ヴェネツィア国際会議




 

 

 

201048-10日のイタリアのヴェネツィアで行われる

アメリカ・ルネサンス学会の模様をレポートします。

 

 

 

 

メイキング風景

 

2010. 4. 5

  2つほど大きな段落を飛ばす短縮ヴァージョンを声を出して読み上げてみたところ、だいたい18でした。慣れれば、もう少し早くなるはずです。ま、これくらいで許してもらいましょう。

 

 

2010. 4. 4

  水曜日の早朝の出発まで、あと3晩となりました。いまのところ今日は何もしていません。> 結局、何もしませんでした。こういう日も珍しいと思います。

 

 

2010. 4. 3

  クレアから発表原稿のプルーフ・リーディングが帰ってきました。これからフィードバックして、プリント・アウトし、読み練習を始めたいと思います。> ん?普段3のセッション枠に4ほど入っていて、しかも全体の時間は同じ、なんだか変だと気がつきました。つまり、一人の持ち時間は質疑応答含めて普段の30ではなく、20ちょいのようです。あらら、少し短くしないといけません。

 

 

2010. 4. 1

  ヴェネツィア行きの準備を始めました。空港からのアクセスとホテルの位置の確認。そして、行きたい場所や会議レジスターの場所や発表会場の位置などの確認です。地図に今回の滞在での4つのキー・ポイントを記しておきます。

 

 

2010. 3. 30

  ともかく今日は、プリント・アウトして読み返しては推敲をするということを繰り返しています。だいぶ議論は固まってきました。> 来週の水曜日の出発までの残り時間も少ないので、あまり長引かせるのもよくないと思い、プルーフ・リーディングしてもらうためにクレアに原稿を送り出しました。ふう。しかし、これで当分は原稿の締め切りがないことを祈ります。

 

 

2010. 3. 30

  発表原稿は何とか夜の21にはカタチになってきました。というところで、ワルテールから電話があったので、ちょっと外出します。しかし、議論がメイクセンスしているか、まだ心配です。まずは議論の大枠を誰かに見てもらおうと思います。

 

 

2010. 3. 29

  今日から本格的にヴェネツィアでの発表原稿を書き始めないといけないのですが、まずは午前中に雑務を幾つかこなしました。今は、15です。これから気分転換して、作業に入りたいと思います。この新しいセヴェンのマシンで原稿を書くのは今回が最初になります。うまく行くでしょうか?

 

    読み原稿の執筆に入りました。といっても、読み返しながらメモを取るという作業にかぎりなく近いものですが。11ダイアローグあるうちの5つを終えたところで、予定の4頁を過ぎました。まだまだストーリー展開というものもなく、かなりカオス的な状況ではあります。もう少し読み進めてから推敲をはじめたいと思います。

 

 

2010. 3. 27

  何とかミゾーのテクストを読み終わりました。後半は期待したほど面白くありませんでした。さあ、明日からは、前半部分に的を絞って、読み原稿の作成にかかりたいと思います。

 

 

2010. 3. 26

  ミゾーのテクストは、250中の170を読んだところで力尽きました。残りは明日読みたいと思います。

 

 

2010. 3. 23

  ヴェネツィア行きの飛行機を予約しました。ついでに月曜の夜のホテルも予約。残るは、日曜のホテルだけです。まだどこにするか決めていません。

 

            47日  Brussels 1010 - Bologna 1150

            413日 Venenzia 910 - Brussels 1045

 

 

2010. 3. 22

  さあ、これからは47日の朝にヴェネツィアで発表するための原稿を書かなければいけません。まだ題材となるミゾーのテクスト自体を読んでいないので、今回は本当に突貫工事です。

 

 

2009. 9. 15

  今度のヴェネツィアで行われるルネサンス学会ですが、僕の発表の日程が分かりました。48の木曜日で、朝11時から12時半のセッション「ルネサンスの科学と学芸 (その2) “Renaissance Science and Learning 2” の一番目です。詳しいプログラムの第1弾は、ルネサンス学会のサイトにあります。

 

 

2009. 7. 23

  忘れないように自分用のメモをしておくと、アメリカのルネサンス学会の会費を815までに払わないと、ヴェネツィア会議での発表はできなくなるそうです。

 

 

2009. 6. 12

  どういう選考基準になっているか分かりませんが、2010年のヴェネツィアでのアメリカ・ルネサンス学会のためのセッション「占星術と医学」の計画は会場の不足のために受け入れられませんでした。う〜む、あれだけ頑張ったのに、これは残念です。ただ僕の発表だけは受け入れられ、別のセッション「ルネサンスの科学と学問」に飲み込まれました。このセッションでは他にどういう人が発表するか分かりません。

