フェルネル研究の基礎
  
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フェルネル論文

 

メイキング風景をリアルタイムで報告

 

 

ジャン・フェルネルの種子の理論における人文主義、新プラトン主義、古代神学

(Humanisme, néoplatonisme et prisca theologia dans le concept de semence de Jean Fernel)

 

in : José Kany-Turpin (ed.),

『ジャン・フェルネル、医師・哲学者』

Jean Fernel : médecin et philosophe

(Corpus : revue de philosophie, 41), Paris, 2002, pp.43-69.

 

 

内容構成

1. イントロダクション Introduction  

2. 『事物の隠れた原因について』(1548年) Le De abditis rerum causis (1548) 

3. 天界より来る事物の種子 Les semences des choses provenant du Ciel

4. 古代神学における種子 Les semences dans la prisca theologia 

5. 種子と世界精気(スピリトゥス・ムンディ) Les semences et le spiritus mundi

6. 結び Conclusion

 

 

2002. 1. 12

  フェルネルの『生理学』(1542年)の仏訳が去年復刻された時からフランスで彼に関する論集を編む計画があることを知っていましたが、論文の依頼が僕の指導教官の Joly 氏のところへ来ているとは!多忙で出来ないから書かないか?という打診が今頃来ました。僕自身、エディターが誰かを調べてフェルネルに関する博論の章をいきなり送りつけようかな?と考えていたところでした。問題は締め切りの2月の15日です。もっと早く言ってくれれば良かったのに。基本的にロンドン計画から分かるように、英語圏では僕のプロジェクトが燦然と輝く状態にあります(まだ何も始めてませんが)。そこへ来て復刻版で一歩リードしているフランスの計画にも参加できれば、フェルネルに関しては世界征服です。時間的に間に合うかどうか分かりませんが、論文の題名だけは考えつきました。「ジャン・フェルネルにおける人文主義、新プラトン主義、そして古代神学 : 種子の理論を中心に (Humanisme, néoplatonisme et prisca theologia chez Jean Fernel à travers son concept de semence) ってのはどうでしょうか?しかし、毎回こうして穴埋め役をしていると、一定の順序に従って論文を発表していくという計画性が全くありません。出せるところから出していくという感じです。内容の方はどれも自信ありますが。でも、フェルネルに関心のある世界の研究者に僕の作品世界へと入ってもらうためには、やはり入り口としてやっておくべきでしょう。本当は ESM 誌への投稿用として取っておきたかったのですけれど。

 

 

2002. 01. 15 火
  さて、CNRS嵐が去ったので日常(元の仕事)に戻らねばなりません。僕の本の原稿の最終仕上げと『ミクロコスモス』の編集作業、日本からの論文審査一本です。でも、急に舞い込んだフェルネル論文の締め切りが2月15日なので、先ずはそれに集中しなければなりません。この日記上でも、それまではフェルネルが頻出することになりますが、よろしくお付き合い下さい。基本的には、僕の本のフェルネルの章の切り出しですが、15頁に押さえろということなので、規模を小さくして単品用にイントロと結びを整備しなおします。構成だけ紹介しておきましょう。なお、「古代神学」とは、言うまでもなく D. P. Walker の提唱するするところのアレです。

 

 「ジャン・フェルネルにおける人文主義、新プラトン主義、そして古代神学 種子の理論を中心に」

 “Humanisme, néoplatonisme et prisca theologia chez Jean Fernel à travers son concept de semence ”

 

1. イントロダクション Introduction  

2. 『事物の隠れた原因について』(1548年) Le De abditis rerum causis (1548) 

3. 天界より来る事物の種子 Les semences des choses provenant du Ciel

4. 古代神学における種子 Les semences dans la prisca theologia 

5. 種子と世界精気(スピリトゥス・ムンディ) Les semences et le spiritus mundi

6. 結び Conclusion

 

