医学とレトリック


 

 

2008328

連続セミナー

『ルネサンスのコメンタリー』

於:IRHT @パリ

 

 

2008109-10

国際会議

医学とレトリック

於:国立医学アカデミー@パリ
Rue Bonaparte (6e).

 

プログラム

 

 

 

会議までの道のり

 

2008. 10. 6

  昨晩は朝の5時過ぎまで眠りにつくことが出来ませんでした。つらかったです。それでも、その後眠りに入れたようで、10時過ぎに起きて身支度をして、13時の図書館の開館にあわせて駆けつけました。真っ先に閲覧したかったマテリアルを5冊ほどチェックした後に、司書のステファニーと会見しました。そこで、パリ医学部の図書館のデジタル・アーカイヴに初期近代のコーナーを作るべく提案したプロジェクト「科学革命の背景としての医学」は、ほぼ採用された模様です。この計画には、ナンシーさんとコンチェッタが相談役です。とりあえず、これから見てみたいと思っていたマテリアルの入手には、これで強力なバックアップを得ることが出来ました。この計画の枠組みに入る全てのマテリアルのデジタル複製が、容易に達成できるようになったからです。1年前の夏のトゥールでの国際会議から、徐々に育ててきた人間関係と、それを可能にする僕の仕事の結果です。

 

 

2008. 10. 5

  ヴィラ・スタンダール (パリ) の上級研究員に就任しての1日目がスタートしました。10時過ぎに起きて朝食をとり、12時に身支度を済ませました。ただ、今年のパリはまだ10だというのに気温は10度と非常に寒いです。まだ T シャツ1枚で過ごしているフィラデルフィアとは大違いです。気を抜くとカゼを引いてしまいそうですので、気をつけたいと思います。

 

   午後は発表原稿のプルーフ・リーディングをしてもらい、同時にフィードバックをして完成しました。

 

 

2008. 10. 4

  昨日は定刻どおりの11時に無事パリに着き、ちょっと贅沢ですがタクシーに乗ってクリストフ宅に向かいました。40ユーロでした。12時前についたと思います。そのままの勢いで昼食に近所のクスクス屋に行きました。そして簡単な買い物をした後に、本屋巡りVrin Les Belles Lettres) に出かけました。夕方からは、クリストフの研究所 Villa Stendhal コケラ落しと称してシャンペンを開け、21時すぎに行きつけのガンベッタのイタリアンに夕飯を食べに行きました。さすがに眠くなって12時にはベッドに入りました。夜中に一度目がさめましたが、今朝10時過ぎに起きたところでは、時差ボケにはなっていないようです。> 今日から僕は、Villa Stendhal の上級研究員 Senior Research Fellow になりました。

 

 

2008. 10. 3

  今日からパリ遠征です。> 15時半の電車に乗って、まずはニューヨークに向かいます。リキに電話でタクシーを呼んでもらい、駅まで行きました。30ほど電車の到着が送れましたが、旅はスムーズで18時前にはニューヨークに到着しました。何度も来ているせいか、アメリカの中では最も親しみのある場所です。そこから地下鉄に乗り、1時間で空港に着きました。まずは第1ターミナルのエール・フランスの窓口へ。無事にチェックインを済ませ、今は待合ロビーのカフェでビールを飲みつつ、この日記を書いています。もしかしたら、欧州用の電源アダプターを持ってこなかったかもしれない?と思いたちました。

 

 

2008. 10. 2

  昨日は、クニ君から僕の発表原稿への軽めの感想を聞くことが出来ました。夏の欧州滞在の後、彼はクールであると思います。その後は、いろいろ細かいことで時間が過ぎていったのですが、午後からアダム君とスカイプを通して互いの近況について少し落ち着いて話が出来ました。彼も新天地で生活を始めてから4ヶ月が経つわけですが、僕も新生活を始めたばかりなので何かとパラレルがあります。

 

 

