BHの用語集

 



 

スピリトゥスとプネウマ

 

 

日本語で「精気」や「気息」としばしば訳される語「プネウマ」 pneuma (ギリシア語)は、もともと「息吹」を意味しています。古代のギリシア医学の分野でプネウマという概念はさかんにもちいられ、はやくから医学用語としての地位を確立しています。熱くて湿っている気体状の存在であるというのが、その特徴です。アリストテレスの『気象論』で大活躍する気象現象をつかさどる「蒸発気」 exhalatio という概念は、プネウマと非常にちかい意味をもっているともいわれています。したがって、宇宙論や気象論的な文脈でも自然界における「息吹」は想定されていたわけです。

さらに、プネウマはラテン語では一般に「スピリトゥス」 spiritus と訳されました。そこから 「スピリット」 spirit (英語)や「エスプリ」 esprit (フランス語)が派生しています。キリスト教の「三位一体」理論における「父と子と聖霊の名において」の「聖霊」 Sanctus Spiritus もここから来ています。現存する最古のギリシア語の聖書でも、聖霊は pneuma で表記されていると思います。一方、ドイツ語では「ガイスト」 Geist がそれに対応する語になりますが、ドイツ人は spiritus よりも妖精やデーモンなどもふくむより広い意味で使っているようです。

アラビア語から連金術文献がラテン語に翻訳された12世紀に、活性の塩類物質をさした語を spiritus で置き換えたことからラテン中世錬金術でも spiritus はさかんに登場することになります。ただし、錬金術における spiritus は徹底的にマテリアルな存在です。英語で蒸留酒が「スピリット」とよばれるのは、蒸留アルコールが中世錬金術の文脈でもともとは活性の塩類をさした spiritus と混同されたからです。生理学の分野では、「気分がハイになる」や「ローになる」という表現が現代人に親しまれていますが、それは「霊魂」 anima の「道具」となって生理現象をつかさどると考えられた体内のスピリトゥスが上昇したり、下降したりする状態をさしています。以下の文献は基本編です。

 

 

総合モノグラフ

Marielene Putscher, Pneuma, Spiritus, Geist: Vorstellungen vom Lebensantrieb in ihren geschichtlichen Wandlungen (Wiesbaden: Steiner, 1974).
『プネウマ、スピリトゥス、ガイスト 生命衝動の表象の歴史的な変容』。

古代からルネサンスまで扱ったものです。資料編となっている長大な文献表がドイツらしい。 現在では入手困難なので、ブッククラブへどうぞ。

 

総合論集
Maria Fattori & Massimo Luigi Bianchi (eds.), Spiritus: IVo Colloquio internazionale del Lessico intelletuale Europeo (Roma: Ateneo, 1984).

『精気:第4回ヨーロッパ知的辞書・国際会議』
それぞれのジャンルで重要な論文(Debus, Walker, Rees 等)が入っており、いまは Olschki で入手できます。タイトルはイタリア語ですが、収録論文は英・仏・伊語となっています。

 

 

 

古代

・モノグラフ

Gérard Verbeke, L’évolution de la doctrine du Pneuma du stoicisme à s. Augustin (Louvain, 1945).
『ストア派から聖アウグスティヌスまでの精気理論の展開』

古代はいまだにこれを超えるものは出ていません。僕の博士論文は、この人へのオマージュでもあります。 
 
   
Maria di Pasquale Barbanti, Ochema-Pneuma e phantasia nel neoplatonismo: aspetti psicologici e prospettive religiose (Catania: Cuecm, 1998).

新プラトン主義におけるオケーマ・プネウマとファンタジア:霊魂論的な諸相と宗教的な射程
プロティヌスからプロクロスまで扱います。オススメです。

 

・論集

Hynek Bartos & Colin Guthrie King (eds.), Heat, Pneuma and Soul in Ancient Philosophy and Science (Cambridge: Cambridge University Press, 2020).

『古代哲学と科学における熱、気息、霊魂』

アリストテレス以前についての論考を集めています。つぎの論集とペアにして使用すると良いでしょう。

 

Sean Coughlin et al. (eds.), The Concept of Pneuma after Aristotle (Berlin: Topoi, 2020).

『アリストテレス以降のプネウマの概念』

そして、こちらはアリストテレス以降についての論考を集めています。ひとつ前の論集とペアに。医学が中心で、新プラトン主義については手薄ですので、Pasquale Barbanti (1998) で補うと良いでしょう。

 


・アリストテレス
Arthur L. Peck, “The Connate Pneuma: An Essential Factor in Aristotle's Solutions to the Problems of Reproduction and Sensation”, in Science, Medicine and History, ed. E.A. Underwood (London: Oxford University Press, 1953), I: 111-121.
「生得精気:生殖と感覚の問題にたいするアリストテレスの応えにおける重要因」

 

Friedrich Solmsen, “The Vital Heat, the Inborn Pneuma, and the Aether,” Journal of Hellenic Studies 77 (1957), 119-123.

