ごくごく個人的なアウトプット


  
  
海外編
 
 

16-17世紀における種子の概念についての新発見」

平井 浩
  
リェージュ大学 科学史研究所
E-mail : jzt07164@nifty.ne.jp
  
@フランス科学史学会年会 (リール、2001年5月24日)
  


    動植物界から借用された生物学的モデルは、自然界の複雑な現象を説明するためにしばしば用いられてきた。それら生物学的モデルの中でも、種子のモデルは、特別な歴史を持っている。種子というアイデアは、自然物の固有性、あるいは「それそのもの性」 (quidditas) や、自然物の部位の構成とその物理・化学的な性質の原因を説明することを容易にした。古ピタゴラス派、アナクサゴラス、原子論者といったソクラテス以前の哲学者達において、種子 (スペルマータ) は、自然物の形成および宇宙の成り立ちを説明した。おそらく師プラトンに対抗するために、アリストテレスは、『形而上学』の中で種子から由来するソクラテス以前の概念を否定した。なぜなら、プラトンの『ティマイオス』の中では、大デミウルゴスが、その息子であるデミウルゴス達が世界を完全なものとするために、自然物の種子を準備するということを神託の形で言うからである。そして、宇宙の構成物の完全なる組成と命運とを説明する種子の概念を、最初に哲学体系の根幹に据えたのが、ストア派の哲学者である。それが、種子的理性 (ロゴイ・スペルマティコイ) の学説である。プロティヌスを通して、聖アウグスティヌスは、この理論を受け入れ、種子的理性 (rationes seminales) という概念を発展させた。以降、聖書の教えとも合致するこの概念は、西欧の伝統に保持される。しかし、トマス主義の勝利と共に、種子のアイデアは少々その精彩を欠く事となる。

 

    種子 (semina)、理法の種子 (semina rationum)、種子的理性 (rationes seminales)、種苗 (seminarium)、種子的原理 (principium seminale) 等といったいろいろな術語で呼ばれる形で種子から派生したアイデアは、ルネサンス期に復活する。議論の簡便のために、これらの概念をまとめて、取り敢えず「種子の概念」と呼ぶ事にしよう。この概念は、近代哲学と科学の発展において特別な役割を果たしたと言えるだろう。この概念は、16-17世紀の間、生命の科学だけでなく物質の科学においても非常に広く・頻繁に登場する。
  
 そういう訳で、歴史家ジョゼフ・ニーダムは、『発生学の歴史』 (1959年) において次のように述べたのである:

「原子論に関する素晴らしい歴史書は、「ストア的・カバラ的種子」を全く無視して、しばしばエピキュロスからガッサンディへ直接に飛躍してしまう。」

 

「カバラ的」という用語をユダヤ教神秘主義だけでなく、パラケルススやファン・ヘルモント、ライプニッツの新プラトン主義的な思想にまで結び付けて、ニーダムは、この奇妙な「ストア的・カバラ的種子」を用いて、ルネサンスの種子の概念を言おうとしていたのである。彼は、原子論の発展の歴史においてエピキュロスとガッサンディの間に入る段階として、この概念の重要性を見抜いたのである。実は、彼は、それまで完全に無視されていたこの概念の存在をルネサンス医学の専門家である同僚のヴァルター・パーゲルから学んだのである。なぜなら、パーゲルはそのパラケルススおよびファン・ヘルモント研究において、この概念の重要性を認識していたからである。さらに彼は、ドイツ人哲学者ライプニッツのモナドの理論にまで、ファン・ヘルモントのアイデアが追跡されうるであろうと考えた。かくして、その長いキャリアにおいて、パーゲルは、ロゴイ・スペルマティコイや種子的理性の概念との密接な関係を強調しつつ、幾度もこの概念を分析している。しかし、その歴史を追う事の困難さから単一の論考をこの概念の分析にあてる事はなかった。次いで、アメリカからパーゲルの仕事の熱狂的な支持者が現れた。それがアレン・ディーバスである。パーゲルの問題意識を十分理解した彼は、パラケルスス主義研究の中でこの問題の重要性を再三に渡りアピールしたのである。

