スルニア賞


 

 

 

フランス医学史学会の第一回スルニア賞を受賞!

写真は、純銀製の記念メダルです。

 

2006. 11. 7

  おお!僕の本フランス医学史学会に新しく設立されたを受賞したことを知らせる手紙が届きました!う〜ん、ナイスです。興奮しています。授賞式1118日の土曜日にパリで行われます。やっぱり、服装はスーツネクタイじゃないとマズイでしょうかね?それから、授賞式用に10分程度のスピーチを考えないといけません。それよりも何も、授賞式に参加するために再びパリ行きの準備を始めないといけません。でも、この木曜日からはトスカナ行きがあり、なかなかタイトなタイム・スケジュールです。大丈夫でしょうか?

 

  各方面から続々と受賞に関するリアクションをもらっています。皆さんに感謝します。> しかし、慣れとは怖いもので、このように次々と賞を取ると、もう誰も珍しがってくれないのではないか?という気がしてなりません。> それでも、毎回しっかり素早いリアクションのメールをくれる方々、本当にありがとうございます。僕は、決して忘れませんよ!

 

  授賞式まで、もう日にちが残っていないので、急いで電車宿の確保に奔走し始めました。何ともマッド11月となりそうです。> とりあえず、宿は確保し、電車のチケットも入手しました。今回は変則的で、17日の金曜日の1640ブリュッセル発&1805パリ北駅着で、19日の日曜日の1455のパリ北駅発&1620ブリュッセル着となります。そこから普通電車に乗り換えて、18時にはリェージュに着くでしょう。

 

  しかしですね、種子の理論とは生命科学の歴史にとって重要な概念なのですが、医学史じゃないじゃないか?と文句を付けられれば、それまでなのでダメかもしれないなとは思っていたのです。伝統的な医学史ではなくても、今後の医学史の研究にとってグランド・ブレイキングな著作であると認めてくれたフランス医学史学会のスルニア賞の選考委員会の皆さまの卓越した判断力に感謝いたします。

 

 

2006. 11. 8

  昨日はを受賞して興奮した勢いでパリ行きを決定した訳ですが、解決しないといけない問題が幾つかあります。と、ネガティヴな心配事を考える前に、ポジティヴに授賞式に出席するメリットは何か考えてみましょう。とりあえず、フランスの医学史学会と薬学史学会の合同定期会合で、それなりの数の人が集まるのではないかと思われます。そういう多数の前で、受賞の対象となった僕の本の説明を10分のスピーチを通して行うことは良い宣伝となるでしょう。また、受賞の辞の要約は次の医学史学会の会報に載ることになっています。当日パリに来れない地方外国の会員たちも、会報に載った文章を見て僕の本の存在を知ることになります。それが、1番目の利点だと思います。その次は、出会いでしょうか?次のボスとなってくれる人と出会えるかも知れませんし、運命の出会いをするかも知れません。ま、でも、待っている時には出会いはないものです。期待していないときに、天使は天から降りてくるものなのですから…

 

  受賞の手紙にあった代表の方とメールの連絡が取れました。これで、ヴァーチャルなものから少しだけ現実味が帯びてきました。全くのところ失礼ながら旅費は一部でも出ないのですか?という質問をしたのですが、何らかの対応を取ってくれるそうです。期待します。

 

 

2006. 11. 18

  それでは、パリに行って来ます。帰るのは日曜日の夕方です。

 

  金曜日の午後にリェージュを出発して、夕方6時にパリに着きました。クリストフ宅のあるガンベッタ駅までバスに乗り、持ち合わせよりも少し早くついたのでカフェに入ってビールを注文。紅茶などより、時間を持たせることが出来ます。そうこうするうちにクリストフが家に帰ったようで、携帯メールで連絡がありました。クリストフ宅では前回同様にシャンペンを開け、そのあと近くのイタリアンに行って食事をしました。そのあと、授賞スピーチの練習を一回し、そのあとクリストフが3月にマイアミのルネサンス学会で行う予定の発表を聞いて、改良した方が良い点についてコメントしました。

 

 

  土曜の朝は、前の晩に晩に飲み過ぎた(僕はちょっと分量で十分なのです)のか、予定の9時に起きるのは一苦労でした。身支度を済ませた後、昼ごはんを簡単に済ませてから、クリストフのスクーターの後部に乗せてもらって、軽快にパリの街を駆け抜け、授賞式の会場へと向かいました。会場となっている部屋は、パリ大学薬学部の貴賓室で、おびただしい数の歴史上有名な科学者の肖像画が掛かっていました。予定の2時を少し過ぎた時点で、フランス医学史学会の定期会合が始まり、すぐにスルニア賞の受賞者発表と受賞のスピーチとなりました。今回は、フィラデルフィアほど緊張せずに原稿が読めたと思います。もっと観衆を見て話すように後でクリストフに言われましたが、話している場所が分らなくなるのが怖くてまだ原稿からちょくちょく目を離せないので、その辺が今後の課題かと思われます。とにかく、賞の説明のページにあるように記念メダルはブロンズ製かと思っていたのですが、実際は純銀製で僕の名前が刻んである格式の高いものでした。デジカメが壊れているので画像で見せられなく残念ですが、専任のカメラマンとしてクリストフが写真を取ってくれたので、送ってもらえることになっています。

