ゼンネルトと隠れた性質・隠れた病気
  


 

 

もともと20176月にベルリンで開催された国際会議『アリストテレス主義とプロテスタント諸大学』で、ゼンネルトの『自然学研究』(1636年)における隠れた性質をめぐる議論の分析をおこないました。この発表内容のうち、後半の神学論争についての部分は、ゼンネルトのキミアについての原稿に流しこみ、201912月にヴォルフェンビュッテルで開催された『錬金術と初期近代の大学』という国際会議で発表し、ひと足先に論文「ゼンネルト、キミア、そして神学論争」として出版しました。この2019年の国際会議とそこから生まれた論文については、こちらをご覧ください。

 

残りの前半にあたる「隠れた性質」についての部分を発展させて、2023年のゴータでの国際会議『ゼンネルトの世界』での発表に流しこむことにしたのです。オカルト質」とも呼ばれる「隠れた性質」は、ニュートン支持者クラークとライプニッツの論争やデカルト主義者たちによる激しい批判によって有名ですが、じつはルネサンス期に熱心に議論された「隠れた病気」という概念と切っても切れない関係にあります。この「隠れた病気」という概念は、パリの医学者フェルネルが提唱したもので、ルネサンス期に大きな論争をまき起こし、ゼンネルトの関連する著作群はフェルネルの議論への反応・批判として読むことができます。

 

 

 

 “Daniel Sennert and the Renaissance Debates on Occult Qualities and Occult Diseases,”

in Anja-Silvia Goeing (ed.), The World of Daniel Sennert, Special Issue, Early Science and Medicine, forthcoming.

「ゼンネルトと隠れた性質・隠れた病気をめぐるルネサンス論争」

特集号『ダニエル・ゼンネルトの世界』に所収予定。

 

イントロ

1. フェルネルと隠れた病気、その星辰的な起源

2. フェルネル以降のルネサンス論争

3. ゼンネルトによる隠れた性質・隠れた病気

4. 驚くべき1610年の討論

むすび

 

Renaissance natural philosophers and physicians engaged in intense debates on occult qualities at the threshold of the Scientific Revolution. Daniel Sennert of Wittenberg played a significant role in these debates through his assiduous research. His efforts were crystalized in two works of his mature period: an inquiry into occult qualities as the second book of his Physical Memoirs (1636); and the massive volume On Occult Diseases (1635). Indeed the Renaissance debates on occult qualities were closely related to those of occult diseases, as both issues were intertwined and fervently advanced by Jean Fernel of Paris. Sennert’s lifelong quest for occult qualities and occult diseases was a critical response to Fernel’s ideas.

「科学革命前夜に、ルネサンス期の自然哲学者や医学者たちは隠れた性質についての激しい論争を展開していた。熱心な研究によって、ヴィッテンベルク大学のダニエル・ゼンネルトは、これらの論争で重要な役割をはたす。彼の努力は、『自然問題集』(1636年)第2書としての隠れた性質についての考察、そして非常に浩瀚な『隠れた病気について』(1635年)という晩年の2つの作品に結実している。なるほどルネサンス期の隠れた性質についての論争は、隠れた病気についての論争と密接に結びついていた。パリの医学者ジャン・フェルネルによって、両問題が交錯したかちで推奨されたからだ。隠れた性質と隠れた病気についてのゼンネルトの生涯にわたる探求は、フェルネルの議論にたいする批判的な応答だったのだ。」

 

 

 

 

 

 

日記での言及

 

2024. 3. 13

隠れた性質」論文の要旨をプルーフ・リーディングしてもらいました。あとは編者の要望にしたがって加筆した4か所ほどをチェックしてもらったら、最終版として提出したいと思います。

 

Renaissance natural philosophers and physicians engaged in intense debates on occult qualities at the threshold of the Scientific Revolution. Daniel Sennert of Wittenberg played a significant role in these debates through his assiduous research. His efforts were crystalized in two works of his mature period: an inquiry into occult qualities as the second book of his Physical Memoirs (1636); and the massive volume On Occult Diseases (1635). Indeed the Renaissance debates on occult qualities were closely related to those of occult diseases, as both issues were intertwined and fervently advanced by Jean Fernel of Paris. Sennert’s lifelong quest for occult qualities and occult diseases was a critical response to Fernel’s ideas.

「科学革命前夜に、ルネサンス期の自然哲学者や医学者たちは隠れた性質についての激しい論争を展開していた。熱心な研究によって、ヴィッテンベルク大学のダニエル・ゼンネルトは、これらの論争で重要な役割をはたす。彼の努力は、『自然問題集』(1636年)第2書としての隠れた性質についての考察、そして非常に浩瀚な『隠れた病気について』(1635年)という晩年の2つの作品に結実している。なるほどルネサンス期の隠れた性質についての論争は、隠れた病気についての論争と密接に結びついていた。パリの医学者ジャン・フェルネルによって、両問題が交錯したかちで推奨されたからだ。隠れた性質と隠れた病気についてのゼンネルトの生涯にわたる探求は、フェルネルの議論にたいする批判的な応答だったのだ。」

 

 

