国際シンポジウム
『フラカストロ没後450年記念』
伝染病理論史にも大きく名を残すヴェローナ出身の医学者ジロラーモ・フラカストロ Girolamo
Fracastoro (ca. 1478-1553) は、宇宙論、医学、詩文等でも優れた作品を残したイタリアの人文主義者です。その没後450年となる2003年、多岐に渡る彼の活動を記念した国際会議が、ヴェローナで10月9日-11日にかけて開かれます。ヴィヴィアンやヴァゾーリといった各界の大物に交じって、「フィチーノ、フェルネル、フラカストロ:種子の理論をめぐって」 Ficin, Fernel
et Fracastor autour du concept de semence というタイトルで、僕も招待発表する予定です。緊張します。
会議開催までの道のり
2003. 7. 14 月
ヴェローナのフラカストロ没後450年記念国際会議のプログラムが来ました。僕の番は、二日目の金曜日、午後のセッションで、シモーネと一緒ですね。気になるのは、その後すぐにロンドン行きの飛行機 (21時) に乗らなければいけないので、間に合うかな?ということと、順番が最後の最後なので集中力が持つかな?という2点です。しかし、同一セッション内ということで、イタリアのルネサンス哲学史権威
Vasoli 氏とついに対面することになりますね。非常に緊張します。
Girolamo
Fracastoro (Verona 1478 –
Incaffi 1553):
Convegno
internazionale di studi in occasione
(
9
ottobre,
9:00-13:00. Presiede: Nancy Siraisi (
John Henderson (
Giuseppe
Ferrari (
veronese tra
Otto e Novecento
Concetta
Pennuto (Genève), La "natura"
dei contagi in Girolamo Fracastoro
Alessandro
Pastore (
Bernardino Fantini (Genève), Contagium, infectio, putredo. Campi epistemici delle malattie epidemiche in
Girolamo Fracastoro
e dintorni
15:00-19:00.
Presiede: Alessandro Pastore
(
Gian
Maria Varanini (
Girolamo Fracastoro
nel contesto
Andrea
Carlino (Genève), L'epistolario di Girolamo Fracastoro
Loredana
Olivato (
Vasco
Gondola (Verona), Luoghi fracastoriani nell’area baldo-benacense
Silvia
Sartori (
10
ottobre,
9:00-13:00.
Presiede: Cesare Vasoli (
Vivian Nutton (
Gian
Paolo Marchi (
Maurizio
Rippa Bonati (Padova), Girolamo Fracastoro e il 'Nuovo Mondo'
Loana
Liccioli (
Ida
Mastrorosa (Firenze), Le teorie
rinascimentale
15:00-19:00.
Presiede: Enrico Berti (Padova)
Cesare
Vasoli (Firenze), Il Turrius e la logica come strumento
Enrico
Peruzzi (
Hiro Hirai (Liège), Ficin,
Fernel et Fracastor autour du concept de semence
Simone
De Angelis (
natura all'inizio
del Dialogo
11
ottobre, Padova, Università di Padova,
Palazzo del Bo, Archivio Antico
Mario
Di Bono (Milano), I modelli astronomici di Girolamo Fracastoro nell’ambito delle
dottrine omocentriche
Giuseppe
Ongaro (Padova), Girolamo Fracastoro e lo
Studio di Padova
Ivano
Dal Prete (
Gaetano
Thiene (Padova), Il De
2003. 6. 1 日
今年の10月にあるヴェローナのフラカストロ没後450年記念の国際会議の正式な招待状が来ました。詳細なプログラムはまだですが、発表時間は15分となってます。ちょっと少なすぎませんか?これじゃ、僕は仏語だと普段のペースでA4で3枚しか読めないので、たいしたことは言えない気がします。何かの間違いじゃないかな?発表のタイトルは、「フィチーノ、フェルネル、フラカストロ:種子の理論をめぐって」 Ficin, Fernel et Fracastor autour du concept de semence です。
