ナンシー・シライシ
著作
『パドヴァにおける技芸と科学:1350年以前のパドヴァの学堂』
Arts and Sciences at Padua : The Studium of Padua before 1350, Toronto, Pontifical Institute of Mediaeval
Studies, 1973. (36)
『タッデオ・アルデロッティとその弟子たち:イタリア医学の二つ世代』
Taddeo Alderotti and his Pupils :
Two Generations of Italian Medical Learning, Princeton, Princeton UP, 1981. (48)
『イタリア・ルネサンスにおけるアヴィセンナ:1500年以後のイタリア諸大学における『医学典範』と医学教授』
Avicenna in Renaissance Italy : The Canon and Medical Teaching in Italian Universities after 1500,
Princeton, Princeton UP, 1987. (55)
『中世と初期ルネサンスの医学:知識と実践への入門』
Medieval and Early Renaissance
Medicine : An Introduction to Knowledge and Practice, Chicago, Chicago UP, 1990.
(58)
『時計と鏡:ジロラーモ・カルダーノとルネサンス医学』
The Clock and Mirror : Girolamo Cardano and Renaissance Medicine,
Princeton, Princeton
UP, 1997. (65)
History,
Medicine, and the Traditions of Renaissance Learning, Ann Arbor, Michigan UP,
2007. (75)
個人的な交流記
2008. 4. 4 金
朝からカリフォルニア行きの航空券を購入しようとしているのですが、いつものサイト上での予約システムでは、すぐにタイムアウトになってしまい、何度も同じ作業を繰り返しています。う〜む。アタマに来ます。少し、時間をおかないとダメなようです。とりあえず基本的な旅程は、次のようなものを考えています。帰りもニューヨークに立ち寄りたいのですが、時差の関係で上手く行きません。>
午後も何回試しても上手くいかなかったので、ブリュッセルの予約センターに電話したら、どの便に乗るか良く分っていた&スカイマイルのメンバーだったせいもありますが、ものの10分で解決しました。今日は本当に朝から夕方まで、この件にかかりきりでした。早速、ナンシーさんにニューヨークにつく日程と時間を伝えました。毎回、ニューヨークに滞在する日程までが決まって来ると、アメリカ行きが現実に向かっているという実感します。
5月19日 (月) ブリュッセル 11:45 − ニューヨーク 13:55
5月21日 (水) ニューヨーク 11:30 − ロスアンゼルス 14:41
5月25日 (日) ロスアンゼルス 9:35 − ブリュッセル 26日 (月) 9:00
2008. 3. 4 火
ナンシーさんから返事があって、入手した博論は
PDF 版だそうですが、ファイルが巨大すぎて CD-ROM にも入らないそうです。おそらく、DVD-ROM で入手したんだと思いますが、それをコピーすることは出来ないそうです。仕方ないので、5月にニューヨークに行った時に見せてもらおうと思います。
2008. 3. 3 月
ニューヨークのナンシーさんから連絡があって、例のガレノスの有名な著作『分利日』についての英訳を含むコロンビア大学の博論を入手したようです。
2008. 2. 17 日
例のガレノスに関する博論はコロンビア大学内部の人はPDF 版がダウンロード出来るそうで、ナンシーさんがコロンビアの友人に入手可能か聞いてくれることになりました。
2008. 1. 28 月
ナンシーさんがレフェランス・レターを書いてくれたそうです。
2008. 1. 22 火
もうナンシーさんから、アメリカ計画のための計画書のフィードバックが帰って来ました。申し分ないようです。感謝です&良かった、良かった。今度は、ラリーに計画書を履歴書とともに送り出しました。今日は何だか、これだけですね。> ラリーから受け取りの合図があり、目を通し次第に連絡をくれるそうです。
2008. 1. 21 月
今日こそはアメリカ行きの研究計画書を完成させたいと思います。他のウィンドウはすべて閉めて、そのファイルだけ開けることにします。>
