第2著作

 

 

最近、2冊目の著作の構想というか妄想を語ることが多くなってきましたので、

ここにそれをまとめておくことにします。> ついに第2著作として

出版されました (201112月末)。

 

 

 

医学人文主義と自然哲学:物質、生命、霊魂についてのルネサンス論争

Medical Humanism and Natural Philosophy: Renaissance Debates on Matter, Life and the Soul

 

ボストン・ライデン、Brill 書店、2011

 

アマゾンワールド・キャットウェブ・キャット

 

 

章だて

 

第1章       ニッコロ・レノニチェノ:中世アラブ・ラテン伝統と古代ギリシア注釈家の再生のはざまで

Chapter 1: Nocolò Leoniceno between the Arabo-Latin Tradition and the Renaissance of the Greek Commentators

 

第2章       ジャン・フェルネルとキリスト教プラトン的ガレノス解釈

Chapter 2: Jean Fernel and His Christian Platonic Interpretation of Galen

 

第3章       ヤコブ・シェキウスにおける形成力と霊魂の起源

Chapter 3: Jacob Schegk on the Plastic Faculty and the Origin of Souls

 

第4章       コルネリウス・ゲマとヒポクラテスの新プラトン主義的解釈

Chapter 4: Cornelius Gemma and His Neoplatonic Reading of Hippocrates

 

第5章       フォルチュニオ・リチェティ対マルシリオ・フィチーノ:世界霊魂と自然発生

Chapter 5: Fortunio Liceti against Marsilio Ficino on the World-Soul and Spontaneous Generation

 

第6章       ゼンネルトにおける生きている原子、質料形相論、自然発生

Daniel Sennert on Living Atoms, Hylomorphism and Spontaneous Generation

 

 

 

各章の紹介

 

第1章(クニ)|第2章(カズ)|第3章(クニ)|第4章(カズ)|第5章(カズ)|第6(クニ)

 

 

 

書評が出ました!

 

British Journal for the History of Science 45 (2012), 682-683.

 

Annals of Science ** (2013), ***-***.

エッセイ・レヴュです。

 

 

2013. 3. 5

  おお、Annals of Science 誌の最新号に僕の第2著作の書評ではなく、なんとエセー・レヴュがでました!ルネサンスの宗教哲学史の権威でドイツ語圏におけるジョルダーノ・ブルーノ研究の牽引車のひとりである Paul Richard Blum 氏によるものです。おそらく紙ヴァージョンの出版はもう少し後になるのかもしれません。印象的な決め文句は “With this book we have a solid assessment of major sources, topics, and strategies in the Renaissance medical debate about the philosophy of life” です。

 

 

2013. 2. 14

  あの老舗雑誌 British Journal for the History of Science の最新号(2012年の第4分冊の682-683頁)に、僕の第2著作書評が出たようです。とても高く評価してくれているので、僕としても嬉しいかぎりです。

 

 

2013. 2. 13

  今日は夕方から駒場で、僕の第2著作のディープな合評会があり、それに参加して質疑応答で盛りあがるという予定です。> 会場に8人、そしてウェブ参加で4人という面々で、すごい盛りあがりでした。あっというまに2時間がすぎるマシンガン・トークでした。そのあとは、2次会として会場を『さわやか』に移して23まで夜会は続きました。> 合評会のヴィデオをアップしました。メルマガ20133月号)にリンクを挙げておきます。

 

第1章(クニ)|第2章(カズ)|第3章(クニ)|第4章(カズ)|第5章(カズ)|第6章(クニ)

 

 

2013. 2. 6

  今日は雪がふって、とにかく寒いので、外に出ないで講演会用のパワポをつくっています。まずは、僕の第1著作にもとづいた台湾講演第1弾のためのものをつくりました。つぎは、第2著作をもとにした第2弾のためのものをつくります。金曜日の東大駒場での受賞記念講演は、これらの2つのファイルから幾つか抜きだして本体とし、それに補足を加えたものにしようと思っています。

 

 

 

出版までの道のり

 

2012. 2. 23

  いい機会ですので、英語しか読めない人の目に僕の作品群がどのように写っていたのかを見るために、英語のものだけリスト・アップしてみました。やっぱり最初は少ないのですよね。とびとびでしか出ていなくて、最近になってやっとコンスタントになってきた感じです。この辺が欧州では知られているけれど、それ以外の場所ではまだまだということの原因なのでしょう。個人的には良い作品だと思うのですけれど、人気の面ではボイル論文はフィチーノ論文とキルヒャー論文のかげに隠れている感じです。後者2本は注目をあつめた論集に収録されたことが光っていると思います。似た現象を第2のフィチーノ論集に収録されたリチェティ論文や論集『キミア』に収録されたデュシェーヌ論文にも予感しています。第2著作が出版されたことで僕の作品世界の核となるボディが与えられ、バラバラに見えていた各作品が有機的につながっているのかが見えやすくなり、人々の理解が進むことを期待しています。

 

2011

--- Medical Humanism and Natural Philosophy: Renaissance Debates on Matter, Life and the Soul (Boston-Leiden: Brill, 2011).

--- & J. Papy (ed.), Justus Lipsius and Natural Philosophy (Brussels: Royal Academy of Belgium, 2011).

--- "Lipsius

 on the World-Soul between Roman Cosmic Theology and Renaissance Prisca Theologia

", in Hirai and Papy, Lipsius and Natural Philosophy, 63-79.

--- "Earth's Soul and Spontaneous Generation: Fortunio Liceti's Criticism against Ficino's Ideas on the Origin of Life," in S. Clucas et al. (eds), Laus Platonici Philosophi: Marsilio Ficino and His Influence (Boston-Leiden: Brill, 2011), 273-299.

2010

--- “The World-Spirit and Quintessence in the Chymical Philosophy of Joseph Du Chesne,” in M. Lopez-Perez et al. (eds.), Chymia: Science and Nature in Medieval and Early Modern Europe (1450-1750) (Cambridge: Cambridge Scholars, 2010), 247-261.

2008

--- (ed.), Cornelius Gemma: Cosmology, Medicine and Natural Philosophy in Renaissance Louvain (Rome: Serra, 2008).

--- "‘Prisca Thelogia’ and Neoplatonic Reading of Hippocrates in Fernel, Cardano and Gemma," in Hirai, Cornelius Gemma, 91-104.

2007

--- "Athanasius Kircher’s Chymical Interpretation of the Creation and Spontaneous Generation," in L.M. Principe (ed.), Chymists and Chymistry: Studies in the History of Alchemy and Early Modern Chemistry (New York: Science History Publications, 2007), 77-87.

--- "The Invisible Hand of God in Seeds: Jocob Schegk's Theory of Plastic Faculty," Early Science and Medicine 12 (2007), 377-404.

2005

--- (& H. Yoshimoto) "Anatomizing the Sceptical Chymist: Robert Boyle and the Secret of his Early Sources on the Growth of Metals," Early Science and Medicine 10 (2005), 453-477.

2002

--- "Concepts of Seeds and Nature in the Work of Marsilio Ficino," in M.J.B. Allen & V. Rees (eds.), Marsilio Ficino: His Theology, His Philosophy, His Legacy (Boston-Leiden: Brill, 2002), 257-284.

  Worldcat によると、僕の第2著作を入架した図書館が増えているようです。アメリカでも、プリンストンアリゾナなど各地に入っています。なお、自分の現在位置をいれないと出てこないシステムですので、赤の三角!マークの出ている部分に適当な都市名をいれてみてください。

2012. 2. 22

  リヨンでのコロキウムの件ですが、僕の第2著作の紹介でも良いということになったので、参加する方向で調整中です。François Duchesneau も呼ぶというというところに何となく惹かれました。2005年のボルドー2006年のパリでの会議であっているのですが、どうもイマイチかみあわなかった人です(ライプニッツを中心とした啓蒙期の生物学のエピステモロジーを専門にしている氏にとっては、キミアのテクスト分析をしていた僕の研究とは方向性がまったくちがうということで接点が見つからなかったということでしょうが、ビルの仕事の伝播のせいで世の中もだいぶ変わってきたと思います)。ということで、今回はどうでしょうか?将来的にはエピステモロジーをやっている人にもアピールする研究の発信のしかたというのを学ばないといけないですね。

  結局のところ、僕の第2著作を実際に手にとったとい連絡をくれた最初の人は、アメリカのアマゾン経由で入手したという斜塔堂こと桑木野君でした。ありがとうございます&何か特典を差しあげます。そのうちに阪大の図書館データに入力されるということです。

2012. 2. 21

  僕の第2著作は、アマゾン・ジャパンでは週末に「3〜4週で入荷」から「1時的に取り扱い不可」になっていたのですが、今日になったら「在庫あり」になりました。なんなのですか、この落差は?あまりにラジカルすぎませんか?不思議なところです。

2012. 2. 20

  客員教授として5月〜6月にフランスに滞在する Domenico Bertoloni Meli の業績をたたえる?ための1日会議をリヨンで開くので、彼の仕事の一面をとらえた発表をしないか?という依頼が週末にありました。ニコと呼ばれる彼は、科学革命機械論についてや、マルピーギなどに代表される17世紀後半から18世紀の生命の科学において機械論的な側面を追及してるのだと理解していますが、この種(誰かをたたえるため)の発表をしたことがないので、個人的には二の足を踏んでいます。しかも開催予定日が610日か5月後半ということで、その後のパリ会議も近いことからなかなか難しい気がします。僕の出たばかりの第2著作を紹介することなら比較的に簡単だけれども、どうですか?と返事をしました。リアクションを待ちます。なお、ニコは去年の春に『機械論、実験、病気:マルピーギと17世紀の解剖学 Domenico Bertoloni Meli, Mechanism, Experiment and Disease: Marcello Malpighi and Seventeenth-Century Anatomy, Baltimore, Johns Hopkins UP, 2011 という本をだしているようです。

2012. 2. 18

  僕の第2著作ですが、昨日の夜にアマゾン・ジャパンをチェックしたら、「1〜3週間で入荷」という表示から「3〜4週間で入荷」という表示に変わっていたはずのところが、なんと「ただいま取り扱いできません」というものになっていました。それはちょっと困るので仕方ないですが、僕自身がマーケット・プレイスに出品しました。それだけではあまりにがないので、初版特典としてサイン入りのコレクターズ・アイテムとさせていただきます。将来に価値がでて、大きなプレミアがつくかもしれません(冗)。

2012. 2. 15

  世話になった人に配るために第2著作を、さらに10ほどオーダーしているのですが、まだ届きません。

  プリンストンのヨシ君からのニュースでは、図書館に配架された僕の第2著作は、すかさず誰かに借りられているということです。ヨシ君が一番かとも思いましたが!しかし、このプリンストンのデータは、まだ WorldCat でも出てこないくらいフレッシュですね。Due Date からみるに、210に借り出したのではないでしょうか?まさか、トニー本人なんてことはないでしょうね?

2012. 2. 13

  先日、科学史 ML というメール・リストに投稿した僕の第2著作の内容紹介です:

 

科学革命の世紀を準備した16世紀の西欧の医学者による物質と命に関する自然哲学的な論争を、活動した国(イタリアフランス、ドイツ、ネーデルランド)や宗派(中立、カトリック穏健なプロテスタント、ルター派などの異なる6人の医学者を中心にして探ったものです。

16世紀はじめのガレノスやヒポクラテスの著作群の「再発見」と受容から、17世紀初頭の原子論の復活にいたるまでの、ほぼ100年間における科学的な活動をになった医学者たちの物質観や生命観、そして生命の起源についての議論を、形成力や精気、自然発生などといったテーマを絡めて分析しています。

ルネサンス期の医学人文主義と呼ばれる思潮が、アリストテレス主義が中心だった自然哲学を、いかに方向転換させていき、それが17世紀の科学革命につながっていくのか?という問題を考えるための第1歩になればと思っております。以下が簡単な構成です。


第1章 「アラビア・ラテン伝統とギリシア注釈家の復活:ニッコロ・レオニチェノ」

第2章 「ガレノスのキリスト教プラトン主義的な解釈:ジャンフェルネル」

第3章 「形成的な力能と霊魂の起源:ヤーコブ・シェキウス」

第4章 「ヒポクラテスの新プラトン主義的な読解:コルネリウスゲマ」

第5章 「世界霊魂と生命の起源についてのフィチーノ見解の反駁:フォルチュニオリチェティ」

第6章 「生きた原子、質料形相論そして自然発生:ダニエル・ゼンネルト」

結論

補遺

文献表

索引

  アマゾン・ジャパンの方は、卸の日本の洋書ディーラーの在庫もなくなってしまったようで、1〜3週間で発送というのが、3〜4週間で発送になってしまいました。ブリルの発送拠点のあるイギリスにバック・オーダーをかけているようです。申し訳ありませんが、首を長くしてお待ちください。

 

2012. 2. 11

  クニ君が、僕の第2著作の最終章ゼンネルトの部分を「生きている原子」として解題してくれました。ご覧ください。僕の一歩先をいっているところもありますが、まだ僕としてはワーク・イン・プログレスとして断定するのをひかえた部分でもあります。

2012. 2. 10

  アマゾン・ジャパンで僕の第2著作がすべての洋書のランキングで709、歴史の洋書ランキングで19!までいきました。刻一刻と変わるものみたいなので、一瞬もっと上にもいったかも知れません。

2012. 2. 9

  僕の第2著作のお知らせを科学史 ML にドロップしました。本人には回ってこないので、うまくドロップされたかわかりません。誰か僕に転送してください。> 転送してもらいました。上手くいったようです。

