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ごくごく個人的な「本」日記

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20149

 

2014. 9. 30

  やっとのことで、11月のアメリカ行の航空券を入手しました。116日から8日に米国科学史学会がおこなわれるシカゴを中心とする向こうでのフライトや宿舎は、すでに手配済みです。> 僕のデルタ航空のマイレージは、あと1万マイルくらいすればゴールドになりますが、このアメリカ遠征で6千マイルほどはいると思います。そうすると、年末に日本に帰るときには到達するでしょうか。3大陸間の移動を年に4回、つまりアメリカに年2回、日本に年2回くらい行くようになってから、マイルのたまり方がとても速くなってきました。

 

           1030日 ブリュッセル 0930 ― ニューヨーク 1255

           1117日 ニューヨーク 1930 ― ブリュッセル 900

 

  次号のメルマガのために、今夏の駒場での集中講義の序論として話した「インテレクチュアル・ヒストリーの手法と実践」を文字に起こしています。昨日のうちに下稿はできたので、今日は推敲をして読めるものにしたいと思います。しかし、話したものと書いたものでは、欧語よりも邦語のほうが形式の違いが大きい気がします。> ドロップしました。102の配信です。

 

 

2014. 9. 29

  今年は、前半に『知のミクロコスモス』を出版し、なかばに東大での集中講義をしました。そして、長年の懸案となっていたガファレル論集も、もうすぐ世に送りだせるところまで漕ぎつけました。自分のなかでは3件の大きなシゴトしたことになります。ガファレル論集は6本からなる小品なので作業量は『知のミクロコスモス』とは比べものになりませんが、寄稿をそろえる段階での気苦労はこれまでの計画では一番でした。

 

ココロの重しがひとつ減るというのは、気分がとても良いことです。

 

 

2014. 9. 28

  今日は、ゲストの二人をつれて日曜市にいきました。二人は、17ごろの電車でそれぞれの帰路につきました。

 

  週末のあいだBH本館に滞在したクニ君に、電子媒体にかんする意識革命をうながされたのですが、僕はまだそこまで覚醒していないのだなと思い知りました。本の裁断という最後の一線がなかなか越えられません。

 

 

2014. 9. 27

  今週末は、クニ君とパリ駐在のツノさんが BH本館を訪問します。クニ君は、昨日のうちに僕と一緒に電車でオランダからやってきました。酔狂なツノさんは、なぜかヒッチハイクでベルギーに向かうということで、結局のところ合計8時間かけました。新幹線なら2時間で済んだのに、謎のチョイスです。

 

  ツノさんの到着を待っているあいだに、ガファレル論集に寄稿した僕の原稿の校正をしました。修正ゼロという輝かしい新記録です。これは編集におけるアートですね。

 

 

2014. 9. 26

  昨夜に連絡がきたのですが、来年の3月にベルリンでおこなわれるルネサンス学会に提案している2つのパネルの日程が決まりました。ひとつは JARS 主催の「日本におけるキリシタンの世紀とイエズス会」で、27日(金)の最後の時間帯(1645分から1815分)です。もうひとつはディディエとおこなう変成・消化・想像で、こちらは28日(土)の午前中いっぱい(845分から1015分と1030分から12時)かかります。完璧ではあませんが、いい時間帯ではないでしょうか?

 

 

2014. 9. 25

  今日はガファレル論集の寄稿者に校正刷りを送りだしました。10日間でチェックをやってもらいます。そのあとは一日がんばって、索引をつくりました。疲れましたが、夕方にはほぼできあがりました。おそらく、これで大丈夫でしょう。ふう。> しかし、この本はカバラ主義者や旧約聖書に関係する預言者天使といった聖なる名前がつぎからつぎへと出てきて、本当に知的挑戦を受けている気になります。

 

  なお、この論集の出版のために寄付をしていただいた方々のお名前は、扉裏の頁にあります。ふかく感謝です。

 

 

2014. 9. 24

  夏休みのあいだに依頼されて、ずっと宿題となっていた Annals of Science 誌への投稿論文を、オランダのオフィスに向かう電車のなかで読みました。ここ数年、なにか読むときは画面上電車のなかです。なぜか集中できます。

 