一応の完成は見ましたので、ナンシー
さんに送って意見を聴いています。あとは、カヴァー・レターと CV (履歴書)
を片づけるだけです。今回は書く内容自体は大変ではなかったのですが、その前の体調管理がズタボロでした。反省です。
2008. 1. 7 月
推薦状の件は、ナンシーさんもOKだそうです。あとは、1000ワードの計画書を練るだけです。がんばります。
2008. 1. 4 金
来年の渡米計画のための紹介状を書いてもらおうと思ってラリーにメールを送ったら、ほんの数分で
OK の返事が来ました。本当に泣けますね、サンキュです。おそらくラリーがこの件をお願いする世界中でベスト・パーソンだと思います。もう一人は、もちろんナンシーさんにお願いしようと思っています。
2007. 12. 25 火
ナンシーさんからメールがあって、11月のお礼に遅ればせながら送ったキルヒャーの邦訳本が、非常にグット・タイミングの24日に届いたようです。非常に喜んでもらえました。ノブさんは画家なので、キルヒャーの話をしたこともあり、イラストのインパクトがあって非常に良いのではないかと思って選んだものです。
2007. 12. 4 火
やっとのことでナンシーさんが送ってくれた彼女の新刊書『歴史、医学、そしてルネサンスの学術伝統』 Nancy G. Siraisi, History, Medicine, and the Traditions of Renaissance Learning, Ann Arbor, Michigan UP, 2007 を入手しました。ナンシーさんの研究の集大成です。
2007. 11. 6 火
今日は、アメリカ滞在の最終日です。絵ハガキを郵便局に出しに行く以外は、何もしません。19時のフライトなので17時に空港に着くようにと、余裕を持って15時にはブルックリンを発つ予定です。
2007. 11. 5 月
何だか朝の3時に目が覚めました。実はアメリカ滞在中ずっと、夜中にパタッと目が覚めます。どうやら、これは時差ボケのようです。 最初は6時だったのですが、それが5時になり、いまは冬時間に移行したこともあり、3時となった訳です。それでも、7時頃まで粘ってから身支度をして朝食をとり、その後にナンシーさんとニューヨーク市大学の図書館までナンシーさんが注文した本を取りに行って来ました。午後に最後にもう一回だけマンハッタンを散歩しました。それ以外は何もしていません。
2007. 11. 4 日
今日は移動日です。すべてスムーズに行き、9時前にホテルを発って、2時半過ぎに無事にブルックリンの家に帰って来ました。
2007. 11. 3 土
今日は本の展示場で2冊ほど本を買いました。まずは、ブルースの待ちに待った新作『リバヴィウスと錬金術の変容』 Bruce T. Moran, Andreas Libavius, and the Transformation of
Alchemy, Science History Publications, 2007、そして巨人のレアな論文を集めた『キミアの約束:化学哲学における経験と神秘主義』 Allen
Debus, The Chemical Promise : Experiment
and Mysticism in the Chemical Philosophy, 1550-1800, Science History
Publications, 2007 です。後者に収められた26本にもおよぶ論文群は、BH の形成過程に大きなインパクトを与えたものです。2つで90ドル (送料・税なし)でした。おいおい出ることになるであろう中古本をアメリカから取り寄せるよりも、安くつくかも知れません。
ナンシーさんと3時半に落ち合った後は、5時半からのレセプションに参加し、そこであの
Ann Blair 氏を紹介してもらい3人で食事をすることになりました。いや〜、非常に緊張しました。まだ僕の仕事を認知してもらった訳ではないですが、彼女はフランスに知り合いの研究者が多いようで、それは最近僕が知りあった人たちなので、そのうちにコンタクトは成立すると思います。
昨日の件は MIT ではなく、CALTECH (California Institute of Technology) でした。もう一人のエライ人からも言われたので、ほぼ間違いないと思いますが、次の春にカリフォルニアである質料形相論についての国際会議に招待されることになりそうです。ついに、BH
もカリフォルニアに進出となります。どうなるかまだ分りませんが、縁起が良いのでワールド・ワイドのリストにカリフォルニアも付け加えることにします。これも、全てナンシーさんの強力なプッシュのおかげです。
