ごくごく個人的なアウトプット

 

 

 

 

海外編

 

 

 

論文

 

大地の霊魂と自然発生:

生命の起源についてのフィチーノのアイデアに対するフォルチューニオ・リチェティの批判

 

Earth’s Soul and Spontaneous Generation: Fortunio Liceti’s Criticism against Ficino’s Ideas on the Origin of Life

 

 

 

国際論集 『プラトン主義哲学者の誉れ:フィチーノとその影響』 所収

 

Stephen Clucas et al. (eds), Laus Platonici Philosophi: Marsilio Ficino and his Influence, Leiden, Brill, 2011, pp. 273-299.

 

 

内容

 

1. イントロ  Introduction

2. リチェティの『生物の自然発生について』1618  Liceti’s De spontaneo viventium ortu (1618)

3. マイナー・プラトン主義者と世界霊魂  “Junior Platonicists” and the World-Soul

4. メジャー・プラトン主義者とイデア論  “Major Platonists” and the Ideas

5. フィチーノと大地の霊魂  Ficino and the Earth’s Soul

6. フィチーノのソースとしてのキケロ『神々の本性について』 ?  Cicero’s De natura deorum as the source of Ficino ?

 

 

 

同時発表の仏語版

 

大地の霊魂、自然発生、生命の起源:マルシリオ・フィチーノ批判者フォルチュニオ・リチェティ

Ame de la terre, génération spontanée et origine de la vie : Fortunio Liceti critique de Marsile Ficin

 

Bruniana & Campanelliana, 12 (2007), pp. 451-469.

 

 

 

 

会議までの道のり

 

 

メイキング風景

 

2011. 7. 26

  おお、ついにバークベック会議からのフィチーノ論集が、僕の手元にも送られてきました。今日は、全国フィチーノ・デイと呼ぶことにしましょう。> まだパラパラと見ただけですが、製作に時間のかかっている論集なので、寄稿者の紹介欄の僕についての情報は2008のゲント代のものにとどまっています。ま、こういうのは、仕方ないですね。

 

 

2011. 7. 21

  ついに、バークベック会議 (2004年) から編まれたフィチーノ論集が出版されたようです。アマゾン等で購入可能です!世界の最前線に触れたい方は、ぜひ!

 

 

2011. 7. 16

  今月の15日頃から出荷可能ということだったので、そろそろ『プラトン主義哲学者の誉れ:マルシリオ・フィチーノとその影響Stephen Cluscas et al. (ed.), Laus Platonici philosophi: Marsilio Ficino and His Influence (Leiden: Brill, 2011) 入手可能となるのでしょうか?アマゾンではまだのようですが。待ち遠しいですね!

 

 

2011. 7. 5

  ブリル書店から連絡があって、バークベック会議からのフィチーノ論集『プラトン主義哲学者の誉れ:マルシリオ・フィチーノとその影響Stephen Cluscas et al. (ed.), Laus Platonici philosophi: Marsilio Ficino and His Influence (Leiden: Brill, 2011) 715頃に発売になるということです。寄稿者特典として1冊だけもらえるのですが、それを送付するためのアドレスを確認するためのメールでした。また、英語版のリチェティ論文の PDF も送ってくれるそうです。> 僕のメールにすぐに返事が来て、PDF が送られてきました。アップしましたので、ここからダウンロードできます。ブリルの場合、自分のウェブページに PDF を掲示することは契約書の上できっちりと認められています。

 

 

2011. 4. 23

  昨日お知らせした、バークベック会議から生まれたフィチーノ論集の中身を紹介します。以下のようになっているようです。会議での発表順でもそうでしたが、リチェティの活躍した17世紀初頭は年代的に遅めなので、僕の論考は巻末におかれるのかなと思っていましたが、そうでもないようです。> いま会議のプログラムから振りかえると、だいぶ内容が変化していることがわかります。

 

Ficino and the God of the Platonists, John Dillon
「フィチーノとプラントン主義者たちの神」

Monstrous Melancholy: Ficino and the Physiological Causes of Atheism, James Hankins 
「怪物的メランコリー:フィチーノと無神論の生理学的な原因」

‘Quo vertam oculos ut te laudem?’ Aspects of Praise in Ficino’s Writing, Valery Rees
「フィチーノの著作における賞賛の諸相」

The First Pico-Ficino Controversy, Unn Irene Aasdalen
「フィチーノとピコの最初の論争」

‘Et nuper Plethon’ — Ficino’s Praise of Georgios Gemistos Plethon and his Rational Religion, Paul Richard Blum
「フィチーノによるプレトンと彼の合理的宗教の礼賛」

Zoroaster and the Flying Egg: Ficino, Psellos and Gerson, Stéphane Toussaint
「ゾロアスターと空飛ぶ卵:フィチーノ、プゼロス、そしてジェルソン」

‘Jupiter tames Saturn’: Astrology in Ficino’s Epistolae, Ruth Clydesdale
「フィチーノの書簡にみる占星術」

Ficino’s Hymns and the Renaissance Platonic Academy, Sarah Klitenic Wear
「フィチーノの賛歌とルネサンスのプラトン・アカデミー」

