トゥール国際会議

 

ルネサンス期における医学の実践と思想

 

 

 

フランスはトゥールにあるルネサンス文化研究所で、

200772日から6日にかけて行われる国際会議です。

 

 

プログラム

 

 

論集出版までの道のり

 

2009. 4. 10

   出来たてホヤホヤの湯気の出ているトゥール国際会議からの論集『ルネサンスにおける医学実践と理論 Jacqueline Vons (ed.), Pratique et pensée médicales à la Renaissance, Paris, BIUM, 2009 が届きました。封を開けたところです。

 

 

 

2009. 4. 9

   仏語版ゲマ論集の収録されたトゥール国際会議からの論集『ルネサンスにおける医学実践と理論 Jacqueline Vons (ed.), Pratique et pensée médicales à la Renaissance, Paris, BIUM, 2009 が出版社のサイトでも買えるようになりました。アマゾン・フランスで入手できる日も近いでしょう。フランスにおけるルネサンス医学史研究の最先端を知るためのよいショーケースです。ぜひとも身近の図書館にリクエストを出してください!

 

 

 

2009. 4. 3

  とうやら、仏語版ゲマ論文の収録された2007の夏のトゥール国際会議からの論集『ルネサンスにおける医学の実践と思想 Jacqueline Vons (ed.), Pratique et pensée médicales à la Renaissance, Paris, BIUM, 2009 が、ついに発売されたようです。内容のパンフレットはこちらです。僕のところにも、そのうちに届くはずです。

 

 

2009. 2. 12

  ついに、アマゾン・フランスでもボイル論集は入手できるようになりましたが、僕の一時帰国までには届きませんでしたね。それから、そろそろ仏語版ゲマ論集の入ったトゥール国際会議からの論集『ルネサンスの医学実践と思想Jacqueline Vons (ed.), Pratique et théorie médicales à la Renaissance, Paris, Medica, 2009 も出版されるはずです。そして、パラケルスス論文の入る Revue d’histoire des sciences 誌の2008年後半号が出るのも、もうすぐのはずです。

 

 

2009. 1. 7

    今月の10日が締め切りなのですが、仏語版ゲマ論文の校正指示を提出しました。

 

 

2008. 12. 27

  午後からは、仏語版ゲマ論文の校正を終わらせました。> 今回の編者さんの仕事は本当にいい加減です。もともとなかったミスが幾つも挿入されています。困りました。

 

2008. 12. 26

  一昨日届いた仏語版ゲマ論文の校正刷りをチェックしたいと思います。

 

 

2008. 12. 23

   トゥール会議からの国際論集のための仏語版ゲマ論文の校正刷りが届きました。2009年の初めには論集が出版されるでしょう。既に仏語版ボイル論文、パラケルスス論文、そしてこの仏語版ゲマ論文の校正刷りが来たことで、2009年前半には3本の論文が確実に出版されることになります。ラッシュですね。

 

 

2008. 8. 26

  ここに書いたか覚えていませんが、トゥールの会議から出る論集用に提出した仏語版ゲマ論文は、ナンシーさんの家にいるときに編集者のジャクリーヌから短くしろといわれて、あわててラテン語を切って文字数を稼いで急場をしのいだのでした(書いてますね、2007年の11月4日付の記述です)。それがですよ、今の今になって原稿を読んでみたらラテン語があった方が良いから、ロング・ヴァージョンを乗せよう&文字数のことは気にしなくて良いからと言って来ました。何てプロ意識のないワガママな人なのでしょう!しかも、原稿を提出させてから1年近くも何をしていたのでしょう?今頃になって、全ての原稿を読み終わったとか言っています。ああ、ジェルマーナのような素晴らしい人と一緒に仕事をしていると、このような素人じみた仕事振りにはホトホト呆れてしまいます。仕方ないので、ロングでもショートでも、お好きなようにしてくださいと答えておきました。

 

 

 

1年経過

 

2007. 11. 6

  仏語版ゲマ論文は、泣く泣く緊急処置として引用のためのラテン語を削って文字数を落とした訳ですが、先方から返事があり、それで問題はないようです。あとは編集の人が読んで、細かいことを言って来るかも知れませんが、それは通常のプロセスです。

