アストラル・ボディを探して



 

 「星辰的な身体」 (アストラル・ボディ) は、霊魂が星辰界から地上界に降りてくるときに乗るとされる運搬者で、もともとは新プラトン主義の伝統内で大きく発展したオケーマ・プネウマという概念に由来します(邦語ではプロクロスの『神学要綱』の命題196-209を見るのが良いでしょう)。オケーマ自体がスピリトゥス (精気) と明確に結びつく例は、『夢について』を書いたシネジオスが有名ですが、すでにプロティノスやポルピリオスにその萌芽が見られるとされます。それ以前の中期プラトン主義の伝統内に既に存在していたかも知れませんが、プロティノス自体はその重要性を強調するには至っていないようです。この理論を前面に押し出してくるのが『エジプトの神秘について』を書いたイアンブリコスで、プロクロスまでの後期の新プラトン主義者のあいだで重要視された理論となります。このコーナーでは、アストラル・ボディ概念の伝播経路と行方を探して彷徨しようと思います。

 

 

 

文献案内

 

 

総論

 

Robert Christian Kissling, “The Ochema-Pneuma of the Neo-Platonists and the De insomniis of Synesius of Cyrene,” American Journal of Philology 43 (1922), 318-330.

「新プラトン主義者たちのオケーマ・プネウマとキュレネーのシネジオスの『夢について』」

この概念に最初に光をあてた論考となります。

 

Eric Robertson Dodds, “The Astral Body in Neoplatonism,” in Proclus, The Elements of Theology (Oxford: Oxford University Press, 1933), 313-321.

「新プラトン主義における星辰的な身体」

補遺のなかでの議論ですが、基本中の基本として言及されつづけています。

 

Jean Trouillard, “Réflexions sur l’ochema dans les Elements de théologie de Proclus,” Revue des études grecques 70 (1957), 102-107.

「プロクロスの『神学要綱』における運搬者についての考察」

これは短い論考です。Dodds (1933) の補足的なものです。

 

Andrew Smith, Porphyry’s Place in the Neoplatonic Tradition (Den Haag: Nijhoff, 1974), 152-158.

『新プラトン主義の伝統におけるポルピュリオスの位置づけ』

補遺のなかで議論しています。

 

Henri Crouzel, “Le thème platonicine du vehicle de l’âme chez Origène,” Didaskalia 7 (1977), 225-238.

「オリゲネスにおける霊魂の運搬者をめぐるプラトン主義的なテーマ」

ギリシア語圏のキリスト教父オリゲネスの場合を扱っています。

 

John Finamore, Iamblichus and the Theory of the Vehicle of the Soul (Chico: Scholars Press, 1985).

『イアンブリコスと霊魂の運搬者の理論』

この概念についての最初の単著といって良いでしょう。

 

Henry J. Blumenthal, “Soul Vehicles in Simplicius,” in Platonism in Late Antiquity, ed. Gersh (Indiana: University of Notre Dame Press, 1992), 173-188.

「シンプリキオスにおける霊魂の運搬者」

偽シンプリキオスの議論がメインとなります。

 

Hermann S. Schibli, “Hierocles of Alexandria and the Vehicle of the Soul,” Hermes 121 (1993), 109-117.

「アレクサンドリアのヒエロクレスと霊魂の運搬者」

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Jens Halfwassen, “Bemerkungen zum Ursprung der Lehre vom Seelenwagen,” Jahrbuch für Religionswissenschaft 2 (1994), 114-128.

「霊魂の運搬者をめぐる学説の起源について」

なんとか入手できました。

 

Jens Halfwassen, “Seelenwagen,” in Historiches Wörterbuch der Philosophie 9 (1995), 111-117.*

「魂の運搬者」

未入手

 

Maria di Pasquale Barbanti, Ochema-Pneuma e phantasia nel neoplatonismo: aspetti psicologici e prospettive religiose (Catania: Cuecm, 1998).

