想像力
想像力 (イマジナチオ imaginatio、ファンタジア phantasia) の作用は自然界における不可思議な現象を説明するために用いられることが、しばしばあります。怪物を生む妊婦の想像力は有名ですし、想像力と予言が結びつけられて語られることも良くあります。このコーナーでは、想像力の概念史を描き出すために必要なマテリアルを収集したいと思います。
【後記】17世紀初頭の発生論における想像力の作用と原因についての僕の論文も、2017年に出版されました。邦訳のキンドル版も用意しました。
一般
Marta Fattori and Massimo L. Bianchi (eds.), Phantasia-imaginatio (Rome: Ateneo,
1988).
Historisches
Wörterbuch der Philosophie, 7 (1989), cols. 516-535.
Murry
Wright Bundy, The Theory of Imagination
in Classical and Medieval Thought (The University of Illinois, 1927).
John
Martin Cocking, Imagination: A Study in
the History of Ideas (London: Routledge, 1991).
Concetta Pennuto, Simpatia,
fantasia e contagio: il pensiero medico e il pensiero filosofico di Girolamo
Fracastoro (Rome: Storia e Literatura, 2008).
古代
Murry
Wright Bundy, The Theory of Imagination
in Classical and Medieval Thought (The University of Illinois, 1927).
中世
Murry
Wright Bundy, The Theory of Imagination
in Classical and Medieval Thought (The University of Illinois, 1927).
Paola Zambelli, “L’immaginazione e il suo potere: da
al-Kindî, al-Fârâbî, e Avicenna al Medioevo latino e al Rinascimento,” in Orientalische Kultur und europäisches
Mittelalter, ed. Albert Zimmermann (Berlin: de Gruyter, 1985), 188-206,
repr. in Paola Zambelli, L’ambigua natura
della magia (Venice: Marsilio, 1996), 53-75.
Paola Zambelli, “Imagination and Its Power: Desire and
Transitice or Psychosomatic Imagination,” in Astrology and Magic from the Medieval Latin and Islamic World to
Renaissance Europe (Aldershot: Ashgate, 2012), 1-25.
ひとつ前のアイテムの英訳
ルネサンス
John O’Brian, “Reasoning with the Senses: The Humanist
Imagination,” South Central Review 10
(1993), 3-19.
Concetta Pennuto, Simpatia,
fantasia e contagio: il pensiero medico e il pensiero filosofico di Girolamo
Fracastoro (Rome: Storia e Literatura, 2008).
フィチーノとブルーノ
Robert Klein, “L’imagination comme vêtement de l’âme chez
Marsile Ficin et Giordano Bruno,” Revue
de métaphysique et de morale 61 (1956), 18-39, repr. in idem, La forme et l’intelligible (Paris:
Gallimard, 1970), 65-88.
Teodoro Katinis, “Affectus
Phantasiae e destino dell’anima in Marsilio Ficino,” Quaderni di estetica e critica 3 (1998), 71-90.
Nicoletta Tirinnanzi, Umbra
naturae: l’immaginazione da Ficino a Bruno (Rome: Storia e Literatura,
2000).
パラケルスス
Massimo L. Bianchi, “Paracelso e l’immaginazione,” Lexicon philosophicum 10 (1999), 19-34.
モンテーニュ
I. D. McFarlane, “Montaigne and the Concept of the
Imagination,” in The French Renaissance
and Its Heritage, ed. D. R. Haggis (London: Methuen, 1968), 117-137.
ファン・ヘルモント
Guido Giglioni, “La teoria dell’immaginazione nell’‘idealismo’
biologico di Johannes Baptista Van Helmont,” La Cultura 29 (1991), 110-145.
Guido Giglioni, Immaginazione
e malattia: saggio su Jan Baptiste Van Helmont (Milan: FrancoAngeli, 2000).
17世紀
Massimo Angelini, “Il potere plastico dell’immaginazione
nelle gestanti tra XVI e XVIII secolo: la fortuna di un’idea,” Intersezioni 14 (1994), 53-69.