Studied as an Oration: Readers of Pico’s letters, Ancient and Modern, Brian Copenhaver 
「弁論として研究されること:ピコの書簡の読者たち」

Platonic Love on the Rocks: Castiglione Counter-Currents in Renaissance Italy, Letizia Panizza 
「破綻しかけのプラトン的愛:ルネサンス期イタリアにおけるカスティリオーネの逆行」

John Dee’s Annotations to Ficino’s Translation of Plato, Stephen Clucas 
「フィチーノのプラトン訳にたいするジョン・ディーのノート」

Marsilio Ficino and the Chemical Art, Peter J. Forshaw 
「フィチーノとキミアの術」

Earth’s Soul and Spontaneous Generation: Fortunio Liceti’s Criticism of Ficino’s Ideas on the Origin of Life, Hiro Hirai
「大地の霊魂と自然発生:フィチーノの生命の起源のアイデアに対するリチェティの批判」

Ficinian Influence on Henry More’s Arguments for the Soul’s Immortality, David Leech 
「ヘンリー・モアの霊魂不滅論にたいするフィチーノの影響」

Neo-Platonic modes of concordism versus definitions of difference: Simplicius, Augustinus Steuco and Ralph Cudworth versus Marco Antonio Zimara and Benedictus Pererius, Constance Blackwell 

「新プラトン的調和主義に対峙する相違の定義:シンプリキオス、ステウコ、カドワース対ツィマラとペレイラ」

 

 

2011. 4. 22

  おお、ついにブリル書店のサイトに近刊予定のフィチーノ論集『プラトン主義哲学者の誉れ:マルシリオ・フィチーノとその影響Stephen Cluscas et al. (ed.), Laus Platonici philosophi: Marsilio Ficino and His Influence (Leiden: Brill, 2011) の詳細が表示されるようになりました。詳しい書誌データだけではなく、収録内容もわかります。なかなか興味深いラインナップで、この論集も歴史に残るものになると思います。今年6に発売の予定になっていますね。気になる値段は、129ユーロです。また、クニ君の知らせによると、アマゾンでもカタログに登録されたようです。                                  

 

 

 

2011. 4. 14

  続いて、英語版リチェティ論文の校正指示をロンドンのステーフェンに送り出しました。それなりに個数があるのですが、どれも微調整なので問題ないことを祈ります。> とりあえず、受け取りの連絡がきました。

 

 

2011. 4. 11

  英語版リチェティ論文の校正刷りのチェックは終わりました。あとは、校正指示のリストを作りたいと思います。> 今日はこの作業に集中しました。ほぼできたと思います。

 

 

2011. 4. 9

  忙しいのですが、締め切りのあるものから進めないといけません。ということで、英語版のリチェティ論文の校正を始めました。この作業で大変なところは、版組みのもとになった編集稿は2008に提出したもので、すでに3が経しています。例えば、編集稿の見直しを提出後に2箇所ほど間違いを見つけたと、この日記で書いていますが、どこだったかのメモが見つかりません。1箇所は覚えていましたが、もう一箇所は思い出せません。また、アメリカ行きのために多くの書類を処分したり、第2著作のために改定版をつくる作業していたりと状況は複雑です。> その他の用事もあったので、リェージュBH 本館に戻ってきました。プリントしてメモを書き入れてある編集校がちゃんと残っていました。それをもとに上記の2箇所の修正もできました。ふう。

 

 

2011. 4. 7

   ついに2004年にバークベックで行われたフィチーノ会議から生まれる国際論集に寄稿した英語版のリチェティ論文の校正刷りが送られてきました。420までにチェックして送り返さないといけません。論集自体は7の時空を超えて、今年後半に出されると書いてあります。僕の予想していた夏前というのは無理なようです。

 

 

2011. 3. 21

  ステーフェンから連絡が来て、バークベック会議から生まれるフィチーノ論集の校正刷りが4月6頃に送られてくるそうです。そして2週間以内に見直して送り返さないといけません。これで、いよいよ最終局面に入るようですね。そこから2週間から1ヶ月で編者たちが最終的な見直しをして、索引をつけて印刷機にかけるのでしょう。あと3〜4ヶ月で出版にこぎつけるのではないでしょうか?ということは、夏休み前に本を受け取れるか、夏休み明けの9か?というタイミングだと思います。会議自体は2004年でしたから、7がたった訳ですね。もう少しの遅れには驚きません。

 

 

2011. 1. 15

  はるか7の時空を越えて、2004年のバークベック会議から生まれる第2のフィチーノ論集のための Brill 書店の契約書が、ついに編者のステーフェンから送られてきました。いや〜、これも長かったですね。前回の話では、今年の第1四半期に出版されるということだったのですが、これから版組み校正をするというなら、夏頃に出るという感じではないのでしょうか?