2008. 9. 30

  今日も朝早くからオフィスに詰めて、パリでの発表原稿を練りました。イントロ結論を補強して、議論の余計な枝葉を切り落とした感じです。発表時間は30+ディスカッションですので僕の普段のフォーマットで5枚半から6に収まれば良いのですが、分量的にはもう少し切っても良いかもしれません。これまでに書いた論文3本を切り張りしただけではあるのですが、通して一回ゆっくりと読んだ感じでは、今回の会議のテーマである医学とレトリックになかなかピッタリとした内容だと思います。> 早速にも原稿を読んでくれたアダム君がスカイプ通話で感想を伝えてくれました。何だか彼は興奮状態でした。> 会議の最終的なプログラムをアップしました。

 

  パリ遠征に向けて急場しのぎですが、僕の名刺を作ってくれるそうです。

 

 

2008. 9. 29

  今週は気合をいれて原稿書きに集中します!なかなかこれまでの全開モードから、集中モードに入るのは難しいです。前回のマドリッド会議の原稿の準備も厳しかったのですが、今回も同じくらいの苦しさを味わうことになりそうです。> 気合を入れて、まずは8時過ぎにはまだ誰もいないオフィスに到着し、9くらいまではメール関係をこなして (だいたい普段はこれだけで午前が終わります)、その後から執筆に取り掛かりました。がんばった甲斐あってか、18時頃には下書きの第1弾が出来上がりました。というよりは、分量がちょうど良くなりました。でも、まだまだ 3つの論文を切ってつなげただけの抜け殻のような感じがしますので、ストーリーに生命を吹き込むのはこれからです。

 

 

2008. 9. 26

  パリ遠征の移動に関する切符は全て押さえたことになります。あとは、行くべき図書館の基礎情報を集めることと、会うべき人とのアポを取ることです。昨日は、ピッツバーグのホテルも押さえました。で、今日は飛行機の切符も取りました。150ドルです。ここのところばかりをしています。もうトラヴェル・グラントは全て使ってしまったので、ピッツバーグの費用は完全に自腹ということになりますが、食費を含めて1000ドルくらいを見込んでいます。高いね。もう、招待されるもの以外には行かないことにします。> 会議の参加費125ドルも払い込みました。ふう、完全に破産です。

 

  よくよく考えると既に来週の金曜日には、パリ遠征に向けて出発しなくてはなりません。今週末から、本気で発表原稿を書かないといけません!!

 

 

2008. 9. 25

  パリリェージュ遠征の準備ですが、まずはフィリー=ニューヨーク間の行きの電車の切符だけを買いました。それからパリ〜リェージュ間の新幹線の切符を買おうとしたところで、銀行のカードがスタックし、銀行から不正使用された疑いがあるということでオフィスに電話がかかってきてビックリしました。フィリーでフランスの新幹線の切符を買う人間は、それほど多くないようです。僕自身が買おうとしていたと説明したら、納得してくれたのですが、カードのブロックが解除されないので困っていると、パリのクリストフが助け舟を出して立て替えてくれました。恩にきります。これで残りは、ニューヨークからフィリーに戻ってくるための電車の切符を買うだけです。旅行の準備が終わったら、原稿も書かないといけません。

 

 

2008. 9. 24

  今日やっと懸案のトラヴェル・エクスペンスの書類を書き入れて提出することが出来ました。マドリッド会議とアメリカ入りの費用だけで、2000ドルの予算をオーヴァしてしまいました。> 頭の痛い問題も一段落したので、パリでの活動を有意義にするために下調べを開始しました。まずは、会議の会場となっている国立医学アカデミーの図書館を利用するために、下準備をしないといけません。レフェランス・レターが必要なのかどうかを確認しています。なお、火曜日は休みのようです。調べておいて良かった!時間こそ生命のアウェイの作業で、この手の問題にぶつかると大きな損害をこうむります。作業をするとなると、月曜日か水曜日となりそうですね。それから、106日の月曜日には、BIUM の司書をしているステファニーと会って、デジタル・アーカイヴ「医学と科学革命」の計画について話し合います。あとは、生まれて初めて BNF を使うことになりそうです。新参者は、月曜は無理なようです。ということは、火曜日をBNF を攻める日とすべきでしょうか。1冊だけ閲覧しておきたい17世紀初頭のマテリアルがあるのです。