2024. 3. 11

編者のコメントを勘案して、「隠れた性質」論文を微調整しました。案外すぐにできました。あとで読み直して、チェックしてもらいます。

 

 

2024. 3. 7

おそるおそる昨日もどってきたファイルを開けてみたら、メールとほぼ同じことが記されているだけでした。要旨キーワード、イントロの末尾を補強、もう一言を結論に、という感じの微調整で済みそうです。1週間もかからないでしょう。ふう。

 

とりあえず、要旨を考えてみました。少し寝かせてから見直します。

 

 

2024. 3. 6

今年1月末に提出した新作論考「ゼンネルトと隠れた性質・隠れた病気についてのルネサンス論争」が、ゼンネルト特集号の編者アーニャから帰ってきました。お世辞でしょうが、素晴らしいと褒められました。僕としては、フェルネルに大きな紙幅を割いている点に文句がつくかと心配していたのですが、どうやら大幅な修正は必要ないと思われます。明日にでも細かい部分を確認します。

 

 

2024. 2. 7

隠れた性質論争をめぐる原稿の受けとりの連絡が来ないので、こちらから聞いたら秒速で返事がきました。申し訳ないと思ったのでしょうね。10日後くらいにもう一度連絡するといってきました。

 

 

2024. 1. 31

ついに締切となったので、新作論文「ゼンネルトと隠れた性質・隠れた病気をめぐるルネサンス論争“Daniel Sennert and the Renaissance Debates on Occult Qualities and Occult Diseases” の原稿を編者のアーニャに提出しました。まだ粗削りのところもあるのですが、時間内での最善はつくせたと思いますので、あとは反応を待ちます。

 

 

2024. 1. 27

ほぼできた原稿を予定どおりプルーフ・リーディングしてもらって完成しました。あと1回ほど読みなおして、編者に提出したいと思います。

 

 

2024. 1. 26

さらに推敲をかさねます。残り時間もないですし、これでほぼ完成という段階に到達しました。週末にプルーフ・リーディングをしてもらい、週明けには提出したいと思います。

 

 

2024. 1. 25

今日もひたすら推敲をかさねます。

 

 

2024. 1. 24

今日はひらすら推敲して、なんとなく言いまわしが滑らかでない箇所や同じ単語のくり返し、表記の不統一を洗いだしました。Girolamo Girolamu になっているような凡ミスがあります。なんど見直しても、新しいものが見出せます。モグラたたきです。

 

 

2024. 1. 23

今回は深いところには入っていけず、マッピングに終始しているのですが、なんとか完成が見えてきました。当初の115日には間に合いませんでしたが、月末に延びた締切には間に合いそうです。題して、「ダニエル・ゼンネルトと、隠れた性質・隠れた病気をめぐるルネサンス論争“Daniel Sennert and the Renaissance Debates on Occult Qualities and Occult Diseases” です。

 

 

2024. 1. 22

イントロ2もほぼできました。ただ大事なミーティングが8からあることを、すっかり忘れていました。皆さん、申し訳ありません。

 

 

2024. 1. 21

フェルネルをあつかう2も、だいたいカタチになりました。明日は、イントロの作業をします。

 

 

2024. 1. 20

橋渡しとなるブリッジ的な3もだいぶカタチになってきました。明日はフェルネルをあつかう第2節に向かえそうです。

 

 

2024. 1. 19

だいぶゼンネルトの部分はカタチになったので、短めの第3節のフェルネル以後の部分を作業しています。

 

 

2024. 1. 17

大雪となりました。昨日考えた追加節の執筆をつづけています。

 

 

2024. 1. 16

またまた今日も原稿の執筆に専念しています。第5節として、disputatio の分析を加えることにしました。

 

 

2024. 1. 15

ともかく原稿の執筆に専念しています。

 

 

2024. 1. 12

ゼンネルトの初期の作品は、1620年前後2がだされていることが多いのですが、どうも僕の使いたいテクストは初版2でだいぶ違うことに気がつきました。つまり隠れた性質隠れた病気について、1620年前後に大幅に加筆しているのです。『医学の基礎』Institutiones medicinae 1611年)や『自然科学の概要』Epitome naturalis scientiae 1618年)などの主要な著作は、両者を見比べながら進まないといけないと思います。

 

 

2024. 1. 11

昨年6月にドイツのゴータで、ゼンネルトをめぐる国際会議が開催され、そこで隠れた性質隠れた病気について招待発表をしました。その原稿を論文化する作業をはじめています。前段のフェルネルの部分よりも後半のゼンネルトの部分が長くならないと不味いわけですが、なかなか苦戦しています。

 

 

2024. 1. 3

ゴータでの国際会議から生まれるゼンネルト論集の締切115ということで、もうちょっと時間に余裕があったら良いなと思っていたら、編者から1月末に変更という連絡がありました。これは予期しなかったボタモチですね。

 

 

 

 

ゴータでの国際会議(2023年)から半年が経過

 

2023. 6. 11

10時半のフライトでフランクフルトからニューヨークまで飛び、そこから電車で家路につきました。今日は大陸間移動で終わりです。

 

 

