アンダルスの魔術的なマトリクス
 


 

 

 

希代の魔術書『ピカトリクス』 Picatrix のアラビア語原典『賢者の目標』Ghāyat al-Hakīm の著者は、イベリア半島のイスラム教徒が支配するアンダルスで活動した天文学者マジリーティー(Maslama al-Majrītī, c. 950-1007)と同一視されることもありましたが、近年になって、同時代のまったくの別人である秘教主義者のクルトゥビー(Maslama ibn Qāsim al-Qurṭubī, c. 906-964)だったことが発見されました。しかしこの事実は、まだ広く知られていないようです。

 

この人物は錬金術書の『賢者の歩み』Rutbat al- Ḥakīm も執筆していますが、東方遍歴からアンダルスに帰還した930年代に、イラクのバスラ近郊で活動していた哲学者集団である純潔同胞団の『書簡集』を、最初にアンダルスにもたらしたことも示されました。この事実を発端として見出された幾つかの事実により、これまで11世紀に成立したと考えられていた『書簡集』が、じつは910年代にはすでに執筆されていたことが見えてきました。その一部は840年代までさかのぼれるという意見まであります。どちらにしても、後代のものだと考えられていた『書簡集』に見出せる多様な知識人たちの発言に相似する箇所が、こうした知識人からの引用だろうと指摘されていましたが、むしろ反対に、この百科全書的な『書簡集』から彼らはアイデアをとり入れていたのではないかという作業仮説のもとに、さまざまな方面で再考の作業が求められることになりました。

 

これは、たんにアラビア学での問題ではありません。アヴィケブロンの『生命の泉』のように流出説をとる書物や、神秘主義的な諸潮流が中世スペインで生まれたわけですが、これらの誕生と『書簡集』の関係も、まじめな再考の対象となるでしょう。

 

 

 

代表的な研究文献

 

Maribel Fierro, “Bāṭinism in Al-Andalus: Maslama b. Qāsim al-Qurṭubī (d. 353/964), Author of the Rutbat al-Ḥakīm and the Ghāyat al-Ḥakīm (Picatrix),” Studia Islamica 84 (1996), 87-112.

「アンダルスの秘教主義:『賢者の歩み』と『賢者の目標』の著者クルトゥビー」

『ピカトリクス』著者の同定問題を解決する入魂作です。この論文がすべての出発点となります。

 

Paola Carusi, L’alchimia secondo Picatrix, in Atti del VII convegno nazionale di storia e fondamenti della chimica, ed. Franco Calascibetta (Roma: Accademia Nazionale delle scienze, 1997), 41-59.

「ピカトリクスによる錬金術」

基本的には、錬金術書『賢者の歩み』の分析です。Fierro の論文とほぼ同時期の出版となりますが、その内容を踏まえています。

 

Paola Carusi, “Alchimia Islamica e religione: la legittimazione difficile di una scienza della natura,” in Religion versus Science in Islam, ed. Carmela Baffioni (Roma: Istituto per l’Oriente, 2000), 461-502.

「イスラム錬金術と宗教:困難な正当化が困難な自然学」

先行する論文と同様に、錬金術書『賢者の歩み』を分析する数少ない論文です。

 

Maribel Fierro, “Plants, Mary the Copt, Abraham, Donkeys and Knowledge: Again on Bāṭinism during the Umayyad Caliphate in al-Andalus,” in Difference and Dynamism in Islam, ed. Heinrich Biesterfeld et al. (Würzburg: Ergon, 2012), 125-144.

「植物、コプト人マリア、アブラハム、ロバ、知識:ウマイア朝のアンダルスにおける秘教主義ふたたび」

1996年の主張を繰りかえすものですが、それほど新しい知見は入っていないように感じます。

 

Rémy Cordonnier, “Influences directes et indirectes de l’Encyclopédie des Ikhwān al-Ṣafā’ dans lʾOccident chrétien,” Le Muséon 125 (2012), 421–466.

