ライプニッツ研究

 



 

最近 BH の日記においてもライプニッツに関する記述が増えてきました。

このコーナーでは BH 的な視点からライプニッツに取りくむためのプラット・フォームを提供しようと思います。

 

 

 

 

日記における記述

2012. 3. 26

  著者から直接にワードファイルでもらっていた論文「ライプニッツにおける種子とモナド:ケミカル・フィロソフィの痕跡Bernardino Orio de Miguel, “Leibniz on Seeds and Monads: The Mark of the Chemical Philosophers” をアメリカに向かう飛行機の機内で読んだのですが、どうもこれはプロの書き物というよりは、雑多なマテリアルがルーズに羅列されたものという感じです。以前にベルリンにいた IWT 君にコピーをとってもらった長尺のスペイン語の論文(1998年)と単著(2002年)があるようですが、その後も活躍ぶりがパッとしないところをみると、いろいろアイデアはあるけれど、うまく書けない人の典型なのではないか?と思えます。

 

 

2012. 3. 15

   ライプニッツについてのセミナーをしていると、どうしてもデカルトのことに触れないといけないのですが、あらためて20年ぶりにデカルト関係のものを読むと、こういうことに普段から慣れ親しんでいる人たちと、僕は自分の作品をとおして対峙しいているのだなと感じ入ります。まったく世界観が違うのですよね。クリストフもふくめ17世紀をやっている人は多かれ少なかれデカルトに何らかのかたちで関係する環境に育っているわけで、どんなにマインドの柔軟な人でも、がんばってアリストテレスは受け入れても、ルネサンスのことが肌身では感じられないというのは納得します。なんだかんだいっても、結局のところ人文主義宗教改革をこういう人たちはリアリティをもって触れることができないのですよね。僕の次の目標は、彼らにもダイレクトにアピールする方法なり、切り口をみつけだしてルネサンスを語らないといけないということです。

 

 

2012. 3. 14

  今日のライプニッツ・セミナーでは、前半に生徒のクラウディアにジャスティンの本の第3章について発表してもらい、後半は小論考「生命の原理と形成的自然についての考察」を読み終わりました。次回からは、小論考「唯一の普遍的な知性についての考察」を読む予定です。> おお、例のライプニッツの小論考「動物の霊魂についての省察 “Commentatio de anima brutorum” の英訳を見つけました。ライプニッツ学者の Donald Rutherford ウェブサイトに収録されていました。これでセミナーの学生に配ることができます。

 

 

2012. 3. 13

  明日の BH 的ライプニッツ・セミナーのために、今日はジャスティンの本『神的な機械:ライプニッツと生命の科学』の第3章をよみたいと思います。> 前半は難しいです。しかし、なぜひとつのことが言いたいだけのために5頁も6頁もついやす必要があるのでしょうか?コンサイスに書いてほしいです。巨大な脚注のなかでの議論を読んでいるようです。あいかわらず誤植も多い気がします。

 

   トマス・アクィナスの質料形相論の話になると、なぜかビルが引用されます。もちろん、そのあとに議論がゼンネルトにつながっていくということになるのですが、不思議なのは、なぜトマスの考えを説明するのに中世哲学の研究ではなく、ビルが使われるのか?ということです。数年前までジャスティンはおもにアントニオの本(2000年)に依拠していましたが、その後にビルの本 (2006年)を勉強したようです。

 

  ふう、なんとか午後の終わりには読めました。前半はおもに2次文献の議論なのですが難しかったです。後半のカドワース形成的自然についての議論はだいぶ分かりやすく書かれてました。全体をもっと第3章の後半のように書いて欲しかった気がするのは僕だけでしょうか?

 

 

2012. 2. 27

送ってもらったワード版での発表要綱「ライプニッツにおける種子とモナド:ケミカル・フィロソフィの痕跡 Bernardino Orio de Miguel, “Leibniz on Seeds and Monads: The Mark of the Chemical Philosophers,” in Einheit in der Vielheit: VIII. Internationaler Leibniz-Kongress (2006), pp. 749-756 印刷しました。時間を見つけて読みたいと思います。

 

 