 

 

2010. 10. 29

   バークベック会議からのフィチーノ論集は、2011年の1四半期に出されることがほぼ確定したようです。会議が行われたのは2004年ですから、7年越しですね。

 

 

2010. 5. 19

   2004年のロンドンにおけるバークベック会議からのフィチーノ論集の作業の進み具合について、久々に連絡がありました。すでに版組みくらいに入っているのだと思っていましたが、やっとブリル書店の審査を通って出版にゴー・サインがでたということでした。ちょっと拍子抜けです。今年の夏くらいには出版されると思っていたのですが、このままだと、版組み、校正、印刷、とどう考えても年内に出されるのは怪しくなってきました。2011の前半と見ておいた方が無難かもしれません。

 

 

2009. 11. 4

  ロンドンのステーフェンから連絡が来て、7月半ばにブリル書店に提出した第2フィチーノ論集の原稿が収録予定の Intellectual History シリーズの編集委員から好意的に受け入れられ、本格的な版組みの段階にはいったようです。版組み、校正、索引作りなどをへて遅くても半年以内には出版されるのではないでしょうか?バークベック会議が行われたのが2004ですから、まるまる6かかりましたね。

 

 

2009. 7. 7

  ロンドンのステーフェンから、2004に行われたバークベック会議からの新フィチーノ論集のための寄稿者データについて問い合わせがありました。ここまでくると、さすがにこの作業も最終段階に近づいているという証拠でしょう。ただ、今年中に出版されるかは怪しいと思います。

 

 

2009. 3. 24

  ロスであったヴァレリ (リーズ)の話では、2004年のバークベック会議からのフィチーノ論集は、夏前に版組みに入るそうです。そうするとに校正をして、年末までには出版にこぎつけるかも知れません。このロンドンのチームは進みが遅いので、もしかしたら年明けという感じになるかもしれません?

 

 

2008. 4. 30

  ついに、ステーフェンに英語版リチェティ論文の最終稿を提出しました。ふう。> 提出した直後に、2か所ほど表記ミスが見つかりました。とほほ。編集側で起きそうな混乱を避けるために、新ヴァージョンを送りつけるのではなく校正の時に直すことにしますので、その点を忘れないようにしましょう。

 

 

2008. 4. 29

 今日は昨日の続きで、リチェティ論文の最終稿のチェックをしています。ほぼ完成となって来ました。

 

 

2008. 4. 28

  今日は朝から夕方まで、ステーフェンから送られてきた英語版リチェティ論文のチェックに費やしました。ずいぶん前に書いたものなので、それほど英語における論述の流れもクリアではないのですが、仕方ありません。あと、ラテン語の引用2つの訳をチェックできれば一応の終了です。20063に原稿を提出したのですね。書いたのは、もっと前ですが。

 

 

2008. 4. 24

  いつの間にか、明日が新ルーヴァンでのレクチャー「占星術師・医師コルネリウス・ゲマ」の日となってしまいました。というところで、ロンドンのフィチーノ会議からの論集のための英語版リチェティ論文と Isis 誌用のディディエの本の書評の見直しの仕事が来てしまいました。両方とも急ぎということなので、この週末にこなそうかと思っていますが、同時に幾つも仕事が降って来るのは何とも大変です。それまでは暇すぎるときもあった訳ですから、徐々に来てくれれば良いのにと思うのは僕だけでしょうか?> こういう時に限って、インク・カートリッジが切れたりします。

 

 

2008. 4. 21

   夜にロンドンのステーフェンから2003年のロンドン会議からのフィチーノ論集のための僕の英語版リチェティ論文の修正案質問に答えてくれとメールがありました。何でしょう?僕は、そんなファイルもらってないですよ。きっと、メアドの変更の問題で、昔の僕のアカウントに送っていたのだと思います。あちゃちゃ〜。全く連絡がないなと疑問に思っていたのですが、この論集の編集は水面下で進んでいたのですね?これなら今年中は無理かも知れませんが、来年前半には出版されるのではないでしょうか?現在の状況には困ったものがありますが、眠っていたものが動き出したので嬉しくもあります。

 

 

***

 

2007. 4. 4

  おお、ついに仏語版リチェティ論文の掲載された Bruniana & Campanelliana 誌の最新2006年後半号が出版されたようです。オンライン版がアップされました。僕の本の書評も入っているのではないでしょうか?> う〜む、書評は今号には入っていませんでした。半年後の次号を待てということでしょう。トホホ。論文の書誌データの方は、451-469頁と決まりました。

 

 

2007. 3. 14

  しかし、僕の仏語版リチェティ論文の掲載されている Bruniana & Campanelliana 誌の最新号はまだ出ないのでしょうか?2月末の予定なのですが。

 

 

2007. 2. 1

  しかし、リチェティ論文の掲載される予定の Bruniana & Campanelliana 誌の最新号は、いつ出版されるのでしょうか?SASCAT における雑誌の受入れ状況の表示では、225となっているのですけれど、どうしてそういうことが分かるのでしょうか?不思議です。

 

 

2006. 11. 17

 なお、フィチーノ協会会長が見せてくれた Bruniana & Campanelliana 誌の最新号2006年1号には、残念ながら僕の本の書評はまだ出ていませんでした。ということは、次号 (20062)、つまり僕のリチェティ論文が掲載される号になるかと思います。

