「西欧中世・近世の化学史の研究動向」
Recent Studies on Medieval and Early Modern Chemistry
平井 浩[1]
『科学史研究』 第40巻 (2001年) 65-74頁
目次
1. 始めに
2. 二つの新しい伝統の胎動
3. ラテン中世錬金術研究
3-1. Halleux とその他の主な研究者
3-2. ゲベル問題と幾つかの大きな進展
4. 近世のキミア (錬金術=化学) 研究の動向
4-1. Pagel と Debus の周辺:パラケルスス主義
4-2. ポスト・ディーバス時代
4-3. 宮廷文化と錬金術
4-4. ヘルモント主義
4-5. ボイルの錬金術
4-6. 粒子論の見直し
4-7. 種子の理論
5. 専門国際会議からの論集
6. 新雑誌『クリソペア』
7. 終わりに
1. 始めに
狭義の「精密科学」の歴史研究が圧倒的主流を占める本邦の伝統においては、17世紀の半ば英国で活躍した機械論的粒子論化学の建設者ロバート・ボイル(1636-1691)以前の「物質の科学」についての歴史研究は盲点であり続けている。しかし、近年邦訳された幾つかの重要な海外の著作を通して、これまであまり光の当てられてこなかったこの分野に関する世界の研究動向に対して関心が高まってきているのも事実である[2]。そのような情報を中心に扱う筆者の主催するインターネット・サイト bibliotheca hermetica への大きな反響からも、それを容易に推測する事ができる[3]。本稿では、bibliotheca hermetica での情報発信の活動から、特に西欧化学史研究の最新動向に的を絞って紹介する事にしたい。先に『化学史研究』誌に発表された三浦伸夫氏によるアラビア錬金術史の研究動向の紹介論文と相補するものであると考えて頂きたい[4]。なお、本稿の取り扱う範囲は、ラテン中世後期から近世 (初期近代、主に16-17世紀を指すものとする) までを対象とした主に過去20年間の研究文献とすることにする[5]。
2. 二つの新しい伝統の胎動
第二次世界大戦以前には、ギリシア、アラブ、そしてラテン中世錬金術史の研究は、文献学的手法を重視する方向で着実に進展していたが、戦後、その国際的な運動を担っていた巨星たちが相次いで世を去り、一時の空白期が生まれる[6]。その後、戦前の運動とは一種独立した形で西欧における「物質の科学」の歴史研究に新しい二つの核が生まれた。その一つが、ロンドンに拠点を置いた Walter Pagel による16世紀初頭のスイス人医師パラケルスス (1493-1541) とその周辺人物の医学史的な研究である。彼は、その主著『パラケルスス:ルネサンス期の哲学的医学入門』 (1958年) から最晩年の著作『J. B. ファン・ヘルモント』 (1982年) まで、多くの論文や著作を勢力的に発表していった。このパラケルススからファン・ヘルモント (1577-1644) までに至るいわゆるパラケルスス主義の医学は、狭義には「医化学」 (イアトロ・ケミストリー) とも呼ばれるように医薬品として化学的手法で調整された物質を採用しただけでなく、中世からの錬金術の伝統から幾多の概念を借用し、人間と自然そして世界創造の秘密を探る鍵を化学に求めた「化学哲学」 (ケミカル・フィロソフィ) と呼ばれる知的運動を展開した推進力であった。そこから、パラケルスス主義の史的研究は、医学と化学が密接な関係をもっていた点を重視することになった。このようなパラケルスス主義の研究は、Pagel の研究に早くから呼応し勢力的に活動を繰り広げたアメリカの Allen G. Debus の存在により確固たる基礎を獲得したわけである[7]。
もう一つの画期的な出来事は、ベルギーの Robert Halleux による『錬金術のテクスト』 (1979年) と題された著作の出現である[8]。これは、古代からラテン中世までの錬金術についての文献学的な歴史研究における戦前から1970年代までの蓄積全体を整理・分析し、その問題点やこれからの課題を浮き彫りにする野心的な書である。本書の与えたインパクトは甚大で、現在の中世・近世の錬金術史研究の第一線で活躍している研究者達は、全て本書より何らかの恩恵を被っていると言っても過言でない。
1980年代から現在に至るまで、古代・中世を視野に入れた Halleux の研究から始まる伝統と近世のパラケルスス主義を中心に研究を展開した Pagel と Debus に由来する研究伝統の二つの流れが、互いに交錯し刺激し合うという形で、17世紀以前の西欧化学史研究の流れができていると言えるだろう。もともと出発点の全く異なる二つの伝統ではあるが、それらは互いに排斥し合うのではなく相互に作用し合い、良い結果を生み出してきたというのが現実である。以下では、この点に十分留意しつつ、はじめにラテン中世の研究動向を、ついで、近世のそれを分析しながら、種々のテーマ毎に重要な研究を紹介していくことにする。
3. ラテン中世錬金術研究
ここではまず、どのような研究者が過去20年間の研究を牽引してきたかを紹介し、現在どのような流れで世界の研究の最先端が進んでいるか分析して行くことにする。
3-1.