2012. 2. 25

  じつは何をかくそう、ロンドン時代の直前の2001年ごろは、本格的にライプニッツの研究にとりくもうと思ってマテリアルを集めはじめていました。方向性としては、種子の理論についての博論の研究でつちかった知見を土台にして、キミア生命の科学の交錯するような角度からみてみようというものでした。いろいろな理由からシェキウスゼンネルトをふくむ第2著作であつかった諸テーマを先に研究しなくてはいけないと思うようになり、いったん棚上げしたわけです。これから何らかのかたちでアプローチしていこうと考えていますが、そのウォーミング・アップとして今期のセミナーと9月のベルリンでの会議にとりくみたいと思っています。まずは、ライプニッツ専用頁をたちあげました。

 

  スペインのライプニッツ学者 Orio de Miguel 氏に例の論文の PDF はないか聞いてみました。返事まちです。> ワード・ファイルですが、原稿を送ってくれました。時間があるときに読んでみたいと思います。

 

 

2012. 2. 24

  今年のセミナーの副読本に採用しているジャスティン(スミス)による話題の書『神的な機械:ライプニッツと生命の科学』 (2011年) を読んでいます。たんに内容だけでなく、どういう書き方をしているのか?ということにも注目しています。まだ第2章を終えたところですが、押しが強いというか、とにかく派手な感じがします。なかなか果敢に難しいテーマに取りくんでいるとは思います。この先どうなるか楽しみです。ただ、ちょっと同じ単語のくりかえしが目につきます。思いついたことをササッと書いて、プルーフ・リーダーに編集してもらっているのかもしれません。あと、「〜によれば」というかたちで他の研究者を頻繁に引用します。けっこう誤植も目立ちますね。> ちょっと調べてみたら、顕微鏡による観察からえられた新しい知見がライプニッツの哲学形成にもたらし影響についての博論を、ジャスティンは12年前2000年に出しているのですね。つまり、いきなり最近になって彗星のように出てきたのではなく、それなりに下積みをつんでいるということだと思います。

 

 

2012. 2. 22

  リヨンでのコロキウムの件ですが、僕の第2著作の紹介でも良いということになったので、参加する方向で調整中です。François Duchesneau も呼ぶというというところに何となく惹かれました。2005年のボルドー2006年のパリでの会議であっているのですが、どうもイマイチかみあわなかった人です(ライプニッツを中心とした啓蒙期の生物学のエピステモロジーを専門にしている氏にとっては、キミアのテクスト分析をしていた僕の研究とは方向性がまったくちがうということで接点が見つからなかったということでしょうが、ビルの仕事の伝播のせいで世の中もだいぶ変わってきたと思います)。ということで、今回はどうでしょうか?将来的にはエピステモロジーをやっている人にもアピールする研究の発信のしかたというのを学ばないといけないですね。

 

 

2012. 2. 16

  おかげさまで Academia.edu に公開してあるリプシウス論文とセネカ=リプシウス論文は、とびぬけて人気があるようです。それぞれの訪問者は70人と240人です。それらを読んだ人は納得してもらえるかもしれませんが、リプシウスの主著のひとつ『ストア派の自然学』 (アントワープ、1604年) は世界霊魂についての書物といってもいいくらい、いたるところでこの概念が言及されています。たまたま昨日、ライプニッツの小論考「唯一の普遍的な知性の学説についての考察」 (1702年)(邦訳著作集では9に入っているようです) の英訳をセミナー用に読んでいたところ、この論考は知性単一論の批判 (アヴェロエスにも言及されます)というよりも、世界霊魂の学説の批判とみたほうが良いだろうと思うようになりました。ただしライプニッツは、その2つを混同している節もありますが。> この日記でも、ここのところライプニッツについての記述が増えてきましたので、ついに BH にも専用頁を作りたいと思います。お待ちを!

 

 

2012. 2. 8

  9時からセミナーの初回がありました。飛び入りのクラウディアをふくめて6人の生徒に囲まれて一緒にライプニッツの小論考「生命の原理と形成的自然についての考察」を読みました。最初の一時間は初期近代とか機械論だとかのイントロ的なはなしでおわり、後半のテクストの読みも生徒がたくさん質問をしたので10くらいしか進みませんでした。とにかくも、生徒たちにはライプニッツのうけがいいですね。

 

  しかし、なぜライプニッツは人気があるのでしょうね?去年のセミナーで読んだプラトンアリストテレスも同じくらい難解だとは思うのですが。ひとつ大きな違いとしては、ライプニッツは言語が明瞭なことがあげられると思います。むずかしい概念がゴロゴロところがっていても、プラトンとかアリストテレスのテクストにくらべるとずっと読みやすいということでしょうかね?

