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ごくごく個人的な「本」日記

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20155

 

2015. 5. 31

  昨日の原稿を推敲して、メルマガをドロップしました。題して、「テレジオにおけるアヴェロエスの影」です。配信は、62。これは、自分としてはなかなか美しいピースになったと思います。アレクサンドロスアヴェロエス、そしてテレジオという系譜で、古代ギリシアの危険な物質主義が、中世のアラビア文化圏を介して近代西欧につながります。これはアダム君との新春放談 『危険な物質主義の系譜:アレクサンドロス、アヴェロエス、アルベルトゥス』 とペアで読むと良いでしょう。

 

  これはいつかラヂオ放談のテーマとしたいのですが、この危険な物質主義の系譜はさらにテレジオからホッブススピノザを経由してディドロをはじめとする啓蒙主義の思想家あたりまで脈々とつながっていくのではないでしょうか?すでに僕も、カドワースボイルライプニッツといった護教派の著作家たちは、この系譜を警戒しているのを確認しています。

 

  明日は20時から、初心者セミナー 『科学革命を読む』の最終回です。最終章にあたる6「科学の世界を組みたてる」を読みます。

 

  まだポスタープログラムもゲストの手配も途中なのですが、科研費プロジェクト「キリシタンの世紀」からの第3回の国際シンポジウム特設頁をつくりました。ちなみに、画像はかの有名なキリシタン版の日葡辞書です。今年は718日(土)・19日(日)の2日間をフルで行います。ゲストも豪華です。乞う、ご期待!

 

 

2015. 5. 30

  来年3月にボストンでおこなわれるルネサンス学会のための準備ですが、偽パラケルススについてのパネル企画の方はアマデオ君やエリザベトをはじめとする3つの書類が集まりました。あとビルをふくむ3名の書類をまっています。科研費プロジェクトのキリシタンの世紀の方は、根占先生の書類がきたので、クレアに見てもらって一足先に応募できるでしょう。コメニウスについてのパネルも書類をまっています。

 

  今日は是が非でも、メルマガの準備をしないといけません。今回はベルリンでのテレジオ会議での発表をお送りします。> 翻訳を7時間かけて完成したのでほっとしているところで急用が入り、それに集中しているところにアダム君からスカイプ通話があり、あわてて上書き保存したのがよくありませんでした。急用のファイルを翻訳校に上書きしてしまい、どうやっても元に戻らないようです。水星逆行の影響が出ました。トホホ。

 

  夕食後に気分を転換して、最初から作業をやり直しました。二回目なので思ったよりも早く進んで、なんとか零時前に終わりました。人間、なにごともあきらめたらいけません。明日、さらに推敲してメルマガにドロップしたいと思います。ちょっとタイトルも変えましょうね。

 

 

2015. 5. 29

  訳者の福西さんからの校正指示リストが、ベルリンにいっているあいだに届いていました。今日は、それをチェックするのに一日かかりました。FB のメッセンジャーでチャットできたので、最後の詰めはスンナリいきました。

 

  ベルリンで会ったヌッチョに招待されたので、根占先生と南イタリアのコセンツァまで行く計画を練っています。新しくできたルネサンス研究所を訪問して、半日のワークショップでもできたら最高です。> ちょっとうまいタイミングのところが見つかりません。調整には時間がかかる模様。

 

 

2015. 5. 28

  10にホテルをチェック・アウトして、バスに乗って空港に向かいました。フライトは13時の定刻どおりで、14すぎにデュッセルドルフに着き、お寿司で腹ごしらえしてから電車に乗ってケルンを目指しました。ケルンから16時半の新幹線に乗って、1時間ほどでリェージュに17時半に着きました。今日は移動だけで疲れましたね。

 

 

