魔術史の研究プラットフォーム
魔術の歴史についての文献は膨大な量にのぼりますが、19世紀末・20世紀初頭の心霊主義の影響下に書かれた文献とは、まったく隔絶したピュアに学術的な観点から近代以前の魔術の諸伝統について考えるコーナーとしたいと考えています。錬金術や占星術のように、軸となる技術や考えが伝統的に存在する領域と比較すると、魔術はその定義でさえ難しいものとなります。ひと口に魔術といっても、呪詛のような呪文から護符や人形、他者に作用をおよぼす技、薬物、癒しなどから、天界の影響をもとにした星辰魔術まで多様な形態が存在します。そうした知識や実践をすべて包含するものを対象とするのは不可能だと思います。なかなか一筋縄にはいかない問題でしょうが、ゆっくりと信頼できる基本文献から探っていきます。> ひとつには、神々の世界と人間の世界を結びつける「ダイモン」が介在する前提で展開した魔術的な伝統に絞ってみると、星辰魔術との関係なども扱いやすくなるかも知れません。
基本文献
古代
・古代ギリシア・ローマ
『古代世界における魔術』Fritz Graf, Magic in the Ancient World (Cambridge MA: Harvard University Press, 1997).
・ユダヤ教世界
『古代ユダヤ魔術』Gideon Bohak, Ancient
Jewish Magic (Cambridge: Cambridge
University Press, 2008).
非常に明晰な記述です。オススメです。
『カバラ興隆以前のユダヤ魔術』Yubal Harari, Jewish Magic before the Rise of Kabbalah
(Detroit: Wayne State University Press, 2017).
言語論的なアプローチなども交えたもの。
・キリスト教世界
少々おまちください・・・
中世
・イスラム世界
『初期近代ヨーロッパの秘教哲学へのアラビアの影響』Liana Saif, Arabic Influences on Early Modern Occult Philosophy (New York: Palgrave, 2015).
イスラム伝統がヨーロッパに与えた影響をあつかっています。
『中世イスラム世界における魔術』Jean-Charles
Coulon, La magie en terre d’islam au Moyen Ages (Paris:
CTHS, 2017).
こちらはイスラム世界での伝統をあつかう通史となっています。
・ヨーロッパ
『科学と妖術のはざまで:西欧中世における占星術、占術、魔術』Jean-Patrice Boudet, Entre Science
et nigromance: astrologie,
divination et magie dans l’Occident
médiévale
(Paris: Sorbonne, 2006).
中世ヨーロッパにおける魔術の多様性と人物・著作を総攬できる大冊です。
『魔術的な中世:13・14世紀の宗教と科学のはざまにある魔術』Graziella
Federici Vescovini, Medioevo magico: la
magia tra religione e scienza nei secoli XIII e XIV (Torino: Utet, 2008).
アーバノのピエトロについての研究で知られる権威による素晴らしい大冊です。
『ラウトレッジ版中世魔術史』Sophie Page &
Catherine Rider (eds.), The Routledge
History of Medieval Magic (London: Routledge, 2019).
これは決定版的な大冊です。
ルネサンス
『ルネサンス期ヨーロッパにおける白魔術と黒魔術』Paola Zambelli, White
Magic, Black Magic in the European Renaissance (Leiden: Brill, 2007).
大御所による力作です。
『自然の連鎖:ルネサンスにおける魔術と魔女』Germana Ernst & Giddo Giglioni (eds.), I
vincoli della natura: magia
e stregoneria nel Rinascimento
(Roma: Carroti, 2012).
