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ごくごく個人的な「本」日記

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201709

 

2017. 9. 30

  ブックガイドの計画のために3以上のエントリーを予定している人々には、9月末までに最低1をくださいとお願いしていました。先週あたりからボチボチと集まりはじめ、この週末にたくさんの寄稿をいただきました。ためすぎてあとで首がまわらなくならないように、はじから順に処理していきます。基本的には、他の原稿との統一性や一般読者向けの観点から言葉が足りないところを補い、字数が1000を越えるものは表現を刈りこんでいます。どうも1000字を超えているものが多いので、なにかアクションが必要かもしれません。

 

 

2017. 9. 29

  今回のメルマガは、ひさびさに錬金術をあつかいます。2012年の秋にケンブリッジでおこなわれた国際会議で発表した原稿の邦訳です。「デュシェーヌにおける普遍医薬:古代医学とキミアのはざまで」という題で、明日もう一度推敲してからドロップする予定です。> ドロップしました。102日の配信です。面白いですよ!

 

  友人のクレッグ(マーティン)から、ヴェネツィアのフォカリ大学に移ったという連絡をうけました。奥さんのキアラさんはイタリア人なので、彼女にとってもデトロイトよりは環境が良いでしょう。

 

 

2017. 9. 28

  『16世紀哲学コンパニオン』に寄稿した論文「物体と内的な諸力:自然哲学、医学、錬金術」ですが、やっとのことで電子ファイルを入手しました。結局のところ、出版社は渡してくれませんでした。早速、アカデミアにアップしていた、いまでは恥ずかしい解像度の低い自家製スキャンと差換えました。今回のものは、はるかに鮮明で読みやすいです。こちらから、どうぞ!> この論集全体に関心ある方は連絡ください。入手のお手伝いができるかもしれません。

 

 

2017. 9. 27

  そろそろ次号のルマガを準備しないといけません。今回は、どうしましょうか?

 

 

2017. 9. 26

  待っていた『ヨンストン=ハートリブ書簡集The Letters of Jan Jonston to Samuel Hartlieb (Warsaw, 2000) が届きました。ラテン語とドイツ語のテクストが、すべて英語とポーランド語に翻訳されて、注とともに収録されています。時間をみつけて吟味したいと思います。> ヨンストンマルティニの関係を調べているのですが、まさにその点をあつかったポーランド語の論文が1933に出されていることを知りました。これまでに見た文献表では、ひっかからなかったアイテムです。この知見についてだけでも、この本を入手して正解でした。

 

運の良いことに、この論文をふくむ雑誌の PDF がウェブ上に公開されていました。ポーランドのドイツ語文化圏についての古い文献は、ウェブ上に公開されていることが多いので驚きます。ざっと目をとおしたところ、論文の本筋はマルティニの本に収録されているヨンストンによる推薦文の分析です。誰もみたことがないような史料を現地のアーカイヴからもってくるようなものではありません。マルティニについても、僕が調べたこと以上ではないと思います。ヨンストンには詳しい人ですが、マルティニについての知見はかぎられています。

 

 

2017. 9. 25

  来年10月末に、ヴェネツィアでルネサンス・初期近代におけるガレノス主義についての国際会議が開催されるようです。光栄なことに、そこで基調講演をおこなうように依頼されました。断るような理由は、あまりないですよね?

 

 

2017. 9. 24

  昨晩遅くに家に帰ってきました。とても疲れました。今日はリカヴァーにつとめます。

 

 

2017. 9. 23

  ちょっと野暮用でワシントンにいってきます。詳しいことは、あとでプライヴェート版ブログにアップするかも知れません。

 

  博論生のエリザベトが博士論文を提出したようです。審査員を依頼されましたが、いまはグリーン・カードの申請中のためにアメリカ国外に出られません。ということで、依頼を断らないといけません。

 

 

2017. 9. 22

  昨日届いた『レシュノの初期黄金期』を吟味しました。知らなかった大事な点をみつけましたが、その真偽を確かめないといけません。

 

こうして夏休みのあいだ、この研究を続けてきたわけですが、しみじみと感じさせられることがあります。東欧のドイツ語文化圏における歴史研究は、19世紀から20世紀初頭にかけて着実に展開してきたように見えるのですが、2つの大戦とその後の冷戦によってズタズタにされてしまったという点です。

 

 

2017. 9. 21

  日記の記述が一日分先行していますが、ご容赦を。

 

午後に第6章「闇のなかに光を」と第7章「歴史への贈与」に目をとおして、『コメニウス:汎知学の光』を読了しました。多様な哲学者や著述家の考えとからめてコメニウスが分析されるので、彼の生涯と仕事を多角的にみることができる、とても良い入門編だと思います。議論を確かめられるように、最低限の注があればさらに良かったなと。