2007. 11. 2 金
ついに、Bruniana & Campanelliana 誌に掲載予定の仏語版ゼンネルト論文の校正刷りが届きました。ここワシントンのホテルの部屋にはプリンターがないので、欧州に帰ってからプリント・アウトして、校正をしたいと思います。頁打ちは、477-495ですね。> ホテルの中で一度通して読んでしまいました。文字化けを避けるために、アクセントなしで出したギリシア語に編集部の方でアクセントを振ってくれていますが、幾つか間違いがあるのでそれを補正しないといけません。あとは問題ないようです。しかし、皆さんには申し訳ないですが、つくづく自分なりに良く書けた論文だなあと勝手に感心しています。この仏語版は、Bruniana & Campanelliana 誌に出るものなので、主にヨーロッパのルネサンス哲学の専門家向けですが、早く世界向けの Isis 誌に載る英語版が出ないかなと思っています。
朝10時のコーヒー・ブレイクでナンシーさんと落ち合う予定にしていたのですが、少し遅れて待ち合わせの本の展示場に行ってみると、見て御覧といってナンシーさんにあるスタンドに連れて行かれました。おお!惜しくも間に合わないことになっていたはずのナンシーさんの新作『歴史、医学、そしてルネサンスの学問伝統』
Nancy G. Siraisi, History, Medicine,
and the Tradition of Renaissance Learning, UMP, 2007 が、出来立てホヤホヤの湯気が出ている状態で堂々と陳列されています。早速にも手に取って中身をパラパラと覗きました。400頁を超えるズッシリとした重み、構想10年の本書を皆さんも是非近くの図書館に入れさせて、手に取って下さい。
無事に特別セッションが終わりました。クリストフがやむを得ない事情で欠席となり代読者だったので、彼への質問への答えはなかったということもあり、議論のさらなる盛り上がりは望めなかったのですが、それでも通常では満足いく出来だと思います。相変わらず英語での発表(というより、そのあとのディスカッション)では非常に緊張します。>
会議の直後に Kuni 君とチャットしてだいたいの説明をしたので書いたつもりになっていたのですけれど、様子を書いてないとアダム君に指摘されました。すいません。とにかくです、我々のセッションは小さな会場でしたが、立ち見が出るほどで最初に数えた段階では聴衆は50人を超えていました。僕が知る限りでもハル・クックやマーガレット・オスラーなどの有名人が詰めかけて、議論を盛り上げていました。ああ、僕ももっと流暢に英語でディスカッションに加わること出来れば良かったのですが、まだヒアリングの力が弱いというか、聞いて理解したことに確信を持って、ストレートに相手を説得できる的確な表現で即答できないところが悲しいですね。がんばります。あとでナンシーさんに聞いたところでは、彼女が今回の会議で聞いた全ての発表のなかで、我々のセッションが一番オリジナルで輝いていたようです。
夕方のレセプションで、ナンシーさんにカリフォルニアの MIT の科学史研究所の非常に偉い人に紹介されました。別に何も頼んでないのですが、次々と人を紹介してくれます。
2007. 11. 1 木
朝にナンシーさんのメガネが見つからないというハプニングがあり、仕方なく眼鏡なしで出発することなりました。しかし、電車とメトロの乗り継ぎは上手く行き、1時前にはワシントンに到着しました。フィラデルフィアと違ってホテルの部屋には無料の LAN はなかったのですが、1日10ドルつまり3日で30ドルなので、このさいだから有料ですが使っています。ま、いろいろ便利ですよ。皆さんとリアルタイムでチャットなど出来ますしね。3時過ぎに登録ブースが開くので、それまでサンドイッチを食べたりして部屋で待ち、その後も疲れていたので部屋に帰ってワシントンの旅行ガイドを見ていたら、ウトウトしてしまいました。
フィラデルフィアのケミカル・ヘリテイジ財団主催のディナーまで時間があるので、本の展示ブースを見に行こうかと思ったら、エライ人たちの会議を終えたナンシーさんが立っていました。メガネが見つかったのよ、と第一声でした。寝る前に書斎に置き忘れたようです。確かに今朝はチェックしませんでした。なるほど。それから二人で時間があるのでホテルの・ロビーのカフェでワインを一杯のみました。ナンシーさんはメガネが見つかったということで非常に安心したようです。30分くらいしてから、僕はディナーに向けてホテルを後にしました。ディナー会場では、おそらくあまり知っている人はいないだろうから、気分的に一人ぼっちなることも覚悟していたのですが、セヴェリヌス研究のジョール・シャケルフォードとリバヴィウスについて本を出したばかりのブルース・モラーンのいるテーブルに着きました。目の前に17世紀のオランダ錬金術に興味があるというよくしゃべる博論生がいて、例のオランダ人のベルケル史観(何度がBHでも紹介したとおり、合理主義的な気質のオランダ人には経験主義的な科学が育つ土壌があったという途方もないナンセンスなものです)は間違っているということで意見が一致したこともあり、彼女が延々としゃべりまくっていたので、ま、それに相槌をうちつつ話半分で食事とワインを堪能していました。