 

  これは国際ライプニッツ学会での発表だとおもうのですが、「ライプニッツにおける種子とモナド:ケミカル・フィロソフィの痕跡Bernardino Orio de Miguel, “Leibniz on Seeds and Monads: The Mark of the Chemical Philosophers,” in Einheit in der Vielheit: VIII. Internationaler Leibniz-Kongress (2006), pp. 749-756 というのがあるようです。気になりますね。レアなマテリアルだと思います。どなたか、なんとか入手できないでしょうか?

 

 

2012. 2. 2

  朝からジャスティンの『神的な機械:ライプニッツと生命の科学 Justin Smith, Divine Machines: Leibniz and the Science of Life (Princeton UP, 2011) のイントロを読んでいます。今後のライプニッツ研究をかえるともいわれている本ですが、どうでしょうか?

 

  ルネサンス期やそれ以前の世界をあつかっている僕の目には、なんとも不思議と思われるような問題設定をアンドレアスやジャスティンといった17-18世紀の専門家がするのはどうしてなのかな?とずっと思っていました。どうやらそれは、デカルトライプニッツのテクストを読んでいて遭遇する断片的でコンテクストから完全に切りはなされた古代や中世のアイデアから出発しているからなのだ、ということが良くわかります。彼らはあくまで哲学者であって、歴史家ではありません。ですから、ライプニッツの比較対象はアリストテレスデカルトということが可能となります。古代や中世のアイデアがルネサンス期にどのように変容しつつ、受容されていたか?あるいは伝統的にどういう文脈で議論がおこなわれていたか?といった問題にはあまり関心がないのですね。

 

 

2012. 1. 31

  邦訳のライプニッツ著作集の第9巻にはいっている短めの論考「動物の霊魂について“Commentatio de anima brutorum” は、ゲルハルト版の哲学的著作集 (第7328-332頁)にオリジナルがラテン語で収められていて、その仏語訳1991年に出ているようです。しかし、少し調べてみたところでは、英語訳はないようです。> なお、仏語訳の書誌データは Christiane Frémont, “Leibniz: Commentatio de anima brutorum,” Corpus: revue de philosophie 16-17 (1991), 145-51 となります。読んでみたら、これが英語に訳されていればセミナーで使えたのになあ、と残念に思いました。

 

 

2012. 1. 30

  邦訳版のライプニッツの『著作集』の第9巻を持っている人に質問です。2本目にはいっている「動物の魂」という論考の出典(出所)はどこでしょうか?

 

 

 

 

 

初期の記述から

 

2003. 12. 4

  最近はベルリンの刺青業界にも詳しくなったBHメイトの岩田君が、他ではなかなか見つからない超レア文献のコピーを送ってくれました。感謝です。例のライプニッツとヘルモント主義の関係を論じた2連作の前半「ライプニッツとヘルモント主義者達B. Orio de Miguel, “Leibniz y los Helmontianos,” Revista de filosofia 11-xix (1998), pp. 153-182 です。

 

 

2003. 10. 23

  ファン・ヘルモントライプニッツの関係に関する研究が進んでいるようです。新し目の論文を2本ほど、雑誌『アカデミア』の編集長から教えてもらいました。本来は、フォルチューナ論文の最後の注に入れたらどうか?と提案されたのですが、ま、次回に入れます。しかし、どうして彼は、これらを知っていたのでしょうか?単に博識だから?哲学にいろいろ興味を持っているから?フォルチューナ論文の結語の信憑性を確かめるため?最後のオプションが一番可能性が高い気もしますが、文句を言って来ないところを見ると、フィチーノとライプニッツのつながりの可能性を納得したのでしょう。また、原稿全体に対する感想も、いつか聞きたいと思います。問題の2つの論文は早めに入手したいと思います。>どこにも見つからない超レア・アイテムです。困った!

 

              Bernardino Orio de Miguel, “Leibniz y los Helmontianos,” Revista de filosofia (Universidad Complutense de Madrid) 11-xix (1998), pp. 153-182; 11-xx (1998), pp. 149-199.

