『思想』論文
タイトル
「ルネサンスの種子の理論:中世哲学と近代科学をつなぐミッシング・リンク」
Renaissance
Concept of Seeds : A Missing Link between Medieval Philosophy and
Modern Science
『思想』 (岩波書店、2002年12月)、944号、129-152頁
序章では、事物の種を保存する運搬者の認識論的な意味から始めてアナクサゴラスやプラトンといった古代やトマス・アクィナス等の中世哲学における種子の概念の存在をまとめた小史が付されています。本体では、フィチーノやパラケルススから始めてファン・ヘルモントとガッサンディのクライマックスまでグイグイと引っ張って行きます。最後は、種子の理論がライプニッツのモナド理論へ流れ込んでいく様子に触れつつ、その後の展開のパースペクティヴを見せて、終焉といった感じです。
1. はじめに
2. 古代・中世における種子の概念
3. フィチーノ:ルネサンス型種子の理論の誕生
4. パラケルスス:アウグスティヌスの影の下に
5. セヴェリヌスと種子の哲学の確立
6. ファン・ヘルモントとキミア的種子の理論の完成
7. ガッサンディと種子の理論の粒子論的な再解釈
1. むすび
吉本秀之 さん (東京外国語大学助教授) のウェブ日記 (2002年11月30日付)における書評から引用 平井浩「ルネサンスの種子の理論―中世哲学と近代科学をつなぐミッシング・リンク―」『思想』(2002年12月号), pp.129-152を読みました。講演でも、ウェブ でも聞いたことのあるストーリーですが、やはりまとまった論文で読むと迫力が違います。[中略] 平井さんが今回の論文では (恐らく与えられた紙幅という制限により)
展開しなかった他の点でも、フィチーノはボイルの世代まで影響を与えています。ボイルやニュートンの世代において、創造的仕事は、機械論の枠組みを超越した領域、種子や力の働く領域でなされた、というのが私の見通しでしたが、思わぬ力強い援軍が現れたことになります。私個人としては、論文に書いたこと、まだ書いていないことを含めて、他にも多くの語ることがあるのですが、ともあれ、そういう個人的事情を別にして、この平井さんの論文は、近代初期の思想史や科学史に関心のあるものは全員が読むべき必読論文です。
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菱刈晃夫さん (国士舘大学専任講師) のウェブ・コラム (2003年4月8日付) における書評から引用 (改行は一部変更) リエージュ大学の平井さんから送っていただいた『思想』(岩波書店、2002年12月号) 論文「ルネサンスの種子の理論―中世哲学と近代科学をつなぐミッシング・リンク―」を楽しく読ませていただいた。以下、簡単な感想。 コメニウスについての論文をいま頼まれているせいもあって、とくに種子
semina の思想的系譜に関心がある。平井さんの論文は、教育思想研究だったら、いとも簡単にサラッと分かった気になって読み飛ばされてしまう重要な概念にとことんこだわり、その起源をクリアーに解明してくれる。このような深くてかつ広い本格的研究論文を読んだのは初めてである。(比べて、わが国の教育思想研究は、テキストを表面的になぞるだけの皮相なものが多いことにもあらためて気づかされる。) とりわけ、アウグスティヌスの種子的理性 rationales
seminales など、どれだけ多くの影響を後世に及ぼしていることか。パラケルススはもとより、きっとコメニウスにも。そのあたりの脈絡を、丁寧かつ繊細に、平井さんは描き出している。これぞ思想研究の王道というか醍醐味という感じだ。(地味で地道な研究スタイルだが、こうしたまじめな研究、日本でははやらなくなってきている。そしてすぐに、分かった気になって「空中戦」へと突入。結局なにも残らない。むなしい。みんな頭がよすぎるのか、反対にわるいのか?) 種子の理論と予定の考えも結びつく。大いに勉強となると同時に啓発されるところの多い論文だ。しっかり使わせてもらおう。そしてぼくも、平井さんのような研究スタイルを少しでも見習いたいものだ。 |