 

    全く異なるフランス唯物論の文脈で、オリヴィェ・ブロックは、1971年に原子論者ガッサンディの思想において種子の理論が果たした特別な役割を観察した。このアイデアの源泉として、彼は、ガッサンディがフランス人化学者エチエンヌ・ドゥ・クラーヴに依拠していると仮説を出した。この仮説は、一見魅力的であり、パーゲルとディーバスのメッセージをも理解した歴史家の支持を得たようである。ファン・ヘルモント研究の専門家ロベール・アレゥは、その数々の仕事の中で種子の概念に対する注意を喚起している。英国では、1980年にケンブリッジで行われた講演会中で、チャールズ・ウェブスターが、種子の概念の研究を呼びかけている。

 

    種子の概念は、単に原子論や発生学の歴史に重要であっただけでなく、鉱物学の歴史においても重要であった。1974年にデヴィッド・オールドロイドは、鉱物が生き物であると考えられたルネサンス期の鉱物学においる「有機的な説明」の歴史を体系的に分析する論文を発表した。パーゲルに依拠しつつ、彼は、種子の概念の普及に貢献した新プラトン主義やストア主義哲学の重要性を強調した。仮に、彼が、種子の概念を中心に置きつつ、鉱物学者達の間にあった関係を見事に発見したとしても、単なる鉱物界だけでなくより広大な領域に関連していた種子の概念を、その哲学的・歴史的文脈から切り離してしまった。

 

    その次に現れたのが、ノーマ・エマートンの『形相の科学的再解釈』(1984年) という著作である。その一章を16-17世紀の種子の理論の分析にあてつつ、彼女は、この理論の歴史的意義を説明した。それによると、新プラトン主義由来のスピリトゥスというアイデアとストア主義由来の種子という概念は、時代とともに交じり合い融合する。そして、その融合物が17世紀後半から大流行する「普遍酸」という概念である。ディーバスのパラケルスス主義研究に依拠しつつ、彼女は、それまでの先行研究が取り扱わなかった人物達を分析している。特に、パラケルスス主義者ペトルス・セヴェリヌスという人物の重要性を見抜いた点で特筆すべきである。しかし、彼女は、種子の概念の発生のプロセスを示さなかったし、セヴェリヌスの種子の理論の内容も分析しなかった。オールドロイド同様に、彼女も鉱物界だけを取り扱っている。この戦術的な限定化は、種子の概念の推奨者達にとっては存在していた鉱物と他の自然物の関係をいやおうなしに弱体化させてしまった。

 

    エマートンの後にこの問題について特別な関心を寄せたのが、おそらくアントニオ・クレリキュッチオであろう。粒子論哲学と17世紀英国の化学、特にロバート・ボイルの化学についての一連の重要な論考において、彼は、ファン・ヘルモントの著作によって広められた種子の理論の大いなる存在を明示した。そして、若きファン・ヘルモントのソースがペトルス・セヴェリヌスである事も発見した。

 

    一方で、近年幾人かのライプニッツ専門家は、彼のモナドの理論にファン・ヘルモントの影響が色濃くある事を真剣に捉え始めている。なぜなら、フランドル人化学者の種子の理論は、ライプニッツが後半生非常に深い友情で結ばれたファン・ヘルモントの息子フランシス・メルクリウスの媒介によって、ハーノヴァーの哲学者に無視できない影響を与えたようであるからだ。

 

    このような訳で、近年の私の研究目標は、確定したのである。なぜなら、ルネサンス期における種子の理論の誕生から終着までの体系的な研究がなかったからである。一体誰が、この理論を生んだのだあろうか?どういう人物が、その伝播と発展に寄与したのか?どのようにセヴェリヌスに辿り着いたのか?その後どうなったのか?