2012. 2. 2

  ルネサンス期やそれ以前の世界をあつかっている僕の目には、なんとも不思議と思われるような問題設定をアンドレアスやジャスティンといった17-18世紀の専門家がするのはどうしてなのかな?とずっと思っていました。どうやらそれはデカルトライプニッツのテクストを読んでいて遭遇する断片的でコンテクストから完全に切りはなされた古代や中世のアイデアから出発しているからなのだ、ということが良くわかります。彼らはあくまで哲学者であって、歴史家ではありません。ですから、ライプニッツの比較対象はアリストテレスデカルトということが可能となります。古代や中世のアイデアがルネサンス期にどのように変容しつつ、受容されていたか?あるいは伝統的にどういう文脈で議論がおこなわれていたか?といった問題にはあまり関心がないのですね。

  ま、そのあたりの16世紀の生命と物質についての問題を、つっこんで勉強するための基本的な道具も、これまでは(ジャック)ロジェデニス(デシェヌ)の著作以外には、ほとんどなかったというのが実状かもしれません。僕の第2著作は、そんな研究の世界にあるポッカリとあいた空隙をうめるための第一歩になることを目的としています。

  僕の第2著作を最初に手にしたのは立教大学の図書館のようです。ウェブ・キャットにも出るようになりました。手配をしてくれた OZW 君に感謝です。スピードから考えるとアマゾンなどの経由ではなく、直接にブリル書店に注文したのかもしれませんね。

 

2012. 2. 1

  ついに日本のアマゾンにも、僕の第2著作が入荷したようです。今週中には、実際に手にする方が出てくるのではないかと思います。とくに最初の方々には何かビッグ特典をさしあげようと考えていますので、ぜひとも連絡をしてください。また、アメリカのアマゾンにある著者ページの拡充をはかっています。めずらしく短いアドレス https://www.amazon.com/author/hirai を入手することができました。今回は hirai でも hiro でも、あるいは hirohirai でもとれたのですが、どう考えても書籍をさがすひとは苗字で検索するだろうと思い、そちらにしました。日本のアマゾンにも著者ページはありますが、みじかいアドレスは取得できません。とにかくも、今後の予定をいれてみました。パリ東京ベルリンといい感じでイヴェントの予定がならんでいます。

   いくつか本に与えられるをあらいだしました。まだまだ他にもあるかもしれませんが、いったんリスト・アップしておきます。一般的なカテゴリーのものを狙うとライヴァルが多すぎてなかなか難しいでしょうから、現実的には医学史の分野ということになるかもしれません。あまり知られていないものの方がいけそうな気もします。> これまでとった3つの賞のときは、「これに応募しなよ」という感じで、導いてくれるエンジェルがどこからともなく現れたのですよね。今回は、どうでしょうか?

医学史の分野 

Pfizer Award (History of Science Society)

http://www.hssonline.org/about/society_pfizer.html

Suzanne J. Levinson Prize (History of Science Society)

http://www.hssonline.org/about/society_levinson.html

William H. Welch Medal (American Association of the History of Medicine)

http://www.histmed.org/welch_medal.htm

EAHMH Book Award (European Association of the History of Medicine and Health)

http://www.eahmh.net/index.php?option=com_content&view=article&id=57&Itemid=62

一般的な分野

Susanne M. Glasscock Humanities Book Prize (Center for Humanities Research at Texas A&M University)

http://glasscock.tamu.edu/index.php?option=com_content&view=article&id=500&Itemid=237

Roland H. Bainton Book Prize (The Sixteenth-Century Society)
http://www.sixteenthcentury.org/pbainton.shtml
 

Phyllis Goodhart Gordan Book Prize (Renaissance Society of America)

http://www.rsa.org/?page=Awards

2012. 1. 28

  頼みもしなかったのですが、ブリュッセルのエリザベスは僕の第2著作を図書館にリクエストしてくれたようです。実物は、まだ入ってないのですが、すでにカタログには出てきます。ココロより感謝です。こういうサポーターは本当に BH の活動にとってはありがたいことです。

2012. 1. 25

  なぜだかわかりませんが、アメリカのアマゾンで僕の第2著作が急に今週から26パーセント引きとなりました。100ドルで、約7700円です。送料とあわせても、日本のアマゾンより安いかもしれません。これはお得です。いまがチャンスです!> 送料込みで約8600円ですね。

  今年9月にベルリンで行われる国際会議「動物から人間へ:アリストテリス主義、デカルト主義、ポスト・デカルト主義における人間と動物の知性と知覚についての医学的・哲学的な論争」での発表の仮タイトルとアブストラクトを送らないといけないのですが、どういうものにしようかと悩んでいました。基本的には、動物に知性はあるのか?という問題をあつかう会議だとおもいますが、ルネサンス期についてはなす場合、アリストテレス主義における知性の問題に焦点があつまる気がします?僕としては、医学者の反応について話すことにすればいいでしょう。第2著作のプロモーションをかねたものが良いので、「ルネサンスの医学論争における動物の霊魂と人間知性の起源 “The Origin of Animal Souls and the Human Intellect in Renaissance Medical Debates” にしようかと思います。基本的には、フェルネルシェキウス、そしてゼンネルトという立場のことなる医学者3人のアイデアをまとめたいと思います。どうでしょうかね?

2012. 1. 22

  デジタル・ライブラリー『医学と科学革命』を担当した BIUM (いまは BIU Santé ステファニとひさびさに連絡をとりました。図書館のために僕の本を注文してくれるそうです。それから医学史メールリンク Medicina でも紹介もしてくるそうです。> この第2著作のプロジェクトにとって、すべてのはじまりであったという感じのする2000に参加した HAB サマー・スクールで会ったときから、いろいろお世話になったナンシーさんとヴィヴィアンに本が出たことを知らせました。1冊ずつおくる予定です。

2012. 1. 21

  これから、どうやって第2著作プロモートするかを考えています。BH、ブログ、フェイスブック、トィッタ、アカデミアといったところでは、それなりにやっていますが、それ以外となると何があるのかな?と考えてしまいます。

 

2012. 1. 18

  ついに、僕の手元にも、待ちに待った第2著作が到着しました。ブリルとの契約で6冊もらえました。ブレポルスのときは、たしか10くれたような気がします。6冊なんて、あっという間になくなってしまうでしょう。> さらに10ほど追加の注文をかけました。夕方に、注文を受けたむねの連絡がありました。

   と、同時に気がついたのですが、最初にアメリカのアマゾンに入荷した5冊のうち、4冊はあっというまに売れてしまったようです。すごい!なお、日ごろから応援いただいている BH ファンの皆さんに感謝のしるしとして、いま本書を入手された方々に特典をさしあげようと考えています。連絡をください!

2012. 1. 5

  2006のころに妄想などといっていたものが、ついに数日前に第2著作として出版されたのを機に、それまでの道のりを見直してみました。2002にロンドンにいるときにはじめた研究が発端となり、本書のコアとなる部分の論文群を何かにとりつかれたように次々にうみだしていたのは2005から2007ころです。それらの作品を1冊の本にまとめる考えがうまれ、すべてを仏語200頁におさまる小著とするつもりでした。サイズ自体は変わりませんが、その後に活動の場をアメリカにまでひろげたことをうけて、もっと広い読者層をねらって2008年末からだんだんと全体を英語になおす作業にとりくみました。クレアという力強いサポートをえて2人で何度も何度も読みかえしては中身をみがいていきました。夏休み直前に最終校を出版社にてわたし、ついに2011年末にめでたく出版となったわけです。ここまで、ほぼ10と本当に長い道のりでしたが、悔いはありませんし、なんともいえない達成感があります。

といっても、まだ実物を手にしていないので、何だか夢心地でもあります。

  ちなみに参考までにいうと、各章のもととなった論文を書いたのは以下の順番です。けっしてリニアであった訳ではありませんでした。それから、研究の進めた順において大事な位置をしめるキルヒャー論文も当初は入れる予定でしたが、彼が生きたのはルネサンス期ではなく、17世紀後半と時代的にはかなり下がりますし、医学というよりもキミアに関する内容ですので、はずすことにしました。キミアに関する作品群はそれなりに数がそろった時点で、別の英語の本にまとめるつもりです。

           2章 フェルネル

           1章 レオニチェノ

           5章 リチェティ

           3章 シェキウス

           4章 ゲマ

           6章 ゼンネルト

2011. 12. 31

  ブリルのサイトを見たら、どうやら僕の第2著作が出版されたようです。専用頁アップデートされていました。めでたい!

2011. 12. 26

  そろそろ僕の第2著作も刷りあがり、製本も終わって出来あがってくるころだと思います。不思議な感じがします。

2011. 12. 20

  ブリル書店から連絡があり、あと2週間以内に僕の第2著作が刷りあがるので、6冊もらえることになっているオーサー・コピーをどこに送るか聞いてきました。発送にはスコットランドにある配送センターから欧州内なら10から15かかるそうです。ということで、どう考えても来年の1月半ばとなるので、迷うことなくオフィスに送ってもらうことにしました。

2011. 12. 7

   おおざっぱな予想をいうと、ギデオンの論集も契約書を今年6に交わしているので、来年前半にはなんらかのカタチになってくると思います。ブリル書店の契約書では、最終的な原稿を渡してから6ヶ月以内に本を出版することが決められているからです。僕の場合も、原稿を提出した6月末から本がでる12月末までということで、きっかり6ヶ月でした。

2011. 11. 23

  おもえば、去年一年、そして今年一年の2をかけて、クレアと二人がかりで数え切れないほど何回も読み返し、膨大な時間をかけて一字一句を吟味し、徹底的に直しに直して、たどり着いた第2著作の出版ですが、そういう僕でさえ2005から徐々に英語で書くようになってきていたわけですし、英語の論文もすでに数本を出版し、さらにいうと(ロンドンの1年はカウントしないにしても)ほぼ2年間をアメリカで過ごしたわけです。まったくのゼロ状態ではありませんでした。それでも、世に出して恥ずかしくない著作をものにするためには血のにじむような努力が必要なわけです。ここまでしても、文句はつくものでしょう、それは覚悟しています。

2011. 11. 21

  朝にブリル書店の担当者から連絡があり、僕の第2著作の最終的なファイルが印刷所にまわされたようです。ここからは5〜6週間で印刷と綴じ、カヴァーをつけて本ができあがるようです。だいたい1230よりは前だろうとのことです。ということで、おそらくは僕の手元には来年1月の第1週には届くのではないでしょうか?クリスマスのプレゼントには間に合いませんでしたが、お年玉というかたちになるようです。それなりの価格なので、ひろく一般の皆さんに購入をお願いするのはこころぐるしいところがあります。お近くの図書館にリクエストを出していただいたら甚大です。また、中世から初期近代を研究されている皆さんは、ぜひとも手元に置かれることをおススメします。持っていてはさせません。

  本が出たら次の段階は書評ですが、今回はすでに送り出す雑誌のリストは出来上がっていて、マーケッティングの担当者が面倒を見てくれます。その次に僕としては何をすべきかといえば、どういうがあるのかをリストアップして応募することです。前回は仏語の本だったので、出せるところには限りがありました。今回は英語ですので遠慮せずにワールド・ワイドに行きたいと思います。

2011. 11. 12

  本当は金曜日のうちに第2著作の2回目の校正指示を送り出す予定だったのですが、クニ君と話しているうちにもうひとつ間違いを見つけたので、すぐに送り出すのは控えました。でも、来週の月曜日が締め切りなので、どちらにしても送り出さなければなりません。

2011. 11. 9

  朝からもう一度、第2著作の校正の見直しをしました。さらに2箇所ほど見逃していたことを見つけました。もう一回見直しすることにして正解でした。ついでに、数箇所だけなので、担当者が見つけやすいようにリストを作りました。

  すでに10数年にわたって海外で活動している BH ですが、世界の多くの人は主にフィチーノ論文とキルヒャー論文、そしてたまにボイル論文とゲマ論文やシェキウス論文といった英語で出ているものしか読まないのだなと思います。メインとなるボディが知られてないということです。したがって、ここで第2著作が英語で出ることにより真の意味でのワールド・デビュを果たすことになるということでしょうか?頁数のわりに値段が高いというのがタマキズですが、16世紀における生命物質についての議論について知りたいと思ったら、単著では世界でこれ一冊しか存在しないという点は大きいのではないでしょうか?

2011. 11. 8

  昨日の夕方に第2著作第2校正刷り来ました。来週の月曜までの1週間で変更指示がすべて取り込まれているかをチェックしないといけません。校正の世界的なルールですが、今回はさらなく変更を加えることはできません。あくまで、チェックのみです。また、最終的なジャケット・カヴァーのデザインも送られてきました。外枠は本書のはいるシリーズのものなのででも変えられませんが、その中に入る絵は選べます。僕はゲマの肖像画にしました。また、今回は特別にバック・カヴァーの著者紹介にクレアの描いたドローイングが入っています。これは、本書を手にした人だけが見られる、特典のお楽しみです。

  昼前にオフィスに行って、校正刷りをプリント・アウトしました。校正のための道具は家にあるので、午後は家に戻って作業に取りかかりました。この担当の人は真のプロだと思います。ほとんど間違いがありません。あれだけあった指示をほぼすべてクリアして、問題あるのはややこしかった部分の6箇所だけでした。また素人では難しいであろうギリシア語のアクセントも難なくこなしています。古代ギリシア語が分かる人なのではないでしょうか?さらに、今回が最初の版組みになる索引も、問題ないようです。さすがブリル。う〜ん、驚きました!