2015. 5. 27

  さあ。9時にホテルのロビーに集合し、皆で研究所まで地下鉄に乗って移動しました。9時半からワークショップの開始です。最初はマックス・プランク研究所のユルゲン・レンによるウェルカム・スピーチ、そして『ロバのカバラ』が邦訳されているヌツィオ・オルディネによるカラブリア大学に新設されたルネサンス研究所の紹介がありました。なんとも、エネルギーに溢れる人です。普段のスレスレの言動も危険で、それが彼の魅力なのでしょう。

 

「ベイコンとガリレオのあいだのテレジオ」 Roberto Bondi, “Telesio tra Bacon e Galileo”

最初のロベルト・ボンディによる発表は、ベイコンによるテレジオの評価についてです。典型的なイタリア人の発表で時間の概念はなく、発表の途中で時間切れ、ディスカッションの時間もほとんどありませんでした。タイトルとは異なって、ベイコンの話ばかりでガリレオへの言及はほとんどありませんでした。おそらく、ロベルトがもっとも長い期間にわたってテレジオにとり組んでいると思うのですが、僕にいわせると一昔前の議論です。そういえば、イタリア人たちもついに、ベイコンをバコーネというのは止めたのでしょうかね?

 

「テレジオの虹の理論とアリストテレス主義の伝統」 Elio Nenci, “Telesio on Rainbow and Aristotelian Tradition”

つぎはカルダーノの『精妙さについて』のイタリア語校訂版をだしている、エリオ・ネンツィによるテレジオの虹の理論とアリストテレス主義についての発表です。英語の発表ですが、これまた45分くらい分量があるテクストを配布しました。読み終わったときは40分で、ディスカッションはセッションの最後にまとめてやることになりました。基本的には、アレクサンダーの理論をピッコロミーニや他のテレジオの同時代人がどのように説明したのかという話です。

 

「『海について』におけるテレジオの潮の理論」 Pietro Omodeo, “Telesio’s Tidal Theory in De mare, 10-13.”

ピエトロの発表は、多くの当時人たちの理論を説明しつつ、テレジオの潮についての議論の背景を描いていくものでした。残念ながらテレジオ自身のアイデアのなかに分析が入っていくものではありませんでした。最後のあぶり出しがなかったのは残念。

 

「テレジオ的気象論」 Oreste Trabucco, “Meteorologica Telesiana

2009年のテレジオ会議で仲良しになったナポリのオレステ・トラブッコによるイタリア語での発表です。彼の発表のスタイルは、声がよくとおるエレガントなものです。古代ギリシアのヘロンの機械論の受容についての専門家で、テレジオ後の16世紀末のイタリアにおける関係書をいろいろ説明していきました。ボナヴェントゥーラ、パトリッツィ、カンパネッラといった感じです。

 

  ここで午前中のセッションは終わり、ランチとなりました。お寿司のケータリングでしたが、まあまあでした。嬉しいことにユトレヒトでの占星術会議で発表してくれたベルリンのアンナと、昔からの知り合いで今はベルリンでポスドクをしているチェーザレも顔を出してくれました。午後の最初のセッションには僕の発表があります。司会はあの偉大なるシュミット・ビゲマンです。

 

「テレジオにおけるアヴェロエス」 Hiro Hirai, “Telesio and His Use of Averroes”

僕の発表は、すこし早口で30分でした。分量を減らしてゆっくり話したほうが良かったですね。突貫工事でつくった原稿の割には、ほころびは見つからなかったようです。誰からも聞いたことのないような構想についての前半部と、後半の地を這うようなケース・スタディで、多くの人には理解できなかったのではないか?と心配しましたが、やはりミゲル・グラナダ、そしてピエトロは理解したようです。

 

「テレジオにおける精気と神から与えられた霊魂」 Miguel Granada, “Spiritus e Anima a Deo immissa in Telesio”

御大ミゲルの発表では、テレジオの人間霊魂についての理論の根底に、フィチーノの『プラトン神学』の議論があることが語られました。やはりミゲルは僕の尊敬する才覚の人です。われわれ二人のセッションが一番カッティング・エッジなものになったと思います。