Halleux とその他の主な研究者
『錬金術のテクスト』を著した Halleux の仕事は、古代ギリシア・ローマにおける金属・鉱物の問題から中世錬金術、古代・中世の石類誌(ラピダリー)、ルネサンス期の鉱山学者ゲオルグ・アグリコラ、そして17世紀のファン・ヘルモントついての研究まで多岐に及んでいる。各分野において画期的な論考をものにしているものの、幾分分散ぎみなそれぞれの作品を有機的に結びつける著作がないため、その業績の全貌が把握しにくい。主に仏語圏で活動している事もあり、本邦では殆ど知られていない。しかし、その主著『錬金術のテクスト』は、中世類型学叢書というシリーズに納められているだけあって、中世錬金術研究に関する全ての側面を類型学的手法で体系的に分析し、コンパクトに150頁余りにまとめた画期的な著作である。西欧錬金術史の真の姿を理解するために、本邦での翻訳が望まれる一書である[9]。
イタリアの Chiara Crisciani は、1330年頃ペトルス・ボヌスによって著わされたとされる錬金術書『高貴なる真珠』 Pretiosa Margarita についての研究論文を発表して広く知られるようになった研究者である。1980年には、Claude Gagnon と中世錬金術に関する共著を発表した。現在も、主に中世後期の錬金術と医学や哲学の関係を中心に精力的に研究を発表し続けている。特に、1990年代からは、同じくイタリアの新進気鋭の Michela Pereira と共にイタリアにおける中世錬金術研究のセンターを築きつつあり、二人の豊頬な共同作業からは『ソルとルナの技:中世における錬金術と哲学』という重要な作品のほか数々の論文が生み出されている[10]。
ケベック (カナダ) の Claude Gagnon は、フランス史上最も有名な錬金術師とされるニコラ・フラメルについて集中的に研究を進めた。そして、この中世の実在人物に帰されていた錬金術文書の核をなす『象形寓意図の書』が全くの贋作であり、実は16世紀末から17世紀初めにフランス人カバラ主義者 Béroalde de Verville によって書かれたであろうことをつきとめた。これによりフラメル伝説は脆くも崩れ去った。その最終的な研究成果は、『ニコラ・フラメル研究』としてまとめられている[11]。
錬金術と芸術の分野では、Barbara Obrist の『錬金術寓意画の始まり(14・15世紀)』(1982年) が、特筆すべき文献学的手法を用いた学術研究である。また、J. Van Lennep の『錬金術:錬金術芸術の歴史』は、中世からルネサンス期までの錬金術における図像の問題を歴史学的に扱った信頼に値する数少ない研究書の一つである[12]。
長年勤めたドイツのハイデルベルグ大学を退官したばかりの Joachim Telle は、ドイツにおける中世錬金術および近世パラケルスス主義研究の中心的存在であった。Dietlinde Goltz と Hans J. Vermeer との共著による偽トマス・アキナスの錬金術書『増殖について』の文献学的研究で特に知られるようになり、次に、太陽(ソル)と月(ルナ)という寓意的テーマが主に詩と挿絵の形で中世後期ドイツの錬金術文献でどのように普及していったかを研究した主著『ソルとルナ』(1980年) でその地位を確立する。その後は、パラケルスス主義と中世錬金術の伝統との相互作用を中心に勢力的に研究を進めて行った。その成果が、中世末期ドイツで著された最も重要な錬金術書『哲学者の薔薇園』(1550年刊) の研究である。退官記念論集に収録されているリストから、彼の業績の詳細を知る事ができる[13]。
3-2. ゲベル問題とその他の進展
ラテン中世錬金術の歴史そのものは、その発展の段階を大きく3つの時代に区分することができる。まず、1144年のロバート・チェスターの『モリエヌス』の翻訳に始まるアラビア錬金術書の翻訳の時代。そして、13世紀の諸大学におけるアリストテレス主義スコラ哲学形成期に活躍したロジャー・ベーコンやアルベルトゥス・マグヌスら大哲学者が錬金術について議論し、知の体系に組み入れようと腐心した時代。最後に、正規の大学教育課程には取り入れられることにはならなかったが、アラビア錬金術を消化し独自の道を歩み出した中世で最も生産的だった14-15世紀の後期ラテン中世錬金術の時代である。以下では、Halleux によって浮き彫りにされた問題点と真摯に取り組み、大きな成果を生むことになった1980年代以降の研究を分析する。
アラビア錬金術史上最も重要視された錬金術師ジャービル・イブン・ハイヤーン Jabir ibn Hayyan の名を冠された錬金術書は多数にのぼるが、実際にラテン語に翻訳され西欧に紹介された著作は少ない。一方、幾つかの重要なラテン錬金術書が、ジャービルのラテン化された名である「ゲベル」Geber に帰されている。このジャービル=ゲベル問題の研究は、19世紀末の Marcellin Berthelot の著作から本格化したが、戦後一時中断された形になっていた[14]。Julius Ruska の研究に手がかりを得て、1980年代初頭にパリ国立図書館の手稿コレクションから大きな発見をしたのが、Halleux の学生であったアメリカ人 William Newman である。この発見に端を発する彼の研究は、以後のラテン中世錬金術研究に大きな進展をもたらした[15]。ゲベルに帰せられる『完成大全』Summa perfectionis が、おそらくは13世紀末頃イタリア人修道士によって著された事が、ほぼ確定されたからである。ゲベル錬金術の特徴は、それまでの動植物起源の有機物を多く用いた錬金作業を一切排除して金属プロセスだけに集中した点と、アラビア起源の金属生成の硫黄・水銀による二原質理論を修正して「水銀単体理論」を最初に定式化した点にある。この水銀単体理論とは、水銀内に必要な硫黄原質が含まれており、他の硫黄分は不純物で、それを取り除くことによって、より純粋な水銀原質を探求することに錬金作業の大半を集中させるというものである。この理論は、14世紀以降のラテン錬金術で主流を占めるようになった。Newman の研究によって、水銀単体理論を採用するラテン中世錬金術書が全て『完成大全』以降に、その影響下のもとに形成されたことが明らかにされた。これによって、アルベルトゥス・マグヌス、ヴィラノヴァのアルノー、ルペシッサのヨハネス、ボヌス、レイモンドゥス・ルルス、トマス・アキナス等に帰せられる大半の錬金術文書が、14世紀以降に成立したことが分かる。このように、12世紀から15世紀まで連綿と続くラテン中世錬金術の歴史の中間点に、確固たる基準点が設けられたことは革命的な出来事で、この発見が引き起こした波は、ラテン錬金術研究における近年の大きな前進の原動力となっているのである。
特に、アルノーとルルスに帰せられる錬金術文書群の研究は、まずルルス文書を体系的に分析する Michela Pereira の研究から本格化した。そして、一連の研究の成果として偽ルルス錬金術文書の形成の鍵を握る最古の書『遺言』のカタロニア語とラテン語の二カ国語による校訂版が出版された[16]。一方、アルノーに帰せられる錬金術文書は、Antoine Calvet を中心に文献学的手法による研究が着実に前進している[17]。