2007. 10. 31 水
今日はハロウィンの日です。そこらへんに仮装した人々が繰り出しています。地下鉄に乗って近くのブルックリン・ハイツというところに行ってみました。マンハッタン島が真正面に見えます。その後、中華街へ向かってみましたが、何も収穫はなしです。
2007. 10. 30 火
それではアメリカに向けて行って来ます。来週の水曜まで1週間留守にしますが、もしかしたらフィラデルフィアの時のようにワシントンのホテルの部屋にはインターネットの接続がついているかも知れません。金曜辺りに一度チェックしてみて下さい。>
何とナンシーさんの家から、近所の誰かの無線 LAN に相乗りすることが出来ました。ということで、日記を平常通りに更新することが出来るみたいです。
朝の6時前に起きて7時の電車に乗り、空港には予定通りに8時半に着きましたが、実はチェックインの締め切りにギリギリの時間でした。危なかったです。10時発のフライトは定刻通りでスムーズでした。しかし、機内が寒くてカゼを引いたかも知れません。すかさず薬を飲みました。飛行機の中では、まず例のフロイデンタール論文を読み、その後にラヴェンナ用の発表原稿のセネカ=リプシウス論文の推敲を行いました。昔は長いフライトは苦痛で仕方なかったのですが、最近は仕事をするとフライトを短く感じるということが分かり、原稿の推敲などをするようにしています。到着してから入国審査を通り、預けていた荷物を速攻で受取って外に出たところで、ナンシーさんとノブさんが待っていてくれました。そのまま車でブルックリンのシライシ家に向かいました。まずは、車の中でアダム君の論文はどうなったか聞かれたので、審査には受かったので出版されるけれど、少々細部に手を加えないといけないという状況を説明しました。
2007. 10. 29 月
ニューヨークで泊めてもらうことなるノブさんとナンシーさんには、リェージュ名物のチョコレート店ガレールで一箱おみあげを買っていこうと思います。カメラ、飛行券、パスポート、あとは何を持って行けば良いのでしょうか?忘れものがないか、いろいろ考えています。肝心要の原稿を忘れちゃ、いけません。>
アメリカから携帯に電話が。誰かと思ったらナンシーさんでした。
今日は原稿を何回も読んでは分量を削って、何とか余裕を持って20分で読み終われるようにしようとしていますが、なかなか時間が縮まりません。もう、夜の9時となってしまいました。>明日は6時前に起きます。フライトは10時です。午後1時半(欧州とは5時間の時差がありますので、フライトは8時間となります)には、ニューヨークにつきます。
2007. 10. 27 土
ナンシーさんの話では現在のところニューヨークの気温は何と!21度だそうです。ベルギーは日中の最高温度でさえ10度しかないので、天国と地獄の差があります。
2007. 9. 11 火
昨晩、ラヴェンナ行きを予約したついでに、ワシントン行きの電車のチケットも購入しました。268ドルでした。行きは既にエコノミー席が売り切れで、ビジネスの席を買わなければなりませんでしたが、ナンシーさんと一緒の電車に乗ります。残りは、飛行機です。>
探すのが遅くなったせいか安いものがなくなってしまっていて苦労しましたが、なんとか予約が出来ました。本当は11月5日の月曜日にアメリカを離れたかったのですが、月曜日の安い券は売り切れでした。それでも運良く見つけられた安めのものが580ユーロでした。> ワシントンのホテルも予約しました。469ドルです。しかし、アメリカの学会に招待なしで参加するには、本当にお金がかかりますね。ご厚意により、ニューヨークはナンシーさん宅に泊まることになるのですが、それ以外の費用だけでも1120 ユーロかかります。これに食費が入る訳ですね。一体どれだけをゲントがカヴァーしてくれるか分りません。せめて、ホテルと電車代くらいを出してもらえば良しとしましょう。今年は年末に一時帰国は出来そうにありません。
11月1日(木) 9:00 NY Penn – 11:45 Washington DC
11月4日(日) 10:20 Washington DC – 13:45 NY Penn