 

「テレジオにおける自己保存の概念」 Rodolfo Garau, “Self-Preservation in Telesio”

若手のホッブス・スピノザ研究者による、どうもイマイチな発表でした。ルネサンスのことは何も知らないようです。

 

「ドーニにおける自然主義とテレジオの哲学」 Riccarda Suitner, “Naturalism and Telesian Philosophy in Doni”

バーゼルのぺルナ書店から1581年に出版された『人間の本性について』だけを世に残したドーニは、ツウィンガーのサークルとも深い関係があるようです。ちょっと短かったですね。博論で18世紀をやり、ドイツの風習としてポスドクで別の時代をやるためにルネサンス研究を始めたばかりだそうで、これからの成長が楽しみです。なんと、大場はるかさんの友人だそうで、世界は小さいねと言いあいました。

 

  18時半にワークショップは終わり、20からホテル近くの中華料理屋でディナーでした。ずっと回転卓の機会がなかったので、個人的には嬉しかったです。なかなか美味しい発見もありましたが、期待した麻婆豆腐は山椒が多すぎて、僕の好みのスタイルではありませんでした。

 

 

2015. 5. 26

  さあ、ベルリンに向けて出発です。まずは新幹線でデュッセルドルフに向かい、ランチに『やばせ』でお寿司をたべます。そのあと15時のフライトです。ベルリンのホテルには17時半には着く予定です。> 移動はスムーズに行って、予想どおりに17時半にホテルに着きチェックインしました。どうも運が悪いことに僕の部屋は WiFi から遠いようでつながりません。ロビーなら OK です。

 

  すぐに近くのカフェに行き、待ち合わせていたアンドレアスにあいました。失礼ながら勝手にいかつい感じを想像していたのですが、実際に会ってみると体躯に似合わず繊細な好青年でした。1時間ばかりライプニッツのことや、現在の研究、彼の将来の話などをしました。1カ月後にナイメーヘンで再会する予定です。

 

 

2015. 5. 25

  考えたら、もう明日がベルリンに出発する日となりました。でも、まだパワポにするかハンド・アウトにするか決めていません。アート・オヴ・コメンタリー(注解のアルス)についてのテクニカルの話のときは、パワポではつらいかなと考えています。30の発表の内容は、以下のような構成になっています。> 夜にはクレアが、プルーフ・リーディングしてくれました。これで、準備完了です。

 

はじめに

テレジオとアヴェロエス

テレジオ 『自然について』 (1565年)

アヴェロエスの 『形而上学』 大注解ラムダ巻

おわりに

 

  昨日ここで説明したアリストテレス読書会は、参加希望者が集まってきました。いまのところ、酒井さん、紺野君、住田君など6名が参加します。第1回は67日(日)20時からを予定します。

 

  やっと、コメニウスについてのパネルの件で、チェコのトマシュから返事が来ました。昨秋にオロムス大学に行ったとき出会ったヤン・シジェクという博論を終えようとしている人をボストンに送り出せるようです。おそらく資金繰りで時間がかかったのでしょう。でも、良かったです。急いでリチャードにメールを書きました。これは、なかなか興味ぶかいパネルになりますよ!

 

 

2015. 5. 24

  ベルリン用の発表原稿がほぼ完成したので気持ちが緩んでいるようで、午後になっても推敲の作業にはもどっていません。アンドレアス(ブランク)とは、現地に到着する火曜日の18時に僕のホテル近くのカフェで待ちあわせします。じかに会うのは、はじめてなので楽しみです。

 

  6月の1カ月間、4回にわけてアリストテレスの『生成消滅論』についての読書会をオンラインでおこないます。興味ある人は連絡ください。おそらくは、日本時間の日曜日の20時くらいからにするつもりではいます。アリストテレスをしっかりと読んでみたかったという人の参加をお待ちしています。

 

 