このフェルネルの章は、僕の本の中では短めなのですが、博論を製作している時に、これに取り組んだのは大きな転機であったと言えるかもしれません。初めは予定していなかったのですが、セヴェリヌスの章を書いてみて、フェルネルの重要さを理解し、フェルネルを書いていてフィチーノの重要さを理解しと、結局のことろ、博論のストーリーをフィチーノから始めるきっかけを与えたのが、この章なのです。フィチーノをアタックした結果は、Allen Rees 編のフィチーノ論集に英訳が収録されたことからも、そのレヴェルは理解していただけると思います。 

2002. 01. 22 火

  校正稿を手渡したので、少し気がかりなことが減りました。後は、2月15日が締め切りのフェルネル論文の突貫工事に取り掛かる嵐の前に静けさ状態にどうやって僕の本の原稿の見直しに戻るかです。本当は、少しでも早くフロッピーを編集部に手渡さないと、ロンドンに行く前に校正稿を手に入れられそうにもありません。グズグズしている訳ではないのですが、まだ沢山間違いがあるのではないか?と弱気になって、なかなか英断できないで居ます。もう、迷っても仕方ない状態にあるのですが。でも、先にフェルネルを片付けてしまおうかな?

 

  フェルネル論文のメイキング風景リアルタイム紹介する頁を作っておきます。例のごとく、この日記からの抜粋ですが、後から来て見る人にはまとまっていた方が便利でしょう。ここは僕の個人的な日々の研究の機微をつづる日記ですが、仕事の進度について毎回イチイチこうして書くことについて勘違いしている人がいるでしょうから言っておきます。これは、単に露出狂的に自分の苦しんでいる火事場を人に見せて自虐的法悦に浸るとかいうものではありません。吉本さんが以前書いていましたが、日本の研究者は図書館などでコツコツと勉強している自分の姿を学生に見せることはありません。それが全てを象徴するように、学生はどういう風に原稿を書く機会が訪れ、どのようにして形になっていくのか、を知る機会はありません。また、それを知っている日本の研究者の多くも海外の場合どうなっているのかを知る機会は少ないでしょう。つまり、それを見せることは2重の意味で参考になるという教育的動機に基づいているのです。

 

2002. 01. 28 月

  そろそろ、フェルネル論文に本格的に取り組まないと、間に合わなくなりますね。自分でも、ここのところ何が仕事として入っているのか分からなくなって来ているので、メモ用のリストを作っておきます。

 

自分の本の出版          

『ミクロコスモス』第1巻の編集  

フェルネル論文(2月15日) 仏

論文審査(2月末

Methodos用の論文・(3月末

『思想』用の論文(4月末

まろあ計画(5月末)

カッシーノ論集(6月末) 仏

『アカデミア』用の論文(9月末) 仏

そろそろ踏ん切りを      

早く戻らねば

急ぎ

例の発展史観のアレです

乗り気ではありません

がんばります

企画会議を通ることを祈って

がんばります

今年落としたらアウトです

 

はて、何か忘れているものはないでしょうか?それぞれの仕事の担当者の方、忘れているものがあったら言って下さい。でも、「コレ、忘れてます」といって、何か新しいものドサクサに紛れて入れるようなことはしないで下さい。言われると、無かったものでも、あったような気になります。

 

2002. 01. 29 火

  昨日ついに、フェルネル論文に取り掛かり始めました。まずは、注などのフォーマットを雑誌の規定に合わせるという機械的な作業です。こういう心理的に負担の少ない作業から始めて、少しずつ内容にのめり込んで行きます。1週間もすれば、心身ともにすっかりその世界に入っているでしょう。文字カウントをかけると、現在のところ50000字あるので、30000字程度に落とさないといけません。ということで、残念ながらフェルネルのデーモン論のところはカットしなければなりません。話の展開としては、始めにフェルネルのコスモロジーにおける事物の種子の概念の存在を見た後、その「天界から降ってくる種子」概念が、どういう古代の権威に支えられているかを分析します。その後は、種子が天界から月下界にどうやって運ばれてくるのかというところで、運搬者たる「世界精気」(スピリトゥス・ムンディ)というフィチーノのアイデアが出てきます。対話編の中で、フェルネルは、プラトニストであるブルートゥスに世界精気について語らせ、アリストテレス主義者のエウドクススが、その概念が何とアリストテレスも教えるところであったことを偽アリストテレスの『世界について』(彼はそれを偽作とは疑いません)という著作を用いて証明してしまうのです!その後、「スピリトゥスとは何ぞや」という感じで、最終的にはデーモン天使が闊歩する超天界の話に移りつつ終焉、という展開となります。今回の論文では、この最後の部分は割愛することになります。ロング・ヴァージョンは、僕の本の中で見てください。

