パドヴァ霊魂論の伝統




 

 

 イタリアで歴史上最も重要なパドヴァ大学の伝統における霊魂論は、19世紀の歴史家エルネスト・ルナンによるアヴェロエス主義の研究以来、その特徴とされる単一知性論に注目が当てられてきましたが、学問の手法論と近代科学の起源の問題に隠れたかたちになって、なかなか包括的な書物が書かれていないのが現状だと思います。姉妹編の能動知性の頁もご覧下さい。

 

 

 

中世的な背景

 

Bruno Nardi, Sigieri di Brabante nel pensiero del Rinascimento italiano, Rome, 1945.

 

Bruno Nardi, Saggi sull’aristotelismo padovano dal secolo XIV al XVI, Florence, Sansoni, 1958.

 

Bruno Nardi, Studi di filosofia medievale, Roma, Storia e Letteratura, 1960.

 

Zdzislaw Kuksewicz, De Siger de Brabant à Jacques de Plaisence : La théorie de l’intellect chez les averroïstes latins des XIIIe et XIVe siècles, Warsaw, 1968.

 

 

 

 

ルネサンス的な背景

 

Antonio Poppi (ed.), Scienze e filosofia all’Università di Padova nel’ 400, Padova, Antenore, 1983.  KUL, KB

 

Eckhard Kessler, “The Intellective Soul,” in The Cambridge History of Renaissance Philosophy, Cambridge, Cambridge UP, 1988, pp. 485-534.

 

Antonino Poppi, Introduzione all’aristotelismo padovano, Padova, Antenore, 1991. 大増補版142pp.

 

Emily Michael, “The Nature and Influence of Late Paduan Psychology,” History of Universities, 12 (1993), pp. 65-94.

 

Emily Michael, “Descartes and Gassendi on Matter and Mind : From Aristotelian Pluralism to Early Modern Dualism,” in S.F. Brown (ed.). Meeting of the Minds : The Relations between Medieval and Classical Modern European Philosophy, Turnhout, Brepols, 1998, pp. 141-161.

 

Denis Des Chene, Life’s Form : Late Aristotelian Conceptions of the Soul, Ithaca, Cornell UP, 2000.

 

Gregorio Piaia (ed.), La presenza dell’aristotelismo padovano nella filosofia della prima modernità, Padova, Antenore, 2002.  KUL

 

 

 

 

ヴェネツアのポール

(1369/72-1429)

 

Bruno Nardi, “Paolo Veneto e l’averroismo padovano”, in Saggi sull’aristotelismo padovano dal secolo XIV al XVI, Florence, Sansoni, 1958, pp. 75-93.

 

Zdzislaw Kuksewicz, “Paul de Venise et sa théorie de l’âme,” in Luigi Olivieri (éd.), Aristotelismo veneto e scienza moderna, Padoue, Antenore, 1983, pp. 297-324.

 

 

 

 

ヴェルニアとニフォ

Edward P. Mahoney 文献表を参照。

 

 

 

 

ポンポナツィ

(1462-1525)

 

Etienne Gilson, “Autour de Pomponazzi : problématique de l’immortalité de l’âme en Italie au début du XVIe siècle,” Archives d’histoire doctrinale et littéraire du Moyen Age, 28 (1961), pp. 163-279.

 

Bruno Nardi, Studi su Pietro Pomponazzi, Florence, Le Monnier, 1965.

 

Jean Céard, “Matérialisme et théorie de l’âme dans la pensée padouane : le Traité de l’immortalité de l’âme de Pomponazzi,” Revue philosophique de la France et de l’étranger, 106 (1981), pp. 25-48.

 

Martin L. Pine, Pietro Pomponazzi : Radical Philosopher of the Renaissance, Padova, Antenore, 1986.

 

Wim Van Dooren, “Pietro Pomponazzi : Utrum anima sit mortalis vel immortalis,” Nouvelles de la République des Lettres, 9 (1989), pp. 71-153.

 

Vittoria Perrone Compagni, “Un’ipotesi non impossibile : Pomponazzi sulla generazione spontanea dell’uomo (1518),” Bruniana & Campanelliana, 13 (2007), pp. 99-111.

 

 

 

 

ツィマラ

(1475-1532)

 

Bruno Nardi, “Marcantonio e Teofilo Zimarra : due filosofi galatinesi dei Cinquecento”, in Saggi sull’aristotelismo padovano dal secolo XIV al XVI, Florence, Sansoni, 1958, pp. 321-363.

 

Antonio Antonaci, Ricerche sull’aristotelismo del Rinascimento, Marcantonio Zimara, 2 vols., Lecce-Galatina, 1971-1978.