この論文は、キルヒャーに影響を受けた人物の自然観を扱っているものです。タイトルが冗長なところから、なにか悪い予感はしたのですが、全体的に英語が変です。また、テクストの分析は良いのかもしれませんが、取ってつけたような最終節での哲学的な枠組みの議論はあまりに大雑把かつ思弁的です。基本的には、トマス(ラインカウフ)のキルヒャー本に依拠しているのですが、それが出版されたのは1993年ですよ。お題目のように、新プラトン主義だ、ヘルメス主義だ、ルルス主義だといわれても、パーゲルのような深みがあるわけではなし、これではちょっとダメですね。書き直し&再投稿を願おうと思います。これから、審査評を書きます。> お昼休みに書きあげました。

 

海外の雑誌の投稿論文にたいする僕の審査評は普段どういう感じなのか、幾つか例をお見せしたいと思っています。ただ、残念ながら一般公開はできないので、今度いつかメルマガで一部のコアなファンの皆さまだけに、教育目的として配信したいと思います。

 

  そうこうするうちに、原稿一式を提出してからまだ2週間くらいしかたっていないのに、もうガファレル論集の校正刷りが送られてきました。担当のリタは、イタリアとは思えないほどの仕事の速さ正確さを誇っています。嬉しいことですが、完全に意表を突かれました。この際ですから、扉の写真をアップしておきます。

 

 

2014. 9. 23

  超有名ブログ『石版!』の紺野さんによる第4章のチェックをとり込みました。これを水曜日にプリント・アウトしてから読み直して、最終版とします。今日は、これから第5章の文献チェックに入ります。まだまだ道のりは長いですね。> なんとか、第5章のフィードと文献リストづくりもでき、紺野さんに追いつきました。

 

 

2014. 9. 22

  ここのところ続けているトニー計画の最終的な見直しは、第3章を終えました。しかし、この作業は本当に細かいところを見ているので、時間がかかる割にはなかなか進まず、とても疲れるものです。

 

 

2014. 9. 21

  今日は、鏡リュウジさんに紹介されたカバラ学者の山本さんと会うために、11時にリェージュ駅まで迎えにいきました。あいにくの雨だったのですが、名物の日曜市や歴史的な面影をのこす旧市街を案内しつつ、一緒に食事をしていろいろな話をしました。楽しかったです。そのあとはオランダの町グローニンゲンに向かうということで駅まで送ってきました。ながらくイエルサレムに住んでいたという本場仕込みの方で、つぎの論集となるS計画に寄稿してくれるとのことですので、お楽しみに!

 

 

2014. 9. 20

  やっとのことで第2章を終わらせることができました。

 

  ディドロの専門家である逸見先生の主催で、今年の年末に新潟大学でおこなわれる知のイベントは、開催日を決めるのに少し時間がかかったのですが、どうやら1219日(金)16時半くらいから19時までとなりそうです。発表予定者は、ラムス主義を研究されている久保田さん、スペイン詩学を専攻している田邊さん、ライプニッツ専門家の池田さん、そして僕の4人になると思います。まだ、なにを発表するか決めてませんが、全体とのバランスで選ぼうと思います。

 

 

2014. 9. 19

  4時間ほどかけて昨日のつづきを進め、第2章の3分の2を終わらせました。いかにオフィスは非生産的であるか分かります。とほほ。

 

  リェージュに向かう帰りの電車のなかで、頼まれていたクニ君の本の原稿の5を読みました。欄外にいろいろ気がついたことを書き込みました。これらのフィードバックは来週の水曜日になりますね。

 

 

2014. 9. 18

  今日はゆっくり第2章の最初の3分の1をチェックしました。これが最終チェックなので、見落としのないように進めています。

 

 

2014. 9. 17

  オランダに向かう電車のなかです。良い天気で、まぶしいくらい。ただ、フロイスを持ってくるのを忘れてしまいました。デウスの恩寵の御加護がつづくことを願います。

 

  一昨日に見つけたアーバノのピエトロにかんする論集を、早速のところ大学の図書館で借り出してきました。パリのダニエル・ジャカール氏とそのお弟子さんたちを中心に11のうち9本が仏語、そしてキアラ・クリシャーニ氏とお弟子さんが2本ほど伊語で寄稿しています。以前だったら、中世のこういう感じの国際論集では、英米ドイツの人が少なくともかならず一人や二人は入っていたものですが、最近は仏語圏の人たちが先鋭化している印象をうけます。いまだ高いレヴェルをキープしているのですが、ずっとこのままでいいのか疑問は残ります。

 