10月30日(火) 10:00 Brussels – NY JFK 13:20
11月6日(火) 19:10 NY JFK – Brussels 9:00
***
2007. 6. 24 日
やっと、ナイメーヘンで発表されたナンシーさんの論文に対して頼まれていたコメントを送り出すことが出来ました。フェルネルに関するマイナーなポイント3点だけですが。ナンシーさんは、この秋に出る予定の新著の校正刷りがやっと届いたと言っています。この夏は、そのチェックをするのでしょう。アダム君のブログによると、今年の11月に出版予定だそうです。
2007. 6. 8 金
ナンシーさんにナイメーヘンでの発表原稿にコメントしてくれと頼まれています。やっと電車の中で読めました。基本的には、フェルネルのところを僕に見て欲しかったようです。> そうそう、頼まれたナイメーヘン論集のための原稿は、レオニチェノ論文の縮約英語版 “Formative Power and Agent Intellect in Nicolò Leoniceno between the Arabo-Latin tradition and the Renaissance of Greek Commentators”, in Paul Bakker and Cees Leijenhorst (eds.), Psychology and the Other Disciplines: A Case of Cross-Disciplinary Interaction (1250-1750), Berlin, Springer, forthcoming という感じで行こうと思います。
アダム君は、ナンシーさんから自分の論文に対するコメントと英語まで細かく直してもらったメールを受け取り、深く感動しています。いいなあ。僕は最初に会った2000年のHABで行われたサマー・スクールから実に7年かけてナンシーさんとの友好を徐々に深めてきた訳ですが、僕が全てお膳立てしたとはいえ、修士を終わったばかりの身で、まだ2回しか会っていないのに世界のナンシー・シライシの手をそこまで煩わせるとは!なかなか隅におけない人です。
2007. 6. 5 火
無事にニューヨークに戻ったナンシーさんからメールをもらいました。サンキュです。今度は、ワシントンに行く11月にニューヨークで会いましょうね!
2007. 6. 4 月
祭りのあと、ですね。今日は、ゆっくり休みます。国際会議に参加すること2回目のアダム君も、ナンシーさんを見ていて身に染みて分ったようですが、トップ・スカラーに本当に必要なものは強靭な生命力です。数日にわたって繰り広げられる知の饗宴を朝から晩まで最善のコンディションでこなさないといけません。発表や質疑応答はもちろん、コーヒー・ブレイクにおけるディスカッションだけではなく、朝食のテーブルから晩餐のレストランまでの全ての空間で生き生きしていなくてはなりません。これはなかなか大変なことです。>
今回はアダム君も果敢に一回だけ質問をしたことは大きな前進です。勇気のいる行為です。
2007. 6. 3 日
今日はオランダの鉄道網は非常に混乱しているようで、朝にナンシーさんを駅まで見送ったあと、10時過ぎにホテルをチェック・アウトして電車を探しましたが、何と運休です。仕方ないので、非常に大きな遠回りをしつつ、3時間かかるところを5時間半かけて帰って来ました。とにかく、疲れましたね。
今回のワークショップは自分のプレゼンスを示すことは二の次で、とにかくナンシーさんと朝から晩までずっと一緒でした。朝・昼・晩の3回の食事も隣、会議場で座る席も隣という感じでした。別に僕が無理矢理にそうしている訳ではなく、ナンシーさんも僕が来るのを待っている感じでした。最後の日にはアダム君の論文だけでなく、僕のレオニチェノ論文にも目を通してくれたようで、とても良かったと感想をもらいました。感激です。またニューヨークに戻ってから、ゆっくりコメントしてくれるそうです。これをもとにした発表をワークショップですべきだった、と言われました。確かにそうです。医学サイドから見た霊魂の問題ということで、主催者側から頼まれた寄稿はレオニチェノ論文の英語版のショート・ヴァージョンでのぞみたいと思います。
2007. 6. 2 土
さて、いよいよ最終日です。やっと今日、医学と霊魂論のセッションです。 > 今日は質疑応答で十二分に活躍できたと思います。
Dragos Calma (Paris), “Noetics
and Medicine in Italy : Notes on the Work of Antonio da Parma”
ポイントは分かりづらかった気がします。いろいろ入れ過ぎだったかも?僕にも言える反省点です。