 

 

2007. 11. 4

  帰って来てメールボックスを開けると、出発前に提出した仏語版ゲマ論文が、35000の文字制限を超えているというメールがありました。そこにスペースを含むと言っています。でもですよ、最初に貰った注意書きのメールには35000字とだけ書いてあって、スペースのことは一切触れてなかったのです。脚注をカウントするのは当たり前として、スペースをカウントするとは思いませんでした。で、スペースを含める方法でカウントし直してみると41000字あります。仕方なく、すぐに出来ることということでラテン語を切り取りました。これで、34991です。まだ文句を言ってくるでしょうか?

 

 

2007. 10. 29

  やっと、トゥール会議のために建て替えていた480ユーロが帰って来ました。今回はホテル代も含んでいるので、額面が大きかったですね。国際会議に招待されるのも良いですが、こうして大きな額を立て替えなければいけないシステムを何とかして欲しいと思います。

 

 

2007. 10. 28

   やっとのことでマリー・ローにしてもらった仏語版ゲマ論文のプルーフ・リーディングをチェックできました。そして、一回読み直した後、編集担当のジャクリーンに原稿を提出しました。何とか締切には間に合いましたね。

 

 

2007. 10. 16

  マリー・ローによる仏語版ゲマ論文のプルーフ・リーディングが帰って来ました。帰って来たのは金曜なのですが、オープン・オフィスというソフトで書かれていたので、どうやって開けるか分かるまでに時間がかかりました。まだ内容の吟味は出来ていませんが、今月末が締切なので早くやっつけてしまわないといけません。

 

 

2007. 10. 3

  トゥールで会ったマリー・ローが、仏語版ゲマ論文のプルーフ・リーディングをしてくれることになりました。助かりました。

 

 

2007. 9. 14

  今日はゲントに行かないで、トゥール会議からの国際論集のための仏語版ゲマ論文のショート・ヴァージョン (合計3つのヴァージョン!が存在します)の書式合わせをしました。文字数を35000まで落とさないといけませんが、200単語のレジュメをつけると少し超過してしまいます。ギリギリまで文字数を落として、やっとの思いで制限内に収まった!とウキウキしたすぐ後に、レジュメを足さなければいけないことに気がついたからです。トホホ。何ともマヌケな。テクストをいじらないで、注だけ切ることで文字数を減らすことはもう不可能です。> この原稿は10月末が締切なのですが、ラテン語の訳のチェックを外注していますし、最後に誰かにプルーフ・リーディングしてもらわないといけません。

 

 

2007. 8. 21

  トゥールの国際会議の模様はヴィデオに収められたのですが、僕の発表のクリップを見てみました。ジャン・マルクの発表が30分くらいあって、僕の番はその後になります。興味ある人は探してみて下さい。

 

 

 

会議までの道のり

 

2007. 7. 11

  今日は、トゥール会議の旅費返還の申請書を書いて封をし、Gad Freudenthal 氏にレオニチェノ論文を送りつけるために添付する数行の手紙を書いただけで終わりました。> それから、本当に久しぶりにウェルカムのヴィヴィアンにもメールを書いて、レオニチェノ論文を添付しました。おそらくは、彼が覆面査読員の一人だったとは思うのですが、まあ、良いでしょう。あとは、ルーヴァンの Carlos Steel とパリの Danielle Jacquart 両氏に送るために簡単な手紙を書けばOKです。

 

 

2007. 7. 10

  トゥール会議の会場に設けられた本屋スタンドに展示されていた僕の本を買ってくれた Marie-Laure にも、レオニチェノ論文を送ったのですが、返事が来ました。ちょっと引用します:

 

J'ai lu l'article que tu m'as donné à Tours et j'ai commencé ton livre. Ton travail est vraiment magnifique. Je regrette que nous n'ayons pas eu le temps de discuter après nos communications.