2023. 6. 10

今日は、ビルとチャドと一緒にレンタカーでフランクフルトに向かいました。9時に出発して、途中にあるオープンパークという野外にある民俗博物館を見学して、そこでお昼を食べ、そのあとはフランクフルト市内のゲーテの家や市庁舎を冷やかして、マルクト広場ビールを飲みながらおしゃべりしました。

 

空港ホテルまで送ってもらって、ふたりに別れを告げました。空港ホテルは周りになにもありませんが、歩いてターミナルまでいける距離にあるもので、2019年冬に使ったことがあるハンプトンです。

 

 

2023. 6. 9

二日目は、ゼンネルトの著作の各国語による翻訳翻案、ゼンネルトの学生たち、そしてゼンネルトも大きく関わっている初期近代における「討論 disputatio/ dissertatio についての発表など多彩なもので、とても面白かったです。個人的には、25年以上もゼンネルトのテクストに関わっていることになりますが、たくさん知らないことを学びました。

 

 

2023. 6. 8

9時から国際会議の一日目がはじまりました。僕は午前中のセッションの3番目に発表をしました。なかなか良い反応をもらいました。しかしそれまでの疲労がどっと出たのか、発表後にバッファリンを飲みました。それが効いたのか、ディナーの時間もなんとか乗りきれました。

 

 

2023. 6. 7

午前中のセッションに参加し、会場で昼食を食べたあとに、チャド(グノエ)の運転でビル(ニューマン)と便乗して、フランスのストラスブールから一路ドイツのゴータをめざしました。フランクフルト付近では渋滞がかなりあり、現地の宿舎に到着したのは22近くになっていました。ながい一日でした。旧東ドイツに入ったとたんに、高速道路が非常に良くなるのには驚きました。やはりドイツ統一後、東側のインフラ整備にかなりの資金が集中的に投入されたようです。

 

予定の5時間半を大幅に超過して、約8時間かかってゴータの宿舎に到着しました。クタクタです。

 

 

2023. 6. 5

8時半にパリの北駅近くの宿舎をチェック・アウトして、はじめてとなるパリ東駅に向かいました。徒歩で10分かかりません。北駅よりも小さくみえますが、良い印象をもちました。TGV2時間ほど乗って、正午にストラスブール駅に到着し、待ちあわせしていたディディエとジャン・マルク、アマデオ君と合流して現地の宿舎に向かいました。

 

15時からしかチェックインできないということなので、荷物を預けて、皆で昼食をとってから大学までトラムに乗りました。なかなか快適な新型のトラムです。午後のセッションからスタートですが、15時から3本の発表がありました。

 

 

2023. 6. 4

コロナ禍をはさんで、ほぼ5年ぶりのパリのクリストフ宅を訪問し、つもる話に花を咲かせました。クリストフも元気そうです。

 

 

2023. 6. 3

旅行カバンの準備もほぼ完了し、飛行機のチェックインも済ませました。15時半の電車で空港に向かいます。

 

 

2023. 6. 2

明日の午後にフランスとドイツのダブル遠征に出発するので、今日は旅行カバンの準備をします。まずは現地の気候を確認したいと思います。

 

 

2023. 5. 30

 次号のメルマガの原稿をドロップしました。今回は、6月上旬にドイツのゴータで開催されるゼンネルト国際会議で発表する原稿「ゼンネルトと隠れた性質・隠れた病気についてのルネサンス論争」の邦訳版です。お楽しみに!

 

 

2023. 5. 27

この週末のあいだに、つぎのメルマガの原稿を準備します。今回は、来月のドイツで開催される国際会議で発表する新作「ゼンネルトと隠れた性質と隠れた病気についてのルネサンス論争」を邦訳しようと思っています。

 

 

2023. 5. 22

2本の発表原稿をプルーフ・リーディングに回しました。今日は、ちょっと一息つけます。なにか忘れたことはないか、確認しています。遠征で通過するパリフランクフルトの宿舎を予約しました。

 

 

2023. 5. 18

昨日の作業のつづきとして、パラケルスス論推敲を進めつつ加筆しました。いま3200です。あとは週末にビルウルスの新しい論文を読んで、彼らの議論との重複がないことを確認したいと思います。つぎは寝かせてあったゼンネルト論の推敲にもどりたいと思います。

 

 

2023. 5. 11

推敲しながら枝葉末節を削っていたら、ほぼ3200となりました。45の持ち時間ですから、発表に30と質疑に15としても、これくらいで良いのではないでしょうか。ここで寝かせて、あとで推敲をつづけます。ふう。つぎはストラスブールでのパラケルスス会議のための原稿を準備しないといけません。

 

 

2023. 5. 10

作業を継続していますが、だいぶカタチになってきました。

 

 

2023. 5. 9

ドイツの国際会議で発表する原稿「ゼンネルトと隠れた性質論争」の作業をつづけています。

 

 

2023. 5. 8

電車で2時間ほどのところに雑用ででかけます。ということで、今日はゼンネルトについての作業はできません。

 

ドイツ遠征での発表ですが、話の流れは固まってきたので以下に書いておきます。発表のタイトルは「ゼンネルトと隠れた性質・隠れた病気についてのルネサンス論争“Daniel Sennert and Renaissance Debates on Occult Qualities and Occult Diseases” というもので、以下のような構成になります。