 

Alba Paladini, Il pensiero psicologico e gnoseologico di Marco Antonio Zimara, Galatina, Congedo, 2001.

 

 

 

 

スカリゲル

(1484-1558)

 

Guido Giglioni, “Girolamo Cardano e Giulio Cesare Scaligero : il dibattito sul ruolo dell’anima vegetativa,” in M. Baldi and G. Canziani (eds.), Girolamo Cardano: le opere, le fonti, la vita, Milan, FrancoAngeli, 1999, pp. 313-339.

 

Simone de Angelis, “Zwischen generatio und creatio : Zum Problem der Genese der Seele um 1600 – Rudolph Glocenius, Julius Caesar Scaliger, Fortunio Liceti," in Zwischen christlicher Apologetik und methodologischem Atheismus : Wissenschaftsprozesse im Zeitraum von 1500 bis 1800, Berlin, de Gruyter, 2002, pp. 94-144.

 

 

 

 

ゲヌア

 

Francesco Romano, “Averroismo e neoplatonismo nel commentario al De anima di Marco Antonio de’ Passeri detto il Genua,” in Luigi Olivieri (éd.), Aristotelismo veneto e scienza moderna, Padoue, Antenore, 1983, pp. 915-924.

 

 

 

ザバレラ

(1533-1589)

 

Jorge Leonicio Soler, The Psychology of Iacopo Zabarella (1533-1589), Ph D diss, Suny at Baffalo, 1971. 超レア

 

 

 

ピッコロミーニ

(1520-1604)

 

Leonard A. Kennedy, “Francesco Piccolomini (1520-1604) on Immortality,” The Modern Schoolman, 56 (1979), pp. ???-???.

 

 

 

 

クレモニーニ

(1550-1631)

 

Leonard A. Kennedy, “Cesare Cremonini and the Immortality of the Human Soul,” Vivarium, 18 (1980), pp. 143-158.

 

 

 

 

リチェティ

(1577-1657)

 

Hiro Hirai, “Âme de la terre, génération spontanée et origine de la vie : Fortunio Liceti critique de Marsile Ficin,” Bruniana & Campanelliana, 12 (2006), pp. 451-469. 詳細

 

Hiro Hirai, “Living Atoms, the Origin of the Soul and Spontaneous Generation in Daniel Sennert (and Fortunio Liceti).” 詳細

 

 

 

 

日記からの抜粋

 

2008. 5. 14

  リチェティが用いる特徴的な概念の一つに、natura generica というのがあるのですが、これは natura specifica という概念に対するものです。似たようなものとして、forma generica という概念を forma specifica に対してザバレラが用いていることを知りました。やはり、霊魂論自然学のアイデアを生命の科学に用いようとするときには、natura という概念が滑り込む余地が大きいのでしょう。この区別を natura に与えるのは、リチェティオリジナルなのか、それより前にもあるのかはまだ分りません。> ナルディの『ルネサンス思想におけるジゲルス』によると、ニフォにもザバレラと似たような用例があるようです。

 

   この日記に書かなかったために、どこで見たのか忘れて困っていたのですが、霊魂身体を司るには2つのモードがあるという考え方は、もともとアリストテレスエンテレケイアという概念を説明するところに端を発しています。彼は、知識を持つことと知識を使うことを分ける例を用い (De anima, II, 1, 412a23)、それを受けたアヴェロエスの注解 (comm 5) が、後代の forma informans forma assistens の使い分けへとつながって行くようです。上記のザバレラの件といい、この件といい、パドヴァ霊魂論の伝統では、ニフォの『知性についてDe intellectu での議論がカギとなるようです。この著作は有名な単一知性論の話かと思っていましたが、それだけではないようです。

 

  この2つのモードのうちの1つは、霊魂が形相として質料と実体的に結びついて compositum をつくり、身体を informvivifyanimate するものです。もう一つは、身体器官を用いて生命活動をおこなうものです。著作家によって、名前の付け方は違うようですが、ヴェネツィアのパオロの場合、前者が forma inhaerens、後者が forma informans となり、人間霊魂は、forma informans ということになります。それに対して、星辰に付与された霊魂は、forma inhaerens でもなければ、forma informans でもない、とされるようです。イエズス会士のトレトゥスにおいては、前者が forma informans となり、星辰の霊魂のように実体的には結びつかずに機能だけを与えるものは forma assistens と呼ばれ、船の操縦士のような働きをします。おそらく、この辺りがニフォのアイデアに近いのではないでしょうか?一方、リチェティゼンネルトの場合は、前者は essential first actuality にある霊魂で身体を informvivify します。こちらが、むしろ forma informans に当たるかと思います。後者は accidental second actuality にある霊魂によるものです。

