ごくごく個人的なアウトプット

 

 

 

 

海外編

 

 

 

 

種子中の神の見えざる手:ヤーコブ・シェックの形成的力能の理論

 

The Invisible Hand of God in Seeds: Jacob Schegk’s Theory of Plastic Faculty

 

Early Science and Medicine, 12.2 (2007), pp. 377-404.

 

 

1. イントロ Introduction

2. 神の道具としての形成的力能 The Plastic Faculty as the Instrument of God

3. 形成的力能の本性 The Nature of the Plastic Faculty

4. 形成的力能は物体的か非物体的か? Is the Plastic logos corporeal or incorporeal?

5.形成的力能の神的な運搬者 The Divine Vehicle of the Plastic Faculty

6. 神的な運搬者の分離可能性 The Separability of the Divine Vehicle

7. 形成的ロゴスは霊魂の一部か?Is the Plastic logos a part of the Soul?

8. 結論 Conclusion

 

 

 

仏語版


霊魂とロゴスの間にある神の手ヤーコブ・シェキウスの形成的力能の理論

 

La main de Dieu entre l’âme et la nature : la théorie de la faculté plastique de Jacob Schegkius

 

Journal de la Renaissance, 5 (2007), pp. 205-222.

 

 

1. イントロIntroduction

2. 神の道具としての形成的力能 La faculté plastique comme instrument de Dieu

3. 形成的力能の本性 La nature de la faculté plastique

4. 形成的ロゴスは、物体的か非物体的か? Le logos plastique est corporel ou incorporel ?

5. 形成的力能の神的な運搬者 Le véhicule divin de la faculté plastique

6. 神的な運搬者の分離可能性 La séparabilité du véhicule divin

7. 形成的ロゴスは霊魂の一部か? Le logos plastique est une partie de l’âme ?

8. 結論 Conclusion

 

 

2007. 11. 16

  どこからともなく巨大な荷が到着したので何かなと思ったのですが、仏語版シェキウス論文の掲載された Journal de la Renaissance 誌の最新号1冊と論文の抜き刷り17部でした。しかし、初めて手に取りますが、この雑誌はA4サイズという大判の立派なものです。手稿研究美術史建築史の等のビジュアルを多く用いる分野にしっかり対応しているからでしょう。

 

 

2007. 10. 23

  英仏両ヴァージョンのシェキウス論文の PDF を方々の知り合いに送り出しました。

 

 

2007. 10. 22

   出版されたばかりの Journal de la Renaissance 誌の最新号に掲載された仏語版シェキウス論文の PDF をもらいました。これで頁打ちは、205-222と分りました。PDF ファイルをアップしておきますので、ご自由にダウンロードしてください。

 

 

2007. 10. 16

   どうやら、英語版シェキウス論文が掲載れている ESM 誌の最新の 12巻(2007年)4号が出たみたいです。PDF 版をダウンロードできるようにしてあります。

 

 

2007. 10. 13

   仏語版シェキウス論文の載った Journal de la Renaissance 誌の最新号の内容が出版社のサイトに、やっと正しくアップされました。ん?ルネサンス研究のフランスにおける伝説的な権威 Margolin 氏と自分の名前が同じ書物のなかに並ぶなんて、数年前までは想像すら出来ませんでした。もちろん、BHではお馴染みのジュネーヴのコンチェッタも一緒です。  

 

 

            Laure Fagnart, “L’appartement des bains de François Ier à Fontainebleau : certitudes et conjectures autour des œuvres de Léonard de Vinci”

Mathilde Bert, “Les Genres picturaux à la Renaissance et leur modèle antique : émergence d’une classification? Pline, Alberti, Van Mander”

Fanny Kieffer, “Jacopo Ligozzi, savant dessinateur de verres”

Jean-Claude Margolin, “Sympathie(s) et antipathie(s) à la Renaissance : figures concrètes du même et de l’autre”

Concetta Pennuto, “Simpatia e fantasia nel De sympathia di Girolamo Fracastoro”

Hiro Hirai, “La main de Dieu entre l’âme et la nature : la théorie de la faculté plastique de Jacob Schegk”

Magdalena Kožluk, “« Pour satisfaire tant aux doctes, que aux peu savans ».Traduction et terminologie médicale en France à la Renaissance”

Marjorie Meiss-Even, “« Nous ferons les bons mesnagers ! » : la réutilisation dans la consommation nobiliaire de la Renaissance à travers l’exemple de la maison de Guise”

Thomas Haye, “Borso d’Este (1413-1471) und die Idee einer panegyrischen « Borsias » in der zeitgenössischen lateinischen Dichtung: der « Liber de laudibus Borsi » des Alberto von Vercelli”

Joël Biard, “Jean Mair et la théorie de la signification”

Kees Meerhoff, “Pierre de La Place: philosophe, magistrat, martyr”

Valérie Hayaert, “Mens Emblematica et humanisme juridique: l’insertion d’emblemata dans l’édition Senneton du Corpus Juris Civilis (1548-1550)”

Adrian Armstrong, “Is This an Ex-Parrot? The Printed Afterlife of Jean Lemaire de Belges’ épîtres de l’Amant Vert”

Emmanuel Buron, “« En forme de prose sans linéale distinction de vers ». Le nombre chez Bonaventure des Périers et la réception cicéronienne de Marot”

Frédérique Fouassier, “Figures de la prostituée dans Measure for Measure de Shakespeare (1604)”

Paola Ventrone, “Between Acting and Literacy: Origin of Vernacular Italian Comedy”

Yves Pauwels, “La « Bibliographie d’architecture » de Louis Savot (1624)”

Cyril Peltier, “L’Œuvre du sculpteur Juan de Juni (1507-1577) dans sa ville natale, Joigny”

 

 