 

 

2006. 10. 30

  朝イチでローマの Eugenio Canone 氏に、リチェティ論文の校正刷りの修正箇所のリストを送り返しました。結局のところ、6箇所だけです。

 

 

2006. 10. 26

  昨日、校正刷りを通してチェックすることで再読することになったリチェティ論文ですが、自分の作品世界の中ではどういう位置を占めるのだろうか?と考えています。これは明らかに2冊目の著作の一章となる一本ですが、レオニチェノ論文やもう一人のガレノス論文のように数年をかけて熟成させた入魂の作品ではありませんし、短期間で作った割には良い味を出していると思っているシェキウス論文とも違います。洗練度の観点から見ても、テクニック性で自分なりに何かを極めた感もありません。むしろ不器用です。同じ話をするにしても、別のやり方があったのじゃないか?とも感じます。それでも読んでみると、なかなか上手くまとまっているなと感じるのです。普段の悪い癖による単なる自己満足かも知れませんし、完全に僕の感覚が麻痺しているのかも知れません。でも、しっかりした雑誌が受け入れてくれるのですから、マンザラでもないはずです。校正用のPDFヴァージョンをアップしておきます。ページ番号以外はほとんど変わらないと思います。ご自由にダウンロードしてください。

 

 

2006. 10. 27

  しかし、この時期にリチェティ論文のボッツェが来るというのは微妙です。もう今年中には何も新作は日の目を見ないだろうと諦めていたのですが、全ての寄稿者の校正が早く進むのであれば11月前半には印刷所に入るのかもしれません。そうすると年内に出版も可能な気がします。そうか、しかし2分冊の後半は索引を作らなければならないので時間はかかるでしょうね。やっぱり無理かな。どちらにしても、2006年の2号ということは変わらないので、それは良いのですが、年末に今年の出版リストを聞かれるので、それにはフラカストロ論文しか入れられません。グスン。> 結局のところ、リチェティ論文は、先に提出した英語版よりも早く仏語版の方が出される形となりました。

 

 

2006. 10. 25

  先日 Bruniana & Campanelliana 誌に寄稿したばかりの仏語版リチェティ論文のボッツェ(伊語で校正刷のこと)が送られてきました。何と仕事が速いのでしょう。イタリアとは思えません。版組工程で起きたアクシデントだけを指摘するという必要最小限の補正しか認められず、1週間くらいで返さないといけません。> 朝ゆっくり起きてから昼にかけて一度通して見直ししたのですが、補正は一箇所だけのようです。本当にイタリアとは思えない素晴らしい仕事ぶりです。お見事。> ま、僕の方でも問題の起こりそうな特殊文字は一切使わないという経験を生かして徹底していますので、回を追うごとに校正の修正箇所は減る一方です。

 

 

2006. 9. 21

  またまた記述が一日分先行していますが、お許しを。仏語版のリチェティ論文を送り出しました。ジェルマーナさんのリアクションを待ちます。> 無事に受け取ったようです。注意深く読んで連絡しますということです。> 数時間後にOKの返事が来ました。おお!また一つ大きな仕事をこなした気分です。何という充実の日々。博論を終えてから6年経つ訳ですが、明らかに自分の学者としての格がステップ・アップしているのが分かるので嬉しいです。周りの人の信頼尊敬も大きく感じます。世界を相手にするソリストの人生は厳しいものですが、ご褒美も大きいと思います。もちろん、それもこれも、後ろからしっかり支えてくれる皆さまあってのものですが。

 

 

2006. 9. 18

  ジェルマーナさんから続いて連絡があり、今月末に版組のために印刷所に入る Bruniana & Campanelliana 誌の2006年度の第2分冊に入れられるように特別にアレンジしてくれたようで、今現在7万字あるリチェティ論文を6万字以下に1週間以内で落とすように指示がありました。う〜ん、超特急で作業しないといけません。しかしですね、どこを切れというのでしょうか?!> それでも一日の作業で、何とか6万字以下に落とすことが出来ました。書式の細かい指示があるのですが、細心の注意を払って従わないといけません。昔の Bruniana & Campanelliana 誌の書式とは大分違うものになっていることに気がつきました。もう一日じっくりと腰をすえて作業したいのですが、明日は朝早くからゲントに行かないといけません。

 

 

2006. 9. 17

  Bruniana & Campanelliana 誌のジェルマーナさんから連絡があり、どうも僕のリチェティ論文内にある隠し記号が表示されてしまって、イタリアでの版組みに向かないので何とかならないだろうか?と言われました。ああ、これはきっと切れないスペース espace insecable という仏語の文章では必須の前後の文字が離れないようになる特殊な半角スペースのことを言っているのです。特に、pp. 34-35 と書くときの、pp. の後に入れるもので、最近では無意識のうちに手が勝手に動いています。しかも、これまで幾つかのイタリアの出版社と仕事をしましたが、この点を問題視されることはなかったので注意していませんでした。普通の半角スペースに変換することは簡単なので、直したものを送り直しました。上手くいくことを祈ります。

