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ごくごく個人的な「本」日記

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20167

 

2016. 7. 31

  6に起きて、7にホテルをチェックアウトして、バスで空港に向かいました。フライトはスムーズで、11時半にはベルギーに到着。そこから電車の接続が悪く、家に着いたのは13時半でした。旅の後片づけと、国際会議で気になった点をいろいろ調べていて夜半になってしまいました。

 

 

2016. 7. 30

  今日はお昼に、ローマの大橋さんと待ちあわせして町中で食事をしました。お会いするのは、もう3年ぶりでしょうか。『ピカトリクス』の邦語版の準備について教えていただきました。そのあと散策して宿舎に戻りましたが、ハイライトはローマでは最後となってしまったという個人経営の本屋さんを冷やかしました。僕関係の本も何冊かおいているようです。夕方には、ダリオに会って食事をしながらいろいろな話をしました。

 

 

2016. 7. 29

  11にコモ湖に突きだす半島にあるベラッジオの宿をチェックアウトして、ボートに乗って対岸のヴェラナに向かいました。歩いてヴェラナの無人駅まで行き、1240分発の鈍行電車でミラノへ。中央駅で昼食をとり、15時発の新幹線に乗ってローマに向かいました。定刻どおり18時前にローマに到着し、駅前にとった宿にチェックインしました。ここには2泊ほどして、日曜日に家路につく予定です。

 

 

2016. 7. 28

  国際会議は全行程を無事に終了し、10には全員がチェックアウトして、それぞれ家路に向かいました。われわれはあと一泊ほどコモ湖の対岸の宿に泊まり、明日はミラノ経由でローマまで電車で移動します。久々にローマの大橋さんにもお目にかかる予定です。

 

  錬金術についての大型の国際会議が、2011にケンブリッジで開催されました。今回、そこから生まれる論集に寄稿するための契約書にサインしました。この論集はラウトレッジ書店から出版されることになりますが、このままだと年越しするかも知れません。

 

 

2016. 7. 27

  今日は国際会議の二日目、最初のセッションでは僕も話します。じつはテーマがかぶるので、昨日はジョーの話がどうなるか気になったのですが、僕の発表内容を先取りされてしまうものではなかったので安心しました。これで気兼ねなく、ドカンといきます。まずは、チャド(グノエ)による発表です。

 

  午前の第一セッションでは最初に、偽作とされる『ペストについて De pestilitate をその他のパラケルススのペスト関係書と比較するチャド(グヌー)による発表です。これまで偽書といわれていたものに、正真作よりも正真な点が浮きあがってくるパラドクスのある面白い発表でした。つづいて僕の発表も上手くいき、なかなか良い反応をもらいました。安心しました。

 

午前の第二セッションは、まずハイデルベルグのトビアス(ブーランク)による偽書『賢者たちの曙』 Aurora philosophorum についての発表です。つづいてバジル・ヴァレンティヌスの著作群の成長をめぐるラリー(プリンチーぺ)による発表でした。やはりラリーは物事の把握とプレゼンが上手いですね。

 

午後の第一セッションは、クロード(レタ)による18世紀のフリー・メイソンにおけるパラケルスス像についての発表です。そして『医師たちの染色剤について』における終末論的なパラケルスス像についてのアマデオ君による発表です。最後は、カトリン(プファイツァー)による『医師たちの染色剤について』の校訂版づくりについての発表でした。

 

 その後はこの国際会議からの論集を出すことについてディスカッションし、最後のディナー、そして食後のドリンクとなりました。主催者の僕は12時くらいまでつき合いましたが、最後の組は何時まで起きていたのかわかりません。

 

 

2016. 7. 26

  さあ、今日から偽パラケルススについての国際会議の本番です。われわれの挨拶の後に最初のセッションがはじまりました。

 

最初のセッションは、ジェニー(ランプリング)による中世ラテン錬金術における偽書群からパラケルススの場合を考える発表からスタートです。ある人物に偶然(事故的)に帰された場合と、意識的にその人物に帰されたテクストがあるという主張です。これは面白いものでした。つづいてデイン(ダニエル)による、『アストロノミア・マグナ』の真偽についての発表です。『アストロノミア・マグナ』は、人間のアストラル・ボディについて書かれたものなので、エレメンタル・ボディの医学についての議論と比べてもあまり意味ないという主張です。ボストンでは時間がなくてしっかりと説明されていなかったところが説明されて、見通しがよくなりました。

 