『新プラトン主義におけるオケーマ・プネウマとファンタジア:霊魂論的な諸相と宗教的な展望』

新プラトン主義者たちをたっぷりと扱っている単著です。

 

Stéphane Toulouse, “Le véhicle de l’âme chez Galien et le pseudo-Plutarque,” Philosophie antique 2 (2002), 145-168.

「ガレノスと偽プルタルコスにおける霊魂の運搬者」

ガレノスは、この概念に言及した最初期の人物ということになります。

 

Marco Zambon, “Il significato filosofico della dottrina dell’ochema dell’anima,” in Studi sull’anima in Plotino, ed. Riccardo Chiaradonna (Napoli: Bibliopolis, 2005), 305-335.

「霊魂の運搬者の学説の哲学的な重要性」

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Stéphane Toulouse, “Le véhicle de l’âme chez Plotin: de la création d’une hypothèse cosmologique à l’usage dialectique de la notion,” Etudes platoniciennes 3 (2006), 103-128.

「プロティノスにおける霊魂の運搬者:宇宙論的な仮説の創造から、その概念の教育的な使用まで」

プロティヌスの場合を扱っています。

 

Eudoxie Delli, “Entre compilation et originalité: le corps pneumatique dans l’œuvre de Michel Psellos,” in The Libraries of the Neoplatonists, ed. Cristina D’Ancona (Leiden: Brill, 2007), 211-229.

「編纂と独創性のはざまで:プゼロスの仕事における精気的な身体」

タイトルに「霊魂の運搬者」と入っていないのですが、プゼロスの場合を分析しています。

 

Michael Griffin, “Proclus on Place as the Luminous Vehicle of the Soul,” Dionysius 30 (2012), 161-184.

「霊魂の輝かしい運搬者としての場所」

プロクロスにおける「場所」と霊魂の運搬者をめぐる分析です。

 

John Dillon, “Plotinus and the Vehicle of the Soul,” in Gnoticism, Platonism and the Late Ancient World, ed. Kevin Corrigan & Tuomas Rasimus (Leiden: Brill, 2013), 485-496.

「プロティノスと霊魂の運搬者」

大御所の一本。

 

Ilinca Tanaseanu-Döbler, “Synesius and the Pneumatic Vehicle of the Soul in Early Neoplatonism,” in On Prophecy, Dreams and Human Imagination: Synesius, De Insommniis, ed. Donald A. Russell and Heinz-Günther Nesselrath (Tübingen: Siebeck, 2014), 125-156.

「シュネジウスと初期新プラトン主義における霊魂の精気的な運搬者」

力作です。Dodds (1933) をはじめとする定番を読んだあとは、これに行くと良いかも知れません。

 

Bettina Bohle, “Proclus on the Pneumatic Ochema,” in The Concept of Pneuma after Aristotle, ed. Sean Coughlin et al. (Berlin: Topoi, 2020), 343-364.

「気息的な運搬者とプロクロス」

プロクロスに焦点をあてた議論です。

 

 

 

各論

 

オリゲネス(c. 185-c. 254

Henri Crouzel, “Le thème platonicine du vehicle de l’âme chez Origène,” Didaskalia 7 (1977), 225-238.

「オリゲネスにおける霊魂の運搬者をめぐるプラトン主義的なテーマ」

ギリシア語圏のキリスト教父オリゲネスの場合を扱っています。

 

Hermann S. Schibli, “Origen, Didymus and the Vehicle of the Soul,” in Origeniana quinta, ed. Robert J. Daly (Leuven: Peeters, 1992), 381-391.

「オリゲヌス、ディディムス、霊魂の運搬者」

 

 

 

プロティノス(c. 205-270

Stéphane Toulouse, “Le véhicle de l’âme chez Plotin: de la création d’une hypothèse cosmologique à l’usage dialectique de la notion,” Etudes platoniciennes 3 (2006), 103-128.

「プロティノスにおける霊魂の運搬者:宇宙論的な仮説の創造から、その概念の教育的な使用まで」

プロティヌスの場合を扱っています。

 

John Dillon, “Plotinus and the Vehicle of the Soul,” in Gnoticism, Platonism and the Late Ancient World, ed. Kevin Corrigan & Tuomas Rasimus (Leiden: Brill, 2013), 485-496.

