ルドルフ2世とその宮廷
Rudolf II and his
Court in Prague
ルネサンス期の宮廷と錬金術
リェージュ=ケルンのエルネスト(1554-1612)の宮廷での錬金術サークルの研究は、まだ始まったばかりです。同時期には、幾人もの王侯が同様なサークルを宮廷内に持っていたことは紹介しました。では、実際の歴史研究としてどのようなものが標準的に知られているのでしょうか?ここでは、その代表的なものを幾つか紹介します。
まず、BH−MLでは、もう何回も名前が挙がっている R. J. W. エヴァンス著『魔術の帝国 - ルドルフ二世とその世界』(平凡社、1988年)があります。(R. J. W. Evans, Rudolf II
and his World : A Study in Intellectual History 1567-1612. Oxford U. P. ,
Oxford, 1973.)これは、あまりにも有名です。(ちなみに、この人は "Learned Societies in
Germany in the Seventeenth Century", European Studies Review, 7
(1977), pp. 129-151. という17世紀のその他のドイツの知的サークルについての論文も書いています。)神聖ローマ帝国の首都をプラハに移し、そこを居城とした皇帝ルドルフ 2世(1576-1612)は、芸術と学芸をこよなく愛し、その下にはヨーロッパ各地より多数の芸術家や著述家が集っていました。その中には、とりわけ自然学に関心を寄せる思想家が多数いました。中でも、皇帝の関心は、特に自然物の収集と錬金術に向いていたようです。そう言ったこともあって、ルドルフ2世は、錬金術師や魔術師のその当時最も有力なパトロンとなります。(ルドルフ専門のML 『ルドルフ2世とその宮廷』 始めました!)。
このエヴァンスの著作と密接な関係にあるのが、ルネサンス期のアカデミー文化とフィレンツェの新プラトン主義アカデミーの係わり合いに関心を集中して研究を展開していたワールブルグ研究所のフランセス・イェーツです。彼女の著作は、日本でも殆どが翻訳され、有名です。ここでは、宮廷文化と錬金術のテーマに則した著作を見ましょう。
まず、『16世紀のフランスのアカデミー』(平凡社、1996年)(原著は、Frances A. Yates, The
French Academies of the Sixteenth Century, Warburg, London, 1947.)。 この著作で、彼女は、ルネサンスの各アカデミー形成に新プラトン主義が大きく影響していることを明らかにします。しかし、ここではまだ錬金術やその他のヘルメス主義科学については大きくタッチされていません。それが大々的に展開されるのが、彼女の主著『ジョルダーノ・ブルーノとヘルメス主義伝統』(不思議なことに、まだ邦訳されていません)(Giordano Bruno and the
Hermetic Tradition. Routledge, London, 1964.)です。そこでの主張をさらに展開させた論文「ルネサンス科学とヘルメス主義伝統」("The Hermetic Tradition
in Renaissance Science." in C. S. Singleton (ed. ), Art, Science, and
History in the Renaissance, Johns Hopkins UP, Baltimore, 1967. pp. 255-74.)の発表によって、長きにわたる所謂イェーツ・テーゼ論争というものが起きます。でも、このテーマは別の機会にしましょう。この物議をかもした論文を経て、世に送り出されたのが、『薔薇十字の覚醒』(工作舎、1986年)(The Rosicrucian Enlightenment. Routledge, London, 1972. )です。まさに、この著作とエヴァンスのルドルフ2世の宮廷文化研究は、非常に近い鉱脈を探り合っている関係にあります。さらにそれを発展させた、エリザベス1世の宮廷における「魔術」思想家ジョン・ディーを中心にストーリーが展開される『魔術的ルネサンス』(晶文社、1984年)(The Occult Philosophy in the
Elizabethan Age.
Routledge, London, 1979.)へとつながって行きます。イェーツの著作は、歴史小説のようで面白いのですが、如何せん、歴史研究としてはあまりに跳躍しすぎるきらいがあり、ポスト・イェーツ世代の歴史家の綿密な実地研究によって、多くの点の修正を求められています。それでも、彼女の一番の業績は、19世紀的な発展史観によって長いこと暗い不当な地位に押し込まれていた、魔術思想や錬金術などを真面目な文化史・科学史研究の対象足りうること、あるいはそれ以上に重要であることを世に知らしめた点にあるのではないでしょうか?
次に、以上のような研究伝統上にそって、宮廷サークルにおける錬金術活動により焦点を絞った研究が発表されます。それが、B.T.モーラン著『ドイツ宮廷における錬金術世界 - ヘッセンのモリッツ(1572-1632)のサークルにおけるオカルト哲学と化学的医学』 (Bruce T. Moran, The
Alchemical World of the German Court : Occult Philosophy and Chemical
Medicine in the Circle of Moritz of Hessen (1572-1632), Steiner, Stuttgart,
1991.)です。これはとても良くできた著作で、この方面の決定版となってしまいました。それでも、最近 Carlos Gilly といった歴史家に批判を受けてもいます。
これと非常に似た手法で、今度はイタリアのメジチ家のコジモ1世の宮廷サークルにおける錬金術活動に焦点を当てたのが、A.ペリファノ著『コジモ1世の宮廷における錬金術 - 知識、文化そして政治』 (Alfredo Perifano, L’alchimie
a la Cour de Come Ier de Medicis : savoirs, culture et politique, Champion,
Paris, 1997.)です。(下になった博士論文は1991年です。)また、それと平行して、ドイツは、チュービンゲン近郊の所領を治めたウォルフガング2世のサークルの錬金術活動をおったJ.ウェイヤー著『ホーヘンローヘのウォルフガング2世と錬金術』(J.Weyer, Graf Wolfgang II.
von Hohenlohe und die Alchimie : Alchemistische Studien in Schloss Weikersheim
1587-1610, Thorbecke, Sigmaringen, 1992.)という研究が出されます。そして、エルネストの宮廷をテーマにした論文 R.アレゥ&A.-C.ベルネス、「バヴァリアのエルネストの知的宮廷」 (R.Halleux
& A-C.Bernes, "La cour savante d'Ernest de Baviere." Archives
internationales d'histoire des sciences, 45 (1995), pp.3-29.)などへとつながって行きます。
つい最近では、フランス各地の宮廷におけるパラケルスス主義と錬金術の関係を詳細に追った D.カーン氏の博士論文『末期ルネサンスのフランスにおけるパラケルスス主義と錬金術』(Didier
Kahn, Paracelsisme et alchimie en France a la fin de la Renaissance
(1567-1625), (Ph. D. diss.) Univ. of Paris IV, 1998.)が完成します。
これらの研究にみられるテーマとなった王侯は、だいたい皆1570年代から1610年代に盛んに活動していたことが良く分かると思います。この時代、王侯君主は、中世には大学が独占していた知的活動権を手に入れ、キリスト教会とはある程度の距離をおきつつ、最新の科学機器や自然学思想に多大なる関心を示していたわけです。その関心の重要な一端に錬金術が存在していたわけです。