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ごくごく個人的な「本」日記

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201708

 

 

2017. 8. 31

 夏休みの最終日となる831日には、子供のころから奇妙な思い出があります。

 

 

2017. 8. 30

  ここのところ調べていたコメニウスヨンストン、そしてレシュノの町は、どれもヤコブ・マルティニの弟ヘンリクスの消息を知るためでした。ここにきて、彼がレシュノの近くの町ブリーク(ブジェク)の領主クリスティアン(フリスティアン)2世の侍医をしていたことをつきとめました。彼はこの町で生涯を終えます。しかも、町のギムナジウムとも深い関連があったようです。19世紀に書かれたブリークとそのギムナジウムについての著作を入手できたので、明日からじっくり吟味してみたいと思います。

 

 

2017. 8. 29

  次号のメルマガの原稿をドロップしました。夏休みのラジオ対談を文字起こししました。配信は、92です。

 

  友人ヤンに教えてもらった『コメニウスの自然哲学Jaromir Cervenka, Die Naturphilosophie des Johann Amos Comenius (Hanau: Dausien, 1970) を受けとりました。しっかりしている研究のようですが、レアな出版物です。中古市場で安いものを見つけたのですが、カヴァーが破れていてちょっと残念でした。中身はきれいです。

 

 

2017. 8. 28

  そろそろ、つぎのメルマガの準備をしないといけません。今回はなににしましょうか?

 

  来年3月にニューオリオンズでルネサンス学会は開催されます。企画されていたカンパネッラについての3連パネルが採択されたと連絡がありました。9の発表があります。前回につづき今回も、ルー君が参加するということなので楽しみです。

 

 

2017. 8. 27

  なかなか思ったように復調しません。気持ちはちょっと焦ります。

 

  ブックガイドへの寄稿が集まってきています。

 

 

2017. 8. 26

  ながらく休んでいた米国アマゾンへの出品を再開しました。要らなくなった本をすこしづつ処分していきます。

 

 

2017. 8. 25

  やっぱり体調が良くないですね。

 

 

2017. 8. 24

  ちょっと夏バテぎみかもしれません。詳しくは、プライヴェート版で。

 

 

2017. 8. 23

  先日ここで触れた、ポーランド史の『神の遊び場』で使われている論文を読みました。「1718世紀におけるポーランドの新教徒と英国・オランダとのつながりNicholas Hans, “Polish Protestants and Their Connections with England and Holland in the Seventeenth and Eighteenth Centuries,” Slavonic and East European Review 37 (1958), 196-220 という、すこし古めのアイテムです。でも、これが非常に役立ちました。コメニウスを中心とするレシュノのアカデミーのことやソツィーニ派とそのオランダとの関係について手堅くまとめられています。

 

 

2017. 8. 22

  ヤンに教えてもらった文献のうち、ひとつはアンによるものでした。ずいぶん昔に目をとおしましたが、忘れているので読み返しました。「モーセの自然学と末期ルネサンスにおける敬虔な自然哲学の探究Ann Blair, “Mosaic Physics and the Search for Pious Natural Philosophy in the Late Renaissance,” Isis 91 (2000), 32-58 という論文は、タイトルにそう書いてないので分かり難いのですが、じつはコメニウスが主人公です。といっても、ありがちなコメニウスの英国への影響を軸にすえるのではなく、彼が影響をうけたり、主要作のなかで言及したりしている人物たちの著作を追いながら、キリスト者のための自然学についての彼の態度を炙りだすものになっています。

 

  この力作を読むと、つぎには同時期に発表された、似ている題材を扱っている『遅れた天国:アルシュテートとカルヴァン派の百年王国論の誕生Howard Hotson, Paradise Postponed: Johann Heinrich Alsted and the Birth of Calvinist Millenarianism (Kluwer, 2000) を読み返さないといけないなと思わされます。アルシュテートはコメニウスの先生に当たります。

 

 

2017. 8. 21

  かなり疲れて帰ってきました。旅の途中でアン・ブレアから大事なメールがありましたので、その返事を送りました。> 僕としては、秋の早いうちにボストンまでいっても良かったのですが、3月の RSA でミーディングをもつことになりそうです。

 

  基礎を知ろうと思って、『神の遊び場:ポーランドの歴史Norman Davies, God’s Playground: A History of Poland (Oxford UP, 1979/2005) の上巻を入手しました。初期近代のポーランドの知的マップについても記述があります。

 

 

2017. 8. 20

  週末はお休みします。プライヴェート版ブログをどうぞ。

 

 

2017. 8. 19

  コメニウスの人間論で博論をかいたチェコの友人ヤンに、コメニウスの周りの自然哲学について文献はなにがおススメか聞いてみました。ほどなくして返事をくれ、4つほど重要なものを教えてくれました。チェコでだされた古いアイテムもありますが、なんとか入手してみようと思います。

 

 