2015. 5. 23

  熱心なBHファンはもうご存じのように、僕は執筆中にはカンヅメの状態になるので他のことがなにも手につきません。でも、今朝は食料の買い出しに行ったり、溜まった洗濯物をやっつけたりと、気持ちに余裕が出てきたのかもしれません。午後の終わりには、なんとか第1校と呼べるものができあがりました。題して「テレジオにおけるアヴェロエスの使用“Telesio and His Use of Averroes” です。ふう。> 早速のところ、アダム君に読んでもらいました。彼の眼から見ても大きな問題はないようなので、僕としても安心しました。

 

  担当の方からトニーの『テクストの擁護者たち』の校正指示についての疑問点が帰ってきました。45だけだったので安心しました。

 

  アンドレアス(ブランク)の編集する動物論集への寄稿の編集校が、5月初めに帰ってきたのですが、ここまで忙しすぎてチェックすることができませんでした。というか1回スラっと目をとおしたのですが、これまでに見たこともないようなヒドイ編集の腕前にビックリして、そのまま放置しておきました。> 来週にベルリンに行くので会えないかと聞くついでに原稿のことを話したら、問題は僕の寄稿分だけではないようで、アシスタントが滅茶苦茶なことをやったようなので、彼自身がやり直すといっています。了解です。待ちましょう。

 

 

2015. 5. 22

  朝からオフィスにこもって、発表原稿の推敲をつづけています。途中でクニ君が来たので、一緒に科研費プロジェクトのための入力作業をしました。そのあとは14時すぎにオフィスを離れるまで、ずっと作業の継続です。リェージュに帰ってきてからも、20時から1時くらいまで作業しました。

 

  昨日のセミナー前の時間に、ベルリン行の航空券新幹線の切符を買いました。来週の火曜という直前なのですが、それほど高くなっていなくて良かったです。それぞれ 250ユーロに、200ユーロくらいです。自分のメモ用に書いておきます。

          

           526日 (火)

           リェージュ 1015 ― デュッセルドルフ 1200

           デュッセルドルフ 1500 ― ベルリン 1615

 

           528日 (木)

           ベルリン 1250 ― デュッセルドルフ 1400

           デュッセルドルフ 1600 ― リェージュ 1745

 

 

2015. 5. 21

  朝からオフィスで発表原稿の執筆にとり組んでいます。昨日の段階では、本当にベルリンに行けるか定かではなかったのですが、なんとか分量的には30分の発表に足りるところに達しました。まだ混とんとした論述ですが、月曜日まで4日あるので推敲を重ねれば、なんとかなると思えるところまできました。ふう、午後のセミナーの前に、ベルリン行の航空券と空港までの新幹線の切符を入手しました。

 

  セミナーの最終回は、学生のパワー・ポイントをつかった発表会でした。とくに古代ローマの哲学者セネカのテクストを、ニーチェのキリスト教批判の手法をもちいて分析するというなんともオリジナルな視点をもった学生君の発表に感動しました。僕のセミナーから、こんな考えをもった人が出てくるなんて、なんとも素晴らしい!

 

  セミナーの後は、大学の建物が閉まる22近くまでオフィスで粘りました。その後は宿に帰って、ベッドに寝転んで、さらに朝の2時まで推敲をすすめました。だんだんと、論述がスッキリしてきています。

 

 

2015. 5. 20

  オランダに移動します。オフィスについてから夕方までずっと、ベルリンでの発表原稿にとり組んでいました。とりあえず、2009年にこの日記に書いたことを英語化しています。テレジオのコーナーにまとめてあるものです。

 

  僕が言いだしっぺなのですが、T計画のほうは他の皆さまにお任せしまっています。まことに申し訳ないです。21日が書類の締め切りらしいです。

 

 

2015. 5. 19

  来週のベルリンでの発表の準備に戻ろうとしていますが、これは本当に時間との勝負です。今日は、2009年の春の南イタリアでのテレジオ会議での発表と、それを論文化した2010年の作業のなかで、ふつふつと湧いていたアイデアに戻ろうとして、そのころに残した資料メモをチェックして時間が過ぎていきました。しかし、熱かった感じのところには、なかなか戻れません。