 

 

2008. 9. 22

  マドリッド会議、アメリカ入り、パリ行きと3つの大旅行を計上した結果、僕は自分のクレジット・カードで今月だけで1500ユーロ (約20万円)分を立て替えていることになります。これは、すさまじい額です。これ以上の負荷をかけるとカードにがつきそうです。 こうなってくると発表しない&ホテルが取れないという状態にある11月のピッツバーグの科学史学会行きは非常に不透明になってきました。

 

 

2008. 9. 18

  103000というのは、だいたい680ユーロなので、これが相場なのかもしれません。ほぼ同時期にパリのクリストフに論文執筆の指導料として頂いた700ユーロの小切手が口座に振り込まれていましたが、何と70ユーロ!も手数料が取られています。直接に口座から口座に振り込む場合はユーロ・ランド内なら手数料はかからないので、単純に大きな損をしたことになります。クリストフも、もったいないことをしたものです。フランス人というのは、自国のモノなら欧州内どこでも通用するという尊大な幻想を描いているものなのですが、これもその一部でしかありません。

 

  パリ行きの日程が実は間近に迫っているので、原稿を書かなければなりません。基本的には、もう一人のガレノス論文とゲマ論文におけるガレノスヒポクラテスの新プラトン主義的な解釈を可能にさせる策略というか手法を、医学とレトリックという会議のテーマにあうように30の話にまとめることを目的としています。

 

 

2008. 9. 17

   今朝はまず、歩いてペンシルヴァニア大学の国際交流課のところに行ってきましたが、ある意味で無駄足でした。ま、それほど問題ないということでしょう。次にトラムとメトロを乗り継いで研究所に着く頃には11時近くになっていたと思います。今日は、仕事に集中するぞと思い、まずはフランス行きの航空券を予約しました。今回はいつものデルタ航空ではなく、久々にエール・フランスを使います。日本語のサイトを使ったら、なぜか領収書が円建てになってしまったのですが、税込みで103000でした。この額を立て替えるのは、結構大変なことです。先週のスペイン行きの600ユーロも立て替えているわけで、このままでは今月は破産しそうです。

 

           10  3日金    ニューヨーク発 2115 パリ着 翌日1045

           1018日土    パリ発 1630 ニューヨーク着 1900 

 

  その後は、ゲマ論集の索引作りに専念しました。途中でオフィスを離れ、家に戻って夕飯を食べてから作業を続行し、21時半には一応全体の人名索引が完成しました。

 

 

2008. 9. 16

   そろそろパリ行きの航空券も買わないといけません。しかしです。まだクレジット・カードを作ってないので、ベルギーのカードをまた使う羽目になりそうです。あまりベルギーの口座を使いたくないので、困りました。と考えているところで、デルタとエール・フランスのマイレージ会員証リェージュのアパートに忘れてきたことに気がつきました。まあ、忘れ物があっても10月に帰るから良いやと思っていたのですが、帰るために使わなければいけないものがあるのです。ああ、そこまで考えが及びませんでした。> 値段とみると、往復で600ユーロくらいで済みそうです。

 

 

***

2008. 3. 29

  移動が多くなるといつも思うのですが、もっと恒常的にネットにつながるシステムはないのでしょうか?携帯電話の電波を用いるヴォーダフォンのシステムを使えば良さそうですが、いつも携帯電話の電波を身近に浴びるのは何だかカラダに悪そうな気もします。出来ればベルギー国外に出るときだけ使用できるスポット式のものが良いのですが、だいたいは年間契約とかそういう感じのものばかりです。

 