「中世ヨーロッパにおける純潔同胞団の百科事典の直接的・間接的な影響」

なかなか詳しい状況のマッピングとなっています。西欧への影響を探るうえで重要です。

 

Godefroid de Callataÿ, “Did Rasāʾil Ijwān al-Ṣafāʾ Inspire Ibn Tufayl to His Hayy Ibn Yaqdhān?” Ishrāq 4 (2013), 82-89.

「純潔同胞団の『書簡集』は、イブン・トゥファイルの小説に霊感を与えたのか?」

2015年の論文で要点はまとめられています。

 

Godefroid de Callataÿ, “Magia en al-Andalus: Rasāʾil Ijwān al-Ṣafāʾ, Rutbat al-Ḥakīm y Ġāyat al-Ḥakīm (Picatrix),” Al-Qantara 34 (2013), 297-344.

「アンダルスの魔術:純潔同胞団の『書簡集』、『賢者の歩み』、そして『賢者の目標』(ピカトリクス)」

スペイン語の論文ですが、これにつづく作品で内容が繰りかえされるので安心してください。

 

Godefroid de Callataÿ, “Philosophy and Bāṭinism in al-Andalus: Ibn Masarra’s Risālat al-iʿtibār and the Rasāʾil Ikhwān al-Ṣafāʾ,” Jerusalem Studies in Arabic and Islam 41 (2014), 261-312.

「アンダルスにおける哲学と秘教主義:イブン・マサッラの『観想についての書簡』と純潔同胞団の『書簡集』」

細かい表現や内容の類似から、根幹となる流出説の宇宙論や認識論、そしてマクロコスモス・ミクロコスモスの照応までイブン・マサッラの議論が、『書簡集』にもとづいていることが示されます。ここで究極的には、マクロコスモスは世界霊魂、ミクロコスモスは人間霊魂のことなのだと理解できます。理論的な詳細を知るために重要です。

 

Godefroid de Callataÿ, “From Ibn Masarra to Ibn ʿArabī: References, Shibboleths and Other Subtle Allusions to the Rasāʾil Ikhwān al-Ṣafāʾ in the Literature of al-Andalus,” Studi Magrebini 12-13 (2014-2015), 217-267.

「イブン・マサッラからイブン・アラビーまで:アンダルスの文芸における純潔同胞団の『書簡集』への言及、合言葉、そして精妙な暗喩」

イブン・マサッラからイブン・アラビーまでのアンダルスの神秘主義者たちが、『書簡集』を利用していることが示されます。大まかな流れをつかむには、ここから入ると良いかも知れません。重要

 

Godefroid de Callataÿ & Sébastien Moureau, “Towards the Critical Edition of the Rutbat al- Ḥakīm: A Few Preliminary Observations,” Arabica 62 (2015), 385-394.

「『賢者の歩み』の校訂版にむけて:最初の観察点」

錬金術書『賢者の歩み』の手稿群から見えてくる最初の報告。

 

Godefroid de Callataÿ, Who Were the Readers of the Rasāʾil Ikhwān al-Ṣafāʾ? Micrologus 24 (2016), 269-302.

「誰が純潔同胞団の『書簡集』の読者だったのか?」

非専門家にわかりやすいように『書簡集』の特徴を説明し、1996年の新発見から見えてくる知見を簡潔にまとめています。『書簡集』自体について知らない場合は、ここから入ると簡便かも知れません。

 

Godefroid de Callataÿ & Sébastien Moureau, “Again on Maslama Ibn Qāsim al-Qurṭubī, the Ikhwān al-Ṣafāʾ and Ibn Khaldūn: New Evidence from Two Manuscripts of Rutbat al- Ḥakīm,” Al-Qantara 37 (2016), 329-372.

「クルトゥビー、純潔同胞団、イブン・ハルドゥーン:『賢者の歩み』の二手稿からの新事実」

錬金術書『賢者の歩み』の手稿群から見えてくるクルトゥビーについての知見の第2弾。

 

Godefroid de Callataÿ & Sébastien Moureau, “A Milestone in the History of Andalusī Bāṭinism: Maslama Ibn Qāsim al-Qurṭubī’s riḥla in the Est,” Intellectual History of the Islamicate World 5 (2017), 86-117.