    近刊予定の私の博士論文において以下の事が、証明されたのである。15世紀末フィレンツェのプラトン学院におけるマルシリオ・フィチーノが最初に、自然に広がる不可視の霊的な種子というアイデアを包含した形而上学体系を建設した。彼によれば、光が太陽から発散されるように、階位的神的な精神が、その実体が世界の中心に置かれている超越する神から流出する。この神的精神から世界霊魂が流出する。世界霊魂から外側に自然が流出し、その自然から質料が流出する。一種、同心円状に配置されたこの5つの階位は、イデア、理性、種子、形相という4種類の神的「種」によって結ばれている。イデアは精神に宿り、精神と神を結ぶ。理性は世界霊魂に宿り、霊魂と精神を結ぶ。種子は自然に宿り、自然と世界霊魂を結ぶ。形相は質料に宿り、質料と自然を結ぶ。このようにして、フィチーノにとって、世界霊魂と質料の間に位置する自然は、自然物の構成の規則性と可感世界の安定性を維持する無数の不可視な霊的な種子で満ち溢れているのである。フィチーノの種子は、古代人のロゴイ・スペルマティコイや種子的理性とは完全には一致しない。なぜなら、彼は、プロティヌスのアイデアに、原子論者ルクレチウスのアイデアを明確に結合させたからである。

 

    このフィチーノのアイデアは、フランス人医師ジャン・フェルネルの『事物の隠れた原因』(パリ、1548年)というダイアローグ形式で書かれた哲学的著作を通して医学教育にも持ち込まれた。フィチーノが発展させた路線に沿って、形相の種子の起源は、超元素的、したがって星辰的であり、地上界には、世界霊魂とその体と結び付ける世界スピリトゥスに乗って降りてくると考えつつ、フェルネルは自らの体系を築き上げた。更に彼は、プラトン主義人文主義者達の古代神学への信念の影響下に、この世界精霊を聖霊と同一視した。人文主義者医学者の新しいガレノスとキリスト教信仰を調和するため、基本的にはガレノス主義である彼の医学思想の根幹にこれらの概念を置いた訳である。

 

    しかしながら、種子の概念の発展に決定的な役割を果たしたのが、パラケルスス主義化学哲学者達である。フェルネルのものと平行するように、スイス人医師パラケルススは、その内容を極端にキリスト教化した理論を提出した。彼によれば、全ての自然物は生き、不可視の固有の種子から人間によって用いられる果実にまで成長している。各個体の発達は、かようにして創造神によって予定されているのである。有名な硫黄・水銀・塩という3原質は、実は、不可視の種子の内包物である。そして、聖書の『創世記』の世界創造物語における神の「あれ」(FIAT) という御言葉は、世界の始原的な種子であった。この始原的種子は、全ての個別的な種子を包含していたという訳である。このように、種子の概念は、パラケルススの自然的かつ神学的哲学の正に要に位置しているのである。

    このパラケルススのアイデアと、フィチーノ=フェルネルのアイデアを結合させたのが、デンマーク人パラケルスス主義者ペトルス・セヴェリヌスである。彼の主著『哲学的医学のイデア』(バーゼル、1571年) は、種子の理論の歴史における記念碑である。それは、フランシス・ベーコン、ティコ・ブラーエ、ダニエル・センネルト等を含む後世代に限りない影響を与えた。セヴェリヌスにとって、事物の不可視で霊的な種子は、パラケルススの3原質だけでなく、機械的スピリトゥスを内包している。このスピリトゥスは、これから形成されるべき事物の「スキエンチア」、知識あるいは一種の設計図、を付与されている。スピリトゥスは、半物体的かつ半非物体的な、「職人」である。付与されているスキエンチアによって、自然物の繊細な構造を職人のように正確に作り上げる事が出来るのである。