2007. 10. 5

  仏語版シェキウス論文の掲載された Journal de la Renaissance 誌が出版されたという正式な知らせがありました。> このままで行くと、11月に出る予定の英語版シェキウス論文を加えて、今年度は以下のような5の論文が出ることになりますが、そのうち2本は言語を変えただけなので、基本的には新作3ということになります。ま、良い方じゃないでしょうか?良く考えると、どれも2004にはだいたいの形が出来ていたものではあります。

 

 

2007. 9. 30

  出版社のサイトを見たら、仏語版シェキウス論文が載った Journal de la Renaissance 誌の最新52007年) が、ついに発売されたようです。ただサイトの説明にはエラーがあって、第4巻の内容がそのまま5巻の内容として出て来てしまいます。抜き刷りや実物などが貰えるかどうかは、分かりません。抜き刷よりも、PDF が欲しいのですが…

 

 

2007. 9. 6

  仏語版シェキウス論文が掲載される Journal de la Renaissance 誌の最新号は9月に出る予定みたいです。

 

 

2007. 8. 23

  ESM の最新号が届きました。僕のシェキウス論文の英語版が出るはずの特別号の企画は、2つに分断されて2回に渡って掲載されるようです。何だかマヌケな感じですね。

 

 

2007. 8. 19

  ディディエがパリに帰ってきた模様。シェキウスケプラーの関係を掘り下げるために、シェキウスのテクストをデジタル化する計画を少し議論しました。> 最初に思い浮かんだ案として、「科学革命の舞台裏 La coulisse de la Révolution scientifique というコーナーを立てて、科学革命期の巨人たち(ケプラー、ガッサンディ、デカルト、ライプニッツ、ボイル、ニュートン等) に影響を与えたルネサンス17世紀のレアな医学テクストを集めるというものです。その第一弾として、超レアなテクストであるシェキウスの著作をデジタル化を提案するものです。

 

 

2007. 8. 14

   おお!にわかに仕事があるようになったかと思ったら、今度は英語版シェキウス論文の校正刷りが来てしまいました。1週間以内に返さないといけないらしいのですが、この論文には非常に多くのギリシア語が入っているので、版組みでの問題を避けるためにアクセントが打ってありません。それをイチイチひろうのが大変です!なお、頁打ちは377-404となっています。

 

 

2007. 5. 15

   年末に英語版の出るシェキウス論文を見てもらえば分かるのですが、非常に奇妙な新プラトン主義的なドライヴのかかった展開を見せるのが、生得温熱の理論です。僕が使った著作『種子の形成力についてDe plastica seminis facultate (1580) の付録には生得温熱に関する小論考が付録として付いていますが、ベルリンに複製を注文するときに、この部分は頼みませんでした。いま思うと非常に後悔されます。きっと、非常に意外な議論が展開されているのです。

 

 

2007. 4. 30

  先週、ずっと後回しにしてきたアヴェロエスの『「霊魂論」大注解』のラテン語版を借り出して来ました。パラパラと見て気がついたのは、以前にここにも書いた formare informare の違いの問題です。これはシェキウス論文だけではなく、ゼンネルト論文でもカギ概念として出てくるので、決定的な説明を探していたのですが、ここに来て少しヒントとなるものが見つかりました。ラテン語版アヴェロエスにおいては、informare というのは、「知性を介して形成するformare per intellectum の意で、ギリシア語の noein に当たるようです。また、この noein という語自体は文脈によって「理解するintelligere とも訳されるところが厄介ですが、理解するとは知性を介して諸概念を脳内の形成することだと考えれば納得がいくかと思います。おそらくはトマスアルベルトゥスの議論にこれを当てはめることは出来るでしょう。ただ問題なのは、ルネサンス期の霊魂論で、例えばゼンネルトが「原子内の霊魂は原子を informare する」というときは、どの程度このアヴェロエス主義の伝統での用法を意識して使っているのか、一歩引いて考えないといけません。

 

 

2007. 4. 25

   英語版シェキウス論文を送り返しました。すぐに56まで留守にしています、というオート返信がありました。忙しい時に無理して速攻で返したのとは違いますので、別に何とも思いません。

 

 

2007. 4. 24

  英語版シェキウス論文の修正版が帰って来ました。20日以内にチェックして返さないといけないようですが、1〜2日で十分でしょう。今、やっております。

 

 

2007. 4. 2

  微調整した英語版のシェキウス論文をナイメーヘンのクリストフのもとに送り出しました。修正はこれで十分かどうか、リアクションを待ちます。既にメールを送ってあったのですが、実はマヌケなことに肝心要のファイルを添付するのを忘れていました。> 受け取ったようです。イースターの休暇中に目を通すと言っています。

 

 

2007. 3. 29

  英語版シェキウス論文を微調整するようにクリストフから言われています。4月半ばまでにすると約束したのですが、気が進みません。僕としては、既にストーリーの完結しているものを渡した訳ですから、全くのところ修正する必要を感じないのです。> 何だかんだ言いつつも、夜半から手をつけ始めました。最小限の手術で抜け出す方法を探っています。> 何とか出来たと思います。プリントアウトして一度通して読んでみたいと思います。ただ、どうもセキが出てハナがつまっているので集中力がありません。

 

 

2007. 3. 5

  仏語版シェキウス論文が掲載されるトゥールにあるルネサンス研究所の雑誌 Journal de la Renaissance の第5巻(2007年)は、今年7に発売されるようです。ということで、7月初頭のトゥール国際会議にはギリギリのタイミングで間に合わないかも知れません。今号には、ちょうどコンチェッタの論文も出るそうで、一緒だねという話になったところでした。

 

 

2007. 2. 25

  仏語版シェキウス論文の第2回の校正指示を送り出しました。新たに変更した部分に、4か所ほど斜体字の問題がありました。

 

 