「アンダルス秘教主義史の画期:クルトゥビーの東方遍歴」

いろいろなデータベースを利用して、クルトゥビーの東方遍歴で出会った知識人を分析し、旅程を再構成しています。

 

Godefroid de Callataÿ, “Encyclopaedism on the Fringe of Islamic Orthodoxy: Rasāʾil Ijwān al-Ṣafāʾ, Rutbat al-Ḥakīm and Ġāyat al-Ḥakīm on the Division of Science,” Asia 71 (2017), 857-877.

「イスラム正統派の周縁における百科全書主義:純潔同胞団の『書簡集』、『賢者の歩み』、『賢者の目標』における学問の区分」

学問区分という観点から、純潔同胞団とクルトゥビーが共有する百科全書主義を分析しています。

 

 

 

 

そのほかの参考文献

 

Maribel Fierro, La heterodoxia en al-andalus durante el periodo Omeya (Madrid: Instituto Hispano-Arabe de cultura, 1987), 127-131.

              『ウマイヤ朝アンダルスにおける異端』

すべての発端となった1996年の論文は、本書を執筆するために集められた知見から生まれましたが、残念ながら本書のなかでのクルトゥビーについての記述は非常にかぎられているようです。

 

Michael Ebstein, Mysticism and Philosophy in al-Andalus: Ibn Masarra, Ibn al-ʿArabī and the Ismā‘īlī Tradition (Leiden: Brill, 2014).

『アンダルスにおける神秘主義と哲学:イブン・マサッラ、イブン・アラビー、イスマーイール派の伝統』

上記の流れの直前に執筆刊行された本書では、クルトゥビーの役割や純潔同胞団の『書簡集』は、残念ながらほとんど考慮されていません。

 

 

 

 

日記から抜粋

 

2021. 3. 5

純潔同胞団の『書簡集』の特徴には、いろいろな点があげられるでしょう。しかしアンダルスでの影響を考えるうえで、昨日ここで言及したゴドフォワの論文「アンダルスの哲学と秘教主義」が強調するのは、秘教的な枠組みにおいて新プラトン主義の流れをくむ宇宙論とコーランの寓意的な解釈を結びつけることです。この長尺の論文では、細かい表現や内容の類似だけではなく、イブン・マサッラ自身が自著は独創的なものではなく、名前を明示することなしに、「彼ら」の著作にもとづいて執筆したと告白している点にも光を当てています。

 

イブン・マサッラが東方から帰還したのは910年代なので、それ以前に純潔同胞団の『書簡集』がほぼ執筆されたことになると指摘しています。つまり時代的にいえば、『書簡集』はキンディー801-873)とファラービー870-950)のあいだに存在した新プラトン主義の書物ということになります。哲学史の文脈でも、これは地殻変動を起こすものとなる気がします。

 

さらにこの年代再考によって、純潔同胞団の『書簡集』はジャービル文書が錬金術を中心とする前期から百科全書的な次元をおびてくる後期のあいだに存在したことになるので、錬金術の歴史でも重要な意味をもつだろうと考えられます。『プラトンの四書』のような新プラトン主義との関係が疑われる錬金術書の位置づけを分析する手がかりとなる予感がします。

 

もっといえば、アヴィケブロン1020-1070)の『生命の泉 Fons vitae のような流出説をとる書物が中世のイベリア半島で幾つも生まれますが、その遠因になっているのではないかと考えられます。「中世ヨーロッパにおける純潔同胞団の百科事典の直接的・間接的な影響Rémy Cordonnier, “Influences directes et indirectes de l’encyclopédie des Ikhwān al-safā’ dans l’occident chrétien,” Le Muséon 125 (2012), 421-466 という論文が、状況の詳しいマッピングをしています。

 

このように純潔同胞団の『書簡集』の想定される成立年代がかなり早まるのは、哲学史錬金術史など分野横断的な思想地図に刷新をうながす発見だといえるのではないでしょうか。1996の発表から2012ごろまで認知が遅れたのは、もったいない話です。

 

 