 

 

2015. 5. 18

  昨日と同じく10時に起きました。今回の初心者セミナー 『科学革命を読む』は、医学人体・生物についての第5章を読みます。> 今日もなかなか充実したものとなったのではないでしょうか?関連するツイートをまとめました。こちらです。なお、次回は61日(月)20時からです。

 

初心者セミナーがはじまる13時(日本時間で20時)まで、2時間ほど7の校正をおこないました。セミナーが終わって、16時から作業を再開しました。これで残っていた第7章の40の校正を終わらせました。初校ゲラを受けとったのが7日で、その翌日から作業をはじめたので、ちょうど10ほどで500を踏破したことになります。残念ながら、今月はこれ以上の時間を校正にかけられないので、僕の分は担当の方に提出します。

 

 

2015. 5. 17

  昨日よりさらに早く10に目が覚めました。だいぶ、時差ボケもとれてきた感じです。今日は長尺の9を校正したいと思います。12に作業をはじめて、ノン・ストップで19に終えました。全章の漢字の開きのユレをチェックしながらなので、なかなか思うようには進まなかったのですが、これにて大方の作業を終わらせました。残るは740頁です。あと一息です!

 

 

2015. 5. 16

  時差ボケで昼夜の感覚が確かではないのですが、今日は12時前に起きることができたので、65もある長尺の4をアタックしました。13すぎから20ちかくまでかかりました。これは大変でした。しかし、これで残るは120あまりとなりました。もし明日に同じく50頁ある長尺の9を片づけることができれば、あとはとてもになります。> 夜にがんばって、文献表の校正も終わりにしました。これで残りは500のうちの90です。

 

 

2015. 5. 15

  まだまだ時差ボケの状況ですが、今日は6に眠りにつき13に起きました。陽の出ているうちになるべく作業できるように、早目に準備をしたいと思います。昨日は16時からだったので、15時に開始を狙います。> 目標よりすこし遅れて作業を開始し、22時に予定していた68の校正を終わりました。ちょうど分量的には半分まで来ました。残すところ、479文献表です。

 

 

2015. 5. 14

  時差ボケのため、昨日は20にダウンして2に目が覚めました。その後また5から14まで眠ることになり、今日は午後からスタートです(ちょうどアメリカ東海岸のノーマルな時間帯にあたります)。アメリカに向かう直前はなにかの花粉アレルギーでセキばかりしていました。アメリカでもマシになったとはいえ、それなりに苦しんでいました。帰ってきてからは、ずいぶん楽になったのですが、スッキリという状態までは遠い感じです。

 

  昨日から、ボストンのための企画でパラケルススづいています。幾つもメールを書きました。当初は3本の発表で1セッションのつもりでしたが、このままいくと6本で2セッションの半日プログラムになるかもしれません。アメリカドイツの人たちにコンタクト中です。そのせいかどうか、訳者の澤元さんから出たばかりのパラケルススの『ヘルバリウム』が送られてきたと、日本の家族からも連絡がありました。澤元さん、ふかく感謝です!

 

  サンディエゴベルリンにも参加してくれたエリザベスが、おそらくはリバビウスの偽パラケルスス批判についての発表で参加することになりました。やはり返事が早い人間とは一緒に仕事がしやすいです。あとはドイツ勢とビル(ニューマン)の返事を待っています。> おお!ついにビルも参加します。これはスゴイことになってきました!

