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ごくごく個人的な「本」日記

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20164

 

 

2016. 4. 30

  昨日につづいて、子供のころから置かれていた学習机を片づけて、引き出しのなかのものを段ボール箱に移しました。

 

 

2016. 4. 29

  イケアの本棚ビリーが届いたので、組み立てて本をうつしました。同時に、幾つかの棚から堆積した品々を整理しています。

 

 

2016. 4. 28

 次号のメルマガをドロップしました。52日の配信となります。

 

 

2016. 4. 27

  昨日のジオコスモス計画のための原稿を読み直して、送り返しました。連休明けまでにあがってくれば良いでしょう。

 

  次号のメルマガの準備をしないといけません。今回は、去年の夏におこなったトーク・イヴェント『ルネサンスの音楽と知のコスモス』で話した、天球の音楽についての部分にしたいと思います。

 

  『知のミクロコスモス』の仲間たちと池袋の沖縄カフェで、夜会をおこないました。楽しかったです。

 

 

2016. 4. 26

  先週、ジオコスモス計画のための序章の改訂版が送られてきていたのですが、午前中にそのチェックをおこないました。それをもとに方向を微調整するために、30分ほどFB通話で話しあいました。今後の予定としては、5月中に全体の改定校の見直しを終えたいと思っています。

 

  多くの方々の温かいサポートのおかげで、ガファレル論集は2014年末に出版できました。その書評が、あの Isis 誌に出たようです。オキ君がまっさきに知らせてくれました。書誌データは Isis, 107 (2016), 173-174 となります。出版してから、1年ちょいかかりましたね。

 

 

2016. 4. 25

  まだ時差ボケの状態ですが、今週から徐々に作業を再開させていきたいと思います。

 

  7月初旬にオックスフォード大学で、初期近代の科学文化についての国際学会『スキエンティアScientia の大会があります。僕は参加発表しないのですが、その前夜に同じオックスフォードで、中世・初期近代におけるキミア長命(寿命の延長)についてのワークショップが開催され、それに招待されています。そろそろ旅行チケットなど、その準備もはじめないといけません。まだ、どのあたりに的を絞った発表をするか決めていません。

 

 

2016. 4. 24

  昨日届いたクロル論文のゲラの校正をしました。まあ、長いアメリカ遠征後のリハビリとしては、ちょうどいい分量でした。

 

 

2016. 4. 23

  チェコのイヴォ(プルス)から、超豪華論集 『ルドルフ二世と錬金術』 の英語版への寄稿 「オズワルト・クロルのキミアにおける神の御言葉と普遍医薬“The Word of God and the Universal Medicine in the Chymical Philosophy of Oswald Croll” 校正刷りが送られてきました。10日以内にチェックして送り返さないといけません。出版は夏前に来るのではないかと感じさせられます。今年は出版物が多くなりそうです。

 

 

2016. 4. 22

  パリのクリストフ特製のマルセイユ版タロット22枚組、2月のときにはお知らせから瞬時に満員御礼となりました。今回、さらに20ほど入手できましたので、送料・手数料・税込み4980でお分けすることにします。詳しくは、こちらをご覧ください。 

 

 

2016. 4. 21

 昨晩は疲れていたので、そのまま爆睡。目が覚めたら、朝5時でした。午前中は時差ボケで、脳とカラダがなんとなく痺れています。> 結局たいしたことはできずに、一日が終わりました。とにかく眠いです。

 

 

2016. 4. 20

  ほぼ定刻どおり、18時過ぎに羽田に着きました。モノレールから浜松町で19過ぎでしたので、早いペースで家に着けるかなと考えていたら、上野を過ぎたあたりで山手線が止まってしまいました。地下鉄への振りかえを推奨していましたが、疲れていたので待つことにしました。しかし40分過ぎても動きださないことから、シビレを切らして地下鉄へ。有楽町線でカワゴエ直通に乗れたので、21時半には家に着きました。

 

 

2016. 4. 19

  パリに向かう新幹線は直行がとれなかったので、15の急行に乗り、ブリュッセルで新幹線に乗りかえます。荷物は重くないので、大丈夫でしょう。パリ北駅で18にパリのクリストフと合流して、夕飯を食べてから空港に向かいます。

 

 