 

 

2006. 9. 11

  金曜午後にリチェティ論文を投稿した Bruniana & Campanelliana 誌の編集主幹ジェルマーナ(エルンスト)さんから返事が来ました。驚いたことに、もう既に読んだようです。大まかな線はOKで、興味深いし良く書けているけれど、ちょっと長すぎるかも知れないということですin linea generale va bene, è interessante e scritto bene, forse un po' lungo。もう一人の編集主幹である Eugenio Canone 氏の意見を聞き次第、返事をくれるそうです。う〜ん、もっと短くしろと言ってくるかも知れないですね。ま、メインの英語版はブリル書店から出るフィチーノ第2論集に収録されるので世界向けはそれで良いとして、こちらはイタリアのルネサンスブルーノ研究者へ余力でアピールするためのものですから急いではいません。

 

 

2006. 9. 8

  仏語版のリチェティ論文を Bruniana & Campanelliana 誌に投稿しました。注を削っても60000字にまでしか落とせませんでしたが、別に急いでいるものではないので、この際2007年の秋以降に出る1号でも構いません。

 

 

2006. 9. 7

  仏語版のリチェティ論文の投稿準備に入りました。まずは、Bruniana & Campanelliana 誌の編集主幹のジェルマーナさんが知り合いですので、どうすれば良いか聞いています。> 翌日に返事が来ました。雑誌は2分冊で、早ければ2006年2号(ちょっとスペースがきつそうです)、そうでなければ20071に入るのではないか?と言っています(まだ20061号も出ていないということでしょうね)。理想的には40000を超えないようにいっていますが、リチェティ論文は現行で61000あります。議論をいじらないでよけいな注を削るだけといった作業で、果たして40000字まで減らせるでしょうか?ちょっと心配です。まずは、原稿を送ってくれということなので、早速にも送りたいと思います。

 

 

2006. 8. 29

   おお、そうだ。リチェティ論文では英文の要約を付けないといけないようです。まずは、ロジックを整えるために仏文で考えましょう。

 

Dans son chef-d’œuvre Théologie platonicienne de l’immortalité des âmes (Florence, 1482), le métaphysicien florentin Marsile Ficin (1433-1499) défend l’idée de l’animation universelle du monde. Pour cet objet, il développe notamment une interprétation “platonicienne” de la génération spontanée en se fondant non seulement sur des notions comme les Idées et l’âme du monde mais aussi sur sa propre théorie de l’“âme de la terre”, qu’hériteront de nombreux philosophes naturels de la fin de la Renaissance tels que Giordano Bruno et Johannes Kepler. La présente étude analyse la portée de cette doctrine ficinienne à travers la critique qu’a formulée Fortunio Liceti, un philosophe padouan du début du dix-septième siècle.

 

   例によって機械的に英語に置き換えると、こんな感じになるでしょうか?何でも気がついた点があれば、お気軽に指摘してください。

 

In his master-piece Platonic Theology on the Immortality of Souls (Florence, 1482), the Florentine metaphysician Marsilio Ficino (1433-1499) defended the idea of the universal animation of the world. For this purpose, he namely developed a “Platonic” interpretation of spontaneous generation, basing himself not only on such notions as Ideas and the World-Soul but also on his own theory of the “earth’s soul,” which influenced a number of natural philosophers of the end of the Renaissance like Giordano Bruno and Johannes Kepler. The present study analyses the true nature of this Ficinian doctrine through the extensive criticism formulated by a Paduan philosopher Fortunio Liceti (1577-1657) in his On the Spontaneous Generation of Living Beings (1618).

 

 

2006. 8. 28

  今日は久しぶりにゲントに行ってきました。夏休み前に同僚のリンディアに仏語版のリチェティ論文をプルーフ・リーディングしてもらったものの中で幾つか質問したいことがあったので、直しに付き合ってもらいました。それで一日が終わった感じです。> これでリチェティ論文の仏語版も投稿できるようになりました。そろそろ夏休みも終わる頃ですから、ちょうど良いタイミングだと思います。

 

 

2006. 7. 30

  今日は、夏休み前に同僚のリンディアにプルーフ・リーディングしてもらった仏語版リチェティ論文を読み直して細部を点検し、雑誌 Bruniana & Campanelliana に投稿するために書式を雑誌の採用しているイタリア式(というより Olschki 書店方式)に書き換えました。> 夜にもう一度だけ落ち着いて読み直しました。これで、良いのではないでしょうか?いま送っても夏休みで受け取る人がいないでしょうから、9月になったら投稿したいと思います。

 

 

2006. 7. 5

   ルネサンス期におけるキケロの使用に関しては多数の研究があるでしょうが、なぜか著作『神々の本性についてDe natura deorum の影響についての研究は非常に少ない気がします。哲学者は自然に、科学史家は神と自然の関わりに真面目な興味を持っていない証拠です(興味は持っていても、それを研究として具現化させる能力を持った人間が少な過ぎるのかも知れません)。リチェティ論文で、フィチーノにおける使用(とリチェティの評価)について軽く触れた訳ですが、もう少しじっくりと深めたいテーマです。BH的関心から行くと、自然、そして世界霊魂といったところが議論のメイン・ターゲットとなってきます。そういった関心をもとにしてリプシウスのテクストを読むことは意味が深いと思っています。