 

 

2002. 02. 07

  岩波の『思想』誌の見本として特集「ライプニッツ」(200110月号) を頂きました。始めて触る雑誌ですが、海外の学術雑誌によくあるストイックなまでに渋い装丁です。本来これが正しいのかもしれません。内容は縦書きですが、注もしっかりついた学術論文をそのまま載せるという感じです。特別に、BH用に初期近代モノを特集した号を選んで頂いた訳ですから内容を紹介しておきます。すぐに気がつくことは、最先端を進んでいる海外の研究者 Fichant Duchesneau 各氏の寄稿は、歴史的手法(つまり Intellectual History)によるものですが、数学史の人を除いた日本人の寄稿は、相変わらず哲学的方法に拘っています。スピノザ研究同様、日本のライプニッツ研究の歪んだ現状が容易に覗えます。ちょっと、ライプニッツ研究の殿堂 Studia Leibnitiana 誌を見たって、哲学史研究ばかりですよ。日本は世界から完全に乖離していると思います。オリジナルと言えれば良いのですが、そうではない場合、世界の人と話が通じないというのは宇宙人扱いされ続けることを意味します。どちらにしても、本号はかつての『現代思想』(青土社) のライプニッツ特集(何年何月号か忘れました)と並ぶ邦語でのマスト・アイテムです。300頁ぎっしりで2000円ですので、初期近代の Intellectual History 研究者の諸氏、是非どうぞ。

 

I 現代思想とライプニッツ

ヨーロッパ学問史の中のライプニッツ

ライプニッツにおける原初的思考対象(プロトノエマ)の問題

モナド論・基礎有論・メタ有論:もうひとつの〈ライプニッツ-ハイデッガー問題〉

 

II モナド・表象・オプティミズム:ライプニッツ哲学の可能性

地上のオプティミズム:ライプニッツの社会哲学への視点と数学的方法

ライプニッツと意識・記憶・表象

「予定調和の体系」と機会原因論の批判

ライプニッツと生命体の科学

サミュエル・ベケットのモナド・機械・他者:無窓性のドラマトゥルギー

ライプニッツにおける記号的認識と普遍記号法

 

III 比較哲学への視座

ライプニッツと中国

ライプニッツの中国学:昨日と今日

表意文字とユートピア:ライプニッツによる普遍エクリチュール

 

IV 数学史の観点から

精神の最も自由なる探索の中で:ライプニッツ数学の目標と方法

「差異算の歴史と起源」の二稿本

『人間知性新論』の数学史的背景

 

佐々木 力

石黒ひで

酒井 潔

 

 

佐々木能章

谷川多佳子

M. フィシャン

F. デュシェノー

森 尚也

岡部英男

 

 

孫 小 礼

R. ヴィドマイアー

A.-M. クリスタン

 

 

E. クノープロッホ

原 亨吉

林 知宏

  

 

2001. 03. 07
    
ロンドン用の研究計画のテーマは、『フィチーノからライプニッツまでの初期近代自然哲学における vis plastica の概念』と言うもので、ニュートンにも影響を与えたケンブリッジのプラトン主義者ラルフ・カドワースの「形成的自然」(プラスティック・ネイチャー)の理論について聞いたことがある人は、ピンと来るかもしれません。この概念の元になったアイデア群が、16世紀の大陸の理論家達の間でどのように発展して行ったかを調べます。もちろん、フィチーノから始まり、ルネサンスのオカルト哲学伝統からキミアの伝統に入り、ここで、医学的な発生学の流れとぶつかりながら、ダニエル・ゼンネルトという17世紀前半に活躍したスコラ=パラケルスス主義者での統合、その後、17世紀の「新哲学」の主導者達を経つつ、アタナシウス・キルヒャーやケンブリッジ・プラトニストの著作で黄金期を迎えます。その後に、ライプニッツの反応を調べて、上手く行けば George Berkeley まで触手を伸ばすという、かなり野心的なものです。

 

 

2000. 12. 23
   
今日は地質学史懇話会での発表です。130から5時まで、僕の発表は400からだそうで、昨日のやり過ぎがたたって、今1230ですがまだ家にいます。演題は、『地下世界:ライプニッツ以前の地学史研究の課題』となっていて、潜在的にいろいろ言わねばならぬことが山積しているのですが、準備ができていません。喉は相変わらずガラガラです。
 
    
結局、会場についたのは3:00過ぎで、第2講演者の山田さんの発表が半ばを過ぎているところでした。元締めの矢島さんは、僕が来なかったらどうしようと思って慌てていたそうです。発表の方は、アグリコラの『地下の事物の起源について』に絡めてセネカの重要性とルネサンス人文主義のインパクトを、パラケルスス主義と化学哲学の地下世界についてのアイデアへの影響、そのキルヒャー『地下世界』1665)への結晶化、ベッヒャー『地下の自然学』1669)への展開、ライプニッツ『プロトガイア』1691)への収束という、かなりスリリングな、普段機械論礼賛の科学史のなかで無視されている当時の人にとって重要であった地学思想の伝統、17世紀の「地下の自然学」の伝統の読み解き方、これから日本に居る歴史家が世界に向けて発信する研究として何をアタックすべきかを説明しました。みんなびっくりしたみたいで、大成功でした。懇親会で、『化学史研究』で活躍されている八耳さんにもお会いしお話しました。
 