午前中の第二セッションは、まずジョー(ヘデサン)による『アルキドクセン』に欠けている部分を補おうとする動きについての発表です。なかなか良い発表だったと思います。つづいて、チェコのジリ(ミハリク)による『アルキドクセン・マギカ』についての発表です。これは個人的には面白いものでした。小ぶりながら、基礎的なところをしっかりと押さえているものでした。

 

午後の第一セッションは、セヴェリヌスとゼンネルトにおける『アテナイ人たちへの哲学』の受容についてのエリザベス(モロー)による発表からはじまりました。つづいてディディエによる『アテナイ人たちへの哲学』の誕生の謎についての発表でした。午後のセッションの後にワークショップと称して45ほどディディエが幾つかの気になる断片を読みこむ作業をしたのですが、あまり上手くいかなかったかなと印象を受けました。

 

 

2016. 7. 25

  11に、ミラノの空港に到着するエリザベスと合流して、バスに乗ってミラノの中央駅に向かいました。駅前のホテルに泊まっているアマデオ君と合流して駅のレストランで昼食をとり、14すぎの電車でコモに向かいました。手配していたシャトルに乗ってヴィラ・ヴィゴーニに向かいました。1時間はかかったでしょうか。16過ぎに会場に到着し、チェックインしました。なんとも美しい場所です。> 19からウエルカム・ドリンクがあり、そのあとにディナーへと流れました。移動で疲れていたのか、22には眠くなりました。

 

 

2016. 7. 24

  17時半のフライトに備えて、16に空港に向かいました。フライトは順調で、19時過ぎにはミラノに到着しました。空港近くにとった宿に向かいました。

 

 

2016. 7. 23

  8時に新幹線に乗ってデュッセルドルフに向かいました。空港でクレアと合流して、一日を過ごしました。

 

 

2016. 7. 22

  今回の原稿をつくる過程で、パラケルススの正真作 『自然の事物についてVon natürlichen Dingen が思いのほか大事だとわかりました。岡部先生による抄訳で聖ヨハネ草磁石についての2章、澤元さんによる『ヘルバリウス』の邦訳への付録としてハルタデオトギリソウ2章が訳されていますが、現代語への全訳はないようです。現代の標準版となる全集を編集したズートホフは、このテクストが執筆されたのは152526年頃としていますが、もうちょっと絞れるヒントはないかなと思っています。

 

 

2016. 7. 21

  ベルギーは今日、建国記念日ですべてが閉まっています。朝から集中して昼過ぎには、発表のためのパワポを完成させました。いつもは発表の前の晩などに必要最低限のことだけに絞ってつくるのですが、今回は早めに仕上がりました!土曜日の早朝の電車で出かけますので、これから明日にかけて旅行カバンを用意します。

 

 

2016. 7. 20

  突きつめれば、いくらでも深堀りすることもできるのでしょうし、確認しなければならない細かいデータは山ほどあるのですが、発表原稿は自分でもそれなりに満足できる状態に到達しました。これからパワポをつくっているあいだに、クレアにプルーフ・リーディングしてもらいます。題名も当初のものから変更して、「偽作者の書斎のなかへ:出版史にみる『事物の本性について』の誕生“Into the Forger’s Library: The Genesis of De natura rerum in Publishing History” ということで、本づくりの方面からインテレクチュアル・ヒストリーにアタックしています。

 

 

2016. 7. 19

  勁草書房から嬉しい知らせがありました。『テクストの擁護者たち』と『ボッティチェリ《プリマヴェラ》の謎』の売り上げが順調で、在庫もかなり少なくなっているようです。このままの勢いで初刷りの完売を狙いたいですね。前者はBH叢書でももっともソリッドな学問を、後者はBHのコスモスの親しみやすいポップな側面をうまく映していると思います。

 

  今日一日とても集中して作業をし、2900と十分な分量に到達しました。ここからは推敲しながら、要らない枝葉末節を切りおとします。パワポで細かいデータを見せながら進行しなければならないので、普段よりゆっくり話し、少なめの分量まで落とさないといけないかも知れません。

 

 

2016. 7. 18

  偽パラケルススについての国際会議まで残すところ1週間を切ったところで、やっと研究にエンジンがかかってきたのか、がぜん面白い展開になってきました。もしかしたら、ペーパーとして文章にきちんと落としている時間はないかも知れませんが、すくなくともパワポで話を進められるようにしたいと思います。

 

  ここのところの作業では、偽パラケルススの『事物の本性についてDe natura rerum 1572年)の背景を探っています。アマデオ君とメールをやりとりしていて見えてきたのですが、邦訳もされている『アルキドクセン』が大ヒットし、15701年間にドイツ各地で少なくとも6版も出版されたことが大きな転機になっていると思えます。ここから、発表の内容は当初予定していたボストンで話したようなテクスト分析というよりも、1570から1572にかけてのパラケルスス関連書の出版と偽作づくりのブームについてのインテレクチュアル・ヒストリーを描くことになりそうです。