 

1. イントロ ー 隠れた性質、言葉の定義とルネサンス期の状況

2. フェルネル ー 理論の流れと注目点・問題点

3. フェルネル以後 ―― どんな人物がどんな著作を書いたのか

4. ゼンネルト ー 著作群のなかで取扱い、おもな論旨

 

口頭発表では、「隠れた」(occultus)という言葉で、聴衆がそれぞれ勝手なことを想像してしまいがちなので、冒頭でしっかり定義しないといけないでしょう。ちなみに邦語では、中西さんとの対談ラジオなどで何度もいっているとおり、なんの説明もなく「オカルト」とカタカナで表記するのは、混乱のもとですから避けるべきだと思います。

 

 

2023. 5. 7

今日はスローな動きでいきます。といっても、ずっと頭のなかはゼンネルトのことで一杯なのですが。

 

 

2023. 5. 6

ゼンネルトの医学的な著作群における隠れた性質についての議論をマッピングし、フェルネルとのあいだに介在する著者と著作を幾つかチェックして、最後に昨日まとめたフェルネルの分析から必要なところを流しこみました。まだフェルネルの分量が多いので、枝葉末節を切りおとして圧縮しないといけません。あとはゼンネルトの議論の要点をくわえれば良いかなと思います。残りの時間的に無理なので、それ以上の踏みこんだ議論は諦めたいと思います。

 

 

2023. 5. 5

今日の作業で、なんとかフェルネルのテクストを読み終えました。なかなか面白い議論で、やっぱり僕はフェルネルが大好きだなと確認しました。つづいて、明日はゼンネルトにテクストの分析に移りたいと思います。

 

 

2023. 5. 4

昨日に引きつづき、隠れた性質についてのフェルネルの議論を追いながら考えをまとめています。二日の作業で300頁のうちの200頁くらいまできました。なんとか明日には終えることができるかも知れません。

 

 

2023. 5. 3

ドイツの国際会議での発表のために、ゼンネルトの議論の前提を提起したフェルネルの考えを分析することから開始しています。

 

 

2023. 5. 1

月も改まったので、そろそろ本気を出してフランスとドイツのダブル遠征に向けて集中したいと思います。

 

 

2023. 3. 3

今年6月にドイツの都市ゴタで、ゼンネルトについての大型の国際会議が開催されます。そこでの発表のための構想を練っています。この時間は楽しいですよ。フラカストロフェルネルにおける隠れた性質の考え、そして彼らの議論にガレノス偽アレクサンドロスが与えた影響についての分析からはじめて、エラストゥスに眼を配りつつ、ゼンネルトに入っていく流れを考えています。3部構成ですが、全体を3等分にするか、ゼンネルトにより紙幅を割くかたちになるかと思います。

 

 

2023. 2. 7

6月にドイツのゴータで開催されるゼンネルトについての国際会議の準備が進んでいるようで、今日は論題要旨についての問いあわせがありました。実際の作業は3月以降にはじめるので、いまの段階では以前に提出したものから変更なしと返事しました。

 

 

2023. 1. 25

ゼンネルトについての国際会議が、68日(木)と9日(金)にドイツのゴータで開催される予定です。今日は、その仮プログラムがきました。僕の発表は初日午前中に組まれています。ということは、同週にストラスブールで開催されるパラケルススについての国際会議は、水曜日を移動日としても火曜だけしか参加できません。やりくりが、なかなか難しいですね。

 

 

2022. 3. 6

あのアン・ブレアが主催者のひとりとなっている、ゼンネルトについての国際会議に招待されました。20236に開催の予定だそうです。良い機会ですので、オカルト質について議論しようかなと思っています。

 

 

 

 

ベルリンでの国際会議(2017年)からコロナ禍をふくめ5年が経過

 

2017. 6. 27

  素晴らしかったベルリン会議のポスト・フェステム状態にあるようで、あと1週間のワシントン滞在もそれ以前と同じくらいの気合を入れてというわけにはいかない感じです。まあ、やり残しのないようにいきたいと思います。

 

 

2017. 6. 24

  ベルリンからの移動はスムーズで、20時前にはワシントンに戻ってきました。宿舎を出たのは8時ですから、12時間と時差の6時間をあわせて18時間かかったことになります。

 

  久しぶりに国際的な専門家会議に参加して、非常に有意義な時間を過ごすことができて、とても満足しています。若手が育ってきているのを見るのも、とても頼もしい気がしました。前回のイタリアでの国際会議は、自分が共催者だったので、いろいろと運営の心配がありましたが、今回はお任せなので、自分の発表や質疑などに集中できたので気分は楽でした。発表の準備のための、この3カ月間の研究においても、自分も驚くような刺激的な展開を観察できたので嬉しく思っています。

 

 

2017. 6. 23

  最終日となる3日目は、自然哲学についてとネットワークについてのセッションがあります。最初の発表は、非常に早口なアン(オイアーシュルテ)によるヘルムシュテット大学におけるアリストテレス主義とジョルダーノ・ブルーノについてのものでした。

 

