ゼンネルト、キミア、そして神学論争
  


 

 

201911月にドイツの田舎町ヴォルフェンビュッテルにあるヘルツォーク・アウグスト図書館で、国際会議『錬金術と初期近代の諸大学』が開催されました。この国際会議に招待されて、「ゼンネルト、キミア、そして神学論争」という新作を発表しました。国際会議をもとにした学術雑誌 Ambix の特集号が、20218月に出版される予定です。ここでは、国際会議に招待されたところから論文の執筆、そして特集号の出版までを記録します。

 

 

 “Daniel Sennert, Chymistry and Theological Debates,”

in Ute Frietsch (ed.), Alchemy and Early Modern Universities, Special Issue, Ambix 68 (2021), forthcoming.

「ゼンネルト、キミア、そして神学論争」

特集号『錬金術と初期近代の諸大学』に所収予定。

 

Daniel Sennert (1572–1637) of Wittenberg is known as one of the earliest university professors of medicine, who advanced the study of “chymistry” (alchemy/chemistry) through his influential writings. This article first explores his treatise On the Agreement and Disagreement of the Chymists with the Aristotelians and the Galenists (Wittenberg, 1619) so as to understand his view of chymistry in its detailed historical and intellectual context. Following that is a brief analysis of some theological aspects of the polemic in which Sennert was involved. While criticizing the Paracelsians, Sennert adopted their idea of the three principles (Salt, Sulphur and Mercury) and placed their origin in the Creation of the world. It is exactly for this reason that Johannes Freitag (1581–1641) of Groningen and his students tried to associate Sennert with the Paracelsians and denounced them as heretics. The interpretation of the Biblical Creation story thus occupied an important place in this polemic. Among Freitag’s students, Jacobus Homodaeus (1612–1693) of Elbing excelled for his unusually wide knowledge of theological sources not only Christian (both Catholic and Protestant) but also Jewish.

 

ヴィッテンブルクのダニエル・ゼンネルト(1572–1637)は、影響力ある著作によって「キミア」(錬金術・化学)の研究を推進した最初期の医学教授として知られている。本論考は、まず彼の著作『キミストたちとアリストテレス主義者やガレノス主義者たちとの一致と不一致について』(ヴィッテンベルク、1619年)を分析して、詳細な歴史的・知的な背景のもとに彼のキミアについての見解を考察する。つづいて、ゼンネルトが巻きこまれた論争の神学的な次元についての短い分析をおこなう。パラケルスス主義者たちを批判しつつも、ゼンネルトは彼らの三原質(水銀・硫黄・塩)の考えを受容し、その起源を神による天地創造においた。まさにこの理由によって、グローニンゲン大学のヨハネス・フライターグ(1581–1641)と弟子たちは、ゼンネルトをパラケルスス主義者たちと結びつけて異端視した。この論争では、天地創造が重要な位置を占めていた。そしてフライターグの弟子のなかでも、エルビング出身のヤコブス・ホモダエウス(1612–1693)は、カトリックやプロテスタントだけではなく、ユダヤ神学もふくめた幅ひろい知識で際立っていた。

 

 

1. イントロ  Introduction

2. ゼンネルトとキミア  Sennert and Chymistry

3. ゼンネルトと神学論争  Sennert and Theological Debates

 

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日記での言及

 

2022. 1. 26

偽パラケルスス論集は、発送してから15営業日くらいで届くという話ですが、年末の報せから動きがありません。どうなっているのでしょうか?ゼンネルト論文を収録した Ambix 誌の特集号も、いつ著者分がもらえるのか問い合わせているのですが、いまのところ返事がありません。

 

 

2022. 1. 17

あの偉大なアラビア哲学史家のピーター・アダムソンさんから、ルネサンスについての最近のポドキャストで、僕のパラケルスス論文やゼンネルト論文、そしてリプシウス論文を参考にしているといわれました。非常に光栄です!

