ごくごく個人的な「本」日記
2025年05月
2025. 5. 31 土
9時発の電車で大宮に早めに向かい、11時の新幹線で八戸に。同乗のスズさんが乗り過ごして新青森に行ってしまうというハプニングがありましたが、僕はアマンさんと合流してトークイベントの会場である八戸ブックセンターへ。すぐに機材の準備をはじめると、人々が集まってきました。来場者が入りきらないかと心配したのですが、16名と小会場にはちょうどいい人数でした。
打ちあげはお気に入りの無国籍料理ボンさんへ。錬金術を海外協力機構の仕事と勘違いしている方がいて、面白かったです。そのあとは名物店プリンスへ。21時には切りあげて宿舎にもどりました。
2025. 5. 30 金
国際セミナー「クインテッセンス」でのオヴァーネスの発表は、 ピコの占星術論駁にたいするポリツィアーノの影響を示唆するもので、なかなか素晴らしいものでした。明日は早くから青森に向かうので、早めに散会としていただきました。
2025. 5. 29 木
15時からの執行部ミーティングのあと、鈍器づくりの相談をロンドンとおこないました。快諾いただいたので、海より深く感謝です。ただし追加の一件をクリアしないといけません。
去年末からここまでの流れをふり返る原稿を次号のメルマガとして準備しました。これは熱いです。配信は6月2日となります。
2025. 5. 28 水
今日は東京ジャーミイの理事・西田さんにジャーミイを案内していただきました。なんとも美しい場所でした。イベントに使えるようなので、半年後にでもできれば良いかと思います。
そろそろ次号のメルマガを準備しないといけません。今回は、鈍器づくりの様子についてリポートしようかと思います。
2025. 5. 27 火
今日もスローな動きでいきます。週末の八戸でのトークショーのためのパワポをつくりました。これでバッチリです。
2025. 5. 26 月
今日はスローな動きでいきます。
2025. 5. 25 日
茨木の会場に到着して、ランチを約束していた初期近代の研究者たちと合流し、鈍器づくりについて説明しました。そのまま京都までとってかえし、新幹線で帰路に。
2025. 5. 24 土
新幹線で京都に向かいました。バスで宿舎に到着してチェックイン、そのまま別のバスで会場に向かいます。あいにくの大雨でとても足元が悪いなか、たくさんの方々におこしいただきました。ありがとうございました。
2025. 5. 23 金
明日のトークショーのためのコンテンツを調整しています。
2025. 5. 22 木
朝9時から臨時の事務局ミーティングをおこないました。
2025. 5. 21 水
鈍器づくりのために13時に面談をし、14時から勁草書房の担当者さんと打合わせをしました。
2025. 5. 20 火
鈍器づくりのために15時半から面談をひとつ、22時からもうひとつの面談をおこないました。
2025. 5. 19 月
久しぶりに良質な睡眠だったようで助かりました。鹿児島での西洋史学会をうけて、いろいろ話が進んだようで、午前から鈍器づくりについてチャットしました。これで第2陣も大きく前進です。17時からは面談があります。
ラビリンス計画のためにチェックしたアマデオ君の原稿を返しました。2週間くらいで改稿してもらいます。
2025. 5. 18 日
鈍器づくりのために、10時から面談があります。
2025. 5. 17 土
午前10時に鈍器づくりのための面談をおこない、13時からロケット・カフェさんへ。あいにくの大雨で足元が非常に悪かったのですが、鈍器づくりのために生産的かつ楽しい時間を過ごすことができました。ありがとうございます。これから会合はいつもロケット・カフェさんを利用させていただきます。
火曜日に帰ってきてから時差ボケのなか、ここまでオシゴトの連続でしたから、さすがに疲れました。
2025. 5. 16 金
医学史家・鈴木アキヒトさんの研究室とのジョイント・セミナーは、秘蔵っ子 Sun
Jing さんの素晴らしい発表のおかげで、非常にゆたかなものとなりました。至福のときを過ごすことができました。
2025. 5. 15 木
とにかく鈍器づくりのことばかり考えています。各方面にメールをおくり、Zoom での面談をくり返しています。
2025. 5. 14 水