  

2000. 09. 19
    そう言いながら、Francois Duchesneau デカルトからライプニッツまでの生き物のモデル  Les modèles du vivant de Descartes à Leibniz, Paris, Vrin, 1998 を読み始めています。17世紀にいかに「生命」あるいは「生き物」が理解されていたかを探るこれまでなされた歴史研究の集大成と言えます。第1章で Van Helmont Harvey、第2章で Descartes、第3章は Gassendi です。

 

2000. 06. 19
    
ライプニッツ研究の権威でもある Catherine Wilson の『初期近代哲学と顕微鏡の発明  The Invisible World: Early Modern Philosophy and the Invention of the Microscope, Princeton UP, 1995  を読み始めました。同時期に幾つか出た17世紀の顕微鏡とその文化的インパクトの歴史の中では、最もライプニッツをはじめとする哲学者(自然学者)のリアクションに詳しい本ではないでしょうか。発生学や解剖学との絡みでのより生物科学史的な関心からのアプローチを期待する読者にも十分応えるものだと思います。17世紀顕微鏡史の5人のヒーロー(ロバート・フック、マルピーギ、スワメルダム、グルー、レーウェンフック)にその記述のメインは割かれています。単なる事実確認の記述と言うよりは、文化史・思想史的な文脈中にきちんと当時の顕微鏡観察のインパクトが捉えられている好著です。

 

2000. 06. 04
    
ライプニッツ関係で、Donald Rutherford ライプニッツとモナドの凝集の問題 "Leibniz and the Problem of Monadic Aggregation," Archiv für Geschichte der Philosophie 76 (1994), pp. 65-90 Catherine Wilson ライプニッツと原子論 "Leibniz and Atomism," Studies in History and Philosophy of Science 13 (1982), pp. 175-199、そして最近著作を出したベルリンのライプニッツ学者 Philip Beeley の「ライプニッツと前ソクラテス伝統 :若きライプニッツの哲学におけるアナクサゴラスの物質理論の影響について Leibniz und die vorsokratische Tradition: Zur Bedeutung der Materietheorie von Anaxagoras für die Philosophie des jungen Leibniz," Studia Leibnitiana Supplementa 27 (1990), pp. 30-41 と「偽る意味 『ヒポテシス・フィジカ・ノヴァ』における現象と現実性  "Les sens dissimulants: Phénomenes et réalite dans l’Hypothesis physica nova," Studia Leibnitiana Sonderheft 24 (1995), pp. 17-30 と。

 

2000. 05. 25
    
一昨日の収穫ブツから、さっそく、M.A. Stewart 17世紀のヨーロッパ哲学研究 Studies in Seventeenth-Century European Philosophy, Oxford, Clarendon, 1997 に収録されているライプニッツの初期哲学に関する論考 Christina Mercer 機械化されたアリストテレス:ライプニッツと改革哲学  "Mechanizing Aristotle: Leibniz and Reformed Philosophy," pp. 117-152 とライプニッツの哲学への同時代人の微生物の顕微鏡観察のインパクトについての論文 Catherine Wilson 「ライプニッツとアニマルキューラ "Leibniz and the Animalcula," pp. 153-175 を読みました。論集の下になったシンポジウムは、1992年に開かれたらしいので出版とのタイムラグがあります。はじめの Mercer 氏の研究は、初期のライプニッツのアリストテレス主義的要素についてのもので重要ですが、キミアの事には全く触れていません。一方のライプニッツ研究の大家 Wilson 氏は、もう一歩研究を進めて、17世紀の顕微鏡と哲学者達の関係についての著作を書いています。『不可視の世界:初期近代哲学と顕微鏡の発明  The Invisible World: Early Modern Philosophy and the Invention of the Microscope, Princeton UP, 1995 です。
 