 

 

2009. 5. 25

  何と!イタリアの占星術史研究の大家、あの、あのですよ Ornella Pompeo Faracovi 氏と、2010年にヴェネツィアで行われるルネサンス学会で「ルネサンスにおける医学と占星術」というセッションを組むことになりました。こんなことってあって良いのでしょうか?まったくのようです。今日がアブストラクトの締め切りですので、何とか登録を成功させたいと思います。>昨日登場した K 君の協力もあり、何とか間に合いました。ふう。この計画に関係して頂いた皆さまに深く感謝いたします。しかし、来年48-10にイタリアにいてヴェネツィアに来ないルネサンス関係者にはバチが当たりますよ!

 

Session: 「ルネサンスにおける医学と占星術」 “Medicine and Astrology in the Renaissance”

Chair: Germana Ernst (University of Rome 3)

 

1: 「ルネサンスにおける占星術の諸相」 Ornella Pompeo Faracovi (University of Pisa) “Some Aspects of Astrology in the Renaissance”

 

This paper intends to show how the field of astrological studies participated in the broader Renaissance movement of the recovery of the classical culture in all disciplines of knowledge. The major problem was to secure the faithful reading of classical astrologers, especially Ptolemy, from bad translations, misunderstandings and manipulations proper to the medieval astrology. Pontano, Cardano, Melanchthon and the astrologers of Wittenberg were variously involved in this return of Ptolemy which began in the end of the fifteenth century. The movement was tightly connected with the retune of Albumasar’s theory of the great conjunctions, popular in the late Middle Ages, and with a renewed attention to the analysis of individual personality promoted by genethliac astrology (the Quattrocento found its great interpreter in the person of Marsilio Ficino), in connection with the way of establishing horoscopes equipped with graphics, like those of Gaurico, Cardano and Giuntini.

 

2: 「末期ルネサンスの占星術医学における分利日の理論」 Giuseppe Bezza (University of Bologna) “The Theory of the Critical Days in the Astrological Medicine of Late Renaissance”

The most fundamental aspect of astrological medicine is the attribution of diverse planets or zodiac signs in relation with houses to different parts of the human body (melotesia). Connecting the network of such combinations with the tables of correspondence between planets and natural things, the iatro-mathematicians of the ancient Egypt tried to find remedies to the diseases of each part of the body. Also important was the division of the evolution of diseases into phases, in which the idea of the critical days, informing the culmination of a disease and the turning towards its recovery, assumed particular relevance. This paper aims to illustrate the presence of these themes in the astrological literature of the Renaissance until the later authors such as Claude Saumaise and Placido Titi.

               

3: 「アントワン・ミゾーのアスクレピオスとウラニアの『対話』における医学と占星術」 Hiro Hirai (Chemical Heritage Foundation) “Medicine and Astrology in Antoine Mizauld’s Conversation between Asclepius and Urania”

The famous French physician Jean Fernel’s (1497-1558) disciple, Antoine Mizauld (ca. 1512-1578), was a figure very little exploited by scholars. In his medico-philosophical dialogue between Asclepius and Urania, Aesculapii et Uraniae medicum et astronomicum ex colloquio conjugium harmoniam microcosmi cum macrocosmo (Lyon, 1550), he developed a theoretical basis for his astrological medicine. Mizauld published its second revised edition as Harmonia coelestium corporum et humanorum (Paris, 1555), which was then translated as Harmonie des corps célestes et humains (Lyon, 1580), ensuring a wider diffusion of his ideas. The present paper aims to examine its contents especially around the notion of the life-giving cosmic heat.

 

 

2009. 5. 22

  今週の日曜日で来年3月のヴェネツィアでのアメリカ・ルネサンス学会の申し込みは締め切りです。早く何とかしないといけません。なんとか、「医学と占星術」についてセッションを組みたいと思っています。

 

 

2009. 5. 18

   やっとコンチェッタがつかまったので、来年のヴェネツィアでのルネサンス学会のセッションを組む計画と、今やっている論文審査で出てきた疑問を教えてもらいたいと思っていますが、なかなか連絡の取りにくい人なので仕事がしづらいです。皆さん、やっぱり連絡がとりにくい人は、一緒に仕事をするには向きませんよ。

 

 

 

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