Karine
van t’ Land (Nijmegen), “The Governing Soul in Late Medieval Learned Medicine”
中世の医学理論を知らない人でもついて行ける話の展開ですが、専門家には当たり前の部分が多かったので、それを飛ばして核心部に行って欲しかったです。
Nancy
Siraisi (New York), “Psychology in Some Early Modern General Works on Medicine”
マジストラルなプロの発表。世界トップの威厳ですね。
午前中でワークショップは終了したので夕飯は用意されていなかったのですが、後に残った何人かと一緒にホテル近くのレストランに行きました。その道すがらナンシーさんがアダム君の論文を読んだ&非常に良く書けていると褒めていました。あの世界のシライシに認められたことを、アダム君は非常に喜んでいたと思います。そうです、まっとうなアカデミズムの存在しない不毛の地で誰にも理解されなくても、外では僕だけではなく、既にチャールズ(バーネット)さんも、クリストフも、ナンシーさんも、そして匿名の専門家の審査員も認めているのですから、真にグランド・ブレイキングな論文をものにしたことに自信を持っていいのです。オリジナルであればあるほど凡庸な精神の持ち主には理解されにくいものなのですが、世界のトップを走る人たちが認めるのですから、これで良いのです。
2007. 6. 1 金
クリストフから聞いたこととしてナンシーさんが耳打ちしてくれたのですが、アダム君のデビュー作に対する審査評の第一弾は既に届いていて、非常に高い評価を得ているようです。僕以外では日本では誰にも理解されず意気消沈して、一時はこの道を断念して田舎に帰ると弱気になっていた彼にとっては、最高の朗報になったかも知れません。まっとうなアカデミズムの存在しない場所など捨てて、外で勝負すべきだと言い続けてきた僕としても、これは嬉しいものです。
2007. 5. 31 木
さて、今日がワークショップの初日です。7時半起きで、ホテルで朝食をとります。そしてバスに乗って会場へ向かいます。> 朝食時にナンシーさんに会って以来、一日中ずっと一緒でした。世界のシライシを独り占めして他の人に悪いような気分がしますが、お互いに多数派を占める哲学者の集まりの中にあっての少数の医学史家として、そういうことになってます。初日からいろいろ質疑応答でプレゼンスを示せたとは思います。以下は一日目の感想です。
Sander de Boer (Nijmegen), “Tensions in the Metaphysics
of the Soul”
典型的な局所的議論で、単純に面白くありませんでした。
Simo
Knuuttila (Helsinki), “Psychology, Ethics and Politics in Late Medieval
Thought”
反ラヴジョイの人ですが、くだくだとコメントし続ける典型的な哲学の人です。
Paul
Bakker (Nijmegen), “Renaissance Perspectives on the Nature and Place of the
Scientia de Anima”
これはルネサンスの霊魂論の位置づけについてポンポナッツィやニフォなど。
Lorenzo
Cassini (Upssala), “Juan Luis Vives and Early Modern Psychology”
これには、隣に座っていたナンシーさんは非常に興奮していました。
Gideon
Maning (?), “La Forge and Psychology in the Cartesian Aftermath”
これにはお隣さんは居眠りしていました。アメリカから来る人は時差ボケが大変ですよ。
夕飯はナイメーヘンで一番といわれるフレンチ・レストランでした。2年前にも来たことがありますが、その時は料理を堪能するどころではなかったのですが、今回は隣に座ったナンシーさんと話をしつつ、特上のワインを味わいました。
2007. 5. 28 月
アダム君の滞在も、観光というよりも強化合宿の様相を呈して来ました。水曜日には、ナイメーヘンのワークショップに向けて出発します。プログラムはPDFファイルしかなく、コピーできませんので、そのままアップしておきます。>
最後の土曜日の医学と霊魂論のセッションは、ナンシーさんの他に中世医学の権威
Danielle Jacquart 氏も登場するという非常に重要なものとなっています。僕としては今回が初対面なので、しっかりとコンタクトを取りたいと思います。ナンシーさんに会うこと以外では、これが今回のワークショップ参加の目的となります。