 

 

2021. 7. 30

 ンネルト論文を寄稿した「錬金術と初期近代の大学」特集の Ambix 誌最新号は、どうやら印刷がおわり、紙ヴァージョンが世界各国の会員のところに届きはじめているようです。僕のように現在は会員ではない寄稿者には、そのあとに送りだされるのでしょうか?なるべく早い時期に、僕のところにも届いて欲しいものです。

 

 

2021. 6. 27

昨日の翻訳校を推敲しなおして、次号のメルマガをドロップしました。201911月にドイツで発表した原稿(20202月に邦訳を配信)とも重なる部分が大きいのですが、今回はやはり先日でたばかりのゼンネルト論文を邦訳しました。双方を比較することで、最初の発表原稿がどのように最終的な論文になるのか分かるかと思います。配信は73になります。

 

 

2021. 6. 22

全容が見えてくると、特集号「錬金術と初期近代の大学」は、なかなか重要なものになっているなと感心しています。電子版をダウンロードすれば良いのでしょうが、Ambix 誌はあとから分冊を単体で買えないので、単行本にしなかったのはもったいないですね。

           

「錬金術と初期近代の大学:イントロダクション」

Alchemy and the Early Modern University: An Introduction” (Ute Frietsch)

 

「宮廷の権威と大学:ネットワーク、レシピ、ものづくり対つくられたものの抽象化」

“Court Authority and the University: Networks, Recipes, and Things-in-the-Making vs. the Abstractions of Made Things” (Bruce T. Moran)

 

「キミア的な妥協を学ぶ:キミアトリアについてのマールブルク討論におけるパラケルスス派とガレノス派の医学」

“Learning the Chymical Compromise: Paracelsian and Galenic Medicine in Marburg Disputations on Chymiatria” (Elisabeth Moreau)

 

17世紀イエナ大学におけるキミア観の変化」

“The Changing Visions of Chymistry at Seventeenth-Century Jena: The Two Brendels, Rolfinck, Wedel, and Others” (Lawrence M. Principe)

 

「ゼンネルト、キミア、そして神学論争」

“Daniel Sennert, Chymistry and Theological Debates” (Hiro Hirai)

 

「大学から宮廷へ:造金術についてのシュタールの翻意」

“From University to Court: The Reversal of Stahl’s Positions on Gold-Making” (Kevin Chang)

 

「ファン・ヘルモントのパラケルスス主義と錬金術の受容にたいするルーヴァン大学教育の影響」

“The Influence of Louvain Teaching on Jan Baptist Van Helmont’s Adoption of Paracelsianism and Alchemy” (Georgiana D. Hedesan)

 

「パリとイタリアにおけるキミアの最初の講義」

“The First Private and Public Courses of Chymistry in Paris (and Italy) from Jean Beguin to William Davisson” (Didier Kahn)

 

「キミアのために大学環境を整える:ヘルムシュテット大学の場合」

“Making University Fields for Chymistry: A Case Study of Helmstedt University” (Ute Frietsch)

 

全体としてドイツの事例が多いのは、もとになった国際会議の開催地がドイツだったという点もありますが、キミアが大学教育に浸透したのは、17世紀のドイツでより顕著だったからなのだと思います。この特集号を契機として、イギリスイベリア半島北欧東欧、さらには新世界での状況など解明されていくと良いのだろうと想像します。世界中の大学でのキミア導入が分かるようになるとスゴイことでしょう。

 

 

2021. 6. 21

Ambix 誌の特集号「錬金術と初期近代の大学」が、ついに出版されました!編者ウテによるイントロのほかに、ラリー(プリンチーペ)やケヴィン(チャン)を含めた総勢8による論考が収められています。僕のゼンネルト論文も、正式な頁打ちが198-213と確定しました。こちらから期間限定でダウンロードできます。

 

 

2021. 6. 18

秋口からずっと気分の重石だったゼンネルト論文から解放されたのに、もうひとつの重石がまだ残っています。こちらも早いところで片づけたいのですが、なかなか作業をはじめられないでいます。

 

 

2021. 6. 17

Ambix 誌の特集号「錬金術と初期近代の大学」が正式な頁打ちで出版されるのは6月下旬なのですが、一日もはやく出ないかなと待っています。

 

 

2021. 6. 9

編者ウテの説明によれば、特集号「錬金術と初期近代の諸大学」は、おそらく6月末に正式な頁打ちの入った一式がオンラインで出版されるようです。紙版の方は7月中に印刷されて、おそらく7月末には届くでしょう。8になるのだろうとエリザベトから聞いていたので、それよりは早そうです。

 

 

2021. 6. 8

ついにゼンネルト論文のオンライン版が出版されたようです。こうして紙版に先行して公開してくれるのは良いことです。しかしなぜか紙版とは異なる頁打ちとなるので、混乱が生まれそうで複雑な心境です。紙版が出されて決定される正式な頁打ちの入った電子版を1か月ほど待ってから告知した方が、その後の混乱がなくて良いような気がします。ということで、PDF版をアップするのは少々お待ちください。