ポルトガルにいる友人が木曜日まで日本にいるということで、時差ボケでツラいのですが、ランチを一緒に食べるために新橋までいきました。六本木にあるアメリカ大使館のゲストハウスから新橋までなら、ひとりでも出てこれるかと想像したからです。もうちょっと気が利いたところに食事にいけば良かったなと、あとから後悔しました。ちょっとSNS的に盛っているところでした。
カズ君と Zoom で鈍器づくりのための面談をおこないました。手持ちは残りあと4セットで、明日に2セット、土曜日に1セットほど片づける予定です。しかし最後のひとつの日程をどうすれば良いのか見当がつきません。
2025. 5. 13 火
定刻より遅れて、朝5時半に羽田に到着しました。最初はモノレールも山手線も空いていたのですが、7時をすぎたくらいから、たくさんの人が乗ってきました。池袋も混んでいましたが、東上線はカワゴエまで空いていました。10年後といわず、一刻もはやく、空港から池袋までダイレクトでいける路線を開通して欲しいところです。
午後フライトで羽田につくパターンと、今回の深夜フライトを比べると、じつは時差ボケについては、ほとんど変わりないことが分かりました。18時に眠くなって、朝3時に目が覚めます。
2025. 5. 12 月
午前1時半発のフライトで、羽田には火曜日の朝5時に到着する予定です。最初の5時間くらい眠れましたので、13時間の残り8時間となりました。ひとつ映画をみて、さらにウトウトしつつ。
2025. 5. 11 日
空港にいくまえに夕食をと、お気に入りのペルー料理店にいったら、母の日の特別メニューしかないといわれ、仕方なくコロンビア料理の店を試しました。次点は次点という感じでしょうか。
22時前に空港についたら、まだチェックイン用のカウンターも開いていませんでした。1時間ほど時間をつぶしてから、オンラインでチェックインしていたので、荷物を預けるのは並ばずに済みました。
2025. 5. 10 土
もともとは予定していなかったのですが、担当者がいまでも良いというので、鈍器づくりの打ちあわせをおこないました。お願いしてある11組のたたき台のうち、残り2組の到着を待ち、話しあいは6個が済みました。来週は、すでに3個の打ちあわせが入ってます。
2025. 5. 9 金
鈍器づくりのために打ちあわせを2件ほど、どちらもスムーズにいきました。
2025. 5. 8 木
今日も、鈍器づくりのためにタタキ台について議論しました。構想そのものではなく、専門用語に難しさがあるという点が山場でした。そのつぎの段階もすっとクリアできたようで、嬉しいかぎりです。
2025. 5. 7 水
鈍器づくりのために、平岡君、桑木野君、中西・稲垣組、玉田さんがたたき台を出してくれました。ここまでで都合7組の提出となり、さらにあと4組がくる予定です。なかでも東アジアとの関係についての平岡君のたたき台は、考え抜かれたもので感銘をうけました。すごいです!
2025. 5. 6 火
アマデオ君が出してくれた鈍器づくりのたたき台について、21時から検討会をしました。良いところに落ち着いたかと思います。そのあとにルー君が提出してくれました。
2025. 5. 5 月
今日はスローな動きです。
2025. 5. 4 日
今日はスローな動きでいきたいと思います。それでも鈍器づくりについて、メールをふたつほど。
実体全体の概念について、加筆した段落をチェックしてもらって編者に送りかえしました。ほかの寄稿者たちは、すでに版組に入っているようです。ちなみに僕の寄稿は今回のゼンネルト特集号(2025年の第2・3分冊)では、後方になるだろうと思っていましたが、ファイル名から判断すると、冒頭から2本目となる感じです。そのあとにキミアがくるということでしょうか?たしかにゴータの国際会議でも、3番目の発表順だったと記憶しています。
2025. 5. 3 土
昨日につづいて鈍器づくりのヒヤリングをおこないました。だいぶ明確になってきました。ありがとうございます。
2025. 5. 2 金
鈍器づくりの打ちあせを再開しました。まずは最初によせられた20項目のたたき台について、ほかの専門家の意見を聞こうと思います。>
とても良いヒヤリングで、勉強になりました。素晴らしい若手です。
2025. 5. 1 木
数日のあいだ待っていた返事がやっときたので、これでスクール・オヴ・エクセレンスも前進できます。まずは良い和訳を考えないといけません。そして航空券の購入法とプログラムの説明を書きます。
昨日のつづきは、なんとか終りました。クリアしないといけない問題が幾つもあります。