2011. 10. 27

  今後の目標をあげておくと、2週間以内に第2校正刷りが来るでしょう。これは、今回出した修正の指示がちゃんと入っているか確認するだけの作業で、さらなる追加の修正はできません。それから、今後5年間の研究計画書を12月半ばまでに完成させないといけません。そして、12月2日トゥールのルネサンス研究所でワークショップがあり、45の発表をしないといけません。最後にドラの特集の企画を進めるために残り4本の原稿に目を通さないといけません。最後のものから片付けていこうとは思っています。

2011. 10. 25

  昨日の続きで体調は良くありません。といっても病気というほどでもなく、なんとなく微熱があるくらいで、まともなことは何もする気は起きません。それでも、今日は第2著作の校正指示の提出の締め切りです。午後は何とか校正の最後の最後の見直しを端から端まで行い、これで良いか?と思えるところまで来ました。あとは提出あるのみです。

2011. 10. 21

  基本的には昨日と同じ作業をしています。それほど大きな進展はありません。ただ、夕方から同僚のダヴィデのレクチャーがあります。研究所が学生のために開催している月イチのレクチャー・シリーズの一環です。

 

2011. 10. 20

  今日は家で、第2著作インデクスの見直しや、その他の細かい部分の見直しをしています。午後からは、来週の発表原稿を推敲したいと思います。

2011. 10. 19

 グローニンゲン大学の哲学研究所とウチの研究所の共同プロジェクトを立ち上げるための最初の会合として、来週の水曜日にグローニンゲン大学で会議が開かれます。一日だけですが、6本の発表が予定されていて、僕も話をしないといけません。40の持ち時間ですから、25ほど話をして、15が質疑応答だと思います。第2著作の紹介をしようと思っているので、序章を加工して25分ほどの発表原稿を作りました。あんがい簡単に出来ましたね。

 ケンブリッジ会議にも来てくれたゼミ生のローセン君に、第2著作の読み直しをしてもらっていたのですが、全体の読みが終わったということで、17過ぎにオフィスに来てもらって気がついた点を指摘してもらいました。それほど見つけらなかったようですが、それでも参考になる部分もありました。

2011. 10. 18

  第2著作校正の作業では、本体ギリシア語のアクセントの問題も片づいたので、今日は最後に残った文献表の見直しを行ないました。ほぼこれで、全部のチェックが終わったことになります。ふう。

2011. 10. 17

  今日は、第2著作校正の作業の次の段階に入りたいと思います。これまで見つけた修正しなければいけない事項を、PDF の修正機能を使って打ち込んでいきます。校正時にこの方法を使うのは初めての経験です。上手くできることを祈ります。> あんがい早く作業が終わりました。まだ幾つか疑問の部分もあるのですが、うまく機能することを願います。

  午後の後半からは、第2著作のなかに出てくるギリシア語とアラビア語のリストを作り始めました。アラビア語は3箇所だけですが、ギリシア語は第3章を中心にかなりあります。それでも、夕方までには作り終えました。すでに出版したヴァージョンをもとに、アクセントも付けました。> 夕方から、夜遅くまで起きていたクニ君がギリシア語のアクセントのチェックをしてくれました。非常に助かりました。深く感謝です。

2011. 10. 16

  昨日いったん棚上げにした第2著作校正の作業に戻ります。クレアに第4章第5章を読んでもらい、僕の読みと合わせて修正点を洗い出したいと思います。> 午前はあまり調子がよくなかったのですが、午後はがんばってくれて、なんと結論補遺までこなしてくれました。これで、二人の読み合わせもすべて終わりました。あとは、全体のリストを作るだけです。

2011. 10. 15

  今日はとある書類の締め切りだったので、僕の第2著作校正の作業は棚上げして、一日ずっと書類作りに励み、夕方前に提出しました。明日は、校正の仕事に戻ります。

2011. 10. 14

  今日は朝からひたすら、索引の作業を続けました。久しぶりに針のムシロの上にすわる感じで半日かけて、残りの I から Z までを仕上げました。もう、これでいいでしょう。ふう。

2011. 10. 13

   今日は久々に天気がよかったので、郵便物を確認するためにオフィスに行って、午後は第2著作索引づくりに勤しみました。これは、非常に機械的な作業で、退屈です。珍しく夕食後にも作業を続け、全体で8頁あるうちのちょうど半分となる4頁分をこなしました。アルファベットでいうと、A から H まで終わりました。あと1日か2日でこの作業も、終わりにすることができると思います。

2011. 10. 11

  今日は校正の仕事をいったん置いておいて、日曜までに提出しないといけない重要な書類を書かないといけません。それに集中します。> 午後からやっているのですが、何度やっても、こういう作業はなかなか難しいですね。

2011. 10. 10

 何とかがんばって、第5章第6章、そして結論の部分を終えました。しかし、本書の核となるゼンネルについての第6章は、それまで分析を積み重ねてきた各種の問題点が有機的につながり、自分でいうのも何ですが、すごいドライヴ感があって、グイグイと流れるように議論が展開していきます。自分でこういうものを書けたのだなあと感心してしまいました。どちらが先だったかは忘れましたが、博論後に磨きあげた僕のアートの頂点にあるリプシウス論文と並んで、ゲント時代の非常に乗っていた時期に書いたものですね。> いや、2007年の春ですね。このあと2007年の秋にリプシウス研究に突入していくのでした。ま、とにかく、アブラの乗っている時期であることに違いありません。

  晩にクレアががんばってくれて、3も見直し合わせが終わりました。これで半分を超えたことになります。あと1ほどどこかでやってもらえば、次の週末でなんとかなるでしょう。

2011. 10. 9

  昨日と今日は、クレアに僕の第2著作の校正につきあってもらい、イントロ第1章第2章を終わらせました。僕自身は、第3章第4章もチェックができました。来週は第5章第6章、そして結論補遺文献表などの残りの部分をチェックします。そして、ギリシア語アラビア語をチェックしたいと思います。週末までのひとつ大事な書類も作らないといけないので、なかなか忙しくなると思います。

2011. 10. 7

  オフィスに来て、余白を切りとって見やすくした校正刷りを、さらに2セットほどプリントしました。これで作業の効率が良くなることを期待します。

2011. 10. 5

  ついに!僕の第2著作の校正刷りが到着しました。感動です。やはり、ブリルの書物のページ・レイアウトは美しいです。職人気質の光る老舗の Olschki  書店や Brepols 書店、そして新進気鋭の Serra 書店のものも悪くはないですけれど、僕個人にとってはブリルのものが世界で一番だと思えます。研究を始めた駆け出しの若造のころからずっと、特にブリルの本はの組み方やレイアウトのバランスがキレイだな〜と感じていたからです。

  午前中のうちにオフィスにいき、全体で230になる校正刷りをプリント・アウトし、キャンパス内のコピー屋で仮とじしてもらいました。お昼の後は落ち着いて作業するために、ウチに戻ってきました。謝辞イントロを読み直したところで、今日は時間切れです。どうも、を見るのが大変なので、大きなサイズでプリントすればよかったかな?と思いました。

2011. 9. 21

  僕の第2著作の方も連絡があり、2週間ほどで校正刷りが出来上がるそうです。

2011. 9. 17

  おお、ついに来ましたね。僕の第2著作の詳細が、ブリル書店のカタログに入りました!同時に予約販売も開始です。本書は2002の在ロンドン時代からの10年間 BH の活動の集大成です。この日記で繰り広げられた探求思索、そして苦悩のエッセンスが凝縮されています。この長い年月のあいだに非常に多くの人の世話になり、叱咤激励を受けました。また、ただただ静かに見守っていた方々もいるでしょう。そうした、すべての BH ファンに捧げます!

  基本的に本書は、16世紀の物質理論における種子の概念の変遷を探った第1著作ペアをなすもので、キミアはもちろんのこと、物質生命の問題に関心のある方すべてに役に立つものだと思います。また、ライプニッツなどの初期近代の哲学に興味はあるけれど、どうもルネサンスの哲学はよく分からんとお嘆きの諸氏にも、読んでいただけると思います。

2011. 8. 22

  今週は金曜までにひとつ大事な書類を仕上げて提出しないといけません。それから、第2著作の件でクリストフと相談しないといけないことがあります。また、土曜日から火曜にかけてローマ近くの海辺の町に行くので、その準備も平行して行っています。ちょっと急に気ぜわしい感じになりました。

2011. 8. 15

  ブリル書店の担当者から連絡メールがきて、僕の第2著作の予定されるデータが送られてきました。年を越して20121の発売となり、およそ256で値段は129ユーロです。今週から版組に入るとのことです。校正インデクスへの数字入れは、校正刷りを受け取ってから3週間でしないといけません。

2011. 8. 3

  ブリルの担当者 (じつは、この人の名前もクレアです) に、ついに僕の第2著作のためのマーケティング書類とインデクス、そしてクレアの描いたジャケット用のイラストを送り出しました。これで完了です。> ちょっと送信面で心配だったイラストもしっかり届いたようです。午前中に担当のクレアさんから何回かメールをもらい、見落した点や確認しなければならない点などについてやりとりました。今日から本の製作に本格的に入っていくようです。

  版組みが終わったら、3週間のあいだに校正とインデクスのためのページ拾いをしないといけません。それがいつごろになるかは、まだ聞いていません。今日送り出した情報をもとに、そのうちにブリルのサイトに本についてのページができるはずです。また、本のカヴァーのデザイン、というよりはデザインはシリーズで決まっていますので、文字入れなども平行して行われるのだと思います。これについては、それほど時間はかからないかもしれません。

2011. 8. 2

  クレアの提案をもとに修正してみました。

Hiro Hirai, Ph.D. (1999) in history of science, University of Lille 3, is a Marie Curie Fellow at Radboud University Nijmegen. He has published widely in early modern natural philosophy, medicine and chemistry, including Le concept de semence dans les théories de la matière à la Renaissance (2005). He is Vice Editor of Early Science and Medicine.

Exploring Renaissance humanists’ debates on matter, life and the soul, this volume addresses the contribution of humanist culture to the evolution of early modern natural philosophy so as to shed light on the medical context of the Scientific Revolution.

Inspired by the ideas contained in the newly recovered ancient sources, Renaissance humanists questioned the traditional teachings of universities. Humanistically trained physicians, called “medical humanists,” were particularly active in the field of natural philosophy, where alternative approaches were launched and tested. Their intellectual outcome contributed to the reorientation of philosophy toward natural questions, which were to become crucial in the seventeenth century. This volume explores six medical humanists of diverse geographical and confessional origins (Leoniceno, Fernel, Schegk, Gemma, Liceti and Sennert) and their debates on matter, life and the soul. The study of these debates sheds new light on the contributions of humanist culture to the evolution of early modern natural philosophy.

2011. 8. 1

  今日は索引の仕上げの作業を午前中に行い、ほぼ完成の運びとなりました。午後には、出版社のウェブサイトや各種の広告にいれることになる著者紹介と、長短の2ヴァージョンの要約を作成しました。まだ細かい部分に手を入れるようかもしれませんが、いちおう今の段階のものを挙げておきます。

著者紹介

Hiro Hirai, Ph.D. (1999) in history of science, University of Lille 3, is a Marie Curie Fellow at Radboud University Nijmegen. He has published widely in early modern natural philosophy, medicine and chemistry, including Le concept de semence dans les théories de la matière à la Renaissance: de Marsile Ficin à Pierre Gassendi (2005). He is Vice Editor of Early Science and Medicine.

40語の要約

Drawing on Renaissance medical humanists’ debates on matter and life, this volume explores the impact of humanist culture on the evolution of early modern natural philosophy so as to shed light on the medical context of the Scientific Revolution.

120語の長尺の要約

Based on the ideas introduced by the newly recovered ancient sources, Renaissance humanists intensively questioned the traditional teachings of university authorities. Humanistically trained physicians, called “medical humanists,” were particularly active in the field of natural philosophy, where alternative approaches were launched and tested as if in a huge laboratory. Their intellectual outcome contributed to the reorientation of philosophy toward natural questions, which was crucial for seventeenth-century philosophy. Through the debates related to matter and life, curried out by six key figures of diverse geographical and confessional backgrounds (Leoniceno, Fernel, Schegk, Gemma, Liceti and Sennert), this volume explores their impact on early modern natural philosophy so as to shed light on the medical context of the Scientific Revolution.

2011. 7. 29

  何とか頑張って、第6章結論からインデクス用の単語を抜き出す作業が終わりました。ふう。あとは、リストをじっくり見ながら、アルファベットの順番に間違いがないか、スペル・ミスがないかを確認しながら、細かい点を整理して完了となります。

2011. 7. 28

  午後からオフィスに行って、昨日の作業の続きです。今日はがんばって第6章まで行きたかったのですが、第5章を終えたところで力尽きました。明日こそは、最終の第6章、そして結論補遺について作業を進めたいと思います。文献表の部分はインデクスに取り込まないつもりです。

2011. 7. 27

  今日は天気がよくないので、自宅で索引用の単語拾いの続きをすることにしました。なかなか単調で辛く、ムシロの上に座っているような気持ちですが、たんたんと作業を続けるしかありません。なんとか、第3章第4章を終わりました。ふう。

2011. 7. 26

  午後は、昨日から本格的にはじめた単語をひろう作業をひたすら続けました。しかし、思ったよりも進まず、第2章の最後の部分で本日は時間切れとなりました。なんとか、11のペースはキープしたいところです。

 

2011. 7. 25

  その後は、第2著作のインデクスのために必要な単語をひろう作業を、本格的に始めました。結局、イントロ1の半分までいったところで息切れしてしまいました。

2011. 7. 18

  紙がバラバラしていると使い勝手が悪いので、リプシウス論集と第2著作の原稿を、それぞれ仮とじしたいと思っています。街中に仮とじしてくれる店はあるのでしょうか?