2007. 2. 11 日
ワシントンでの次のアメリカ科学史学会の年会に参加する旨をナンシーさんにメールで知らせました。すぐに返事があり、またニューヨークに遊びに行っても良いそうです。その前に、5月にあるナイメーヘンでのワークショップ「霊魂論と他の学問領域」にナンシーさんが来るそうです。ならば、それに参加しようかと思います。>
まずは前回のように僕の滞在費をナイメーヘン側でもってもらう可能性はあるのかどうか、クリストフに聞いてみました。返事待ちです。
***
2006. 7. 23 日
ユックリと朝食を取り、11時にホテルをチェック・アウトして、今はニューヨークに向かう電車の中にいます。同じ電車に乗ることにしたアダム君は、隣の席でクリストフ編集の国際論集『後期中世・初期近代の粒子論的物質理論』を読んでいます。ビルにサインしてもらえば?と提案していたのですが、切り出す勇気がなかったようです。
アダム君は、まだ自分のスカラー・ネームに迷いがあるようで、これからニューヨークに着くまでに決定的なものに決めないといけないと困惑しています。>
約40分遅れで電車がニューヨークにつき、上の階に上がると約束した待ち合わせの場所にいたナンシーさんが、僕を素早く見つけました。アダム君を紹介した後、別れて車でブルックリンのナンシーさんの家まで向かいました。
お茶を飲みながらいろいろな話をしたあと、待望の書斎を見せてもらいました。う〜ん、惚れ惚れする素晴らしい環境です。しばしウットリと見とれていると、素早くナンシーさんが僕の本を取り出して、「サインをして頂戴!」と言われました。感激です。サインをした時に、『ルネサンス期イタリアにおけるアヴィセンナ』は中古市場でも超レアで入手が困難で困っていますと、性懲りもなく口を滑らせると、スッと一冊出してきて、「これが残っているのであげるわ」と言われました。恐縮です。表紙にサインをしてもらいました。
そうそう、ナンシーさんはアダム君の名前をしっかり覚えてくれたようです。やはり普遍的な名前の威力は大きいですね。アダム君に頼まれていたように、もしアメリカの場合、アダム君のような研究テーマでは、どこへ博論をしに行ったら良いでしょうか?と質問したら、いろいろ真剣に考えてくれているようです。良かったですね、アダム君。
2006. 7. 22 土
ついに、熱い熱い4日間のフィラデルフィアでの国際会議が終わりました。疲れました。明日はニューヨークに戻り、世界のナンシー・シライシさんに会います。
***
2003. 10. 11 土
なにぶんにも寝不足ですが、何とか8時に起きることができ、10時にはウォーバーグ研究所に着きました。ドア・オープンでは、オーガナイザーのマリア・ピアやアントニオ、ハルさんといった懐かしい顔に合いました。僕の番は、始めの2つの発表後のコーヒーブレイクの後です。セッション司会の
Antonella Romano 氏はサンパチックな人でした。6枚中の最後の1枚を読み始めたところで、時間サインが出て、結論は駆け足になりましたが、発表は成功裏に終わったと思います。やっぱり、アントニオが一番関心を持ったようで、休み時間に直ぐに声をかけてくれました。キミア系でない人には難しかったかも知れません。会議の後、ポーラ・フィンドレン氏をつかまえて話をすることが出来ました。良かった良かった。他の人たちは、もともと3つの大きな参加グループ (ローマ勢、パリ勢、英米圏) があり、それぞれに分かれて散っていきました。彼らは、昨日の夕べを一緒に過ごしているので、互いに親しくなっているのでしょうが、僕は最後に転がり込んできたので、会議参加者と交流を深めるのには乗り遅れた感じです。でも、ま、きっちり自分の仕事をこなすことはできたので良しとしましょう。しかし、キャサリン・パーク氏は近寄りがたくて、気軽に声をかけられなかったですね。逆に、ナンシーさんとは、ヴェローナとロンドンの両方で一緒だったので、移動に関する共通の話題があったせいか、前よりもずっと親しく話が出来ました。旦那さんが日本人であることは以前に書きましたが、職業は画家だそうです。
2003. 10. 9 木
ふ〜、無事に一日目が終了しました。久しぶりにナンシー・シライシさんにも会いました。今日の会場の騙し絵で埋められた内装の美しさも相まって、やっぱり桑木野君も来れば良かったのにと思いました。しかし、朝の9時から晩餐終了の11時まで一日中イタリア語漬けで心身ともに疲労困パイです。集中力はそれほど長く持たないので、これだけ長い時間漬かっていると、最後のレストランでは完全に何も聞いていない状態になります。明日は、5時頃から僕の発表があります。期待していて下さい。