New Paracelsus Lounge
 
パラケルスス研究のラウンジ
  
  
 
その4
 
 最近の研究動向
 
 
フランス語圏
 
Paracelsica Gallica
    
 
  僕は、フランス語圏のヨーロッパ大陸での最北端、ドイツ語圏とオランダ語圏に限りなく近いところに住んでいます。そういった意味でも一番良く入ってくる情報が、フランス語圏のものです。そいうこともあるので、圧倒的にその量の多いドイツ語圏を差し置いて、まずフランス語圏でのパラケルスス研究の歴史を振り返ってみたいと思います。それから現在の状況を見てみたいと思います。フランス語圏の学術文化的中心は、やはり何と言ってもパリなのですが、パラケルスス研究に関してもそういう傾向があるのでしょうか??
 
    別項でも説明しましたが、フランス語圏でのオカルト思想やエソテリスムに関する研究の伝統は、その出版物の質・量の面からも証明される通り、飛び抜けたものがあります。パラケルススに関する研究も、その出発点は、ドイツに見られるような宗教改革や医学思想の歴史といったものよりは、やはりエソテリスム的な関心が大きく働いています。19世紀から続くこういった関心の流れは、それでも非常に重要な貢献物を残しています。
 
    フランス語圏における学術的なレヴェルで語れるパラケルスス研究に関する出版物を見る上で一番大きな役割を占めるのは、1658年刊行の最も充実したラテン語版全集である Opera omnia からの『ヴォリューメン・パラミルム』 Volumen paramirum と 『オプス・パラミルム』 Opus paramirum の Grillot de Givry による1913年の翻訳です。このヘルメス主義者は、この全集に含まれる、その他の全てのパラケルススの著作を順次翻訳する遠大な野心的計画を立てていました。結局、この明らかに無謀な計画から日の目を見たのは、ラッキーなことにパラケルススの医学思想を知る上でもっとも重要な代表作であるこの2著作でした。既に、この時点で、日本語への翻訳作業を大きく引き離しています。
 
    それより前後して、よりエソテリスム的趣味の濃い偽パラケルススの魔術書や錬金術書の幾つかの小品の翻訳作業も続きます。その代表的なものが、『アルシドクシス・マジカ』 Archidoxis magica、『3つのエッセンスについての書』 Traite des trois essences、『錬金術師の宝中の宝の書』 Le tresor des tresors des alchimistes、『錬金術の言説』 Discours de l'alchimie 等です。
 
    次に大事な局面となるのが、ドイツ語学者 Bernard Gorceix が Sudhoff 版から翻訳した1968年の『パラグラヌム』 Paragranum です。これによって、「パラ」3部作は揃い踏みします。その後、数年間は、Gorceix が翻訳の面では一番の権威となります。彼は、薔薇十字会の『化学の結婚』等の3つの書を翻訳した『薔薇十字会のバイブル』 (La bible des Rose-Croix. Paris, 1970) や、16世紀ドイツのパラケルスス主義錬金術師の著作を翻訳した『錬金術 : 16世紀ドイツのテクスト』 (Alchimie : Traites allemands du XVIe siecle. Paris, 1980)を出したりします。

    研究の分野で大事なのが、まず、Sudhoff 版全集の出版(1922年-1933年)に刺激されたことによって成立した、邦訳されてもいる科学史家アレクサンドル・コイレの論文「パラケルスス」(1933年)です。そして、何とパーゲルの『パラケルスス』(1958年)の全訳が1963年に出されます。その後は、より一般的な読者層を対象としたパラケルスス「読み物」の出版の時代に入ります。例えば、白水社のクセジュ文庫で邦訳もされている『錬金術』の著者であり、英国の化学思想家ロバート・フラッド研究の専門家でヘルメス主義者であるセルジュ・ユタンがらみの『パラケルスス : 人、医師、錬金術師』 (S.Hutin & B.Whiteside, Paracelse. Paris, 1966.) や文学史家 A.-M.シュミットによる『パラケルスス、あるいは躍動する力』 (A.-M.Schmidt, Paracelsus ou la force qui va. Paris, 1967.) という文庫本が出されたりといった状況となります。
 