「プロティノスと霊魂の運搬者」

 

 

 

アウグスティヌス(354-430

Emmanuel Bermon, “L’hypothèse d’un quasi-corps qui serait le véhicule de l’âme,” in Saint Augustine: La correspondence avec Nebridius (Lettres 3-14), ed. Bermon (Leiden: Brill, 2023), 195-221.

「霊魂の運搬者としての疑似物体の仮説」

 

 

 

プロクロス(412-485

Jean Trouillard, “Réflexions sur l’ochema dans les Elements de théologie de Proclus,” Revue des études grecques 70 (1957), 102-107.

「プロクロスの『神学要綱』における運搬者についての考察」

これは Dodds (1933) の補足的な小品です。

 

Michael Griffin, “Proclus on Place as the Luminous Vehicle of the Soul,” Dionysius 30 (2012), 161-184.

「霊魂の輝かしい運搬者としての場所」

プロクロスにおける「場所」と霊魂の運搬者をめぐる分析です。

 

Bettina Bohle, “Proclus on the Pneumatic Ochema,” in The Concept of Pneuma after Aristotle, ed. Sean Coughlin et al. (Berlin: Topoi, 2020), 343-364.

「気息的な運搬者とプロクロス」

プロクロスに焦点をあてた最新の議論です。

 

 

 

 

 

日記の記述から

 

2007. 10. 22

  クニ君に PDF を送ってもらった論文「異教的ローマの太陽神学Franz Cumont, “La théologie solaire du paganisme romain”, Mémoires présentés par divers savants à l’Académie des inscriptions, 12 (1913), pp. 447-479 をついに読みました。感動の一本です。これは素晴らしいの一言につきます。エクスターズ。前回の世界霊魂を扱ったソクラテスの神」と同じくらい良いものです。最近は、良いモノに巡りあえるチャンスに恵まれています。

 

 

2007. 10. 18

  今日なって入手できた論文「ソクラテスの神:ヴァロとキケロからテルテュリアヌスまでJean-G. Préaux, « Deus Socratis (De Varron et Cicéron à Tertullien) », Revue belge de philologie, 35 (1957), pp. 333-355 を読んでみました。いや、これはスゴイ。タイトルには出ていませんが、世界霊魂のことがテーマでした。今やっていたことにバッチリです。ああ、もっと落ち着いて読み込みたいところですが、今日こそはワシントン用の発表原稿を書きに移ります。しかし、タイトルは凝っていますが、世界霊魂をメインに議論している労作なのに、世界霊魂とストレートに出さないのはもったいないですよ。こうことで忘れ去られていく論文が、あまりに多いのでしょうね。顔は人形の生命といいますが、タイトルは論文の生命ですな。

 

   ああ、しかし、「異教的ローマの太陽神学Franz Cumont, “La théologie solaire du paganisme romain”, Mémoires présentés par divers savants à l’Académie des inscriptions, 12 (1909 [1913?]), pp. 447-479 という何ともセクシーなタイトルの論文を読んでみたいなあ。なかなか見つけるのは難しそうですが。フェステュジェールの師にあたる偉大なるフランツ・キュモンの超レアな一本。> ゲントの教授でもあったキュモンに捧げるべく、宇宙神学のコーナーを設けました。

 

 

2007. 10. 17

  ローマの宇宙宗教の知的な基盤はウァロ Varro が築いたようですが、さらに突き詰めるとアスカロンのアンティオクス Antiochus of Ascalon に行きつくようです。彼はフィロの弟子で、キケロの先生ということです。ただ、そこまで行くとちょっと今回の話の枠組みから出てしまいます。ところで、ローマの宗教だけではなく、キケロの神学についても、Pierre Boyancé という人の研究は偉大なのだと分りました。次の2冊に既出論文はまとめられているようです:

 

            Etudes sur l’humanisme cicéronien, Brussels, 1970.

              Etudes sur la religion romaine, Rome, 1972.