 

なぜこの出版社は、こうした方針をとるでしょうかね?アカデミアに決定版をアップされないようにする苦肉の策なのではないでしょうか?しかしどのくらい効果的なのかは想像できません。

 

なんと! 上記オンライン出版の知らせから、ほとんど1時間もしないうちに、まったく別の知らない団体から僕の論文が最優秀研究賞の「仮選考」に入ったので、指定したリンク先から正式登録しろという旨のメールがきました。う〜む、これは新手の詐欺ですね。危ない、危ない。好奇心からうっかりリンクを触れば、ウィルスなどに感染してしまうのでしょう。

 

 

2021. 6. 3

ゼンネルト論文の準備で息つく余裕もないマラソンが終わったと思ったら、想像していたとおり、なにも手につかないエアポケットに入ったような状態になりました。はやめに出てこられることを願いましょう。

 

 

2021. 6. 2

ゼンネルト論文の校正指示を送りだしました。これで僕ができることは終わりました。3からつづく出口の見えなかった長いトンネルからも、これで出てくることができました。息をつける寸暇がなかったので、今回は本当につらかったです。ちょっと息ができる時間的な余裕は、大事だなと身に染みて感じました。

 

 

2021. 6. 1

ゼンネルト論文の校正刷りには、論文の末尾に Disclosure Statement というものが追加されていました。しかし517日にここで記述した、オープン・アクセスになったばかりのジョーの論文には、それは追加されていません。どういうことなのか出版社にメールで質問すると、入れなければいけない方針だといいます。仕方ないですが、途中で方針が変わったということなのでしょうかね?

 

午前中にゼンネルト論文の校正刷りをもう一度だけチェックしました。これで良いかなと思います。特集号のほかの論文も、ここのところオンラインで先行出版されてきています。全部がそろったところで紙版の印刷に入り、8月ごろにできあがるのだと思います。もう一冊注文しようかと思ったのですが、送料だけで20ドルもとるようですので諦めました。

 

 

2021. 5. 29

午後には、昨日のつづきでゼンネルト論文の校正刷りの脚注をチェックしました。急いで執筆した原稿ということもあり、こちらは細かいタイプミスがありました。お恥ずかしい。昨日の本文とあわせて、校正指示は全部で11個所になりました。

 

Danielis → Daniel

Johanno → Johanne

Lullus → Lull

 

 

2021. 5. 28

昨日は69ごろの予定だと思っていたのですが、もうゼンネルト論文の校正刷りがでてきました。大きなスクリーンでとおして読んでみました。脚注は明日にでも指で文字を追って再確認しますが、本文の方は3個所ほど僕の方でミスがありました。

 

Johannes Baptiste → Johannes Baptista

the Aristotelians and the Galenists → the Aristotelians and Galenists

obscure ideas into a coherent body of ideas → obscure ideas into a coherent body of theories

 

 

2021. 5. 27

ゼンネルト論文をふくむ特集号「錬金術と初期近代の大学」が収録される Ambix 誌は、イギリスの Taylor & Francis 社から出版されます。原稿の投稿から審査までのポータルがあり、版権や校正といった出版までのポータルが別個にあります。なぜ統一のシステムで一括管理しないのでしょうね?過去に論文審査もしたことがあるので、複数のアカウントで混乱してしまいます。

 

ゼンネルト論文は69ごろに校正刷りができあがり、校正には3日間だけ猶予があるようです。さすがに3日間というのは、とてもタイトですね。今回は問題ないですが、たまたま別件の作業が重なる場合は、どうすれば良いのでしょうかね?

 

 

2021. 5. 23

日曜なのですが、ゼンネルト論文が版組に入ったという知らせを受けました。雑誌の出版社は Taylor & Francis で、オックスフォード大学出版やスプリンガー書店と同様に、ここもインドで版組をやっているのでしょうか?状況はすこし落ちついたのかも知れませんが、向こうは大変なことになったのではないでしょうか?知りあいの仕事関係者も、コロナの被害にあったと聞いています。

 

 

2021. 5. 22

5月はここまでゼンネルト論文のためのマラソン作業にくわえて、昨日の国際会議でのライト二ング・トークの準備で終わってしまいました。ほかにしたかったこともあるので、あまり満足感を味わえないでいます。