    次の段階は、ストラスブルグ大学の哲学史家 Lucien Braun の活動です。この人は、K. Goldammer の監修するパラケルスス全集の第2部「神学的著作」シリーズの編集にも参加していていて、B.Gorceix と並んで、フランス語圏ではパラケルススのドイツ語が良く分る歴史家です。まず、ドイツ語でのザルツブルグ・パラケルスス協会がらみで幾つかの論文を発表した後、フランス語での論文とパラケルススの著作からの抜粋の翻訳を集めた『パラケルスス、自然と哲学』(Paracelse, nature et philosophie. Strasbourg, 1979)を出します。翌年の1980年には、『ヘルメス主義のカイエ』のパラケルスス特集号に名を連ねます。このカイエは、それまでのフランス語圏におけるパラケルスス研究運動の一つの頂点となります。そして、1988年には、『偉大なるスイス人』(Les Grands Suisses)シリーズから豪華カラー本の『パラケルスス』を発表します。彼は、パラケルススの思想の研究は Sudhoff 版と Goldammer 版の全集に則って行わなければならないことを再三強調します。残念ながら、がっちりした研究論文を量産する人でなく、学術的には、Pagel や Goldammer に比べると数段こじんまりとしたものしか生み出さなかったというのが実情です。もう1つの抜粋翻訳集である『迷える一医師の福音書』(Evangile d'un medecin errant. Paris, 1991)は全くの小品です。しばらく沈黙が続いた後、1998年にパラケルススの魔術擁護論に関する断片を翻訳したものを集め長めのイントロダクションを付した『魔術について』(Paracelse, De la magie. Strasburg, 1998)を発表します。これは、なかなか良いできの文献だと思います。
     
   パラケルススのテクストの翻訳の方に新しい動きが出てくるのが1987年です。果たして、B. Gorceix の『パラグラヌム』の翻訳から20年してやっと Sudhoff 版のドイツ語からの次の翻訳を試みたのが Horst Homberg と Charles le Brun の二人組みです。その成果が、パラケルスス流の植物誌的小品『ヘルバリウス』 Herbarius となって日の目を見ます。同様な作業を続け、新たに4篇の著作(『惑える医師たちの迷宮』 Labyrinthus medicorum errantium、『哲学の5つの書』 5 Tractatus de Philosophia、『回復の書』 De restauratione、『長寿の書』 De longa vita が、1992年に発表されます。
 
    研究の分野では、パラケルスス主義者に関心を寄せた研究を比較的多く発表しているクリソペア・グループの運動に刺激されてか、1994年にパリのソルボンヌ大学においてパラケルススに関する展覧会が催されます。そこでのシンポジウムの発表論文を集めた『パラケルススとその周辺』(Paracelse et les siens. Paris, 1995)が西欧エソテリスム史の研究専門の学術雑誌 ARIES の19号として刊行されます。その後、フランス語圏でのパラケルスス研究の中心は、クリソペア・グループのパラケルスス主義者研究と ARIES がらみのヤコブ・ベーメ等を研究するグループに移ります。ところで、この ARIES は『ヘルメス主義のカイエ』を母体とする研究者グループのようです。この関係から今年になって2つ大きな動きが出ています。一つ目は、『ヘルメス主義のカイエ』出身のヤコブ・ベーメ研究家ピエール・デゲェ編の2巻本『パラケルルからトーマス・マンまで : ドイツ・ヘルメス主義の変容』 Pierre Deghaye (ed), De Paracelse a Thomas Mann : L'avatars de l'hermetisme allemand. 2vols, Dervy, Paris, 2000.) 。そして、もう1つは、同じピエール・デゲェによる、何とあのパラケルススの晩年の主著である『フィロゾフィア・サガクス』の Sudhoff 版からの翻訳(Paracelse, La Grande astronomie ou la philosophie des vrais sages, Philosophia sagax. Dervy, Paris, 2000) です。この前人未到の『フィロゾフィア・サガクス』の翻訳によってフランス語圏のパラケルスス翻訳作業は、英語圏やイタリア語圏を大きく引き離したこととなります。   
  
   
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