 

 

2007. 10. 14

  このあいだ Freduenthal 氏から貰った論文「アリストテレス主義コスモスの中世占星術化:アレクサンドロスからアヴェロエスまで“The Medieval Astrologization of the Aristotelian Cosmos : From Alexander of Aphrodisias to Averros”, Mélanges de l’Université de Saint-Joseph, 59 (2006), pp. 31-68 は、第五元素をテーマにしていて、実はスゴイことになっている感じです。やはり、Paul Moreau の足跡を継ぐのは彼なのでしょう。PDF 版が欲しい人は、僕に言ってください。

 

 

2007. 9. 26

  僕は哲学者のような大雑把な話をするのが好きではないのですが、それを承知であえてすると、原型が実体世界で具現化するプロセスを司るものを考えた時、ルネサンス期の物質理論や生命の科学では、物質の中で職人的に作用する(ある意味で擬人化された)の概念を発達させていったのだと思います。それがパラケルスス主義者にとってのアルケウスであり、発生学で展開された形成力といった概念です。そもそもアリストテレス主義の伝統では、アダム君の研究が示唆するところから考えると、その役割は宇宙論的な次元を持つ知性が担っており、ストアの文脈では既に神自体が形成的な火であり、プネウマである訳です。それに対して、プラトン主義の文脈では、デミウルゴスという神とその子供たちが、それに対応することになるかと思います。で、ルネサンスは、プラトン主義的なフォーマットに従ったように見えるかも知れませんが、それをアリストテレス的な自然哲学に結合させて、ストアの要素もしっかりキープしているところがミソです。つまり、そういうことを古代の段階でしようとしたのが新プラトン主義であり、ルネサンスはまさに、新プラトン主義のフィチーノ的解釈のもとに展開されていったと思えるのです。で、こういう粗雑な結論を出したところで満足するのが哲学者、それを時間軸のあるテクスト伝統の展開の中でストイックに追うのが歴史家なのでしょう。

 

 

4007. 4. 20

  探していた論文「『養生について』における宇宙論 Antoine Thivel, “La cosmologie du Régime”, in J. Granarolo (ed.), Hommage à René Braun, Paris, Belles Lettres, 1990, vol. 1, pp. 167-195 は、ついに入手することが出来ました。数か月前に申し込んだときは紛失扱いになっていたのですが、今回は出て来ました。この辺りが、欧州の図書館の非常にニクイところです。とにもかくにも、わざわざ入手の手伝いを申し出てくれたピサの CTD 君には感謝いたします。> なかなか気合いの入ったものでした。この Thivel という人は侮れません。もう一本だけ、この人の書いたヒポクラテスの体液論についての論文 “Hippocrate et la théorie des humeurs”, Noesis, 1 (1997), pp. 85-108 が欲しいのですが、それは急ぎでないのでいつか何とかなるでしょう。

 

***

 

2005. 4. 6

  今朝は、BHメイトの俵君が送ってくれた英語と独語の2本の論文に目を通しました。独語の方は僕の期待していたような議論はナシで、それを確認できただけでも良しとしましょう。英語の方は、「アルキンディの霊魂論におけるプラトン主義とヘルメス主義Charles Genequand,Platonism and Hermetism in al-Kindi’s Fî al-Nafs”, Zeitschrift für Geschichte der Arabisch-Islamischen Wissenschaften, 4 (1987-1988), pp. 1-18 という論文で、これは良かったです。80年代という時代柄、ヘルメス主義をタイトルに謳っていますが、何のことはない、要するにイアンブリコスを中心とする後期新プラトン主義と東方の世俗信仰のミックスしたものを想定しています。基本的には、Michel Tardieu によるハラーンのサービア教徒に関する1986年に出された革命的と言われる論文に大きな刺激を受けて書かれています。ますますもって、早いところ噂の Tardieu 論文に目を通さないといけなくなってきました。全ては、今週金曜日のオランダ講演が終わってからですね。

 

 

