ごくごく個人的な「本」日記

 

  

 

2000年12月

 

BHの道頓堀紀行

 

 

2000. 12. 30 土
        大学時代とベルギー時代で
15年以上も家を空けると実はなかなか大変です。海外へ行くたびにそれまでの本や所有物をダンボール箱に入れて実家に置いてきた訳ですが、それらのものとて後で回収する訳でもなく、ただひたすら実家は物置と化して行きました。従って、たまに帰ってくるとダンボール箱の山々の隙間で眠るというのが実情となっています。また、既にイスとテーブルだけの生活で7年ぐらい経ちますが、今はもう畳に長く座っていることはできません。畳式の居酒屋は大変です。和式のトイレも我慢できません。肩こりが全くしなくなった分、ひざや足首の関節の柔軟性は大分落ちてしまったというのが実際のようです。悲しいかな、今回は、ダンボール箱を二列に重ねてその上にコタツ用の上板を載せて簡易テーブルを作り、その上にこのポータブルを置いています。
 
        いろいろ思い出しながら、上方行きをまとめると以下のようになります。
 
    [12月27日 神戸行き]
        午後
3時の東京発の新幹線で新神戸に向いました。6時半に新神戸に着き、指定の携帯の番号に電話すると三宮に地下鉄で向うのでなく、新神戸から歩いて店に到着せよとの指示を受け、加納町の交差点まで歩き、再度電話してさらなる指示を受け、無事に夜会の場所である La Gargote というレストランに到着。梶さんと中嶋さんを見つけ安心して中に入ります。後は知らない人ばかりです。それから塚原東吾さん、今回受賞者のサイエンス・ウォーズの金森さん、メルンセンヌのような北大の杉山さん、東大院生の隠岐さんなどと軽く挨拶を交わし、いきなり隅の科学史テーブルなるところこに席を案内されます。そこでコピーの件でいろいろお世話になった(お世話した)神戸大の三浦さんと初めて対面です。気さくで良い人です。中嶋さんと塚原さんは、既にかなり酔っぱらってます。そのテーブルで偶然明日会うはずの三村君とも同席します。その後、酔った中嶋さんが科学史テーブルにやってきて、例の中島節を延々と繰り広げました。酒の席での中嶋節の集中放火を浴びるのは、これが始めてかもしれません。全体として皆さん盛りあがっていましたが、僕はちょっと温度差を感じました。ま、殆ど誰も知らないところへ飛び入りしたわけですから仕方ありませんが、来いと誘われてわざわざ来た訳ですから、僕がどう言う人間か、始めにちゃんと皆さんに紹介して欲しかったです。
 
        途中からやって来た
平岡君と初体面です。その後、2次会に向う一行とはお別れして、平岡君と大阪道頓堀へと向いました。やっぱり、道頓堀はスゴイところです。基本的に新宿歌舞伎町のノリですが、やはり、Decor が違います。巨大なタコやカニ、船や人面がそこら中にあります。そんな街の一角にポツンとある平岡商店はタバコ屋さんです。11:00ごろ到着して荷物を置き、道頓堀の闇へと吸い込まれていくことにしました。基本的に、平岡君の定番の道頓堀観光コースを歩き、彼の行きつけの「アフリカ」というおしゃれ系のカフェバー風のレストランへと入りました。ま、そこで夜の2時まで彼の研究のことや僕の事などいろいろ話したわけです。たこ焼きに立ち食いラーメン等を想像していた僕としてはちょっと肩透かしを食らいましたが、いろいろ話すためにわざわざベルギーから来たのですから、Decor のことは二の次です。
  
        平岡君の家に戻り、寝る前に平岡君がヴィンチェンツォ・ガリレオ Vincenzo Galileo (ガリレオ・ガリレイの父)作曲の倍音を多用したルネサンス的な Saltarello と題された曲をクラシック・ギターで演奏して歓迎してくれました。
 