2007. 2. 20

   校正指示を出したばかりの仏語版シェキウス論文の第2校正刷りが届きました。2回も校正をさせてくれるところも珍しく、トゥールのルネサンス研究所の Journal de la Renaissance 誌は気合が入っていると思います。> ざっと見た感じでは、前回追加した部分で4か所ほど直してもらわないといけません。

 

 

2007. 2. 14

  今日は朝一番で起きてインク・カートリッジを買ってきました。それで、仏語版のシェキウス論文の校正刷りを印刷してもう一度読み直しました。修正部をリストにして、送り返しました。受け取りのメールがすぐに来たので安心ではあります。途中、大学の中央図書館によって、掲示板に遅ればせながら、ゲマ会議のポスターを貼ってもらいました。

 

 

2007. 2. 13

  おお、この忙しい最中に仏語版シェキウス論文の校正刷りが到着しました。何でまた、こんな時に!しかも、運の悪いことに夕方にプリンターがインク切れとなったので、印刷できません。逆に、運の良いことには、入稿時には文字化けを避けるために、校正時にまとめてアクセントを付けようと思っていたギリシア文字に、編集側が全てアクセントを付けてくれました。さすが、フランスの誇るルネサンス研究所の出版物です。調べた人間は誰か知りませんが、頭が下がります。本当に半端な数ではないギリシア語が溢れかえる論文ですので。これは、深く感謝です。> うすい印刷で見づらいのですが、夕食後に校正をしてしまいました。そこで気がついたのですが、審査後に審査員からのコメントを加味した最終ヴァージョンを送ったのですが、その一つ前のヴァージョンで版組してしまったみたいです。何とマヌケな!ま、しかし、最終ヴァージョンとの差は僅少なので、すぐに直せると思います。ホッ。とにかく、明日の朝一番でインク・カートリッジを買いに行ってこようと思います。

 

 

2006. 11. 23

   結局、イタリア滞在用の研究計画は書きかけのまま終わりました。無為に一日が終わるのかと思っていましたが、真夜中から仏語版シェキウス論文に審査員との議論から得たことをフィードバックする微調整を入れ送り出しました。これでOKなことを祈ります。これで何か仕事をしたと自分に言い聞かせるしかありません。どうも、集中できない理由の一つは、このマシンの空冷ファンのブンブンいう大きなノイズです。一生懸命、どこで修理できるかをウェブ上で探しましたが、これという決定打はなしです。僕にとっての問題は、このマシンをひと時も手放すことが出来ないことと、日本はどこもフリーダイアル制なので、海外からは問い合わせの電話がかけられないことです。

 

 

2006. 11. 21

  フィチーノ協会会長にシネジオスの『夢についてDe insomniis に当たって、仏語版シェキウス論文をさらにパワーアップ出来ないか聞かれました。どうでしょう?一応、読み直してみたいと思います。> やはり、何もないと思います。> パリから帰って来た夜から、すぐに何通かメールのやり取りをして、やっとOKをもらいました。その議論をフィードバックして、修正したヴァージョンをすぐに提出することになりました。何も分からない人よりも、いろいろ知っている人の方がウルサイと思います。しかも、向こうの固定観念を覆すようなものだと、理解してもらうにも時間がかかります。ま、例外的なことで、直接こうしてレフェリーと議論できるというのも解決が早くて良いのですが、お互いにしっかりした倫理観がないとダメでしょう。

 

 

2006. 11. 14

  結局のところ、仏語版のシェキウス論文は今日になって審査員としてのフィチーノ協会会長のところに回って来たようです。う〜む。提出してから1ヵ月半が経っている訳ですが、編集員のパスカルは何をしていたのでしょうか?すぐに審査員を探して審査に入ると言っていたくせに… この辺りが、海外の学術出版の裏事情というか、真実というか。

 

 

2006. 11. 3

  クリストフから催促があり、ついにESM 誌のために英語版シェキウス論文の原稿を送り出しました。

 

 

2006. 10. 11

  SKMT君から英語版シェキウス論文のためのリマークを幾つか頂きました。感謝です。

 

              the synonym of a synonym for

              ignores neglects

              a thing superior to anything superior to

 

 

2006. 10. 10

  昨晩、クスカワさんからシェキウス論文の英語の直しが帰ってきました。思ったよりも修正箇所が少ないのでビックリしました。いや〜、良いのかな?本当に良いなら、僕の英語作文力もまんざらではないかも知れません。今までは、とにかくネイティヴ級の人にしっかりチェックしてもらわない限りは安心できませんでした。ただ、なかなかチェックしてくれる人がリェージュでは見つかりません。それが理由で、英語では書いて来なかったのです。こうなったら、何も恐れることなく英語圏にどんどん打って出るべきでしょうか?

 

   このシェキウス論文は、入魂もう一人のガレノス論文やレオニチェノ論文と違い、完成までに何年もかけた訳ではありませんが、結果として個人的にはかなり気に入ったものとなりました。前半のアリストテレス主義のソリッドな地を這う議論が、途中から詩的なプラトン主義のドライヴがかかって変調し、最後は一気に霊魂論形成的自然の概念まで飛翔していく独特のトリップ感があります。ギドもクスカワさんも気に入ったのですから、単なる僕の自己満足的な作品ではなく、周りの人にもアピールするものとなっていると思います。> PDFを挙げますので、興味ある方は気軽にダウンロードして下さい。タイプ・ミスなど何でも気がついたことがあれば指摘して下さい。そうしてもらえると、助かります。

 

 

2006. 9. 27

  ディディエがピサに1週間ほど出張(今週にピサでミクロログス絡みの国際会議でもあるのでしょうか?)するということで、仏語版シェキウス論文のプルーフ・リーディングは最後まで行きませんでしたが、これ以上待たせる訳にも行きませんので仕方なく、Journal de la Renaissance 誌に原稿を提出しました。> 編集主幹のパスカルからすぐに受け取りの返事が来ました。レフェリーを探しますということで、これは迅速です。