2005. 4. 1

  しかし、アヴェロエスでゼミをやっているところって、他にあるのでしょうか?しかも、星辰の影響についてです。ディープ・ゼミは、順調です。今は、参加者諸君の読後感をフィードバックしてもらっています。良い感じです。普通の観点からだと、どうしてもアラビア哲学とか、中世思想の枠組みで止まってしまって、その先が見えない感じですが、初期近代人も大学で学んだ事柄といえば、基本的にはアヴェロエスのカラーに染まった知的体系だったのだということを、お忘れなく。> 今から参加したいという人も、遅くないですよ。

 

 

2005. 3. 18

  『ケンブリッジ版アラビア哲学必携』に収録された論考をいろいろ読み続けています。基本的には注も最低限で、初学者も読者層に入れたかのような体裁になっていますが、議論されている内容は第一線の研究者による最新の成果をもとにしたオヴァー・ヴューなので、役に立つことが沢山出ています。特に、Cristina D’Ancona 氏の巻頭論文が、ギリシア世界からアラビア世界への学問の流れに新プラトン主義が果たした役割を分析の中心に据えていて、まさにこれ!と同感できます。この人は他にもいろいろ書いていますが、中世ラテン世界で『諸原因の書Liber de causis と呼ばれる書物を取り扱った『「諸原因の書」の研究Recherches sur le Liber de causis, Paris, Vrin, 1995 がメインの仕事のようです。これは図書館にあったので、今度借り出したいと思います。お!ピサの人ですね。しかし、スゴイ仕事量だこと。

 

 

2005. 3. 17

  しばしディープ・ゼミ関係、というよりは、僕の一番関心のあるギリシア・アラブ関係のことに戻りたいと思います。つかの間の休息に楽しいことをしないのは精神衛生上良くないので、持って来てもらった『ケンブリッジ版アラビア哲学必携』を紐解いていると、おお!僕の考えていた仮説を裏付ける記述に出会いました。それは、アラビア世界へのアストラル・ボディオケーマ・プネウマの伝播に関する大事な一石です。ちょっと興奮しています。そこにあるレフェランスに出ている論文の入っている論集はどちらかというとレアなのですが、ラッキーにもリェージュにあるようなので、早速体調が良くなり次第借り出してみたいと思います。う〜む、やはり何かを見つける、この瞬間が一番楽しいです。

 

 

2005. 3. 16

  以前からずっと気になっていた『アリストテレスの「動物部分論1」と「動物発生論1」D. M. Balme, Aristotle’s De partibus animalium I and De generatione animalium I (with passages from II. 1-3), Oxford, Clarendon, 1972 をボルドーに行く直前に図書館で実際に手にとって見て、中古で入手しておく決心をしました。アリストテレスの生物学を語る上では既に古典で、いろいろ役に立つことが書いてあります。

 

 

2005. 3. 14

  入手したまま日本においてあった本を持って来てもらいました。『神働術と霊魂:イアンブリコスの新プラトン主義Gregory Shaw, Theurgy and the Soul : The Neoplatonism of Iamblichus, Pennsylvania, Pennsylvania UP, 1995 と注目のケンブリッジ版アラビア哲学必携The Cambridge Companion to Arabic Philosophy, Cambridge, Cambridge UP, 2005 の2冊です。前者は、ディープ・ゼミ的関心度の高いもので、まだ読めた訳ではありませんが世のプラトニストたちにお知らせしておきます。後者は、最新研究に基づいて作られたギリシア語からアラビア語訳された著作の一覧表&アラビア語からラテン語に翻訳された著作の一覧表という、待ってました的ツールを搭載しています。まさに必携です。

 

 

2005. 2. 11

  今朝は久々にディープなものを読みました。「アリストテレスからアル・ガザーリーまでの自然概念の諸相Charles Genequand, “Quelques aspects de l’idée de nature d’Aristote à al-Ghazâlî”, Revue de théologie et de philosophie, 116 (1984), pp. 105-129 という論文です。前半はアリストテレスからガレノス、そしてギリシア人注解者の自然の概念に関する議論に深くメスを入れ、後半はそれがアラビア世界でどのように受け入れられていったかを概観しています。特に前半は非常に良い出来です。もう一人のガレノス論文を準備しているとき、偉大なる Paul Moraux によるガレノスの自然哲学に関する論文に出会って、良いもの読んだなあという感慨を得たのですが、今度はレオニチェノ論文に対して、それに勝るとも劣らない刺激を与えるものに出会ったと言えます。