2011. 7. 13

  出版社のブリルから連絡が来て、急きょ第2著作インデクスを作ることになりました。頁数などはまだわかりませんが、人名やテクニカルな術語など、どういう単語をインデクスで拾うのかを決めるということです。これはナイメーヘンに戻ったら、すぐに始めたいと思います。その他にも、マーケッティング用に100までの長いものと40までの短い紹介文を考えないといけません。また書評用のプレス見本を送るための雑誌リストも、今の段階で作らないといけないようです。特に最後のものは、本が出てからやれば良いと思っていたので、準備していませんでした。以下のものを考えましたが、いかがでしょうか?皆さんも、これを入れるべきというものがあったら、ご連絡ください。

ブリルの推薦する雑誌から選んだもの

Annals of Science

British Journal for the History of Philosophy

British Journal for the History of Science

Isis

僕が加えた優先雑誌

Renaissance Quarterly

Intellectual History Review

Ambix

Journal of the History of Biology

Journal of the History of Philosophy

余裕がある場合の追加雑誌

Bulletin of the History of Medicine

Medical History

Journal of the History of Medicine

2011. 6. 27

  おお、ついに、第2著作の原稿をブリル書店の担当者に送り出しました!めでたい!1999に博論を終え、著作の原稿を準備して出版社に渡した後、2002にロンドンにわたり、フェルネルに研究の焦点をさだめた時点でスタートしたプロジェクトですが、ここまでほぼ10かかったことになります。

2011. 6. 25

  今日はイントロ結論補遺文献表を見直しして、ほぼ完了となりました。週明けには原稿をブリル書店の版組み担当者に送り出したいと思います。

2011. 6. 24

  今日は目標の第5章第6章を終わらせました。これで本体 OK です。あとは、イントロ結論補遺文献表です。今月末までには何とかなると思います。がんばりましょう。

2011. 6. 23

  この第2著作の最終的な見直しの作業は、まるでエンドレスな気がします。非常に集中力を必要とする作業です。いったい、この3倍の分量のある第1著作のときは、どうやったのかと自問しています。10年前のころの集中力を、もう今は持っていないということなのでしょうか?いろいろ考えてしまいます。ま、当時はそれだけしていれば良かったので、時間のかけかたが半端ではなかったのかもしれません。

2011. 6. 22

  完全に時差ボケという感じで、朝の4時過ぎにパッキリと目が覚めてしまいました。ま、午後に眠くなっても、昼寝をすれば何とかなるでしょう。> とりあえず午前中に、レオニチェノについての第1章を通して読み直しました。午後にフェルネルについての第2章を読めれば良いと思っています。全部で6章ですから、このペースでいければ、3日で最終的な読み直しは終わります。> カラダが重く、午後に睡魔がおそってきて苦しみましたが、何とか今日の課題としていた2章分を終わらせました。しかし、この時点になっても、微妙な修正点というのは出てくるものです。全体との統一性を持たせるために、それぞれの用語の使い方に注意を配っています。たとえば、super-elemental なのか、supra-elemental なのか、といったことです。どちらの用法も可能なわけですが、ひとつの作品の中では、どこらか一方に統一するべきでしょう。

2011. 6. 21

  フィリーに着きました。ネットにもつなげました。まずは、これから1週間は、アヴェロエス会議への参加のせいで3週間ほど作業のストップしていた第2著作の最終見直しに、何も考えずに集中します。6月末が締め切りです。それが終わって、ブリル書店に原稿を提出できたら、リプシウス論集の正校の全体をチェックします。かなり、忙しくなると思いますが、がんばります。

2011. 6. 12

  今日は安定した天気のようです。午後から第2著作のイントロに対するクリストフのリマークをフィードバックしました。これでほぼ完成でしょう。結構、苦労しましたね。

2011. 6. 6

   一週間ほど休暇をとっていたクリストフに第2著作イントロを渡していた訳ですが、気がついた点を書き込んだものを返してくれました。これから大きな変更を加えるのは時間的に難しいなと思っていたのですが、そういう問題はないようでハードルをクリアできたようです。あとは、細かい字面の修正案を勘案して終わりということになるかと思います。

2011. 6. 4

  僕が第2著作のイントロで主張していることは、16世紀後半に霊魂の問題が形而上学的ではなく自然哲学的な次元で議論されるようになることの背景には、フェルネルからゼンネルトにいたる人文主義医学と呼ばれる運動を体現した人々の論争がなんらかの影響を与えているのではないか?それが生命の起源や動物発生の問題に真剣に取り組んだデカルトライプニッツといった17世紀の新哲学の代表的な人物たちにもインパクトを与えたのではないか?ということです。例えば、デカルトゼンネルト1世代しか離れていませんし、おそらくライプニッツゼンネルトを綿密に読んでいます。新哲学を推し進めた人たちの活動の直接的な知的背景となるであろう16世紀後半から17世紀前半における生命の議論は過去にほとんど研究されたことがないので、まずはそれを実際に手にとってじっくりと見てみようという態度です。

2011. 5. 28

  今日は、残っていた第2著作結論謝辞の見直しをチェックしてもらって完了です。あとは、書き増ししたイントロの部分を持ってシチリア旅行に出かけたクリストフが、1週間後に帰って来て、感想を聞かせてくれるのを待つだけです。ということで、1週間ほど間が空くので、アダム君の会議で発表するための原稿執筆の作業に入りたいと思います。

2011. 5. 26

  今日はゆっくりと始動して、午前中から午後にかけて第2著作結論を見直しています。これについては、それほど外野から注文もついていないし、よく書けていると僕には思えます。科学革命の主人公であるガッサンディファン・ヘルモント、そしてボイルの登場する「種子的原理の探求に向かって:ゼンネルトとその後 Toward a quest of the seminal principle: Sennert and beyond” という節で終わります。ここはビルアントニオの目を意識した記述になっています。

2011. 5. 25

   昨日、仕上がった改訂版イントロをプリントしてクリストフに渡しました。意見を待ちます。その間に次の作業としては、謝辞結論にも手を加えないといけません。> 今日は集中力が出ないようなので、謝辞の見直しに集中しました。

2011. 5. 23

  今日は、昨日仕上がったイントロを印刷して、じっくり読み直しています。

2011. 5. 22

  昨日はクレアの花粉症がひどく、作業にはならなかったのですが、今日は書き直したイントロのチェックを始めています。何度か中断をしたのですが、18時前には終わりました。

2011. 5. 20

  今日も一日、イントロの書き直しの推敲作業についやしました。

2011. 5. 19

  ついに、待ちに待った僕の第2著作に対する二人目の審査員であるデニス(デシェーヌ)からの審査評がかえって来たようです。原稿を送りだしてから、結局のところ半年近くかかりましたね。クリストフにせっつかれてから、急に書いたのかもしれません。審査評では、お世辞なのでしょうが、良い点ばかりという感じで、何の問題もないようです。これで最終的なゴー・サインが出たことになります。ただ、それに付されたクリストフへの個人的なメールでは、僕はそろそろ自分のブランドを前面に押し出して、ジャスティン(スミス)のような、ビッグ・シンキングをしないといけないようです。もっとスプラッシィであるべきみたいな。つまり、はじけろってことでしょうか?ファッショナブルであれってことでしょうか?そういっているデニス本人は、地をはうような非常に堅実な研究ばかりしています。これはこれで、後輩におくる温かいアドヴァイスなのでしょうね。本当に感謝です。

  しかし、僕に言わせれば、シカゴプリンストン、またはラウトレッジといったファッショナブルな出版社から本を出すならまだしも、お堅いブリルから出すのですから、質実剛健で良いじゃないですか?変な空中戦のチャンバラをしている本をブリルから出してもメイク・センスしない気がします。>

    今日一日の作業で、何とか目標の15に到着しました。本当に苦しかったです。ふう。分量があればいいという問題ではないと思うのですが、どうも西欧の人は前口上のゴタクをならべるのが好きなようですので、ギリギリで許されるところまでもって行って、あわせないと行けません。

2011. 5. 18

  ひたすら牛歩です。14に入りました。しかし、本当に苦しい。こんなに執筆が大変なのは、経験したことがありません。ひたすら何かが降臨して、素晴らしいドライヴが生まれるのをずっと待っている感じです。

2011. 5. 17

  今日も、朝から夕方までイントロの書き直しというか、書き増しの作業に集中しました。イントロというものを書くのが苦手な僕にとっては、これは本当にツライ作業です。もともと9だったものが13までいきました。なんとかがんばって15まで行きたいと考えています。

2011. 5. 16

  今日からなんとか気分を入れ替えて、第2著作のイントロの書き直しの作業に集中したいと思います。まずは、現行ヴァージョンをプリント・アウトして、1年たった今現在の覚めた目で読み直してみたいと思います。

2011. 4. 28

  ポールの論集用のためのレオニチェノ論文の編集校の作業と平行して、僕の第2著作の見直しを進めています。まずは、レオニチェノ論文がそのまま第1章に当たるので、それを徹底的に先週から行いました。そして、今週の前半はフェルネルの第2章とシェキウスの第3章へと駒を進めました。昨日は、ゲマについての第4章を、今日はリチェティについての第5章の見直しを行いました。英語の表現をなるべくシンプルにすること、そして前置詞定冠詞 the についてクレアに徹底的に見てもらっています。

2011. 4. 26

  朝からオフィスに行って、いろいろプリント・アウトした後に、ポールの論集用の原稿と第2著作のための原稿をつきあわせて、一行一行を指で追いながら、取りこぼしがないかチェックしました。これが結構と時間のかかる作業で、一日があっという間に過ぎてしまいました。それでも、幾つかクレアに聞きなおす疑問点を残して、ほぼ完成となりました。> 家に帰って疑問点を片付けて、ほぼ完成となりました。

2010. 11. 17

  そうそう、リェージュに向かう電車のなかで、僕の第2著作表紙デザインを思い浮かびました。1冊目のときはずっと長いこと温めていた ロバート・フラッドの著作のなかから天地創造の最初の瞬間を描いた銅板画をつかうという) アイデアを実現できたのですが、2冊目に関してはコレダ!という決定打が思い浮かばないでいました。しかし、これであとはクレアに作成してもらうのを待つだけとなりました。乞うご期待!

2010. 11. 1

  ブリル書店から僕の第2著作のための契約書が送られてきました。これにサインして送り返さないといけません。モントリオールから帰ってきてから行いたいと思います。今回の契約書では、著者は 6 しかもらえないようです。ちなみに、ブレポルスのときは15でした。

2010. 6. 21

  やっとクリストフから連絡があって、僕の第2著作の手稿を受け取った旨を知らせてきました。ふう、これでひと安心です。先週の半ばに原稿を送り出してから、連絡がなかったのでひそかに心配していました。

2010. 6. 13

  第2著作の原稿をクリストフに送り出しました。おお!感無量です。

2010. 6. 11

  時差の関係でアメリカが朝の時には欧州はもう夕方なので、第2著作の原稿をクリストフに提出するのは週明けに持ち越すことにしました。

2010. 6. 10

   ついに、第2著作のための原稿のすべてのチェック作業が完成しました。明日にでもクリストフに原稿一式を送り出す予定です。ああ、完成です!こりゃ、めでたい!!

2010. 6. 9

  昨日してもらった結論のプルーフ・リーディングをフィードバックしました。これで全体のチェックがいったん終わりました。この作業で各章ごとに幾つか質問事項が残っているので、それを木曜日の夜に一掃すれば本当の完成です。思えば、2002にロンドンにいるときにフェルネの研究を始めたところからカウントして、今年で8になります。第2著作が実際に本のカタチとなって出版されるまでには1くらいかかってしまうのでしょうから、ほぼ10かかったことになります。博論は1994に始めて、第1著作になって出たのが2005ですから、こちらも10ということで、だいたい10年周期で一冊の本を作り上げるというのが、僕のリズムなのかもしれません。そのくらいテマ・ヒマをかけているということですね。> 最後の最後、巻末にくるシメの言葉を引用します。それなりに美しいでしょ?

The relationship between corpuscular philosophy and the seminal principle became a vital issue in seventeenth-century matter theories. In his effort to conceive the material world from a thoroughly corpuscular perspective, the young Boyle meticulously heeded the seminal principle of which Sennert and Van Helmont spoke repeatedly. Newton, in his turn, sought the real cause of generation, vegetation and fermentation through his assiduous study of chymistry, believing that the “vital and vegetable principle” residing in the kernel of matter holds the key. His vital principle was most likely construed as something similar to the seminal principle. Thus without grasping the background of Sennert’s idea, which was prepared by the intensive debates of medical humanists, it would be impossible to understand its evolution in these protagonists of the Scientific Revolution.