 

 

2006. 9. 22

  ディディエによる仏語版シェキウス論文のプルーフ・リーディングが思ったように進んでくれません。土曜日から足踏み状態です。何もなければ、別に遅くても良いのですが、急がないといけないので少しヤキモキしています。

 

 

2006. 9. 19

  ディディエ(カーン)が、シェキウス論文を読みたいといってきました。ちょうど良いので、仏語版を見せる代わりにプルーフ・リーディングをしてくれと頼んだら快くOKしてくれたので、金曜日から徐々にみてもらっています。明日には終わる見込みです。終わり次第、Journal de la Renaissance 誌に投稿したいと思います。> そうそう、英語版を見せたウォーバーグ研究所のギドから長文のコメントが来ていました。僕の本の書評の時と一緒で、コメントにかこつけてすぐに自分の世界にトリップしてしまうのが彼の特徴ですが、今回も存分にギド節を発揮したものになっています。とにかくも、世界トップを行く人間に正しく評価してもらうことほど自信になることはありません。これが学問の基本だと思うのですが、どうでしょうか?

 

 

2006. 9. 15

  新し目の雑誌 Journal de la Renaissance の編集担当のパスカルから返事が来ました。いけそうです。早速、仏語版のシェキウス論文を送りたいと思います。来年7月のトゥール会議の前に出版されればグッド・タイミングで最高です。

 

 

2006. 9. 14

   英語版シェキウス論文をクスカワさんに送りました。これで英語の論文は3本目ですが、だんだんと慣れて来ました。物事なんでも、経験が大事です。大した問題ないことを祈ります。> すぐに連絡があり、これから10日間旅行に出かけるので、見れるのはその後ということです。さらっと見た感じは、問題ないようだといっています (it looks already pretty good)

 

 

2006. 9. 13

  ラテン語の先生からシェキウス論文のチェックが帰って来ました。何だか不安になってしまうくらい間違いがありません。こういうことで本当に良いのでしょうか?非常に細かいところも拾ってくれているので、ちゃんと見てくれているのだとは思いますが、余りの修正点のなさに気が動転します。今回は4時間かけてラテン語だけではなく仏語も見てもらったのですが、仏語版のリチェティ論文を同僚のリンディアに見てもらったときに比べても、余りに少ない気がします。う〜ん。です。> しかし、これで終わりましたので、トゥールのルネサンス研究所が出している新し目の雑誌 Journal de la Renaissance に投稿したいと思います。まずは、編集担当のパスカルに今でも今年の号に間に合うか聞いてみます。> そうそう、放置してあった英語版の方も、ゲスト・エディターのクスカワさんに送らないといけません。明日にでも、送ります。しかし、これで抱えていた原稿のストックは全て僕の手を離れることになります。結局、この1年で書き上げたのは、オリジナル4本+別言語ヴァージョン4本の計8本と自分でも驚きのペースでした。ま、といっても、その前の年に下書きしてあったものばかりですから、その辺を差し引いて考えなければなりませんね。

 

 

2006. 9. 8

   ビル(ニューマン)も引いているゼンネルトに関するカッシーノ論集に入っている論文「霊魂の粒子:ダニエル・ゼンネルトの原子論の医学的・ルター派的な背景Michel Stolberg, “Particles of the Soul: The Medical and Lutheran Context of Daniel Sennert’s Atomism,” Medicina nei Secoli 15 (2003), 177-203 は、発表を聞いたときとは全く異なるかなり深い出来となっていることを悟りました。さっそく、シェキウス論文へフィード・バックしないといけません。これで、シェキウスの理論がルター派神学ではないことが確信できました。気合の入った論文で、17世紀前半の英国やドイツの霊魂論を知りたい人には是非とも一読をお勧めします。

 

  ところで、シェキウス論文のラテン語の先生によるチェックは少し遅れています。この週末で何とかしてくれるらしいのですが、どうでしょうか?大した問題はないと思っていますが、それを確認したら、英語を見てもらうためにゲスト・エディターのクスカワさんに送ることが出来ます。

 

 

2006. 9. 6

   ギドに昨日送ってもらったコメニウスにおける形成的精気 Spiritus Plasticus の概念に関する論文を早速のところ読んでみました。非常に短いながら、ゼンネルトアルシュテッドコメニウスといったプロテスタント思想家のつながりが良く見えます。これがケンブリッジのプラトン主義者たちやボイルの議論にまで流れて行くのだと思います。彼らは皆、ルネサンスのキミアに大きく影響を受けているようですが、さらにその一つ前の段階としてキミアの影響を殆ど受けていないシェキウスが存在することになります。そうです、背景が良く見えてきました。> ギドに、シェキウス論文の原稿を見せたい&コメントしてくれないかと頼んだら、1分もしないうちに即答で是非見せてくれと言われました。分かる人には分かるのです。

 

 

2006. 8. 30

  今日は、もう一度シェキウス論文の英語版を読んで英語の細かい部分のチェックをしました。しかし、もうこの辺りが限界かも知れません。これ以上は、やはりプロの判断を仰ぐべきだと思います。自分なりには最善を尽くしたつもりです。

 

 

2006. 8. 27

  当初は単に、初期近代における形成力の概念について調べるために必要だと思って気軽に始めたシェキウス論文ですが、形成力からいつの間にかオケーマ・プネウマの話になり、最後は霊魂論まで登り詰めるというカタチで、当初は思っても見なかったほどに手に汗握る展開になったなと思います。

 

