New Ficino Lounge

フィチーノ研究の新ラウンジ
  

 
 
その7
 
「フィチーノにおける種子と自然の概念」
 
  H. HIRAI, "Concepts of Seeds and Nature in the Work of Marsilio Ficino."
 
 
   
『マルシリオ・フィチーノ:彼の神学、哲学、そして影響』
ブリル書店(ライデン)近刊、所収予定
 
in Michael J. B. Allen & Valery Rees (eds.),
Marsilio Ficino: His Thelogy, his Philosophy, his Legacy,
Brill Publishers, Leiden (The Netherlands), 2001, pp.257-284.
 

    僕の博士論文 『ルネサンスの物質の科学における種子の理論:マルシリオ・フィチーノからピエール・ガッサンディまで』 (199912月)の第2章 「マルシリオ・フィチーノ」 を補足修正し、編者の Valery Rees 氏が自ら英訳してくれたものです。
   
 

要旨

 

ルネサンス期の物質の科学において、自然の事物に形相 (forma) を与えるもととして普及した「種子」 (semina) のアイデアは、中世スコラ哲学における実体形相 (forma substantialis) の理論と17世紀のフランスの原子論者ピエール・ガッサンディの分子 (molecula) の理論とを結ぶミッシング・リンクである。もともと古代から存在する「種子」の概念のルネサンス型を提唱したと考えられるのが、15世紀末のフィレンツェのプラトン・アカデミーの中心人物である形而上学者マルシリオ・フィチーノである。本論文では、そのフィチーノの主要著作において「種子」の理論が、どのように現れ、変遷して行くか、また、どのような近縁概念群と関係しているかを分析する。さらに、「種子」と「自然」 (natura) の概念がフィチーノの形而上学的な宇宙論全体の中でどのように位置付けられるのかを明示するするものである。全く驚くことに、彼の理論は、古代のストア哲学、新プラトン主義哲学やラテン教父聖アウグスティヌスの思想だけでなく、ルクレティウスの原子論にも依拠している事が明らかにされる。

 


1. Introduction
イントロダクション  
2. The Commentary on Plato's Symposium
プラトンの『饗宴』注解 
3. The Commentary on Plato's Timaeus
プラトンの『ティマイオス』注解
4. The Platonic Theology
『プラトン神学』
5. The De vita coelitus comparanda
『星界より得られる生について』
6. The Commentary on the Enneades of Plotinus
プロティヌスの『エンネアデス』注解 
7. The Sources for his concept of Seeds
彼の種子の理論のソース

 

出版までの動き

 

2000. 07. 02
     
今日は、Euro2000 フランス対イタリアの決勝戦です。何もしないで、テレビ観戦に臨むことにしました。素晴らしいどんでん返しの試合の興奮も覚めやらないうちにメールボックスを開けて見ると、5月初めに僕の博士論文のフィチーノの章を送ったフィチーノ研究の権威カリフォルニア大の Michael Allen からメールがありました。僕の仕事を絶賛してくれています。現在、氏が編集中のフィチーノに関する論集にその英語ヴァージョンを入れたいという提案がありました。超びっくりです。うそじゃないです。
 
2000. 07. 23

     
ドイツでの国際セミナー参加のために次の金曜日からまた留守にしますが、その間の一週間は、ベルギーに居ます。フィチーノ研究の現在のナンバー・ワンの権威であるカリフォルニア大の Allen 氏の申し出に応えるため、僕の博士論文のフィチーノの章を英訳する作業のためです。周りにネイティヴが居ないので、誰か直しを入れてくれる人を探してくれと泣きついたら、留守中にメールの返事が来ていて、あちらで誰か翻訳者を捜してくれるそうです。上手く行けば、フィチーノの章を少し手直しして e-メールで送るだけでOKということになりそうです。良かった。この本に入るとすごい事になります。フィチーノ研究専門の世界のオールスターの真只中に僕のフィチーノ研究が論文として収められるわけです。出来を想像するだけで空恐ろしい。是非、日本の『ルネサンス研究』の方々にも分かって頂きたいですね。是非とも実現させたいプロジェクトです。 
 