    ここで、セヴェリヌスの路線を密着して追った2人のパラケルスス主義者の名を挙げておかなければならないだろう。一人は、フランス人化学者ジョゼフ・デュシェーヌ、またの名をケルセタヌス。もう一人は、そのドイツ人の友人オズワルド・クロルである。この2人は、17世紀前半の物質についての新理論の発展にセヴェリヌスのアイデアを普及させる事に大きく貢献した。この時期の鉱物の種子の概念の流行は、本質的にこれらのパラケルスス主義化学者の著作に多くを追っている事を、証明する事が出来た。
  
    さて、種子の理論の劇的な終着は、その方向性が全く正反対に見える17世紀前半における2人の学者の著作に見ることができる。その一方は、フランドル人錬金術師ファン・ヘルモントによる化学的な解釈と、他方は、フランス人原子論者ピエール・ガッサンディの解釈である。

    ファン・ヘルモントは、非常に綿密にセヴェリヌスの『医学のイデア』を研究した。彼の『アイサゴーゲー』と呼ばれる最初期の著作において、ほぼ逐語的に多くの無言の借用をセヴェリヌスからしている。この著作は、殆どセヴェリヌスの『医学のイデア』の要約であると言っても良いだろう。自分自身の物質理論を築き上げるために腐心したファン・ヘルモントではあるが、『医学のイデア』から取った本質的なアイデアを抱え続けた事が、私のテクスト研究から示された。かくて、近年の研究の大半が依拠している彼の死後出版の主著『医学の曙』では、彼の物質理論におけるセヴェリヌスからの借用が誰の目にも明確に見えなかったほど旨く隠されているが、一度なり、セヴェリヌスの理論の特徴を掴んでしまえば、ファン・ヘルモントのアイデアがセヴェリヌスのものに依拠してる事が容易につかめるのである。

 

    ファン・ヘルモントと異なり、ピエール・ガッサンディは、元来、「合理的機械論哲学」で象徴される科学革命期のヒーロー達の一人と理解されている。しかし、原子の一次的な塊にために「分子」(molecula) という語を発明しつつ、彼は、分子を事物の種子とも呼んでいる。彼によれば、これらの分子=種子は、世界の創造時に神によって直接に原子から構成されたのである。そして、この分子は、自然の事物の更なる構成のために、「スキエンチア」を付与されている。私は、ガッサンディが、自身のキリスト教化された原子論的な述語で更に読みかえていくアイデアの源泉がセヴェリヌスであると明確に告白している部位を発見する事に成功した。

    多くの歴史家は、この2人の科学革命期の巨人が全く違う知的環境にいたであろうと考えている。その著作の見かけの違いに関わらず、彼らは、自らの物質の理論中にスキエンチアを付与された種子というアイデアを取り入れている。独自の体系を形成するために、彼らは、全く同じソースを使っていた。それが、デンマーク人パラケルスス主義者の『医学のイデア』なのである。かくて、同じソースから出発して、我々現代人の目には、全く違って見える物質の理論を、彼らは築き上げた訳である。この事実は、なぜ、ロバート・ボイルが、ガッサンディから受け継いだ非常に機械論的な粒子論哲学中に、機械論では説明できないヘルモント流の種子的原理のアイデアを取り入れる事の不都合さを感じなかったかを理解するのに大いに役立つはずである。ボイルにとって、ヘルモント流の種子的原理のアイデアは、粒子論哲学に自然とフィットするものだったのである。なぜなら、彼は、ガッサンディの著作中にその根拠を見出すことが出来たからである。

    種子の概念の歴史は、非常に重要である。スコラ哲学のヒレモルフィズム (形相・質料主義) に取って変わるものとして、ルネサンスの新理論家達は、自然物の形相の起源そのものを説明する種子の理論を利用した。ガッサンディ以降、種子は、特に「分子」という術語でもって、粒子論的に解釈されていくであろう。かくて、物質の科学において、種子の概念は、中世スコラ哲学の実体形相の理論と科学革命期の機械論者の粒子論を結ぶ連鎖のミッシング・リングなのである。

 
    パーゲルに捧げる                  

  
  

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