 

 

2021. 5. 19

ロンドンの出版社からゼンネルト論文の版組前の質問がいくつかきました。簡単だったので、すぐに答えることができました。しかし3月中の論文執筆から、審査員の査読2つ、そして編集長のチェックと、2カ月半もほとんど休みなしに作業がつづいています。通常なら各段階で数週間の待ち時間があるものですが、今回はマラソンのようで息をつく暇がありません。

 

 

2021. 5. 17

ついにゼンネルト論文の最終版を送りだしました。あとは版組されたものが返ってきたら、校正するだけです。この論考が収録される特集号「錬金術と初期近代の諸大学」からは、すでに最初の論考がオンラインで先行出版されています。若きファン・ヘルモントルーヴァン大学についてのジョーによる論考です。じつは低地地方についての僕の研究から、第1著作のファン・ヘルモントについての章やゲマ論文、そしてフィエヌス論文などがフィーチャされています。こちらから無料でダウンロードできます。

 

 

2021. 5. 13

そろそろ来週の国際会議での発表のための原稿を書かないといけないのですが、ゼンネルト論文の微調整も完了していませんし、ちょっと気分は散漫になりがちです。従来なら国際会議の直前ともなれば、遠征の準備をしないといけないので、余裕をもって原稿はできていたものでしたが、コロナ禍による国際会議のオンライン化で、原稿の準備プロセスが遅れ気味となっています。

 

 

2021. 5. 11

やっとのことで、ゼンネルト論文の見直しを終えることができました。変更部分をもう一度チェックしてもらって提出します。特集号は今年の8月ごろに出版されると聞いています。

 

 

2021. 5. 7

いよいよ Ambix 誌の編集長によるゼンネルト論文の編集版が返ってきました。英語表現の修正案が提示されています。肝となるのは、テクスト分析で僕が採用する時制でしょうか。テクスト分析で、メインとなる著者の行為を現在形で、先行する人々の行為を過去形で記述する方法です。天地創造などの話題をスムーズに扱うために到達したもので、これまでも問題なく使ってきました。編集長は過去形派のようですが、一貫していない点が問題です。時制の修正案は個人テイストの次元にあるような気がします。この週末にゆっくりとチェックしたいと思います。

 

 

2021. 4. 22

ここ何日も言及しつづけているゼンネルト論文ですが、ここでその要旨を掲載・翻訳しておきましょう。

 

Daniel Sennert (1572–1637) of Wittenberg is known as one of the earliest university professors of medicine, who advanced the study of “chymistry” (alchemy/chemistry) through his influential writings. This article first explores his treatise On the Agreement and Disagreement of the Chymists with the Aristotelians and the Galenists (Wittenberg, 1619) so as to understand his view of chymistry in its detailed historical and intellectual context. Following that is a brief analysis of some theological aspects of the polemic in which Sennert was involved. While criticizing the Paracelsians, Sennert adopted their idea of the three principles (Salt, Sulphur and Mercury) and placed their origin in the Creation of the world. It is exactly for this reason that Johannes Freitag (1581–1641) of Groningen and his students tried to associate Sennert with the Paracelsians and denounced them as heretics. In this polemic, the interpretation of the Biblical Creation story thus occupied an important place, and Jacobus Homodaeus (1612–93) of Elbing among Freitag’s students outstood for his unusually wide knowledge of theological sources not only Christian (both Catholic and Protestant) but also Rabbinic.

 

ヴィッテンブルクのダニエル・ゼンネルト(1572–1637)は、影響力ある著作によって、「キミア」(錬金術・化学)の研究を推進した最初期の医学教授として知られている。本論考は、まず彼の著作『キミストたちとアリストテレス主義者やガレノス主義者たちとの一致と不一致について』(ヴィッテンベルク、1619年)を分析して、詳細な歴史的・知的な背景のもとに彼のキミアについての見解を考察する。つづいて、ゼンネルトが巻きこまれた論争の神学的な次元についての短い分析をおこなう。パラケルスス主義者たちを批判しつつも、ゼンネルトは彼らの三原質(水銀・硫黄・塩)の考えを受容し、その起源を天地創造においた。まさにこの理由によって、グローニンゲン大学のヨハネス・フライターグ(1581–1641)とその弟子たちは、ゼンネルトをパラケルスス主義者たちと結びつけて異端視した。この論争では天地創造が重要な位置を占め、フライターグの弟子のなかでもポーランドのエルビング出身のヤコブス・ホモダエウス(1612–1693)が、カトリックやプロテスタントだけではなく、ラビ的な神学についての稀にみる幅ひろい知識で際立っている。