2000. 07. 26

    
昨晩の宴席が遅くまで続いたので何だか調子が出ませんが、明後日にはドイツに発たなければならないので、例のフィチーノ論文の完成を目指してがんばっています。ほぼ出来ているんですけれど、プレッシャーを感じますね、世界に恥じになるものは出せないと。
 
2000. 10. 12

     
しばらく全く動きがなかった M.J.B.Allen V.Rees 編の Ficino 論集への僕の論文の掲載へのための翻訳者探しですが、進展がありました。何と編者の Rees 氏が直接やってくれるそうです。編者が翻訳してくれるのであれば、保証されたようなものです。安心しました。これで2000年は、業績に英文の論文1が付きそうです。良かった、良かった。ちなみに論文のタイトルは、「フィチーノにおける種子と自然の概念」です。発売は Brill 書店です。ワールド・ワイドです。
 
2000. 10. 25

    
おととい、例の僕のフィチーノ論文 Valery Rees 教授による英訳のドラフト原稿が出来てきました。良くやったなと言う感じです。これから問題が山積しているテクニカル・タームの解決に向います。忙しくなってきました。
 
2000. 10. 26

    
英訳版フィチーノ原稿と格闘しています。根気が要ります。
 
2000. 10. 28
-29
    
フィチーノ原稿との格闘が続いています。だいぶカタチになってきました。この「つれづれ日記」のコーナーを楽しみにしている人には申し訳ありません。もうしばらくお待ち下さい。
 
2000. 10. 30

    
フィチーノ英訳原稿にも飽きたので(本当は食らい着かなければいけないのですが、精神的に飽和状態です、少し距離を置く必要があるようですので)、フィチーノ著 『太陽について』 の桑木野君の下訳とラテン語原文をつき合わせてフィチーノの言わんとしている事を探っています。ちなみにガレンの伊訳はかなり自由なものですが、意は的確についています。やはり、ルネサンス研究の鏡ですね。
 
2001. 03. 21

     
カリフォルニアの Michael Allen 教授の直しの入った僕のフィチーノの章の英訳修正版の原稿がかえって来ました。さらなる修正点を吟味してロンドンの Valery Rees 教授に送らなければなりません。けっこう時間のかかるものですね、ワールドクラスの出版は。この論文「フィチーノにおける種子と自然の理論」の説明用のページを作りました。
 
2001. 03. 26

   
今、フィチーノ原稿の細部の直しをやっているのですが、なかなか大変です。煮詰まったらので、この日記を書いています。
 
2001. 03. 28

      
だいぶフィチーノ原稿の直しがすんだので、最終チェック段階に入れそうです。しかし、この件のために、『生物学史研究』および『科学史研究』の原稿への着手が遅れています。関係者のみなさま済みません、もうちょっと待って下さいね。昨日の晩は、ドイツ語会話があったので、書いてあった日記をアップするのを忘れてしまいました。
 

2001. 03. 29
      
フィチーノ原稿の最終チェックも、「こんなもんかなあ〜」と言える所まで来ました。これ以後は、幾らでも読めば読むほどまた小さな間違いが見つかるのでしょうが、それは永遠にきりがないので、ある程度のところに達したら、「こんなもんかなあ〜」と、思いきりをつけなければいけないわけです。今週中には、2人の編者のところへ送れそうです。良かった、良かった。
 
2001. 03. 31

     
一応、念には念を入れてフィチーノ原稿読み直しているのですが、何度読んでも間違いが見つかる。どうして?っていう気分です。
 

2001. 04. 02
     
例のフィチーノ原稿がなかなかフィニッシュ出来ないので、先に『生物学史研究』への報告記の初校校正を終えて日本へ送りました。
 
2001. 05. 06

     
朝の9時に例のフィチーノ論集の編者の Valery Rees London School of Economic Science) 氏から、僕の原稿について問い合わせが来ました。これから、こちらにある原稿に朱を入れて送るつもりだが、そちらはどうなっている?という問い合わせです。実は、原稿そのものは、1ヶ月前にできていたのですが、どうも気になる個所が2〜3あり、ずっと自分で抱え込んでいました。彼女が持っているのは、最終稿ではありませんから、それに手を入れて送られてきたら、また一から見直しと言うことになってしまうので、それは困ります。そんな訳で、急きょ僕の最終稿を送りました。コメントには、それを使ってくれると良いのですが。もっと早く送るべきであったことは重々分かっています。
 