 

  コメニウスを中心とするボヘミア兄弟教団が亡命したポーランドのレシュノは、周辺の地域から迫害を逃れて集まってきたプロテスタントたちによって急発展しますが、戦火によって1656に破壊されてしまいます。17世紀における繁栄を描いた小著『レシュノの初期黄金期Paul Voigt, Auf Lissas erster Blütezeit (Leszno, 1905) がドイツから届きました。時間をみつけて、じっくりと吟味したいと思います。

 

 

2017. 9. 20

  ひきつづいて『コメニウス:汎知学の光』から、第3章「開かれた心への教育」、第4章「言語への開かれた問い」、そして第5章「地上の平和への道」を読みました。従来の研究では中心的な話題となっている教育論、言語論、そして当時の国際政治との関わりをあつかっています。

 

 

2017. 9. 19

  コメニウスは、19世紀のなかばから教育学の文脈で語られることが多かったようで、彼の自然哲学は軽視されがちだったようです。手稿で眠っていた重要な著作が1966になって公刊され、1970年ごろに重要な研究書が出版されています。

 

1970年といえば、ディーバスなどによるパラケルスス主義にかんする研究が本格化する以前です。百科全書主義終末論も興味ぶかいですが、こうした分野も研究が大きく進んだのは、それ以降です。哲学の流れでいえば、パトリッツィカンパネッラの影響が大きかったようですが、こちらの分野でもヴァゾーリをはじめとするイタリア勢の研究成果がでてきたのは1970年代以降です。

 

こうした分野で蓄積された知見をもとに、彼のテクストに当たれば、これまで認識されていなかったことがいろいろ炙りだされるのだろうと思います。リプシウスのケースもそうでしたが、近代の先駆者としてみるから理解できない面も、ルネサンス伝統の継承者としてとらえると、見えてくるものがあるだろうと思います。

 

 

2017. 9. 18

  夏休みのあいだにひと通り古い文献を探索して読んだので、今日はちょっと目先をかえて日本から送ってもらった『コメニウス:汎知学の光』の1「地上の迷宮」と2「人間と世界」を読みました。コメニウスの生涯の外観と、彼の自然観についてが議論の中心となっています。

 

本書が収録されている講談社メチエというシリーズは、昔からそうだったのか知りませんが、ほとんど注なし360頁という形態は、新書単行本の中間体ということになるかと思います。新書よりは紙幅をたっぷり使って議論できますが、もうちょっと詳しく知りたいと思うときには、がないので物足りなくも感じます。本書の場合は2000を欠くくらいと、単行本よりも値段をずっと下げられますので、手ごろではあるかと思います。何部くらい刷るのでしょうね?

 

 

2017. 9. 17

  昨日の疲れをとるために、今日はスローな動きでいきます。夕方に隣家の子どもが遊びにきました。

 

 

2017. 9. 16

  今日の動きは、プライヴェート版ブログをどうぞ。

 

 

2017. 9. 15

  昨日ここで触れた論文ですが、オキ君が欠損部をコピーしてくれたので、早速のところ読んでみました。それからベルリンでとってもらった論文を読むと、前者を増補改定したヴァージョンだとわかりました。話の筋はだいたい同じですが、後者の方が細かいところに手が届いています。前者のタイトルが思わせたものとはほど遠いことがわかり、この点は残念ですが、それを実際に確認できたことは大きいでしょう。重要文献が入手できないのは痛いですからね。

 

ヨンストンについては、あと1本読みたいものがあるので、それを入手したら本格的なテクストの読みに入れます。> その前に、ずっと入手するか迷っていたハートリブとの書簡集を入手することにしました。計画がとん挫して、結局のところ出なかったかと思ったのですが、じつは2000に出ていました。届いたら書誌データを報告します。

 

 

2017. 9. 14

  昨日の論文の著者が、僕の知りたいと思っているコメニウスヨンストンの関係をあつかう論文を、さらにオブスキュアなところに出していました。幸いなことに収録された論集 PDF をまるごとダウンロードできました。さっそく、問題の論文をチェックしようとしたところ、なな、なんと論文の前半の部分がスキャンされていませんでした! とほほ。> 実物がナイメーヘンにあるようなので、あとでオキ君に手伝ってもらいます。

 

 

2017. 9. 13

  コージ君の仲介をうけて、ベルリンにいる K さんが電子版もないドイツのレアな雑誌に掲載された論文「ヤン・ヨンストン:スコットランド、ポーランド、シレジアのはざまでSiegfried Wollgast, “Johann Johnston (1603–1675): Ein Arzt zwischen Schottland, Polen und Schlesien,” Würzburger medizinhistorische Mitteilungen 20 (2001), 474–518 の入手を手伝ってくれました。海よりふかく感謝いたします。やはり、これがもっとも詳しく深いところまで迫っている文献です。