ゲベル以前の錬金術に関しても、Newman の発見に刺激されて、幾つかの本格的研究が始められている。その一つが、Barbara Obrist によるピサのコンスタンティヌスによる『錬金術の秘密』の校訂翻訳と研究であろう。本書は、錬金術をいかに大学教育プログラムに取り入れるかに腐心した12世紀の人物の著作である[18]。もう一つの傑出した成果は、ロジャー・ベーコンに帰せられる錬金術文書の分析である。この分野でも、ゲベル研究の Newman がいち早く手をつけ画期的な貢献をなしている[19]。
最後に、文献学的手法による中世錬金術史の研究動向でもう一つ特筆すべきは、錬金術の俗語での普及の問題を扱ったものである。ルルスのカタロニア語版の研究や Telle によるドイツ語の錬金術書研究を既に挙げたが、Telle の学生 Udo Benzenhöfer は、蒸留技術と「キンタ・エッセンチア」(第五精髄) の概念および医学的錬金術の普及に多大な貢献をなしたとされるルペシッサのヨハネスの著作のドイツ語での普及について研究した『ドイツ語版ルペシッサのヨハネス『キンタ・エッセンチアについて』:15世紀から17世紀の医学的錬金術の研究』という重要な著作を世に問うた[20]。
これら一連の動きを受けて、中世錬金術の通史を記述する試みも生まれているが、まだ十分なものは書かれていない[21]。このように、多様な側面がほぼ同時に研究され始めたラテン錬金術研究が一つの論集としてまとめられたものに『錬金術の危機』(1995年) がある[22]。本書は、ラテン中世錬金術研究の最前線の諸相を知るための優れた入門編ともなっている。また、今後の課題として残されているのが、初期のアラビア文献の翻訳時代から、錬金術がどのような形でラテン世界に吸収されていったかを分析するアラブ=ラテン伝統の分析である。西欧で最初に翻訳されたアラビア錬金術書とされる『モリエヌス』を対象にした L. Stavenhagen の校訂版が知られているが、最近の例ではイブン・ウマイル Ibn Umail の錬金術書のラテン世界での伝統を研究する計画が進行中である。同様な視点による分析が待たれるのが、偽ヘルメス、偽プラトン、偽アヴィセンナといったラテン世界で良く知られ影響力を持ったアラビア錬金術書のラテン語訳の研究である[23]。
4. 近世のキミア (錬金術=化学) 研究の動向
Halleux による『錬金術のテクスト』と Newman のゲベル研究を核に発展した中世錬金術史研究と平行するように、近世における「物質の科学」の歴史研究も、Pagel のパラケルススとファン・ヘルモント研究と Debus のパラケルスス主義者研究を核に展開していった。ここでも、どのような人物が研究をリードしてきたかを紹介し、ついで、現在どのような流れで世界の研究が進んでいるかを見ていくことにしよう。ところで、近世の物質の科学を語るとき、中世型の錬金術と初期化学を現代人の観点から人為的に分離することを敢えてせず、当時の人間が捉えていた「キミア」chymia という知の伝統の総体でもってこの時期における物質の科学の歴史を研究すべきであるという態度が急速に世界における主流となりつつある。そこで、本稿でも近世については、物質の科学を指すために「キミア」という用語を採用する[24]。
4-1.
Pagel と Debus の周辺:パラケルスス主義
16世紀以降におけるキミアの歴史は、パラケルスス主義と密接な関係にあることは良く知られている。前述したように、パラケルスス主義の研究は、その大部分を Pagel と Debus に負っている。Pagel の研究姿勢は一貫していて、それまでの大半の科学史家がとった現代人の視点から科学の発展にとって直接に重要であったとされる問題だけを研究するという態度を否定し、彼らによって非科学的とされた過去のテクストを当該時代の歴史的文脈に正しく位置づけて解釈することに重きを置いている[25]。Pagel の研究に大きく依拠してルネサンスのパラケルスス主義とその17世紀における延長を「ケミカル・フィロソフィ」というキー概念を用いて研究したのが Debus である。英国の1640年までの動きを追った博士論文を公刊した『英国のパラケルスス主義者』(1965年)、そして最近邦訳されたばかりの主著『ケミカル・フィロソフィ』(1977年) を発表した後は、『フランスのパラケルスス主義者』(1991年) を公刊している。
この Pagel と Debus の動きに呼応した同時代的な研究者としては、英国におけるヘルモント主義を研究した Piyo Rattansi 、『化学者と言葉』(1977年) 著した Owen Hannaway、ニュートンの錬金術を研究し、その著書のあいつぐ邦訳で本邦でも良く知られるようになったアメリカの Betty J. T. Dobbs、その競合者であるドイツの Karin Figala、『パラケルススからニュートンまで』(1982年) が邦訳されたばかりの Charles Webster などが挙げられるだろう。英語圏の研究者が主体なので、この辺りの様子は本邦でも比較的良く知られている[26]。
4-2. ポスト・ディーバス時代
1990年代のポスト・ディーバス時代における17世紀のキミア研究で特筆すべきは、17世紀前半南仏で活躍したP-J.ファーブルを研究した Bernard Joly の『17世紀の錬金術における合理性』、ラテン中世錬金術研究で活躍している William Newman によるアメリカ人ジョージ・スターキー研究、Pamela H. Smith による J. J. ベッヒャー研究、R. G. Frank Jr. によるオックスフォード化学生理学サークルの研究、Jole Shackelford によるデンマーク人パラケルスス主義者ペトルス・セヴェリヌス研究、17世紀後半の大ベストセラーとなった化学の教科書を記したニコラ・レムリを研究した Michel Bougard の『ニコラ・レムリの化学』等があり、これらは全て Debus のパラケルスス主義研究が投げかけた問題設定の強い影響下に成立している[27]。さらに最近では、Didier Kahn によるフランスにおけるパラケルスス主義の徹底した研究のように Debus の研究の不備を是正する優れた研究も現れてきている。また、ドイツの Joachim Telle は1990年代に入ると、ルネサンス期のドイツ文化におけるパラケルススとその周辺を研究する集大成的な3部作論集を企画する。その第1巻が『パレルガ・パラセルシカ』(1991) であり、さらに浩瀚な第2巻『アナレクタ・パラセルシカ』(1994) が出された。最終巻である『ドキュメンタ・パラセルシカ』の公刊は、残念ながら予定の1999年から遅れている[28]。このパラケルスス主義研究の一環として、Wilhelm Kühlmann との共同でパラケルスス主義者オズワルド・クロルの全集を企画し、現在のところ第2巻まで出版されている[29]。最後に、キミアに大きな関心を持っていた英国のハートリブ・サークルの大陸における情報収集係を務めたヨハン・モリエンというこれまで全く無名の人物を発掘研究した John T. Young の著書は特筆に値する[30] 。一方、16世紀フランスにおける文学的な錬金術伝統の発達を分析した Frank Greiner の『ヘルメスの変身:バロック期(1583-1646)のフランスにおける錬金術伝統と文学的美学』は、文学史のとしてのキミア史の研究を行い、その裾野を広げる役割を果たしている[31]。