 

  ところで例のアダム君との議論に戻ると、やはり formare は身体の形成をつかさどって compositum を作る以前の行為で、informare が生命を付与する行為だと言えると思います。

 

 

2008. 4. 30

   リチェティの著作人間霊魂の起源についてDe ortu animae humanae (Genova, 1602) の複製の件は、費用の払い込みまでオンラインでテキパキと進みました。送料・手数料込みで全部で74ユーロでした。素晴らしい。この著作のリプリントに興味のある方は、お申し出ください。CD-ROM を複製いたします。

 

 

2008. 4. 29

  昨日の Giuseppe Ongaro 氏は既に僕のリチェティ論文やゼンネルト論文を読んでいます。で、彼のメールに返事をする形で一つ質問をしたのですが、それにすぐに答えてもらうと同時に、2009年にイタリアの Marostica というところで予定されている古代エジプトの医学について著作を著したことで知られる Propsero Alpini という人物についての国際会議に招待されました。しかし、どこにあるのでしょうね、この町は?> パドヴァの北の方ですね。しっかりと招待を受けるとともに、僕の読みたいと思っている Alpini の著作『メトディスト派の医学についてDe medicina methodica (Padova, 1611) リプリントを手入することは出来ないか聞いてみました。

 

 今日は昨日の続きで、リチェティ論文の最終稿のチェックをしています。ほぼ完成となって来ました。

 

 話題がリチェティ続きで申し訳ないのですが、彼のデビュ作『人間霊魂の起源についてDe ortu animae humanae (Genova, 1602) をワンショット15セントで複製してもらえそうです。全体で70ユーロくらいの費用で済むかも知れません。去年の夏にトゥールの国際会議で知り合ったパリの図書館の司書さんで、お昼のメールに対して夕方には答えをくれました。> 僕の勝手に想定しているデジタル・アーカイヴの計画に乗り気のようで、これは非常に面白い動きになっています。この計画自体は、コンチェッタナンシーさんとも話しているので、共同作業が可能なら素晴らしい限りです。

 

 

2008. 4. 28

   昨日見つけたリチェティに関する超レア論文の著者である医学史家の Giuseppe Ongaro 氏に試しにメールを送ったら、すぐに PDF 版を送ってくれました。アレン (ディーバス) のように60年代初めから活動している人なので、ナンシさんをはるかに超すような年齢の人だと思いますが、スゴイことです。コンピュータおじいちゃんですね。> 僕の質問に対しても、すぐに返事をくれました。

 

  リチェティの著作の中では、粒子論霊魂論が奇妙なブレンドを見せています。それが、そっくりそのままゼンネルトに受け継がれ、ガッサンディボイル、果てはライプニッツへと形を変えて伝染していく訳です。

 

 

2008. 4. 26

  昨日、新ルーヴァンの図書館でセミナーの開始時間を待っているときに、『ルネサンスにおける霊魂不滅Giovanni Di Napoli, L’immortalità dell’anima nel Rinascimento, Torino, 1963 を手に取って見たのですけれど、やはり医学者の議論については殆ど触れていません。

 

   読みたいマテリアルは幾つかあるのですが、どれも16世紀の超レアなものばかりで入手することはできません。もっとガリカのようなデジタル・アーカイヴが増えないのでしょうか?> ん?ずっと僕の欲しかったリチェティの著作の一つである『人間霊魂の起源についてDe ortu animae humanae (1602) が、マイクロ・フィッシュになってますね。この場合、複製は比較的簡単にできるのですが、どちらにしても紙焼きが大変です。この辺りがネックなのです。いまだに、マイクロを簡単に CD-ROM 化するシステムなり、サーヴィスはないのでしょうか?

 

 

2008. 4. 20

  さらに、パドヴァ霊魂論に関してはイタリア・ルネサンス思想におけるブラバンのジゲル Bruno Nardi, Sigieri di Brabante nel pensiero del Rinascimento italiano, Rome, 1945 がいろいろなヒントを与えてくれそうです。forma informans の概念については、121-127 頁に出ている様子です。アヴェロエス主義者のブラバンのジゲルということで、イタリアからベルギーに戻って来ました。やはり、パドヴァ霊魂論の伝統においてはナルディの研究が豊富な知見を提供してくれますね。> これは入手できそうです。

 

  まだまだ断片的ですが、これでリチェティゼンネルトにおける霊魂発生論が、中世から続くパドヴァの伝統に密接にリンクしていることが分かって来ました。おそらく、この視点からスカリゲルも捉えることは有効であるかと思われます。