 

 

2006. 6. 30

  今週のゲントのランチ・ミーティングでは、先週会えなかった同僚のリンディアに会えました。仏語版リチェティ論文のプルーフ・リーディングをお願いしてあったのですが、出来ているようで来週の木曜日に詳しく話しましょうということになりました。感謝です。

 

 

2006. 5. 23

  実は、リチェティ論文では深入り出来なかったのですけれど、ひとつ気になっている問題があります。それは、彼が明確に世界霊魂と同一視する点です。17世紀初頭のパドヴァ自然学の伝統内にいる人物が、このような、ややもすると危険な理論を展開できる背景は何だったのか?という問題が頭を離れません。リチェティ自身は、自分のドンス・スコトゥスを批判した部分を参照するように促しています。その部分をまだ読めていないので明らかなことはいえないのですが。この問題は、世界霊魂の理論へのガッサンディメルセンヌの反駁へとつながって行くものなので、近い将来に掘り進めたいと思っています。

 

  哲学史の教科書的には、リプシウスはストア主義哲学を復興した人物として語られますが、リプシウスのテクストを実際に読んで語っている人は非常に少ないというのが現実です。著作『ストア自然学』に至っては、真面目に読んだ人は殆どいないというが本当のところでしょう。ちょっと紐解いてみれば分かりますが、一口にストア派と言っても、邦訳も終わったばかりのドイツの古典学者アルニムが編んだ『古代ストア派哲学』に代表されるようなものとは、大きく違うものがリプシウスの著作には展開されています。僕に言わせれば、これはルネサンスのプラトン主義に大きく感染したもの以外の何ものでもありません。この著作は出版当時、ケプラーガッサンディをはじめ非常に多くの人間に読まれたようですが、それに対して歴史家の注目度は限りなくゼロに近いという大きなギャップがあります。BH的に言えば、まさに、この辺りが狙い目であることは間違いありません。> 上の記述に絡めていうと、リチェティも読んでいたのでは?と窺わせる節があります。

 

 

2006. 5. 7

  何と清々しい晴れた日曜日。僕のアパートは街中にある割には、非常に静かで視界も開けていて、緑も多いという居心地が良い&窓を開けただけで外にいる感覚も味わえるため、それに満足してしまうと、外に出る必要がなくなってしまうというパラドクスな状況を生んでしまいます。一応、この週末の課題としたリチェティ論文の仏語版の原稿は仕上がりました。どこまで行ってもキリがないので、もうここで止めておきましょう。議論の方も、だいぶスッキリして読みやすくなったと思います。プルーフ・リーディングが終わったら、ジェルマーナさんに Bruniana & Campanelliana に投稿する場合、書式はどうしたら良いか聞きたいと思います。

 

 

2006. 5. 6

   この週末は、ずいぶんと放り出してあったリチェティ論文の仏語版を完成させることに集中したいと思います。何度読んでも、細部を修正したくなるというか、しないといけないと気がつく場所が出てきます。これは本当にキリがありません。ディテールにこだわり過ぎという嫌いもありますが、そこが解剖学的揶揄される性分なのでしょう。そして、これまた僕の悪い癖なのですが、そうして何度も読んでいるうちに、非常に素晴らしいものを書けた気がしてきてしまいます。もうこれ以上ダラダラと延ばさないために、週末で切り上げて、同僚のリンディアにプルーフ・リーディングしてもらおうと思います。

 

 

2006. 2. 26

  昨日は結局、リチェティ論文の最終仕上げはしなかったので、今日は集中して臨みました。限りなく完成度を高めるために、何度も何度も目を通し推敲するのですが、しかし、ここまでくると本当にキリがありません。それでも、間違いが見つかるのでビックリもします。

 

 

2006. 2. 23

  ふとしたことから、気がついたことを図書館に行って確認したら、大正解でした。プロクロスの『「ティマイオス」注解』における大地の霊魂に関する記述を見つけてしまいました。Diehl, III, 133-144 = Festugière, IV, 170-184 です。おお、これは嬉しいです。> この件については、僕のこれまで見た限りでは、ほぼ世界中で誰も注意を払うことなく見過ごされていた点だろうと思います。

 

  皆さん、考えても見てください。科学史家に向かって大地の霊魂といったって、その意味を理解できるような気の聞いた人は限りなくゼロに近いものです。形而上学にしか興味を持たない哲学者は、大地のことなど気にも留めません。でも、ですよ、その哲学者たちが尊ぶブルーノにしても、科学史家たちが崇めるケプラーギルバートにしても、コペルニクスが言うように太陽を中心に大地が動くためには、大地に霊魂が宿っていなければならなかったのです。この問題の認識史論的な重要さを理解できますか?出来ないという貴方は、ごくごく普通の人です。安心してください。その重要さに気がついてしまっても、何かまともなことが書ける人間は、ほんの少数でしょう。この200300年の間に誰も目に留めなかったようなテクストを読んで、ソリッドでオリジナルな研究を書いた人間となると、ほぼゼロです。リチェティ論文は、その端緒にしか過ぎません。まさに、野心的な博論を書きたいと思っている人には、うってつけのテーマだと思います。誰かチャレンジしたいという人はいませんか?幾らでも応援しますよ!