  2本目はジョナサン(レギエ)による、悪魔についての医学的な議論をみていくものでした。新しい研究ということで準備不足なところも感じられましたが、非常にオリジナルな視点をもつもので発表後もたくさんの質問をうけていました。

 

  3本目は、初期近代の友人アルバムについての発表でした。ガリレオロバート・フラッドに会ったドイツ人学生の友人アルバムを例に話をすすめていました。

 

  午後の1本目は、ドイツのアカデミーにおけるアリストテレスの扱いについてのシモン(レボン)による発表でした。そして最後は、フランスのアカデミーにおけるデカルト主義者たちの自然と技芸の扱いについてのマルティン(ウルマン)による発表でした。最後のものは、プロテスタント諸大学とどういう関係があるのか分からないので質問したら、直接的な関係はないという解答でした。

 

 

2017. 6. 22

  国際会議の2日目です。最初の発表は、主催者のピエトロ(オモデオ)によるコペルニクスにたいするメランヒトンの態度についてでした。つづいて2本目は、ユトレヒトで開催した占星術についての国際会議でも発表してくれたアンナ(ヤラッチ)による初期近代ドイツにおける彗星の解釈について、科学神学の関係をあつかいました。まだ博論を終えようとしている段階ですが、あいかわらずナイスな発表でした。3本目はバルセロナのミグエル(グラナダ)によるケッカーマンについての発表でした。

 

  午後の1本目は、ブルース(モラン)によるリバヴィウスのキミアについての発表でした。なかなか感動的な書きっぷりです。そしてそのままスムーズに、エリザベトのリバヴィウスについての発表へとつながっていきました。

 

  コーヒー・ブレイクのあとは、今日最後のセッションです。まずは僕の発表でした。たくさんの人物が登場するので、話の展開が難しかったかもしれませんが、質疑が30もあるおかげでいろいろ質問してもらえました。最後の発表は、ベルント(ローリング)によるスウェーデンで活躍したドイツ人パラケルスス主義者についての発表でした。

 

2日目のディナーは、近場のビア・ガーデンにいきました。最後は夕立がきそうになり、お開きとなりました。宿舎に戻ったのは22時くらいでしょうか、時差ボケの影響もあり、そのまま眠りにつきました。

 

 

2017. 6. 21

  昨晩は22に宿舎に帰ってきて、そのまま8まで眠りました。エミーさんからのメールに返事を書いたあとに朝食を食べて今にいたります。この宿舎は12がチェック・アウトにようで、ゆっくりできます。このあと会議の参加者の泊まる宿舎に移動します。そして会議は15時からスタートします。> 宿舎はかなり立派なもので、ビックリしました。部屋のなかから edurom につながります。

 

  最初は主催者の一人フォルクハード(ヴェリス)によるリバヴィウスとメランヒトン主義の関係についての発表でした。つづいて、ドイツのメランヒトン研究の権威グンタウ(フランク)によるメランヒトンの自然神学についての発表でした。最後のバルバラ(マールマン=バウアー)による占星術についての発表は、30分のところ75!も延々と話すとんでもないものでした。ドイツはすごいですね。

 

 

2017. 6. 20

  最初のアイスランド行きの飛行機は、最初の2時間くらいぐっすり眠りましたが、残りの4時間はまったく眠れませんでした。トランジットは1時間でしたが、最初の便が遅れたので急ぎ足で乗りかえ、なんとか間にあいました。ベルリンまでのフライトでは、後半だけ眠ることができました。空港は、これまで使ったことのないところですが、地下鉄の乗り換えも無難にこなして、14には最初の宿舎にチェックインしました。明日以降は、ベルリン自由大学の専用宿舎に移動します。今夜は、オキ君エリザベト18時に合流して一緒に夕飯を食べる予定です。

 

 

2017. 6. 19

  さあ、今日はベルリンに向けて出発します。15の電車で空港に向かい、18時半のフライトに乗ります。6時間後にアイスランドで乗りかえて、ベルリンまで4時間です。現地時間で火曜日の11時半に到着する予定です。> 無事に空港についてチェックインできました。フライトまで1時間半ほどあります。

 

 

2017. 6. 18

  今日は、ベルリン遠征のための旅行カバンを準備しています。忘れ物をしないようにしたいと思います。

 

 

2017. 6. 17

  ベルリンでの発表のためのパワポを作成しました。現地に入ってからは、時差ボケとの戦いもあるでしょうから、避けたいところです。でも、これで安心です。そういえば、アメリカからヨーロッパに遠征するのは、今回がはじめてなのです。

 

 

2017. 6. 16

  月曜日にベルリンに向けて出発する前に、今日は図書館で最後の作業をします。> 期待していた成果はありませんでした。歴史学の研究は、トライアル&エラーのくり返しだなと自分なりに納得しました。

 

 

2017. 6. 15

  昼前に郊外にある医学図書館に、『オランダ医学者辞典  G. A. Lindeboom (ed.), Dutch Medical Biography (Amsterdam, 1984) を閲覧しにいきました。残念ながら、この辞典は基本的にオランダで生まれた人物しかとりこんでいないので、初期近代には多かったオランダで活躍したドイツ人はほとんどひろっていないようです。フライターグの生徒たちについては、収穫はほとんどありませんでした。まあ、記述がないことを確認したことに意義があるかもしれません。

 

  つづいて午後は、注文した本が届いたという連絡をうけて国会図書館へいきましたが、僕が欲しかった第1巻だけはなぜか到着していませんでした。所蔵してないようです。しかたなく、他所を探していると、なんとフォルジャーに第1巻のリプリントがあることが判明しました。灯台もと暗しとは、まさにこのことです!