 

  時差ボケの状態でも、やらなければならないオシゴトはあります。16時から21時まで、『テクストの擁護者たち』の第5章の校正をしました。長尺の第4章をスキップしていますが、全体で500のうちの300まできました。予定としては、金曜日に68、土曜日に7、日曜日と月曜日に49をアタックしたいと思っています。

 

 

2015. 5. 13

  定刻より少しだけ早い8時半に着陸し、すぐに荷物もでてきたので、パラドクス的に940の電車まで40分も待つことになりました。ルーヴァンでの乗り換えは残念ながら上手くいかず、さらに30分ほど待ってリェージュに着いたのは11でした。

 

  早速、コピー屋に行って、『テクストの擁護者たち』のゲラの残りの部分をプリント・アウトしてきました。やはり全体でみると分量があります。これまでのBH叢書の2冊はどちらも約300頁でしたので、その差は歴然としています。

 

  来年3月にボストンで開かれるルネサンス学会には、ディディエデインアマデオ君の三人で偽パラケルススについてのセッションを組むことができそうです。こちらも、楽しそうなものになってきました。このボストンでのセッションを前触れとして、7月にイタリアの風光明媚なヴィラで国際会議を開きます。

 

 

2015. 5. 12

  ランチのあとに電車でニューヨークに戻って、19時のフライトでブリュッセルに向かいます。水曜日の朝9時に到着予定です。> 『さが美』でお寿司を食べてから、15時の電車に乗ってニューヨークに向かいました。空港に着いたのは17時半でした。今回は残念ながらアップグレードはなかったのですが、ゴールドなので専用のデスクでチェックインし、出国審査も長蛇の列を横目に専用レーン(Pre-TSA)を進めました。

 

 

2015. 5. 11

  今回のアメリカ滞在も残り少なくなりました。ここ数日、『テクストの擁護者たち』の校正に集中しています。日記の記述が淡泊ですが、ご容赦ください。今日は第3章の校正ができればと思っています。> 生没年と人名の綴りの再確認を残して、なんとか終わりました。500のうちの150を終わったことになります。

 

  僕のセミナーを受けている学生から連絡があり、セミナーの予定が入っている今週の木曜日は昇天祭で建物が閉まるようです。大学側が入れた日程なのにどうすれば良いのでしょうか?です。> やはり、14-15日と大学は閉まるようなので、セミナーはキャンセルとなりました。

 

 

2015. 5. 10

  ひきつづき、『テクストの擁護者たち』の初校ゲラから第2章を校正しました。表記のユレを逃さないのは、なかなか苦労します。

 

 

2015. 5. 9

  今日は、『テクストの擁護者たち』の第1章を校正しました。細かい作業ですが、焦らずにたんたんと進めるしかありません。

 

 

2015. 5. 8

  到着したばかりの『テクストの擁護者たち』の初校ゲラから、序章解題の部分を読んで校正指示のリストを作成しました。版組されると、それまでは気がつかなかった問題だらけなのではないかという根拠ない心配もあったのですが、スラスラと読めるので大丈夫なようです。

 

  テレジオについての発表原稿の作業は帰ってからすることにしました。

 

 

2015. 5. 7

  昨日は雨が降って肌寒くなったのですが、今日は陽気が戻ってきたので庭先のテーブルに座わって作業しています。18歳のときに一人暮らしを始めてから、ヴェランダや庭に縁のない住環境だったので、庭を満喫しています。

 

  ついに、トニーの 『テクストの擁護者たち』 の初校ゲラが到着しました。いつものBH 叢書の縦組み&傍注のフォーマットで、だいたい500あります。61日までの3週間ほどでチェックしないといけません。4月や6月とくらべて、今月は授業のほかにテレジオ会議の準備があるので忙しいのですが、なんとかガンバリます!