2003. 6. 5 木
ヴェローナの件は、ウェルカム仲間のシモーネが理由を教えてくれました。イタリアの伝統的なシステムでは、relazione と comunicazione があって、3時間ぐらい延々としゃべっても良い大スターや教授クラスの relazione に対して、我々のような駆け出しの若造は15分と短い comunicazione が割り振れられるということです。
2003. 6. 12 木
それから、ヴェローナのフラカストロ会議についての専用頁も、そろそろ作りたいと思います。肖像画は、運良くスタンダードなものが見つかりました。>
僕の発表は、どうやら、金曜日 (10月10日)
となったようです。その他については、まだ分かりません。
2003. 9. 22 月
めったにないことですが、朝起きたら頭痛がします。先週ボヤ程度に抑えたカゼが本格的に発現したのかも知れません。今日からフラカストロ会議の発表原稿を書くぞと公言したばかりなのに。とほほ。博論での議論をさらに進めて、フラカストロの種子による伝染病理論の誕生の決定的なカギを見つけるぞ、と大きな目標を掲げていたのですが、キルヒャー研究に追われて時間がなくなってしまいました。ダブルはつらいです。一歩後退して、博論での議論をおさらいする切り出しで手堅く行くことにしました。僕としては残念ですが、それでも僕の本もまだ出ていない訳ですから、そこでの議論が公になっている訳ではないで、良しとしましょう。偉大なるヴァゾーリ師の目の前で発表することになるので、ズッコケナイようにしたいと思います。
2003. 9. 24 水
フラカストロ研究の方は、だいぶカタチになってきました。短いですから、限られた分量にどのように情報を整理して、効果的なストーリー展開を取るか?という点に注意を集中しています。まだ推敲を続けるつもりです。言いたかったことを入れ忘れた!ということのないようにしたいと思います。以下の構成になってます。
1.
イントロ Introduction
2.
フィチーノと種子の理論 Marsile Ficin et son
concept de semence
3.
フェルネルの場合:直接的な受容 Le cas de Jean
Fernel : réception directe
4.
フラカストロと「伝染の種苗」の概念 Fracastor et sa
notion des seminaria contagionum
2003. 10. 3 金
フラカストロの発表原稿は昨日プルーフ・リーディングまで出来ました。あとは声に出して読む練習です。発音の難しいところや口が回らないところの表現を微調整したり、アンダーラインで強調したりして、最終的なものとします。キルヒャー研究の方も見直しがほぼ終わり、プルーフ・リーディングが出来次第、週末を使って英語に直したいと思います。やれやれ、最初はどうなるかと思ってましたが、何とか時間内に2本の読み原稿を作れました。
2003. 10. 8 水
9:00の飛行機でベルギーを発ち、ミラノ空港でバスのチケットを買い間違える (僕が乗らなければいけない路線とは違う、紛らわしい看板を出してイヤラシイ商売をしているライヴァル会社のもの。もちろん払い戻してもらって、正しい路線の会社のチケットを買い直しました) という小さなアクシデントはありながらも、無事にヴェローナに14 :30に着きました。電車の出発時刻ぎりぎりで、ミラノ駅でサンドイッチを買えなかったことが残念ですが、移動用に持ってきた本を読んで空腹を忘れました。ヴェローナの駅を降り立ち、小手調べという感じで歩きながら旧市街にあるホテルへと向かいましたが、暑いし、カバンが重いで、バスに乗らなかったことを後悔し始めました。それでも、町並みの美しさと壮観の闘技場跡を見ると、元気を取り戻しました。すぐに見つかったホテルは、ポルタ・レオーナというローマ時代の城門跡の真横です。荷物を置いて、やおら外出。まずは、同じ通りにあるジュリエット宅へ。そして、すぐ近くの圧巻の中央広場にたどり着きました。建物の外壁にフレスコ画があり、まさにイタリアです。その後、ドゥモや他の史跡を簡単に眺めつつ、旧市街を散歩しました。金曜の空港までの旅程が気になるので駅に戻り、バス会社のチケット・オフィスに行くと、何と、ヴェローナから僕の行きたい空港までのバスはない!と言われました。Brescia の駅に行って、空港行きのバスに乗れと。おかしいです。ライアン・エアーのサイトで調べた時は、それらしい説明があったはず。慌ててホテルに帰り、モバイルでサイトを確認すると、僕が見た時とは違います。何だかハメラレタ感じです。困って桑木野君に尋ねると、Brescia までは50分かかるそうです。あららららっら〜。困りました。> 正式プログラムを読む見ると、金曜は午後のセッションの後にルネサンス音楽のコンサートが予定されているようで、セッションの終了時間が始めに予定されていた19:00ではなく、1時間早くなっているのを発見しました。この差がものをいって、18:34分のBrescia 行きの電車に急いで乗れば、19:25には駅に着き、20:00の空港バス行きのバスに乗れるのでは?という甘い期待が沸いてきました。運を天に任せます!
