アヴェロエス会議
アヴェロエスの自然哲学に焦点をあてた野心的な会議です。
『アヴェロエスの自然哲学とヨーロッパでの受容』
Averroes’ Natural
Philosophy and Its European Reception
ナイメーヘン、2011年6月17-18日
プログラム
17日 金
Session 1
09.30-10.30 Dag N. Hasse (Würzburg): “The Reception
of Averroes’ Critique of Ptolemy in Latin Commentaries on Aristotle’s Metaphysics.”
11.00-11.45 Jean-Baptiste
Brenet (Paris): “L’intellect
acquis: Averroès lecteur d’Alexandre d’Aphrodise.”
11.45-12.30 Hiro Hirai (
Session 2
14.00-14.45 Cristina Cerami
(
14.45-15.30 Cecilia Trifogli
(
16.00-16.45 David Wirmer
(Köln): “Generatio et corruptio sunt termini alterationis:
Averroes and the Origins of a Medieval Topos.”
18日 土
Session 3
09.30-10.15 Adam Takahashi (
10.45-11.30 Silvia Donati
(
11.30-12.15 Edith D. Sylla
(
Session 4
13.30-14.30 Craig Martin (
15.00-15.45 Jozef Matula (
15.45-16.30 Global Discussion
会議までの道のり
2011. 6. 8 水
今日も昨日からの流れで、論文「アヴェロエスにおける形成力:ガレノス、アヴィセンナ、アヴェンパチェ」の推敲の作業をたんたんと続け、ついに目標の5枚半に収まりました。あと1日もう少し議論のラフなところを煮詰めれば良いかなと思います。しかし、今回は準備に時間がかけられなかったので、なかなか乗り気にならなかったのですが、最後にはアヴェロエスによる3大一神教 (ユダヤ教、キリスト教、イスラム教) の批判で幕を閉じるという自分でもあっと驚く展開になり、個人的には悪くないなと思っています。> たんなる妄想かもしれませんが、じつは今回の会議でベストのものかもしれないと考えるようになりました。これならアダム君も泣いて喜んでくれるかもしれないといったら、言いすぎでしょうか?
アヴェロエス会議ですが、開催日の9日前になってやっと最終的なプログラムが来ました。こんな準備の遅い会議は初めてです。発表者の立場からいえば、普通は最低でも1ヶ月前にはすべてが分かっていないと予定を立てるのも大変です。
アダム君がポールと約束した原稿のデッドラインは今日だと思うのですが、それは守られたのでしょうか?知るよしもありません。
2011. 6. 7 火
今日はオフィスに行かないで、家で作業に集中したいと思います。> 『形而上学』大注解の2つの章も終え、今回見ようと思っていたアヴェロエスの3つのテクストの分析をラフにですが、だいたい終えた段階で8枚になりました。これからは、余計なものを削ぎ落として、5枚半に入れたいと思います。このままでは、まだまだ議論が錯綜していて、話が良く見えてきません。
アダム君はといえば、この水曜の夜までに原稿を書き終えるといっていましたが、どうなっているでしょうか?
2011. 6. 3 金
今日から本格的に、アダム君の国際会議のための発表原稿の執筆に入りました。今日は、ガレノスとアヴィセンナの知見をまとめてから、アヴェロエスの『動物発生論』注解の分析に入ったのですが、ここはとて〜も難しかったです。全体で30分の発表ですから6枚あれば良いのですが、すでに4枚になってしまいました。
2011. 5. 28 土
今日は、残っていた第2著作の結論と謝辞の見直しをチェックしてもらって完了です。あとは、書き増ししたイントロの部分を持ってシチリア旅行に出かけたクリストフが、1週間後に帰って来て、感想を聞かせてくれるのを待つだけです。ということで、1週間ほど間が空くので、アダム君の会議で発表するための原稿執筆の作業に入りたいと思います。
2011. 5. 21 土
先週アダム君から見せてもらった最初のたたき台と今週になって新たにもらった新たたき台を見ていると、僕にはそこに引用されている Genequand によるアヴェロエスの『形而上学』ラムダ巻注解の英訳は、どう考えても英語がメイク・センスしていないと思えます。そのことをアダム君にいっても、本人はどこ吹く風という感じです。どういうこと?> 例えば、以下を見て欲しいのですが、こういう問題ありの部分が延々と続くのです。このまま何も考えずに、この英訳を採用するのはマズイと思いますよ。
it appears in all clarity that
these celestial bodies have souls and that of the powers of the soul [この部分はどこにどのようにつながっているのでしょうか?that
の後の
of のチョイスは確かでしょうか?例えば、among の方が分かりやすくないですか?],
they have only the intellect and the faculty of desire, I mean the faculty that
imparts to them local motion. This appears from what I say [この前後の句のつながりは、このままでは変です。2つの文に区切るか、記号
; や
and を入れるなどして2つの句を並列させることが必要だと思います]
it has been explained
in the eighth book of the Physics
that the mover of these celestial bodies is without matter and a separate form,
and in the On the Soul that the
separated forms are intellect. It follows that this mover is an intellect and
that it is a mover insofar as it [この前後のつながりは変です。is
とか動詞があるべきではないでしょうか?]
the agent of motion and
the end of motion.
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