  さて、シェキウス論文は仏語版と英語版ともにほぼ完成するに至りましたので、あとは1〜2週間寝かせつつ何回か読み通して磨きをかければ良いでしょう。次は、もう一つの今夏の課題だった伊語力のブラッシュ・アップを兼ねたレオニチェノ論文の伊語化の作業に向かいたいと思います。これは、イタリアのルネサンス文化研究についての最高峰の雑誌でヴァゾーリ師主幹のRinascimento への投稿を狙います。

 

 

2006. 8. 26

  帰ってきてから、長々とアダム君にシェキウス論文の英語表現の気になるところを指摘してもらいました。サンキュです。しかし、今回は、とある注のなかで彼の来るべき仕事についてパーゲルと絡めて触れているので、謝辞自体には登場しません。あしからず。

 

 

2006. 8. 25

  図書館に行ってシェキウス論文の完成に必要なマテリアルを確認&一つ借り出しました。これで、ほぼ完成です。あとは提出まで何回か通して読んでひたすら磨きをかけるだけです。自分でもそれなりに精進していますが、最後の10パーセントばかりは自分では把握できない未知の領域です。この段階のものを読んで、英語を厳しく鍛えてくれる人がいれば歓迎です。誰でも構いません。よろしく。

 

 

2006. 8. 24

   今日も一日、シェキウス論文の英語版の手入れをしていました。これでほぼ完成に近づいて来ましたので、クスカワさんに英語のチェックをしてくれるか質問したらOKということですので、あと1〜2週間のうちには原稿を送りますと答えました。10月末が締め切りでしたから、非常に早いので嬉しい驚きとクスカワさんも言っています。こうして、仏語版英語版を平行して作成する機会が増えてくると、僕の2冊目の本は仏語版と英語版を同時に出せるのではないか?という妄想が生まれて来ました。> 著作の2冊目についての構想ではなく、妄想を語るコーナーを開設しました。

 

 

2006. 8. 23

  シェキウス論文の英語版の直しも、だいたいのところは片付きました。あとは、アリストテレスキケロの著作の英訳版で細かい用語等を確認すればOKだと思いますが、仏語では問題なかったところも英語にすると何となくぎこちないところもあるので、何回か通して読んで流れのスラスラ度を上げないといけないかもしれません。要約も考えました。こんなところで、どうでしょうか?

 

In his embryological treatise De plastica seminis facultate (Strasburg, 1580), Jacob Schegk (1511-1587), the professor of philosophy and medicine at the University of Tübingen, developed through a radical interpretation of the Aristotelian embryology his theory of the “plastic faculty” (facultas plastica), whose origin is the Galenic idea of the formative force. The present study analyses the true nature of this theory, by replacing it in its own historical and intellectual context, and reveals its unforeseen Neoplatonic dimension, which namely manifests through his notion of the vehicle of the soul.

 

 

2006. 8. 22

  レオニチェノ論文を送り出したので、昨晩からシェキウス論文の英語版の仕上げに戻りました。> 前半部を都合3回ほど繰り返して丁寧に修正をしました。今日はちょっとこれで力尽きた感じです。明日、後半部に取り組みます。

 

 

2006. 8. 21

  今度のシェキウス論文では、アヴェロエスの『天球の本性についてDe substantia orbis という著作に言及するのですが、この著作の英訳注解版が手近にないので困っています。ずっと探しているのですが、中古市場にも出ていません。う〜む。

 

 

2006. 8. 18

  SKMT君にシェキウス論文を読んでもらい、気づいた点を教えてもらいました。感謝です。> それぞれのいる段階は異なりますが、レオニチェノ論文とシェキウス論文の作業を同時並行で進めているので、ちょっと混乱してきました。

 

 

2006. 8. 17

   午後から取りあえず再開したシェキウス論文の英語化の作業ですが、何が何だか分かりませんが、3時間ほど作業を進めて全体の約3分の1に当たる6頁分こなしたところで、いきなりワードが前触れもなく閉まりました。変だなと思いつつ、ま、自動バックアップは1分毎にセットしてあるので大したロスはないだろうと思ったのですが、ん、変です。バックアップがありません。しかも、ファイルの記録も昨日の段階で止まっていて、あたかも何も今日はしなかった状態に戻っています。どういうことですか、これは?う〜ん、分かりません。悲しいかな、今日の午後一杯の作業が吹き飛んでしまいました。何が起きたんでしょう?> 原因は良く分かりませんが、どこかが変になっているようです。仕方ないので始めからやり直しました。夜の1時過ぎの英語化の作業が一通り完了しました。明日以降に細かい直しに入りたいと思います。

 

 

2006. 8. 11

  やっとのことで、午後の終わりからシェキウス論文の英語化の作業を始めました。結局のところ、エンジンをかけるまでに丸々1週間かかってしまいました。今日は、テクストの3分の1の6頁分と注の全部を片付けました。この調子なら、2〜3日で終わると思います。> 今日は先に進めるのをやめて、英語化したところを読み直して手を入れていたら、夜の2時になってしまいました。

 

 

2006. 8. 8

  久しぶりに古典学科の図書分室にいって、ベルリンのCMG (Corpus medicorum graecorum) シリーズに入っているヒポクラテスの『養生について』の Robert Joly による校訂・翻訳の2003年に出された第2版を借りてきました。狙いは、ルネサンス期におけるこの著作の受容について知ることなのですが、いろいろ思ってもみなかったデータを入手できました。アタリです。ルネサンス期のヒポクラテス主義については、ゲマ論文の中で本格的にアタックする予定ですが、既にシェキウス論文において前触れに議論しています。基本的に編者の関心は、この著作のコスモロジー的な部分には全くないのですが、それでもいろいろ得るところはあります。

 

 

