西洋の錬金術と不老不死の秘薬エリクシルの探求

 

 

 

 

スター・ピープル』誌 200930号に掲載

 

ヒロ・ヒライ

BH主催)

 

寄稿記事の校正刷りアップしました。

2箇所ほど編集部が入れた小見出しに日本語の間違いがありますが、ご容赦ください。

 

 

 

 

西洋における不老不死のアイデアの源泉と錬金術の歴史は切っても切れない縁がある。本稿では西洋の錬金術のなかで、どのように不老不死が探求されたかについて説明したいと思う。

そもそも西洋における錬金術の起源は、紀元後初数世紀のエジプトの伝説的な文化の中心都市アレクサンドリアに求められるだろう。現存するもっとも古い錬金術に関する歴史資料は、西暦300年ごろに書かれたとされる二つのパピルスである。その後、医学や天文学など多数の学問分野の書物と同様に、錬金術に関する書物もギリシア語からアラビア語に翻訳されて中世イスラム世界に普及していった。十二世紀以降にイスラム世界からヨーロッパに輸入された錬金術は、基本的に古代エジプトの大都市アレクサンドリアで花開いたものの遺産なのである。また、中世イスラム世界は東方を中国文明圏と接したことから、その影響も受けることになった。錬金術の伝統で強調された不老不死を獲得するための鍵をにぎる秘薬「エリクシル」という概念は、中国起源であるといわれている。

 古代の冶金術から発達した錬金術の本来の目的は、鉛などの卑金属を「変成」transmutation して金や銀といった貴金属をえようとするもので、理論的な根幹をギリシアの哲学者アリストテレスの四元素 (火、空気、水、土) 理論においていた。自然の万物はこれら四元素だけからできていると考えられ、四元素は互いに変成が可能であるとされた。この考えにもとづいて錬金術師たちは、自然の事物を元素の段階まで分解して変成させれば全く別の性質を持った物質がえられると考えたのである。貴金属をえるための素材として卑金属が選ばれたのは、似たもの同士の方がまったく違うものよりも変成しやすいと考えられたからである。

 アレクサンドリアの時代から錬金術師たちは、自分たちの技の創始者としてヘルメスを崇めた。ヘルメス・メルクリウスはあらゆる学問の神とされたから、彼らの技芸の正統性と高貴さを示すためには格好のシンボルだったといえる。この伝統はイスラム世界の錬金術師たちにも自然と受けつがれた。とくに、宇宙を普遍的に支配する不可視の力について語られた十数行からなる詩句『エメラルド板』に象徴されるヘルメスにまつわる寓意的な思想傾向は、ヘルメス主義とよばれ大きな影響力をもった。

 イスラム錬金術の歴史の次の段階には、ジャービル・イブン・ハイヤーンに帰せられる巨大な文書群が姿をあらわした。複数の無名の人物によって数世代にわたって書かれたものであり、偉大なるジャービルの名を冠されただけというのが真相である。ジャービルの錬金術では、非常に多くの動物や植物といった有機物の蒸留がおこなわれている。その背後にあるのが、中国の錬金術由来の概念である不老不死の秘薬エリクシルの探求である。この理論はイスラム錬金術に医学・薬学的な性格をあたえた。生物と鉱物の類比が強調され、卑金属は病気のせいで貴金属になれなかったものであり、金属の病気を治療する薬が求められた。それがエリクシルだと信じられたわけである。エリクシルは、卑金属を貴金属に変成させるのに必要であるとされただけではなく、人間の不老不死を促進する効果をもつと考えられた。エリクシルの探求のために、あらゆる動物、植物、鉱物が精力的に分析にかけられることになった。このように、イスラム錬金術は同時に二つの傾向を発達させることになる。アレクサンドリア由来の冶金術から派生した卑金属から貴金属を作り出そうとした冶金術的な方向性と、不老不死の秘薬エリクシルの探求という医学・薬学的な方向性である。これら二つは互いに密接に関係しており、蒸留技術はそれを同時に支える大事なテクニックであった。

 錬金術は十二世紀ごろからヨーロッパへ移入されて、さらなる発展を遂げることになった。中世ヨーロッパの知識人たちは、錬金術の学問的な位置づけについてさかんに議論した。当時の知識人を代表するドイツのアルベルトゥス・マグヌスや英国のロジャー・ベーコンは、非常に大きな関心を錬金術によせたが、その後の錬金術の歴史を左右することになった二人の関心の方向性は大きく異なっていた。アルベルトゥスは錬金術を金属と鉱物に関する学問であると理解し、イスラム錬金術の動物・植物性の有機物に関する部分にはあまり関心を払わなかった。この傾向は偽ジャービルことゲベルに受け継がれ、大ベストセラー錬金術書『完成大全』へと発展させられる。そこには有機物を扱ったプロセスは一切登場しない。ストイックなまでに金属・鉱物だけによる錬金術が展開されている。

 一方、ロジャーは不老不死をもたらすという秘薬エリクシルに強い関心をしめし、動植物のなかにそれを探求する長大な研究プログラムを計画した。生命の秘密への鍵をにぎると考えられた卵や血液などの蒸留からエリクシルをえようとする医学・薬学的な傾向のあるロジャーの錬金術は、とくに十四世紀になると後述するルペシッサのヨハネスによる非常に影響力のあった書物や、それをさらに発展させた偽ライモンドゥス・ルルスの錬金術文書群という力強い味方をえてルネサンス期に花開く蒸留術の伝統へと発展していった。