4-3. 宮廷文化と錬金術
ルネサンス期(特に16世紀末〜17世紀初)の王侯君主の宮廷サークルは、ガレノス派医学者で占められていた大学をきらったパラケルスス主義キミスト等が積極的に居場所を求めたところであり、近代科学成立のための環境作りに最も貢献した母相の一つである。邦訳のある R. J. W. エヴァンスの『魔術の帝国』および F. A.イェーツの『薔薇十字の覚醒』や『魔術的ルネサンス』で扱われ、研究者の注目を集めるようになった宮廷サークルにおける錬金術的な関心と活動は、ポスト・ディーバス時代とくに Bruce T. Moran の『ドイツ宮廷の錬金術世界:ヘッセン公モリッツのサークルのオカルト哲学と化学的医学』で本格的な先鞭がつけられた。続いて、Jost Weyer はホーヘンローエのウォルフガング2世宮廷の錬金術活動を分析し、Alfredo Perifano は『コジモ1世の宮廷における錬金術:知識、文化そして政治』でトスカナの宮廷を取り上げた。最後に、前述した Didier Kahn による『ルネサンス末期フランスのパラケルスス主義と錬金術』でフランス各地の宮廷が分析された[32]。これらの研究によって、幾つかの重要な宮廷について分析がなされたが、他の宮廷についても調査が進みヨーロッパ全体の総合的分析が行われる日が待たれる。
4-4. ヘルモント主義
パラケルスス研究とともに Pagel が心血を注いだのが、ファン・ヘルモント研究であることは既に述べた。彼のファン・ヘルモント研究は1930年代にまで溯るが、最終的な形でまとめられたのは最晩年の『J. B. ファン・ヘルモント』 (1982年) になってからである。それ以外では、Debus が『ケミカル・フィロソフィ』(1977年) の中で大幅に紙幅を割いてこの人物を取り扱っている。Pagel と Debus 以降の研究の中心となったのが Halleux であり、未公刊手稿にもとづく分析を「ヘルモンチアーナ」と題された2本の論文を中心に提出した。彼の一連の論考は、Pagel の著作以降で最も重要な研究であり、現在のファン・ヘルモント研究においては避けては通れないものとなっている[33]。また、最近では Berthold Heinecke の著作『ファン・ヘルモントにおける科学と神秘』や Newman の錬金術的粒子論を扱った論文、Guido Giglioni による最新刊などが、ヘルモント研究の新たな段階を見せてくれている[34]。
4-5. ボイルの錬金術
Dobbs や Figala の研究によってニュートンの錬金術への傾倒が歴史学的に分析され、その活動が決して生半可な好奇心や気まぐれでなく、彼の数学的自然学や普遍史研究と密接に結びついていたことが明らかにされた。これまでの発展史観者によって作り上げられた「自然の機械化や数学化でもって近代科学成立の礎を築いたヒーロー」としてのニュートン像を維持するのが困難になってきた。それと平行するかのように、17世紀英国の粒子論化学の建設者であるボイル自身の錬金術的活動を研究する動きが1980年代後半から見られるようになった。Michael Hunter によるボイルの手稿の整理を通して、これまで知られていなかった彼の錬金術活動を伝える資料が多数見つかった。また、Antonio Clericuzio による一連の研究により、17世紀の英国粒子論の伝統やボイルの化学がヘルモント主義やそれ以外のキミアの形態と密接な関係があったことが示された[35]。それ以降、徐々に進んだボイルの錬金術的活動の分析をまとめあげたのが、Lawrence M. Principe の『アデプト志望:ロバート・ボイルの錬金術的探求』である。本書の出現によって、キミアは、ボイルの思想において非常に重要な地位を占めていたことが明らかにされた。以後、近代科学成立の議論においてキミアの影響を無視して論を進めることは不可能になったと言ってもいいであろう。『ボイル再考』という論集の元になった国際会議以降、ボイル研究者は Michael Hanter をその要にしたネットワークを作り上げることに成功し、現在では、書簡集や新版全集の発刊を機に新たな段階へと入っている[36]。
4-6. 粒子論の見直し
機械論礼賛型の発展史観をとる歴史家のもとで、17世紀の原子論の復活は近代科学成立の基礎であるとして盛んに研究されたが、1970年代頃からそれまでの研究が一段落し (あるいは行き詰まり)、粒子論研究は少々生彩を欠くようになった。1980年代以降になると、それまであまり対象とならなかったバッソン、ベークマン、キャヴェンディッシュ・サークル等の1620年周辺の粒子論について研究が始まり、Christoph Meinel や Stephen Clucas の一連の論考はそれまでの研究の見直しを迫った[37]。最も新しい傾向としては、ラテン錬金術のゲベルの『完成大全』における物質理論が、厳密には原子論ではないものの、粒子のパッキングによる物質の構成を説いていることに注目し、ゲベル派粒子論とでも言うべき中世錬金術由来の粒子論が17世紀の原子論の復活と密接に結びついていることを Newman が示そうとしている[38]。一方、ルネサンス期における非機械論的な粒子論にも注目が集まってきている。この流れは、Christoph Lüthy 等を中心に押し進められている。また、Clericuzio の最新刊は、この問題を正面からとらえたものである[39]。
4-7. 種子の理論
物質の科学において、特に16世紀以降発展するものに「種子」(semina) の理論がある。自然物の形相の起源を説明するために用いられたこの理論は、ルネサンス期に自然学の各分野に広く伝搬した。この問題に早くから興味を示したのは Pagel であった。パラケルススとファン・ヘルモント双方の自然思想において種子の理論は、重要な地位を保っているからである。彼は頻繁にこの概念について言及しているが、それを中心的に扱う論考は残さなかった。この問題に注意を引かれた Halleux や Debus、Webster 等は、それぞれの著作中でその重要性を訴えていた。そして、ルネサンス期の鉱物学において種子の理論がいかに普及したかを体系的に観察した画期的な論文が David Oldroyd によって1974年に発表された。しかし、これは種子の理論のさらなる広範囲な領域への影響を分析するのもではなかった。次に現れたのが、Norma Emerton による『形相の科学的再解釈』(1984年) である。本書は、形相 (forma) の概念が古代から18世紀までいかに解釈されてきたかを探る刺激的な著作で、そのうちの一章が近世における種子の理論の分析にあてられている。そこでは、Pagel や Oldroyd が調べなかった多数のキミストの考えが議論されており、それぞれの理論がどう関係しているかがコンパクトにまとめられている。本書に刺激された Clericuzio は、ボイルにおける種子の理論を分析しファン・ヘルモントの理論と明確に結び付けることに成功した。一方、フランス人原子論者ガッサンディが、自身の考案した「分子」(molecula) という概念がキミストの言うところの「種子」であると考えていることが Olivier Bloch によって明らかにされた。また、ドイツ人哲学者ライプニッツのモナド理論の源泉に関して、ファン・ヘルモントの種子の理論をライプニッツの後半生に親交を交わしたファン・ヘルモントの息子から学んだ、と考える研究者が増えてきていた。こうした状況で、種子の理論が近世のキミアや自然哲学に及ぼした影響を体系的に分析することが望まれた。それを行ったのが筆者の博士論文『ルネサンスの物質理論における種子の概念:マルシリオ・フィチーノからピエール・ガッサンディまで』(1999年)である[40]。そこでは、ルネサンス型の種子の理論がフィレンツェ・プラトン学院のフィチーノの哲学内に展開されていること、フィチーノ理論がフランス人医師ジャン・フェルネルによって医学および自然哲学に導入されたこと、その種子の理論を自然学体系の要に据え後世代に大きく影響を与えたのがデンマーク人パラケルスス主義者ペトルス・セヴェリヌスであること、ファン・ヘルモントやガッサンディの種子の理論がセヴェリヌスに直接依拠していること等が証明された。また、この論文は近世キミア史研究の集大成という側面も持っている。