 

 

2007. 7. 7

  一人寂しく過ごした夜を乗り越え、朝9時前に起きて身支度をし、朝食をとってホテルをチェック・アウト。重くなった荷物をゴロゴロと引きずりつつ、早めに駅まで歩いて行って、10時半の電車を待ちました。トゥールから出る新幹線ではなく、次の駅で乗り換えだったのですが、間違えずに上手く行きました。アナウンスが聞き取れない外国人旅行者には、待ち時間も短くて難しいと思います。しかし、毎回思うのですが、フランスの新幹線は1等車に乗るメリットが殆んどありませんね。> あと15分から20分ほどで到着する予定のパリのモンパルナス駅では、HGS 君が僕を待ってくれているはずです。一緒に昼食を食べる予定です。車中での BGM BGM です。

 

  HGS 君との会話は、他に誰も交えない1対1だったせいか、普段は話せないようなことまでじっくりと話すことが出来て非常に良かったと思います。結局、列車の到着の11時半から3時まで昼食とカフェを含めて、3時間半ほどたっぷりと話をすることが出来ました。僕が残念に思うのは、こういう話が数年前に出来ていれば、ずっとその後の展開も違ったと思うことです。なぜその時に彼にその気がなかったは分りませんが、ま、言ってみれば、そのときは機が熟していなかったということなのでしょう。いくら話をしようと思っても、対話の相手の準備が出来ていないようでは何にもなりませんからね。

 

  今は、パリからの直通でリェージュに向かう新幹線中にいます。食事も終わり、あと1時間ほどで目的地に到着する予定です。これで丸々1週間に及ぶトゥール遠征も幕を閉じます。本当に長かったです、今回は。この調子では、おそらく来週は何もする気になれないと思います。> 全体を振り返っての感想といえば、何といっても今回の最大の収穫は、ジャン・マルク Jean-Marc Mandosio と仲良くなったことだと思います。以前に、新ルーヴァンでの中世魔術のセミナーで初めて会った訳ですが、そのときは突っ込んだ話をする機会は全くありませんでした。今回も、初日は挨拶を交わしただけで話をする感じではなかったのですが、何かの機会をきっかけに一番の仲良しとなりました。

 

 

2007. 7. 6

  さあ、今日が真打ちの登場です。午前初めのセッションですから、まだまだ人々が疲れていないので順番的には良い方です。ビシッと行きましょう。

 

Jean Marc Mandosio (Sorbonne), “Médecine et magie dans le De magia naturali de Jacques Lefèvre d'Etaples (1493-1495)”
なかなか良かった発表です
Hiro Hirai (Gand), “Lecture néoplatonicienne d’Hippocrate chez Fernel, Cardan et Gemma”
上手く行ったでしょうか?
Marie-Laure Monfort (Lyon 3), “Le Medicina siue Medicus de Janus Cornarius, une réplique à la Medicina de Jean Fernel”
ちょっとつまらないかな?
Laurent Gerbier (Tours), “Origines et fonctions de l’analogie entre médecine et politique chez Machiavel”
思ったよりも良かったです
Magdalena Kozluk (Pologne) et Jean-Paul Pittion (Tours), “L’Art de vivre longuement sous le nom de Médée de Pierre Jacquelot (1630)”
まあまあ。結婚式みたいなものです。
Candice Delisle (Wellcome), “Epistulæ de Conrad Gesner”
既に何回か聞いたものです
Svetlana Hautala (Sienne), “Médecins et charlatans sur les places en Italie à la Renaissance”
これは伊語での発表でしたが、モノトーンな発声で眠くなりました
Christine Bénévent (Tours), “La correspondance d’Erasme comme lieu de consultation médicale”
期待はずれ
Jeanine Delandtsheer (Leuven), “La correspondance de Juste Lipse comme lieu de consultation médicale (1516-1565)”
まあまあ

 

 

  ああ、これで1週間の全行程が終わりました。さすがに、どっと疲れましたね。> あ〜あ。皆、帰ってしまいました。今晩、トゥールに残るのは僕だけのようです。ファースト・フードで済ませて、9時過ぎにはホテルの部屋に帰って来ました。こんなに早く帰って来るのは初めてです。今日中にベルギーに戻るように旅程をセットすべきでした。トホホ。恒例となった感のある夜の散歩もせずに、11時にはフテ寝してしまいました。

 

 

2007. 7. 5

  そろそろ疲れて来ました。明日の発表に備えてコンディションを整えるために、今日はスローな動きで行こうかと思っています。> 昼食時にまたジャン・マルクとアレクサンドルの二人が同じテーブルとなり、彼らのペースに乗せられています。16世紀にヒポクラテス全集を訳した Janus Cornalius を研究しているリヨン大の Marie-Laure 僕の本を買ってくれました!