  11時前にカルチエ・ラタンにあるシックなホテルを後にし、新幹線の発着するパリ北駅に向かいました。予定の列車は12時発です。少し時間があったので駅前のカフェで一杯。最近凝っているグリンベルゲンの黒ビールはなかったので、白のフーガルデンにしました。既に、これだけでベルギーを感じさせます。一瞬、ホームに帰った気分を味わいました。車内の食事は、白魚のカビオパスタの和え物に、デザートとして木イチゴ味のマカロンがついていました。今回初めて食べることになるマカロンはアーモンドのペーストがベースで、アレルギーのある僕のものではないことが分かりました。ちょっとかじってみましたが、カラダが拒否反応を示します。残念。逆に、オーストラリア産の白ワインのチョイスは正解でした。おそらく、それほど高くないのでしょう。仏産ワインの人気が下がる理由が分かります。

 

 

2008. 3. 28

  ゆっくりと身支度をしてクリストフ宅を後にし、12時半に指定のホテルに移動しました。とにかく、まずはシャワーを浴びたいところですが、まだ部屋が準備できていないということ。しかし、クリストフからもらったプレゼントは重くてかさばるので、良くいわれる仏語の表現を借りれば、ある意味で毒入りです。体調の方も、イマイチのところで万全ではありません。何とも底力が出ない感じなのです。> ホテルの部屋はダブルで96ユーロのもので、ケチな研究機関の多いパリからの招待にしてはかなり立派な方です。

 

  ホテルで体勢を立て直してから、2時半過ぎには部屋を後にして、セミナーの会場に向かいました。会場はすぐに見つかりました。内装などは非常にゴージャスなすごい場所です。あのジャン・セアール氏主催のセミナーということで、かなり緊張していたことも事実ですが、無事に仕事を終えることが出来ました。最近いつも思うことは、こうして一仕事を終えるたびに喝采を受けるのですが、会場を去り再び一人になった時なぜかココロは満たされず、一抹の空しさが残るということです。いろいろなところから仕事の依頼が入り、知名度も出て来た訳ですし、ついにアメリカに進出することにもなって、キャリアの上ではどんどん上昇しているのが分かります。しかし、いうなれば、仕事上の成功と人生の幸福は必ずしも一緒になっているものではない気がします。一生のうちで一度も成功に値する出来事もなく、まして何の目標もなく日々を過ごしているブタの人生もある訳で、それに比べれば何十倍も幸せなはずだと皆さんは思われるかも知れませんが、何かが違うのです。

 

夕飯はホテル近くのギリシア料理屋に行きました。疲れていたようでホテルに帰ってベッドに横になっているうちに、服を着たまま眠りこんでしまい、気がついたら3時になっていました。それからは目が覚めてしまい、ふたたび眠りにつくことが出来ません。朝5時に一瞬だけ近くのソルボンヌ大学の無線 LAN でネットにつながり、幾つかメールをダウンロード出来ましたが、途中で切れてしまいました。何だったのでしょうか?ソルボンヌの構内に入れば、もっと電波が強くて上手くつながるということでしょうか?

 

 

2008. 3. 27

  朝起きてみるとクリストフのメモがあり、給湯器が故障しているというものでした。あらら、シャワーも使えなければ、暖房もありません。これは大変なことになりました。ま、明日の昼には取ってもらったホテルに移れるので、大した被害ではないのですが、それでもこうしてリヴィングのソファに座ってマシンを打っていると冷え込んできます。今日は、11時半から出版社の人と会う予定です。その後は、予定は何も入っていませんが、暖房のないクリストフのアパートにいることは不可能でしょう。

 

  11時半からの Belles Lettres 書店のセゴン氏とのアポは無事にすみました。昼ご飯を奢ってもらいました。ただ、僕のチョイスがイマイチでした。次の段階としては、論文をリプリントする際のブリル側の許可を得て、その際の条件を聞かないといけません。早速、ESM  のクリストフに問い合わせのメールを書きました。> クリストフの会社についた辺りから、カラダが重く感じられるようになり、寒気がするようになりました。これは完全にカゼのひき始めです。明日がセミナーの本番なのに、ついていません。

 

 