2006. 8. 6

  昨日考えた英語版のシェキウス論文の題名なのですが、仏語版では invisible は入っていませんでした。ウェブで見たら、英語ではアダム・スミスの例のタームは決まり文句として invisible hand となっているようですので、それにかけた方が分かり易いだろうということで加えました。まだ少し悩んでいるのですが、昨日の第3案にあった自然のところを、別の語に置き換えようかと考えています。基本的には発生学の話なので、自然だと少し大きすぎる気がするからです。概念自体が発展してケンブリッジのプラトン主義者やライプニッツの時代になると、形成的自然というタームが普通になるので問題ないのですが、この論文の話はそこまで至る前の段階です。で、2つほど候補を考えました。最初のものは、より学問的で遊びの要素はありません。もう一つは、その部分をもう少し象徴的な単語に置き換えたものです。

 

"The Invisible Hand of God in Renaissance Embryology : Jocob Schegkius’ Theory of Plastic Faculty"

              「ルネサンス発生学における神の見えざる手:ヤーコブ・シェキウスの形成的力能の理論」

"The Invisible Hand of God in Embryo : Jocob Schegkius’ Theory of Plastic Faculty"

              「胚のうちにある神の見えざる手:ヤーコブ・シェキウスの形成的力能の理論」

 

   大きな仕事がまた一つ区切りがついたので、シェキウス論文を英語化する作業と平行して、ルネサンス期のプロテスタント世界での自然哲学の特徴をおさらいするために、クスカワさんの『自然哲学の変容:フィリップ・メランヒトンの場合Sachiko Kusukawa, The Transformation of Natural Philosophy : The Case of Philip Melanchthon, Cambridge UP, 1995 を読み返したいと思います。特集号のゲスト・エディターの仕事をしっかり踏まえていないのは、やはり失礼ですからね。> 残念ながら、僕の知りたいことは出ていませんでした。シェキウスは、形成力を神の道具と理解するのですが、問題はこういう考えがプロテスタント神学から来るのか?です。以前、アントニオボイルにおける神の道具のことを質問したら、僕の勘違いかもしれませんが、ボイルはカルヴァン主義者だったので神の道具を認めないと言われた記憶があるのです。神の道具とは媒介であり、ひいては教会をも意味するからです。そうすると、むしろカトリックに強い考え方なのかな、という気もします。兼学諸兄のご意見を、お願いいたします。とにかく、あまり普段は僕の考えない confessionalisation の問題が出てくるところが、クスカワ特集号に相応しいと言えるかもしれませんね。

 

 

2006. 8. 5

  昨日の夜半にシェキウス論文は、ほぼ完成しました。一度プリント・アウトして、じっくり読みたいと思います。アダム君も読んでくれるそうです。>通して読み直しました。僕としては、完成までに数年かけた入魂もう一人のガレノス論文やレオニチェノ論文ほどには、時間をかけなかったので最初は意識してなかったのですが、かなり感動的な出来となっています。アダム君に指摘されたのですが、シェキウス論文では、かなり話題の扱いに慣れてきたようで余裕を感じるそうです。何だか、これが僕の2冊目の著作『ルネサンスの医学と哲学 Medicine and Philosophy in Renaissance の核をなす章となる予感がします。言ってみれば、フランスの教授資格を取るための審査 habilitation を狙ってのことですから、この著作を作り上げる作業は、僕にとっては第2の博論を書いているようなものです。普通は、博論を終えてから10年間くらいの仕事を集大成するものらしいですから、僕の場合はいつの間にか既に7年近くが過ぎてますので、あと3年くらいが目安ということになります。

 

   これから英語化の作業に入るのですが、まずはタイトルから決めないといけません。一箇所の処理の仕方に、ちょっと迷いがあります。ストレートにスッキリと短くした方が英語らしいのでしょうけれど、どうしても霊魂というキーワードを捨てられないでいます。皆さまのご意見をお聞かせ下さい。> SKMT君の話では、最後のものが一番スッキリとしていて印象が強いようです。僕も、そう思います。これで、行きましょうね。

 

            "The Invisible Hand of God among Nature, Soul and Intellect : Jocob Schegkius’ Theory of Plastic Faculty"

              「自然、霊魂、知性のはざまにある神の見えざる手:ヤーコブ・シェキウスの形成的力能の理論

"The Invisible Hand of God between Nature and Soul : Jocob Schegkius’ Theory of Plastic Faculty"

              「自然と霊魂のはざまにある神の見えざる手:ヤーコブ・シェキウスの形成的力能の理論

              "The Invisible Hand of God in Nature : Jocob Schegkius’ Theory of Plastic Faculty"

              「自然における神の見えざる手:ヤーコブ・シェキウスの形成的力能の理論」

 

2006. 8. 4

  今日も午後は、シェキウス論文を完成させるための作業を続けました。全体の3分の2が終わり、あとは最後の5頁ほどが残っています。明日には、片付けることが出来るのではないか?と希望的観測を持っています。でも、たったの3日で論文が一本出来てしまうと勘違いしてもらっては困ります。去年の夏の課題として、既に研究と下書きは終わっていたのですから。

 

2006. 8. 3

   アメリカから帰ってきて1週間半ほど興奮の余りか、仕事らしい仕事をしてきませんでしたが、心機一転して午後からはシェキウス論文の仕上げに取りかかりました。僕の知る限り、シェキウスをメインに扱った研究というのは、世の中に論文が2本しかなく、この人物を取り上げるだけで、既にオリジナルの仕事になるという領域に入ります。僕が取り上げるテクストに関しては、まさに前人未到です。> そうそう、ニューヨークでナンシーさんに、僕の次の論文はシェキウスについてですといったら、私もシェキウス注目していたのよと言われました。分かる人には、分かるのです。

 

2006. 7. 30

  来週からは満を持して、クスカワESM特集号のためのシェキウス論文の完成に向かいます。今のところ仏語で書いてますが、最終的には英語にしようと思います。これが僕の夏休みの課題です。

 