2021. 3. 4

従来の考えでは、純潔同胞団980年代にイラクで活動し、彼らの百科全書である『書簡集』はアンダルスに1000年代に持ちこまれたと理解されていました。226日に言及した Fierro の論文は、クルトゥビーが『書簡集』を930年代にアンダルスに持ちこんだと提唱しており、純潔同胞団の活動時期そのものにも再考を迫るものです。ゴドフォワの一連の論文からは、この提唱は数々の事実に符合し、この年代の再考により、これまで謎だった幾つかの問題を解くカギを与えることがわかります。

 

たとえば、ウマイア朝下のアンダルスで最初の哲学者の一人とされるイブン・マサッラIbn-Masarra, 883-931)をあつかう『アンダルスの神秘主義と哲学Michael Ebstein, Mysticism and Philosophy in al-Andalus (Brill, 2014) では、クルトゥビーの活動と『書簡集』の影響がほぼ考慮されていません。イブン・マサッラが時代的に先行すると想定するなら当然でしょう。しかしゴドフォワの論文「アンダルスの哲学と秘教主義Godfoid de Callatay, “Philosophy and Batinism in Al-Andalus,” Jerusalem Studies in Arabic and Islam 41 (2014), 261-312 では、年代の再考にもとづいて『書簡集』からの影響を丁寧にあとづけています。

 

魔術書『ピカトリクス』のアラビア語原典の著者クルトゥビーですが、もうひとつの著作として『賢者の歩み』という錬金術書も知られています。これまでの歴史家は、この書物を看過してきました。短い論文「クルトゥビーの『賢者の歩み』Wilferd Madelung, “Maslama al-Qurtubi’s Kitab Rutbat al-hakim,” Intellectual History of the Islamicate World 5 (2017), 118-126 は、この著作の隠された重要さを指摘するものです。クルトゥビーは東方遍歴で、古代末期から彼の時代までずっと錬金術の中心地だったエジプトのパノポリスで、あのゾシモスの著作を学んだとされます。とくにアラビア語の翻訳が知られていない著作の知っていることから、当地でギリシア語コプト語をあやつる錬金術師たちから直接に学んだ可能性があるようです。

 

 

2021. 3. 3

午後は、ベルギー時代の知人でもあるゴドフォワ(デ・カラタイ)による一連の論文を読んでいました。魔術書『ピカトリクス』のアラビア語原典の著者クルトゥビー純潔同胞団の関係についてです。どれも長いのですが、繰りかえしが多く、新しい知見が少しずつ入ってくる感じです。そこから見えてくるのは、以下の点にまとめられるでしょう。

 

1)純潔同胞団の『書簡集』は、これまで考えられていた時期よりも早く成立したこと

2)『書簡集』がイスラム世界に与えた影響は、これまで理解されていたものよりも広範であること

3)とくにアンダルスで興隆する秘教主義へのインパクトはずっと直接的なものであること

4)マクロコスモス・ミクロコスモスの照応で語られるものは、究極的には世界霊魂と人間霊魂の関係であること

 

 

2021. 2. 26

アラビア占星術の歴史についての良い概説を探していたのですが、なかなか見当たらないので、自分で調べて専用頁を開設することにしました。いまその作業を進めています。来週には、お披露目できるかと思います。その作業で、アンダルスにおける秘教主義:『賢者の歩み』と『賢者の目標』の著者クルトゥビー Maribel Fierro, “Bāṭinism in Al-Andalus: Maslama b. Qāsim al-Qurṭubī (d. 353/964), Author of the Rutbat al- Ḥakīm and the Ghāyat al-Ḥakīm (Picatrix),” Studia Islamica 84 (1996), 87-112 という論文を読みました。

 

ピカトリクス』のアラビア語原典の著者をアンダルスで活躍した天文学者マジリーティー(Maslama al-Majrītī, c. 950-1007)とすることには論争があったのですが、この論文は論争に終止符をうつものです。隠秘学者クルトゥビー(Maslama al-Qurṭubī, c. 906-964)が本当の著者なのですが、当時としては珍しい「マスラマ・イブン・カジム」という同名の同時代人だったことで、後代に混同されてしまったようです。

 

 

 

 


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