2000. 05. 21
    
先週半ばに受取った Pierre Deghaye の『パラケルススからトーマス・マンまで : ドイツ・ヘルメス主義の最盛期 De Paracelsus à Thomas Mann: les avatars de l’hermetisme allemand, Paris, Dervy, 2000 という530頁余りの大冊のなかに再録されている「17-18世紀における「仲介者」の神智学的概念と哲学的二元論“La notion théosophique de médiation et le dualisme philosophique au XVIIe et au XVIIIe siecles,” pp. 196-249 という長めの論文が僕にとって超がつく重要なアイテムであることがわかりました。ベーメから始まって17世紀後半の哲学者達、デカルトモアカドワースライプニッツベールニュートン等がメインに登場します。テーマは、言ってみれば「霊魂と肉体」間の仲介者としてのスピリトゥスプラスティック・ネイチャーについての議論です。もともとは、1977年発表ですが、ほとんど無視されていたところへの再公刊で日の目を見る事になった感があります。最初に発表したのは、文学系の論集ですから、発表場所が良くなかったのでしょう。大変な力作です。2-3回再読する価値があります。

 

 

2000. 05. 19
    
今問題にしているライプニッツベッヒャーの関係を探る第一歩として P.H. Smith の『錬金術のビジネス:神聖ローマ帝国における科学と文化 The Business of Alchemy: Science and Culture in the Roman Empire, Princeton UP, 1994 が非常に役に立つ事を発見しました。

 

 

2000. 05. 16
    
今日は、Roger Ariew & Daniel Garber 編のライプニッツの『哲学的エッセー  Philosophical Essays, Indianapolis, Hackett, 1988 です。ちょっとケチって6.5ドルのものに手を出したら、前所有者がペンでマークした後が無数にあって、余り気持ちが良くありません。この値段だから仕方ないか?
 
    
まだまだ、ライプニッツの流れは続きます。『ケンブリッジ版ライプニッツ入門 The Cambridge Companion to Leibniz, Cambridge UP, 1995 に収められている論文を読んでいます。やはり、中心的関心は初期(1660年代から1676年まで)哲学にあります。今の段階は、この時期の彼の著作と傾向を探る一般的段階です。まだ、数学や力学に関心を抱いて熱心に研究をし数々の業績を上げる前の時代です。この頃彼は、「物質の最も内的深遠を探求した」と後で語っています。物質の内的な最も深いところにあるもの研究に化学的アプローチは不可欠です。そう言った訳で、1668年頃からキミアに関しての読書を進めていたように感じられます。僕が現在仮定しているのは、ベッヒャーの影響ですが、まだまだ推定と言った段階です。
 


2000. 05. 15

    
先日からの流れで、またライプニッツ関係を読んでます。今日は、少し古め Catherine Wilison の『ライプニッツの形而上学:歴史的・比較的研究 Leibniz's Metaphysics A Historical and Comparative Study, Manchester UP, 1989 いう1990年代以降のライプニッツ研究の基本となっている一書です。ライプニッツの哲学キミアの関係はやはりその初期に大きいと確信しています。

 

2000. 05. 12
    
昨日からの流れで、以前に入手していた Allison P. Coudert et al. 編の『ライプニッツ 神秘主義と宗教 Leibniz, Mysticism and Religion, Dordrecht, Kluwer, 1998 という論集を読みました。特に、Stuart Brown の「ライプニッツのモナドロジーへの幾つかのオカルト的影響 "Some Occult Influences on Leibniz’s Monadology, " pp. 1-21 という論文がお目当てでした。ライプニッツの若き日の錬金術への傾倒がどのように後期のモナドロジーに結びつくかを吟味しています。でも、しょせんは哲学史家、実際のところどんな著者や著作に影響を受けたかは明らかにされていません。ゲス・ワーク(推量)的な所が多いです。例えば、Johann Baptista Van Helmont の事を頻繁に引き出しますが、結局は、ファン・ヘルモントに関しては Walter Pagel の著作によるだけで実際のファン・ヘルモントの著作の一行たりとも読んでいないというのが現状のようです。あきれます。アイデアは良いのに。これは、Allison P. Coudert にもいえます。「自然魔術とカバラ」のコーナーで紹介している彼女の『ライプニッツとカバラ Leibniz and Kabbalah, Dordrecht, Kluwer, 1995 は、それ自体は良い本なのです。そのアイデアと言い、構成といい。問題は、「錬金術の影響を受けた」という一般的な表現でこの問題を片付けてしまっているところです。  
 