2008. 3. 26

  今朝はユックリと仕度して、昼にディディエとあって食事をし、その後は、次のミリアムとのアポの18時まで時間があるので、クリストフの会社に行ってネット、コピー、そしてデスクを借りています。一応、リプシウス論文の紙ヴァージョンも無事に投函しました。全力は尽くしましたので、あとは野となれ、山となれ。> 夕方にミリアムにあって、仏語のプルーフ・リーディングの仕事をやってもらうことにし、アメリカ行きの話をしました。おかしなもので、僕よりも彼女の方が、この話を聞いて興奮していました。その後にジャン・マルクとあってトルコ料理を食べに行きました。いろいろくだらない話をしたのですが、食事の後に散歩がてら近くにある運河を案内してもらいました。あの伝説的な映画『北ホテル』の舞台となった風景だったので、非常に感激しました。最後はパリ北駅の裏側の再開拓されたウォーターフロントにある映画館のカフェで一杯飲んで締めくくりました。普通の旅行者が見ることのできないパリの裏側を垣間見れた感じがします。

 

 

2008. 3. 25

  朝起きたらシルヴァンからメールがあり、水曜夜の会食はキャンセルにという知らせでした。何なんでしょう、このヒトは!また、昨日からバイト先でゴタゴタあり、このまま数日間ほど留守にするのも気が引けるのですが、仕方ありません。とりあえず、11時過ぎにバスに乗り駅に向かいました。新幹線も時間通りで、これからブリュッセルを通過するところです。14時にはパリに到着していると思います。無事にパリの北駅に到着した後は、シャレントというところまで地下鉄に乗り、クリストフの会社に到着しました。カギをもらって、一足先にクリストフ宅に向かいました。

 

 20時からアポのあったTD 君と会い、近くのビストロでご飯を食べて、10時半過ぎに帰って来ました。それから待っていたクリストフとシャンペンで乾杯をし、12時過ぎまでいろいろな話をしました。来週シカゴで開催されるルネサンス学会のことや、論文のこと、その他です。論文をコーチしたお礼に、1515年ヴェネツィア版のフィチーノによるラテン語訳のプラトン全集をプレゼントされました。10万円くらいするのでしょうか?僕は特に古書好きという訳ではないので、キャッシュでも貰った方が嬉しかった気がします。

 

 

2008. 3. 24

   あのシルヴァン (マットン) 自身から、水曜日に「ついに」会えることが出来るのを楽しみにしているというメールがありました。嬉しいやら、怖いやらです。初期近代の本のコレクターとして知られている人でもあるので、どんな図書館を自宅に有しているのかを垣間見れることを期待しています。

 

 

2008. 3. 23

  しまった。う〜ん。どうしよう。新幹線のチケットの予約をウェブ上でしたのは良いものの、確認のメールが来ていないので、チケット番号が分からず、駅に行ってもチケットを発行してくれません。ウェブセンターの開く、火曜日の8時以降に電話しろと言われました。しかしです、出発が火曜の12時なので非常にピンチです。> ベルギーにしては対応が迅速という感じで、祝日なのにすぐに返事が来たので、それを持って駅まで行き直して来ました。無事に発券されたついでに、帰りの電車の時間を早めました。修正した日程表を挙げておきます。

 

325日 火曜日 

1149 リェージュ 新幹線で移動 - 1405 パリ

                            1915-1930 クリストフ宅  (クリストフ留守 1900-2200

                            2030 戸田くんとアポ

 

326日 水曜日

                            1200 ディディエとのアポ   パリ第5医学史図書館

1800  ミリアムとアポ Vrin

1930 ジャン・マルクとアポ République

             

327日 木曜日

                            1130 出版社とのアポ メトロ Saint-Placide

                            1900 クリストフと夕飯にイタリアンへ

 

              328日 金曜日

                            午前 カルチエ・ラタン Hotel Cujas (18 Rue Cujas) チェックイン

                            1600-1930 セミナー IRHT (40 Avenue d’Iéna)

                            2000  セミナー参加者と夕飯

 

329日 土曜日

              朝 ホテル チェックアウト

1155  パリ 新幹線で移動 - 1411  リェージュ

 

 

