差出人 :木村達郎
送信日時:2002/02/04 00:19
題名 :[rudolf2:51] ハラントについて
木村さん、早速のお返事ありがとうございます。チェコ語についてのアドバイス、参考にさせていただきます。
チェコのアーカイブサイトのURLは、http://citanka.cz
です。ご覧になってみてください。
ハラントの宗教的立場ははっきりしていません。エヴァンズの『魔術の帝国』にも触れられていますが、家系と環境とはカトリックだったものの、要するに彼はルネサンスの知識人によく見られる宗教的穏健派であって、同じカトリックのハプスブルク皇帝であってもルドルフ宮廷の寛容な雰囲気は好ましいものだったが、マティアスとその周辺の親スペイン・親教皇的態度は彼の愛郷心が受け容れなかったということのようです(プロテスタント寄りだったのは確かなようです。資料によっては1608年にすでにプロテスタントに改宗していたとしているものもあります)。
ハラントとルドルフ2世が初めて会ったのは1599年、プルゼニでのことと推測されており、それから1612年のルドルフ死去後もしばらくプラハ宮廷に留まりますが、1614年にルドルフ2世が生前フェリペ3世に授けた金羊毛勲章を届けにスペインを訪れた後は、宮廷に出ずチェコ北部 Nova Paka 近郊の居城 Pecka 城に引き籠もりました。
なお、ハラントのエルサレム巡礼旅行は1598年から1599年にかけてで、巡礼記の出版は1608年です。1614年のスペイン訪問時にはサンチャゴ・デ・コンポステラにも巡礼しており、巡礼に対する彼の強い関心がうかがえます。
宇宙の調和を表現する学問としての音楽、迷宮としての世界を巡る旅、魂の変成を導く巡礼といった錬金術的タームがハラントの生涯にも見えてきます。