  ニュートンの錬金術の研究で有名なドブスの哲学的遺言たる『ヤヌス的天才の肖像:ニュートンの思想における錬金術 1991年) をいま読み返すと、メインの主張は間違っていないようでも、あまりに思弁的に過ぎる議論が目につくのですが、それは何にもましてゼンネルトのようなニュートンの出現を準備した人物たちの展開したアイデアを勘案しないで議論を構築したからだと思います。何も、むりやりに古代ギリシアのストア派などを出してきたりしないでも説明できることは沢山あるのです。

2010. 6. 8

  夕飯後に結論の残りの部分のプルーフ・リーディングをしてもらい、ついにすべてが終了しました。明日、フィードバックをしてほぼ完成となる運びです。

2010. 6. 4

  30度を越す暑さで、なかなか物事に集中するのは難しいのですが、午後からは何とか集中力を取り戻して、第2著作結論の推敲に再び取り組みました。ほぼ完成といったところです。夜からはクレアがプルーフ・リーディングを始めてくれました。> プリント・ヴァージョンで最初のチェックをひと通りしたところでダウン。本格的な作業なお預けです。

2010. 6. 3

  今日も、第2著作結論の推敲を続けるつもりなのですが、なかなか集中できないでいます。> 午後になってだんだん調子が出てきました。夕方まで推敲を続けたのですが、練り上げるのも、もうこの辺が限界かもしれません。

2010. 6. 2

  午前中は昨日見てもらった謝辞の修正事項をフィードバックし、午後は断続的に第2著作結論の推敲を続けました。繰り返しも少なくなり、何とかカタチになってきました。

2010. 6. 1

  ゼンネルトにとっては、種子的原理 seminal principle の概念自体に粒子論的な要素が入っていたことになるのではないでしょうか?種子的原理が粒子からできているのではなくて、粒子のなかに種子的原理が宿っているのです。ゼンネルトによれば、動植物の場合、そもそも一つ一つの原子に霊魂が宿っているわけですが、この原子に宿っている霊魂は種子的原理と呼んでもいいと彼は明言しています。種子的原理のアイデア自体はルネサンス伝統の種子の理論を体系化させたデンマーク人パラケルスス主義者セヴェリヌスから借りてきているわけですが、それを原子に宿らせるのはゼンネルトの役目です。第1著作のなかで、種子の理論と原子論をつなげたのはガッサンディであるとしましたが、少しさかのぼってゼンネルトに、ガッサンディのアイデアの起源を求めて良いのではないでしょうか?もちろん、その前に英国人原子論者ニコラス・ヒルをおいても良いですが、ヒルゼンネルトの関係は、まだ明解ではありません。とにかく、この種子的原理と粒子論の関係は、17世紀の物質理論における大きな問題であったと考えられます。なぜなら、若きボイルが大いなる関心を示したのも種子的原理なわけですし、ニュートン引力の原因となる物質に宿る繁茂原理 vegetable principle を探求するために錬金術を熱心に研究したのも、vegetable principle というものを seminal principle に非常に近いものだととらえていたからではないでしょうか?といったことを第2著作の結論の最後で書きたいと思います。> 書きました。しかし今回は、まだまだ繰り返しがいたるところにあります。いろいろ頭をひねっているのですが、なかなか上手く回避することができません。僕にとってはソリッドにいける仏語を介さずに、まだ生半可な英語で直接に文章をねるからこういうことになるのでしょうか?不思議です。

  昨日してもらったイントロのプルーフ・リーディングからの修正箇所をフィードバックしました。まだ幾つか質問をしなければならないところがありますが、それらは最後にまとめておこないたいと思います。午後の後半は、文献表の最終的な直しなどを行いました。このあいだ4つほど付けることにした補遺を確認したので、だいぶ全体が出来上がってきたことになります。> 夕飯後には、謝辞のプルーフ・リーディングをしてもらいました。

2010. 5. 51

  結局のところ、イントロのプルーフ・リーディングで一日が終わりました。なかなか難航しましたね。しかし、これでまた一歩、完成に近づきました。出来れば、明日にでも謝辞を見てもらいます。

2010. 5. 30

  明日は祝日なので、第2著作イントロ謝辞のプルーフ・リーディングをしてもらう予定です。そして週の半ばくらいまでに結論を終わらせて、そちらも見てもらいます。そうしたら、ほぼ全体の完成です。

2010. 5. 28

  どなたか、プリニウスの『自然誌』の第19巻の一節が、第何章の第何節に当たるか分かる人はいますかね?場所は第19巻の1541と分かったのですが、この1541というのが現代的な章節の区切りでは、19.15.41 という表記で良いのか知りたいのです。> クニ君の話では、19.41 という書き方で良いようです。

Id apud auctores Graeciae evidentissimos invenimus natum imbre piceo repente madefacta tellure circa Hesperidum hortos Syrtimque maiorem septem annis ante oppidum Cyrenarum, quod conditum est urbis nostrae anno centesimo quadragesimo tertio, vim autem illam per quatuor millia stadium Africae valuisse

   今日は、第2著作結論を書く作業に入っています。その合間に、第1著作の結論を読み返して見ました。う〜ん、自分で言うのもなんですが、よく書けています。いま書いているもので苦しんでいるので、さらにそう思えるのかもしれませんが、こういうものが何で書けたのだろう?と感心してしまいました。> それでもなんとか一日苦労して、それなりの形になってきました。注なしで4頁。まだ後半部分で議論がギクシャクしているので、それスッキリさせるためにもうすこし時間が必要です。とくに最後は、17世紀研究者アントニオビルクリストフジャスティンアンドレアスにアピールする話題の展開にしないといけません。今考えているのは、ゼンネルトの提唱する種子的原理 seminal principle という概念が、今後の研究のカギであることを示すことです。

2010. 5. 27

  ここのところずっと業務連絡だけだったのですが、昨日は久しぶりにスカイプ通話でクニ君と有益な話をしました。第2著作イントロで触れるべき点を示唆してくれました。> そうえいば、アダム君とはもう本当に長いこと有益な話をしていませんね。業務連絡的なメールのやり取りだけです。何か違うんだけどな、と思うのですが、僕が実際にナイメーヘンに来たら、どうするつもりなのでしょう。やっぱりメールでのやりとりだけなのでしょうか?不思議です。

  週末にしてもらった第6章のプルーフ・リーディングからのフィードバックを午前中に行いました。幾つか、さらに確認しないといけないことがありますが、これで第6章もほぼ完成です。> ずっと行っていた序文の推敲と注の挿入も一段落したので、はやいところ結論を書く作業に移行しなければなりません。

2010. 5. 25

  今日は、イントロに注をつけて議論の見直しをする作業を午前のあいだ続けました。かなり出来てきたと思います。

2010. 5. 23

  第6章のプルーフ・リーディングが終わりました!これで全6章からなく本体のチェックは、ほぼ終わったわけです。残るは、イントロ、結論、謝辞です。あと1週間、がんばります。

2010. 5. 22

  今日は、ついに最終章である第6章のプルーフ・リーディングを行う日です。午後から夕飯前まで行って、半分くらいを終えました。

2010. 5. 20

   自分の頭のなかを整理するためにメモとして書きますが、これから重点的にしなければいけないことは、クリストフに頼まれた審査メモを書くこと、第2著作のイントロの推敲を続ける、第5章プルーフ・リーディングをフィードバックする、の3点だと思います。ヤンには、リプシウス論集の編集を始めるといってありますが、これは来週になってから始めても良いでしょう。> とりあえず、すぐにできるフィードバックを終了。そのあとは、審査メモのための吟味に入りました。

  パリのクリストフにも、イントロを見せて意見を聞こうと思います。こういうものは、客観的に見てくれる人が一人でも多くいた方が良いと思います。

2010. 5. 19

まだまだ、第2作のためのイントロの推敲を続けています。さて、この序文ですが、最初は第1作と同様に先行研究の史学的分析をメインにすることを考えていたのですが、取り扱う問題が多岐にわたること&時間が限られていることから、なかなか難しいと判断し、問いかけを多くする手法をとりました。本体の方では、難解な問題をテクストに密着しつつ議論しているのでなかなか集中力がいるものだと思いますので、イントロくらいは読みやすいものを持って来ても良いかな?という判断があります。これまた初めての試みなので上手くいっているかは分かりません。幾人かの人に原稿を見せて率直な意見を聞いています。

2010. 5. 18

  とりあえず、殴り書きの状態で書きかけて投げ出してあった原稿に加筆して注なしで5となりました。第1著作のときは、結構しっかりした注ありで5枚ですから、それよりは長くなったと思います。本当にイントロというものを書くのは苦手です。このあとは、何度も読み返しながら、推敲を進めて磨きをかけたいと思います。> ずっと日がな一日推敲をしていると、何がなんだか分からなくなります。自分がどこにいるのかも、をしているのかも。一種のトリップ状態です。というと、言いすぎでしょうかね?ま、と感じるくらいドップリとそれだけにハマってしまうということが言いたいのです。

2010. 5. 17

  ここ2週間ほど本当に久しぶりに好き勝手に読み放題を続けていたのですが、やはりそれが着想の部分に大きく作用することが分かります。しかし、いつまでも優雅にそれを続けているわけにはいきません。今週はいろいろやるべきことが詰まっています。なかでも、第2著作イントロと最終的な結論を執筆する作業に戻らないといけません。それぞれ数頁で良いわけですが、なかなか気分を転換して執筆作業と向き合うのが難しいですね。

2010. 5. 16

  昨晩からクレアが第2著作のリチェティについての第5章をプルーフ・リーディングしてくれています。案外とスムーズに進んでいるようです。

 

2010. 5. 4

  午後はクレアのプルーフ・リーディングフィードバックしました。これで第4章も、ほぼ完成です。

2010. 5. 1

  第2著作の作業ですが、クレアが第4章のプルーフ・リーディングを終えてくれました。その内容をフィードバックすれば、残りは第5章第6章ということで、5月中には全体の原稿を完成させることが可能となってきました。おお!

2010. 4. 28

   今日は最後の仕上げに、先週の間にプルーフ・リーディングしてもらっていた第3章フィードバックをしました。幾つか質問が残っていますが、これで第3章もほぼ完成です。ここでちょうど折り返し地点です。週末には第4章を終わらせる予定なので、うまく行けば5にはいるまでに残り2章分ということになります。

2010. 4. 20

  アメリカに戻ったら、落ち着いて&集中して第2著作の完成を目指したいと思います。残るは、3章からまでのプルーフ・リーディングの作業とイントロ結論の執筆の作業です。当初は昨年末までにすべてを終えるという大胆不敵な目標を立てていたのですが、結局のところ本体6章分の原稿が仕上がるのが2月にずれこみ、それから長期にわたるワールド・ツアーのせいでそれ以降の作業が滞っています。なんとか5〜6月のうちには片付けたいと思っています。

2010. 3. 3

  イントロを書くために、論文「人文主義と科学 Pamela Long, “Humanism and Science,” in Renaissance Humanism: Foundations, Forms and Legacy, ed. Albert Rabil, Jr (Philadelphia, 1988), III: 486-512 を読んでみました。ルネサンスにおける科学についての見解をブルクハルトにまでさかのぼって分析しています。ブルクハルトはルネサンスというのが科学の歴史にとってポジティヴだったと理解していたのにたいして、デュヘムマイヤーハスキンスサートンソーンダイクらは中世後期のスコラ哲学こそが大事だったという見解から、ルネサンスを軽視したというものです。その後は、ペトラルカのスコラ主義批判の分析、芸術家と学者の接近、人文主義的な歴史感覚の役割などを叙述したあとに、クザーヌスにおけるプラトン主義の意味と無限宇宙の概念というコイレ的な路線で話はすすみ、最後にコペルニクスとルネサンスのプラトン主義の関係で議論をとじています。まさに教科書にふさわしく、論文の書かれた時点での到達点を上手くまとめていると思います。

上記の論文を読んだのは、80〜90年代から現在における人文主義哲学史についての教科書的な記述において、いったい人文主義自然哲学の関係がどのように扱われているのかをおさらいする作業の一環としてです。イントロの一部にヒストリオグラフィ的な分析を入れるために、この手のものをこれから幾つか読んでいこうと思います。ところで、この論文の分析に対して、 僕としてはイントロで何を言うべきでしょうか?これまで伝統的に強調されているのは、植物学動物学鉱物学といった自然誌における人文主義者の活躍と、解剖学におけるヴェザリウス、そして宇宙論におけるコペルニクスの業績です。その後、パーゲルとディーバス、その他のものの研究成果が浸透するにつれて、医学と化学におけるパラケルスス主義への理解は進みました。しかし、やはりフェルネルカルダーノといった人文主義医学者の科学あるいは自然哲学についての貢献は公平に理解されていません。

2010. 2. 27

  今日一日をかけてクレアが第2章のプルーフ・リーディングをしてくれました。前にも、とある都合から、2章から作業を始めたのでしたが、初めてのこともあり、なかなか思うように進んでくれませんでした。気分を入れ替えて、先週末に1をこなして慣れたせいもあるのでしょうが、なかなかタフな第2章をしっかりと終えてくれました。恩にきります。

2010. 2. 23

  昨晩は、引き続きクレアが第2章のプルーフ・リーディングを進めてくれました。第3節くらいまで行ったのでしょうか?

2010. 2. 22

  今日は、昨日のプルーフ・リーディングのフィードバックをして、第1章をほぼ完成させました。ふう。本当は、イントロの作業を続行しなければならないところですが、今日はまだ先週からの微熱っぽさが残り、どうもイマイチ集中することが出来ません。

2010. 2. 21

  やっとのことで、1のプルーフ・リーディングが終わりました。クレアには深く感謝です。

2010. 2. 20

   今日は、クレアが第1章のプルーフ・リーディングをしてくれました。その間に僕も、第1章の注記の点検です。

2010. 2. 19

一昨日から書いていた僕の2冊目のための謝辞は、かなり実験的なもので、僕の研究のバックステージを見せるような内容といいましょうか、歴史研究をするものとして、と同時に、個人的な研究史というダブル・ミーニングをもった Acknowledgement by way of a “history” という題名のショート・エッセーになっています。かなり、オリジナルな試みなので、どういう反応があるか心配だったのですが、下書き段階のものをアダム君とクニ君に見てもらったところ、非常に感動的で良いといわれました。ふう。

2010. 2. 18

  昨日は、見直しをする予定だったのですが、総合イントロの執筆に移行してみました。普段からイントロのたぐいを書くのは苦手なので、その親玉たる総合イントロを書くのは苦戦します。途中で投げ出して、気分転換に謝辞を書いてみました。個人的な博論後の研究のプロセスを通覧することにもなっている感じで、今のところ2頁あります。

2010. 2. 9

  午後から第6章の作業に戻りました。午後の終わりには、ほぼ完成しました。おお!