  ひとつには、中学・高校でのラテン語教育のレヴェルの高さと重要さを保っていることがあります。もうひとつには、中核となるジャカール氏とクリシャーニ氏が多くの生徒を育ててきていることが大きいような気がします。さらに仏語圏のグループは、イタリアの学問には敬意をはらっていますが、自分たちはあまり英語圏などには出てきません。そういった諸要素が、この先鋭化を後押ししている印象をうけます。

 

 

2014. 9. 16

  今日は、ヨシ君の発表原稿「デカルト主義者クラウベルクとスピノザの神」のウェブ合評会をおこないました。ヨシ君本人と評者あわせて合計5人で、2時間ほどたっぷり濃密な議論ができたと思います。いろいろ論文化にむけた課題が見えてきたと思います。

 

 アメリカ科学史学会が116-9にシカゴでおこわれますが、そのための算段をしています。まずはホテルから見つけたいと思います。> とりました。つぎは、フィラデルフィアシカゴのあいだのフライトを決めます。これはすぐに決められるでしょう。

 

 

2014. 9. 15

  昨日は2、今日は3の作業をしました。この後におよんでも、まだまだ不統一な点があります。この確認の作業はなんだか終わりがみえません。気が遠くなります。

 

  ふとしたきっかけで、中世とルネサンスにおける医学、占星術、魔術アーバノのピエトロの周辺 Médecine, astrologie et magie entre Moyen Âge et Renaissance: autour de Pietro d'Abano (Firenze: Sismel, 2013) という魅力的なタイトルの国際論集をみつけました。ミクロログスの平行叢書の一冊です。おそらく水曜日には手にとれると思います。

 

 

2014. 9. 14

  忘れないうちに集中講義のツイートをまとめてもらったものを、リストアップしておきます。1日目2日目3日目4日目最終講演会です。いまから思えば、受講生たちのノートがそのままツイートとして投げかけられ、それがまとめられるという授業も世の中にそれほど多くないのではないでしょうかね?不思議な体験でした。

 

   トニーの『テクストの擁護者たち』の題名から、レイノルズ&ウィルソンの名著『古典の継承者たち』 (国文社、1996年) が真っ先に頭に浮かぶ人はかなりの通でしょう。今日は、この本をひさびさに手にとってみたのですが、ポリツィアーノについてのトニーの記述(第2章)は、この本にインスパイアされていることがわかります。いまは絶版となっているようですが、新装版か学術文庫版、もっというとキンドル版でいつの日か復活することを期待しています。

 

  しかし、本当に読んでもらわないと実感できないと思うのですが、『テクストの擁護者たち』は、多くの人が思い浮かべる「思想」というものについての本ではないのですよ。知の営みの歴史としか言いようがないのです。この本を読めば、インテレクチュアル・ヒストリーは思想史とは同一なものではないことが理解されると思います。

 

 

2014. 9. 13

  トニー計画の序章がついに完成校となりました。紙にプリント・アウトして、じっくりと2回ほど読み返しながら微調整を加えました。なかなか難しかった訳文も、邦語として申し分ないくらいスムーズな流れになったと思います。もうこれでいいでしょう。

 

そのあとは、第1章を完成させる作業をつづけました。基本的には、超有名ブログ『石版!』の紺野さんに提案してもらった調整点をとり込み、脚注のアイテムのなかでも仏・独・伊語の書誌データにスペル・チェックをかけます。これを水曜日にオフィスでプリント・アウトして、紙の上でじっくりと見直して完成としたいと思います。また同時に、最終作業の一環として文献表もつくりはじめました。人名索引は最初の校正刷りがでてからつくります。

 

 

2014. 9. 12

  はやいうちに、集中講義の序論と講演会で話した内容を書きおこして、まとめておきたいと思います。それをもとに、いろいろな人と意見交換して、僕の見えなかった視点や知らなかった流れなどを教えてもらって、近い将来に新書かなにかとしてインテレクチュアル・ヒストリーの入門編をまとめたいと思っています。

 

  やはり根強いのは、とくに90年代以降におおきく発展しているインテレクチュアル・ヒストリーと、戦前からある観念史History of Ideas)を混同しているケースだと思います。背反するものではありませんが、同じものではないと思っています。また、前者は従来からいわれる哲学史・思想史とも違うものだと感じています。

 

  ある意味で自戒をこめて、哲学史・思想史では歴史的な文脈・背景には十分な関心が払われてこなかったと『知のミクロコスモス』の序文では書いたのですが、ここを挑発的だととる人も多いのでしょう。「歴史家たちを納得させるほどに」とか入れておけば良かったかなと思います。思想史家とくくられる人たちと歴史家たちのあいだに十分な対話がなりたってこなかったのは、揺るがしがたい事実としてあるでしょう?