 

 

2008. 4. 19

  世の中には、パドヴァアリストテレス主義の伝統を扱う論集は数多く存在するのですが、新しめの『初期近代の哲学におけるパドヴァ・アリストテレス主義の存在 Gregorio Piaia (ed.), La presenza dell’aristotelismo padovano nella filosofia della prima modernità, Padova, Antenore, 2002 というものがあるようです。この論集のなかに霊魂論絡みの論文があるかどうか、内容が知りたいところですが、これを置いている図書館はなかなか見つかりません。

 

  また、『13-14世紀のラテン・アヴェロエス主義者における知性の理論Zdzislaw Kuksewicz, De Siger de Brabant à Jacques de Plaisence : La théorie de l’intellect chez les averroïstes latins des XIIIe et XIVe siècles, Warsaw, 1968 が、いろいろな知見をパドヴァ霊魂論について与えてくれそうなので、早いうちにチェックしたいと思います。これは、アダム君にとっても見ておく価値があるかも知れません。ラテン世界のアヴェロエス主義者たちは、知性の宇宙論的な広がりをしっかりと意識していたのでしょうか?あまり、議論されないのは歴史家の問題意識の次元の問題なのでしょうか?> これは入手できそうです。

 

最後に、『ルネサンスのアリストテレス主義研究:マルクアントニオ・ツィマラ Antonio Antonaci, Ricerche sull’aristotelismo del Rinascimento : Marcantonio Zimara, 2 vols, Lecce, 1971-1978 は見つかりません。霊魂論を扱った章があるか知りたいと思っています。これは超レアで入手難です。> とりあえず、ツィマラの霊魂論に関する新しい小著が出ているようなので、そちらを先にチェックします。

 

 

2008. 4. 13

   デニスの『生命のカタチ:霊魂の末期アリストテレス主義的な理解Denis Des Chene, Life’s Form : Late Aristotelian Conceptions of the Soul, Ithaca, Cornell UP, 2000 は、イエズス会を中心とするルネサンスのアリストテレス主義者の霊魂論に見られる生命概念を取り扱ったもので、この種の本としてはパイオニア的な立場をしめるものです。著者自身はデカルト学者としての関心から、イエズス会を中心に分析対象を選んでいますが、パドヴァの伝統には殆ど触れませんし、スカリゲルの影響を色濃く受けたアルプス以北の状況も扱われていません。もう一つの問題点は、デニスは哲学者だけを取り扱うのですが、生命についての議論を追うために不可欠だと思われる医学教育を受けた自然哲学者のアイデアの分析がない点です。しかし、基本的に原典テクストに密着した分析を展開し、非常に多くのラテン語引用とその英訳を提供しています。2次文献が足りない気がしますが、参照するべきマテリアルが少ないということでしょうか?いや、むしろ探せばパドヴァ霊魂論のコ―ナーに挙げたようなものがいろいろあると思うのですが。

 

 

2008. 4. 11

  最近のクニ君とのやり取りから、パドヴァ霊魂論の伝統に関するマテリアルをまとめておこうと作業している最中に、カリフォルニア会議で再会するデニス (デ・シェーヌ)の本をめくっていたら、僕の知りたかったことに対するヒントが出ていました。ゼンネルト論文の執筆段階で出てきた疑問点なのですが、形相と質料の関係は、一般に言われる可能態 potentiality 現実態 actuality だけではなく、現実態を2つに分けて全部で3つのモードを認める考え方があります。このアイデアの源泉は、アヴェロエスの霊魂論大注解にあるようだと分りました。> 実はアリストテレス自身が『霊魂論』 II1412a21 以降)で、2つの現実態を認めているようです。ただ、アヴェロエスの霊魂論大注解 (巻2、注解5) は、それに対してクリアカットな説明を与えている訳ではないようです。デニスの本に出てくる解釈は、トレトゥスというスペイン人イエズス会士によるもので、むしろルネサンス的な展開だと理解した方が良いような気もします。ゼンネルトや彼のソースであるリチェティが展開しているアイデアはそれに近い感じです。> しかし、デニスの英語は難しい気がします。

 

Form has a twofold acceptation. In one way, a part of substance, which informs matter, and which, with it, makes a composite which is one per se and essentially; such a form is called a forma informans. In the other way, a form or substance that is not united essentially, or substantially, but only by virtue of some operation, as the pilot is united to the ship he moves, or the intelligences to the celestial orbs; such a form is called a forma assistens.

 

以前に話題になったformare/informare の問題につながっています。質料を inform するとは、どういうことなのでしょう?船を操る人間と船の関係は、inform ではないのです。

 

 

 

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