2017. 8. 18

  つづいて、ヨンストンについての新し目の論文「新イスラエルの動物たち:ヨンストンの自然と17世紀における千年王国主義的な教育論の興隆Gordon L. Miller, “Beasts of the New Jerusalem: John Jonston’s Natural History and the Launching of Millenarian Pedagogy in the Seventeenth Century,” History of Science (2008), 203-243 を読みました。フーコーからはじまるヨンストンの再考を足がかりに、初期近代の自然誌についてのアシュワースやフィンドレンによる近年の研究の系譜につらなる立場から、ヨンストンの位置づけをみています。なかでも、目玉としてプロテスタントの千年王国主義との関係を強調しています。

 

目のつけどころはとても良いと思うのですが、千年王国主義を描くときにコメニウスについて以外は、なぜか彼の母体であるチェコ兄弟教団シレジア地方での動きはいっさい語られず、ベイコンをはじめとする英国の例で議論を固めている点が、ちょっともどかしい印象をえました。直近に出されたドイツ語の論文も勘案していないのは、どうなのでしょうか?

 

 

2017. 8. 17

  教育学や教育思想の方面で日本でもよく知られているコメニウスは、著作の邦訳もいくつか出ていますが、初期近代の知的地図における位置づけについては、プロテスタント神学百科全書主義との関係でみる必要があるでしょう。相馬伸一 『ヨハネス・コメニウス:汎知学の光』 (講談社メチエ、2017年)という新刊は、そうした方面にチャレンジしたとても良い入門篇なのではないでしょうか?

 

  オキ君にとってもらった論文「コメニウス、兄弟教団、書簡ネットワークVladimir Urbanek, “Comenius, the Unity of Brethren, and Correspondence Networks,” Journal of Moravian History 14 (2014), 30-50 を読みました。これまであまり研究されてこなかったコメニウスの書簡集から、知のネットワークを炙りだすという今風の研究です。ハートリーブのサークルに大きな比重があるのも納得しますが、コメニウスが兄弟教団への寄付獲得に奮闘していた様子が良くわかります。オランダの裕福な商人たちからの寄付は、兄弟教団の若者がオランダの大学で学ぶための奨学金にされた点などは、非常に興味ぶかいものです。

 

  これと関連している論文「排斥された知識人と再構築されたネットワーク:ボヘミア王国から逃れた新教徒の亡命者たち Vladimir Urbanek, “Displaced Intellectuals and Rebuilt Networks: The Protestant Exiles from the Lands of the Bohemian Crown,” in Religious Diaspora in Early Modern Europe, ed. Timothy Fehler et al. (London: Pickering and Chatto, 2014), 167-179, 230-234 も読んでみたいところです。

 

 

2017. 8. 16

  昨日の調査で分かったことをノートにまとめています。いまでは、誰の眼にもとまらないような古い本ですが、僕にとっては新鮮な知見にあふれています。

 

  コメニウスの方ですが、やはりヨンストンは彼の協力者だったことがわかりました。とすると、その友人だったヘンリクス・マルティニがコメニウスと面識があり、チェコ兄弟教団に共感していたことも、ありえる話だと思います。ということで、まずはコメニウスの書簡集を調べています。> ヨンストンの書簡集をつくる計画もあったようですが、計画はとん挫してしまったのかも知れません。

 

  この辺りを探るためには、ラテン語ドイツ語に、ポーランド語チェコ語が必要になります。だから、なかなか研究が進まないのでしょう。僕の知っている人でも、これら四言語をこなす人はおそらくいないでしょう。

 

 

2017. 8. 15

  古い本ですが、エリザベス朝の英国からスウェーデンに1591年に招待された演劇団についての研究書をうけとりました。これが当たりで、僕の調べているホモダエウスについて非常にまとまった記述をみつけました。この演劇団の招待を手配した人物ではないかと、この本の著者が考えているからです。僕にとって演劇団そのものはさほど重要ではないのですが、著者はホモダエウス一家についてスウェーデン各地やダンツィヒの公文書館で調査してくれています。それで分かったことですが、やはり二人いたホモダエウスは兄弟でした。バラバラだった点と点がつながってきました。

 

 

2017. 8. 14

  プロテスタントのチェコ兄弟教団は、チェコの東側にあるモラヴィア地方から追放されてポーランドのシレジア地方にあるレシュノの町に移動します。この亡命者たちのなかで、コメニウスが書記として頭角を現してくるわけですね。

 

 

2017. 8. 13

  今日はブロックのパーティなので、スローな動きでいきます。

 

 

2017. 8. 12

  注文したマテリアルが来週には届くようですが、それまでダンツィヒのことは置いておきましょう。今日は気になるシレジアのことを探りはじめました。

 