 

  僕自身も、まだ試行錯誤の発展途上です。いまほど意識していなかった第2著作のあとに『知のミクロコスモス』をつくり、その後にトニー計画でおおいに啓発され、そして集中講義と歩をすすめるうちに考えが深化すると同時に、実践面でも、たとえばガファレル論文ではもう単純な思想史とは呼べない、「知の営みの歴史」としかいえないところまで、まがりなりにも到達できたのではないかと思っています。

 

 

2014. 9. 11

  ジョンとイヴォと連絡がとれたので、航空券を入手しました。あとはプラハの宿を決めれば完了です。イヴォにどこがおススメか聞いています。飛行機は夕方に着くので、ルドルフ2世の魔都での滞在時間はそれほど長くはないでしょう。

 

イヴォから返事があり、僕から頼んだわけではないのですが、プラハ大学の美術学科がもっているゲスト・ハウスに泊めてくれるそうです。しかも、彼自身が空港まで迎えにきてくれ、そのまま夕べを彼の同僚たちと過ごし、つぎの日には一緒に電車にのってオロムスでのワークショップに向かうというゴールデン・プランとなりました。これは、すばらしい!あの記念碑的な豪華論集『ルドルフ2世と錬金術』に参加したおかげす。

 

  ツイッター上で、インテレクチュアル・ヒストリーについての議論が進行しています。いろいろ立場の違う方々から多様な意見が出されていて興味ぶかいですね。とても、参考になります。ここに一部がまとめられています。

 

  うちの研究所に2週間ほど滞在しているアメリカ人のトリシアが、今年最初の研究会で発表しました。ルター派の医師ヤーコプ・ホルストの著作の分析で、この人物は聖書キリスト教父たちのテクストからの引用を多用して、自然の驚異奇蹟怪物について神学的な言説を多用した議論を展開していています。宗教改革史医学史のクロス・オーヴァを必要とするテーマでしょう。僕は、ホルストの企てはそれほどまでにオリジナルなのか、似たようなことをしようとした先駆者はいないのかという普通の質問と、たんなるキリスト教父たちからの引用を越えて原始キリスト教社会のイメージそのものがホルストの動機づけの深層にあるのかという難しい質問をしました。たんにキリスト教と親和性をもつように医学を改革しようとしたのか、それともさらに踏み込んで、「神の国」でおこなわれていたような「プリスカ・メディチーナ」(古代医学)へと還元させようとしていたのかという問題です。しかし歴史学科の院生が、こういう野心的なテーマを自由に研究できる環境って素晴らしいですね。

 

 

2014. 9. 10

  ずっと、チェコ行きの旅程を考えています。プランが見えてきたほうからいうと、ワークショップの2日目の木曜日は午前で終わるようなので、その晩をオロムスで過ごす必要はないでしょう。電車で1時間くらいのブルノという町に知り合いのジョン(ノリス)が住んでいるので、彼のところにお邪魔して、つぎの日の11時ごろにブルノからアイントホーヘンへのフライトに乗るという方法が上手くいくかもしれません。ジョンは、ずいぶん前から遊びに来いといってくれていましたし、ワークショップを聞きにくるともいっています。

 

  出発の方は、1014日の火曜日にプラハに向かって、できれば現地の誰か(『ルドルフ2世と錬金術』の論集を主催したイヴォが空いていればラッキー)と夕べをすごし、つぎの15日の水曜日にオロムスに電車で向かいます。3時間の道のりです。15時からワークショップがはじまります。その晩はレセプションディナーがあるでしょう。ということで、あとはプラハをセッティングできれば良いかなと?