 

 

2017. 6. 14

  いろいろ調べても、どうも正体不明なポーランド出身の人物について、ダメもとで友人のラファルに聞いてみたら、ドンピシャで彼が自宅にもっている超レア史料のなかに知りたいデータが含まれていました。ダメもとってスゴイですね。どうやら、この人物は有名なハートリブと数年違いで同じギムナジウム(中高等学校)に通ったようです。

 

  夕方には、さらに一歩進めて、この謎の人物が言及しているユダヤ人のラビ師について調べました。じつは13世紀に南仏で活躍したラダクという名で有名ならしいダビデ・キムキ(あるいはキムヒ)で、ネット上にテクストがアップされていました。

 

 

2017. 6. 13

  ベルリンから宿の知らせと最終プログラムが送られてきました。僕の方は、もう一日だけ発表原稿の推敲に専念します。

 

  まだ不十分なところもあるのですが、医学の議論からはじまって、これまで触れられてこなかった背景を描きだし、後半で旧約聖書の解釈をめぐる神学論争になだれ込むという展開になりました。国際会議のオーディエンスは科学史・医学史の専門家ではないでしょうから、あまり理論的なものに深入りしないで、議論が分野を横断していく様子を描けているので、それなりに良いのではないかと思っています。

 

  古代ギリシアの医学者ガレノスは、磁石毒薬などなかなか説明するのが難しい事物の働きについて、「実体全体substantia tota という概念(確固としたアイデアをもっていたかは不明)をもちだします。この概念を説明するためにアヴィセンナは、「種の形相forma specifica というアイデアを案出します。おもに薬学の文脈でつかわれますが、ラテン中世ではこの考えがスコラ学の文脈で有名な実体形相の概念と交錯しつつ展開していったと考えられています。それにたいして自然界と医学における「神的なもの」(四元素では説明のつかないもの)を探求していたルネサンス期の医学者フェルネルは、むしろガレノスのいっていることに戻ろうとします。フェルネルの議論をうけて、話を展開するのがゼンネルトなのです。

 

 

2017. 6. 12

  ベルリン国際会議のための発表原稿は、枝葉をけずって3000まで落としました。まだ30を超えてしまうかも知れませんが、もう少し推敲して滑らかにすれば良いのではないかと思います。

 

  この話は、「実体全体substantia tota という概念が肝となります。もともとガレノスがおもに薬学でほのめかすものなのですが、彼自身は十分に説明しなかったようです。それでフェルネルをはじめとする後代の人々は、これがいったい何なのかと議論を展開したのです。ゼンネルトのテクストは、この文脈において理解する必要があります。そうしないと、いっていることの半分も理解できないでしょう。

 

 

2017. 6. 8

  昨日のイントロにつづいて、書いていた論文から発表の本体となる部分をとりこんでみました。これで、結論部まであわせると全体で3500です。まだ30分には多すぎます。聞いただけでは分かりにくい、要らない枝葉を削っていって、3000以下まで落としたいと思います。あと数日あれば、なんとかなると思います。

 

 

2017. 6. 7

  ベルリン会議での発表原稿のために、イントロのタタキ台を書いてみました。

 

 

2017. 6. 6

  そろそろ論文の本体から離れて、ベルリン会議発表原稿を書きはじめたいと思います。今回は、まずイントロをやってみたいと思っています。> まだ分析しないといけないテクストが、すこし残っていることに気がつきました。

 

 

2017. 6. 5

  今日は書類づくりと、ベルリン遠征に必要なもののチェックなどをしていました。

 

 

2017. 6. 4

   ベルリンでの発表のために、オカルト質についての基礎文献 「科学革命期にオカルト質に何が起きたのか?Keith Hutchison, “What Happened to Occult Qualities in the Scientific Revolution?” Isis 73 (1982), 233-53 という論文を読みなおしました。17世紀についての分析には意味があるのですが、やはり何かが違うという考えを強くすることになりました。

 

 

2017. 6. 2

   午後はゼンネルトの哲学的遺書につけられた序文をゆっくりと読んでいます。フライターグとの論争の次第が、だんだんと分かってきました。ベルリン会議までの残り時間でどこまでいけるか、やってみます。

 

 

2017. 5. 31

  今日はゼンネルトフライターグの論争の発端となった部分を、ゼンネルトの証言から読みはじめました。16世紀末から17世紀の前半において、オカルト質についての論争が、なぜこれほどまでに盛りあがるのか、その意味がなんとなく見えてきました。われながら、ちょっと興奮しています。おそらく、これまでの研究はこの点を捉えてこなかったのではないでしょうか?もうちょっと考えがまとまってきたら、この点とはなにかについて、ここにも書こうと思います。

 

 

