科研費共同研究(基盤B) 20132016



 

 

西欧ルネサンスの世界性と日本におけるキリシタンの世紀

Renaissance Culture and Japan’s Christian Century (1550-1650)



 

研究目的

 

 15世紀から17世紀末までのルネサンス・初期近代の西欧では、「科学革命」と呼ばれるほど知的文化の大きな変動期を迎え、伝統的な諸学問のありかたが変容し、近代文明の基礎を形成した。わが国が西欧の知識や科学文化に最初に遭遇したのも、この時代である。本研究は、変革期にあった西欧の知的文化のあり方と、その日本への影響を分析する。具体的には、近代西洋文明の基礎になった自然観と人間観について、1) 中世的な伝統からの変容、2) 新しい認識の形成、3) 日本へのインパクトを探求する。既存の諸学問の壁を越え、多方面にわたる知的領域を分野横断的に取り扱うインテレクチュアル・ヒストリーの手法を採用し、本邦におけるその振興をも目指す。本計画は同時に、国際的な研究者を養成するための戦略的なプログラムでもある。

 

 

 

学術的背景

 

 欧米のルネサンス学者たちによる多くの基本書が邦訳・紹介され、1990年代以降わが国においても西欧ルネサンス・初期近代の思想と文化の研究が広く認知されるようになり、一定の成果を生み出している。こうした一連の研究が示したことは、中世から続いていたアリストテレス主義を柱とする学問伝統の大きな変容と、近代文明を基礎づけることなる知的世界を提供した新しい学術的な枠組みの勃興である。しかし、とくに16世紀後半から17世紀初頭にかけての初期近代への移行期については、これらの優れた研究でもとりあついが手薄なものとなっている。まさにこの時期に、日本はイエズス会士を初めとする来訪者により西欧の知的文化に直接的に遭遇するのであるが、その影響関係の内容理解となると困難をきわめ、研究文献も非常に少ないのが現状である(海老澤有道『南蛮学統の研究:近代日本文化の系譜』創文社、1978年;根占献一『東西ルネサンスの邂逅』東信堂、1998年;川村信三『戦国宗教社会・思想史』知泉書館、2011年)。

 

 こうした状況の下、本研究計画の参加者たちは各専門分野での地歩を築くことに集中してきた。代表者は、1988年に設立されたルネサンス研究会を軸に1980年代末から2000年代初頭にかけ、ルネサンス人文主義の本邦における研究を牽引する一翼を担ってきたし、分担者たちは学術論集『ミクロコスモス』(2010)に代表されるルネサンス・初期近代の知的文化を専門とする研究グループをとおして学究に邁進してきた。20127月に東京の立教大学で行われた大型シンポジウムは画期的な契機であり、本計画のメンバーが一堂に会して集中的に意見交換と議論をすることができた。そして、ルネサンス・初期近代においては科学・医学、哲学、人間学、宗教・神学といった学知が複雑に交じり合い、密接に影響しあっていることを再認識し、諸分野の専門家のコラボレーションの必要性を痛切に感じた。

 

 

 

何をどこまで明らかにするのか

 

 本計画において考察対象とされるのは、とりわけ16世紀後半から17世紀前半における大きな知的変動期にある西欧で形成された「自然」 natura と「人間」 homo についての新たな認識であり、同時期に日本の知的世界に与えた哲学、神学、文化的な「影響」(受容や拒絶)である。自然の概念は、宇宙のなりたちから創造神による被造物を包含するものであり、これらの認識なしには、おもにイエズス会を通して日本に伝えられた世界像を理解することは困難である。人間については、身体的な成り立ちから、霊魂の概念、人間だけに与えられたとされる知的活動にまで至る包括的な理解を必要とする。本計画では、西欧ルネサンス・初期近代の専門家であるメンバーの研究が与える知見をもとに、日本における「キリシタンの世紀」(1540年代-1650年頃)の専門家であるメンバーが日本に対する初期近代西欧の知的文化の影響をテクスト・ベースの実証的な方法で具体的に探るものである。近年の欧米でも当時の宇宙論や生命論の理解に関心が集まっており、日本からの情報の発信が期待されている。本計画は、世界的な喫緊のニーズに応えるものであり、これらの目標を達成させるため、アリストテレス主義の世界化、ルネサンス人文主義とイエズス会、自然という書物、イエズス会と日本の知的世界といった具体的なテーマを取り扱う国際シンポジウムやパネル・セッションを連続的に企画・運営し、結果を有機的に集約して論集や雑誌の特集号の形で国内外に発信していく。