 

Marilyn Nicoud (École française de Rome), “Pratiquer la médecine dans l'Italie de la fin du moyen âge : enquête sur les statuts communaux et de métier”
Élisa Andretta (EHESS), “Les médecins de Paul III. Cultures et pratiques médicales à la cour romaine des Farnèse”
Christian Warolin (Président d’honneur de la SFHP), “L'émergence des communautés d'apothicaires à Paris et à Tours XVIe-XVIIe siècles”

Claude Viel (Tours), “Thibault Lespleigney, apothicaire tourangeau (1496-1567)”
Andrea Carlino (Genève), “Le médecin et l'antiquaire. Une rencontre à Padoue vers la moitié du XVIe siècle”
Philippe Charlier (Lille 3), “Gestuelle des embaumements au XVe siècle”

Laurent Paya (Montpellier), “La Maison de la Charité chrétienne de Nicolas Houel”
Marie Viallon (Lyon 3), “Les lazarets de Venise à la Renaissance”
Suzan Broomhall (Western Australia), “Les femmes et l’exercice de la médecine à la Renaissance”
Valérie Worth (Exeter), “L'emploi de la langue française dans la diffusion du savoir obstétrical au XVIe siècle en France”

 

 

2007. 7. 4

  二日目です。昼食時に Jean-Marc Mandosio と同じテーブルとなり話が弾みました。午後のセッションの後に予定されている古城の見学後、夕食を一緒に食べることになりました。

 

Robert Halleux (FNRS), “Mines et médecine, maladies professionnelles et metallica pharmaca à la Renaissance”
パラケルススについてでした
Marie-Pierre Arvy (Tours), “Les conséquences pathologiques de l’introduction du riz et du maïs en Espagne, en Italie et en France”
食物研究家
Concetta Pennuto (Genève), “Les vertus thérapeutiques de l’émeraude chez Fracastor”
コンチェッタのは、なかなか良かったです
Martine Gorrichon (Tours), “Les plantes médicinales dans le Théâtre d’agriculture et Mesnage des champs d’Olivier de Serres (1539-1619)”
これはつまらなかった
Alexandre Vanautgaerden (Maison d’Erasme), “Conception et réalisation du jardin des maladies d’Erasme”
これはスライド
Marie-Eve Scheffer (INRAP), “L’accueil à l’hôpital de Pons aux XVe et XVIe siècles”
発掘
Michel Caire (EPHE), “Quelques documents sur la prise en charge des aliénés d’esprit à l’Hôtel-Dieu de Paris à la Renaissance”
復元
Geneviève Xhayet (Liège), “Monastères, couvents et maisons religieuses : lieux de soins à la Renaissance”

リェージュの話

夕飯時には、ブリュッセルにある「エラスムスの家」博物館の館長アレクサンドルも交えたデコボコ・コンビと一緒で非常に楽しい時間を過ごしました。写真は、夕食後にカフェで一杯していたときにアレクサンドルのバイクにまたがる図です。

 

2007. 7. 3

  さあ今日からが本番です。> う〜ん、何かが違います。あまり興奮しません。

 