 

  ベルッチのメランヒトン本の邦訳も進んでいる模様です。年内にできあがるかと、ひそかに期待しています。

 

 

2015. 5. 6

  週末から昨日にかけて暑かったのですが、今日は雨が降って涼しくなりました。まわりの緑地にいる野生のリスを見ながら、時を過ごしています。

 

  今月27日にベルリンのマクス・プランク研究所でおこなわれるワークショップ 『テレジオ、ルネサンスの科学と医学“Bernardino Telesio, Science and Medicine in the Renaissance” 仮プログラムがきましたので、アップしておきます。主催者によるタイトルの英語が変なところは、お許しください。僕は「テレジオのアヴェロエスの利用“Telesio and His Use of Averroes” という発表をするために、アヴェロエスのテクストを読み返しています。この発表のアイデア自体は2009年にテレジオを研究したときに見つけたのですが、探究する時間がとれずにいました。アダム君の企画したアヴェロエス会議などは良い機会だったのですが、タイミングが合いませんでした。

 

 

2015. 5. 5

  朝食の後に近所の公園を散歩し、そのあとはロヨラ大学の迎賓館のようなところを見学しました。そのあとにリチャード宅を後にして、ジョンズ・ホプキンス大学に向かいました。そこでテオロド(カティニス)とジャスティン、ラリーと会ってお茶をしました。2時間のドライヴで、夕食時にはフィラデルフィアに帰ってきました。

 

 

2015. 5. 4

  暴動が起きたばかりのボルティモアに車で移動します。目的地のロヨラ大学にすぐ横に住んでいるルネサンス学者 Richard Blum 氏の家には14時すぎに到着しました。キャンパスを案内してもらい、その後はちょっとしたタウン・ミーティングに顔を出したあとに、夕飯を食べにいきました。

 

  来年のルネサンス学会のためにコメニウスについてのパネルを企画しているのですが、リチャードが手助けしてくれることになりました。チェコ側はすでにトマスに聞いていますが、ペンシルヴァニアにあるモラヴィア・カレッジにいるコメニウス研究所にコンタクトしてくれました。

 

 

2015. 5. 3

  今日は休日でバーベキューをします。

 

  1963年にリチャード・ポプキンがデカルト学者のポール・ディボンと一緒に立ち上げた叢書 『国際観念史アーカイヴInternational Archives of the History of Ideas についても調べています。現在の叢書の理念方針を示す口上はすぐに見つかるのですが、発刊当初のものを見てみたいと思っています。

 

 

2015. 5. 2

  6時半に起きて7時半にホテルを後にし、空港へ向かいました。チェックインで、またビジネス・クラスにアップデートされたことを伝えられました。これは嬉しいお知らせです。定刻より30分遅れで、11時過ぎにライク・オフ。食事の後は爆睡し、目が覚めたときはニューヨーク直前でした。やっぱりビジネスは楽でね。

 

  アンドレアスの動物論集に寄稿した論考について連絡がありました。ページ・プルーフと呼ぶので、版組済みのものかと思いきや、たんなるワードのファイルです。アンドレアスは良く分かってないですね。

 

 

2015. 5. 1

  今日は早めに切り上げてリェージュに戻り、旅行用のカバンにとりかえてブリュッセルの宿に向かいます。明日はアメリカに向けてフライトです。今回は12日までの滞在です。いま暴動が起きているボルティモアへ行きます。とても微妙なタイミングなので、ちょっとコワイですね。

 

  メルマガをドロップしてから見つけたこぼれ話です。1940年に発刊されたラヴジョイの『観念史ジャーナル』の最初の10年間で、インテレクチュアル・ヒストリーという用語を採用している記事はほとんどありません。そんな状況で、ちょっと不思議なのはカッシーラーによるクリステーラーの『フィチーノの哲学』の書評です。「インテレクチュアル・ヒストリーにおけるフィチーノの位置“Ficino’s Place in Intellectual History,” JHI 6 (1945), 483-501 というタイトルのものですが、議論ではインテレクチュアル・ヒストリーという言葉はまったく使われず、クリステーラーが好んで使っているけれど、英語としては不器用な「思想の歴史」 history of thought が採用されています。つまり、この書評のタイトルは意識的にインテレクチュアル・ヒストリーを強調しているのはなく、たんにネイティヴに直されたのではないか?と疑ってしまいます。

 

 

 

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