       
夜にメール箱を開けたら、Valery さんから原稿受領の確認メールが来ていました。これで、少し安心です。
 
2001. 05. 08

     
日曜の朝に送ったフィチ−ノ原稿が、ロンドンの Valery Rees さんとカリフォルニアの Michael Allen 教授の見直しを経て、もう帰ってきました。地球を一周したことになるでしょうか?出版社 (学術出版の大手オランダの Brill書店) の締め切りが間近らしいので、2人とも焦っているようです。しかも、僕だけでなく、寄稿者全員の原稿が複数のヴァージョンがあり、ヴァージョンの海に気が狂いそうだと、Allen 御大も申しております。期限に関しては、もとはと言えば、去年の7月に話を持ちかけられた時に、「すぐやれ」と言われから、既にもうすぐ一年が経とうとしています。あの「すぐやれ」は、ずいぶん遠い昔となりました。原稿を急かす時、「すぐやれ」と言われて、死にもの狂いで送ったのに、数ヶ月後に、「また直せ」と来るのは、毎度のことですが何か納得のいかないところがあります。それが世の常でしょうか?ところで、いつまで経っても、『ロゴイ・スペルマティコイとパラケルスス』論文が出ないなら、このフィチーノ論文がデビュー作となりそうです。
 
2001. 05. 09

    
カリフォルニアの Allen 教授から返事が来て、フィチーノ原稿の最終稿にOKが出ました。良かった良かった。後は、他の執筆陣が締め切りを守ることを祈りましょう。年内に出るのかな?これだけ、やり取りがあったのは、論文の内容というよりは、英訳に伴う用語の統一とフォーマットの問題です。可笑しいのは、彼ら英語圏の人間は、これまで出されている英訳版については『饗宴注解』 (Jayne 訳) にしても、『3重の生』 (Kaske & Clark 訳) にしても、それをそのまま引用することに問題ないと考えているのに、これまでの標準である Marcel の仏訳の『プラトン神学』や『饗宴注解』は、良くないと思っているところです。僕に言わせれば、Marcel 版の方が良いような気がします。特に、『3重の生』の英訳は、何かしっくり来ません。気のせいでしょうか?『3重の生』 (Caske & Klark 訳) の注解はしっかりしていて、もちろん良い本なのですが。要は、英語圏の人間は単に英訳が良いということなのではないでしょうか?疑問です。
 
2001. 05. 27

  
僕も参加する論集『マルシリオ・フィチーノ:彼のソース、サークル、影響』の編者であるロンドンの Valery Rees さんから連絡があって、版元の Brill 書店からの要請で7月24日から4週間で初校の校正をしなければならないので、各寄稿者の夏休みの間の連絡先を教えなければならないとのことです。予想ですけれど、この論集は、おそらく 『精神史研究 Studies in Intellectual History という叢書に入るのではないでしょうか?だいたい19本ぐらい論文が入っていそうです。各論文の詳しいタイトル等は、分かりませんがかなりすごい布陣である事は間違いありません。Valery さんも素晴らしい本が出来る!と力が入っております。全篇英語ですから日本の読者にも比較的取り組みやすいかもしれません。8月末に初校の校正が集まるとして、年内には発売されるのでしょうか?楽しみです。以下のリストで * をつけた人は、僕が名前を聞いた事がある人です。  

 

Angela Voss *
Stephane Toussaint *
Michael J.B. Allen *
Clement Salaman
Francis Ames-Lewis