 

 

2021. 4. 21

昨日は、これまでのゼンネルト論文の作業からガレノス論文の作業へと華麗に移行したかったのですが、気持ちの切り換えが上手くいきませんでした。仕方ないので、ゼンネルト論文についての専用頁を開設しました。

 

 

2021. 4. 20

ゼンネルトの著作の扉頁への書きこみは、雑誌特集号の編者ウテによると comparavit P. Tobias Waldemann fratter Minorita Ratisbonensis で、「レーゲンスブルクのフランシスコ会士トビアス・ヴァルデマンが購入した」という意味になるようです。どうも fratter frater と読ませるのは変だと思います。エリザベトに聞いてみると、f ではなく s に見えるといいます。そういわれると、a の部分も ae に見えてきます。

 

すこし調べてみると、17世紀末に Tobias Waldemannstaetter というレーゲンスブルクのフランシスコ会士がいたようです。そうすると comparavit P. Tobias Waldemannstaetter Minorita Ratisbonensis で、「レーゲンスブルクのフランシスコ会士トビアス・ヴァルデマンステタ―が購入した」が良いようです。

 

なぜ高価な書物の扉頁の目立つところに書きこみをするのか、ずっと不思議に思っていたのですが、盗難を防止するためだったのかも知れませんね。

 

 

2021. 4. 19

昨日からゼンネルト論文についていろいろと考えて、できるかぎりの微調整はしてみました。これをもう一度だけ見直して、最終稿として提出したいと思います。図版の中央にある手書きのメモが判別できないのでエリザベトに聞き、それでも確かではないのでディディエにも聞いてみることにしました。ところでエリザベトの話では、特集号は今年8に出版されるようです。

 

 

2021. 4. 18

今日はスローな動きでいきたいと思います。> 夕方にゼンネルト論文の審査評の2がきました。要望されているもののひとつは、今月末までという短時間で解決できるものではありません。あとは編者に委ねるしかないでしょう。

 

 

2021. 4. 15

 午前中は、さらにゼンネルト論文の微調整をつづけました。あとは今日の午後のセミナーで指摘される点を、週末までの時間が許す範囲で、できるかぎり反映したいと思います。

 

 

2021. 4. 14

ワクチンの影響が思ったよりも尾をひきましたが、ぼちぼち今日から再始動します。まずはゼンネルト論文の審査評にそって微調整しました。あらたに入手した図版の挿入する場所を決め、キャプションもできました。あと2か所ほど確認してから再提出します。明日のセミナーで揉まれる予定なので、そのフィードバックもなるべく勘案して週末には送りだしたいと思います。

 

 

2021. 4. 10

先日に提出したばかりのゼンネルト論文の審査評がひとつ、驚くような超特急で帰ってきました。おそらく編集長のモーラン氏が見たのではないでしょうか?議論については、問題はなく、英語をじっくりと直してもらってあります。これを反映させて4月末までに提出しろとなっていますが、これだけなら来週には微調整できるでしょう。

 

 

2021. 4. 7

今月15日に開催されるセミナーで、できたばかりのゼンネルト論文を揉んでもらうことにしました。すでに審査入りしていますが、審査評が返ってきたときに微調整できるので、気がついたことを教えてもらえるのは良いことです。お手柔らかにお願いします。

 

 

2021. 4. 6

編者のウテに送りだしたゼンネルト論文は、レフェリーに転送されたということです。早ければ、1か月半くらいで審査評が返ってくるかもしれません。特集号のほかの論考は、すでにレフェリーが審査しているのだと思います。

 

上記の論文のために、バイエルン州立図書館のサイトから書物の画像を注文してみました。学術文献に利用する場合は、無料1カ月かからないようです。著作権についての細かい手続きも不要とのことで、これは素晴らしい!上手くいくと良いですね。

 

 

2021. 4. 5

なんとか復活祭の週末をのりきりましたので、今日もスローな動きでいきたいと思います。> ついに Ambix 誌の特集号「錬金術と諸大学」の編者ウテに送りだしました。リアクションを待ちます。

 

 

