ジャービル研究のプラットフォーム

 



 

(ルネサンス期ヨーロッパでのジャービルの想像図)

 

 伝説的なアラビアの錬金術師ジャービルに帰された文書群は、9世紀から10世紀にかけて複数の人々によって書かれたもので、「ジャービル文書」と総称されています。ここでは、このジャービル文書の謎にせまる研究の基礎を提供します。

 

 

 

ジャービル文書の構成

 

ジャービルは721年ごろから815年ごろまで生きたと一部ではされますが、ジャービル文書は830年ごろに成立した偽ティアナのアポロニウスによる『創造の秘密について』に言及していることから、それ以降に書かれたことがわかり、アル・ナディムの文献目録が書かれた987年ごろには、ほぼすべてが成立していたと考えられています。ジャービルは、「1358=17」という比率をもとにして自然物の構造を説明する「均衡」(バランス)の理論でとくに知られていますが、この理論が実際に展開されるのは、後期に属する10世紀のあいだに成立した文書群だけのようです。

 

 

1. 『慈悲の書』9世紀半ばから9世紀後半)

もっとも古い著作とされ、他の著作群とは性格がかなり異なる。ふたつの異本があり、新しい方は75の段落にわけられ、注釈家の言葉が編みこまれている。すでに『70の書』で言及されている。ラテン語訳あり。

 

2. 112の書』9世紀後半から9世紀末)

純粋に錬金術について書かれている。有機物由来の物質が操作の大半を占める。構成する112の書物は、それぞれが独立した論考となっている。『70の書』と密接な関係にあるが、「均衡理論」には言及されない。

 

3. 70の書』9世紀後半から9世紀末)

体系的な錬金術書。7部構成で、それぞれが10書からなっている。合計して70となる。内容的に、『112の書』と密接な関係にある。ラテン語訳あり。

 

4. 『均衡の書』10世紀初頭から10世紀前半、940年代より前)

144の論考からなり、それぞれが「均衡理論」のさまざまな側面をあつかう。錬金術や占星術、魔術、医学など、百科全書的な性格をもつ。シーア派のイスマイル分派による宗教的な影響が色濃い。 32の書』と『15の書』という下位グループが核になっている。現存するのは44篇のみ。

 

              5. 500の書』 10世紀前半、940年代ごろ)

              500の「書簡」からなり、『均衡の書』より後、『7つの金属の書』より前に成立したと考えられる。

 

              6. 7つの金属の書』10世紀半ばから10世紀後半)

それぞれの金属にあてられた7書による構成で、『均衡の書』の補遺的な性格をもつ。難解な「均衡理論」に、明解な説明をあたえることを狙いとしている。

 

 

 

基本文献

 

A. 日本語で何が読めるのか?

 

シャーウッド・テイラー『錬金術師』(人文書院、1978年)、96-114頁。

 

ホームヤード『錬金術の歴史』(朝倉書店、1996年)、50-62頁。

 

プリンチーペ『錬金術の秘密』(勁草書房、2018年)、第2章。

 

 

 

B. テクスト

 

Marcellin Berthelot (ed.), Alchimie au Moyen Age (1893), vol. III.

 

Eric J. Holmyard (ed.), The Arabic Works of Jâbir ibn Hayyân (Paris: Maisonneuve, 1928).

1891年にインドで出されたリトグリフ版からの収録

 

Paul Kraus (ed.), Jâbir ibn Hayyân: textes choisis (Paris: Maisonneuve, 1935).

いまだに標準的な原典選集

 

 

 

C-1. 研究書

 

Paul Kraus, Jâbir ibn Hayyân, v. 1: Le corpus des écrits de Jâbir (Cairo: Institut français d’archéologie orientale, 1943).

ジャービル文書の構成について

 

Paul Kraus, Jâbir ibn Hayyân, v. 2: Jâbir et la science grecque (Cairo: Institut français d’archéologie orientale, 1942).

ジャービルとギリシア科学との関係

 

Peter Zirnis, The Kitâb ustuqus al-uss of Jâbir ibn Hayyân, Ph.D. diss. (New York University, 1971).