Anthony Levi
Jorg Lauster
Den Lackner
John Monfasani
Tamara Albertini *

Sergius Kodera *
Dilwyn Knox * 
Moshe Idel * 
Hiroshi HIRAI *
Valery Rees * 

Arthur Field
Stephen Clucas *
Christopher Celenza * 
Jill Kraye *

 
2001. 06. 02

  
 もう一人、デジタル懐疑論をふっ飛ばす勢いを持っている人は、カリフォルニアの Allen 教授です。一度もあった事はありませんが、僕のフィチーノ論文の原稿を見て、ぜひ今度出る論集に英訳して収録したいという旨を伝えてくるメールをもらった時は感激しました。仕事の内容で判断して評価してくれただけでなく (良い良いと言ってくれる人は結構居ますが、そこで止まってしまうのも現実です)、さらに、それを自分の計画している論集に入れたいと招いてくれるほどありがたい事はありません。でも、「我々は現実には一度もあった事はないけれど、こうして 『イデア』 のようにデジタルに分かりあえた。そして、いつか何処かで身体的延長として会える日を楽しみに待っている」というメッセージに一番感動しましたね。1975年頃から活躍しているので、それほど若い訳でもないと思いますが、プラトンの「イデア」がデジタルに交観するというヴィジョンに惹かれます。
 
2001. 06. 21

    
お昼の第2便で、Brill 書店から手紙が来ました。例のフィチーノ論集が僕の予想通りブリル精神史研究 (Brill's Studies in Intellectual History) に入り、この度出版することになったというお知らせと、コピーライトの契約書にサインしてくれといって契約書が送られてきました。世界的な出版ということで、こういう経験をするのは初めてですので、なんだかドキドキします。ちなみに、本体は、1冊しかくれないみたいです。でも、まあ、良いか。お!でも、本のタイトルが変わっています。『マルシリオ・フィチーノ:彼の神学、哲学、そして影響』 (Marsilio Ficino: His Theology, his Philosophy, his Legacy) となっています。皆さん、本書は要チェックです。
 
2001. 06. 24

    
良く論集の出版の時には、どこかに寄稿者リストというのが載せられることが多いですが、大半の場合、所属の研究機関のアドレスだけ載せられています。まだ案の段階ですが、おそらく年内には出るであろう僕も参加した『マルシリオ・フィチーノ:彼の神学、哲学、影響』 (Marsilio Ficino: His Theology, his Philosophy, his Legacy)には、寄稿者リストに全員のメール・アドレスが入るみたいです。それだけでも、こういう保守的な世界においては、大きな変革だと思います。『ミクロコスモス』では、さらに進んで、持っている人は皆、各自のHPアドレスも入れてもらいましょう。
 
2001. 07. 17

    
午後は、博論の原稿の直しに戻るつもりです。昨日は、イントロの部分と1を直したのですが、今日はフィチーノの章の注をまず直しました。この章は、例のカリフォルニアの Allen 教授とロンドンの Valery さん編集のフィチーノ論集に英訳された部分なので、その作業中にいろいろプロの目でアドヴァイスが入ったので、少し細部に変更と注が膨らんでいます。それらの変更点を元の仏語ヴァージョンにフィードバックする作業が残っています。2〜3日かかるでしょう。
 
2001. 07. 26

    
そう言えば、そろそろフィチーノ論文初刷り校正が届く頃ですね。ちゃんと出来ているか心配です。全文打ち直しでなく、編者が送ったファイルをページ割しただけなら問題は少ないと思いますが、今でも全文打ち直しの出版社や雑誌はありますから、その時はいちいち全てをきちんとチェックしなくては行けないので大変な作業となります。そういう校正刷りの内容に関する不安がまず一点あります。それから、この間の Corpus用の論文の校正刷りは、郵便配達人が間違えて隣家に配達して、その隣人が2週間遅れで僕に渡してくれると言う劇的なハプニングがあったので、それも恐いですね。
 