2021. 4. 2

ここを乗りきれば、コロナ禍による秋口からの作業の遅れを、なんとかとり返せるところまできました。昨年末は目も当てられない状況でした。僕のなかでゼンネルト論文は落としたことになっていたので、最後に救えたのはなんとも奇跡に近いと思います。あとは4月中にガレノス論文の微調整を完遂しなければいけません。それができれば、気分的にひと息つけます。

 

 

2021. 3. 26

ゼンネルト論文をプルーフ・リーディングに出しました。特集号の編者ウテには、でき次第送りだしたいと思います。また415にフィラデルフィアの科学史インスティテュートで開催されるセミナーのために、フェローたちに読んでもらうことになっています。

 

 

2021. 3. 25

パラケルスス派の主張する三原質の理論は、すでに古代の医学者ヒポクラテスが先鞭をつけていたとゼンネルトは主張します。これは、パラケルスス主義者のセヴェリヌスがパラケルススを擁護するために考案した考えをもとにしています。今日は、同時にゼンネルトが参考にしていた反パラケルスス主義者のエラストゥスの見解も、ここで汲んでいるのかを確認していました。いまの段階では明確なことはいえないですが、最初の一歩にはなるだろうと思います。

 

 

2021. 3. 23

前回の偽パラケルスス論文と同じように、ゼンネルト論文はまったく引用のない体裁(それはそれで新境地だと個人的には思っています)だったのですが、やっぱり少しは入れようと思いなおして、いくつか見繕っていました。まだラテン語からの翻訳が甘いですが、それは明日からてこ入れします。

 

 

2021. 3. 17

今日はゼンネルト論文の全体をとおして推敲をつづけています。細かいデータのチェックをしつつ、ひとつひとつ議論の甘いところを潰しています。中西さんから教えていただいたゼンネルトオスマン・トルコでの受容をあつかった著作の書誌も、しっかりとすべり込ませました。

 

雑誌の表記スタイルを確認して、原稿の全体に微調整をほどこしました。あとは週末にプルーフ・リーディングをしてもらってから、編者に提出したいと思います。これで息がつけるようになりました。1週間ほど遠いところへいっていましたが、なんとか下界に帰ってきた気分です。

 

 

2021. 3. 16

今日は昨日からの作業の流れで、3部構成の論文の3を集中的に整備しました。細かいデータを確認しつつ、書誌情報を補い、だいぶ良くなったと思います。ところで論文のタイトルは、とてもシンプルに「ゼンネルト、キミア、そして神学論争“Daniel Sennert, Chymistry and Theological Debates” でいこうと思います。一昨年に入手しておいたプロイセンに関係する文献が役にたっています。

 

 

2021. 3. 15

コーペンヘイヴァ―版やスコット版、そしてフェステュジエール版を駆使して、ついに『ヘルメス文書』からの引用を見つけることができました。これはなかなか難しかったです。忘れていたのですが、いつのまにか仏訳のフェステュジエール版は4冊中の3まで入手していました。前回の世界霊魂についての論文でも、気がついていれば苦労しなくて済んだのですね。

 

午後には論文化の作業がだいたい終わり、全体が見えてきました。これから1週間くらいで推敲を重ねて完成させたいと考えています。しかし、これで缶詰作業から脱出できると思うと、なんだか安心しました。

 

 

2021. 3. 14

ついに缶詰状態3日目となり、だいぶ見通しが良くなりました。しかし『ヘルメス文書』からの謎の引用が、どうしても同定できません。分からなければ言及しない手もあるのですが、議論の流れからはあった方が格段に良いと思います。

 

 

2021. 3. 13

昨日ここに書いたとおり、缶詰状態となっております。あまり他のことはできません。

 

 

2021. 3. 12

この日記でも触れていますが、2019年の晩秋にドイツのヴォルフェンビュッテルで開催された国際会議『錬金術と諸大学』において、ゼンネルトのキミアと神学論争についての論考を発表しました。コロナ禍で気持ちの切りかえが上手くできずに、ずっと遅れていた論文化の作業にやっと入りました。今回は残り時間も少ないので、無理せずに30の発表原稿に脚注をつけただけの短尺でいきたいと思います。ちょっとのあいだ缶詰状態となります。

 

 

このあいだ1年強ほど経過

 

2019. 11. 25

  濃霧で包まれるフランクフルトの空港に着いたら、搭乗する予定の経由地アムステルダムまでの便が突然にキャンセルとなり、ルフトハンザ航空の便に振り替えとなりました。指示どおりにターミナルを移動すると、そちらではチケット・センターへ行けといわれました。むむ、これは悪い予感。案の定、そこには長蛇の列です。あらら。