いま調べているヤコブ・マルティニは、ヘンリクス1615-1675)という名の弟がいます。リトアニアなどで哲学を教えた後に、1656年にハイデルベルグ大学で医学の博士号をとります。ポーランドに戻り、シレジア地方のレシュノ Lezsno の町で小著を1658年に出版します。当時この町がカトリックのハプスブルグ家に支配された地域から逃れてきた各種の新教徒たちを受けいれて栄えていたことを知りました。なかでも出版業が盛んだったようです。ヘンリクスは、すでに1645年にヨンストンに自著の紹介文を書いてもらっています。レシュノでは、コメニウス1628-1657年に滞在)が主催していた知的サークルに、ヨンストンやヘンリクスも出入りしていたのかもしれません。さらには、あのハートリーブとも関係があるようで、レシュノはとても気になる場所となりました。

 

 

2017. 8. 11

  ついに超レアなアイテムの画像ファイル群がポーランドから送られてきました。それらを PDF に変換してつなげ、文字検索できるようにしました。それから文献表をみながら、オンラインで入手できる文献をどんどん落として、調べものをすすめています。初期近代のダンツィヒの歴史についてのラテン語ドイツ語の文献は、ほぼ網羅できたと思います。面白いことに、昔から幾つもの書物がこの町の医学史について書かれています。

 

 

2017. 8. 10

  いまはポーランド領ですが、歴史的にドイツ移民の多かったシレジア地方についても調べないといけないのかなと、ふとしたことから考えています。

 

 

2017. 8. 9

  今日はスローな動きながらも、ダンツィヒについていろいろ調べています。

 

 

2017. 8. 8

  午後にエリザベトの論文の鍛えなおしをしました。基本的には、文法スタイルの問題ではなく、論述の問題です。くり返し冗長な表現を削ってシンプルにし、メッセージを磨きます。また、主語と述語や目的語の対応(コロケーション)のおかしいところを洗い出していきます。2時間でたったの2しか進みませんでしたが、作業の要領はつかんでもらえたと思います。残りの20頁は、節ごとに原稿をピンポンのようにやり取りしながら進めようと思います。

 

 

2017. 8. 7

  21時ごろのほうほうのていで、家にたどり着きました。ふう。

 

 

2017. 8. 6

  ちょっと野暮用で、ニューヨークのベルギー領事館へいってきます。

 

 

2017. 8. 5

  16世紀の末から17世紀に、はるか彼方のポーランド沿岸部のポメレニア地方から、わざわざオランダの大学に学生たちが来ていたことは、僕にはずっと不思議でした。だんだん分かってきたのですが、当時はバルト海一帯にオランダの資本が入って、人的な結びつきができていたようです。なるほど、オランダはカルヴァン主義の盟主となりつつあったことも勘案すると、スウェーデンやその影響をうけていた地域からプロテスタントの学生たちがやって来たのは、ある意味で納得のいくことですね。

 

  ちょっと古いですが、インテレクチュアル・ヒストリーの観点からは、いまでも役立つ本として『17世紀の技芸と科学の分野におけるスウェーデンとオランダの関係E. Wrangle, De Betrekkingen tusschen Zweden en de Neerlanden op het Gebied van Letteren en Wetenschap voornaamlijk Gedurende de Zeventiende Eeuw (Leiden, 1901) をみつけました。ただし、使った史料や文献にはほとんど言及してないので残念です。

 

 

2017. 8. 4

  以前に調べたときに、どうしても見つけられず、なかば諦めていた 『ハンブルク医師協会とハンブルクの医師サークルFriedrich Nicolaus Schrader, Das Hamburgische Collegium medicum und der ärztliche Verein in Hamburg (Hamburg, 1840) をハンブルグの市立図書館のデジタル・アーカイヴのなかにみつけ、ダウンロードできました。これは、ラッキーです!

 

  初期近代のダンツィヒにあった各種の学校について、20世紀初頭に書かれた歴史書を友人のラファルに教えてもらっていたのですが、これもダンツィヒの図書館のデジタル・アーカイヴにありました。その本から、さらにそれ以前の基本書を芋ずる式にみつけてチェックしています。なかでも Paul Simson という歴史家が一連の研究書をだしていて、だいたいのものがデジタル化されていました。

 

 

2017. 8. 3

  来週にエリザベトと論文執筆のためのブートキャンプを開くことになりました。明晰な論述ができるようになることが目標です。

 

  ヨシ君はなんとかプリンストンに到着したようです。来週の火曜日に会います。

 

  ポーランドの図書館のデジタル・アーカイヴに、チェックしたかった雑誌 Danziger Familiengeschichtliche Beiträge が数冊ありました。この地方の歴史を扱った19世紀末くらいまでの書物は、だいたいドイツ語で書かれています。ただダウンロードした画像ファイル形式が Djvu という古いもので、とり扱いが面倒です。一挙に PDF に変換してつなげる方法はないものでしょうか?

 

 

2017. 8. 2

  審査を依頼されていた論文の審査評を提出しました。ここはオンライン式のものでした。対象となった論文ですが、場所がら英語の文法が間違っていないか、基本文献をおさえているか、などの最低限のお作法をクリアしてあれば良いかなと思います。

 

 

2017. 8. 1

  午前中は今年の夏休みの宿題としてシャワーの修繕をしました。詳しくは、プライヴェート版ブログをどうぞ。

 

 

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