BHの用語集
formare と informare
2007. 3. 17 土
アダム君と突っ込んだ議論したことがあるのですが、ラテン語の informare という用語の意味について考えています。アダム君によれば、informare と formare は同じ意味で「形成する」だそうですが、シェキウスはまず形成力が formare し、後から来る霊魂が informare するという使い方をするところから何か違いがあるだろう僕は思っていました。今回のゼンネルト論文でも、この点が一つの大きな焦点というかクライマックスになるのですが、ゼンネルトは一個一個のアトム内にある霊魂がアトムを informare するとまで言っています。そして、一か所で言い換えをして animare というのです。やはり結論としては、informare は formare の同義語というよりも、むしろ animare の同義語だと考えるのが良い気がします。
2007. 4. 30 月
先週、ずっと後回しにしてきたアヴェロエスの『「霊魂論」大注解』のラテン語版を借り出して来ました。パラパラと見て気がついたのは、以前にここにも書いた
formare と informare の違いの問題です。これはシェキウス論文だけではなく、ゼンネルト論文でもキー概念として出てくるので、決定的な説明を探していたのですが、ここに来て少しヒントとなるものが見つかりました。ラテン語版アヴェロエスにおいては、informare というのは、「知性を介して形成する」 formare per intellectum の意で、ギリシア語の noein に当たるようです。また、この noein という語自体は文脈によって「理解する」 intelligere とも訳されるところが厄介ですが、理解するとは知性を介して諸概念を脳内の形成することだと考えれば納得がいくかと思います。ただ問題なのはルネサンス期の霊魂論の議論で、例えばゼンネルトが「原子内の霊魂は原子を informare する」というときは、どの程度このラテン・アヴェロエス主義の伝統を意識して使っているか、一歩引いて考えないといけません。
2007. 11. 27 火
formare/informare の件ですが、informarer についてフロイデンタールがコメント(G. Freudenthal, Aristotle’s
Theory of Material Substance, Oxford, 1995, p. 3)を付けているのを見つけました。“informing” matter, i.e. producing
and endowing with persistence the homeomerous parts
in the living body and effectuating sexual generation とかなりアリストテレス的な説明ですが、僕にはこれ自体、formare と informare が混同してるように思われます。つまり、前半はむしろ formare にあたるのでは?と。筋肉や組織をさすhomeomerous parts ではなく、器官をさす anhomeomerous parts に関する記述だったらよかったのかも知れません。
2008. 4. 11 金
カリフォルニア会議で再会するデニス (デ・シェーヌ)の本をめくっていたら、僕の知りたかったことに対するヒントが出ていました。ゼンネルト論文の執筆段階で出てきた疑問点なのですが、形相と質料の関係は、一般に言われる可能態 potentiality と現実態 actuality
だけではなく、現実態を2つに分けて全部で3つのモードを認める考え方があります。このアイデアの源泉は、アヴェロエスの霊魂論大注解にあるようだと分りました。> 実はアリストテレス自身が『霊魂論』 (II、1、412a21 以降)で、2つの現実態を認めているようです。ただ、アヴェロエスの霊魂論大注解 (巻2、注解5) は、それに対してクリアカットな説明を与えている訳ではないようです。デニスの本に出てくる解釈は、トレトゥスというスペイン人イエズス会士によるもので、むしろルネサンス的な展開だと理解した方が良いような気もします。ゼンネルトや彼のソースであるリチェティが展開しているアイデアはそれに近い感じです。
Form has a twofold
acceptation. In one way, a part of substance, which informs matter, and which,
with it, makes a composite which is one per se and essentially; such a form is
called a forma informans. In the
other way, a form or substance that is not united essentially, or
substantially, but only by virtue of some operation, as the pilot is united to
the ship he moves, or the intelligences to the celestial orbs; such a form is
called a forma assistens.
以前に話題になったformare/informare の問題につながっています。質料を inform するとは、どういうことなのでしょう?船を操る人間と船の関係は、inform ではないようです。
2008. 5. 14 水
リチェティが用いる特徴的な概念の一つに、natura generica というのがあるのですが、これは
natura specifica という概念に対するものです。似たようなものとして、forma generica という概念を forma specifica に対してザバレラが用いていることを知りました。やはり、霊魂論や自然学のアイデアを生命の科学に用いようとするときには、natura という概念が滑り込む余地が大きいのでしょう。この区別を natura に与えるのは、リチェティのオリジナルなのか、それより前にもあるのかはまだ分りません。> ナルディの『ルネサンス思想におけるジゲルス』によると、ニフォにもザバレラと似たような用例があるようです。
この日記に書かなかったために、どこで見たのか忘れて困っていたのですが、霊魂が身体を司るには2つのモードがあるという考え方は、もともとアリストテレスがエンテレケイアという概念を説明するところに端を発しています。彼は、知識を持つことと知識を使うことを分ける例を用い (De anima, II, 1, 412a23)、それを受けたアヴェロエスの注解 (comm
5) が、後代の forma informans と forma assistens の使い分けへとつながって行くようです。上記のザバレラの件といい、この件といい、パドヴァ霊魂論の伝統では、ニフォの『知性について』 De
intellectu での議論がカギとなるようです。この著作は有名な単一知性論の話かと思っていましたが、それだけではないようです。
この2つのモードのうちの1つは、霊魂が形相として質料と実体的に結びついて compositum をつくり、身体を inform、vivify、animate
するものです。もう一つは、身体器官を用いて生命活動をおこなうものです。著作家によって、名前の付け方は違うようですが、ヴェネツィアのパオロの場合、前者が forma inhaerens、後者が forma informans となり、人間霊魂は、forma
informans ということになります。それに対して、星辰に付与された霊魂は、forma inhaerens でもなければ、forma informans でもない、とされるようです。イエズス会士のトレトゥスにおいては、前者が forma informans となり、星辰の霊魂のように実体的には結びつかずに機能だけを与えるものは forma assistens と呼ばれ、船の操縦士のような働きをします。おそらく、この辺りがニフォのアイデアに近いのではないでしょうか?一方、リチェティやゼンネルトの場合は、前者は
essential な first actuality にある霊魂で身体を inform、vivify
します。こちらが、むしろ forma
informans に当たるかと思います。後者は
accidental な second actuality にある霊魂によるものです。
ところで例のアダム君との議論に戻ると、やはり formare は身体の形成をつかさどって compositum を作る以前の行為で、informare が生命を付与する行為だといえると思います。
ソース
Averroes, Commentarium magnum in Aristotelis De anima
libros, III, 1.
Sennert, Hypomnemata physica, IV & V.
研究
Hiro Hirai, Medical Humanism and Natural Philosophy: Matter,
Life and the Soul (Boston-Leiden: Brill, 2011), ch. 3 & 6.