2006. 7. 27

  さて、今後の大まかな予定を少し整理すると、まずは8月中にクスカワ特集号用のシェキウス論文を仕上げて英語化します。そして、9月からは1023日のパリの自然誌博物館でのライヴの準備をします。> そうそう、ナンシーさんと言った冗談ですが、西欧初期近代の科学・医学史の世界では日本名を名乗るワールド・クラスの研究者が3人となりました。シライシ、クスカワ、ヒライです。> と書いたところで偶然にも、ニューヨークのナンシーさんからメールが来ました。

 

2006. 6. 25    

  金曜日にゲントに行く電車の車中で去年の夏に書いて寝かしてあったシェキウス論文を読み返しました。今夏、フィラデルフィアから帰ってきたら仕上げる予定でいるので、その準備的な作業ということなのですが、ゴツゴツとしていて文章が滑らかにこなされていないと我ながら感じます。まだまだ his prose is beautifully clear と評されたレヴェルには全然達していません。議論の流れ自体は悪くないと思えるので、何度も推敲を重ねて完成に近づけたいと思います。これが僕の夏休みの課題となる訳です。

 

2006. 6. 16

何だか、今年前半に提出した原稿(パラケルススレオニチェノリチェティ)はどれもこれも年明けにならないと出ない気がしています。このままでは、今年の出版物は僅かです。去年度に提出した原稿が少なすぎたということでしょうか?この夏はニューヨークから返ってきたら、クスカワさん用にシェキウス論文を仕上げたいと思います。

 

2006. 6. 3

  う〜む、クリストフの話ですと、入魂のレオニチェノ論文は ESM 誌の来年の3月号5月号に回りそうです。前回のメールでは、今年の11月号ということで安心したところだったのですが、何だか順番待ちの列が長くなってる感じです。本来でしたら、来年の5月号はクスカワゲスト編集長によるルネサンス医学の特集号となるはずで、そこには僕のシェキウス論文が載りますから、連発になってしまいます。僕個人としては、今年1本&来年1本というのが理想だったのですが。ところで、クリストフは、レオニチェノ論文をお世辞にもビューティフルだと形容しています。その雛形は第3回のミーティングでお披露目したものなので、お聞きになられた方は、その一端は感じられたかと思います。

 

 

 

2005. 7. 23

  シェキウス論文の関係で、ひとつ困った単語処理の問題があります。ギリシア語の enulos です。これは基本的には、ヒュレー hyle から来ていて、hyle の中に入っているという意味になります。ulikos 質料的 matérielaulos なら非質料的 immatériel と出来ますが、その間にある enulos をどう訳せば良いか分からないでいます。英語には便利な emmattered というピッタリな形容詞がありますが、仏語にはありません。それで困っています。

 

 

2005. 7. 21

  仕方ないので、休日にも関わらずシェキウス論文の推敲を続行しています。その関係で、Verbeke の論文「アリストテレスにおける精気の理論とエンテレケイア主義 Gérard Verbeke, “Doctrine du pneuma et entéléchisme chez Aristote”, in G. E. R. Lloyd & G. E. L. Owen (eds), Aristotle on Mind and the Senses, Cambridge, Cambridge UP, 1975, pp. 191-214 という論文を読みました。いま現在では Freudenthal の本があることを抜かして考えれば、なかなか良い一本だと思います。

 

 

2005. 7. 20

  一日中、シェキウス論文の推敲を行っています。まだまだですね。今日は、形成的力能のアストラル・ボディこと神的な運搬者についての議論の直接的なソースを発見しました。これは、ナイスです。レオニチェノも、フェルネルも使わなかった『ヒポクラテスとプラトンの学説について』7書7章にある一節です。非常に魅惑的な一節です。

 

「霊魂の実体について語らなければならないなら、次の2つのどちらかを言わなければならない。霊魂はいわば、かの光り輝くアイテール的な物体である (ストア派もアリストテレスも彼らの教えの帰結として心ならずもこの見解へとたどり着いた)。あるいは、霊魂は、それ自体としては非物体的な実体で、上記の物体はといえば、その第一の運搬者であり、それによって他の諸物体との関係を確立するのである。」

 

  これはアレクサンドロスの記述と並んで、最初期のオケーマ・プネウマへの言及であると言われています。ご存知のように、アストラル・ボディの理論は、新プラトン主義者イアンブリコスにおいて決定的なものとして確立すると言われますが、紀元後2世紀プラトンアリストテレスの調和を探る動きの中で生まれたではないだろうか?と考えられています。

 

 

2005. 7. 16

  週末ですが、日中はシェキウス論文の手入れを続行。

 

 

2005. 7. 15

シェキウスの読み下しも、だいぶ煮詰りました。ラテン語テクストを切り落として、脚注をつければ大体の形になります。少し寝かして熟成させないといけないかも知れませんが、今回は速かったですね。

 

 

2005. 7. 14

  昨日は結論部を下書きしたので、今日はイントロを作り始めています。それと同時に論文とした時の題名を考えています。あまり良いヒラメキはまだないのですが、一応今のところ思いついたものでいうと、「霊魂とロゴスの間にある神の手:ヤーコブ・シェキウスの形成的力能の理論La main de Dieu entre l’âme et le logos : la théorie de la faculté plastique de Jacob Schegkius というものにしようかなと考えています。構成の方は、以下のようになると思います。

 

              1. イントロダクション Introduction

              2. 神の道具としての形成的力能 La faculté plastique comme l’instrument de Dieu

              3. 形成的力能の本性 La nature de la faculté plastique

              4. 形成的ロゴスは、物体的か非物体的か? Le logos plastique est corporel ou incorporel ?

              5. 形成的力能の神的な運搬者 Le véhicule divin de la faculté plastique

              6. 神的な運搬者の分離可能性 La séparabilité du véhicule divin

              7. 形成的ロゴスは霊魂の一部か? Le logos plastique est une partie de l’âme ?