2010. 2. 8

  午前中はアダム君の原稿の直しを行いました。

  午後からは最終章に当たる第6章の作業に入りました。まずは、脚注の書式を整える作業を行いました。これは、去年の5月にカリフォルニア会議からの論集のために原稿を整えた経緯があることから、もともとシカゴ式になっていますので、それほど大変ではありません。テクストのほうも、英語に慣れてきたころに徹底的に見直していますので問題はないかと思います。今週中には終わる見込みでいます。そのあとは、総合イントロ結論で終わりです。おお、2月中に何とか全てに決着がつけられるのではないか?と思えてきました。

2010. 2. 7

  昨日・今日とアダム君と話したことなのですが、アリストテレスは『天空論 1.9, 279a28-29 で、あらゆる存在するものとその生命は、とある1つの原理に依存していると語ります。この部分を受けてリチェティは、この原理が世界霊魂であるとアリストテレスが考えていたとする解釈を紹介します。しかし、この解釈はギリシア人注釈家 (アレクサンダー、テミスティオス、フィロポヌス、シンプリキオス) のものではないようです。また、中世のアラビア・ラテン伝統ではアリストテレスのテクストそのものに欠落があるようで、この部分は上手く訳されていません。したがって、アヴェロエスにもアルベルトゥスにも、リチェティのいうような議論そのものが出てこないようです。リチェティ自身は、世界霊魂はのことであると言い切っているので、異端の疑いがかかってもおかしくないほど彼の解釈自体もかなりオリジナルであり、さらに調べる価値はあると思います。

2010. 2. 5

  ついに第5章の見直しもほぼ終わりました。最後のフィチーノのソースとしてのキケロの『神々の本性について』に関する部分で、この2冊目に収録される論考群の執筆後に BH で盛り上がった宇宙神学についての議論も盛り込むことが出来たので申し分のないものとなりました!

2010. 2. 4

  今日は昼食時まであまり調子が上がらず、やっと午後から集中して作業が出来ました。第5章の前半のテクストの見直しを行いました。リチェティによるフィチーノ批判の分析にあてられた後半は明日に行いたいと思います。ところで、まだまだ作業の途中ですが、僕の2冊目の著作の章立てをまとめてみました。

General Introduction

Chapter 1: Nicolò Leoniceno between the Arabo-Latin tradition and the renaissance of Greek commentators

1. Introduction

2. Galen: The vegetative soul and innate heat

3. Aristotle and Pietro d’Abano: The celestial heat, intellect and soul’s vehicle

4. Alexander of Aphrodisias and Simplicius: The seed’s inner nature

5. Averroes and Themistius: Ideas, intellects and souls

Conclusions

Chapter 2: Jean Fernel and his Christian Platonic interpretation of Galen

1. Introduction

2. The divine forces of forms

3. God the Creator and the fetal formation

4. The divine and celestial nature of the soul

5. The notion of faculty

6. Formative force and divine craftsman in the seed

7. The spiritus and its innate heat

8. The physiological functions and the occult causes

9. Fernel’s source

Conclusions

Chapter 3: Jacob Schegk on the plastic faculty and the origin of souls

1. Introduction

2. The plastic faculty as the instrument of God

3. The plastic faculty as a secondary actuality

4. Is the plastic faculty corporeal or incorporeal?

5. The divine vehicle of the plastic faculty

6. The separability of the divine vehicle

7. Is the plastic faculty a part of the soul?

Conclusions

Chapter 4: Cornelius Gemma and his Neoplatonic reading of Hippocrates

1. Introduction

2. Fernel and the Hippocratic notion of “divine”

3. Cardano and his Hippocratism

4. Gemma and his Neoplatonic Hippocratism

5. Petrus Severinus and the Parisian connections?

Chapter 5: Fortunio Liceti against Ficino on the World-Soul and the origin of life

1. Introduction

2. Liceti’s De spontaneo viventium ortu (1618)

3. The World-Soul in the “junior” Platonists

4. Ideas in the “major” Platonists

5. Ficino and the earth’s soul

6. Cicero’s De natura deorum as Ficino’s source?

Chapter 6: Daniel Sennert on living atoms, hylomorphism and spontaneous generation

1. Introduction

2. The origin of the soul in normal generation

3. The Giver of Forms and astral causality

4. The eduction of forms

5. Jacob Schegk and plastic force

6. The nature of the seed and its spiritus

7. Spontaneous generation in Sennert

8. The soul, seminal principle and corpuscles

9. The atoms of living beings and their soul

Conclusions

General Conclusion

Bibliography

Index

2010. 2. 3

  今日は、第5章のテクストの見直しに入りました。

2010. 1. 25

   少しプルーフ・リーディングを進めてもらいました。1回につき1時間が限度ですね。

2010. 1. 15

   ゲマについての第4章のテクスト部を一通り、書式を合わせました。また後で、この作業に戻ってくるつもりですが、思いつくことといえば、とにかくいか繰り返しを避けるかで、あちこちと切り貼りをしつつ、いろいろな章を行き来しないといけません。この作業の合間に、大事なデータがもれたりしないか心配です。

2010. 1. 14

  昨日から始めたゲマ論文のの部分の直しを終わり、テクストの部分に取り掛かりました。これは今日明日の作業だけで一旦とめたいとは思っています。他に比べて短い章なので、それほど大変ではありません。

2010. 1. 13

  もう一度最後にシェキウスの章の全体を通して読み直して、細部の修正をほどこして、一旦は作業を終了としました。クニ君にはテレジオ論集のための原稿の準備を始めるように強く推奨されたのですが、なぜか午後の終わりからはゲマ論文の注の書式の直しを始めました。この作業は、それほどなく問題なく終わりました。

2010. 1. 12

  シェキウスについての第3章も、ほぼ完成の域に達しました。ふう。プリント・アウトして、一旦この作業は終わりにして、ゲマについての次の章に行きたいと思います。月末にはテレジオ論集のための原稿の締め切りを控えていますが、あと1週間はこちらの作業に当てて大丈夫だと思います。

2010. 1. 11

  ふたたび作業に戻って、第2節第3節を練り直しました。論文として2007に発表したヴァージョンでは、ちょっと分かりにくかった部分も幾つかあり、それらの難点をそれなりに分かりやすくできたと思います。これ以上は、無理かという感じはします。

2010. 1. 9

  久しぶりに、僕の2冊目第2章のプルーフ・リーディングの続きをしてもらいました。4頁目まで来ました。まだまだ先は長いですね。

2010. 1. 8

  今日は第1節第2節をかなり根本的に見直すことに終始しました。第2節については、もう一日ほど必要かもしれません。そして残るは第3節のみとなる訳です。

各章の題名も、論文のときとは少し変えてシンプルなものにしようと考えています。ですが、なかなか上手く「これだ!」というのが見つからない感じでもあります。例えば、第3章は “The Invisible Hand of God in seeds” というキャッチーな主題を外して、ソーバー Jacob Schegk on the Plastic Faculty and the Origin of Souls” というものにしようかと思っています。ちなみに第1章と第2章も並べてみると、今のところ以下のようにしようと思っています。

              1. Nicolò Leoniceno between the Arabo-Latin tradition and the renaissance of Greek commentators

2. Jean Fernel and his Christian Platonic interpretation of Galen

              3. Jacob Schegk on the Plastic Faculty and the Origin of Souls

2010. 1. 7

  今日は前半をアッタクしなおす予定だったのですが、おもに第5節の練り直しにはまり込み、それでかなり時間と労力を取られてしまいました。最後に第4節と第6節から結論部まで通して見直して力尽きました。第1節から第3節は明日にフレッシュな頭で取り組みたいと思います。

   普段から重宝につかっていた岩波文庫版のアリストテレスの『形而上学』を、リェージュ BH の本館に置いてきてしまったので困っています。誰か日本から送ってくれる人はいないでしょうかね?費用はもちろん面倒見ますし、御礼もします。どうか、よろしくお願いいたします。

2010. 1. 6

  昨日からシェキウスの章の見直しを始めています。まずは、途中の3分の1までテクストの文体をチェックしながら、全体のを他の章のフォーマットに合わせる作業をしました。今日は、残りのテクストをアタックしたいと思います。しかし、読み返して思うのですが、この章の前半の議論はなかなか難しくてついていくのが大変かもしれません。

   一日かけて、後半部の推敲を続けました。論点をシンプルにすることを念頭においています。第4節から結論までは、これで分かりやすくなったと思います。やはり問題は、前半の数頁です。この点については、明日また取り組みたいと思います。でも、このままのペースで行けば、今週中に終わらせることが出来るかもしれません。

2010. 1. 5

  テレジオ論集の原稿の締め切りは今月末ですので、まだ時間があります。ということで、先に2冊目の作業を続けたいと思います。次は、シェキウスに当てられた3の見直し行います。ここは ESM 誌に英語版が出ていますので、それをそっくりそのまま取り込めばいいわけですが、前後の章との関係から重複する部分などを少し改変しないといけません。

2009. 12. 3

僕の2冊目の著作の第1章にあたるレオニチェノについての論考の調整もほぼ終わりました。次はシェキウスに当てた第3章に移りたいと思います。ここのところ集中できているので、なかなか良い感じのリズムが出てきました。本来ならに、これら一連の作業をしていたかった訳ですが、なかなか気分的に上手くのれませんでした。> とりあえず、昨晩は文献表の直しの作業をしました。仏語英語の出版物で大きな違いがあるのが、文献データの表記法でしょう。

   昨晩に引き続き、文献表を充実させる作業をしていました。書式を変えるのは終わったのですが、仏語版のための文献表を作ってから時間が経っているので、新たに加えたマテリアルを取りこぼしのないようにしないといけません。こういうのは、最後の最後にやればいいのでしょうけれど。それから、それほど参考になった訳ではありませんが、世話になった人や義理のある人のマテリアルや、僕の生徒のマテリアルというものも、こっそり忍び込ませる予定です。親友だと思っていた人の書きものに自分の名前がなかったときって、がっかりするじゃないですか?こういうのは人情ですよね。今回でいうと、ジェルマーナコンチェッタのものなどです。

2009. 11. 20

  昨晩はクレアに英語版もう一人のガレノス論文のイントロのプルーフ・リーディングをしてもらいました。これでイントロについては完成といっていいでしょう。

           Chapter 2: Jean Fernel and his Christian Platonic interpretation of Galen

  今日はナイメーヘンのワークショップからの論集のために、昨冬にポールに提出した英語版レオニチェノ論文の書式を整える作業を始めました。基本的には、もう一人のガレノス論文と表記の仕方を統一して、内容のダブっている注を整理しようとしています。

           Chapter 1: Nocolò Leoniceno between the Arabo-Latin tradition and the renaissance of Greek commentators

    2冊目のそれぞれの章の仮題を挙げておきます。ちなみに、各章でのメインの分析対象である著作の出版年と、著者の活動した場所を加えてみました。これを見ると分かるとおり、時代的には16世紀の初頭から始まって、17世紀の初頭までをカヴァーするという感じで、地理的には北イタリアが2つ、パリが1つ、ベルギーが1つ、ドイツが2つという汎ヨーロッパ的な分布になっています。しかも、ドイツの2名はプロテスタントということで、宗教的なバランスも取れているかと思います。

Chapter 1: Nocolò Leoniceno between the Arabo-Latin tradition and the renaissance of Greek commentators (Ferrara, 1506)

Chapter 2: Jean Fernel and his Christian Platonic interpretation of Galen (Paris, 1548)

Chapter 3: Jacob Schegk on plastic faculty (Tübingen, 1580)

Chapter 4: Cornelius Gemma and his Neoplatonic reading of Hippocrates (Louvain, 1575)

Chapter 5: Fortunio Liceti on Earth’s Soul and Spontaneous Generation (Padua, 1618)

Chapter 6: Daniel Sennert on Living Atoms and Spontaneous Generation (Wittenberg, 1636)

2009. 11. 13

  クレアの案では、『医学人文主義と自然哲学物質、生命、霊魂についてのルネサンス論争 Medical Humanism and Natural Philosophy: Renaissance Debates on Matter, Life and the Soul がいいのではないかということです。

2009. 11. 12

  全体を通しての問題として、animus の訳に困っています。結論部で、animus を宇宙論的知性 mens に近づけたり、霊魂 anima 精気 spiritus に近づけたりすることでフェルネルは変幻自在に独特なガレノス解釈の織物を編んでいくとするのですが、訳をつけないで animus のままにするか迷っています。ちなみに、仏語版のときは esprit という言葉を採用したのでした。> 結局のところ、soul としつつ、ここがツボですので、ラテン語を併記することにしました。

  やった!ほぼ終わりました。いやはや、今回はなかなかの折れる作業でした。次は2冊目の著作に収録予定の他の論考との注の形式の統一などをする作業が待っています。そして、序文結論を執筆する作業へと続きます。

学術出版の老舗ブリル書店から出版予定の英語版冊目の著作『ルネサンスにおける医学人文主義と自然哲学 Medical Humanism and Natural Philosophy in the Renaissance のための副題を考えないといけません。『物質と生命、自然と霊魂についての16世紀論争 The Sixteenth-Century Debates on Matter and Life, Nature and the Soul という、4元を取るのはどうでしょうか?主題と並べるとちょっと長いですかね?