 

 

2005. 2. 6

  昨日のアヴェロエスの医学書に関して、ノス研の田窪さんが Unilibro というサイトを紹介してくれました。サイトの造りは、スペイン語の苦手な人間にも分かり易い気がします。一方、BHメイトの小澤くんは、より学術書に強い Marcial Pons というサイトを教えてくれました。そこの検索によると、以前に出された『医学的著作集Averroes, Obra medica, Malaga, 1988 も、まだ入手できるみたいです。これは、リェージュにもあるので手にとって見たことあるのですが、ガレノスの幾つかの著作へのアヴェロエスによる注解が手稿のまま眠っていたものをスペイン語訳した全くの別モノです。何と310頁で12ユーロと格安です。中世後期からルネサンス期の大学医学に触れたいなら前者だけで十分ですが、さらにアヴェロエスの医学のことを深めたいなら、両方を併せ持っている方が良いかも知れません。それでも36ユーロですから、ビックリの値段です。

 

 

2005. 2. 5

  以前からアヴェロエスの医学書 Colliget の研究や翻訳は少ないなと思っていたのですが、どうやらスペイン語全訳が出たようです。『医学入門El libro de las generalidades de la medicina, Madrid, Trotta, 2003 で、512頁と大冊の割には24ユーロと安価なので入手しようかと思います。ところで、最近アマゾン・フランスでもスペイン語の本を扱うようになったのですが、残念ながらこの本は検索にかかりません。スペイン語の本を入手するには、一体どのサイトが便利でしょうか?BHメイトの田邊さんにでも聞いてみましょう。

 

  さて、話題のディープ・ゼミへの参加登録は既に始まっています。徐々にですが、素晴らしい面子が集まってきました。今日は最初のたたき台を発表します。何とも惚れ惚れするタイトルの論文「中世アリストテレス生物学の占星術化:アヴェロエスと生物の誕生における天体の役割Gad Freudenthal, "The Medieval Astrologization of Aristole's Biology : Averroes on the Role of the Celestial Bodies in the Generation of Animate Bodies", Arabic Sciences and Philosophy, 12 (2002), p. 111-137 です。関心ある人は、グズグズしていないで僕まで連絡下さい

 

 

2005. 1. 29

  シンプリキオスの研究書を読んでいて精気体 pneumatic body の議論が数頁に渡ってあるのを見つけました。いわゆる、アストラル・ボディのことで、星辰界から降りてくる霊魂が身体に入るときの運搬者とされています。もともとは、新プラトン主義の伝統内で大きく発展したオケーマ・プネウマという概念 (邦語ではプロクロスの『神学要綱』の命題196-209を見るのが良いかと思います)です。オケーマ自体がスピリトゥス (精気) と明確に結びつく例は、『夢について』を書いたシネジオスが有名です。すでにプロティノスやポルピリオスにその萌芽が見られるとされます。それ以前の中期プラトン主義の伝統内に既に存在していたかも知れませんが、プロティノス自体はその重要性を強調するには至っていないようです。この理論を前面に押し出してくるのが『エジプトの神秘について』を書いたイアンブリコスで、プロクロスまでの後期の新プラトン主義者の間で重要視された理論です。僕は、この理論がプロクロス以降、特にアラビア世界に入っていく過程に興味を持っているのですが、やはり鍵を握るのが、シンプリキオスを初めとするハラーンに移住した新プラトン主義者の集団だったのではないかと思っています。最終的には、その末裔であるイブン・クッラの率いる学派がバクダッドに移住して、アルキンディアヴィセンナへとつながるアリストテレス解釈に新プラトン主義的な傾斜を与えたのだろうという道筋が何となく見えてきました。従来の新プラトン主義とアラビア世界のつながりに関する研究は、『アリストテレスの神学』と『原因の書』という二つのテクストについて注意を集中して来た訳ですが、僕としては、誰でも注目するこれら二つのテクストよりは、イアンブリコスやシンプリキオスの影響を見ていった方が、いろいろな発見をする余地があるだろうと思っています。