論考「可能態から現実態への過程」の校訂英訳と注解からなる

 

Yves Marquet, La philosophie des alchimistes et l’alchimie des philosophes: Jâbir ibn Hayyân et les Frères de la pureté (Paris: Maisonneuve, 1988).

ジャービルの錬金術における哲学と純潔同胞団の百科全書における錬金術の扱いについて

 

Syed N. Haq, Names, Natures and Things: The Alchemist Jâbir ibn Hayyân and His Kitâb al-Ahjâr (Book of Stones) (Dordrecht: Kluwer, 1994).

『バランスの書』を構成する論考「石の書」の校訂英訳と注解からなる

 

Kathleen M. O’Connor, The Alchemical Creation of Life (takwîn) and Other Concepts of Genesis in Medieval Islam, Ph.D. diss. (University of Pennsylvania, 1994).

ジャービル文書から発生についての一連のテクストについてのラフな翻訳・解説

             

 

 

C-2. 研究論文(1990年以降)

 

Emma Gannagé, “Alexander Aphrodisias In De generatione et corruptione apud Gâbir ibn Hayyân, Kitab al-Tasrif,” Documenti e studi sulla tradizione filosofica medievale 9 (1998), 35-86.

ジャービル文書にみるアレクサンドロスの失われたアリストテレス注解について

 

Emma Gannagé, “Introduction,” in Alexander of Aphrodisias, On Aristotle’s On Coming-to-Be and Perishing, 2.2-5 (London: Duchworth, 2005), 1-81.

1998年の仏語論文に大きく依拠した序文としての論考

 

David Pingree, “From Hermes to Jabir and the Book of the Cow,” in Magic and the Classical Tradition (London: Warburg Institute, 2006), 19-28.

ヘルメスからジャービルと『ウシの書』へ。ジャービル文書の魔術的な側面について

 

Bassam I. El-Eswed, “Spirits: The Reactive Substances in Jâbir’s Alchemy,” Arabic Sciences and Philosophy 16 (2006), 71-90.

ジャービル文書で「精気」と呼ばれる各種の物質について

 

Ahmad Y. Al-Hassan, “An Eighth-Century Arabic Treatise on the Colouring of Glass: The Book of the Hidden Pearl of Jâbir ibn Hayyân,” Arabic Sciences and Philosophy 19 (2009), 121-156.

ガラスの色彩づけについてジャービルに帰された論考

 

Thijs Delva, “The Abbasid Activist Hayyân al-Attâr as the Father of Jâbir ibn Hayyân,” Journal of Abbasid Studies 4 (2017), 35-61.

ジャービルの父親とされる人物ハイアーンについて

 

Leonardo Capezzone, “The Solitude of the Orphan: Gâbir ibn Hayyân and the Shiite Heterodox Milieu of the Third/Ninth-Forth/Tenth Centuries,” Bulletin of the School of Oriental and African Studies 83 (2020), 51-73.

ジャービルとシーア派のイスマエリー分派について

 

Masayo Watanabe, “Gâbir ibn Hayyân as a Touchstone of Arabic Sciences in the Eighth Century,” Historia scientiarum 29 (2020), 214-228.

ジャービル研究の総括と課題について

 

 

 

 

日記の記述から

 

2020. 10. 13  

  午前中にローマの大橋さんとやりとりをして、ポール・クラウスのレアな論文「ジャービルによる宗教階層の高官たち Paul Kraus, “Les dignitaires de la hiérarchie religieuse selon Gâbir ibn Hayyân,” Bulletin de l’Institut français d’archéologie orientale 41 (1941), 83-97 の存在を教えていただき、早速のところ見つけました。フランス国立オリエント研究所の『紀要』は、素晴らしいことに電子化・データベース化されていて、こちらから論文ごとに検索やダウンロードができます。

 

 

2020. 10. 8

  伝説的なアラビアの錬金術師ジャービルについての記述も増えてきたことから、専用頁を開設しました。これから徐々に充実させていきます。『ウシの書』の頁ともども、ご愛顧ください。

 

 

