New Ficino Lounge

 

フィチーノ研究の新ラウンジ

 

 

 

その6

 

『光について』

 

De lumine (Firenze, 1493)

 

 

 

フィチーノ (Marsilio Ficino, 1433-1499) 晩年の1492年に執筆された小品『光について』は1493年の1月に同じく小品の『太陽について』 De sole とともにフィレンツェで出版されました。ロレンツォ豪華王の息子のピエロに捧げられています。しかしね、美しいですよ。

 

「天空は、いかなる力によっても、いかなる欠如によっても動かされていると思ってはならない。そうではなくて、歓喜の過剰さによって動かされていると理解しなければならない」

 

ですもの。ゴリゴリの天文学史家が聞いたら、地団駄踏んで激抗しそうですが、ケプラーもギルバートも、こういう精神性で宇宙を見ていたことを忘れてはいけません。「天の笑い」という概念は、どうやらダンテから来ているみたいです。フィチーノによると、歓喜の超過により天空が笑うときに出るものが、神的な光なのだそうです。天の笑いに絡んで、有名なケプラーの「天球の音楽」の理論の元になったアイデアが披露されます。曰く、

 

諸天球は、歓喜する神意 numen の歌に合わせて、ピタゴラスの徒が言うように、コロスを形作る。そこから、諸天球は、非常に秩序だって変化に富んだ種々の運動で驚くべき調和 harmonia を奏でているのである。」

 

と、こんな感じです。前半のクライマックスとでも言いましょうか?色彩論あり、学問論あり、倫理論あり、宇宙論ありの非常に不思議な小品です。いや、全くのところ、『ミクロコスモス』の創刊号に相応しい一品です。

 

 

章立て

 

1章 

世界の身体、霊魂、天使、神の中において光とは何か?全ての感覚を通しての前置。

2章 

可視的な光の記述。

3章 

光と神ほど明瞭なものはなく、不明瞭なものはない。

4章 

叡智的な光は叡智的な事物の原因であり、可視光は可視的な実在のそれである。

5章 

可視的な光、理性的な光、叡智的な光、神的な光。

6章 

いかにして可視光から不可視光へと上昇することができるのか?

7章 

神意の喜びに向かって、その眼たる諸星辰は笑い、その輝きと運動で歓喜の身震いをする。

8章 

神意の喜びによって起こされた天の笑い、つまり光は全てを暖め、喜ばせる。

9章 

光は非物体的であり、形相、いやむしろ星辰的な本性の現実態である。全ての物体とは

独立して存在でき、どこにでも、地下にさえ、在り、透明体を付随している。

10章 

光と熱は異なるものであり、光は熱に先んじる。

11章 

光は、照らされたものの性質ではないが、照らすものの現実態である。諸光は混同されない。

光は宇宙の絆である。

12章 

光は神を真似る。諸光と色彩、学術の等級。79という数。

13章 

光は、いわば一種の霊的なものであり、霊はある種の光である。光の霊魂や天使との類似。

14章 

神、天使、理性、精神、身体の中にある光。

15章 

霊魂は光りと呼ばれるが、諸霊魂は唯一の光へと溶け合うことはない。

16章 

光は、いわば可視的な神意であり、神を表し、我々を徐々に道徳と神的なものへと誘導する

17章 

神的な光の下にある幸福なる者と哀れなる者の様子について

 

 

 

 

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