 

2002. 02. 01

  一昨日からフェルネル論文の制作(というよりはリライト)に本格的に取り組んでいます。フェルネルのプラトン主義のソースはフィチーノなのですが、フィチーノに関することはイチイチ説明しないで、この前出たフィチーノ論文に単純に振れば良いかな?と思っています。ちょっと読者には親切ではないのですが、再構成をしている時間がないので仕方ありません。しかし、またしても単品として世に誇れる練りに練った一本ではなく、快速切り出し式で、後は僕の本を読めというパターンにはまっています。今回の論文のもとになっているフェルネルの章は、十分に練られていますが、ここだけ切り出すと、どうしても説明不足で舌足らずのところが多々あります。あまり、お手本には出来ない展開です。フェルネルは、パリで人文主義型のガレノス医学を教えたことになっていますが、この論文では、彼の医学理論の根幹を支えるコスモス&ロゴスフィチーノ型の新プラトン主義に大きく依存しているということを事物の種子の理論を中心に示すことを目的としています。

 

   さてさて、フェルネル論文は、一番困っていたイントロダクションを完全に書き換えて新しいものにしました。基本的には、ロンドン計画のプロポーザルを利用したものです。後は、もう2〜3日何度か読み直して幾つかの細かい点に修正を加えて出来上がりといった感じです。40000字です。

 

2002. 02. 07

  さて、昨晩のドイツ語会話のテストも無事済んで、今日から週末までフェルネル論文の完成に向けて集中したいと思います。

 

2002. 02. 01

  一昨日からフェルネル論文の制作(というよりはリライト)に本格的に取り組んでいます。フェルネルのプラトン主義のソースはフィチーノなのですが、フィチーノに関することはイチイチ説明しないで、この前出たフィチーノ論文に単純に振れば良いかな?と思っています。ちょっと読者には親切ではないのですが、再構成をしている時間がないので仕方ありません。しかし、またしても単品として世に誇れる練りに練った一本ではなく、快速切り出し式で、後は僕の本を読めというパターンにはまっています。今回の論文のもとになっているフェルネルの章は、十分に練られていますが、ここだけ切り出すと、どうしても説明不足で舌足らずのところが多々あります。あまり、お手本には出来ない展開です。フェルネルは、パリで人文主義型のガレノス医学を教えたことになっていますが、この論文では、彼の医学理論の根幹を支えるコスモス&ロゴスフィチーノ型の新プラトン主義に大きく依存しているということを事物の種子の理論を中心に示すことを目的としています。

 

2002. 02. 08

  昨日、フェルネル論文を紙に打ち出しました。パソコンの画面上では気がつかない点を紙の上でゆっくり確かめながら読んでいこうと思います。余計な注を削って38000字ぐらいになりました。だんだん注に入れるべき自分の書き物の数が増えるということは嬉しいことです。普段の自分のフォーマットだと12頁、雑誌用のフォーマットだと1720頁となります。> 幾つか細かい間違いを発見、やっぱりチェックしてみるものです。でも、ま、全体としてはスラスラ流れます。後は、明日プルーフ・リーディングしてもらって完成と。そうしたら、ファイルを Joly 氏のところへ送ります。彼が火曜日にチェックを入れ、それをフィードバックして、金曜までにパリの Corpus 編集部に送ります。ところで、この特集号『フェルネル:医師・哲学者』は、いつ頃出るでしょうか?De Clave 論文 の時の感じから予想して、おそらくは5月〜6月頃に校正刷りが来て、発刊自体は夏前か夏休み明けとなるでしょうか?とにかくも、寄稿内容が分かり次第、詳報したいと思います。