「16-18世紀における妊婦の想像の形成力」
Massimo Angelini, “Voglie materne e teratogenesi: la
storia di un’idea,” in La cura delle
malattie, ed. A. Guerci (Genova, 1998), 114-124.
「妊婦の想像と怪物の誕生」 これは1994年のものと内容的にほぼ一緒です。
Claudia Pancino, Voglie
materne: storia di una credenza (Bologna, 1996).
Claudia Pancino, “La croyance aux envies maternelles entre
culture savante et culture populaire,” Ethologie
française 27 (1997), 154-162.
Hiro Hirai, “Imagination, Maternal Desire and Embryology in Thomas Fienus,”
in Professors, Physicians and Practices
in the History of Medicine, ed. Guideon Manning
& Cynthia Klestinec (Dordrecht: Springer, 2017), 211-225.
論文
「トマス・フィエヌスにおける想像力、母親の欲望、そして発生学」
論集
『医学史における教授、医師、実践』 (スプリンガー書店、2017年)所収。 PDF > 邦訳のキンドル版
BHの日記の記述から
2010. 5. 14 金
ずっと先延ばしにしているコンチェッタの著作『共感、ファンタジー、そして感染:フラカルストロの医学思想と哲学思想』 Concetta Pennuto, Simpatia, fantasia e contagio: il pensiero medico e il pensiero filosofico di Girolamo Fracastoro (Rome: Storia e Letteratura, 2008) の書評を ESM 誌に書かないといけないのですが、フィチーノのソースを究極的にはアヴィセンナの『医学典範』にでも確定できるようなら、ここのところ数日間に調べたことを土台にしてアンドレアス論文の批判と絡めてエッセー・レヴュか何かに発展させることができるかもしれないなと考えています。
妊婦の想像力が胎児に影響を与えるという話は、基本的には想像力の驚異的な作用の例として出されます。想像力は霊魂のひとつの力能で、身体に影響を与えるとされるのですが、ときとして想像力を働かせる作用者の身体だけではなく、周りにある他の物体にも影響を与えるという文脈で、母親と胎児という例が用いられる訳です。つまり、あの有名なニュートンとクラークの論争の発端であり、17世紀の機械論哲学においてスコラ学の間違いの一つとされて、さかんに批判されることになる遠隔作用 action at a distance の理論の問題なわけです。>
ということで、遠隔作用の問題を扱った基本文献を把握しないといけないようです。HWP (Historisches Wörterbuch der Philosophie) に、そういう項目は挙がっているのでしょうかね?
最初に思いついた文献は、「フラカストロの『感染について』と遠隔作用についての中世の議論」 Isabelle Pantin, “Fracastoro’s De contagione and Medieval Reflection on ‘Action at a
Distance’: Old and New Trends in Renaissance Discourse on Contagion,” in Claire
L. Carlin (éd.), Imaging Contagion in Early Modern Europe (New York: Palgrave, 2005), 3-15 という論文です。> 読み返してみましたが、遠隔作用そのものを扱った文献についての情報は出ていませんでした。> むかしアダム君が触れていたと思いますが、「2つの魚の話:古代から科学革命期までの自然誌における魔術的な事物」
Brian P. Copenhaver, “A Tale of Two Fishes: Magical Objects in
Natural History from Antiquity through Scientific Revolution,” Journal of the History of Ideas 52