2008. 3. 22

  バイトから帰って来たら、待っていたジャン・マルクからメールが来ていました。シルヴァン (マットン) との会合のセッティングが出来たという知らせでした。水曜日の夜となります。その前には、ディディエ12時に、そしてミリアム18時に会います。なかなかアポの詰まった日となりますね。> しかし、ここのところ、けっこう寒い日が続いているので、いったい残りの時間はパリで何をしようか分らないでいます。

 

 

2008. 3. 20

  いつまで待っていてもラチが明かないので、シビレを切らしてジャン・マルクに電話してみました。あとで、メールするつもりでいたと言っています。これまた、faux cul な話ですが、許してあげましょう。とにかく、メールを待ちます。

 

 

2008. 3. 18

   やっとのことで出版社とのアポ (27日の木曜日1130分) も決まり、ディディエとは水曜日の12時に会います。また、セミナーの夜のホテル (Hotel Pantheon-Cujas) も、しっかり取ってもらえました。あとは、シルヴァン (マットン) に初めて会うために、ジャン・マルクがセッティングをしてくれれば完璧です。自分用に、スケジュールをおさらいしておきます。

 

           325日 火曜日 

1149 リェージュ 新幹線で移動 - 1405 パリ

                      1915-1930 クリストフ宅

                      2200   クリストフ 会議

 

326日 水曜日

                      1200 ディディエとのアポ   パリ第5医学史図書館

1800  ミリアムとアポ Vrin

1930 ジャン・マルクとアポ République

          

327日 木曜日

                      1130 出版社とのアポ メトロ Saint-Placide

 

           328日 金曜日

                      午前 カルチエ・ラタン Hotel Cujas (18 Rue Cujas) チェックイン

                      1600-1930 セミナー @ IRHT (40 Avenue d’Iéna)

                      2000  セミナー参加者と夕飯

 

329日 土曜日

           朝 ホテル チェックアウト

1155 パリ 新幹線で移動 - 1411 リェージュ

 

 

2008. 3. 17

  さて、来週のセミナーついでに、パリに数日ほど滞在するので、4つほどアポ (セミナー主催者、出版社、ジャン・マルク、ディディエ) を固める作業をしないといけません。それによっては、特に帰りの電車のチケットを変更しないといけないので、気になっています。> と書いていたら、ちょうど主催者からメールがあり、28日の夜のホテルをちゃんと取ってくれるそうです。これで、帰りの電車の時刻を変更することはなくなりました。今回はこういう連絡事項が最後の最後まで来なかったので、ヤキモキしましたが、これで安心しました。で、パリ近郊に滞在する BH 訪問者の方々にお知らせします:

 

このセミナーは、メトロ「イエナ」駅近くにある IRHT (パリ16区、40 avenue d’Iena という研究所の Salle Jeanne Vielliard を会場にして、16時から19時半にかけて行われます。「ルネサンス医学におけるコメンタリー」について45分程度の発表が2本用意され、それぞれの発表の後にディスカッションがあり、途中に20分程度の休み時間があります。僕の発表「霊魂の不滅性についてのガレノス注解者としてのジャン・フェルネル “Jean Fernel commentateur de Galien sur l’immortalité de l’âme” は、一本目です。普段の参加者は20名程度だそうですが、関心のある方は野次馬も含め、どなたでも歓迎です。

 

 

2008. 3. 15

  また、パリのセミナー用の原稿を読み直してみました。基本的には、レオニチェノ論文の一部ともう一人のガレノス論文の前半を切り張りしたものなのですが、なかなかどうして、これだけでもスマートな議論なので例えば英語化して、どこかの医学史雑誌に投稿しても良いかなと思うようになりました。> いや、医学のテクストを扱って議論している訳ですが、医学史をやっている人たちとはセンシビリティが大きく異なるテーマですので、むしろ哲学史の雑誌を選ぶべきでしょうか?それか、英国の Renaissance Studies 誌あたりを狙ってみましょうか?