2001. 08. 02

    
ついに、M.Allen 教授と V.Rees さんのフィチーノ論集に収録される僕の論文の校正用プルーフが、オランダはライデンの学術専門出版の老舗ブリル書店から到着しました。自分の書いたモノが伝統的な本物のタイプセットで組まれたのを見るのはこれが始めてです。感激です。より正確な書誌データも分かりました。Hiroshi Hirai, "Concepts of Seeds and Nature in the Work of Marsilio Ficino", in Michael J.B.Allen & Valery Rees (eds.), Marsilio Ficino: His Theology, His Philosophy, His Legacy, Leiden, Brill, 2001, pp.257-284 です。30頁近くある長尺の論文となりました。全体が400頁としたら大体真ん中から後半にかけての部分にあることになります。副題から察すると神学、哲学、影響の3部構成ですから、僕のは哲学の部分に入っているのだと思います。8月22日までに校正刷りをチェックしてメールにて連絡をとるか、送り返さなければなりません。インデペンデントの出版とは違って、さすが学術書の老舗校正の仕方を書いたガイドが入っています。今までは、他の人に手を入れてもらった時使われている記号が皆何となく一致していたので暗黙のルールがあるのだなと想像していましたが、これで校正記号の意味が始めてしっかり分かりました。世界的に通用するものなのでしょう。今週は博論の作業に集中して、週末から校正を始めようと思います。
 
2001. 08. 05

    フィチーノ論文
の校正刷りのテクスト部分を読みました。良いんじゃないですか?何点か直すべきか迷うところはありますが、僕はネイティヴじゃありませんので、英語が当ってるのか、間違っているのか見当もつきません。タイプミスはないみたいです。テクストを打ち直す人が非常に上手いからなのか、もともとのファイルをページ割だけしたのか分かりません。しかし、自分で言うのも何ですが、良いですよ、これ。何度読んでも良いと思います。世界のそうそうたるフィチーノ学者のなかに門外漢の僕が混じって申し訳ないのですが。英語になりましたから、皆さん、オリジナルの仏語よりは気軽に読めるようになったと思います。全篇英語ですから、この論集買って下さいね。買わないまでも、是非ご自分の大学図書館で入れてもらって下さい。きっと役に立ちます。
 
2001. 08. 13

    
今日の午後の作業も案外早く進んだので、これまで放っておいたフィチーノ論文の校正の注の部分を行いました。今週中に出さないと22日の締め切りに間に合いません。注内では明らかなタイプ・セッティングのミスは2個所だけだと思います。テクストのチェックは一回目に読んだ時に2個所見つけました。合計4個所ですから、それほど多くありませんね。ま、僕がざっと見て見つけられたものですから、じっくり見ればもっと見つかるかも知れません。

     しかし、こうして目の前にあるこのフィチーノ論文用の簡易フォルダーを見ると、かなり厚くなったなと感じます。去年の夏休み直前にカリフォルニアの Michael Allen 教授から是非これを英訳して今度出す論集に入れたいと言われた時から既に1年が経過したことになります。その間にカリフォルニアロンドンリェージュを行き来したメールと手紙と論文の各ヴァージョンの山が全てこの中に収まっています。まだ最終的なものが出来上がった訳ではありませんので感慨に浸るのもなぜかヘンですが、でも、メデタシ・メデタシという感じです。
 
2001. 08. 20

     
金曜日に投函したフィチーノ論文校正済みコピーがもうロンドンに到着したみたいです。編者の Valery さんからメールで受け取りの確認がきました。僕が気が付いた点は、OKとなったみたいです。聖アウグスティヌス St. Augustine St の後は現在では点を打たないそうですが、この点だけが要らない点で、後は全て直してくれそうです。これで、本当に最後の最後の段階に入った訳なのですね。長い長いマラソンでした。お世辞でしょうが、「thoughtful and interesting paper を本当にありがとう」という Valery さんの結びの言葉に感銘しました。後は、早くモノが出来上がるのが楽しみです。  
 