「生命熱、生得精気、アイテール」

Peck の論文とペアで読むと良いでしょう。


Gad Freudenthal, Aristotle’s Theory of Material Substance: Heat and Pneuma, Form and Soul (Oxford: Clarendon, 1995).

『アリストテレスの物質論:熱、プネウマ、形相、霊魂』
これは、「10年に一冊の重み」があります。これは、本当にすごい本。

 

・偽アリストテレス『気息について』

Abraham P. Bos & Rein Ferwerda, Aristotle on the Life-Bearing Spirit (De spiritu): A Discussion with Plato and His Predecessors on Pneuma as the Instrumental Body of the Soul (Leiden: Brill, 2008).

『アリストテレスの「生命をになう精気について」』

 

Pavel Gregoric, “Soul and Pneuma in De Spiritu,” in Coughlin (2020), 17-36.

「『気息について』における霊魂とプネウマ」

 

・ストア派

David E. Hahm, The Origins of Stoic Cosmology (Columbus: Ohio University Press, 1975).

『ストア派宇宙論の起源』

 

John M. Rist, “On Greek Biology, Greek Cosmology and Some Sources of Theological Pneuma,” in Prudentia (Supplement 1985) (Auckland, 1985), 27-47, repr. in idem, Man, Soul and Body: Essays in Ancient Thought from Plato to Dionysius (London: Variorum, 1996).

「ギリシアの生物学、宇宙論、神学的な精気についての幾つかの源泉」

これは重要な論文です。

 

 

・ガレノスとガレノス主義
Owsei Temkin, “On Galen’s Pneumatology,Gesnerus 8 (1951), 180-189.
「ガレノスの精気論」

古典的な論文。

 

Julius Rocca, “From Doubt to Certainty: Aspects of the Conceptualization and Interpretation of Galen’s Natural Pneuma,” in Blood, Sweat and Tears: Changing Concepts of Physiology from Antiquity into Early Modern Europe, ed. Manfred Horstmanshoff et al. (Leiden: Brill, 2013), 629-659
疑念から確信へ:ガレノスの自然精気の概念化と解釈における諸相

ギリシア・イスラム・ラテンの3文化圏を横断して、通説では曖昧だったところが明確となっている画期的な力作論考です。ガレノスおよびガレノス主義における精気については、この論文から入ることをお勧めします。

 

Peter N. Singer, “Galen on Pneuma: Between Metaphysical Speculation and Anatomical Theory,” in Coughlin (2020), 237-281.

「ガレノスと精気:形而上学的な思弁と解剖学的な理論」

 

Julius Rocca, “Pneuma as a Holistic Concept in Galen,” in Holism in Ancient Medicine and Its Reception, ed. Chiara Thumiger (Leiden: Brill, 2020), 268-291.

「ガレノスにおける総体論的な概念としての精気」


・ユダヤ・キリスト教
John R. Levison, The Spirit in First-Century Judaism (Leiden: Brill, 2002).
『一世紀のユダヤ主義における精気』

 

Jörg Frey & John R. Levison (eds.), The Holy Spirit, Inspiration and the Cultures of Antiquity (Berlin: de Gruyter, 2014).

『聖霊、息吹、古代の諸文化』

上記のモノグラフの著者が編者となっている論集です。

 

 

 

中世

・イスラム

D. B. Macdonald, “The Development of the Idea of Spirit in Islam,” Acta orientalis 9 (1931), 307-351.

「イスラムにおける精気・霊の概念の発展」

 

Charles Burnett, “The Chapter on the Spirits in the Pantegni of Constantine the African,” in Constantine the African and 'Ali ibn al-'Abbas al-Magusi: The Pantegni and Related Texts, ed. Charles Burnett & Danielle Jacquart (Leiden: Brill, 1994), 99-120.

「コンスタンティヌスの『パンテグニ』における精気の章」

 

Danielle Jacquard, “La notion philosophico-médicale de spiritus dans l’Avicenne latin,” in Body and Spirit in the Middle Ages, ed. Gaia Gubbini (Berlin: de Gruyter, 2020), 13-33.

「ラテン語版アヴィセンナにおける精気という哲学・医学的な概念」

 

 

・ヨーロッパ
James J. Bono, “Medical Spirits and the Medieval Language of Life,” Traditio 40 (1984), 91-130.