Renaud Adam et Céline Van Hoorebeeck (Bibliothèque Royale de Belgique), “La bibliothèque du Dr Nicolas Valckenisse, professeur de médecine de Louvain”
ベルギーの医学史では語られることの殆どない人物についての発見です
Dina Bacalexi (CNRS, Villejuif), “Trois traducteurs (Leoniceno, Cop et Fuchs) de Galien au XVIe siècle et leur regard sur la tradition arabe”
三人のガレノス翻訳家の反アラビア主義について
Jean Agasse (Pau), “Devenir médecin : autour du De formandis medicinæ studiis de J. G. Schenck (1607)”
シェンク自身についての話は少なかったと思います
Marie-Élisabeth Boutroue (CNRS-IRHT), “Projet de classification typologique des pharmacopées à la Renaissance”
研究計画
Maurits Biesbrouck (Roeselare), “Les éléments cliniques dans le premier livre de la Fabrica d’André Vésale (1543)”
羅列
Stéphane Velut (Tours), “Les gestes de Vésale dans la dissection de l’encéphale (Fabrica, livre VII)”
脳の解剖のスライド
Marie Gaillé-Nikodimov (CNRS), “La réponse de l’anatomiste ou la médecine comme anthropologie chez André du Laurens”
ブラブラ
Carlo Campana (Biblioteca Nazionale Marciana), “Girolamo Fabrici d’Acquapendente (1533-1619) et l’anatomie comparée”

Rafael Mandressi (CNRS), “Penser avec Riolan fils : la circulation du sang à Paris dans la première moitié du XVIIe siècle”

           リオラン(子)をテーマにした発表

 

 

2007. 7. 2

  8時半に起きて身支度をし、9時半にクリストフ宅を後にしました。まずはメトロでモンパルナス駅へ向かい、予約してあったチケットを引き換え、その足で Belles Lettres 書店へと向かいました。約束の時間の10分前に着いたので書店舗で少し待つこと20分、アラン・セゴン氏が現れました。氏のオフィスに荷物を置いて近くのカフェに行って話をすることになりました。いろいろ人物像については聞いていたのですが、非常にお気軽な人でした。結局、僕の2冊目の著作は来年に出される方向で話が決まりました。

 

  セゴン氏との対話で印象に残ったのは、次の一節です:

 

セ 「君はプラトン主義者だね?」

僕 「ああ、はい。」

セ 「私もプラトン主義者だよ。」

僕 「へえ。そうですね。」

セ 「プラトン主義者同士は、お互い分かり合えるのさ。」

僕 「確かに!」

 

  僕の本を進呈する代わりに、20世紀の学問的記念碑『ヘルメス・トリスメギストスの啓示』のリプリント復刻版 (日記2006. 11. 21参照) をもらいました。ま、僕の本を買い取るという最初の話とは違いますが、150ユーロするものなのではしていないので良しとしましょう。

 

   徒歩でモンパルナス駅まで戻り、駅構内で素早くパリの絵ハガキを買って新幹線に乗り込みました。絵ハガキを書いて、音楽を聴いているうちに眠り込んでしまいました。きっと緊張感から解放されたからだと思います。フランスの新幹線は1等車でも何のサーヴィスもありません。イマイチです。定刻通りにトゥールに着いたときは小雨。地図も持っていないし、雨の中荷物を引いて歩いていくのも面倒くさいのでタクシーに乗ってホテルまで向かいました。2時前に着いたホテルの部屋はまだ準備が出来ていなかったので、荷物だけ置いて散歩に出ました。部屋が出来るのは3時だそうです。とりあえず、郵便局に行ってさっき書いた絵ハガキを投函しました。

 

  開会の式典が16時からあったのですが、ホテルに帰って昼寝していたら17時近くになっていました。別に気負いはしていないので、散歩がてらルネサンス研究所の周りを歩いてから会場入りし、その後のレセプションに参加しました。今回は知っている人が少なかったのですが、シャンパンでホロ酔いになりつつブリュッセルの王立図書館から来ている二人組ルノーセリーヌと知り合い、一緒に食事をする約束をしました。僕としては、上出来です。彼らは一旦ホテルに帰って明日の発表の準備をしてから食事に行きたいということでしたので、9時頃に広場で待ち合わせをする流れとなりました。そういえば、式典の途中でスルニア賞についての説明があり、最初の受賞者としての僕の紹介がありました。ということで、レセプションでは僕に話しかけてくれる人が何人かいたので間が持ったという側面もありますが、やはりまだまだ知らない人の中に交るのは苦手なところがあります。この点に関しては、僕の永遠の課題です。明日は途中からコンチェッタが来るので、その面ではずっと楽になると思います。> ルノーとセリーヌは、なかなかサンパな二人でした。11時頃にホテルに帰って、僕はすぐに眠りについたようですが、アルコールが多めに入った日は夜中に目が覚めてしまう最近の例に倣って、朝4時に目が覚めてしまいました。そのあと、なかなか再び眠りにつけなくて苦労しています。外は大雨のようです。