 

夕方からは、これまでの研究でつくった出版リストをもとに原稿を書きはじめました。終わった段階で1500単語と、30分の発表ための分量の半分くらいまできました。

 

 

2016. 7. 17

  ベルリンでの最初の国際会議は、オカルト因についてのゼンネルトの議論をみてみたいと思っています。前提となるフラカストロフェルネルの議論からスタートしますが、これについては彼らのソースをみつけてあります。90年代につづけて発表された一連の論文によって開拓された問題ですが、その後は足踏みに近いと思っています。

 

  その一方で、植物霊魂についての国際会議はそれほど乗り気ではありません。良い論題が見つかれば、話はべつだと思いますが。

 

  今日は、ジオコスモス計画のデカルトの章の見直し(4回目)と話しあい、それから去年の占星術についての国際会議から生まれる雑誌の特集号のために共催者リンケが書いたイントロの見直しをしました。後者はまだまだタタキ台という感じですが、どうでしょうね?> ということで、偽パラケルススについての国際会議の準備はできませんでした。

 

 

2016. 7. 16

  昨日ここに書いたベルリンでの国際会議の主催者ピエトロは、今年になって国際論集 『ダンカン・リデル:博学のネットワークと北方ルネサンスPietro Daniel Omodeo (ed.), Duncan Liddel (1561-1613): Networks of Polymathy and the Northern European Renaissance (Brill, 2016) を出しているのですよね。よくこんなにオブスキュアな人物について本を出したなと。そういう僕もこうした人々が好きなので、他人のことはいえませんが。

 

  すでに招待を受け入れた人のリストに、ユトレヒトでの占星術会議に参加してくれ、サンフランシスコの占星術パネルでも発表してくれたアンナの名前もみつけました。会議の口上にはリバヴィウスの名前も出ているのを幸いに、ピエトロにはエリザベスを推薦しました。

 

  今日はなんだかクレイジーです。今度は、来年4月末にベルリンで開催されることになった初期近代における植物霊魂についての国際会議の知らせが来ました。招待を受け入れた覚えはないのですが、僕の名前も発表者にはいっています!

 

  しかし、なんでこうまでベルリンかというと、べルルスコーニ政権下で才能ある若いイタリアの研究者の多くが国外に出ました。そういった人たちが集まった場所のひとつがベルリンだったのです。そこに東欧や他の地域から才能が集まり、ドイツ語ではなく英語で国際会議をするようになりました。いまやこの町は、パリロンドンよりも学問的には面白い場所となっています。

 

 

2016. 7. 15

  いつも携行している外付けハードディスクから、かすかに変な音が聞こえるようになりました。これは危ないということで、急いでデータのバックアップを開始しました。ついでに、かなりカオスな状態となっていたフォルダー群を改善すべく、一日かけて整理しました。まだ完全ではありませんが、だいぶスッキリさせることができたと思います。

 

  ここ何日かジオコスモス計画のための図版のなかで、すわりの悪いものについて議論しております。僕としては、本論とは関係ない横道にしかみえませんが、著者の方はディテールにこだわりたいといいます。ディテールに溺れて、伝えるべきメッセージが見え難くなってしまうことと、つねに闘っている計画ですので、仕方なしの感はあります。またページ割とかレイアウトの観点からも考えて欲しいところです。ここに置けばいいじゃないかといわれても、置けない場所もあるのです。いろいろ頭をひねって、良い落としどころを見つけないといけません。

 

  来年6月にベルリンで、『初期近代プロテスタント圏における学知』と題された国際会議が開催されるようですが、そこでの発表を依頼されました。メランヒトンによる知の改革のインパクトを天文学から医学数学から錬金術・キミアまで見るという、かなり大がかりな(あるいは取り留めもない)スコープです。受けるか、どうかじっくり考えたいと思います。

 

 

2016. 7. 14

  ボストンでの議論でも課題として浮かび上がってきたように、パラケルススの初期作 『アルキドクセンArchidosis と比較するために、まずはテクストをじっくりと読まないといけません。第五精髄アルカナの部分まで読み進めましたが、『事物の本性について』とは論述の調子がかなり異なると思います。『アルキドクセン』での議論は、『パラグラヌム』以降の正真作にみられるアイデア群とはかなり異なるのですが、論述の調子はむしろそれほど変わらないと思います。それに比べると、やはり『事物の本性について』のディダクティックな論述は特異です。