    [12月28日 京都でセミナー]
        最終的な参加人数と場所取りの関係で、京大科学史研究室博士課程の澤井君の自宅での4人だけの
かなりコンフィデンシャルな変則的なセミナーとなった関西編です。取り敢えず10時に梅田のビッグマン集合のはずでしたが、三村君が寝坊して遅刻、先に平岡君と2人で京大へと向いました。文学部入り口で澤井君と落ち合い、研究室訪問。さらに、伊藤和行氏に初対面しました。僕が思ったよりも若い感じです。その後、澤井宅に向い、渡してあったミクロフィルム群の焼きあがりコピーを受取りました。澤井君に感謝。高いので買うのを躊躇していた E.Ruestow の Microscopy in the Dutch Republic のコピーまで貰いました。遅れてきた三村君と落ち合いお茶と昼ご飯を買いだし、食事後にセミナー開始です。僕の「ルネサンスの種子の理論」の発表後、三村君のアストロラーベ関係の発表、澤井君のルネサンス解剖学とハーヴェイにおける手法の問題の問題設定について、最後に平岡君の修論の骨子の発表と、6時ごろまでかかりました。
 
        その後、澤井君の行きつけの
おでん屋へと向い、そこで懇親会。9時ぐらいまで居たでしょうか?道頓堀に帰ってきたときには既に10時ぐらいになっていました。
 
    [12月29日 京都産業大学矢野研究室訪問]
        あの
矢野先生と会見する機会を得、三村君と10:00に京産大の研究室を訪問することになっていました。今度は時間通り8:00にビッグマンに現れた三村君と阪急電車に乗って京都へ向います。地下鉄、バスと乗り換えて10:00ちょうどに京産大に到着。冬休みで鍵が閉まっているので矢野先生の直接の出迎えを受け、いざ研究室へ。研究テーマのことや今度またロンドンのフェローシップを受けるという話しになり、何と偶然にも日本に来ていた Charles Burnett 氏が隣室にいるからということで、テスター著『西洋占星術の歴史』を邦訳された山本啓二氏と共に Burnett 氏を矢野先生が呼びます。去年のロンドンでの面接以来の因縁の再会です。Burnett 氏は、僕の名前を覚えていました。二週間前に Brussels でウチのボスと一緒だったからでしょうか?とにかく、氏も僕が矢野先生のところに来ているのを見て驚いています。去年の件は少しはぐらかされてしまいましたが、インパクトはあったみたいです。こういう思わぬ収穫もあり、短い時間でしたが、予定を大幅に越えて小一時間も割いていただき、矢野先生には、お忙しい中、大変親切にしていただきました。大感謝です。一般向けのイスラーム科学に関するページを作るべくがんばります。
 
        その後、
山本啓二氏の研究室に三村君とお邪魔し、占星術と錬金術というお互いのテーマのことも含め、もともとイタリア・ルネサンスにも関心の深い氏とはいろいろ共感するところあり、話しが非常に弾み、午後3時すぎまでお邪魔することとなりました。氏は、世界を相手に仕事をする者の自身と言うものを感じさせる人です。途中で連日の飲みの疲れが出たのか、三村君が居眠りを始めたところでお開きとなり、実り多き矢野・山本研究室訪問を終え、京産大を後にしました。四条の牛丼屋で食事をした後、三村君とも分かれ、京都駅に向い、17:30の新幹線に乗って関西を離れ、東京へと向かいました。
 
        こうしてかなり濃密な3日間を過ごしたわけです。これで、かなり
ハード・スケジュールであった日本での二週間に及ぶミッションを全て消化したことになります。実りは大です。これからの残り一週間は、少しペース・ダウンしてゆっくりと行こうと思います。
  
  
2000. 12. 29 金
        帰ってきました、関西から。いろいろ収穫の多い、熱い&濃い上方での3日間でした。明日にでも詳細をアップします。今日は、ちょっとノック・ダウン気味です。
  
        ルネサンス期のあの
ノストラダムスを歴史的文脈において捉えようと言うことに関心を持っている田窪さんという方から激励のメールを頂きました。やっぱり、嬉しいですね。BHの活動を通りして微力ながら、いろんな人に「知的な元気」をあげることができているというのは、うれしいことです。
 
        年内に
カウンターが9000人を突破するかな?と淡い期待を持っていたのですが、それは、ちょっと無理みたいです。
 
  
2000. 12. 27 水
        今日は、午後から
新幹線で神戸塚原東吾さん主催の夜会に参加するつもりです。それから、道頓堀の H 君のところへ行きます。
 
        機能の刺激を受けて「
ルドルフ2世とその宮廷」MLが動き出しましたので、バックナンバーをアップしておきます。ここは、皆さん勝手にワイワイとやってもらいたいと思っています。実験室(ラボ)です。

    

 

 

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