 

 

2014. 9. 9

  今日はペースを崩さずに、昨日の作業を続けたいと思います。> といいながら、インテレクチュアル・ヒストリーとはどういうものなのかという問題を考えていたら、時間が過ぎてしまいました。

 

  集中講義とその最終日の一般講演でとりあげたのですが、よく聞かれることに思想史インテレクチュアル・ヒストリーの違いがあるのか、という質問があります。まだ僕自身もこの点は探求中で、論文として考えをまとめるにいたってないのですが、思想という言葉の曖昧さについて皆さんに逆に質問しました。哲学史思想史の違い、もっといえば、哲学思想の違いはあるのか、ないのか。あるとすれば、それぞれはどういう分野を扱うのか(僕個人は、日本語で思想といわれているものは philosophy でしかないと思っています、つまり違いはない、と)。

 

この質問をすると、カノニカルなものを扱うのが哲学で、そうでないものを扱うのが思想だと答える人がいるのですよね。政治思想史をやっている人は、思想史という言葉を好んで使っていると思うのですが、そうすると政治思想史というのはカノニカルでない人物を扱っているのか?という疑問が出てきます。僕の印象では、答は否です。マキャヴェリだったり、ホッブスだったり、カノニカルでしかないでしょう?

 

 

2014. 9. 8

  なかなか気持ちのエンジンがかからないと流暢にボヤいていても仕方ないので、エイヤ!っと作業に入ることにしました。先週、ガファレル論集の最終チェックジェルマーナがしてくれたのですが、そこで出された疑問点を片づけました。もう許してもらって、このまま版組に入ってもらいたいところです。

 

  そのあとは、赤江君のチェックをもとに、トニー計画の序章をもういちど見直ししました。これくらいかな。だいぶ煮詰まってきて、自分でもよく見えなくなってきました。そろそろ関戸さんに見てもらう時期だと思います。

 

  夏休みの宿題ということで、ジャン・ボダンについての扱いを『哲学の歴史 (第4巻) ルネサンス』(中央公論新社、2007年)で見てみました。基本的なことは押さえているみたいです。メランヒトンの項目がないとか、いま考えると不思議な面もありますし、カンパネッラの項目は1990年からのジェルマーナの研究がすっぽり抜けています。マインド的には、90年代半ばくらいでしょうか?日進月歩の世界の研究をそれなりにフォローしながら、満足のいく教科書を提供するというのはなかなか難しいことですね。でも、この本の構想はよく練られていて、おススメです。

 

 

2014. 9. 7

  昨日は天気も良くなかったので、「九月初旬のココロ」と題してラヂオ放送をおこないました。この夏に出会った本などについて話しています。途中に中断がありましたが、全体で45くらいです。楽しかったですね。編集した版を、こちらにアップしました。

 

 

2014. 9. 6

  記述が少し先行していますが、ご容赦を。

 

  ナイメーヘンを離れる前に、ヨシ君の合評会のセッティングをして916の日本時間の21時から2時間くらいと決めました。これから幾人かに参加を要請します。> 帰りの電車のなかで、もらったばかりの発表原稿を読みました。ふむ。気がついたことがいろいろあります。

 

それから、2週間ほどわが研究所の滞在しているアメリカ人のトリシア30分ほど話をしました。博論のテーマとして、宗教改革研究の背景から初期近代ドイツでの医学的なテーマにアプローチしているということで、自然哲学・医学的な背景から宗教的な問題にもとり組んでいる僕の研究とは、なかなかうまくフィットするようです。これからの展開が楽しみです。

 

 

2014. 9. 5

  今日は久しぶりにオフィスをシェアしている同僚がきているので、あまり自由には使えません。> 今週は間近にせまっている締め切りもなく、比較的にゆったりと時間が流れています。いろいろアイデアを練るには、このくらいが良いですね。15時過ぎにはリェージュに向かって帰ります。

 

  昨夜は、『化学史研究』の最新号(2014年第3号)に掲載された村瀬アマデオ君による菊地原君の『パラケルススと魔術的ルネサンス』の力作の書評、というよりもエッセイ・レヴュを読みました。そのつぎにでている皆川卓さんによるエヴァンズ『バロックの王国:ハプスブルグ朝の文化社会史 1550-1700』(慶応大学出版会、2013年)の書評も、これまたエッセイ・レヴュと呼ぶにふさわしい力作です。

 

  ツイッターにも書きましたが、書評者にとっても、対象となる出版社にとっても、掲載する雑誌にとっても、多くの人に書評が読まれることは良いことでしょう。フル・オープンでなくていいので、せめて大学に関係している人々がある程度は自由にウェブ上で書評をみることができるシステムというのは成立しないのでしょうか?なぜ海外の学術雑誌ではできるのに、日本ではダメなのでしょうか?

