院行きになるというハプニングを迎えました。1日目の締めくくりとして、一つ繰り上がってリール勢のレミによる発表は英語の質に問題があり、上手く理解できた人は居なかったのではないでしょうか?ちょっと残念でした。

 

 

2006. 7. 21

  昨日の晩は、さすがに疲れていたのか、夕食後にLJ君が僕の部屋でパソコンをいじっていたのですが、僕はベッドの上でうたた寝をし始めてしまいました。さて、ついに今日は僕の発表があります。ぐっすり眠って、6時に眼が覚めました。僕の参加する午前のセッションは、ビル・ニューマンブルース・モーランという2大スターが顔を会わせる今回の会議の核となっているといっても過言ではないでしょう。僕の番は彼らの直前、前座としての新顔の Margaret Garbar の後ということでベスト・ポジションです。昨日の晩にLJ君に発表の練習を聞いてもらい、最終確認をしました。25分ジャストの発表です。

 

  早めに会場に入ろうと7時半過ぎにホテルを出ると、ビル・ニューマンが後ろから声をかけてきました。彼も早めに会場に入って全てのチェックをしたいようです。やはりプロは違います。ヨーロッパ式に何も使わない人以外では、多くの人がパワー・ポイントを使うのですが、僕だけOHPなので心配だったのですが、会場の機材係の人が親切で助かりました。サプライズだから、他の人には先に見られたくないのでヨロシクお願いしますというと、すぐに理解してくれて準備してくれました。その後は、会場自体が朝食を取る場所にもなっているので、他の人が来るまでユックリと食事を取りました。> シルエットで分かるでしょうか?写真は左から、ビルブルース、僕、ラリーです。

 

 

  さあ、9時半、午前のセッションの開始です。最初のマーガレットの発表は、なかなかしっかりしていました。続いて僕の番です。セッションの司会者となるラリーには予め僕の紹介の時には僕の本を皆の前に出してくれと頼んであったので、その通りにしてもらいました。その後、発表台の前に立ったのですが、う〜む、我ながら明らかに緊張しています。とにかく、原稿を読み出す前に言おうと思っていた通りに、「まだ博士課程の学生を始めたばかりの1997年にリェージュで国際科学史学会があり、そこで憧れのスターであるアレン・ディーバスに会いました。彼に僕の書き物を渡すと、後でそれに対する非常に優しい励ましの手紙をよこしてくれ、博論を最後まで貫徹するエネルギーを与えてくれました。それだから、この発表をアレンに捧げます。」といい、原稿を読み出しました。最初は緊張のせいかかなり棒読みに近いところまで来ていたかもしれませんが、段々とペースを取り戻せたと思います。発表が終わり、拍手のあと、質疑応答になるわけですが、いつも通りに一瞬沈黙が走ります。でも、すかさず興奮した様子で司会のラリー、そしてつづいてビルが質問を繰り出し、僕がそれに答え、会場が沸き上がるのが聞こえます。発表は大成功だと確信をえました。セッションの前半が終わってコーヒー・ブレークになったときに、アレンが近づいてきて握手してくれました。僕のことを覚えていたそうです。感激です。一緒に写真を取らせてもらいました。後半のブルースビルの発表は、さすが大御所という感じで貫禄があり、このセッションは本当に素晴らしかったと思いました。> 写真は、照明が暗いので見づらいですが、米国旗の前にある壇上で発表する僕です。

 

 

2006. 7. 22

  少々個人的な気持ちを言わせてもらうと、天使のような性格のラリーに対して、どうも僕はビルが好きになれません。何と表現したら良いか分かりませんが、ずる賢いというか、隙がないというか、そんな印象を与えます。ま、単なる印象ですので、それまでのことですが。それでも、現在のこの世界でのナンバーワンですから、彼に学者としての自分の力を認識してもらうことは大きな意味があります。これまで、なかなかビル認知してもらえていないなと感じていた訳ですが、今回の会議を通して僕の仕事が避けて通れないものであることを理解してもらったのではないかと思います。> ビルの文句を書いたばかりですが、彼の新作『アトムと錬金術Willam R. Newman, Atoms and Alchemy, Chicago, Chicago UP, 2006 サイン入りで貰ってしまいました。僕の本ではありませんが、僕の博論のことも各所で言及されているようです。