5. 専門国際会議からの論集
Halleux と Pagel・Debus の二つの研究伝統に影響されキミアの研究者が増えてくると、1980年代半ばからそれら研究者を集める国際会議が盛んに催されるようになった。その先陣をきったのが、Christoph Meinel 主催で1984年に行われた国際会議『ヨーロッパの文化と科学における錬金術』である。以降、いわゆる偽・科学(Pseudo-Science)とレッテルを貼られて科学史家たちが真面目な研究分野として取り扱ってこなかった各種の知の伝統(「オカルト科学」と総称される事が多い)を史的文化現象として学術研究の対象とする国際会議が開かれ、会議論集が出版されるようになった。『迷信、信仰、科学の間で:魔術、占星術、錬金術と科学』や『ルネサンスにおけるオカルト科学』等がそれである[41]。これらの論集の中では、占星術や自然魔術と並んで、キミア関係の論文が収録されているが、さらに一歩進んで、キミア専門の大規模な国際会議がグローニンゲンで催され、その模様が『錬金術再訪』となってまとめられた。この会議は、世界中の錬金術史家を集める大規模なもので、学術的な錬金術史研究の転換点を記すものであった。この会議以降もキミアのあらゆる側面を強調した国際会議が催されて行く。ルネサンス期の哲学とキミアの関係を重視した『ルネサンスにおける錬金術と哲学』、ワールブルグ研究所で行われた会議から『16・17世紀の錬金術と化学』、キミアにおける理論と実践の噛み具合に焦点をあてた『錬金術的知の構成における理論と実践』、Debus の主催によるキミア関係の論文を多数含む『自然の書物を読む:科学革命の別の側面』などがあり、最も新しいところでは『錬金術とヘルメス主義』と題された論集でイタリア勢の研究成果が一望できる[42]。次項で説明するフランスの学術雑誌クリソペアも、『錬金術:芸術、歴史、神話』と『17世紀の錬金術伝統の諸相』という二つの重要な論集を出している[43]。また、パラケルスス主義に関しては、その諸側面に光を当てた『パラケルスス:人と風評、アイデアとその変容』と『パラケルススと初期近代における国際的受容』が特筆すべきものである[44]。
6. 新雑誌『クリソペア』
1980年代まで、ボイル以前の化学史研究は、英国の雑誌 Ambix 誌を中心に進められていた。それは、Pagel も Debus も Ambix 誌を主な研究発表の場所に選んでいたことに大きく起因している。この二人の積極的な作品発表がなくなって以降、近世キミア研究にとって Ambix 誌の内容は充実しているとは言い難い[45]。その他の原因には、ボイル以前の化学を扱う研究を発表する場所が国際会議の論集を中心に増えてきたことが挙げられるが、一方で、Ambix 誌が英語の論文しか受けつけないことも挙げられる。錬金術の史的研究の長い伝統のあったフランス語圏では、コンスタントに研究がなされていたが、それらを発表する専門の場所はなかった。そのような要請に応える形で発刊されたのが、学術的な錬金術史研究専門の雑誌 Chrysopoeia である。歴史学的手法をとるレヴェルの高い論考を収め、現在までに第6巻までが出版されている。主幹の Sylvain Matton と Didier Kahn を中心に Alfredo Perifano や Antoine Calvet といった仏語圏のキミア史研究を牽引している研究者達で構成されているパリの錬金術史研究協会から発行されている[46]。クリソペアのもう一つの特徴は独自の叢書「テクストと研究」(Textes et Travaux de Chrysopoeia) を持っている点で、モノグラフィ的な研究や国際学会論集、校訂版テクストの出版を行っている。その質の高さと専門性を誇っているクリソペアの問題点は、フランス語圏に偏りすぎていることで読者数が限られていることにある。しかしながら、その動向を無視できない運動であることに変わりはない。
7. 終わりに
最後に、以上のような近年のラテン中世錬金術や近世におけるキミアの歴史研究の隆盛から勢いをえて、世界の一流執筆陣による錬金術にまつわる人物、用語や概念を整理する学術的な質の高い辞典が編纂された。それが、『錬金術:ヘルメス科学の辞典』である[47]。本書の内容に関する紹介は、他の場所で行ったのでここに繰り返さないが、その重要性だけを再び強調して本稿を閉じることにしたい[48]。
[1] リェージュ大学 (ベルギー) 科学技術史研究所。Email: jzt07164@nifty.ne.jp
[2] 以下参照:B.J.T.ドブズ『ニュートンの錬金術』(平凡社、1995年); A.G.ディーバス『近代錬金術の歴史』(平凡社、1999年); B.J.T.ドッブズ『錬金術師ニュートン』(みすず書房、2000年); C.ウエブスター『パラケルススからニュートンまで』(平凡社、1999年)。
[3] bibliotheca hermetica(http://www.geocities.co.jp/Technopolis/9866/)は、設立から一年半後の2001年3月までに延べ11000人に訪問されている。その専用メール・リンクは、120名の加入者を数えている。
[4] 三浦伸夫「アラビア錬金術史の研究動向」『化学史研究』第24巻 (1997年), 193-204頁。
[5] 邦訳された錬金術の通史であるテイラー『錬金術師』 (人文書院、1978年) やホームヤード『錬金術の歴史』 (朝倉書店、1996年) は、それ以前の時代 (原著は1949年と1957年刊) のプロダクトであり、現在の学術研究の水準から見るとき、その歴史的役割を終えていると言わざるをえない。
[6] H. E. Stapleton、E. Holmyard、J. Ruska、P. Kraus、 L. Thorndike と言った研究者を挙げておこう。
[7] 平井浩「ポスト・ディーバス時代にディーバスを読む」『化学史研究』第27巻 (2000年), 80-82頁。
[8] R. Halleux, Les textes alchimiques (Typologie des sources du Moyen Age occidental, 32) (Brepols, Turnhout, 1979).