2001. 08. 29

     
引用原文のチェックは、平行して行っていたので、ほぼ終わっているのですが、昨日大きなポカをしていること発見し、少し落ち込んでいます。見つかったから嬉しいはずなのですが、実はフィチーノの章なので、英訳論文の方はもうプレスに入っているので直せません。一個所、重大な間違いをしてしまいました。 
   
2001. 09. 01
土 
     
ロンドンの Valery さんから、例のフィチーノ論集は最終見直しが終了し、後はプロが作るインデックスが完成すれば全て完了、と言う連絡がありました。その後、プレス・製本の段階に入る訳です。このプロセスに、海外の学術書専門の老舗の場合、どのくらいかかるのでしょうね?気になります。最後の最後に、僕の論文に見つかった間違いの部分は、どうやら訂正に滑り込みセーフで間に合ったみたいです。ちなみにどういう部分かと言うと、フィチーノは『ティマイオス』注解の冒頭で、『ティマイオス』の主題が自然であると言いますが、その自然をどう定義するかで、「ある種の種苗かつ世界中に拡散している生気を与える力 seminaria quaedam & vivifica virtus toti infusa mundo と言いますが、これを写し間違えvirtus を抜かしていました、何かヘンなので [ ] を用いて僕の判断で natura と補っていたのですが、natura でなくてvirtus と置き換えなければならない訳です。「自然は、ある種の種苗で世界中に拡散している生気を与える自然」というよりは、「... 生気を与える力」と、これの方が道理にもしっかり適うし、より自然でもあります。解釈とかの間違いの前に、一語抜かして写しているという、恥ずかしいポカでした。単なる脚注内だけなら目立たないので良いのですが、これが短めの引用文の中のメインの部分としてドカンと目の前に現れる訳で、しかも、種子の理論を通して自然の概念を理解することも目的としている論文ですから、このバカな間違いの重大さが分かって頂けるかと思います。
 

2001. 11. 26

  ロンドンのValery Rees さんから連絡があって、論集『マルシリオ・フィチーノ:彼の神学、哲学、影響』は、まもなく発売されるようです。執筆者の特典として、著者割引で注文できる申し込み用紙がもらえるそうですが、締め切りが1215とちょっとタイトです。僕の台所事情に余裕があるなら、自分で3〜4冊買っておいて後で欲しい人が出てきたときに割引価格でお分けすることもできるのでしょうが、今はちょっと無理です。その他の方法としては、時間的に余裕があれば、BH 関係者(メイトや訪問者、知り合い等)の中から欲しい人を募ってまとめて申し込むという方法もあるでしょう。でも、あと2週間チョイですからね。難しいかな。でも、基本的に値段が高いのでフィチーノ研究専門の人以外は、皆さん自分の身近な大学図書館などの希望図書購入みたいな制度があれば、それを通して図書館に入れてもらい、借りて読んでください。

 

  Valery さんはおっちょこちょいのところがあるのでしょうか?実は、上記のアナウンスのメールの文面はオーダーフォームが添付されているような口調でしたが、何もないので変だなと思っていたら、午後にもう一度メールが送られて来ました。それについているオーダーフォームをみると、定価92ポンドが特別価格30ポンドということで、驚きの値引きです。2割引くらいかと思ってましたが、何と3分の1のプライスです。皆さんも、この特別価格セールを逃すべきではありません。欲しい人は今すぐ僕に連絡先(住所等)を記したメールを下さい。発売は1210だそうです。もちろん、ルネサンス研究関係では世界有数の規模を誇る『ルネサンス学会』(Society for Renaissance Studiesの推薦図書です。希望者は急いでください! 