              8. 結論 Conclusion

 

ところで、シェキウスはルター派の新教徒なので、やはりレオニチェノフェルネルとは、何となくとか天地創造に関する議論に違いを感じます。まだそれが、どのように違うか上手く表現できないのですが。この違いに鋭敏になれないと、ドイツ英国のことをテーマにする人は大変だと思います。あるいは分かってないで、やっているのかも知れませんが。

 

  毎回、論文タイトルは細心の注意を払って、なるべくキャッチー刺激的かつ誇張なし、というものになるように努力していますが、今回はなかなか気に入っています。

 

 

2005. 7. 13

  さて、シェキウスはまだまだ道のりは遠いですが、それでもかなり形になってきたので、簡単な結論も付けてみました。

 

 

2005. 7. 12

  シェキウスの読みを続行中。だんだん形になってきました。

 

 

2005. 7. 11

  最近あまり刺激的なことを書いていませんので、ここのところ読み込んでいるシェキウスでは、どんなことを議論しているのか少し紹介しましょう。昨日取り扱った場所は、形成的力能を運搬する道具的な物体についてです。この形成的力能は種子の中に入っているのですが、諸元素からなる種子の物体とは別の道具的な物体を伴っているとされます。最初の引用では:

 

「ストア派の人々は、とあるアイテール的で神的な物体が霊魂の運搬者であると言っている。そのような物体が形成的力能の運搬者でもある。キケロによれば、ゼノンがそれを定義しているのと同じように、ヒポクラテス文書の中の『養生について』 (実はガレノスはヒポクラテスのものではないとしている) の著者は、それを、生むために進み出る「創造的な火」と呼ぶ。」

 

そして、アイテール的な物体というのを説明するために、アリストテレスの『動物発生論』の一節に留意して、次のようにさらに続けられます。

 

「この物体は、天空の元素とはことなる。なぜなら、自らの質料と分離可能ないかなる性質ももたないからである。そのために、アリストテレスは、それは天空の元素であるというのではなく、天空の元素に類比するものというのである。… この物体は完全に精気的であり、形成的ロゴスの実体に最も親密なものである。」

 

といった感じです。そして、その後に、この物体は「生きている熱」とも呼ばれ、生命を付与する力能を保持していると続けられます。ドープでしょ?

 

 

2005. 7. 10

  遅くに起きた後、午後は通してシェキウスに取り組んでいます。どうも明らかに議論が矛盾しているところがあり、僕の理解が間違っているのか、ちょっと悩んだりしています。う〜む。

 

 

2005. 7. 9

  今日はバイトも夏休みでありません。土曜日ですが、シェキウスの読みを続けています。

 

 

2005. 7. 8

  シェキウスを読んでいて一日が終わるというのを繰り返しています。議論をまとめているのですが、細かいところがなかなか難しいです。

 

 

2005. 7. 7

  シェキウスの読みをひたすら続けています。昨日の夜は、非常に珍しいことに夜中の2時まで作業をしてしまいました。博論以降は、朝起きて夜寝るという健康的な習慣をキープしていた僕としては、例外的なことです。

 

 

2005. 7. 6

  シェキウスは、第2書前半の訳出も終り、読み下し作業に入りました。まずは、著者が何を言いたいのか、じっくり追っていきます。とにかく、ほぼ毎行にギリシア語の単語が入ってくるので、ラテン語の文章とのつながりを理解するのは、時として非常に難しく感じます。と言って、ギリシア語をしっかりやっている人には、難しいことではないのでしょうが。> でも、この作業はしていて楽しいです。良いテクストに出会ったときの喜びを知っている人には分かると思います。

 

 

2005. 7. 5

  シェキウスの著作の第1書の訳出は、だいたい終わりました。今日一日は、これしかしてませんし、その他のニュースはありません。

 

 

2005. 7. 4

  シェキウスの訳出をコツコツと続けています。

 

 

2005. 7. 3

  甘美ではないファール・ニエンテ。> それでは、あまりに … なので、シェキウスの訳出の続きをすることにしました。

 

 

2005. 7. 1

  今読んでいるシェキウスのテクストは、途中で打ち込みを止めて、最後まで目を通すことしました。基本的には第1書と第2書の最初が僕の欲しいところで、後の議論はそれ程でもないことが分かりました。著作のタイトルは、『種子の形成的力能についてDe plastica seminis facultate (1580) というものですが、「形成的な」という言葉に中世以来の伝統的な formativa ではなく、ギリシア語の転化した plastica を用いたのは、ほぼこれが最初だろうと思います。もとは、スカリゲルにあると思っていたのですが、見つけられませんでした。この概念の中世とルネサンスの交差点については、年末ミーティングでも発表したレオニチェノ論文のなかで十分に触れていますが、そのなかでも plastica は、出てきませんでした。

 

 

2005. 6. 30

  昨日の続きを黙々とこなすはずだったのですが、ちょっとしたことが午後にあり、つまずきました。それでも、それなりには進んだと思います。3書構成の130頁あまりの著作ですが、今は第2書を読みながら打ち込んでいます。第1書の議論の方が面白かった気がします。

 

 

2005. 6. 29

  予想に反してスカリゲルが面白くなかったので、その次に取り扱おうとしていたテクストに、思い切って移行しました。チュービンゲン大学の医学者でヤーコブ・シェキウス Jakob Schegkius という人の著作です。歴史学上はほぼ無名の人物なのですが、これまでの僕の研究から、16世紀後半から17世紀前半には、イギリスを含むプロテスタント圏を中心に大きな影響力を持っていたことが分かっています。初めは、慣れないギリシア語の連発で閉口気味だったのですが、途中から非常に面白い議論となり、久々に興奮するテクストと出会いました。

 

 

ごくごく個人的なアウトプット