 

 

2006. 2. 22

  ここのところ集中していたのですが、一山越して少し気分が弛緩してしまいました。本来なら、あと数箇所ほどさらに突き詰めた方が良いところはあるのですが。プロティノスの『エンネアデス』、4.4.224.4.26-276.7.11 にある大地の霊魂に関する部分が、他の研究書などで言及されていないかloci 表のある本を片っ端からチェックしたいところですが、僕の手元にある資料ではないようです。どうしても、気になるのはプロクロスでは、どうなのか?ということなのですが、今のところヒントはありません。

 

 

2006. 2. 21

  リチェティ論文が載る新しいフィチーノ論集は、学術出版の老舗ブリル書店のインテレクチュアル・ヒストリー叢書に入る予定です。年内に出すとステーフェンは言っていますが、これから書式の統一等の編集の作業を始める訳ですから、ちょっと年内は無理じゃないかな?という気もします。印刷所に持ち込んだところから出版まで最低3ヶ月はかかります。校正から印刷所に持ち込むまでは2ヶ月です。インデクス製作の作業までを含めると校正から出版までトータルで半年はかかります。そうすると、編集作業は4ヶ月しかないことになります。完成度を高めようとすればするほど、なかなか難しいのじゃないでしょうか?前回のフィチーノ論集はそういう意味では、本当に細かいところまで入念に詰めていたと思います。僕のところに最初に話が来てから、1年半はかかった思い出があります。

 

 

2006. 2. 20

  これで英訳作業も、ほぼ出来上がったと思います。あとは、締め切りまで繰り返しじっくりと読んで、チェックを重ねるだけでしょう。どなたか、一緒に見てくれる人がいれば幸いです。> プリント・アウトしようと思ったら、インクが切れてしまいました。> プリント・アウト出来ないので、画面上で見ていますが、疲れます。そうそう、アヴェロエスの『「霊魂論」大注解』からだと思い込んでいた箇所は、実は『「天空論」大注解』から取られているのだと分かりました。その他にも、1年半前にこの論文用の調査をしている時に入れようと思って、忘れていたプロティノス関係のデータを注に盛り込みました。まだまだ何か忘れている気もしますが、だいぶ取りこぼしを少なく出来たと思います。

 

 

2006. 2. 18

  今日はバイトのために起きるのが非常に辛かったです。バイトから帰ってきても、眠気ばかりに襲われていました。その合間合間にリチェティ論文の英語版の直しを続行中です。

 

 

2006. 2. 17

  木曜の晩も遅くまで作業したせいか、今日はフニャフニャで、あまり実ある成果を挙げられませんでした。電車の中でひたすらリチェティ論文の英語版の細部の直しをしています。

 

 

2006. 2. 16

  昨日は結局、何だかんだといって、実際の作業を始めたのは夕方からでした。で、夜の3時ごろまで続けたのですが、17頁のうちの7頁+注の訳が終わりました。そろそろ寝ようと思ったところで、LJ君がオンラインだったので、少しチャットしました。

 

  英題はちょっと長いですが、「大地の霊魂と自然発生:生命の起源についてのフィチーノのアイデアに対するフォルチューニオ・リチェティの批判Earth’s Soul and Spontaneous Generation: Fortunio Liceti’s Criticism against Ficino’s Ideas on the Origin of Life というので行こうと思います。同じ内容で英語と仏語の2本を同時に製作するので、少しズルイ気もしますが、ま、一粒で二度オイシイということで許してください。> 結局のところ、伊語会話も休み、夜の3時まで詰めて、一通り英訳は終わりました。明日の電車の中で読み直したいので、今日中に終わらせることに固執しました。最後は苦しかったです。これから何度も読み返して表現の細部を詰めたいと思います。> プリント・アウトしようと思ったら、インクが切れました。何ということ。でも一応、ギリギリの薄さですが、打ち出せたので助かりました。

 

  仏語版の題名を変更しましょう。「大地の霊魂、自然発生、そして生命の起源:マルシリオ・フィチーノの批判者フォルチューニオ・リチェティAme de la terre, génération spontanée et origine de la vie : Fortunio Liceti critique de Marsile Ficin 日本語に直すとそうでもないですが、サッパリしました。『デカルトの批判者ライプニッツ』 Leibniz critique de Descartes という有名な本があるのですが、その昔、仏語を習い始めた頃、このタイトルの意味が良く分からなかった思い出があります。

 

 