 

 

2016. 7. 13

  昨日につづいてズートホフによるパラケルスス帰される著作の出版リストをじっくりと見直しています。1572年の『事物の本性について』 De natura rerum までに、どのような出版物があったのかという点がキモとなります。

 

 

2016. 7. 12

  今日からしばらくスキャンとか箱詰めのことを忘れて、イタリアはコモ湖畔で開催する偽パラケルススについての国際会議のために準備作業を開始したいと思います。

 

 

2016. 7. 11

  あと一日分はスキャンの作業が残っているなと思っていたのですが、どうやら2008の渡米前にスキャンしていたようです。ということで、大方は終了しました。途中で2週間ほど休みましたが、全体で50ほどかかりました。明日は、本を詰めるための段ボール箱を買ってきます。正確には分からないのですが、最初の5つにくわえて、あと15は必要かなと思っています。

                                                                 

  ついに、偽パラケルススについての国際会議が今月末に迫ってきました。蜜の滴るようなプログラムを、こちらにもアップしておきます。

 

 

2016. 7. 10

  昨日はガッサンディの肖像画の初出をつきとめて、個人的にとても喜んでいたわけですが、初期近代の刊本で肖像画を見つけるコツみたいなものが分かってきました。ラテン語の碑文が入っているものが、マーキングとして役立ちます。そして、ありがちなのは著者の没後の版や全集です。このルールを適用してデカルトスピノザ、そしてライプニッツのあまり知られていない画像を見つけることができました!

 

 

2016. 7. 9

  昨日の話しあいを受けて、今日は朝から夕方まで本格的に図版の採集をおこないました。必要な図版はだいたい50点です。作業の基本は、博物館や美術館にしかない版権をクリアするのが大変な一点物を避けて、初期近代の刊本から 300dpi 以上の印刷に耐えうる解像度の高い図版をあつめることです。普通にネット上に落ちている図像は、解像度の点からまったく話になりません。

 

  とくに難易度の高いものをのぞいて、なんとか48ほど集めることができました。まだクレアに判断を仰がないといけないアイテムもありますが、それらはあとで見てもらいます。かなり時間をかけましたが、この探索の旅のハイライトはガッサンディの肖像画の初出をつきとめたことです。『天文学提要』 Institutio astronomica という著作の第三版(1656年)でした。

 

16世紀には古代からルネサンス期までの有名人の肖像画の集成がつくられたので、見つけるのはそれほど難しくはないのですが、17世紀になると刊本の肖像画というよりも、スピノザライプニッツのように美術作品としての油彩の肖像画が多くなります。そうなってくると、所蔵する博物館・美術館がからんでくるので面倒です。

 

  5月に日本にいるときにアメリカに送った学術郵袋が、クレアのところに届いたようです。船便あつかいでほぼ2カ月かかりましたが、約5千円の費用で20の学術本をアメリカまで送れるのはありがたいですね。欧州までなら1万円を超えますよ。

 

 

2016. 7. 8

  ジオコスモス計画のために、朝9時から1時間ほど話しあいをもちました。いまは図版を集めているのですが、そのさいに注意しないといけないっことがなかなか伝わらないようなので、話した方が良いだろうという判断からです。

 

  昨日につづいて並行して、雑多な資料旅行の記録(リーフレットや領収証)などを片っ端からスキャンしては、廃棄する作業をおこないました。大きなバインダーも残り6つほどになりました。もともとは30くらいあったわけですから、大きな前進です。

 

 

2016. 7. 7

  ポスト・フェステム状態ですが、スキャンの作業をつづけています。今日は、20巻組のフランス語の百科事典をやっつけます。

 

  オックスフォード遠征の準備のために滞っていたジオコスモス計画から、イントロと結論の見直しをおこないました。念には念を入れてじっくり見ていたことで第8校までいったイントロは、これでほぼ確定でしょう。それに対応する結論も、あとちょっとの微調整で完成となるでしょう。

 

 

2016. 7. 6

  朝食だけ皆と食べた後は、駅に向かって9時半のロンドン行に乗りこみました。行は長く感じられたのですが、帰りはあっというまにロンドンに着きました。ちょっと寄り道したいところがあって、ハイド・パークをつっきって街中を歩いて行ったのですが、どうも計算違いだったようです。ギリギリになってベルギー行の新幹線にたどり着き、リェージュに帰ってきたのは18時でした。

 

 