 

 

 

本計画の学術的特色・独創性と意義は、以下の諸点に集約することができるだろう。

 

 

1) 東洋と西洋の知的交流の再考

 

 西洋や近代文明にたいする知見は、江戸時代の鎖国期、明治維新後の国際舞台への進出、戦後の復興と成長という大きな時代区分を通して日本人の行動と文化に大きな影響を与えてきた。日本古来の文化と乖離するかにも見える極度な科学文明への信頼は、近年の度重なる事故や災害により大きく揺らいでいるかのようにも見える。しかし、そもそも科学文化に象徴される西欧の近代文明の基礎が形成されたのはルネサンス・初期近代の知的変動期であり、ほぼ同時期にイエズス会士の到来などにより日本も「キリシタンの世紀」と呼ばれる時代を経験することで、その勃興しつつあった西欧の新しい知的文化に直接的に接触していたのである。日本人の近代文明に対する態度の幾ばくかは、この最初の直接的な遭遇によって規定されているのではないだろうか?この観点から東西の知的交流を再検討することが、緊急の課題となっている。この問題にとりくむためには、西洋の知的世界についての専門家と日本におけるキリシタンの世紀の専門家による、これまでに世界に類を見ないコラボレーションが欠かせない。それを可能にするのが本計画である。また韓国や中国の共同研究者を加え、中国大陸や朝鮮半島経由のファクターにも注意を喚起する。

 

 

2) インテレクチュアル・ヒストリーの手法の導入と振興

 

 哲学史では、多くの研究家たちが特定のテクストの解釈に重点をおき、それぞれのテクストが成立する背景にあった「知のコスモス」の把握に必ずしも十分な関心がはらわれてこなかった。ある哲学者の思想を理解するためには、テクストを読みこむだけではなく、その歴史的な文脈(コンテクスト)を把握することが必須である。一方、歴史学では国家の統治機構や経済活動の研究が主流であったが、近年では文化史的な側面も注目されてきた。歴史学と哲学のあいだに存在するのがインテレクチュアル・ヒストリーであり、歴史学者の時間軸にたいする感性と哲学者のテクストのなかに入りこむ浸透力のふたつを同時に必要とする学問手法である。近代的な職業的専門家による学問の細分化が進む時代以前の知的世界は、多様な要素が複雑にからみあっている領域であり、そこではおのずから分野横断的な視点が求められる。哲学、科学、医学、宗教、文学、芸術といった各分野の枠内で論じられていた多様な主題が、ここでは追求されなければならず、それらの主題はたがいに交錯しあい、密接に関連していたことが理解されるであろう。ルネサンス・初期近代の知的世界の研究にとってインテレクチュアル・ヒストリーの手法はうってつけであるといえ、その本邦における導入と振興を本計画は目的ともしている。

 

 

 

3) 国際的な研究者を養成する戦略的なプログラム

 

本計画に参加する研究者は、各専門分野においてすでに若手・中堅としての地歩を固めており、今後目指すものは学際的な研究者間のネットワークの構築、海外への研究成果の発信、そして国際的な学術会議を企画・運営する経験とノウハウを体得・蓄積することにある。とくに後者の二点は長年本邦において望まれておりながら、その達成は満足するものといえなかったのではないだろうか?したがって、これらの点を組織的かつ体系的な習得・練成のためのプログラムによって重点的に強化することが必要であり、本計画はその一翼を担うものである。計画の終了する三年後には、参加者が研究成果を国際会議や出版物をとおして自由に英語で世界に発信することができるようになることが具体的な目標となる。

 

 

 

アウトプット

 

 3回の国際シンポジウム、最低3回のワークショップ、そして海外の大型国際会議での最低4つのパネル企画等を基礎にした本研究の成果は、一義的に論集や学術雑誌の特集号として公刊していく。日本国内だけではなく、ひろく世界に向けて海外での英語の論集を出版することも予定している。また、本邦にインテレクチュアル・ヒストリーの手法を振興するため、伝統的な出版物以外のインターネットをはじめとする各種メディアを利用しての発信も積極的に行う所存である。