ルネサンスにおける医学人文主義と自然哲学:物質と生命、自然と霊魂についての16世紀論争

Medical Humanism and Natural Philosophy in the Renaissance: The Sixteenth-Century Debates on Matter and Life, Nature and the Soul

2009. 7. 20

  僕の2冊目の著作の英語版は、『ルネサンスにおける医学人文主義と自然哲学 Medical Humanism and Natural Philosophy in the Renaissance という題名で、ESM 誌の平行叢書に入って、老舗のブリル書店から2010に出版されることになりました。目標としては、クリスマスまでに原稿を揃えてクリストフに提出しないといけません。この秋はアメリカに戻って原稿の完成に集中したいと思います。

ほぼ2年が経過

2007. 6. 28

  おお!ついに、Belles Lettres 書店の編集主幹氏とのアポの時間が決まりました。72日の月曜日の11です。これで、やっと安心できます。> 僕の本が手元にあるのなら買い上げるので一冊持って来て欲しい&2冊目の著作に関するもっと詳しい資料があれば助かる、ということです。う〜む、端的に言って嬉しい展開です。準備のほどは万事抜かりない、と思います。あとは果報を寝て待つだけです。今回の遠征では、とてつもなく大きな目的が入って来たので、トゥール会議の発表のことなど、もうどうでも良くなって来てしまいました。

2007. 6. 25

  う〜む、レオニチェノ論文もいぜんとして発刊されません。しかも、結局のところ Belles Lettres 書店の編集主幹氏とのアポの話も週末の間は全く進んでいません。どうなってしまっているのでしょうか?ただただ待つ身は、ツライ。とにかく、出版社が決まらないうちは、残っているイントロ結論も気合を入れて&落ち着いて書く気がしません。ということで、もう3ヶ月になりますが、ぜんぜん書けていません。> ちょっと前に書いたものを見直しましたが、あまりパッとしません。

  おお!アラン・セゴン主幹からやっと返事が来ました。日程は2日(月)OK、アポの時間に関してはもう少し待ってくれということです。焦らずに、じっと待つことにします。そこに添えてあるメッセージに感動しました。僕としてはやはり、作品や視点のオリジナリティを褒められることが一番に嬉しいのです。そして、そのオリジナリティを早く多くの人に理解してもらいたいのです。僕の課題は、いかにして人に分り易くその辺りを伝えられるようになるか?です。玄人好みのドープな話題をいかに多くの一般読者に分り易く伝えるか?その辺がポイントです。それには、まだまだ修行が必要です。がんばります。ちょっとメッセージを引用します:

              Je vous attends avec beaucoup d'attente, car j'ai été votre lecteur et j'ai été impressionné par vos intérêts.

2007. 6. 23

  結局、今日も連絡がありませんでした。なかなか2冊目のためのアポが確定しないので、ヤキモキしています。どうなっちゃっているのでしょう???

2007. 6. 22

  昨日は結局のところ返事がなかったので、72日(月)の件について Belles Lettres 書店の編集主幹氏に再度メールを送りました。早いところアポをセットしておいてもらわないと、気分が落ち着きません。> 今日は返事がありませんでした。うう。

2007. 6. 21

  おお!世の中には捨てる神がいれば、拾う神がいるというのは、まさにこのことです。7月7の土曜日にパリで4時間も何をしようか途方に暮れていたのですが、フィチーノ協会会長の取り計らいで、ついにあの Belles Lettres 書店の編集主幹氏と会うことになりそうです。僕としては、とにかくも2冊目の著作を Belles Lettres で出したいので、千載一遇のチャンスが到来しました。与えられたチャンスを掴むのも、実力のウチです。抜かりのないように、万全を期して臨みたいと思います。ちなみに、分らない人のために敢えて言えば、Belles Lettres 書店というのは、Loeb 古典叢書と肩を並べる仏語の Budé 版の古典学叢書を出しているところです。

     2冊目の著作のプロジェクトのために、マテリアルを用意しておかないといけません。既に論文として出ているもの(フェルネルキルヒャーリチェティ)はコピーを、校正刷りの段階のもの(レオニチェノシェキウス)はそのコピーを、そしてまだ手稿段階の2章分(ゲマゼンネルト)はプリント・アウトして持って行くつもりです。> プリント・アウトしました。明日はコピー屋に行って来たいと思います。

2007. 6. 11

  ポスト・フェステム状態はまだ続いています。というか、客人がいる間は日常ではないので、日常に戻るまでは、この状態で良いのだと思います。ところで、気分的に2冊目の著作の細かい手直しになかなか入れないでいます。それぞれ別個の論文として書いて来た作品たちですから、全体の統一性と流れを整えないといけないのですが、出版社が決まっていないうちはどうも力が入りません。レオニチェノ論文が出たところで、Belles Lettres 書店の編集主幹に正式にアプローチしたいと思っているのですが、なかなか出てくれないので足踏み状態です。

2007. 5. 22

   僕の2冊目の著作のための文献表を作り始めました。一日がかりの作業で、2次文献の部分はほぼ出来ました。実は1冊目とダブっているものは非常に少ないことに気が付きました。全く異なった分野を研究しているといえると思います。

2007. 4. 29

  90年代の科学史の世界では、キミアを研究していたアントニオビルといった人々が最も創造的な仕事をしていたと僕は信じていますが、それ以前には殆ど研究者の存在しなかった分野だけに、幾らそのキミアの分野で次世代として決定的な作品をものにしても、たかだかキミアという感があるのが現実です。僕の2冊目の著作は、もっとオーソドックスな研究伝統のある医学史哲学史の両方のオーディエンスをターゲットにしています。キミアよりは、よりレスペクタブルな顔を持つ作品といえると思います。でも、スタイル的には成長はしても、良い作品をつくるために一切の妥協はしていないつもりです。これは先入観の壁を破るチャレンジなのです。

2007. 4. 28

  僕の2冊目はヴォリュームを押えて200頁前後にしたいと思っています。時間と労力の節約の問題もありますが、英訳する可能性のことも考えているからです。今、BHのUKの頁を見ているのですが、自分でも美しい構成になっていると思います。

4007. 4. 21

   ついに、ゼンネルト論文に対するクリストフの反応が来ました。いろいろ長く詳細な議論が興奮気味に書いてありますが、彼の評価の第一声を上げると以下の感じです:

I have read the second version of your Sennert article. This is fascinating material indeed, and you give an exceptionally useful and well-organized overview. A real pleasure to read.

これで、このゼンネルト論文が2冊目最終章コーダに相応しいものになっているという自信を持つことができました。ではダメなのです。Wunderbar なものでないと。> しかし、これでいいのか?といろいろ迷いもあったので、やっぱり自分は世界のトップが良いと判断する仕事をしているのだなと確認することができて、率直に嬉しくなりました。さて、次の問題は、この論文を一体どこに発表するかです。このまま仏語で出すにしても、たいていの仏語を受け付ける国際的なオーディエンスのある雑誌は使い果たしてしまった感があります。むしろ、そろそろこの辺りで自信作は英語に訳して ISIS 誌くらいを狙うべきなのでしょうか?

2007. 4. 16

    ここのところエア・ポケット状態に入っている理由のひとつには、ゼンネルト論文その他について他の人のコメントを待っているからというのもあります。その間は、足踏み状態です。一番に待っているのは、もちろん2冊目の著作の計画書を出した Belles Lettres 書店の編集主幹のリアクションです。

2007. 4. 11

  僕の2冊目の著作へのイントロの構想を練ろうと思っています。そんなに大げさなものにしないで、プレーンにスラッとさり気ない短めのものにしたいと思います。> しかし、イントロを書くのは苦手です。結局は、口上を述べるのが得意な人が、イントロも上手く書けるのだと思います。僕の本を見られた方は分かると思いますが、大風呂敷は広げずに、むしろ地味なくらいに淡々と先行研究の分析と本の構成だけを記述しています。既に本体が立派な議論になっているので、イントロまでそうする必要を感じなかったというのもありますが、単にイントロを書くのが苦手だというのが大きく効いています。

2007. 4. 9

  もう2冊目の著作のイントロ結論を書き始めようかという気になって来ました。これを書いてしまうと、本当に完成してしまいます。しかしです、博論の時のような明確なプログラムを持って進んだ場合と違って、個別の論文を製作しながら段々と全体像が見えてきた場合は、なかなかどう書くべきか迷ってしまいます。読者層の想定をいえば、2冊目16世紀の人物たちをメインに扱った著作なのですが、17世紀の哲学や科学を研究している人たちにこそ読んで欲しいと思っています。ライプニッツボイル、そしてキルヒャーロックガッサンディに関心ある人たちにこそ意味があるものだと。身近に付き合いのある人たちとの交流の経験から分かるのですが、一般に17世紀をメインにしている人は16世紀をあまりに知らな過ぎる傾向があります。そういう意味で、上にあげた17世紀の人物たちが熱心に読んだンネルトで話を終えることは重要なことだと感じられます。今回は生物学をメインに扱っていますが、これはパーゲルの意志を継ぎつつ、ジャック・ロジェの『18世紀フランス思想における生命の科学』とフランソワ・デュシェノーの『デカルトからライプニッツまでの生物モデル』が大きく扱わなかった部分を埋める作業でもあると思っています。

2007. 3. 31

  しかし、ここのところ昔のようにバカみたいに仕事をしています。昼夜連続なんて久しぶりです。何だか、とにかく一刻もはやく2冊目を完成させたいと、気持ちがはやっているのです。

2007. 3. 30

  今日はゲントがあります。その後、ゲントは2週間ほど休みとなります。皆、休みの間にどこかへ行く話をしています。僕はどこにも行きません。2冊目の本を完成させるのです。

2007. 3. 29

  遅ればせながら新ボスに2冊目の著作の執筆がほぼ完了して、上手く行けば2008年中に出版までこぎ着けることが出来そうなことを伝えました。すぐにブラヴォーという返事がありました。こういうふうに喜んでくれるところは、僕としても本当に嬉しいのです。ホント、良い人なのだな。意中の出版社はもうあるのか聞かれました。実は、Belles Lettres 書店の編集主幹を新ボスは嫌っているので、ちょっと微妙ではあります。

2007. 3. 28

  これから夏にかけては、2冊目の本のことに集中したいと思います。まずは、最近テクストを書き上げた2つの章を完成させ&他の章のフォーマットを揃え、出版社を決めるのです。

   仏語版キルヒャー論文の入った Annals of Science 誌の最新号(20074月)は、今日正式に発刊されたようです。早かったですね。この間のギリシア語の修正が時間的にギリギリであったことが分かります。しかし、長かったですね。ウォーバーグ研究所での国際会議が行われたのが200310です。その直後に一時帰国した時のBHミーティングで、日本語版も発表しています。それから考えると3年半が経っている訳ですよ。僕の2冊目の著作の第2部をカヴァーする一連の研究は、この論文が発端だった訳です。

2007. 3. 27

  取りあえず、キルヒャー論文のPDF版を世界中に配りまくっています。ビルからすぐに返事があり、リチェティについてさらに何か書くつもりはあるか?彼は非常に面白そうだ、と言って来ました。ふふん。やはり、ビル嗅覚は鋭い。そういうものを敏感に見抜く力は、クリストフアントニオよりも数段上かも知れません。すかさず、うん、いま僕の2冊目の本を書き終わろうとしているのだけれど、その最終章はゼンネルトリチェティについてで、昨日のリール会議でアントニオの前で発表したよと返事をしました。リアクションを待ちます。

2007. 3. 26

よく折衷的ということで、オリジナルな思想からは程遠いとされて、教科書的記述では軽くあしらわれるゼンネルトですが、彼の原子論というのは実は非常にラディカルなものであるということが分かって来ました。彼が展開した理論は、実は時代の最先端を行くものだったのです。ボイルを始めとする多くの人間が彼の教えを熱心に勉強した理由が、さらに良く分かるようになった気がします。僕の個人的な課題は、いかに説得力をもって、この点を人に説明できるかです。今回の発表ではもう変更しようがないのですが、4月以降に議論をさらに磨いて、熱を帯びたものにしたいと思います。それこそ、僕の2冊目の著作の最終章コーダにふさわしいものとなるのです。

  2冊目の妄想が妄想ではなく、現実のものとなることが遠くないことを実感している今日この頃なのですが、実は性懲りもなく既に17世紀のことをメインにした3冊目の予感を感じるようになって来ました。リプシウスについて秋に一本書かなければ行けない訳ですが、それがもちろん収録されることになるはずです。また、その他にもヘンリー・モアについて一本、そしてチャールトンについて一本を予定しています。上手く行けば、ダヴィソンについても一本をモノにできるかも知れません。もし、このままその方向で進んでいくなら、久しく離れていたキミアに再接近することになりそうです。

リプシウス

ヘンリー・モア

チャールトン

ダヴィソン

ボイル

ライプニッツ

2007. 3. 23

  幸い7月のトゥール会議では、内容を変更してゲマ論文の仏語版を発表することにしたので、別の新作を作り出す必要はありません。時間的な余裕が生まれました。ここで何をするかといえば、荒削りなゲマ論文とゼンネルト論文に磨きをかけて完成度を上げることです。そうすれば、夏休みにすることにした2冊目の著作の最終的な準備も比較的に楽になります。

2007. 3. 20

  フィチーノ協会会長に、この夏には何とか2冊目の著作の手稿を完成させることが出来そうですので、Belles Lettres 書店の黄金のロバ叢書に入れてもらえないか探りを入れるためにヘルプをお願いないでしょうか?と聞いたら、すぐに返事が来て、本の概要を書いて送れば編集主幹に大推薦すると言ってくれました。でも、僕はレジュメとか概要とか、アブストラクトとか書くのが苦手なんですよね。ワシントン会議の方もまだ書けてなかったし。> それでも何とか書いて送ったら、すぐさま編集主幹の Alain Segonds 氏に転送してしまったそうです。僕としては、まず会長の意見を聞きたかったのですが。よく見直ししなかったので、あとで誤字とかも見つかり、恥ずかしい限りです。あとは野となれ、山となれ。 出版計画書をアップしました。そうそう、肝心要の本のタイトルは、以下のようにしました。どうでしょうね?語呂などは良いでしょうか?