 

2002. 02. 09

 予定していた論文「ジャン・フェルネルの種子の理論における人文主義、新プラトン主義、そして古代神学」のプルーフ・リーディングですが、案外問題なく午前中でさっと終わりました。この際ですから、全文掲示します。僕の論文を読んだことのない人には、良い機会だと思いますので、どうぞ(仏文です)。雑誌の字数制限の関係で、引用でのラテン語原文はカットしてあります。全てのプラトニストに捧げます

 

2002. 02. 10

  フェルネル論文は、今日チェック用に Joly 氏に送るので、それが帰ってくるまでの間、日本の雑誌に頼まれている論文審査をしてしまおうと思います。大体のことは出来ているのですが、1ヵ月後に見直してみると違った点が見えてくるかもしれません。

 

2002. 02. 14

  フェルネル論文のチェックが帰ってきました。大した問題点はありません。ただ、このまえ出されたフェルネルの『生理学(La physiologie, Paris, Fayard, 2001) とのタイアップ企画なので、もう少し注などで『生理学』に振った方が良いだろうということです。時間のない中での作業でしたから、理想的とは分かっていても、そこまでしなかったのですが、今日ちょっと試みてみます。

 

2002. 02. 15

フェルネル論文は昨夜、無事添付ファイルにてパリの Corpus 編集部に送りました。

 

2002. 06. 21

  リェージュのデスクの上には、郵便がいろいろ届いています。おや?フェルネル論文校正刷も届いています。前回は、隣の学生のうちに届いて、学生がすぐに渡してくれなかったという苦い経験があります。ま、ロンドンで校正をするとして、とにかく今現在で分かるこの特集号の内容に関する最新情報を載せます。

 

ジャン・フェルネル:医学と哲学

José Kany-Turpin (éd. ), Jean Fernel : médecine et philosophie.

Corpus : revue de philosophie, 41 (2002), Paris.

 

José Kany-Turpin “Editorial” pp. 5-

イントロダクション

V. Aucqnte, “La théorie de l’âme de Jean Fernel” pp. 7-

フェルネルの霊魂論

Hiroshi Hirai, “Humanisme, néoplatonisme et prisca theologia dans le concept de semence de Jean Fernel” pp. 41-

フェルネルの種子の理論における人文主義、新プラトン主義、そして古代神学

Danielle Jacquart, “La Physiologie de Jean Fernel et le Canon d’Avicenne” pp. 65-

フェルネルの『生理学』とアヴィケンナの『カノン』

Paul Mengal, “Utérus et fureur utérine chez Jean Fernel” pp. 81-

フェルネルにおける子宮と子宮的熱狂

Roberto Poma, “Tradition et innovation dans la Physiolosie de Jean Fernel : l’accord difficile entre expérience et raison dans l’œuvre d’un médecin de la Renaissance” pp. 91-

フェルネルの『生理学』における伝統と革新:ルネサンスの医学者の著作における経験と理性の間の難しい協調

Sylvain Matton, ***** pp. 111-

未定

Jean Céart, *****

未定

 

しかし、なんと開けてびっくり玉手箱。結局のところ『コルプス』だからと、タカをくくっていたら、Danielle Jacquart に、Sylvain Matton、そして Jean Céart とビックネームばかり。こりゃ、必携アイテムとなりますでしょうか?『コルプス』じゃ、もったいないです。Vrin とか Champion から出して欲しかったな。だいたい、自分の名前が、あの Jacquart 氏と並ぶことなんて、夢にも思わなかったです。Nutton さんと同じくらい、あるいは、故 Marie-Thérèse d’Alverny と同じくらいスゴイ人です。万が一、論集全体の出来がそれ程良くなくても、僕にとっては宝物の領域に入ります。

 


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