 

 

  定期会合はその後、定例の発表が幾つかありましたが、途中の休憩の段階で挨拶して会場を後にしました。その後は、電車に乗ってパリ郊外のイエールというところに住んでいるディディエの家に向かいました。ディディエの娘さん2人(5歳と3歳)に歓迎されて楽しい夕べを過ごし、10時過ぎの電車に乗って、ガンベッタのクリストフ宅に帰り着いたときは11時半近くになっていました。ディディエの奥さんはとある図書館の貴重書室の司書をしているそうですが、カリブ海にあるマルティニーク島の出身なので、バナナの入った料理を食べさせてもらいました。

 

 

2006. 11. 19

  小雨のまじる重苦しい曇天のパリで日曜の朝を迎えました。クリストフはバッハ全集という何と160CDからなるスーパー・コレクションを持っているので、ここにいるときはバッハ漬けとなります。クラシック音楽を勉強中の僕としては、ちょうどいい機会となります。今日は、ボルドー会議の時にもパリ通過の場面で登場ししてくれたTD君とYSKW君という2人の留学生とパリ北駅で12時半に待ち合わせしています。

 

  TD君とYSKW君とはバスが遅れた関係で少し遅刻して1240分に合流し、すぐにパリ北駅前の食堂に入りました。3時前の僕の電車まで、約2時間余り、いろいろ話が出来たと思います。二人ともジャズ好きということで、パリにBHジャズ研が出来ることになりました。特に、YSKW君自身はソプラノ・サックスの経験があるらしく、素人にも問題なく始められことが聞けて安心しました。

 

  しかし、あっという間の週末でした。シャンパンを飲みながらフィチーノについてアレコレと話すことも、パリの街中をスクーターで軽快に駆け抜けることも、由緒ある格式高い場所で栄誉ある賞を受賞してスピーチすることも、バナナの入ったマルティニーク料理を食べることも、のようにあっという間に過ぎてしまいました。> 6時過ぎに無事にウチに帰ってきましたが、この移動続きのマッドな1ヶ月のせいでしょうか?今は、異様に疲れています。ここで、カゼを引かないようにしたいと思います。

 

 

2006. 12. 30

   やっと、フランス医学史学会のスルニア賞の受賞者が、ウェブサイト上でも公式発表されたようです。今年は、フランスの幾つかの有名な文学賞を外国人作家が受賞したことが話題となったのですが、選考委員会会長による発表の辞は、そのことにかけた話となっています:

 

           Madame le Président, Monsieur le Président, Mesdames, Messieurs, mes chers Collègues,

 

Le Premier Prix Jean-Charles Sournia consacré à distinguer un travail de recherche original dans le domaine de l’histoire des sciences médicales, datant de moins de deux ans, rédigé en français, par un chercheur international étranger, âgé de moins de 40 ans, a été attribué à Monsieur Hiro Hirai, pour son ouvrage intitulé :« Le concept de semence dans les théories de la matière à la Renaissance : de Marcile Ficin à Pierre Gassendi », publié par la prestigieuse maison d’édition belge Brépols, dans sa « Collection des travaux de l’Académie internationale d’Histoire des Sciences ».

 

En récompensant cet ouvrage très savant que l’auteur va dans quelques instants vous présenter brièvement, le jury des prix de la SFHM que j’ai eu l’honneur de présider, a bien eu conscience de satisfaire au-delà de toute espérance, sa mission au regard du leg confié à notre Société.

 

Vous vous accorderez certainement à penser comme nous que le couronnement d’un jeune chercheur de nationalité japonaise mais francophone, qui a choisi de poursuivre, d’abord à Lille où il prit ses grades de docteur en Philosophie et Histoire des Sciences (1999) et, depuis, en Belgique, à Gand, ses travaux de post-doctorant, ne pouvait que satisfaire pleinement la lettre et, plus encore, l’esprit de ce prix qui sera attribué désormais selon un rythme biennal.

 

Dans une association des lieux un peu audacieuse, nous nous permettrons de penser que le grand amoureux du Levant que fut Jean-Charles Sournia, n’aurait pas pu retenir ce petit sourire complice dont se souviennent encore ceux qui ont eu la chance de le bien connaître, à la proclamation de ce premier prix récompensant un jeune chercheur venu du pays du Soleil Levant.

 

A la faveur des hasards de l’actualité littéraire, la SFHM se trouve associée au grand renouveau de la francophonie qui voit cette année le Goncourt comme le Grand Prix de l’Académie Française, le Renaudot ainsi que le Femina, revenir à des étrangers ayant choisi de s’exprimer dans notre langue. Certes, notre distinction ne saurait rivaliser en prestige ces prix fameux. Pour autant, en couronnant le travail de Monsieur Hiro Hirai, notre Société s’assure sans doute d’une pérennité plus grande de son objet.

 

Monsieur Hiro Hirai, La Société Française d’Histoire de la Médecine a décidé de vous remettre son premier Prix J.C. Sournia et à ce titre, vous exprime ses plus sincères félicitations et vous remet cette médaille d’argent de notre Société qui vous permettra d’en conserver durablement le souvenir.

Docteur Pierre L. THILLAUD

 

 

 

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