ごくごく個人的な「本」日記
2018年3月
2018. 3. 31 土
ついに次号のメルマガ「サザン・ミシシッピー悶絶紀行」をドロップしました。配信は、4月2日の予定です。この2週間ばかりの沈黙について説明しています。お楽しみに!
2018. 3. 30 金
明日には次号のメルマガを書きたいと思います。
2018. 3. 29 木
スローな動きです。
2018. 3. 28 水
早朝のフライトで、死に目をみたニューオリンズから、ほうほうの体で帰ってきました。3月16日から今日まで何が起きていたのか、次号のメルマガで書きたいと思います。いまは、とにかく静養につとめます。
2018. 3. 16 金
思わぬことに、昨夜おそくに体調を崩したので、今日は様子見の状態です。詳しくは、プライヴェート版のブログをどうぞ。
今年の8月6-10日にイタリアのピサでサマースクールを開催するので、その講師として参加してくれと依頼がきました。交通費と滞在費がカバーされるようです。なるべく善処したいと思います。ヴィヴィアン、ジョー、ギドも参加する模様です。
2018. 3. 15 木
昨日の作業のつづきです。黙々と進みます。
2018. 3. 14 水
ここのところカンヅメの状態で作業をしています。なかなか思ったように進まないのが、もどかしいですね。
2018. 3. 13 火
今日はグリーン・カードの最終面接の打ちあわせのために、市内の法律事務所に出かけました。
2018. 3. 12 月
これまで僕が見てきた16世紀のテクストで、カンパネッラほどプロティノスに依拠する人物には出会ったことはありません。(もちろんパトリッツィとブルーノを除いてですが)。1591年の時点で、カンパネッラがどのくらいブルーノのテクストについて知っていたかは分かりませんが、校訂版編者が言及してないところをみると、読んではいなかった気がします。
といっても、依拠しているプロティノスのテクスト自体は、それなりに限られている気がします。『エンネアデス』の第2巻と第3巻、とくに天空をあつかった第2巻の第1書が集中的に使われているといった感じです。
2018. 3. 11 日
すみませんが、以下の論文のコピーをとれる方はいますでしょうか?お助けを!
「カンパネッラの哲学における感覚、言語、そして占い」
Guido
Giglioni, “Senso, Linguaggio e divinazione nella filosofia di Tommaso
Campanella,” Rivista di storia della filosofia 64 (2009), 309-320.
2018. 3. 10 土
カンパネッラは、匿名の著作家による『精液について』 De spermate が世界霊魂のことを「天界の霊魂」 anima coeli と呼んでいるとします。僕はこれまでに、こういった著作が世界霊魂について言及されているのを見たことがありませんし、あきらかにガレノスの著作『種子について』 De semine のことでもありません。なんだか気になります。
2018. 3. 9 金
今回の作業から、フィチーノによるプロティノス注解をしっかりと読んでみたいと思うようになりました。博論のための研究をしていたころには難しいことだったのですが、去年
Gersh による英訳の1冊目が出たことで見通しはずいぶんと良くなりました。イ・タッチ叢書には珍しく、羅英の見開き対訳のほかに230頁におよぶ解説がついているのが圧巻です。
この1冊目は、注解のなかの第3巻の前半にあたります。「運命について」「摂理について」「ダイモンについて」が収められています。この春には、第3巻の後半と第4巻が収録された2冊目も出版されることになっていますが、すこし遅れているのかも知れません。
かねてからカルダーノのダイモン概念を理解するためには、彼が敬愛していたプロティノスの議論とそれを解説したフィチーノの注解を押さえないとダメだなと思っていたので、プラトン主義研究の大家によるこの翻訳は大いに役立つことでしょう。
2018. 3. 8 木
今日は発表原稿におけるカンパネッラの部分を殴り書きでも良いですから、まとめてみたいと思います。昨日の話のつづきとしては、はたしてカンパネッラのこの著作を読んでいたか定かではありませんが、テレジオの自然哲学のフランシス・ベイコンによる解釈にも影響を与えていた可能性もありますよね。カンパネッラの路線をそのまま受けいれたというよりも、それに反発してテレジオのオリジナルな路線をおし進めたという意味においてです。
丸一日作業してみて、発表原稿は20分にちょうど良い2000字ちょいで収まりました。まだまだロジックの粗雑な部分もあり推敲をつづけないといけませんが、突貫工事で進めたわりには、それなりに面白いものになったのではないかと思います。期せずしてフィチーノ的なものが全開なので、ルネサンス学会のオーディエンスには受けが良いかも知れません。
2018. 3. 7 水
今回の僕の発表にとって、もっとも決定的な部分で、カンパネッラはフィチーノのプロティノス注解にどっぷりと浸かりつつ議論を展開していることを見出しました。キリスト教にも馴染みやすいプラトン主義的に再解釈することで、彼はまったく正反対のベクトルをもつテレジオの自然哲学を擁護しようとしたのです。なんとなくアーギュメントの骨子がみえてきました!
いわゆる「最初の近代人」としてではなく、「最後の古代人」あるいはその正統な継承者として、テレジオを擁護しようとしているのです。この古代人の系譜というは、カンパネッラの場合にはモーセやヘルメスをふくむ古代神学者たちということになります。熱いなあ!
2018. 3. 6 火
ブックガイド計画からのウェブ連載は、ますます好調です。第9弾となる熊谷セシリアさんのイエイツ『薔薇十字の覚醒』のナイスな紹介が、お披露目となりました。こちらです。セシリアさんは、一昨年に開催したピーター・フォーショー博士の講演会のときに知りあいとなった若手の期待株です。
ニューオリオンズにおけるルネサンス学会にむけて気合を入れるために、発表の要旨をアカデミアにアップしました。題して、「テレジオの自然哲学にたいする若きカンパネッラ」
“The
Young Campanella on Telesio’s Natural Philosophy” です。こちらからどうぞ!
2018. 3. 5 月
スプリンガー書店の『初期近代の哲学百科事典』の担当セクションから、まだ寄稿者が決まっていない8本の記事について問いあわせがきました。もともとアントニオから引きついだときに提案されていたエントリーから3本ほど削除することを提案し、クロルは僕が、質料形相論はクニ君が忙しいようなので、エリザベスがやることで調整しています。
ずっと探していたカンパネッラの『事物の感覚について、魔術について』 Tommaso Campanella, Del senso delle cose e della magia, ed.
Antonio Bruers (Bari: Laterza, 1925) が、ついに手元に届きました。100年近く前に出版されたものですが、保存の状態がとても良く、これで50ドルなら安い方です。編者の翻訳ではなく、初期近代に翻訳された手稿を翻刻したもののようです。1620年に出版されたラテン語版との異同については、機会をみて確認したいと思います。
2018. 3. 4 日
今日は、ちょっとスローな動きできます。
2018. 3. 3 土
自然哲学についてのカンパネッラの主著『感覚と魔術について』の伊語訳(1924年刊)を、ずっと昔から探していたのですが、ついに中古市場で見つけることに成功しました。イタリアから発送された翌日には、すでにアメリカにまで到着しているようです。送料4ドルなのに、この速さは異常です。
2018. 3. 2 金
ちょっと心配なので、天界を説明する第3書もブラウズしていますが、こちらはそれほどでもないようです。
2018. 3. 1 木
ひたすらカンパネッラのテクストを読んでいます。今日は、これだけです。時間の関係で絞りこむことにしていた自然の原理を説明する第1書だけではなく、胎児の発生を議論する第2書にも手をかけました。