2016. 7. 5

  今日から Scientiae という大きな学会が金曜日までつづきます。僕は初日のセッションの司会をひとつします。あとは午前中のキミアについてのセッションと午後のジョールとエリザベスのセッションに参加する予定です。

 

この Scientiae というのはまだ5年目くらいの学会で、初期近代のインテレクチュアル・ヒストリーに特化したものです。参加者の平均年齢も若く、博論生やポスドクが中心となっています。僕も初めて参加したのですが、いろいろ斬新なテーマや手法の発表がある一方で、ご意見番としてのシニアの人が少ないことから、議論が締りなくグダグダな感じになることもあるようです。僕の司会をしたセッションでも、ある博論生が1時間分もあるかという内容を20分で話そうとしたようで、司会の僕にあっさりと話の途中で発表を切られて、すべっていました。それでも、5分ほどオマケしてあげたのですよ。

 

 

2016. 7. 4

 さあ、ワークショップの当日です。ほぼプログラムどおりに進行しました。2本の発表ごとに質疑をするので、どうも2本の内容がうまくかみ合わないと、議論も変な感じになります。

 

  午前中の4本は、まずケンブリッジの博論生ティルマンによるブランシュヴァイクにおける第五精髄のアイデアについて、つづいてジョールの飲用金にたいするドイツの懐疑論者と肯定論者たちの論争について、それからジェニーによるアナロジーによる治療の考えについて、そして最後はナタリーによるベイコンにおける長命理論についての発表でした。最後の発表は、なんでここにいるのか分からないようなものでしたが、ジェニーと質疑が一緒になってせっかくのジェニーの議論に質疑がつながらなかったのが残念です。

 

  午後の最初のセッションは、ディディエによるパラケルススの『長命について』のソースにかんする発表、そして日本にも来たピーターによる同じくパラケルススの『長命について』の受容について、そのつぎのセッションはラファルのセンディヴォギウスについての代わり映えしない発表、そしてファン・ヘルモントについての単著を出したばかりの主催者ジョーによる発表でした。

 

  30の発表を8こなした時点で、会場には満腹感が漂っています。1日に2030分で8本なら分かりますが、30分で10本は多いですよ。それでも最後のセッションとして、僕のクロルについての発表とブルースによるディキンソンという17世紀後半の人物についての発表がありました。目新しいブルースの話題で質疑がもっていかれるのかなと思っていたら、ステーフェン(クルッカス)が親切にも良い質問を2つもしてくれて、むしろ僕の発表について議論が盛りあがりました。ちょっと意外な展開でしたね。

 

  明日からはじまる Scientiae という大きな学会の前触れとしてのワークショップだったので、これといったディナーは企画されていなかったのですが、参加者たちと近くのインド料理店にいきました。まあ、OK程度の店でした。

 

 

2016. 7. 3

  7に起きて、8時半のバスに乗り、9の電車でブリュッセルを目指します。そこから12発の新幹線でロンドンに向かいます。ロンドンでは、地下鉄でパディントン駅まで移動して、14時半の電車にのります。16にはオックスフォードに着くようです。移動中は、ほぼネットにはつなげないと思います。

 

  ロンドンのパディントン駅について、予約していた電車の券を駅のマシンでプリントしようとしたところで、異常に気がつきました。帰りの電車は良いのですが、行きの電車の日付は625!になっています。それは券を買った日でした。なにかの拍子に入力し間違えたようです。仕方なく新しい券を30ポンドで買い直し、電車に乗りました。とほほ。

 

  ベルギーを出発したときは天気がイマイチでしたが、オックスフォードに着いたら快晴です。町の感じは平均的に建物が低いせいか、ケンブリッジよりも小さく感じられます。ワークショップの会場と宿舎のある聖アン・カレッジに向かって歩いていると、ジョール(クライン)に会いました。どうやら道は正しいようです。宿舎にチェックインして、夕方にエリザベスや他の人々と合流して一杯ひっかけました。

 

 

2016. 7. 2

  オックスフォードにむけて出発する前の最後のスキャンをしました。これで山積みになっていたものは、ほぼすべて片づけたことになります。あとはフランス語の全20巻の百科事典と音楽関係の雑誌が残っています。まとまりにできない断片的な資料の束を入れていたバインダーが、まだ20くらいあるのですが、残り10つまで減らしました。これがかなりの場所をとっていたので、大きな前進です。

 

 

2016. 7. 1

  修士を終えたばかりの学生さんから、僕のもとで博論の研究をしたいというメールをいただきました。16世紀のメキシコにおける占星術について研究したいそうです。ただし資金はないそうで、このあたりがネックでしょうね。

 

 

 

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