2017. 5. 30

   この週末はがんばったので、神学論争についての最後のセクションと、全体のイントロをつければ、ゼンネルトについての論文のタタキ台が完成というところまできました。もちろんこれでは30の発表には長いので、このあと短いヴァージョンをつくります。

 

 

2017. 5. 28

  今日も、ゼンネルト4章のテクストうちの12の部分で、枝葉末節を削りつつ議論の流れを整理しました。最後に、今回の目玉となる神学的な議論の部分も書きはじめました。

 

  ガレノスの薬学における「実体全体 substantia tota から出る諸力の理論について、なにか良い研究はないのかなと探しています。まずはコーペンヘイヴァの議論からおさらいをします。とくに新著の内容のチェックを忘れてはいけません。> 読みはじめてみると、彼がこれまで出してきた一連の論文群を再録して、1冊にまとめたものだということが見えてきました。各章は読みやすくなっているし、いろいろ細部の微調整はしたのでしょう。これからは、こちらを使う方が便利かもしれません。

 

 

2017. 5. 27

  ワシントンにきてから早くも2か月が経過しようとしていますが、やっとのことで、なんとなくゼンネルトの議論のツボが見えてきた気がします。今回はすごく時間がかかっています。ベルリン会議まであと3週間となり、ちょっと焦ってますが、もうちょっと見えてきたところで、発表用に30分ヴァージョンを切りだそうと思います。

 

 

2017. 5. 13

HAB には所蔵のマイクロフィッシュから画像ファイルをつくるサーヴィスがあることを、オキ君から教えてもらいました。1ショットで50セントなので、50ショットで25ユーロといったところ。それを試してみることにします。普通のスピードで4週間ほどだそうです。

 

 

2017. 5. 12

  いろいろな方面を探しているのですが、どうしても確認できていない2点は、ドイツの HAB にしかみつかりません。おそらく二つがセットで印刷されたのではないかと想像しています。

 

Johannes Freitag, Disputatio medico-philosophica prior de principiis rerum naturalium (Groningen, 1633)*

 

Johannes Freitag, Disputatio medico-philosophica posterior de principiis rerum naturalium (Groningen, 1633)*

 

 

2017. 5. 11

  もともとフライターグは、キミア自体を評価しています。彼の批判は、セヴェリヌスによるパラケルススの解釈、そしてそれをうけついだと彼が見ているゼンネルトです。最初の学生の討論は、まだ穏やかなものですが、二人目・三人目からはタイトルからしてすでに攻撃性をましています。

 

 

2017. 5. 10

  日記の記述が一日遅れています。今日は大雨だったので、家で作業することにしました。

 

  フライターグの著作をいろいろ調べています。データが錯綜していましたが、だいぶ分かってきました。なかでも * をつけたものは彼の学生による討論で、体系的にゼンネルトの批判をおこなわせています。最後のアイテムは、一連の作業の集大成といえるもので、6名の学生の討論をおさめています。図書館のカタログではフライターグの名前で登録されているので、なかなか分かりづらいものでした。最初の3点については内容をおいましたが、残りの2点についてはどうしても電子版が入手できません。

                         

- Noctes medicae, sive de abusu medici tractatus (Frankfurt, 1616)

 

- Aurora medicorum Galeno-chymicroum, seu de resta purgandi methodo e priscae sapientiae decretis postliminio in lucem reducta, et medicamentis purgantibus… tam veterum quam neotericorum et chymistarorum (Frankfurt, 1630)

 

(Conrad Walther) Disputatio medica, calidi innati essentiam juxta veteris medicinae et philosophiae decreta explicans, opposita neotericorum et novatorum paradoxis (Groningen, 1632)*

             

(Jacob Martin) Disputatio medica de morbis substantiae et cognatis quaestionibus contra hujus tempestatis novatores et paradoxologos (Groningen, 1632)*

             

(Heinrich Welman) Disputatio medico-philosophica de formarum origine quam adversus venerandae antiquitati repugnantem neotericorum doctrinam (Groningen, 1633)*

             

(Wilhelm Heinrich Cras) Disputatio medico-philosophica prior de principiis rerum naturalium (Groningen, 1633)*

 

(Jacob Martin) Disputatio medico-philosophica posterior de principiis rerum naturalium (Groningen, 1633)*

 

- Novae sectae Sennerto-Paracelsicae recens in philosophia et medicinam introductae (Amsterdam, 1637)*

 

 

2017. 5. 9

  なぜピエール・ベールの記念碑的な 『歴史批評辞典』 (有名な第5版は1740年)にゼンネルトについての記事があるのか、むかしから不思議に思っていました。まあ、彼が17世紀の科学・医学におおきな影響を放っていたのはたしかです。でも、それは近年になって再確認されたことで、それだけではない気がします。神学論争に巻きこまれたからというのも、考えられます。でも、そういう人物なら沢山いるはずです。

 