(1991), 373-398 という論文は、タイトルにこそ謳いあげていませんが、遠隔作用のことをメインに扱ったもののようです。
どうも、遠隔作用だけに絞った文献は少ないようで、むしろオカルト質に関するもののなかで議論されることが多いようです。
2010. 5. 13 木
妊婦の想像力が胎児に与える驚異的な影響についての話ですが、画期的な一本を読みました。「感覚を合理化する:人文主義者にとっての想像力」 John O’Brian, “Reasoning with the Senses: The Humanist Imagination,” South Central Review 10 (1993), 3-19 という短くて俯瞰的な論文ですが、大事な部分をがっちりとまとめてくれています。最初にアリストテレスの『霊魂論』の 3.3 における議論を見たあとに、ルネサンス期の受容を議論します。そのあとに、別の潮流としてプラトン主義にふれて、フィチーノの分析に入ります。そこで明らかにされていますが、妊婦の想像力の話は『プラトン神学』で理論を支える証拠として大いにフィーチャされているようです。そして、フィチーノの理論を取りいれて、より大きく広めたのがポンポナッツィの『魔術論』です。したがって、ルネサンスの学者における議論は、この二人の著作から広まったようです。フィチーノが妊婦の話をどこから取り入れたかについてはまだ疑問が残りますが、それでもパラケルススはおそらくは彼からアイデアを得たと考えることはできるでしょうし、16世紀後半以降の理論の流行はポンポナツィの『魔術論』によって推し進められたと考えられます。
2010. 5. 12 水
もうひとつ、発生における想像力の話題に関連して、ヨシ君にコピーをとってもらった論文「16-18世紀における妊婦の想像の形成力」 Massimo Angelini, “Il potere plastico dell’immaginazione nelle gestanti tra XVI e XVIII secolo : la fortuna di un’idea,” Intersezioni
14 (1994), 53-69 を読みました。著者によれば、この理論は16世紀後半にかたちになり、18世紀くらいまで盛んに議論されるとあります。いろいろよく調べてある論文です。しかし、どうでしょう、まだまだ何か足りない気がします。例えば、パラケルスス (16世紀前半)の発生論でも想像の話が出来てきますし、そのことについてのイタリア語の論文さえあります。やはり、パラケルスス以前にある程度のかたちで理論が普及していたと考えるべきではないでしょうか?個人的には、ここのところ読んだ中世ものの文献からみて、アヴィセンナの『医学典範』やアーバノのピエトロの議論などに起源を持つのではないだろうか?と考えてしまいます。この問題の研究のためのプラットフォームを建設しましょう。
例のアンドレアス (ブランク)の論文の注2は、コンチェッタの著作の373頁にある情報を、そのまま載せただけだと分かりました。アンドレアスにしては稀なことに伊語と仏語の文献を参考にしているので変だなと思っていました。これは、何の努力もしていない知的な怠慢です。おそらくは読んでいない
(悪くすれば入手すらしていない) のに、そっくり書誌データを写し書きしただけでしょう。いまをときめくやり手といわれる人の手のうちなんて、そんなものじゃないでしょうかね? Anatomizing a Quick ですな。
2010. 5. 8 土
朝から昨日挙げたザンベリの論文を読みました。予言との関係に重点がおかれているので、母親の想像力が胎児の形成に影響を与える話は直接には出てきませんが、その土台となる想像の概念がアラビア語圏の哲学者のあいだでどのように形成され、それがどのように西欧中世に受け入れられたのかが記述されています。非常に良い論文です。この論考の邦訳を『ミクロコスモス』に入れたいので伊語の得意な人、ぜひともお声をかけてください。
今日はまさに、ザンベリ感謝デーという感じで、午後は「ポンポナツィの『霊魂の不滅性について』と彼の地下出版物『魔術について』:アリストテレス主義、折衷主義、自由思想?」
Paola Zambelli, “Pietro Pomponazzi’s De
immortalitate and His Clandestine De
incantationibus: Aristotelianism, Eclecticism or Libertinism?,” Bochner Philosophisches Jahrbuch für Antike
und Mittelalter 6 (2001), 87-115 を読みました。強烈なシュミット&コーペンハーヴァへの批判で貫かれていて、これまでのルネサンス期アリストテレス主義研究の批判的な分析をとおして、16世紀の知的地図におけるポンポナッツィの位置づけの見直しを要求しています。