[9] 錬金術関係の論文は:‘Les ouvrages alchimiques de Jean de Rupescissa’, Histoire littéraire de la France, 41 (1981), 241-277; ‘Albert le Grand et l’alchimie’, Revue des sciences philosophiques et théologiques, 66 (1982), 57-80; ‘Le mythe de Nicolas Flamel ou les mécanismes de la pseudépigraphie alchimique’, Archives internationales d’histoire des sciences, 33 (1983), 234-255; ‘Pratique de laboratoire et expérience de pensée chez les alchimistes’, in J. -F. Bergier (ed.), Zwischen Wahn, Glaube und Wissenschaft (VDF, Zurich, 1988), 115-126; ‘The Reception of Arabic Alchemy in the West’, in R. Rashed (ed. ), Encyclopedia of the History of Arabic Science, vol. 3, Technology, Alchemy and Life Sciences (Routledge, London, 1996), 886-902.
[10] Chiara Crisciani, ‘The Conception of Alchemy as Expressed in the Pretiosa Margarita of Petrus Bonus of Ferrara’, Ambix, 20 (1973), 165-181; C. Crisciani & C. Gagnon, Alchimie et philosophie au Moyen Age (Montreal, 1980); C. Crisciani & M. Pereira, L’arte del sole e della luna: Alchimia e filosofia nel medioevo (Centro Italiano di studi sull’Alto Medioevo, Spoleto, 1996).
[11] C. Gagnon, Nicolas Flamel sous investigation (Le loup de Gouttière, Québec, 1994).
[12] B. Obrist, Les débuts de l’imagerie alchimique (XIVe-XVe siècles) (Sycomore, Paris, 1982); J. Van Lennep, Alchimie: Contribution à l’histoire de l’art alchimique (Crédit Communal, Brussels, 1984).
[13] D. Goltz, J. Telle & H. J. Vermeer (eds.), Der
alchemistischen Traktat “Von der Multiplikation” von pseudo-Thomas von Aquin (Steiner, Stuttgart, 1977); J. Telle, Sol und Luna: Literar- und
alchemiegeschichtliche Studien zu einem altdeutschen Bildgedicht (Pressler, Hürtgenwald, 1980); J. Telle et al. (eds.), Rosarium philosophorum: Ein alchemisches
Florilegium des Spätmittelalters. Faksimile der illustrierten Erstausgabe
Frankfurt 1550,
2 vols. (VCH, Weinheim, 1992); W. Kühlmann&W.-D. Müller-Jahncke (eds. ), Iliaster:
Literatur und Naturkunde in der frühen Neuzeit (Manutius, Heidelberg,
1998).
[14] M. Berthelot, L’alchimie au
Moyen Age, 3 vols. (1st. ed. Paris, 1893; Zeller, Osnabrück, 1967); J. Ruska, ‘Übersetzung und Bearbeitungen von al-Râzis
Buch Geheimnis der Geheimnisse’, Quellen und Studien zur Geschichte der
Naturwissenschaften und der Medizin, 4, 3 Hefte (1935), 1-87.
[15] W. Newman, ‘New Light on the
Identity of ‘Geber’’, Sudhoffs Archiv,
69 (1985), 76-90; ‘The Genesis of the Summa perfectionis’, Archives internationales d’histoire des sciences, 35 (1985),
240-302; The Summa perfectionis of Pseudo-Geber (Brill, Leiden, 1991).
[16] M. Pereira, The Alchemical Corpus Attributed to Raymond
Lull (Warburg, London, 1989); L’oro dei filosofi: Saggio sulle idee di
un alchimista del Trecento (Centro Italiano di studi sull’alto medioevo, Spoleto, 1992); M. Pereira
et B. Spaggiari (eds.), Il Tesmentum alchemico attribuito a Raimondo Lullo
(Sismel, Firenze, 1999).
[17] A. Calvet, ‘Mutations de l’alchimie médicale au XVe siècle. A propos des textes authentiques et apocryphes d’Arnaud de Villeneuve’, Micrologus, 3 (1993), 185-209; Le Rosier alchimique de Montpellier, Lo Rosari (XIVe siècle) (Univ. de Paris-Sorbonne Presse, Paris).
[18] B. Obrist (ed.), Constantine of Pisa, The Book of the Secrets
of Alchemy (Brill,
Leiden, 1990).
[19] W. R. Newman, ‘The
Alchemy of Roger Bacon and the Tres
Epistolae attributed to him’, in Comprendre
et maîtriser la Nature au Moyen Age (Droz, Genève, 1994), 461-479; ‘The
Philosophers’ Egg: Theory and Practice in the Alchemy of Roger Bacon’, Micrologus, 3 (1995), 75-101; ‘An Overview of Roger Bacon’s
Alchemy’, in Jeremiah Hackett (ed. ), Roger
Bacon and the Sciences (Brill, Leiden, 1997), 317-336.
[20] U. Benzenhöfer, Johannes’ de Rupescissa Liber de consideratione quintae essentiae
omnium rerum deutsch: Studien zur
Alchemia medica des 15. bis 17. Jahrhunderts (Steiner, Stuttgart, 1989).