「医学的な精気と中世の生命についての言語」

博士論文(Harvard, 1981)の1章を凝縮したもの。中世医学の文脈におけるスピリトゥス関係の文献は少ないので、押さえておかなければなりません。

 

Gaia Gubbini (ed.), Body and Spirit in the Middle Ages: Literature, Philosophy and Medicine (Berlin: de Gruyter, 2020).
『中世における身体と精気:文学、哲学、医学』  

 

 

ルネサンス

・モノグラフ

James J. Bono, The Language of Life: Jean Fernel (1497-1558) and Spiritus in Pre-Harveian Bio-Medical Thought, PhD. Thesis (Harvard University, 1981).

『生命の言語:ジャン・フェルネルとハーヴェイ以前の生命・医学思想における精気』

焦点はフェルネルですが、長尺の第1章は古代・中世に当てられています。Proquest では入手できません。ブッククラブ。

 

Gerhard Klier, Die drei Geister des Menschen: Die sogennante Spirituslehre in der Physiologie der Frühen Neuzeit (Stuttgart: Steiner, 2002).

『人間の三精気:初期近代の生理学における精気理論』

あまり知られていないですが、ルネサンス医学の文脈をめぐるモノグラフです。ブッククラブ。

 

Delfina Giovannozzi, Spiritus mundus quidam: il concetto di spirito nell’opera di Giordano Bruno (Roma: Storia e Letteratura, 2006).

『精気の世界:ジョルダーノ・ブルーノの著作における精気の概念』

 

 

・総合論集

Christine Göttler & Wolfgang Neuber (ed.), Spirits Unseen: The Representation of Subtle Bodies in Early Modern European Culture (Leiden: Brill, 2007).

『見えない精気:初期近代ヨーロッパにおける精妙な物体の表象』
初期近代と謳っていますが、ルネサンス関係の論考もあり。

 

 

・論文

Jorgen Helm, “Die spiritus in der medizinischen Tradition und Melanchthons Liber de anima,” in Melanchthon und die Naturwissenschaften seiner Zeit, ed. Gunter Frank & Stefan Rhein (Sigmaringen: Thorbecke, 1998), 219-237.

「医学伝統とメランヒトン『霊魂論』における精気」

 

Miguel A. Granada, “Spiritus and anima a Deo immissa in Telesio,” in Bernadino Telesio and the Natural Sciences in the Renaissance, ed. Pietro Daniel Omodeo (Leiden: Brill, 2019), 33-50.

「テレジオにおける精気と神が放つ霊魂」

 

Hiro Hirai, “The World Soul in the Renaissance,” in The World Soul: A History, ed. James Wilberding (Oxford: Oxford UP, 2021), 151-176.

「ルネサンスにおける世界霊魂」

メインは世界霊魂ですが、精気の話題もくり返しでてきます。フィチーノ、ステウコ、ブルーノ、カンパネッラ、リプシウスを扱っています。

 

・フィチーノ
Daniel P. Walker, Spiritual and Demonic Magic from Ficino to Campanella (London: Warburg, 1958).
『フィチーノからカンパネッラまでの精気的・悪魔的な魔術』。邦訳あり。


Daniel P. Walker, “The Astral Body in Renaissance Medicine,Journal of the Warburg and Courtland Institutes 21 (1958), 119-133, repr. in Walker (1985).
「ルネサンス医学における星辰的な身体」


Daniel P. Walker, “Medical Spirits in Philosophy and Theology from Ficino to Newton,” in Arts du spectacle et histoire des idées
: recueil offert en hommage à Jean Jacquot (Tours: Centre d’Etudes Superieures de la Renaissance, 1984), 287-300, repr. in Walker (1985).
「フィチーノからニュートンまでの哲学と神学における医学的な精気」


Daniel P. Walker, Music, Spirit and Language in the Renaissance (London: Variorum, 1985).
スピリトゥスものは4本ほど採録されてます。
 
 
Daniel P. Walker, “Medical Spirits and God and the Soul,” in Fattori & Bianchi (1984), 223-244.
「医学的な精気、神と霊魂」


Sylvain Matton, “Marsile Ficin et l’alchimie, sa position, son influence,” in Alchimie et Philosophie, ed. Jean-Claude Margolin & Sylvain Matton (Paris: Vrin, 1993), 123-192.

「フィチーノと錬金術、彼の立場、彼の影響」
フィチーノと錬金術ですので、2つのカテゴリーに入れておきます。 



・錬金術・キミア

Norma E. Emerton, The Scientific Reinterpretation of Form (New York: Cornel UP, 1984), 179-193.

『形相の科学的な再解釈』
10年に一冊の重み」があります。第7章「スピリトゥスと種子:化学的な形相の再解釈」は重要です。

 

Allen G. Debus, “Chemistry and the Quest for a Material Spirit of Life in the Seventeenth Century,” in Spiritus, ed. Fattori & Bianchi (Florence, 1984), 245-263.