2010. 5. 7 金
昨日のアンドレアスの論文についての話に付け加えると、中世のスコラ学では質料的知性
intellectus materialis という表現さえ存在します。もともとは、可能・受動知性 intellectus passivus を指しているのですが、可能的あるいは受動的であるということは、能動的である形相に対しては、質料の働きにも類似したものであるという点から、この表現が使われるに至ったわけです。マテリアルといいながらも、決して唯物論的な意味でのマテリアルではないわけです。つまり、霊魂よりも高次にある知性 (霊魂と知性は同一のものではありません) に対してさえマテリアルという語は使われることがあったわけです。
また、アンドレアスは発生における親の想像力の影響について、それがアリストテレスのアイデアだといっていますが、それも定かでない気がします。想像の理論について、いつか参考文献をまとめておきたいとは思っていたので、これはよい機会です。専用の頁を作りましょう。これまで見過ごしていて、今日になって気がついたアイテムがあるので挙げておきます。「想像とその力:アルキンディ、アルファラービ、アヴィセンナからラテン中世とルネサンス」
Paola Zambelli, “L’immaginazione e il suo potere: da al-Kindî, al-Fârâbî, e
Avicenna al Medioevo latino e al Rinascimento,” in Albert Zimmermann (ed.), Orientalische Kultur und europäisches
Mittelalter (Berlin: de Gruyter, 1985), 188-206, repr. in Paola Zambelli, L’ambigua natura della magia (Venezia:
Marsilio, 1996), 53-75 です。
2010. 5. 6 木
今日はアンドレアス (ブランク)の新作「末期アリストテレス主義の発生学における物質的霊魂と想像」 Andreas
Blank, “Material Souls and Imagination in Late Aristotelian Embryology,” Annals of Science, 67 (2010), pp. 1-18 を読みました。アンドレアスというのは基本的に、ジャスティン (スミス) と対話を続けているような気がします。いつもながらの何かがズレているミスコンセプションの上に成り立っている論考
(ルネサンスの発生論のことについては良く知らない人間がレフリーだったのだと思います。おそらく、ジャスティンとデニス (デシェーヌ)
だったのではないか?と想像しています) ですが、それでも得ることもありました。
アンドレアスの主要な論点を簡単にまとめると、ガッサンディがいうような植物や動物に宿る霊魂は物質的であるというアイデアは末期アリストテレス主義の発生論に既にあったものである、という点だと思いますが、どうなのでしょうか?一般的にいって、植物や動物の霊魂は不滅性をもつ人間霊魂と違って身体が消滅するときに一緒になくなることから、ある意味で物体的 corporalis であることは、16世紀の多くの著作家が認めていることです。アリストテレス主義の伝統でいえば、霊魂は高次の形相ですから、物体的な形相というのは認められるわけです。この物体的
(あるいは身体的) という用語の意味するところは、形相そのものが物体あるいは身体を指すのではなく、物体に関わりあいのあるというくらいの意味です。また、ヒポクラテスやガレノスに依拠して、神から与えられる永遠不滅の人間知性をのぞいた一般的な霊魂を身体の生まれながらにもつ熱や4体液の混合の具合 (クラシス)
とみなすことは、中世からの医学の定石でした。この文脈でも、霊魂は物体・身体的なものであると考えられたわけです
(しかし、霊魂をマテリアルな元素の塊そのものと同一視したわけではありません)。アンドレアスは、リチェティの発生論を分析する際に、リチェティが種子の中身は精気状のものであり霊魂を宿しているということから、霊魂=精気であり、物質的 materialis と断言します。しかし、この点は微妙な気がします。まず、物体と物質は同義語ではありませんし、ここで言われる精気というのは霊魂そのものではなく、霊魂を運搬するものであると考えるべきだからです。またアンドレアスがマテリアル・ソウルと言及するとき彼の念頭にあるのは唯物論的な意味でのマテリアルです。この微妙なニュアンスを超越して、霊魂はマテリアルであると結論するのはクイック過ぎる気がします。