    
クレリキュッチオ氏主催で12月にローマで行われる「17-18世紀の生命と物質観について」という国際学会で発表するべく論文のテーマをずーと、漠然とながら、考えています。どうしようかな。やはり、「ルネサンスの種子の理論」をメインにする事に戦略的戸惑いは無いのですが、それをさらにどう発展させて主題とマッチングさせるか?フランチェスコ・レディにおけるガッサンディの種子の理論の影響を語るか、ライプニッツと種子の理論の関係まで行けるか?悩みはそんなところです。
 


2000. 05. 11

    
今週は、ずっと火曜日に借りてきた Stuart Brown 編 『若きライプニッツとその哲学 The Young Leibniz and his Philosophy (1646 -76), Dordrecht, Kluwer, 1999 という論集を読んでいます。中でも、Cathrine Wilson の「『自然の全てについて』における原子、思惟、渦巻き : ホッブスとスピノザに対するライプニッツ "Atoms, Minds, and Vortices in De summa rerum: Leibniz vis-a-vis Hobbes and Spinoza," pp. 223-243 という論文と S. Brown の「『自然の全てについて』の前モナドロジー  "The Proto-Monadology of the De summa rerum," pp. 263-287 という論文に注目しています。この2論文が中心に扱う 『自然の全てについて』 というライプニッツの著作は、1675年から1676年ごろのパリ滞在期に書かれた自然哲学的なもので、「ライプニッツの最初の体系的な哲学提示を試みた主著」と評されていて、先ごろ(1992年に)英訳されてのち注目を集めるようになりました。
 

2000. 05. 09 
    
今日は、またまたルーヴァン詣での日です。押し並べて事は順調に運びました。図書館内には、余り学生は居ません。もうすぐ試験の季節だからでしょうか。例によってライプニッツヘンリ・モアを中心にガッサンディケプラー関係の文献を集めています。20本余りの論文のコピーとりました。でも、本をちょっと借りすぎてきたきらいがあります。二週間で処理をしないといけないので、後が大変です。

 

2000. 04. 25 火
  例によって、2週に1度のルーヴァン詣での日です。今日は、コピー機の調子は前回より悪くなく、沢山の文献を漁集する事ができました。主に2つの方向性で資料を探っています。一つは、ライプニッツアトム論・モナド論・ケンブリッジプラトニストとの絡み関係です。もう一つは、17世紀初頭のドイツの天文学者ヨハネス・ケプラーについての基本資料です。これは、ケプラーの「地球の霊魂」に関する概念を調べようとしての第1ステップです。この概念についてあまり真面目に調べた人は、フランスの G. Simon (1979年)氏以外には、余り居ないなと言うのがここまでの実感です。でも、まだまだ、基本的な資料を一通り集めたわけではありませんので、分りません。このケプラーライプニッツ、遠いようでいて近しい関係です。僕に言わせれば、二人ともれっきとした「ルネサンス人」です。

 

 

2000. 04. 14

    昨日からの勢いで、ライブニッツの錬金術に対する関わり合いを扱った論文を幾つか立続けに読んでいます。どれも George MacDonald Ross という人の作品で1970年代半ばから1980年前後のものです。順に上げると「ライプニッツと錬金術 "Leibniz and Alchemy," Studia Leibnitiana 6 (1974), pp. 166-177、「ライプニッツとニュルンベルグ錬金術結社」("Leibniz and the Nuremberg Alchemical Society," Studia Leibnitiana 6 (1974), pp. 222-248、「錬金術とライプニッツの形而上学の発達 "Alchemy and the Development of Leibniz’s Metaphysics," Studia Leibnitiana Supplementa 22 (1982), pp. 40-45、そして、「ライプニッツとルネサンス・新プラトン主義 "Leibniz and Renaissance Neoplatonism," Studia Leibnitiana supplementa 22 (1983), pp. 125-134)です。
   

2000. 04. 13
   
ライプニッツモナド理論は、僕が博士論文でテーマにしたルネサンスの種子の理論にその根を持っていることはきわめて明白です。今日は、モナドとファン・ヘルモントの関係を追った論文を二つまず読みました。Anne Becco の「モナドの源泉を求めて "Aux sources de la monade: paleographie et lexicographie leibniziennes," Les études philosophiques (1975), pp. 279-294 と 「ライプニッツとフランソワ・メルキュール・ファン・ヘルモント "Leibniz et Francois-Mercure Van Helmont: bagatelle pour des monads," Studia Leibnitiana, Sonderheft 7 (1978), pp. 119-142 です。ちなみに、この二つの論文を下に構想を膨らませてヒット作をモノにしたのが Allison P. Coudert ライプニッツとカバラ」(Leibniz and Kabbalah. Dordrecht, 1995)ですね。この中では、ライプニッツの後期哲学における地球論を探る鍵になるファン・ヘルモントの名で彼が出版した『創世記註解』についての経緯も説明されています。以前、稲毛海岸の友人にこれのコピー渡したのですけれど彼は読んだのでしょうか??