 

 

2014. 9. 4

  今朝になってわかったのですが、昨日のマックの問題は、ケーブルそのものではなく、コンセントのかたちをアメリカ型から欧州型にかえる1個100円くらいの変換器がダメになっていたことが原因でした。ということで、本体でもなく、ケーブルでもありませんでした。お騒がせしました。

 

  まだ会ったことのないのですが、ルネサンスの魔術研究の世界的な権威、あのパオラ・ザンベッリ氏からじきじきに、新しい論集『ルネサンスにおける占星術と魔術:理論、実践、断罪Astrologia e magia nel Rinascimento: teorie, pratiche, condanne, ed. Paola Zambelli (Pisa: Il Campano, 2014) をいただきました。200頁あまりのスレンダーな一冊で、伊語の論文が8本ほど入っています。目をとおせたら、あらためて内容を紹介します。

 

  僕の帰欧直前に、新宿の思い出横丁で行われた寿司会で出会った人々の輪から、ワクワクする新しい計画が生まれました。歴史神学アートが交錯する世界最先端を本邦の皆さまにお届けする計画です。出版ウェブを架橋する試みです。その名もグラフトン@エクソドス、行けるところまで行きましょう!

 

  急きょジェルマーナから頼まれたガファレル論集のための作業は、昨日のマシンのすったもんだでできなませんでした。かわりに、彼女が自分でやるといっています。全体の最終的な見直しのために、すべての章をひとつのファイルにつなげたいようです。他ではあまり聞いたことのないやり方ですが、いつも Bruniana & Campanelliana 誌の編集作業でやっていることでしょうから、お任せします。基本的には、カンパネッラに関する事項をしっかりとしたいという欲求からきているようです。来週初めには、版組に入るらしいです。

 

 

2014. 9. 3

  今日からオランダ通いをはじめます。まだ日も長いし、天気が良い日が多いので、気分は良いですね。電車のなかで読むためにフロイスをもってこなかったのは、おおきな失敗でした。> オフィスについてエアに電源をいれようとしたら、残量わずかのバッテリーが充電されません。これはおかしい。試行錯誤しましたが、ダメです。夕方にクニ君に借りた別のケーブルでなんとか充電できました。マックのケーブルに特有な白い四角い箱があるじゃないですか、あれのなかの部品がやられたようです。まだ買って1年しかたっていないのに!

 

 

2014. 9. 2

  昨日の夜から、どうやったらオロムスに行けるのか調べています。チェコといえば、じつは、僕はまだルドルフ2世の町プラハにも行ったことないのですよね。あれやこれやと、いろいろ考えていたら妄想が膨らんできました。ボヘミアですよね、ボヘミア。イェイツの『薔薇十字の覚醒』の舞台も、ボヘミアだったなと。なお、僕の発表自体は、基本的には僕の本のアグリコラの章をもとにして「アグリコラ、ボヘミアと錬金術」みたいなものにしたいと思っています。

 

   来年3月にベルリンで米国ルネサンス学会の年大会がおこなわれますが、「変成・消化・想像」というパネル企画を提案しています。そのための特別コーナーを開設しました。

 

 

2014. 9. 1

  この秋の遠征としては、10月半にチェコ共和国のオロムスという町、そして11月初旬に米国科学史学会 HSS のためのシカゴに行きます。今季はそれだけに絞っています。東欧の地を踏むのは、ポーランドクロアチアにつづいて3つ目ですね。ワークショップの主催者から熱烈に招待されたのですが、首都プラハから電車に揺られて3時間ということで、あまりに遠いような気がして返事をかわしていました。でも、最終的には、ねじ込まれた感じです。

 

  ガファレル論集の図版をふくめた最終マテリアルを出版社に送りだしました。版組に入るので、泣いても笑っても、これ以降の変更はできません。これ以上は本体にお名前を入れることはできませんが、真に学問を愛する方々からの温かい寄付は、ひき続き受付けます。出版されましたら、1冊進呈します。出版されたものを買ってサポートするよりは、出版前の寄付の方がありがたいです。よろしく、お願いします!

 

  もうすぐローマの大橋さんが、『西欧古代神話図像大鑑』の続編である待望の「東洋・新世界編」を出版します。アマゾンのデータが揃ってからとも考えたのですが、思いたったときに実行するのが BH のモットーです。といことで、大橋喜之コレクションのコーナーをつくりました。

 

 

 

 

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