 

 

2008. 3. 14

  朝から、パリでのセミナーのための原稿を声に出して読みながら、細部の微調整を続けています。主催はルネサンスの人文主義の研究グループなので、オーディエンスはネオ・ラテンのポエムなどを普段は読んでいる人たちです。そういう人たちを前にして、医学思想の文脈における霊魂不滅性についてのマニアックな話をしても、果たして通じるかな?という危惧はあるのですが、文献学的なハードルもそれなりに越えていると思うので、完全にすべることはないだろうと感じています。ベルリンジェンダー好きの女性たちの前で神の御言葉について話をしたのに比べたら、ギャップは少ない気もするのですよね。

 

 

2008. 3. 13

  セミナーのテクストの方向性について、いろいろ迷っています。良くないですね、このままでは。あと残り1週間しかないので字面を整える時間はあっても、何か新しいものを用意する時間はありません。そう割り切って作業に臨んだ方が効率的だし、現実的です。好い加減なものでお茶を濁すのではなく、ソリッドなものを出すべきです。> この際、変な野心は一切捨てて、基本的にもう一人のガレノス論文の前半の霊魂不滅の議論に、レオニチェノ論文のガレノスの部分を足した形で、一応8になりました。読めば、だいたい45なので、これで十分でしょう。ふう、今回は気分的に苦しかったです。

  

 

2008. 3. 12

  今月23日の金曜日にパリのIRHT で予定されている僕のセミナーに与えられたお題は、ルネサンス医学における注解なのですが、あまり乗り気ではありません。あの Jean Ceard 氏に誘われたので断れなかったのですが、どう考えても狭義の意味での注解については、大した話は出来ないですよ。僕としては、フェルネル論文とゲマ論文をもとに、ルネサンスにおけるガレノスヒポクラテス新プラトン主義的な解釈の流れについて話したいのですが、これは中世から続く医学注解の伝統の大きな流れから見たら、傍流と捉えられても仕方ありません。そういう話をしても許されるかな?という疑問があるのです。> とりあえず、何分のペーパーを用意すれば良いのか聞いてみました。

 

   上記のセミナーのアイデアを練っているうちに煮詰まり、気分転換にベッドに伏せったら、そのまま居眠りしてしまいました。> これで2007年に出た論文は全部で6本となりました。ちょっとやり過ぎでしょうか?ま、そのうち2本は言語を換えただけですので、新作としては4本です。十分じゃないでしょうか?

 

 

2008. 3. 2

  3月末の医学とレトリックセミナーのためのパリ行きの新幹線を予約しました。1等車の往復で149ユーロでした。

 

           325日火曜日 1149 リェージュ - 1405 パリ

           329日土曜日 1555 パリ - 1811 リェージュ

 

 

***

 

2007. 9. 4

  来年の3月と10月にパリで2回ほど医学レトリックに関して会議に参加&講演します。似たような内容にならざるを得ないのですが、最初のセミナーでの発表を下敷きと考え、後者の国際会議で華々しく行きたいと思います。基本的には、ルネサンス期におけるガレノスヒポクラテス新プラトン主義的な解釈についてです。後者の日程は109-10日になったという知らせが今日ありました。

 

 

2007. 7. 25

  昨日アダム君と少しチャットしていたら、パリの IRHT Institut de recherche et d'histoire des texts という研究所から来年328にルネサンスにおけるコメンタリーという連続セミナーの一環としてルネサンス医学について講義を行って欲しいという依頼が来ました。よろこんでお受けいたします。ということで、またパリに行くことになりました。何について話すか決まっていませんが、基本的にはフェルネルレオニチェノ論文辺りで取り上げたテーマの関連になると思います。こうして僕の知らないところから仕事が来ることは、非常に嬉しいことです。

 

 

2007. 6. 21

  新ボスから依頼されて、2008年の9月末か10月初旬にパリで行われる医学とレトリックに関する国際会議に参加することになりそうです。Danielle Jacquart 氏が主催者の一人なので、今度こそ彼女に会えそうです。これまで毎回、何かのせいで行き違いにばかりなっていました。ここにも書いた通り、ナイメーヘンで会えると思ったのですが、それもお流れでした。

 

 

 

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