2016. 4. 18

  明日は新幹線でパリに向かい、23時半のフライトで日本に向かいます。今日はカバンづくりに集中します。

 

 

2016. 4. 17

  今日の方が天候は安定しています。おりからの花粉の攻撃で、昨日はちょっとグロッキーだったのですが、今日の方が良いようです。

 

 

2016. 4. 16

  もう寒くはないのですが、今日は朝から天気が不安定です。

 

  アンドレアス(ブランク)から連絡があり、彼の編集していた哲学における動物を扱った論集 『動物:新論集Andreas Blank (ed.), Animals: New Essays (München: Philosophia, 2016) が、ついに出版されたようです。似たようなテーマですが、ベルリン会議からの論集とは別物で、オブスキュアな出版社からです。僕の寄稿 「ルネサンスの医学論争における霊魂、形成力、動物発生“Souls, Formative Powers and Animal Generation in Renaissance Medical Debates” の頁打ちは、42-76頁となりました。基本的には、僕の第2著作からの切り出しですが、手軽にアプローチできるものでしょう。原稿を渡したのは2012年ですから、4年かかりましたね。

 

 

2016. 4. 15

  博論生エリザベト16時にリェージュに来て、3人で街を散策した後に、彼女のフェローシップを祝うために、以前から気になっていたブラジル料理の店にいきました。魚介のモケカというものを食べたのですが、なかなか素晴らしいものでした。

 

 

2016. 4. 14

  早起きして8時半に市役所に向かい、書類の手続きを済ませました。といっても、つぎにどうなるか分からない宙ぶらりんな状態です。

 

 

2016. 4. 13

  仕事の関係により、1日遅れでフランクフルトに着いたクレアは新幹線でリェージュに向かい、1245に到着しました。

 

 

2016. 4. 12

  ほぼ定刻の9時半にブリュッセルに到着しました。爆破テロの影響を心配していたところ、空港の到着フロアは無傷に見えましたが、空港駅が閉鎖されていて途方にくれましたが、ブリュッセル北駅までのバスがあることが分かり、それに乗りました。バスを降りてから駅に入るところでもたつき、11時発のリェージュ行の急行を逃してしまいました。40ほど待って鈍行に乗り、BH本館に着いたときには13を回っていました。ということで、フライトはスムーズでしたが、地上のアクセスが悪く、かなり疲れました。

 

 

2016. 4. 11

  13の電車でニューヨークに向かい、17には空港に到着しました。荷物をチェック・インしたところで、今回はデルタのラウンジを使っていいといわれました。ゴールドになってから1年半で、今回が初めてです。

 

 

2016. 4. 10

  じつは2週間前に胆石の手術のために入院していた母親が、無事に退院したという知らせが届きました。お腹に入っていたという直径1センチの大きな石を見せられました。僕は医学史家ということですが、医学の生々しい話は苦手です。ボストンでの国際会議のせいで手術には立ち会えませんでしたが、世話のために1週間後に日本に戻ります。

 

  明日のニューヨーク行のチケットを入手しました。13の電車に乗って、15時半に到着します。そこから地下鉄で空港に向かいます。ブリュッセル空港の業務は再開されたようで、19時半のフライトです。

 

 

2016. 4. 9

  今週はクレアのお父さんがフロリダから戻ってきているので、いろいろ世話をしないといけませぬ。午後からは季節外れの大雪となりました。一晩でかなり積もりましたね。

 

 

2016. 4. 8

  ルネサンス期の人文主義者のテクストのなかには、ながい引用が次から次へと出てくるタイプのものがあります。僕は「引用のタペストリー」と呼んでいるのですが、こういったテクストは自分の議論と合致するような断片を、ただただ羅列している印象を与えます。しかし、そうした断片のそれぞれをコンテクストに戻って丹念に分析することで、見た目では把握しにくい著者の意図操作を炙りだせると、レオニチェノ論文やリプシウス論文、そしてテレジオについての論考で示してきました。こうした人文主義的なやり方は、17世紀のガッサンディボイルのテクストにも見出すことができます。この種のテクストの解析法について、小さな版型で100頁足らずで良いのですが、小著を出したいとも考えています。

 