 

 

2005. 1. 28

  昨日から、図書館で仕入れてきた論文を読んでいます。著者の Omer Ballériaux 氏は、おそらくリェージュの人で、偉大なる Paul Moraux の学友。僕もミーティングで触れたテミスティオスの隠れた新プラトン主義を明らかにしようとするもので、3本の連作です。最後の論文では大胆にも、テミスティオスの父エウゲニオスは、新プラトン主義者イアンブリコスに一時期師事していたのではないか?という仮説を立てます。また、ルーヴァンの Carlos Steel 氏による『「霊魂論」注解』を書いた(偽)シンプリキオスに関する論考を読みました。ここでも、イアンブリコスの影響が強調されています。ということで、今日は何ともイアンブリコスな一日でした。確かに何とはなく、こんがらがった結び目が解け始めた感じがします。僕はこれまで、どちらかというとポルピリオスの方に気を取られていたのですが、こうなってくると、イアンブリコスの霊魂論がアラビア世界の霊魂論、ひいては医学に、どういうインパクトを与えたかが大きく気になるようになってきました。

 

 

2004. 10. 31

  先日のハラーンの件で、これまでイマひとつ分からなかったことについて少し見通しがよくなった気がします。イスラム世界へのプロクロス以降の新プラトン主義の諸概念の具体的な浸透路が見えた感じです。

 

 

2004. 10. 29

  古代末期アレクサンドリアのアリストテレス注釈家シンプリキオスは、ソクラテス以前の哲学者の断片をふんだんに織り込んだ注釈を書いたことで、これらの哲学者の断片集にしばしば名前の登場する人物ですが、実は新プラトン主義者です。彼についての研究は、それほど積み重ねがなく、あるのは論理学知性論、そして運動論時間論がメインの標的となっています。そもそも、アリストテレスの注釈家という観点からが多くて、新プラトン主義の文脈からのアプローチは満足の行くものではありません。個人的な絡みで言うと、彼の思想の自然生命に関する部分を扱った研究はほとんど無いなというのが実感です。

 

  ビザンティン帝国から一旦ペルシアに逃れた新プラトン主義者が、後にシリアの都市ハラーンに集まって文化的な華を咲かせたことが、グノーシス&マニ教研究者 Michel Tardieu の仕事で提言さているそうです。ハラーンのサービアの徒をコーランに出てくるサービア教徒と混同し、イスラム世界におけるヘルメス主義の原点と見るのは事実誤認で、純粋に新プラトン主義が信奉されていたようです。また、アレクサンドリアを離れてペルシアを訪れたシンプリキオスもハラーンのサークルに迎え入れられたのでは?という点を巡っては、まだ議論が分かれるようです。取り敢えず次の論文を見ることが勧められています:Michel Tardieu, “Sabiens coraniques et “Sabiens” de Harran”, Journal asiatique, 274 (1986), pp. 1-44. サービアの徒のヘルメス主義が『ピカトリクス』などに影響を与え、それがルネサンス期イタリアに受容されたという Paola Zambelli の理論は脆くも崩れ去るのかな?と思っています。

 

 

2004. 3. 6

  アリストテレス注解者達における世界霊魂霊魂の運搬者としての精気といった新プラトン主義的な概念の取り扱い方について、ずっと興味を持っていたのですが、近年ドンピシャの研究書が出ていることを知り、中古市場を見ると、破格の15ドルでセールに出ていたので、これこそ天命と、早速にも入手することにしました。昨日発送されたようですから、2週間で届くでしょう。『古代末期におけるアリストテレスと新プラトン主義:「霊魂論」の諸解釈H. J. Blumenthal, Aristotle and Neoplatonism in Late Antiquity : Interpretations of the De anima, Ithaca, Cornell UP, 1996 です。著者は、もともとプロティノス研究家で、この本の少し前に「シンプリキオスにおける霊魂の運搬者の概念」という論文を書いているので、期待に十分応えてくれると思います。

 

 

 

 

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