17世紀における化学と生命の物質的な精気の探求」
キミアの文脈ならまずこれ。
 
Antonio Clericuzio, “Spiritus vitalis: studio sulle teorie fisiologiche da Fernel a Boyle,” Nouvelles de la Republique des lettres 18-2 (1988), 33- 84.

「生命精気:フェルネルからボイルまでの生理学理論の研究」

これとの出会いは大きかったな。フェルネルからボイルまで。 
  
Antonio Clericuzio, “The Internal Laboratory: The Chemical Reinterpretation of Medical Spirits in England (1650-1680)”, in Alchemy and Chemistry in the 16th and 17th Centuries, ed. Piyo Rattansi & Antonio Clericuzio (Dordrecht: Kluwer, 1994), 51-83.

「内的な実験室:英国における医学精気の化学的な再解釈」
上によりもこれに先に出会ったのですね。1650からと謳ってますが16世紀からです。

 

Sylvain Matton, “Marsile Ficin et l’alchimie, sa position, son influence,” in Alchimie et Philosophie, ed. Jean-Claude Margolin & Sylvain Matton (Paris: Vrin, 1993), 123-192.
「フィチーノと錬金術、彼の立場、彼の影響」 
世界精気の話が大きくフィーチャされています。


Hiro Hirai, Le concept de semence dans les th
éories de la matière à la Renaissance: de Marsile Ficin à Pierre Gassendi (Turnhout: Brepols, 2005).

『ルネサンスの物質論における種子の概念:フィチーノからガッサンディまで』
種子の理論とスピリトゥスは切っても切れません。
 
 
・フェルネル
Daniel P. Walker, “The Astral Body in Renaissance Medicine”, Journal of the Warburg and Courtland Institutes 21 (1958), 119-133, repr. in Walker (1985).

「ルネサンス医学における星辰的な身体」
初期近代における精気を研究した記念碑ですが、いまではいろいろ思うところもありますね。


Massimo Luigi Bianchi, “Occulto e manifesto nella medicina del Rinascimento: Jean Fernel e Pietro Severino,” Atti e memorie dell’accademia Toscana di scienze e lettere, La Colombaria, 47 nuova serie 33 (1982), 183-248.

「ルネサンス医学における不可視と可視:フェルネルとセヴェリヌス」

上記の論集 Fattori & Bianchi 1984 の編者で、なぜ国際会議のテーマに Spiritus を選んだかが分かると思います。
 
Antonio Clericuzio, “Spiritus vitalis: studio sulle teorie fisiologiche da Fernel a Boyle,” Nouvelles de la Republique des lettres 18-2 (1988), 33-84.

「生命精気:フェルネルからボイルまでの生理学理論の研究」

この論文は、上記で説明しましたが、フェルネルから始まります。
  
James J. Bono, “Reform and the Languages of Renaissance Theoretical Medicine: Harvey versus Fernel,” Journal of the History of Biology 23 (1990), 341-387.

「改革とルネサンス理論医学の言語:ハーヴェイ対フェルネル」
 
Hiro Hirai, Le concept de semence dans les théories de la matière à la Renaissance: de Marsile Ficin à Pierre Gassendi, (Turnhout: Brepols, 2005).

『ルネサンスの物質論における種子の理論:フィチーノからガッサンディまで』
フェルネルの章があり、「スピリトゥス全開」です。 

 

 

初期近代

              ・モノグラフ

Daniel P. Walker, Il concetto di spirito o anima in Henry More e Ralph Cudworth (Napoli: Bibliopolis, 1986).

『ヘンリー・モアとラルフ・カドワースにおける精気と霊魂の概念』

日本のケンブリッジ・プラトン主義の研究者たちが絶対に読まない宝石のような名著。

 

・ベイコン
Daniel P. Walker, “Francis Bacon and Spiritus,” in Science, Medicine and Society in the Renaissance, ed. Allen G. Debus (New York, 1972), II: 121-130, repr. in Walker (1985).

「ベイコンと精気」

 

Graham Rees, “Francis Bacon and Spiritus Vitalis,” in Fattori & Bianchi (Florence, 1984), 265-281.

「ベイコンと生命精気」

 

 

 

その他

 

Joseph Campbell (ed.), Spirit and Nature: Papers from the Eranos Yearbook (Princeton University Press, 1954).

『精気と自然:エラノス年報』

古代宗教からユングまで多彩な論集ですが、いろいろな議論を混ぜないで楽しむ程度が良いでしょう。

 

 

 

 

 

 


語彙と文献