 

 

2007. 7. 1

  それでは、丸々1週間ほど留守にいたします。今日の旅程はリェージュからパリまで行って、それで終わりです。

 

  少し余裕をもって駅に到着し、定刻通りに新幹線に乗りました。いつも思うのですが、1等車は食事や飲み物が付いていてサーヴィスが良い&座席にラップ・トップ用の電源があるので便利なのですが、乗っている乗客はアッパー・クラスの年配の人ばかりで楽しくありません。僕の横に座っているマダムも、例によってブルジョワという感じがいします。次からは、エコノミーにしようかとも思います。> しかし、今日は本当に暑くなりました。涼しくなるだとうという僕の予想というか期待が、はかなくも裏切られました。フリースやジャケットを含めいろいろ持って来たのですが、トゥールではずっとTシャツだけで過ごすことになるかも知れません。また、パリのメトロの中ではゆでダコ状態になるかも知れません。長年の欧州暮らしで自然に、僕の体は気温10度台でベスト・パフォーマンスを発揮するように調整されています。25度を超すと暑すぎて、何も出来なくなります。メトロを回避するためにバスの乗ろうかな?ともかくも、新幹線の中では景気づけのために赤ワインで既に乾杯!です。1時間してブリュッセルを過ぎた辺りから、食事が出されるそうです。

 

  今日はパリのクリストフの家に泊まるので、何回か行って恒例になったガンベッタ駅のすぐ近くにあるイタリアンに行くと思います。今回は、既に注文するものも決まっています。前回頼んで正解だった4種類のパスタの盛り合わせです。そして、マスターの息子さんが腕によりをかける非常にナイスなデザートと。> 残念ながらイタリアンは休みでした。

 

  考えてみれば、ここ2〜3年は電車と飛行機、駅と空港、そしてウチ。この5つのエレメントで僕の日常は構成されている気がします。サラリーマンのように出張人生というのとは根本的に違うと思いますし、ユックリと旅の計画を練りながら2〜3ヶ月に一回ほど知らない土地に遠征に出かけるというこのリズムは、僕の性分にあっていて素晴らしいと思います。こんな素敵なメチエは、なかなか存在しないのではないでしょうか?この点については何の文句もありませんし、他の人に申し訳ないくらいに思っています。そういう機会を与えられたことを感謝しつつ、自分の仕事をベストの状態でこなすのが、僕に課せられた任務だと考えています。そして何よりも、プレゼンス・ゼロといういかんともしがたい日本の負の遺産を払拭することが、僕の最大の天命だと認識していますし、あとに続く人の役に立つのだと考えています。

 

  好きであろうと、嫌いであろうと、BHに何らかの刺激を受けて世界を目指した人は、今では何人もいるのではないでしょうか?僕は、それで良いと思っています。そのレジェンダリーな活動が理解されようと、無視されようと、それはどうでも良いのです。ワールド・ワイドなBHの活動は、外の世界に着実に浸透しつつあります。2冊目の著作『ルネサンスの医学と哲学』が文句なしの決定打として世界に提示される来年は、真にエポック・メイキングな年となるのです。乞うご期待!などと書いている今は、ちょっとホロ酔い気味です。あと20分でパリに到着します。

 

  携帯電話とパームのような携帯型のパソコン、そしてデジカメが合体したようなマシンが登場すれば、それに乗り換える気持はいつでもあります。

 

 

2007. 6. 30

  今日から日曜日の出発までは、ジェットコースターのような状態だと思います。トゥールに予約したホテルルネサンス研究所の場所を確認しました。今回はパリでの話に夢中になっていたので、何だか何か大きな忘れものがある気がして怖いのですが。そうそう、読み原稿を忘れちゃマズイですよね。今になってからプリント・アウトしました。

 

  どうも、やはりカゼを引いてしまったようです。寒気がします。すぐにを飲みました。このまま引っ込んでくれることを期待しましょう。

 