ルネサンスの医学と哲学:形成力、生命の起源、霊魂の運搬者

Médecine et philosophie à la Renaissance : force plastique, origine de la vie et véhicule de l’âme

2007. 3. 19

  7月のトゥール会議の発表時間を聞いたら25だそうですが、プログラムを今週中に配るそうです。僕としては、提出していたものは全く違うものに変更しようと思っていたので、早いところ決断しないといけません。この時点では新しいものに手を出すのではなく、この夏に向けて2冊目の著作を完成させることに向かうべきだと思うのです。つまり、ゲマゼンネルトの章を完全なものにしてしまおうということです。

2007. 3. 16

  おお、ついにゼンネルト論文の第一草稿が出来ました。まだまだ注も推敲もラテン語の引用の訳のコントロールも中途半端ですが、これで一安心です。こういうことなら、フィレンツェに行っても良かったかな?ま、とにかくも発表はテクストさえ出来ていれば良いので、これ26日のことは一件落着です。この論文が僕の2冊目の著作の最終章となる訳ですが、これで今夏にゲマ論文とゼンネルト論文を仕上げ、簡単なイントロ結論をつければ良いことになります。

2007. 3. 15

  今日も一日がかりで、ゼンネルト論文の推敲に集中しました。後半部も終わり、後はイントロを整理して、もう少し全体の流れを聞いて分りやすく整理すればOKかと思います。時間をかけた入魂の論文群とは訳が違いますが、キルヒャーシェキウス、そしてリチェティ論文といった積み重ねがあるので、段々と加速度がつくのは当り前かとも思います。日曜までは手をつけられないので、再び作業に戻れるのは月曜以降になるでしょう。やっぱりフィレンツェに発作的にフライトしなくて正解だったと思います。

2007. 3. 9

  ちょっと素っ気なかったゼンネルト論文のタイトルを変更します。題して、「ダニエル・ゼンネルトにおける原子、霊魂の起源、そして自然発生 “Atomes, origine de l’âme et génération spontanée chez Daniel Sennert” です。何度も言うように、これが最終章、コーダです。

2007. 3. 8

  う〜ん、つまるところ、あと2週間しか残っていないので、雑念を捨ててゼンネルト論文の執筆に取り掛からないといけません。一応、テクストは読み終わりました。何度も言いますが、これが僕の2冊目の著作の最終章でもあるのですから、何としても良いものにしなくてはなりません。> 非常にラフながらイントロから書き始めました。とりあえず、ただただ言うべきことを頭に思いつくままに並べている段階です。まだ全体の構成などは決まっていません。前回のゲマ論文同様に、これまで取ったことのないスタイルで論文を執筆しています。ま、ゲマの時はフェルネルカルダーノゲマと議論を展開するという一応の大まかなストーリーが題名の段階からあった訳ですが、今回のゼンネルトには、そういう骨子すらありません。

2007. 3. 6

  思えば、ロンドンから帰って来た20032冊目の著作への第一歩を踏み出しとしたら、今の時点でちょうど4年が過ぎようとしています。そろそろここで形にするのが良いのでしょう。興味半分であっちへ行ったり、こっちへ来たりとしながら周り道ばかりで形が見えてこないので、このままで大丈夫かな?と思ったこともあったのですが、ここに来てようやく全体の流れが収束して来つつあります。

2007. 3. 5

  レオニチェノシェキウスといったものはピュアにルネサンスの人文主義医学の世界なのですが、ゼンネルトになってくると、ファン・ヘルモントボイルへのつながりが手に取るように分かるようになって来ます。ゼンネルトというのは、そういう意味でルネサンス医学&自然学の総決算であると同時に、17世紀の新哲学への架け橋になっていると思います。思うだけではなくて、実際にテクストを読んでまとめてみたいと思います。それが僕の2冊目の著作の最終章になる訳ですから。天よ、力を下さい!

2007. 3. 2

ひたすらゼンネルトを読んでいます。こうして、黙々とテクストを読み込むことは、本当に久々です。一昨年末ゲマのテクストを読んだ時以来でしょうか?ま、それでも、その後は他の仕事をしているので良いのかも知れませんが、ほぼテクストを読み込むことだけを10年間してきたので、それをしないと何だか基本をないがしろにしているようで罪悪感があります。なお、このゼンネルトの章で僕の2冊目の著作も完成する訳ですから、がんばります。

2007. 2. 13

  このまま行くと、この春から夏前くらいは僕の2冊目の著作を構成する論文たちが次々と出版されそうです。リチェティキルヒャーレオニチェノシェキウス論文の仏語版ですね。

2007. 1. 16

  昨夜、やっとクリストフと連絡が取れました。珠玉とささやかれる僕のレオニチェノ論文の校正は出来たようです。あとは2月の出版を待つだけとなりました。もう一人のガレノス論文に続いて入魂作の第2弾となり、僕の2冊目巻頭を飾る一本です。僕の本以降の研究の新しい方向性を示すものとなっています。僕自身にとって新しいだけではなく、これまでの医学史やルネサンス思想史、科学史になかった画期的なスタイルを確立する一本です。要チェック!

2006. 12. 2

  しかし、世の中には大きなタイム・ラグがあります。僕としては、2冊目の著作では画期的なことをしているつもりですが、既に大半を書き上げた今現在の僕は、心境的に最高潮にホットだったところから抜け出しつつあります。でも、作品そのものが世に出てくるのは、これから数年後です。その頃には、そして反響の出始めるさらに先の頃には、今の僕の本を取り巻く状況と全く同じで、僕の中では完全に過去の作品となっている訳です。このタイム・ラグを最小限にする方法を知りたいと思っています。贅沢な悩みでしょうか?

2006. 11. 20

  朝イチでレオニチェノ論文の仏語の直し(ESM  誌はなぜかチェッカーを雇っています)が返ってきました。急いで1時間でチェックして送り返しました。我ながらに作業が速いと思いますが、チェッカーの意見は的確なものだったので納得して作業できました。とにかく、これで大丈夫ではないかと期待します。1号(3月)ではなく、シェキウス論文が出た後の3号(9月)に回されてしまうと、僕の2冊目の著作の第1章の前に第3章が出てしまうという話の展開的にも、この入魂の論文の抜き刷りを各方面に送ろうとしていた予定的にも、僕の考えが大幅に狂ってしまいます。

2006. 10. 26

  昨日、校正刷りを通してチェックすることで再読することになったリチェティ論文ですが、自分の作品世界の中ではどういう位置を占めるのだろうか?と考えています。これは明らかに2冊目の著作の一章となる一本ですが、レオニチェノ論文やもう一人のガレノス論文のように数年をかけて熟成させた入魂の作品ではありませんし、短期間で作った割には良い味を出していると思っているシェキウス論文とも違います。洗練度の観点から見ても、テクニック性で自分なりに何かを極めた感もありません。むしろ不器用です。同じ話をするにしても、別のやり方があったのじゃないか?とも感じます。それでも読んでみると、なかなか上手くまとまっているなと感じるのです。普段の悪い癖による単なる自己満足かも知れませんし、完全に僕の感覚が麻痺しているのかも知れません。でも、しっかりした雑誌が受け入れてくれるのですから、マンザラでもないはずです。校正用のPDFヴァージョンをアップしておきます。ページ番号以外はほとんど変わらないと思います。ご自由にダウンロードしてください。

2006. 10. 20

  ルカに住んでいるフィチーノ協会会長とピサに1週間出張に行っていたディディエが、パリへの帰りの飛行機が一緒だったとかで、当然ながら機中では共通の話題として僕のことを話したそうです。ご愛顧に感謝いたします。ディディエは、霊魂の運搬者(オケーマ)について本格的に研究するようにとの会長のデジデラーを僕に伝えるように言われたそうです。僕としても、それを形成力と共に2冊目の著作における重要な話題の一つとして追っている訳です。もう少しお待ちください。

2006. 10. 11

  早速にもゼンネルト研究のための準備ページを作成しました。どちらにしても、僕の2冊目の著作ではゼンネルトに当てた章が来ることになっていたので、2冊目の作業が無理矢理にでも進められるのだとポジティヴに考えるようにしました。

2006. 9. 30

  ゲントバイトの両方が復活すると、木曜の夜から土曜の午後までジェット・コースターのようなスピードで時間が過ぎて行きます。今日は数分違いで帰りの電車を逃してしまいました。仕方ないので、何もない無人駅で1時間待ちです。帰って来たのは4時過ぎですが、リェージュに週末来ているはずの友人へすぐさま出したお茶の誘いは都合つかず。残念。

2006. 9. 29

  ゲントでのランチ・ミーティングで久しぶりにイタリアンを食べました。美味。> 同僚のリンディアの母親は英国人であることが判明。しかも、他人の書き物の英語の直しの仕事をよくするということで、プルーフ・リーディングをしてもらう絶好の人物を見つけられたかも知れません。アメリカの知らない人に発注するよりもよっぽど良い気がします。これで2冊目の著作を英語で出す方向へスムーズに持っているのではないか?という期待も大きくなっています。

2006. 9. 11

  最近はライプニッツ学者の最先端の人たちも、ようやくゼンネルト重要さに気づいてきたようですが、僕に言わせれば、まだまだ序の口です。彼を中心テーマにすえた国際会議の開催が求められている時期ではないでしょうか?そういう気がするのです。そういう機運がさらに高まるのを待っている間に僕としては、2冊目の著作のゼンネルトの章に当てるために、5月を目処に彼の自然発生の議論にアタックするつもりです。

2006. 9. 10

  ここ最近は、危なっかしい妙なドライヴがかかり過ぎて、少々オーヴァー・ヒート気味になっているのでは?という印象を受けつつ静観している人も多いかとは思いますが、僕に言わせれば、今は何かの精霊が降臨している状態にあります。次から次へと素晴らしいアイデアが生まれては、溢れ返っています。それをいちいち実現している時間がないのが悲しいところです。2人目3人目の自分が欲しいところです。博論を書いている終盤は1か月に論文1本のペースで7本くらい書いた思い出がありますが、久々にかなりそれに近いトリップ状態に入っているのかも知れません。とどのつまりは、2冊目の著作の大まかな姿が見えて来たから勝手に興奮しているだけなのかも知れません。ま、そんなもんだと、笑って見ていて下さい。

2006. 8. 27

  ここのところ個人的には非常に満足できる仕事をしていると思っているのですが、僕の2冊目レオニチェノもう一人のガレノスシェキウスと、そうそうたる入魂作が並び、少し引いて冷静な目で客観的に見ても、ground-breaking なものになるだろうと感じています。ただし今回は遠大なものにせず、あと2〜3年内には出せるくらいの分量に押さえたいと思います。あまりに大部だと必要な労力も並大抵ではありませんが、それよりも何よりも、執筆、版組、出版という全てのプロセスで時間ばかりがかかり、良くありません。ま、本文150+文献表と索引で、全体で200頁以内くらいがちょうど良いのではないでしょうか?リチェティキルヒャー、これから書くゲマ論をカウントとすると、既に140頁前後にはなるかと思います。あとは、まだ具体的なことは何も決めていないのですが、次にゼンネルトにでもついて書ければ、それで良いのかも知れません。

2006. 8. 24

   今日も一日、シェキウス論文の英語版の手入れをしていました。これでほぼ完成に近づいて来ましたので、クスカワさんに英語のチェックをしてくれるか質問したらOKということですので、あと1〜2週間のうちには原稿を送りますと答えました。10月末が締め切りでしたら、非常に早いので嬉しい驚きとクスカワさんも言っています。こうして、仏語版英語版を平行して作成する機会が増えてくると、僕の2冊目の本は仏語版と英語版を同時に出せるのではないか?という妄想が生まれて来ました。> 著作の2冊目についての構想ではなく、妄想を語るコーナーを開設しました。

2006. 8. 22

   イスラエルから送ってもらった超レアな論文のコピー「形相付与者:アヴェロエス、ジェルソニデス、ナルボンのモーゼを、ついに入手しました。お世話になった皆さまには深く感謝いたします&欲しい人は言ってください。アヴィセンナアヴェロエスの理論をジェルソニデスとナルボーニの議論でフォローしています。Davidson Freudethal が好きな人はもちろん、能動知性の理論に関心のある中世哲学の研究者にはオススメです。> そこで引かれているナルボーニの言葉が最高です。僕の2冊目の著作のエピグラフ(銘句)として使いたいと思います:

              “[…] to know how the agent of generation acts, and the substance of this agent, is the noblest thing that man can know.”

2006. 8. 5

  昨日の夜半にシェキウス論文は、ほぼ完成しました。一度プリント・アウトして、じっくり読みたいと思います。アダムも読んでくれるそうです。>通して読み直しました。僕としては、完成までに数年かけた入魂もう一人のガレノス論文やレオニチェノ論文ほどには、時間をかけなかったので最初は意識してなかったのですが、かなり感動的な出来となっています。アダム君に指摘されたのですが、シェキウス論文では、かなり話題の扱いに慣れてきたようで余裕を感じるそうです。何だか、これが僕の2冊目の著作『ルネサンスの医学と哲学 Medicine and Philosophy in Renaissance の核をなす章となる予感がします。言ってみれば、フランスの教授資格を取るための審査 habilitation を狙ってのことですから、この著作を作り上げる作業は、僕にとっては第2の博論を書いているようなものです。普通は、博論を終えてから10年間くらいの仕事を集大成するものらしいですから、僕の場合はいつの間にか既に7年近くが過ぎてますので、あと3年くらいが目安ということになります。

2006. 2. 9

  レオニチェノ論文の方は、審査に入ったようです。それほどかからないと言われました。1〜2ヶ月くらいでしょうか?編集長に、これまで出してきたもの+これから出る何本かをあわせて、『ルネサンスの医学と哲学 Renaissance Medicine and Philosophy という本を出したいという話をしたら、非常に関心を持ってくれました。以下の5本からなる予定です。英語版のフィチーノを再録するかも知れません。レオニチェノ論文とリチェティ論文は今年中か年越しいう感じで出ると思うので、来年に出る予定のシェキウスゲマを加えれば良い訳で、20078年には何とかなるかも知れませんね。しかし、本を出すというのは、気の長い話です。すごく短いインターヴァルでポンポンと出すグラフトンとかニューマンという人たちは、いったい何者なのでしょうか?

レオニチェノ

フェルネル

ゲマ

シェキウス

           リチェティ

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