神秘主義とは何か?

 

 

 

 

日本の歴史家のなかには、何でも自分が合理的理解できないことを「神秘主義」と呼ぶ人がいます。これほど、神秘主義思想 mysticism の伝統を真面目に研究している人達を冒とくした態度はないと思います。残念なことに、これは僕のごくごく身近な人達のなかにもある傾向です。神秘主義思想とは、ヒルデガルドやエックハルトのようにエクスタースやヴィジョンをとおして神との内的な関係を探った特別な思想伝統をさすのであって、一般人ならともかく、歴史家がそう安易に自分の理解できないことを神秘主義とよぶのはやめましょう。

 

あんがい分かってない人があまりに多いのですが、錬金術自体は神秘主義などでは全くありません。ごく一部の人がスピリチュアルな傾向を探り出したのが16世紀半ばになってからであって、本格化したのが18世紀以降、科学とは完全に縁をきった人達のあいだで錬金術がよりエソテリスムとしての志向性を高めたころからです。19世紀以降の合理主義の色眼鏡でみたとき、錬金術の全体が神秘主義とみられるようになっただけで、それが現在の錬金術の一般向け紹介にもつながっているといっても良いかもしれません。

 

歴史家を目指す人が、16世紀や17世紀のキミアのことを指して「錬金術は神秘主義」ということは全くの間違いです。たとえば、パラケルスス主義者にもいろいろあって、パラケルスス主義が全体として目指したものは自然探求のキリスト教化であって、エクスタースやヴィジョンによって神のとの内的関係を探った人間はかぎられています(少ない例を挙げれば、パラケルススその人やファン・ヘルモント、クーンラト、そしてディーでしょう。トリテミウスの影響を受けている人といって良いかもしれない)。

 

パラケルス主義者やキミストの中に神秘主義者がいたからと言って、パラケルスス主義やキミア自体をもって神秘主義と呼ぶのは大きな間違いです。現代の科学者のなかにも、れっきとした神秘主義者がいるのに、科学は神秘主義といわれないのと同じことです。自分が理解できないという精神の非柔軟さの非を、歴史現象の非に転換することは間違っています。

 

 

  

ドイツ神秘主義叢書キリスト教神秘主義著作集中世思想原典集成

 

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