[21] B. D. Haage, Alchemie
im Mittelalter: Ideen und Bilder von Zosimos bis Paracelsus (Artemis, Zurich, 1996).
[22] V. Pasque et al. (ed.), The Crises of Alchemy (Micrologus, 3) (Brepols, Turnhout,
1995).
[23] L. Stavenhagen, A Testament of Alchemy: Being the
Revelations of Morienus to Khalid ibn Yazid (Hannover (New Hampshire),
1974); I. Ronca, ‘Senior De chemica:
A Reassessment of the Medieval Latin Translation of ibn Umayl’s Al-mâ al-waraqî wa ’I-ard al-najmiyya’, Bulletin de philosophie médiévale, 37
(1995), 9-31. また、Paolo Lucentini によって編纂されている Hermes latinus (Brepols, Turnhout) の第7巻は Alchimia にあてられる予定である。
[24] この問題については、W. Newman & L. M.
Principe, ‘Alchemy vs. Chemistry: The Etymological Origines of a
Historiographic Mistake’, Early Science
and Medicine, 3 (1998), 32-65, を参照。
[25] W. Pagel, Paracelsus: An Introduction to Philosophical Medicine in the Era of the
Renaissance, 2nd
ed. (Karger, Basel, 1982); Joan Baptista
Van Helmont: Reformer of Science and Medicine (Cambridge Univ. Press,
Cambridge, 1982); The Smiling Spleen:
Paracelsianism in Storm and Stress (Karger, Basel, 1984); Religion and Neoplatonism in Renaissance
Medicine (Variorum, London, 1985); From
Paracelsus to Van Helmont: Studies in Renaissance Medicine and Science
(Variorum, London, 1986).
[26] P. Rattansi, ‘Paracelsus and
the Puritan Revolution’, Ambix, 11
(1963), 24-32; ‘The Helmontian-Galenist Controversy in Restoration England’, Ambix, 12 (1964), 1-23;
O. Hannaway, The Chemists and the
Word: The Didactic Origins of Chemistry (Johns Hopkins Univ. Press,
Baltimore); K. Figala, ‘Newton as Alchemist’, History of Science, 15 (1977), 102-137; Dobbs と Webster については、既に邦訳書を挙げた。
[27] B. Joly, Rationalité de l’alchimie au XVIIe siècle (Vrin, Paris, 1992); W. Newman, Gehennical Fire: The Lives of George
Starkey, an American Alchemist in the Scientific Revolution (Harvard Univ.
Press, Cambridge (Mass.), 1994); P. H. Smith, The Business of Alchemy: Science and Culture in the Holy Roman Empire
(Princeton Univ. Press, Princeton, 1994); R. G. Frank, Jr. , Harvey and the Oxford Physiologists:
Scientific Ideas and Social Interaction (California Univ. Press,
Berkeley, 1980); J. R. Shackelford, Paracelsianism in
Denmark and Norway in the 16th and 17th Centuries, Ph. D. diss. (Univ. of Wisconsin (Madison),
1989); M. Bougard, La chimie de
Nicolas Lemery (Brepols, Turnhout, 1999).
[28] J. Telle (ed.), Parerga Paracelsica: Paracelsus in
Vergangenheit und Gegenwart (Steiner, Stuttgart, 1991); Analecta
Paracelsica: Studien zum Nachleben Theophrast von Hohenheims im deutschen
Kulturgebiet der frühen Neuzeit (Steiner, Stuttgart, 1994); Documenta Paracelsica: Paracelsismus und
Alchemie im deutschen Kulturgebiet der frühen Neuzeit. 近刊。
[29] W. Kühlmann & J. Telle (eds.), De signaturis
internis rerum: Die lateinische Editio princeps (1609) und die deutsche
Erstübersetzung (1623) (Steiner, Stuttgart, 1996); Alchemomedizinische Briefe 1585 bis 1597 (Steiner, Stuttgart,
1998).
[30] J. T. Young, Faith, Medical Alchemy and Natural
Philosophy: Johann Moriaen, Reformed Intelligencer and Hartlib Circle
(Ashgate, Aldershot, 1998).
[31] F. Greiner, Les métamorphoses d'Hermès: tradition alchimique et esthétique littéraire dans la France de l’âge baroque, 1583-1646 (Champion, Paris, 2000).
[32] B. T. Moran, The Alchemical
World of the German Court: Occult Philosophy and Chemical Medicine in the
Circle of Moritz of Hessen (1572-1632) (Steiner, Stuttgart, 1991); J. Weyer, Graf Wolfgang II. von Hohenlohe und die Alchemie: Alchemistische
Studien in Schloss Weikersheim 1587-1610 (Thorbecke, Sigmaringen, 1992); A. Perifano, L’alchimie à la
cour de Côme Ier de Médicis (Champion, Paris, 1997);
D. Kahn, Paracelsisme et alchimie en
France à la fin de la Renaissance (1567-1625), Ph. D. diss. (Univ. of Paris-IV, 1998).
[33] ‘Helmontiana’, Academiae Analecta (Klasse der Wetenschappen), 45 pt.3 (1983), 33-63; ‘Helmontiana II: Le prologue de l’Eisagoge, la conversion de Van Helmont au paracelsisme, et les Songes de Descartes’, Academiae Analecta (Klasse der Wetenschappen), 49 pt.2 (1987), 17-36.
[34] B. Heinecke, Wissenschaft und Mystik bei J. B. van Helmont (1579-1644)
(Lang, Bern, 1996); W. Newman, ‘The Corpuscular Theory of J. B. Van Helmont and its Medieval Sources’, Vivarium, 31 (1993), 161-191; G. Giglioni, Immaginazione e Malattià: Saggio su Jan Baptiste van Helmont
(Franco Angeli, Milan, 2000).