 

2001. 12. 10

  さて、いよいよフィチーノ論集の発売日です。去年の夏にお誘いがあってから、一年半が経過したことになります。良い本を作るには時間がかかります。予告通りに出るのでしょうか?朝、Brill 書店のサイトを見ても新刊のコーナー等には、まだ入っていませんでした。こういうのは、まとめて月の終わりとかにアップするのでしょうか?著者割引価格にて共同購入を申し込まれた5名の方、連絡が遅くなりました。ポンド立てチェックで支払うようになっていたのですが、僕はポンド立てチェックを作れないので国際郵便為替でも良いですか?と Valery さんに聞いていたのです。返事が週末やっと来ました。OKということですので、僕の方で今日一括して申し込みます。僕のところにモノを送ってもらいますので、急いでいる人には郵送で、そうでない人は僕の次回の帰国時に手渡しなどで、モノをお渡ししたいと思います。

 

2001. 12. 12

  カリフォルニアの Allen 教授から参加者全員にでしょうが、例のフィチーノ論集参加おめでとう&ありがとうのメールが来ました。件名が aurum potabile (飲用金) になっているところが泣かせます。非常に嬉しいです。Allen 教授も錬金術に開眼でしょうか?

 

 

Subject: aurum potabile

 

Complotinice, just a word of congratulations on and thanks again for your fascinating contribution to our about-to-appear, long-awaited London volume. Plenissima for the season. Michael

 

 

早く手にとって中身を見てみたいものです。Brill 書店のサイトの表示は相変わらず変わっていません。それから、Valery さんには著者割引で5冊申し込む旨、ちゃんと伝わったようです。後は、モノが僕のところに到着したら、申し込まれた5名の方には連絡いたします。

 

2001. 12. 13

  フィチーノ協会のニュース・レター No.3 が来ました。例の論集『マルシリオ・フィチーノ:彼の神学、哲学、影響』の収録論文のリストが載っていましたので、ここに出しておきます。皆さんも身近の大学図書館に希望図書として申し込んで下さい。

 

M. J. B. Allen, “Introduction”

P. Serracio-Inglott, “Ficino the Priest”

D. F. Lackner, “The Camaldolese Academy: Ambrogio Traversari, Marsilio Ficino and the Christian Platonic Tradition”

J. Lauster, “Marsilio Ficino as a Christian Thinker: Theological Aspects of his Platonism”

C. S. Clenza, “Late Antiquity and Florentine Platonism: The ‘Post-Plotinian’ Ficino”

A. Levi, “Ficino, Augustine and the Pagans”

C. Salaman, “Echoes of Egypt in Hermes and Ficino”

M. Idel, “Prisca Theologia in Marsilio Ficino and in Some Jewish Treatments”

M. J. B. Allen, “Life as a Dead Platonist”

J. Monfasani, “Marsilio Ficino and the Plato-Aristotle Controversy”

T. Albertini, “Intellect and Will in Marsilio Ficino: Two Correlatives of a Renaissance Concept of the Mind”

A. Voss, “Orpheus redivivus: The Musical Magic of Marsilio Ficino”

D. Beecher, “Ficino, Theriaca and the Stars”

H. Hirai, “Concepts of Seeds and Nature in the Work of Marsilio Ficino”

S. Kodera, “Narssicus, Divine Gazes and Body Mirrors: The Concept of Matter in Ficino”

S. Toussaint, “Ficino, Archimedes and the Celestial Arts”

F. Ames-Lewis, “Neoplatonism and the Visual Arts at the Time of Marsilio Ficino”

V. Rees, “Ficino’s Advice to Princes”

A. Field, “The Platonic Academy of Florence

J. Kraye, “Ficino in the Firing Line: A Renaissance Neoplatonist and His Critics”

D. Knox, “Ficino and Copernicus”

S. Clucas, “‘To ravish and refine an earthly soul’: Ficino and the Poetry of George Chapman”

 