 

 

  僕のやっていることは一般の人はなかなか理解してくれません。この一般というのは、科学史一般(今回の参加者でいえばパメラ・スミスなど)という意味です。鋭い関心を示してくれるのは、アントニオラリービルといったトップの人間たちです。あえて世界のトップの人間をオーディエンスの対象と選んで研究をしている訳ですから、一般の人が理解できないのも仕方ありません。玄人好みといえば聞こえは良いですが、内容がディープすぎるのだと思います。最初の頃は、そのギャップにヤキモキもしましたが、今はこれで良いのだ思っています。> こういうことを書くとまた怒る人がいるのでしょうが、結局そういう人は世界のトップと渡り合うということが、どういうことか理解できない人であって、相手にする必要はないと思っています。僕は自分の道を前進するのみです。> そうそう、以下はアレン・ディーバス夫妻とのショットに、ご満悦のアダム君です。

 

 

  ついに、熱い熱い4日間のフィラデルフィアでの国際会議が終わりました。疲れました。明日はニューヨークに戻り、世界のナンシー・シライシさんに会います。

 

 

2006. 7. 23

  ユックリと朝食を取り、11時にホテルをチェック・アウトして、今はニューヨークに向かう電車の中にいます。同じ電車に乗ることにしたアダム君は、隣の席でクリストフ編集の国際論集『後期中世・初期近代の粒子論的物質理論』を読んでいます。電車の中の全ての席に電源コンセントがあるため、こうして快適に日記が書けるので、ご機嫌です。> ビルにサインしてもらえば?と提案していたのですが、切り出す勇気がなかったようです。

 

アダム君は、まだ自分のスカラー・ネームに迷いがあるようで、これからニューヨークに着くまでに決定的なものに決めないといけないと困惑しています。> 約40分遅れで電車がニューヨークにつき、上の階に上がると約束した待ち合わせの場所にいたナンシーさんが、僕を素早く見つけました。アダム君を紹介した後、別れて車でブルックリンのナンシーさんの家まで向かいました。

 

お茶を飲みながらいろいろな話をしたあと、待望の書斎を見せてもらいました。う〜ん、惚れ惚れする素晴らしい環境です。しばしウットリと見とれていると、素早くナンシーさんが僕の本を取り出して、「サインをして頂戴!」と言われました。感激です。サインをした時に、『ルネサンス期イタリアにおけるアヴィセンナ』は中古市場でも超レアで入手が困難で困っていますと、性懲りもなく口を滑らせると、スッと一冊出してきて、「これが残っているのであげるわ」と言われました。恐縮です。表紙にサインをしてもらいました。

 

 

そうそう、ナンシーさんはアダム君の名前をしっかり覚えてくれたようです。やはり普遍的な名前の威力は大きいですね。アダム君に頼まれていたように、もしアメリカの場合、アダム君のような研究テーマでは、どこへ博論をしに行ったら良いでしょうか?と質問したら、いろいろ真剣に考えてくれているようです。良かったですね、アダム君。

 

 

2006. 7. 24

  さて、今日が今回のニューヨーク&フィリー紀行の最終日です。帰りの飛行機は8なので、6時までに空港に着けば良い訳ですが、車で送ってくるそうなので、夕方の5時くらいまで時間があります。昨日も何をしたいか聞かれたのですが、観光などよりもナンシーさんのライブラリーを見ている方が楽しいので、そうさせて下さいとお願いしてあります。

 

  時間の余裕をみて4時過ぎにブルックリンを離れ、空港に着いてお別れの挨拶をし、デルタのカウンターでチェック・インをしたところで6時近くになっていました。今は、空港のラウンジでこの日記を書いています。そちらこちらに電源コンセントがあるので非常に便利です。その辺がアメリカだと思います。しかし、グッタリと疲れました。帰りの飛行機の中では、きっと人工的な夜を作り出すのですが、グッスリと眠れそうです。> 案の定、覚めたら既にブリュッセル近くまで来ていました。

 

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