 

搭乗予定の1時間前ほどになったところで諦めて、すごすごとデルタのターミナルに戻りました。事情を説明すると、つぎのパリ経由ニューヨーク便に無料で変えてもらえました。これは、おそらくデルタのゴールド会員だったからスムーズだったのだと思います。予定より2時間おくれただけで帰宅できました。

 

 

2019. 11. 24

  さらにスローな動きでいきます。> 20時半のデュッセル発のフランクフルト行の特急電車に乗る予定でしたが、途中で止まってしまい、2時間ほど遅れで深夜1に目的地に到着しました。これには参りましたね。明日のフライトでニューヨークに戻ります。

 

 

2019. 11. 22

 3日目の最初の発表は、ラリー(プリンチーペ)による17世紀のイエナ大学におけるキミアの伝統についての発表でした。いつもながら鮮やかなものでした。2本目は、マリエケ(Marieke Hendriksen)によるブールハーヴェとライデン大学についてからのはずでしたが、すぐに話は離れて研究の発表というよりも計画の発表でした。残念。

 

 最後に台湾のケヴィン(Kevin Chang)のハレ大学におけるシュタールのキミアにたいする態度の変化についての発表がありました。残念ながら、僕は質疑の途中で会議を離れなければなりませんでした。また会う日まで。

 

  12時半から電車に乗り、予定どおり16時にデュッセルドルフに到着しました。週末は、3年ぶりにクリスマス村などをめぐります。アメリカに戻るのは、月曜日のフライトです。

 

 

2019. 11. 21

昨晩の基調講演につづき、2日目の今日はプログラムもいっぱいです。9時に会場の「聖書室」 Biblsaal に集合し、主催者のウテ(Ute Frietsch)の発表からはじまりました。ダンカン・リデルとヨハン・ホルストのキミアについての論争を中心とした話です。両者とも最近の研究で、初期近代のプロテスタント諸大学における役割が注目されているので、良い目のつけどころです。ただし、総攬的で論争の機微に入りこんでいくものではありません。

 

午前中2本目の発表はもうひとりの主催者フォルクハルト(Volkhard Wels)によるもので、キミアの知識を定式化する初期近代の営為について。論理学や学問論とキミアの関係を、パラケルスス主義に対抗するリバヴィウスのラムス(メランヒトン)主義などを軸にみていくものです。ふたつ目のセッションの最初は、ディディエ(Didier Kahn)の発表です。パリを中心とするフランスにおけるキミアについての講義がどうなっていたのかを、1610年代から1640年代までトレースするものでした。2本目は16世紀のバーゼル大学における錬金術についてのトマス(Thomas Hofmeier)の発表でした。新しいデータも多く面白いのですが、話の分量が多すぎました。

 

 ランチのあとの午後の最初のセッションは、まずエリザベトの発表からスタートしました。ハルトマンとその継承者ペトレイウスを中心としたマールブルク大学のキミアについての発表でした。そのあとは僕の発表でした。昼食のあとの消化のための時間帯的には聴衆が眠くなるころなので、それほど期待していなかったのですが、たくさんの質問をいただき、とても盛んなディスカッションとなりました。なにが普段と特別に違っていたのか僕にもわかりません。面白いものですね。

 

 僕の発表のあとは、カスパー(Kasper von Greyerz)によるゼンネルトの著作群の英訳についてでした。おもな訳者は有名なパラケルスス主義者の占星術師カルペッパーです。僕の発表と内容がかぶると発表者は言いましたが、ほとんど重なる部分はなかったと思います。

 

 今日の最後のセッションは、ジョー(Georgiana Hedesan)によるファン・ヘルモントのルーヴァン大学での背景(1590年代〜)に迫ります。リプシウス、神学部ではアウグスティヌス主義が支配的で、そこに新しいイエズス会とヤンセン主義がくる。医学部はパリとケルンをモデルにしていた。フィエヌスは反対の傾向をもっていた。イエズス会ではデル・リオが妖術を反駁していた。今日の最後は、アネット(Anette Marquardt)とベッティーナ(Bettina Wahrig)によるシュナイダーの薬物コレクションの紹介でした。

 

 

2019. 11. 20

  日中はスローな動きで、時差ボケを軽くするために体調を整えることだけに専念しました。

 

