New Paracelsus Lounge
パラケルスス研究のラウンジ
パラケルスス 『奇蹟の医の糧』
(工作舎、2004年) 『図書新聞』 (2005年2月19日2714号5面) 誌への書評 平井 浩 (BH主催) パラケルスス(1493-1541)ほど誤解されている人物も、医学の歴史上そう多くはないだろう。いや、医学だけではなく、西欧ルネサンス期の思想や文化一般に彼が占める位置を正しく理解している歴史家など、世界でも多くないのが現実だ。 これ程までに彼が誤解されている理由は幾つもあるが、最も大きなものは、彼の著作をしっかり読んで判断した人が非常に少なかったということだろう。これは、彼の影響力が最も大きかった16-17世紀の西欧でも、今日の世界の歴史学でも変らない傾向である。あまりの毒舌、権威を省みず高慢ともとれる態度、後世に幾つもの用語辞典が作られたくらいの造語癖、一見矛盾にあふれた言説、どれをとってもアカデミズムの世界で評価を高めるために役に立つものではない。 そういう型破りな彼も、初めは大学で教えることを良しとした。しかし、当時の学問の常識を覆して、ラテン語ではなく世俗語のドイツ語だけで講義をするなど、あまりにも革命的であった彼は、多くの敵を作った。大学教授職を追われた彼は、既成の学問世界からは距離を取り、アウトロー的な生涯を送った。 パラケルススの教えを信奉し、手稿を収集・編纂・出版したパラケルスス主義者と呼ばれる一群の人物が現れたのは、彼の死後20年以上が経ってからである。彼らは、パラケルススが酷評した古代人アリストテレスやガレノスの教えを正統とする大学よりも、王侯君主が先鋭的な知性を集めた知的サークルに活躍の場を求めた。西欧各地に生まれた諸サークルの活動が近代科学の形成に大きなインパクトを与えたことは、今日の研究が明らかにしている。早く生まれ過ぎた才能は世に理解されず、日の目を見るのは死後になってからという典型的なストーリーがここにある。 天涯孤独、放浪の志、攻撃的な言動。このあまりにロマネスクな人物像は、ゲーテをはじめ多くの作家を魅了し、小説や演劇の題材となり、脚色され、はては第二次世界大戦下ドイツで映画にさえなった。癒し師、魔術師、錬金術師、妖術使いなどと呼ばれた社会のマージナルな人々と交わり、奇妙な呪文めいた言葉を操り、秘薬を調合し、奇跡的な治療で民衆を助け、大学医師や貴族ら金持ちを懲らしめるヒーロー像が、パラケルススとは切っても切れないものとなった。そして、彼に対する誤解は連綿と続いたのである。 しかし、近年の研究の進展により、パラケルスス主義者達の近代文化に対する貢献が徐々に知られ始め、その原点となったパラケルスス自身の思想を理解しなければならないという機運が高まっている。研究を促進する鍵となるのは、テクストの普及であろう。パラケルススは、全てドイツ語で著作を書いた。確固とした近代的な文法が定まっておらず、語彙も乏しかった時代のドイツ語である。ルネサンス文化を専門とするドイツ人学者にとってさえ、彼のテクストを読むことは「チャレンジだ」と言われたことがある。奇妙な言葉の交錯する造語癖の問題はもちろんのこと、パラケルススのテクストの難しさを決定的なものとしているのは、繰り返しや脱線、論理の飛躍・未整理の多さだろう。これは、彼が細心の注意を払って推敲を重ねる論理的な文章家ではなく、勢いに任せて情熱的に繰り出す言葉を付き人に口述筆記させた説教家であるところから来ている。 また、最も注意を払わなければいけないのは、パラケルススに帰される偽書が多く作られ、それらが彼の標準的な著作集にも綯い交ぜに含まれているという点だろう。正真作と偽作を慎重に見分けなければならないのである。 今回新たに刊行された『奇蹟の医の糧』は、パラケルススがバーゼル大学を追われ失意の底にいた時期に書かれた代表作『パラグラヌム』(1530年執筆) の全訳である。パラケルススの著作活動中期に当たる1530年代前半は彼の短い生涯において最も生産的で、有名な硫黄・水銀・塩の名を冠した事物の三原質の理論を軸にキリスト者のための新しい医学理論を作り上げただけではなく、聖書注解にも力を注いだ時期である。その時期の幕開けを告げる本書は、彼の理論の詳細を体系だって説明するものではなく、むしろ序論であり、権威的な大学医学を手厳しく批判し、真の医学とは何であるのか、医師とはどうあるべきなのか、医師とは何を学ぶべきなのかを熱く語るマニフェストである。それは、パラケルスス医学の根幹となる宇宙・自然観を凝縮させた結晶であるとも言える。 これに先立って邦訳された『奇蹟の医書』が、円熟期の教えとは必ずしも整合性を持たない、幾分にも若書きの作品であるとすれば、本書はその後に展開された彼の真の思想のまたとない入門編と捉えることが出来る。ここからパラケルススの世界に触れるのが、正しい道なのかも知れない。大槻・澤元両氏の訳文は、原文自体の難解さを勘案すれば、クリアで分かりやすいと思う。 |