  さあ、いよいよ明日71日(日) は、リェージュ1352 - パリ 1605 という旅程でパリに向かいます。クリストフの家に泊まって、恒例となったガンベッタ駅近くにあるイタリアンを食べに行くと思います。そして、翌朝にはまずモンパルナス駅に向かい、トゥール行きの新幹線のチケットを引き換え入手した後に、Belles Lettres 書店に出向きます。モンパルナス駅から徒歩で20分くらいのところにあるらしいです。

 

 

2007. 6. 28

  おお!ついに、Belles Lettres 書店の編集主幹氏とのアポの時間が決まりました。72日の月曜日の11です。これで、やっと安心できます。> 僕の本が手元にあるのなら買い上げるので一冊持って来て欲しい&2冊目の著作に関するもっと詳しい資料があれば助かる、ということです。う〜む、端的に言って嬉しい展開です。準備のほどは万事抜かりない、と思います。あとは果報を寝て待つだけです。今回の遠征では、とてつもなく大きな目的が入って来たので、トゥール会議の発表のことなど、もうどうでも良くなって来てしまいました。

 

 

2007. 6. 20

ところで、トゥールというのは、いつか将来に僕が行きたいところなので、あんまり腑抜けなことは出来ません。原稿の読みの練習を始めました。> 何でも発表の模様はヴィデオで収録されて、ウェブ上で見られるようになるとか聞いています。

 

 

2007. 6. 19

  そろそろ本気でトゥール会議の読み原稿を完成させる作業をしないといけません。20分〜25に抑えるようにという指示が来ました。何だか、まだ気分的に作業に入れないでいます。しかし、当初の予定通り新作を当てなくて本当に良かったです。とてもではありませんが、2月のゲマ論文、そして3月のゼンネルト論文を書き上げた後は、新しいものに入っていく気分的な余裕がありませんでした。アダム君も来ましたし。真にクリエティブな作業には、たっぷりとした時間とココロの静寂が必要です。> 何とか、昼から午後にかけて集中して、テクストを完成させました。もしかしたら、ちょっと短め20数分かも知れません。

 

 

2007. 6. 18

  トゥールへ行くための電車の時刻を調べたりしています。基本的には、以下のような旅程になるかと思います。もちろん、今回も1等車で旅行したいと思います。しかしですね、旅行そのものや旅行の計画を立てるのが嫌いな人は、この職業は向いていないと思います。

 

           71日(日) リェージュ1352 - パリ 1605

           72日(月) パリ 1225 - トゥール 1335

 

           77日(土) トゥール 1027 - パリ 1140

           77日(土) パリ 1555 - リェージュ 1808

 

 

2007. 6. 13

  少しずつトゥール行きの電車のことなどを調べ始めました。> そろそろ読み原稿の準備もしないといけません。基本的には、ゲマ論文の仏語ロング・ヴァージョンを当てた訳ですが、持ち時間は25なので短くしないといけません。しかも、ゲマとは誰かの説明をする枕を加えないといけないでしょう。

 

 

2007. 6. 12

  トゥール行きは1日早めて、71の日曜日にパリに向けて旅立ち、パリのクリストフ(これは、ナイメーヘンのクリストフとは別人です)のところに一晩だけ泊まることにしました。1日早めることで遠征の期間が長くなって、さらに大変になる訳ですが、友人に会うためなので仕方ありません。

 

 

2007. 5. 1

  7月のトゥール国際会議のために20行程度の発表レジュメを提出しなくてはなりませんでしたが、既に論文自体が完成している現段階では、良いところを切り取ってつなげれば良いので数分で出来てしまいました。楽でしたね。いつもこうありたいものです。メールで送りだしましたが、すぐに受け取りの連絡がありました。英訳したので、それを挙げておきます:

 