 

  こうしたすごく気合いの入った力作ですが、とてもオブスキュアなところに出されたために、誰の眼にも届かないというのは残念ですよね。とても考えさせられます。

 

 

2017. 9. 12

  Slovo というレアな雑誌の第14巻(2002年)に、レシチニスキ家についての論文が一本あるようです。なんとか入手したいところです。> 四苦八苦しているうちに、2002年まではこの雑誌の副題が An Interdisciplinary Journal for Russian, Eurasian and East European Affairs ではなく、A Journal of Contemporary Soviet and East European Affairs だったことをつきとめました。新しく雑誌が生まれ変わる前の最終巻ということになります。日本では北大にだけあるようです。どなたかアクセスできる方はいませんか?

 

 

2017. 9. 11

  9月初旬に注文した中古本が、ウィーンベルリンからもう届きました。予想していた以上に早かったのですが、送料は控え目です。アメリカも昔は本の国外への送料は安かったのですが、いまでは法外に高いものとなりました。

 

  歴史学に強いドイツの V&G 書店は、電子版で論集の各章を 6ドルで売っているようです。気になったので思いきって試してみましたが、とても簡単です。カードで支払ったすぐ直後に PDF ダウンロードできるようになります。他社は論文の電子版を30ドルくらいで売っているので、それに比べたら非常にお手頃感があります。

 

 

2017. 9. 10

  今日はスローな動きでいきます。

 

 

2017. 9. 9

  ひきつづき、深く潜行しています。ヨンストンレシュノめぐって、コメニウスにかんする19世紀のドイツ語の文献を収集しています。この種の歴史は、このころに書かれた文献が一番役に立つことが身に染みて分かります。とくに、ヨンストンの君主であったレシチニスキ家 Leszczynski についての良い文献がないか探しています。

 

 

2017. 9. 8

  レシュノについての記述は、コメニウス関係の文献のほかに、町が属していたポーゼン地方についての歴史書をみれば良いことが分かってきました。『ポーゼン史協会雑誌Zeitschrift der historischen Gesellchaft für die Provinz Posen の第1巻(1885年)から第23巻(1908年)をダウンロードできました。コメニウスヨンストン、そしてレシュノの町の印刷業についてなど、僕が知りたいと思っていたことを調査している論文が幾つかみつかりました。

 

 

2017. 9. 7

 一日かけて、ポーランドの文献学者 Karola Estreicher が発行していた『ポーランド文献誌Bibliografia Polska の電子ファイルを収集していました。ところどころ欠けていますが、第1巻(1875年)から第21巻(1906年)までだいぶ集まりました。

 

 

2017. 9. 6

  昨日にひきつづいて、ブリークの町の歴史についての本でヘンリク・マルティニにかんする記述を読みました。基本的には、ヘンリクが登場するのは、昨日読んだ本と同様にギムナジウムの改革についての記述です。何年からクリスチャンに仕えたのかは分かりませんが、それ以前にヘンリクはレシュノの町で医業や執筆活動をしていたのではないでしょうか?コメニウスの協力者ヨンストンと友人であったことを考えると、コメニウスの学校そのものとも関係があったのかも知れません。

 

 

2017. 9. 5

  シレジア地方はブリークの町にあったギムナジウムの歴史についての著作で、ヘンリク・マルティニにかんする記述を読みました。彼はリトアニアのカルヴァン主義のギムナジウムで教鞭をとっていたことになっていますが、のちに仕えることになるクリスチャン2世もそこで学んだようです。年齢的には大差ないので直接に教えたわけではないでしょう。その後ヘンリクはクリスチャン2世の侍医となるわけですが、1671年にブリークの町のギムナジウムの改革を任され、教科書にコメニウスの『世界絵図』を選ぶところなどは非常に興味ぶかい点です。コメニウスの教育法が、他の地域で採用された初期の例のひとつといえるのではないでしょうか?

 

 

2017. 9. 4

  まだまだスローな動きをしています。

 

 

2017. 9. 3

  いろいろ家のなかを片づけたりして、スローな動きをしています。

 

 

2017. 9. 2

 アメリカは月曜日が祝日なので、三連休となります。その初日ですが、変な天候です。

 

 

2017. 9. 1

 注文していたラックができたらしいので、朝からお店にうけ取りにいって、家のなかに運びこみました。そして、ベルギーや日本からアメリカに集合させたコレクションを整理しています。詳しくは、プライヴェート版ブログをどうぞ。

 

 

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