2020. 10. 4

  先日のアロマ雑誌への久々の寄稿は、6月号9月号になりました。来年の3ごろに原稿が提出できれば、良いのではないでしょうか?それぞれ1000ですので、短い紙幅で効果的に書かないといけません。まだ時間があるので、ゆっくりと構想を練ろうと思います。ジャ研をとおしてアラビアの錬金術で盛りあがっているので、タイミング的にはバッチリです。

 

 

2020. 10. 2

  婦人画報社が出しているアロマ雑誌の編集者の方から、 『アロマトピア』という雑誌で2001につくった特集号「アラビア文化の香りとハーブ」を読んだということで、蒸留に関連した記事を依頼されました。10は忙しいので、お断りしようかと思ったのですが、『錬金術の秘密』の宣伝にもなるかなと思い、11月以降ならなんとかとお返事しました。すぐに返事があって、締め切りについては、柔軟に対応していただけそうです。前後半に分かれますが、全部で2000字です。蒸留と秘薬エリクシル、そして錬金術を絡めたものを提案しました。リアクション待ちです。

 

 

2020. 9. 18

  今日はジャービル文書の構成について、ノートにまとめていました。かなり見通しが良くなりました。

 

 

2020. 9. 17

  昨日までに読んだマテリアルから学んだことついて、ジャービル研究会(略して、ジャ研)の方々とやりとりしました。クラウスは tajmi を「結集concentration とある意味でふかく読みこんでいるようですが、ピングリーはあっさりと「結合assembling を使っているので、とりあえず当面のあいだ後者でいこうと思います。

 

  『形態の書Book of Morphology は、『結合の書Book of Assembling と一緒に『バランスの書Books of Balances の一部なのだとわかりました。『均衡の書』は『144の書』とも呼ばれ、長短のことなる144の論考から構成されていたようです。現存するのは、そのうちの44篇だけですが、79篇のタイトルは再構成できると。これらの論考は、成立の年代や背景、そして構造がそれなりに似ているのだろうと考えられます。『均衡の書』のなかに、いくつかの近しい論考をあつめた『15の書』や『32の書』と呼ばれる内部グループがあるようです。『結合の書』は、『32の書』の一部ということになります。

 

 

2020. 9. 16

  日記の記述が一日分先行していますが、ご容赦を。今日は体調がイマイチなので、ジャービルアレクサンドロスについての研究をゆるく読んでいましたが、こういうときにかぎって、いろいろと学ぶところがありました。> 大事なところなので、データをノートに整理しました。これで、すこし見通しが良くなりました。

 

 

2020. 8. 11

  ジャービルからポルピリオスに作業を移行しています。というか、ジャービルが言及する(偽)ポルピリオスについて知見を整理しています。本来ならアラビア語のテクストが読めれば良いのですが、それはできないので遠回りとなります。

 

 

2020. 8. 10

  ここのところ本日記でも、アラビア語圏の伝説的な錬金術師ジャービルのことばかり書いていたのですが、なんと彼についてのドラマがあることがわかりました。いまのところ、1シーズンで12エピソードあるようです。これは要チェックですね!

 

 

2020. 8. 4

  昨日のつづきで、これまで読んだ『ウシの書』についての2次文献からメモをとって、基本的な知見を整理しています。それが一通り片付いたら、ジャービルにいきます。

 

 

2020. 8. 2

  つづいて、ポール・クラウスのジャービルについての研究書から、人工的な発生についての3を読みました。やっぱりジャービルはアラビア哲学史の文脈でも、しっかりと研究されるべきだと思います。

 

 

2020. 7. 31

  コロンビア大学図書館の人力スキャンに注文していた論文ヘルメスからジャービルと『ウシの書』へ David Pingree, “From Hermes to Jabir and the Book of the Cow,” in Magic and the Classical Tradition (London: Warburg Institute, 2006), 19-28 が到着しましたので、早速のところ読んでみました。短い論文ですが、とても役だちました。『ウシの書』とともに、ジャービルの『均衡の書』が大事だとわかります。このジャービルの書物は、2015年に新しいアラビア語版が出版されているようですが、古くはポール・クラウスのジャービル著作集の第1巻に収録されているようです。近年の研究はあるのでしょうかね?

 

 

 

 

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