  感知できないオカルト性質についてのゼンネルトのテクストを読んでいるうちに、ふといつの間にか旧約聖書の『創世記』にあるヘブライ語をめぐる議論に引っかかり、昨日から今日にかけてずっと彼を批判したフライターグの論争書を検討していました。この本は6部構成ですが、彼の監修のもとに別々の人物が執筆しているようです。彼の友人や生徒ということだと思います。そのなかの一人はゼンネルトの『創世記』の解釈を問題にしていますが、カトリックプロテスタントの両方のソースを使いながら神学的に踏みこんだ議論をしています。なるほど、これに応答するかたちで、ゼンネルトは聖書のヘブライ語をめぐる解釈に踏みこんでいくのですね。少しだけ話が見えてきました。まだ継時的な問題など、わからない部分はいろいろあります。

 

 

2017. 5. 7

  昨日の議論の場所は、ゼンネルトの他の著作でも再利用されていることが分かりました。この著作というのは、どうやら生前には発表されなかったもので、持論を容認してくれる各地の新教派の神学校から送られた手紙群から構成されています。とくに僕の気になる部分は、『創世記』のヘブライ語の解釈についての議論です。

 

  17世紀初頭のドイツで動物の発生について議論している医学者が、言いがかりをつけられたことから、持論を正当化するために旧約聖書のヘブライ語の解釈をはじめるなんて、なんだか 『テクストの擁護者たち』 のなかで見かけたような展開になってきました。僕にとっては超絶に面白いのですが、問題はこれをどうやって面白味が分かるように他の人にむかって語るかです。

 

 

2017. 5. 6

  昨日にひきつづき、関連する部分に言及されている神学者のユニウスについて、いろいろ調べています。けっこう多作家ですが、旧約聖書の研究家で『創世記』の注解をいくつか書いています。どうやらそのうちのひとつが、ゼンネルトのソースのようです。> 苦労のすえに引用箇所をなんとか同定できました。

 

 

2017. 5. 5

  いまの作業をはじめて1ヶ月たちますが、やっとのことでエンジンがかかってきています。とくに今日の午後は、なんだか良くわからない部分にひっかかっていました。ゼンネルトには珍しく、旧約聖書にでてくるヘブライ語についての解釈を議論するくだりがあるのです。気にしなければ、パッと過ぎていってしまうような部分ですが、なんだか気になります。

 

 

2017. 4. 28

  いまフォルジャーの図書館では、6月のベルリン会議の仕込みをしています。ゼンネルトの哲学的な「遺書」からオカルト質についてのテクストを打ち込んで整理しています。あと1〜2日分の作業でラフな編集はできあがると思います。彼の議論をとおして、16世紀の議論をふり返ることができるでしょう。フェルネルフラカストロのほかに、どのような人物たちが俎上にあがるでしょうか?

 

 

2017. 3. 27

  今年の6月末のベルリン会議ですが、どうも雲行きが怪しくなってきました。事務方から2000ユーロまで出すというメールが来たので驚いて調べてみたら、ワシントンからベルリンに向かうフライトは非常に高くなっているようです。これは、なかなか大変ですね。

 

 

2017. 2. 6

  6月末にベルリンで開催される国際会議 『プロテスタントのアリストテレスProtestant Aristotle のための発表タイトルを聞かれました。どうしましょう?ゼンネルトのオカルト質についての議論を分析することにしているのですが、タイトルはまだ考えていませんでした。「ゼンネルト、オカルト質とルネサンス自然哲学“Daniel Sennert, Occult Qualities and Renaissance Natural Philosophy” あたりですかね?

 

 

2016. 12. 1

  プロテスタント諸大学におけるアリストテレス主義についての国際会議が、621-23にベルリンで開催されます。僕も招待されていて、ゼンネルトにおけるオカルト質について発表するつもりでいますが、要旨を年末までに送って欲しいという連絡が来ました。

 

 

2016. 7. 17

  ベルリンでの最初の国際会議は、オカルト因についてのゼンネルトの議論をみてみたいと思っています。前提となるフラカストロフェルネルの議論からスタートしますが、これについては彼らのソースをみつけてあります。90年代につづけて発表された一連の論文によって開拓された問題ですが、その後は足踏みに近いと思っています。

 

 

2016. 7. 16

  昨日ここに書いたベルリンでの国際会議の主催者ピエトロは、今年になって国際論集 『ダンカン・リデル:博学のネットワークと北方ルネサンスPietro Daniel Omodeo (ed.), Duncan Liddel (1561-1613): Networks of Polymathy and the Northern European Renaissance (Brill, 2016) を出しているのですよね。よくこんなにオブスキュアな人物について本を出したなと。そういう僕もこうした人々が好きなので、他人のことはいえませんが。

 

  すでに招待を受け入れた人のリストに、ユトレヒトでの占星術会議に参加してくれ、サンフランシスコの占星術パネルでも発表してくれたアンナの名前もみつけました。会議の口上にはリバヴィウスの名前も出ているのを幸いに、ピエトロにはエリザベスを推薦しました。

 

 

2016. 7. 15

  来年6月にベルリンで、『初期近代プロテスタント圏における学知』と題された国際会議が開催されるようですが、そこでの発表を依頼されました。メランヒトンによる知の改革のインパクトを天文学から医学数学から錬金術・キミアまで見るという、かなり大がかりな(あるいは取り留めもない)スコープです。受けるか、どうかじっくり考えたいと思います。

 

 

 

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