教科書的な論集です。
日記から抜粋
2023. 4. 30 日
ここのところ古代の魔術についての基本文献をひも解きながら、魔術の定義について考えています。伝統の軸となる技術が存在する占星術や錬金術と比べると、この問題は難しいですね。近年の占星術や錬金術の研究ではほとんど見かけなくなった「民俗学的」なアプローチへの言及が健在な点からも、これらの諸潮流を一緒にすべきではないという気を強くさせます。まだまだ五里霧中ですが、歴史学の見地からみた基本文献をみつけていくことで、少しづつ視界が開けてきています。関連する記述をあつめる魔術史のコーナーを開設しました。
2023. 4. 29 土
カバラが誕生する以前のユダヤ教と魔術については研究の蓄積があり、多くの文献があるようです。最近のものでは、『古代ユダヤ魔術』 Gideon Bohak, Ancient
Jewish Magic (Cambridge UP, 2008) が、なかなか良くまとまっていると思います。
2023. 4. 27 木
昨日の論文につづいて、『古代世界における魔術』
Fritz Graf, Magic in the Ancient
World (Harvard UP, 1997) を読んでいます。古代ギリシア・ローマにおける魔術をあつかう本です。まずは定義や歴史をあつかう第1章から学んでいます。おおむね古代ギリシア人たちは、魔術がペルシアの神官たちの宗教行為だと認識していたようです。
魔術の歴史についての邦語の書物は、19世紀末の心霊主義の影響下に書かれたものが多く、そうした書物はすぐにヘルメス主義やオカルト主義といったファンタジーを出してくるので、歴史学としては不確かなものばかりです。そういった意味でも、この研究書は信用がおけます。
2023. 4. 26 水
リハビリを兼ねて、ギリシア教父がキリスト教の初期に異教の魔術やダイモンの概念をどうみたのかという問題をあつかう論文「堕天使の悪戯と神性のダイモン的な模倣:殉教者ユスティノスの著作における病因、デモノロジー、論争」 Annette
Yoshiko Reed, “The Trickery of Fallen Angels and Demonic Memesis of the Divine:
Aetiology, Demonology and Polemics in the Writings of Justin Martyr,” Journal of Early Christian Studies 12
(2004), 141-171 を読みました。
タイトルがジャラジャラとしているので、もっとストレートな方が良かったとは思いますが、いろいろ学びました。異教を反駁するために、教父ユスティノスは堕天使の考えをユダヤ教のエノク書の伝統から借用します。そのなかで、彼が最初に魔術とそれに関連するダイモンの概念をもちいたことが良く分かりました。
古代ギリシア・ローマ世界では、ダイモンは神々と人間をつなぐもので、かならずしも悪い存在ではありません。しかしユスティノスによる再解釈のなかで、ダイモンは「堕天使と人間の交配によって生まれた悪しき者」という認識になり、それがキリスト教の伝統で継承されることになるようです。そして魔術とは、人間を堕落させるためにダイモンが教えたものということになります。つまりキリスト教の伝統では、黒魔術だけではなく星辰魔術をふくめた魔術は悪いものだという認識が最初から存在したようです。
2023. 4. 3 月
6月にフランスのストラスブールで開催されるパラケルススについての国際会議では、パラケルススにおける自然(nature)と超自然(supernature)がテーマとなります。これに関連して、自然と超自然のあいだにある状態は、preternature としばしば表現されます。病気をふくめた自然界の異常な状態を指します。この概念(定訳はちょっと違和感もあるのですが、反自然でしょうか?)について質問されたついでに、基本的な論文を探してみました。
「なにが科学的な対照といえるのか?畸形と流星についての考察」
Lorraine
Daston, “What Can Be a Scientific Object? Reflections on Monsters and Meteors,”
Bulletin of the American Academy of Arts
and Sciences 52-2 (1998), 35-50.
「ルネサンス哲学と医学における自然と反自然」
Ian Maclean,
“Natural and Preternatual in Renaissance Philosophy and Medicine,” Studies in History and Philosophy of Science
31 (2000), 331-342.
2023. 3. 29 水
『エンペドクレス・アラブス:新プラトン主義的な解釈』
Daniel De Smet, Empedocles arabus:
une lecture néoplatonicienne (Brussels: Royal Aademy of Belgium, 1998) を読んで、初期イスラム圏の新プラトン主義についての研究もそれなりに進んでいると感じました。しかし純潔同胞団の正しい年代が認識されていないことから、見落とされている点も多いと実感します。
2023. 3. 28 火
昨日から読みはじめた論文「ルネサンス・オカルト主義の断片化と魔術の衰退」を読了しました。オカルトの概念をしっかりと定義しないでルーズに議論をすすめ、そこに無批判に占星術や錬金術などを詰めこんでいて、ヴィクトリア心霊主義からつづく旧来の視点に違いはないと思います。『ヘルメス文書』を過大視するところも、イエイツが好きなことを隠せておらず、とても興味ぶかい点です。
2023. 3. 27 月
今日は、長尺の論文「ルネサンス・オカルト主義の断片化と魔術の衰退」
John Henry, “The Fragmentation of Renaissance Occultism and the Decline of
Magic,” History of Science 46 (2008),
1-48 を読みはじめました。いろいろ気がつくことはありますが、まずは読みとおしたいと思います。