In his work entitled De naturae divinis characterismis (Antwerp, 1575), Cornelius Gemma (1535-1578), royal professor of medicine at the university of Louvain, made recourse to the authority of Hippocrates in many occasions. It is not the details of Hippocrates’ medical teaching that attracted him primarily. But it is because Gemma believed to be able to find for the Greek physician a central position in the tradition of the ancient wisdom. Thus he developed the philosophical interpretation of Hippocrates, basing himself on the belief in the “ancient theology” (prisca theologia). Indeed, this belief, stemming from the work of the Florentine metaphysician Marsilio Ficino (1433-1499) and developed in the stream of Renaissance Neoplatonism, was in vogue in his time. The present study aims to give the first analysis of the nature and historical and intellectual context of his Hippocratism founded on this belief. The approach of Gemma is namely influenced by the works of two leading medical humanists, Jean Fernel (1497-1558) and Girolamo Cardano (1501-1576). If the quest for the “divine” to which the Prognostic of Hippocrates appeals is important in medicine for Gemma just as for Fernel, the medical prognostication shares a common base with divination and is intimately related to astrology and prophecy in Gemma just as in Cardano. But it should be said that, in his philosophical, or more precisely, Neoplatonic interpretation of Hippocrates, the treatise On Regimen occupies the central place.

 

 

2007. 4. 17

  やっと、トゥール会議のためのホテルを予約しました。会議場に近い便利そうなところは既に埋まっていて焦りましたが、何とか確保することが出来ました。

 

 

2007. 3. 30

  ついにトゥール国際会議プログラムが来ました。僕の番は最終日76日(金)の10時です。体力温存のために後半だけ参加するという手もありますが、やはり全部に出ないともったいない気もします。全部に出るとするなら、非常にタフなスタミナ勝負となるでしょう。最後まで気力が持つかどうか全くのところ定かではありません。会議からの論集の出版は、通例のパリの Vrin 書店のペトラルカからデカルトまで叢書ではなく、渋い BIUM Medic@ 叢書となるようです。医学史家の目には付きやすいですが、一般読者からは遠くなります。

 

 

2007. 3. 23

  幸い7月のトゥール会議では、内容を変更してゲマ論文の仏語版を発表することにしたので、別の新作を作り出す必要はありません。時間的な余裕が生まれました。ここで何をするかといえば、荒削りなゲマ論文とゼンネルト論文に磨きをかけて完成度を上げることです。そうすれば、夏休みにすることにした2冊目の著作の最終的な準備も比較的に楽になります。

 

 

2007. 3. 19

  7月のトゥール会議の発表時間を聞いたら25だそうですが、プログラムを今週中に配るそうです。僕としては、提出していたものは全く違うものに変更しようと思っていたので、早いところ決断しないといけません。この時点では新しいものに手を出すのではなく、この夏に向けて2冊目の著作を完成させることに向かうべきだと思うのです。つまり、ゲマゼンネルトの章を完全なものにしてしまおうということです。

 

 

2006. 3. 7

  月イチのランチ・レクチャーがあったので、ゲントに行って来ました。トゥールのルネサンス研究所の研究員氏による、ルネサンスの技術者たちによるユークリッドの幾何学の使用に関する発表でした。発表はちょっと期待外れだったのですが、挨拶がてら、何をしてるのか聞かれて、ルネサンスの医学だと答えたら、来年7月にトゥールでルネサンス医学に関する国際会議があるので来ないか?と誘われました。これからメールで細かいことをやり取りしなければいけないので確実ではありませんが、招待されるのは間違いないと思います。ボルドーに続いてフランス攻略の第2弾となります。仏語でメインに活動している割には、イギリスイタリアといった外縁を旋回していた感じがするので、なかに切り込む良い機会ではあります。

 

 

2006. 3. 20

 フランスのトゥールにあるルネサンス研究所で20077月に開催予定のルネサンス医学に関する国際会議の件ですが、今月頭にゲントに来た人物と共同で会議を計画している人は、なんと僕の研究のファンでした。今日メールを貰って分かったのですが、これで僕の招待は間違いないようです。がんばります。

 

 

2006. 7. 31

   フィラデルフィアの会場でディディエには話したのですが、来年727日のトゥールルネサンス研究所で行われる国際会議では、フランス最初のパラケルスス主義者ジャック・ゴオリの新プラトン主義的なパラケルスス理解についてアタックしたいと思います。ディディエはドルンについて話をするそうですので、錬金術とパラケルスス主義医学に関する特別セッションを組めるかもしれません。> トゥール会議のための頁を開設しました。いいですね〜。

 

 

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