2006. 2. 14

   おお、ここまで来れば、もう完璧でしょうか?普段ならここからは、熟成期間として数ヶ月ゆっくり寝かせて推敲を続けるところですが、今回はそういうことは言ってられません。明日から英語化を始めたいと思います。ただ、仏語ヴァージョンはそのまま熟成させて、Bruniana & Campanelliana 用にブルーノ専門家へのアピールを加えることを考えれば良いと思います。そのためには、もう少し勉強しないといけませんね。

 

 

2006. 2. 13

  今日も朝から晩まで推敲を続けています。結構、マニアックです。いい加減にキリをつけて、英訳作業に入らないといけません。残すところ2週間となってしまいました。

 

 

2006. 2. 12

   今日も一日、朝から晩まで推敲を続けました。じっくり読み返しながら、単語の繰り返しを避けるという、もう微細な問題を扱っているので、なかなか集中力が出ないなか、苦戦しました。途中からチャット入ってきたLJ君に原稿を読んでもらい、いくつか気づいた点を指摘してもらいました。結構、仏語を読むのが速いのでビックリしました(この分量だと僕は普段ゲントに行く電車の中で読み終わりませんので、僕の場合は、1時間半以上は必要です)。今回は英語ヴァージョンを提出する訳ですから、この仏語ヴァージョンもどこか別のところへ投稿するべきではないかと思うようになりました。どこがいいでしょうか?今回は哲学の雑誌でも十分通用すると思います。いつも仏語で書いているのですから、そろそろ本家本元のフランスの雑誌を狙っても良いのですが、フィチーノとその影響のことですから、Bruniana & Campanelliana なんかも良いのではないかと思っています。

 

 

2006. 2. 11

  バイトから帰ってきて、リチェティ論文の細部の微調整にかかりました。注を十分つけた上で、全体を17頁まで減らしました。かなり議論も平易&シャープになってきたと思います。これまでの作品の中では、リチェティ論文は個人的な納得度の低いものだったのですが、これが僕の悪いクセで、なかなか立派なものに思えるようになって来ました。昨年からLJ君といろいろと話して来たことが役に立っています。リチェティマイクロを仕入れる手伝いをしてくれたIW君ともども名前を謝辞に入れて感謝したいと思います。

 

 

2006. 2. 9

  今日も今日とで、リチェティ論文に集中しています。だいぶ完成に近づいてきました。プリント・アウトして、明日ゲントに向かう電車の中で、じっくりと読み返したいと思います。いつもの緻密さから比べたら注がスカスカな感じもしますが、ま、ボイル論文くらいの感じですかね。もちろん、内容は悪くないと思います。仏語でのタイトルは、「大地の霊魂と自然発生:リチェティのフィチーノ批判を通してAme de la terre et génération spontanée chez Marsilio Ficin à travers le criticisme de Fortunio Liceti です。

 

 

2006. 2. 8

  一日中、リチェティ論文にかかりきりですが、だいぶ形になってきました。注をつけたところで18です。いい感じですね。もう少し議論を簡素化してストーリーを見やすくしたいと思います。こんなに早く進むのは、2年前の発表前の夏休みを丸々注ぎ込んで、しっかり準備をしてあったからです。ま、もちろん推敲に推敲を重ねて熟成させた入魂のもう一人のガレノス論文やレオニチェノ論文とは緻密さの度合いが全く違って、少し肩の力を抜いてやっていますが、それもこれも残り時間がないから仕方ありません。

 

 

2006. 2. 6

  非常に遅ればせながらですが、やっとリチェティ論文に手を入れ始めました。仏語の表現では、練り生地に手をつける mettre la main à la pâte と言います。> 期待していたロングヴァージョンは勘違いで別の論文のものだったことが判明し、少し焦っています。一つ前のテクストを読み下した段階のまとめをつないでという作業から始めないといけません。単純に全部つないでラテン語テクスト付で34頁あります。これに注をつけつつ、ラテン語テクストを削り、議論を整えて全体で15から20頁以内に抑えないといけません。う〜む、時間が足りないかもしれません。

 

 

2006. 1. 9

今の予定では、今週いっぱいはゲマを続け、来週からバークベック会議からの国際論集のためにリチェティ論文に取り掛からないといけません。

 

 

2005. 11. 30

  今年の6月末締め切りと言われていて、その後連絡がなかったのでダメになってしまったかと思っていたバークベック会議からのフィチーノ論集計画は、ついにブリル書店からのOKが出たようで、今日ロンドンのステーフェンからその旨の連絡が来ました。来年の2月末を原稿の締め切りとするようです。年明けは少し忙しくなるかも知れません。

 

 

2004. 9. 30

  ステーフェンからメールが来ていました。おお!この間のバークベック会議の模様は、論集として学術出版の老舗ブリル書店から出されることになったようです。早かったですね。僕としては少し違う出版社 (Routledge 等) も開拓したかったところですが、仕事のしっかりしたところだから申し分なしです。フィチーノ論集同様、ブリル精神史研究 Brill’s Studies in Intellectual History に入るのでしょう。コーペンハーヴァー氏などと名を連ねる論集に入れることになったのは甚大です。300字程度の要約を提出して、来年5月を原稿の締め切りとしているようです。僕の英語圏進出の第2弾となります。

 

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