 

2000. 04. 11
   
例によって「聖地」ルーヴァンにお参りに行く日です。今回は、稲毛海岸の友人に頼まれた文献のコピーもしなくてはなりませんでしたが、コピー機の調子が非常に悪くて腹が立ちました。哲学科の図書館では、イースターの休みが近いせいでしょうか、学生が殆ど誰も居ませんでした。これ幸いと、コピーすべき文献の入っている本を掻き集め地下のコピー機のところに行くと、一台しかないコピー機には「故障」の張り紙が!!わざわざここまで来る日に限ってこういう仕打ちが待っているとは!これも天命。仕方なく本を借りるだけで、3時にはいそいそと帰る事になりました。今回は、ルネサンス・ドイツのカバラ主義者ロイヒリンの関係の本とライプニッツの関係の本を中心に借りました。全部で10冊。これらを買うとなったらただ事ではないし、日本などでは到底手に入りにくいアイテムばかりですので、その点はいつも感謝しております。今、またライプニッツにこだわり出しています。博士論文で扱ったテーマの延長として彼の思想を見たとき、普通の歴史家とは180度違った角度から彼の思想にアタックできるので、これは大きな強みです。もちろん、ここでも、合言葉は「キミア」です。

 

2000. 04. 05
   
今日は、昨日王立図書館にて仕入れてきた B. Gemelli の論文 ライプニッツと古典主義原子論 機械論から生物論へ "Leibniz e l'atomismo classico Dal meccanicismo al biologismo," Nouvelles de la Republique des Lettres **-2 (1997), pp. 49-76 を読みました。力作です。特に、その第7部では、機械論的原子論に満足していなかったライプニッツが、顕微鏡観察から得られた知見を下に、生物学的なパースペクティヴを持った「モナド」の理論を完成させる道筋が描かれています。そこでは、かなりライプニッツにおける「種子」の理論に言及されています。この人の研究は確かに素晴らしいのですが、弱点は「種子」の理論の源泉をルクレティウスの伝統の中にしか認めていない点です。つまり、ルネサンス期の「キミア」、特にセヴェリヌスの「種子」の哲学がなした業績をほぼ無視している点です。従って、この Gemelli 氏の中では、ガッサンディは、デモクリトス流の純粋な機械論的な原子論を推進していた人間としてしか見られていません。実は、ガッサンディのライプニッツヘ影響は、ライプニッツの友人であったファン・ヘルモント(息子)の「種子」の理論の影響とも相まって大きいものであるはずなのに... ライプニッツについては、詳しく吟味する時間はありませんでしたが、ガッサンディまでのルネサンス期の種子の理論の歴史は、僕の博士論文にまとめてあります。M.J. Osler 氏同様、この人にも僕のガッサンディを送っても良いのですが、それよりも、いつか近い将来にこの Gemelli 氏と面と向かって意見交換する日が来る事を祈った方が良いなと思っている次第です。早く博士論文の出版を急がねば!!
   

2000. 03. 14

    リェージュの隣り町のルーヴァン大学の図書館(ここは本当に素晴らしいところです)に「ブツ」を仕入れに行ってきました。特に、ライプニッツの錬金術との関係を扱った論文を多数コピーしました。なお、ISIS CURRENT BIBLIOGRAPHY 1999 は、まだ出ていないみたいです。仕入れ日は、読書と言うよりも、集めたコピーの整理で一日が終ります。

 

 

2000. 03. 08
   
Guido Giglioni ボイル、ライプニッツ、そして生命と思惟の概念についての論争 "Automata Compared : Boyle, Leibniz and the Debate on the Notion of Life and Mind," British Journal for the History of Philosophy 3 (1995), pp. 249-278 を読みました。ボイルライプニッツカドワース、その他に興味のある人は読んで見ると良いです。この人の関心は、全く同じではないのですが、個人的にすごくクロスするところがあるので前から気になっていました。同氏の Van Helmont についてのモノグラフィももうすぐ出るみたいですので、期待大です。この人は、スゴイです。

 

 

 

ホーム