  18時からアウグスト公爵図書館(HAB)のメイン・ルームで、ブルース(Bruce Moran)によるドイツの諸大学におけるキミアをめぐる様子をパノラマ的にみせる基調講演から国際会議が開始されました。これまでのブルースの仕事を総攬するようなものでした。非常に美しいロケーションでおこなわれる発表には息を飲むものがありました。写真は、FB版のBHへの投稿をご覧ください。

 

 

2019. 11. 19

  フライトはスムーズで、予定どおりの9時過ぎにフランクフルト空港に到着しました。空港のシャトルバスで鉄道駅に向かい、切符をかいました。そこから幾つかの方向には特急列車ICEも出ていますが、僕が向かうべきブランシュヴァイクへはベルリン行となるようで、いったん近郊線のSバーンで中央駅に出ないといけません。はじめてくる中央駅近辺の写真をとって、30分ほど時間をつぶしました。

 

  フランクフルトからブランシュヴァイクに向かうベルリン行の電車のなかでは、キョーレツな睡魔が襲ってきて眠くて仕方がありませんでした。大陸間フライトのあとに、4時間の超距離電車に乗るのはツライものがあります。フランクフルトで一泊して、翌日に電車に乗るという緩い旅程にすれば良かったかなと後悔しました。味気ないブランシュヴァイク駅で乗りかえて、ウォルフェンビュッテル行の小さな電車に乗りました。10分ほどで目的地に無事に到着し、歩いて宿舎となっているホテルにたどり着きました。

 

  国際会議は明日の夕方から始まるので、それまでスローな動きでいきたいと思います。

 

 

2019. 11. 18

  さあ、今日はドイツ遠征に向けて出発します。19時ニューヨーク発のフランクフルト行のフライトです。フランクフルトには直行で明日の9に到着する予定です。そのあとは、まずは特急電車でハーノーファを目指します。

 

 

2019. 11. 17

  今日はパワーポイントをつくり、遠征用の旅行カバンを準備します。

 

 

2019. 11. 16

  今日は発表原稿のプルーフ・リーディングをしてもらい、晴れて完成となりました。明日はパワーポイントをつくり、遠征用の旅行カバンを準備します。

 

 

2019. 11. 11

  午前中に読みなおしつつ推敲し、だいたい完成したので、プルーフ・リーディングに回しました。このあとは、スキャンしてあったカルダーノのテクストを読み書きやすいようにプリント・アウトします。来週のドイツ遠征を抜かして、今月はこのテクストを読みこみます。

 

 

2019. 11. 10

  今日もう一日だけ発表原稿を推敲して、そのあとはつぎの作業に移ります。1211までは、非常に忙しい時期となります。

 

 

2019. 11. 9

  丸一日の作業で、なんとか全体ができて3000となりました。あと23日ほど推敲すれば良いのではないでしょうか?

 

 

2019. 11. 8

  ドイツでの国際会議のための発表原稿づくりに専念しています。2500まできました。30ですから、3000に欠けるくらいが良いので、あともう少しです。少しだけ、肩にかかっていたプレッシャーが減りました。ふう。

 

 

2019. 11. 4

  一昨日やっと切り口が見つかったことで、すこし気持ちが緩んでいます。今日は、まず近場の総合クリニックで定期健診、そのあとに歯医者でディープ・クリーニングを受けるので何もできないでしょう。

 

 

2019. 11. 2

  何日間かいろいろ考えていたのですが、うまいアイデアが浮かばず、迫りくる締めきりに焦りを感じていたのですが、ついに出口を見つけられたようです。アタックするテクストアングルが決まったので、あとはスムーズにいくことを祈りましょう。ドイツでの国際会議に出発するまで、あと2週間半です。

 

 

2019. 10. 30

 11月後半にドイツで、錬金術諸大学についての国際会議が開催される予定です。そろそろ本格的に準備をしないといけません。

 

 

2019. 2. 14

  今年11月下旬にベルリンで、錬金術と大学ついての国際会議が開催される予定です。今日は、その仮プログラムが送られてきました。発表者は、なかなかスゴイ顔ぶれです。『錬金術の秘密』のラリー(プリンチーペ)をはじめとして、ブルース(モーラン)、ディディエ(カーン)、ケヴィン(チャン)に僕、それから主催者に推薦しておいたエリザベトも招待されています。発表の内容については、夏ごろから準備をはじめれば良いでしょう。

 

 

 

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