 またこのころ、蒸留技術の向上によってワインなどからアルコール度の高い各種の飲料がつくられるようになった。これらは血行をよくするなどの医薬的な効用から「生命の水」aqua vitae などとよばれ、各地の僧院で修道士たちによって製造・販売されるようになった。技術向上により純度の高いアルコールがえられるようになると、その防腐剤や強壮剤としての効果は当時の人々を驚かせた。とくに純粋アルコールは火がつき燃えることから「燃える水」aqua ardens などとよばれ、人々の常識をくつがえすその存在は衝撃的でさえあった。

純粋アルコールの存在が錬金術師たちに与えたインパクトを理解するためには、中世ヨーロッパで受け入れられていた宇宙観を考慮する必要がある。それはイスラム世界と同様に、古代ギリシアのアリストテレスの四元素理論を土台とするものであった。それによると、世界は人間から近い順に土、水、空気、火の領域が同心円状に重なるかたちで取り巻いている。これらの外側に星々の領域である天界が存在する。アリストテレスは、生成消滅がたえず起こる地上界とは異なり恒常不変な天界を構成する別の元素を想定していた。それが第五元素「アイテール」とよばれるものである。この天界の元素は火よりも熱く、光り輝き、精妙で希薄、純粋であり、不滅の性質をもつと考えられていた。第五元素は、自然界における生命の誕生と存続にも深く関与していると信じられた。

純粋アルコールの驚くべき燃焼・防腐・強壮作用を目の当たりにした中世の人々は、「燃える水」のこれらの特性が天界を構成する第五元素に似ていると考えた。「燃える水」は、天界の元素が間違って地上に降りてきて、自然物のなかに閉じ込められたのだと理解されるようになった。そこから、すべての自然物の中には天界の第五元素に比類する精髄 (エッセンス) が含まれていると考えられるようになった。この事物の深奥に秘められた星界の元素の痕跡は「第五精髄 (クィンタ・エッセンチア)」とよばれるようになった。とくに、純粋アルコールは第五精髄そのものか、第五精髄を多くふくむものであると考えられた。星界の元素は生命の秘密の鍵をにぎっていると信じられていたので、いつしか第五精髄は不老不死の秘薬エリクシルと同一視されるようになった。第五精髄は、天界と地上界をむすぶ絆なのであった。そして、金属変成を達成するために必要だと信じされた「賢者の石」と同一視されることさえあった。

 第五精髄の考えを前面におしだした最初の錬金術書が、十四世紀前半に成立したルペシッサのヨハネスによる『全ての事物の第五精髄の考察について』である。これに大きく依拠してライモンドゥス・ルルスに帰される一連の偽書群が書かれたので、第五精髄の概念はルルス錬金術の大きな特徴となっていった。こうして、第五精髄の概念は知名度の低いヨハネスよりは、かの有名なルルスの名のもとに流布されることになった。これらの書物をとおして第五精髄の概念はルネサンス期には一般によく知られるようになったのである。十六世紀初頭には、蒸留テクニックの習熟と第五精髄の獲得は、錬金術という知的伝統だけにとどまらずに健康と長命をもとめる医学的な観点からひろく求められるようになった。

 この医学的な錬金術と蒸留術の伝統を背景に登場するのが、パラケルススである。彼は金属変成には関心をもっていなかったが、医学と自然哲学をかたるにあたり錬金術から多くの概念や用語を借用した。医学的錬金術や蒸留術の伝統から彼が学んだもっとも重要なことがらは、自然の事物から純粋な部分と不純な部分を分離することで、不純な部分によって妨げられていた驚くべき効力が純粋な部分から発揮されるという考えであった。パラケルススの初期の著作には医学的な錬金術からうけた影響を明確にみることができるが、そこでは第五精髄の概念が中心的な位置をしめている。その後、パラケルススは事物の「アルカナ」という概念を発展させるが、それは結局のところ自然物の深奥に宿っている第五精髄の諸効力の源をさしている。中期の代表作『パラグラヌム』の中で、事物のアルカナを手に入れるためにパラケルススは「体は消え去らなければならない。なぜならアルカナを邪魔するからである。同様に、粉砕されるべき部分が粉砕されなければ種子からは何も生まれない。つまり、体は消えさるがアルカナは残るのだ」と強調する。パラケルススにとってはアルカナこそ、すべての病をいやす普遍医薬の鍵なのであった。

このように、古代アレクサンドリアで生まれた西洋の錬金術は、本来は冶金術的な関心しかなかったが、中世イスラム世界に迎えいれられてからは、蒸留術の向上と中国起源の概念である不老不死の秘薬エリクシルの探究という方向性が全面的におしだされた。イスラム世界から中世ヨーロッパに移入された段階で、生命の秘密をにぎるエリクシルは天界由来の第五精髄と同一視されるようになり、ルネサンス期にはパラケルススによって普遍医薬の鍵アルカナと読みかえられていったのである。

 

 

 

 

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