その他、このフィチーノ協会のニュースレターによると、フランスの Tours にあるルネサンス研究所の主催で行われた国際会議 (1999年)からの論集『マルシリオ・フィチーノあるいはプラトン的神秘Marsile Ficin ou les Mystères platoniciens がパリの Belles Lettres 書店から数ヵ月後に発売になるようです。収録論文のリストは、雑誌『アカデミア』の第2号に掲載されています。それから、協会の力で会員用にリプリントされたフィチーノの全集 Ficini Opera (Basel, 1576) 一般発売される方向で動いているようです。流通は Belles Lettres 書店が受け持ち、2000頁を越す大冊(2分冊)で、だいたい25千円ぐらいになる予定だそうです。また、協会のカイエの第3巻は、Giorgio Vasari, lettere inedite a Leonardo Marinozzi ということで、フィレンツェの画家にして美術史家であったヴァザーリの未刊書簡7通の復刻と研究だそうです。最後に、近々のプロジェクトとして、余り知られていませんがフィチーノの霊魂論を最初に体系だって吸収したとされる Cristoforo Marcello という人物の著作『霊魂についてDe anima Venezia, 1508 のファクシミリ復刻を予定しているそうです。だいたいフォリオ版で300頁あり、生理学精気学数秘学音楽デモノロジー神秘学といったテーマが非常に明晰な文章で表現されているそうです。Toussaint 会長の謳い文句に拠れば、「ルネサンス霊魂論の小さな百科事典」的な著作だそうです。フィチーノと16世紀前半の思想家達 (シャンピエやアグリッパ、パラケルスス、フェルネル等)を結ぶミッシング・リンクといったところでしょうか?非常に期待できます。

 

2002. 01. 02 

   さて、1210に出るはずだったフィチーノ論集、どうなってるのかな?と、Brill書店のサイトを見てみたら、記述内容が少々変更されています。「200112月予定、未公刊 (not yet published)」から「2002年予定、印刷中 (in print)」となってます。あらら、遅れているようです。これで、自分の公刊物リストの2001年にカウントできなくなってしまいました。僕の場合、日本語のはいくら書いてもカウントされませんから、2001年の収穫物は、de Clave に関する Corpus に出た論文だけとなってしまいました。

 

2002. 01. 18

今朝の荷は2つです。1つは、購読している日本の雑誌。もう1つは、ついにという感じで、フィチーノ論集著者コピー(普通、論集等に寄稿すると抜き刷りの他に現物が1部もらえます。抜き刷りを廃止してしまっているところも多いです)が届きました。500頁に収まってますが、ずっしりの大冊です。普段のブリル書店の無地クロス装ではなく、クリーム色ツルツルのハードカヴァーで直接ジャケット絵が印刷されています。絵には、イニシャルのMの大文字の上にフィチーノが居ます。自分の名前の誤植がないか確認 (非西欧系の名前は良く間違えられます) して、安心。自分の論文「フィチーノにおける種子と自然の概念」の場所を探します。校正稿通りの257-284です。だいたい他の人は15-20頁の分量なので、僕のは多めです。さて、校正個所は直っているでしょうか?む!やっぱりという感じで、ここでも全部は直っていません。仕方ないですね。でも、許しましょう。明日バイトに持って行って、生徒達に見せましょう。抜き刷りについては何も言われてなかったし、この荷に入ってないということは、無しということでしょう。ちょっと残念です。「フィチーノとコペルニクス」という論文があるので平岡君にコピーして送ります。それから、著者割引で購入を申し込んだ5名の方、そのうち5冊ともウチに来るでしょうから、そうしたら改めて連絡いたします。

 

 

  短めな感動的な前書きAllen教授が説明していますが、この論集の元になった999年のロンドンでのフィチーノ没後400年記念の国際会議では、ルネサンスの哲学者をテーマにしたものにしては異例の350名!の聴衆を集めたそうです。僕はまだ、多くてせいぜい100名の聴衆が集まる国際専門者会議にしか参加したことがないので、驚きの数字です。その時の会場の様子など想像だにできません。グローブ座を使ってのフィチーノ・トリビュート演劇記念イヴェントが同時に開催されたというのですから、大掛かりなものだったのでしょう。論集の収録論文の3分の2がその時の発表をもとにしていて、残りの3分の1が僕のように後から招待されたものということです。フィチーノ研究の建設者で今は亡き偉大なるクリステーラーの没年を偶然にもマークする会議から生まれたこの論集の全体の半分が、まだ若い新進気鋭の研究者達のものであることも感慨深く語られています。
  

 
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