2003. 10. 9 木
ふ〜、無事に一日目が終了しました。久しぶりにナンシー・シライシさんにも会いました。今日の会場の騙し絵で埋められた内装の美しさも相まって、やっぱり桑木野君も来れば良かったのにと思いました。しかし、朝の9時から晩餐終了の11時まで一日中イタリア語漬けで心身ともに疲労困パイです。集中力はそれほど長く持たないので、これだけ長い時間漬かっていると、最後のレストランでは完全に何も聞いていない状態になります。明日は、5時頃から僕の発表があります。期待していて下さい。
ところで、どうやら僕の仕事をつぶさに追っている学生がいるようです。スイスのジュネーヴ大医学史研究所でフラカストロの『共感と反感について』 (ヴェネツィア、1546年) の校訂注釈を博論として行っています。もともとはフィチーノからスタートしたようで、そういうところでも共通点は大です。好感のもてる大きな味方を得た感じです。
2003. 10. 10 金
ナガ〜イ一日が終わりました。クレイジーな一日でした。何から書いて良いか分かりませんが、とにかく2日目の会場となったドゥモ横にある図書館はHABのメイン・ルームの雛形ではないか?という感じの初期近代の革張り本に囲まれた素晴らしい場所でした。僕の番は、最後から一つ前で大体5時ごろだったと思いますが、ライアン専用の空港バスがやはり存在するということが分かり、それがどこにどうやって着くのかばかりが気がかりでした。ともかくも、15分と決められた割には、皆45分も平気で話すので、僕の15分きっかりの発表は本当に短く感じました。ま、その前には、リンチェイ・アカデミーの国宝級
Vasoli 師の年齢を感じさせない流れるような発表があり、伊語の深みは分からない僕にとってはとても口惜しかったのですが、とにかくご挨拶だけはさせてもらいました。
空港バスは、駅まで乗ったタクシーの運転手のお兄さんが、駅のまん前にある看板を示してくれました。そこで待つこと30分、やってきたバスに乗り込み無事に Brescia の空港に着きました。しかしそこからが大変でした。予定を1時間ばかり超過して到着した飛行機でロンドンに着いたのは12時過ぎで、空港列車の最終便に滑り込みセーフという感じで切符も買わずに乗り込み (車内で車掌からカードで買えました)、終点のターミナル駅であるリヴァプール・ストリート駅に着いた時は既に地下鉄も終わった午前2時前でした。タクシーに乗っても良いか聞いていなかったので、仕方なくホテルの一番近くに行くだろうと思われるナイトバスで、トッテンハム・コート通りまで行き、そこから歩いてホテルに着いた時は午前3時となっていました。ホテルの部屋は、ツインをシングルで借りている形で80ポンドと、これまで泊まった中では一番良いかも知れません。明日の朝は、10時開始なのでそれに間に合うように起きたいと思います。
2004. 3. 29 月
去年10月にイタリアのヴェローナで開催されたフラカストロ国際会議のその後のお知らせが来ました。会議論集が、フィレンツェの学術出版の老舗 Olschki 書店から出されている科学史雑誌 Nuncius の叢書として出版されることが決まったそうです。6月末までに原稿を整えて送れ、という指示が来ました。結局、カッシーノ国際会議の論集は、当初言われていた Olschki 書店からではなく、ローマの医学史雑誌
Medicina nei Secoli の特集号という形で出されることになったので、自分の書き物が Olschki 書店から出版されるのは、これが初めてのことになります。やった!
国際会議への参加・発表