[35] ‘Robert Boyle and the English
Helmontians’, in Z. R. W. M. von Martels (ed. ), Alchemy Revisited (Brill, Leiden, 1990),
192-199; ‘A Redefinition of Boyle’s Chemistry and Corpuscular Philosophy’, Annals of Science, 47 (1990), 561-589;
‘From van Helmont to Boyle: A Study of
the Transmission of Helmontian Chemical and Medical Theories in
Seventeenth-Century England’, British
Journal for the History of Sciences, 26 (1993), 303-334. また、吉本秀之「初期ボイルの化学−ヘルモント主義の位相と種子原理」『化学史研究』第19巻 (1992年), 233-246頁も参照。
[36] L. M. Principe, The Aspiring Adept: Robert Boyle and his
Alchemical Quest (Princeton Univ. Press, Princeton, 1998); M. Hunter (ed. ), Robert Boyle Reconsidered (Cambridge
Univ. Press, Cambridge, 1994); M. Hunter & E. B. Davis (eds.), The Works of Robert Boyle (Pickering
& Chatto, London, 1999-2000); M. Hunter & A. Clericuzio (eds.), The Correspondence of Robert Boyle (1636-91)
(Pickering & Chatto, London, 2001). なお、マイケル・ハンター「新しいボイル像」『化学史研究』第26巻 (1999年), 125-141頁も参照。
[37] L. O. Nielsen, ‘A
Seventeenth-Century Physician on God and Atoms: Sebastian Basso’, in N. Kretzmann (ed. ), Meaning and Inference in Medieval Philosophy
(Kluwer, Dordrecht, 1988), 297-369; C. Meinel, ‘Early Seventeenth-Century
Atomism: Theory, Epistemology, and the Insufficiency of Experiment’, Isis, 79 (1988), 68-103;
S. Clucas, ‘The
Atomism of the Cavendish Circle: A Reappraisal’, Seventeenth Century, 9 (1994), 247-275; B. Gemelli, Aspetti
dell’atomismo classico nella filosofia di Francis Bacon e nel seicento
(Olschki, Florence, 1996);
C. H. Lüthy,
‘Thoughts and Circumstances of Sébastien Basson. Analysis, Micro-History,
Questions’, Early Science and Medicine,
2 (1997), 1-73.
[38] ‘The Corpuscular Transmutational
Theory of Eirenaeus Philalethes’, in P. Rattansi & A. Clericuzio
(eds. ), Alchemy and Chemistry in
the 16th and 17th Centuries (Kluwer; Dordrecht, 1994), 161-182; ‘Boyle’s
Debt to Corpuscular Alchemy’, in M. Hunter (ed. ), Robert Boyle Reconsidered (Cambridge
Univ. Press, Cambridge, 1994), 107-118; ‘The Alchemical Sources of Robert Boyle’s
Corpuscular Philosophy’, Annals of
Science, 53 (1996), 567-585.
[39] C. H. Lüthy, ‘Bruno’s Area Democriti and the Origins of
Atomist Imagery’, Bruniana &
Campanelliana, 4 (1998), 59-92; 特集号 The Fate of Hylomorphism: Matter
and Form in Early Modern Science, Early
Science and Medicine, 2 pt.3 (1997) も参照せよ。A. Clericuzio, Elements, Principles and Corpuscles: A Study
of Atomism and Chemistry in the Seventeenth Century (Kluwer, Dordrecht,
2001). また E. Murdoch & W. Newman (eds.), Late Medieval and Early Modern Corpuscular Matter Theory (Brill, Leiden, 近刊予定) も注目されたい。
[40] D. R. Oldroyd, ‘Some Neo-Platonic and Stoic Influences on Mineralogy in the Sixteenth and Seventeenth Centuries’, Ambix, 21 (1974), 128-156; N. E. Emerton, The Scientific Reinterpretation of Form (Cornell Univ. Press, New York, 1984); O. R. Bloch, La philosophie de Gassendi (Nijhoff, Den Haag, 1971); H. Hirai, Le concept de semence dans les théories de la matière à la Renaissance: de Marsile Ficin à Pierre Gassendi, Ph. D. diss. (Univ. of Lille 3 (France), 1999) は、国際科学史アカデミーの新人賞にあたる「若手歴史家賞 」(2001) を受賞し、同アカデミーの Collection of Studies 叢書の一冊として Brepols 書店から近刊予定である。
[41] C. Meinel (ed.), Die Alchemie in der europaischen Kultur- und Wissenschaftsgeschichte (Harrassowitz, Wiesbaden, 1986); J.-F. Bergier (ed.), Zwischen Wahn, Glaube und Wissenschaft (VDF, Zurich, 1988); A. Buck (ed.), Die okkulten Wissenschaften in der Renaissance (Harrassowitz, Wiesbaden, 1992).
[42] Z. R. W. M. von
Martels (ed.), Alchemy Revisited
(Brill, Leiden, 1990); J.-C. Margolin & S. Matton (eds.), Alchimie et philosophie à la Renaissance
(Vrin, Paris, 1993); P. Rattansi & A. Clericuzio (eds.), Alchemy and Chemistry in the 16th and 17th
Centuries (Kluwer, Dordrecht, 1994); B. Joly (ed.), Théorie et pratique dans la constitution des savoirs alchimiques, Revue d’histoire des sciences, 49 pt.2-3
(1996); A. G. Debus & M. T. Walton (eds.), Reading the Book of Nature: The Other Side
of the Scientific Revolution (SJS, Kirksville, 1998); M. Pereira, Alchemy and Hermeticism, Early
Science and Medicine, 5 pt.2 (2000), Brill, Leiden.
[43] D. Kahn & S. Matton (eds.), Alchimie: art, histoire et mythes (SEHA, Paris, 1995); F. Greiner (ed.), Aspects de la tradition alchimique au XVIIe siècle (SEHA, Paris, 1998).
[44] O. P. Grell (ed.), Paracelsus: The Man and his Reputation, his
Ideas and their Transformation (Brill, Leiden, 1998); H. Schott &
I. Zinguer (eds.), Paracelsus und seine internationale
Rezeption in der frühen Neuzeit (Brill, Leiden, 1998).
[45] 現在 (2001年初頭) の時点で、ついに Ambix 誌は錬金術と手を切り、より近代の化学を扱うよう路線変更をしようとしている。
[46] 第1巻 (1987)、第2巻
(1988)、第3巻 (1989)、第4巻
(1990-1991)、第5巻 (1992-1996)、第6巻
(1997-1999)。http://www.geocities.co.jp/Technopolis/9866/chrysoindex2.html 参照。
[47] C. Priesner &
K. Figala (eds.), Alchemie: Lexikon einer hermetischen
Wissenschaft (Beck,
Munich, 1998). 本書の紹介は、平井浩(書評)『化学史研究』第27巻 (2000年), 240-242頁を参照。
[48] 各項に対する詳細な情報は、インターネット・サイト bibliotheca hermetica を参照されたい。