  2014年にチェコの田舎町オロムスで錬金術についてのワークショップがおこなわれました。そこから生まれた論集 『チェコ語圏のラテン錬金術文献』 (オロムス、2016年)を、ボストンのルネサンス学会にきていたトマスから一冊もらいました。もちろん僕にも寄稿の依頼は来ていたのですが、去年は『テクストの擁護者たち』の準備にかかりきりで忙しく、残念ながら辞退したのでした。

 

 

2016. 4. 7

  昨年ベルリンで発表したテレジオ論文は、自分としては気に入っているのですが、後半部の議論のためにもう少し材料を集めて、さらに納得のいくものにしたいと思っていました。そうしたこともあり、いま論集のために急いで中途半端なかたちで寄稿するのを躊躇していました。編者ピエトロの理解が得られましたので、今回はイタリア語でしか発表していない先行論文の方を、英語にして寄稿することにしました。もともと英語だったので、あとは伊語版を出した後から見つけた知見などをフィードバックして、パワーアップしたヴァージョンにしたいと思います。

 

  7月末に開催する偽パラケルススについての国際会議の前か後に、ローマでクレッグ(マーティン)と合流して、ダリオ(テッシチー二)の家に呼ばれることになりそうです。

 

 

2016. 4. 6

  これからアタックしなければならない宿題を、自分のメモとしてリストしておきます。なかなか忙しい一年が待っている予感がしますね。

 

テレジオ論集への寄稿 (締めきり 超過)

『ルネサンスの占星術』論集への寄稿 (締め切り 12月)

『プロティノスの遺産』論集への寄稿 (締め切り 12月)

サンディエゴ論集の編集

03』 論集の編集

『錬金術の秘密』の翻訳のつづき

 

 

2016. 4. 5

  今日から気分転換して、ここ数年のあいだに溜まった案件を順ぐりに片付けています。

 

  ルネサンス学会で会ったオヴァーネスから聞いたのですが、彼とチャールズ(バーネット)が編者となる占星術についての論集は Ashgate 書店から出ることが決まったそうです。僕も菊地原君とのコラボで、シカゴで発表したパラケルススにおける梅毒金星の影響についての論考を論文化して寄稿します。締め切りは年末になるということです。

 

  ジェニーからは、ケンブリッジでおこなった錬金術医学についての国際会議からの論集が、ついに Ashgate から書店から出版することが決まったと聞かされました。これまた同じ書店ということになりますが、まあ良いでしょう。

 

 

2016. 4. 4

  まだ昨夜の体調不良をひきずっています。今日は何もしないで養生することにします。> 午後にはだいぶ良くなりました。夕方にはほぼ回復。

 

 

2016. 4. 3

  雪の予報だったのですが、11時発のフライトはスムーズで、12すぎにはフィラデルフィアに帰ってきました。ボストンはすごく寒かったのですが、フィラデルフィアはそれほどもなく、が満開となっていました。夕方からは旅の疲れが出たのでしょうか、お腹をこわして夜のあいだ苦しみました。とほほ。

 

 

2016. 4. 2

  さあ、今日は8時半から12時まで6本の発表がつづく、「パラケルススをめぐる錬金術と偽書」のセッションです。なぜか錬金術にも関係するセッションが3つも並行するという不運と、大きな部屋をあてがわれたので大丈夫かなと思っていたのですが、多くの人々が来てくれ大成功でした。

 

  午後には、根占先生と折井さんのキリシタンの世紀についてのセッションがありました。3年目となり、だいぶ周りからも認識され、発表のほうも安定してきて安心して見ていられました。小さい部屋で多くの立ち見が出るほどの成功でした。

 

  18時半からの最終ディナーは、例年と違ってオードブルだけだったのですが、予定の20をすぎてもディディエホルヘたちと楽しい時間を過ごせました。

 

 

2016. 4. 1

  午後にフィチーノについてのセッションに行きました。おもな目的は、論集『プロティノスの遺産』に寄稿を依頼してきたステーフェン(ジェルシュ)に会うことだったのですが、狭い部屋に立ち見のでる状況となっていて、終わってからも話しかけられる様子ではありませんでした。

 

  夕方からはジェニージョール(クライン)をふくむキミア勢と合流し、そのあとは明日の偽パラケルススについてのセッションのスピーカーたちとのディナーに向かいました。ちょっと予想外に音楽がうるさいところだったのですが、スピーカーたちがお互いに良く知りあい、緊張をほぐすためには良かったのではないかと思います。

 


 

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