最初の地学書

アグリコラの『地下の事物の起源と原因について』(1546)

 

平井 浩[1]

 

地質学史懇話会会報18 (2002) 用の原稿見本

 

 

 自らの姓であった「農夫」(Bauer) をラテン語化した名「アグリコラ」 (Agricola) で広く世に知られるゲオルグ・バウアー (Georg Bauer, 1494-1555) は、その鉱山技術に関する百科事典的な大著『デ・レ・メタリカ』De re metallica (バーゼル、1558) や鉱物学書『発掘物の本性について』De natura fossilium (バーゼル、1546) によって地学の近代的な基礎を築いた人物として高く評価されている。この二つの記念碑的な著作の陰に隠れて歴史家達に不当に過小評価されているのが、1544年に書かれ、彼の他の地学的な著作と共に出版された『地下の事物の起源と原因について』De ortu et causis subterraneorum (バーゼル、1546) である[2]。『デ・レ・メタリカ』が主に鉱山技術を扱い、『発掘物の本性について』が鉱物の体系だった記述・分類を中心課題としていたのに対し、『地下の事物の起源と原因について』は造山活動、火山、地震、温泉、地下水、鉱物や金属の形成の原因を中心に論述しており、西欧における最初の真の意味での総合的な専門地学書と位置付けることができる。

 地下世界に関するアグリコラの最初の著作『ベルマヌス、あるいは鉱物界について』Bermannus sive de re metallica (バーゼル、1530) は大人文主義者ロッテルダムのエラスムスの賞賛を受けるなどして文学作品としての価値も高いが、対話編ゆえに体系的な専門書とは言えず、幾分にも鉱物界研究への誘いの書という感が否めない。それに対して、『ベルマヌス』以降の約15年間にわたる鉱山地帯の町医師としての活動を通して鉱物界に関する知識と経験を蓄積した研究成果である専門地学書群の筆頭を飾るのが、『地下の事物の起源と原因について』なのである。本書は、『デ・レ・メタリカ』に至るアグリコラの一連の作品の基礎を築いており、まさに彼の地下世界観を再構成する際の鍵となる著作である。当時知り得た大地や地下世界を扱った古代・中世の著作家の議論を整理・分析した博学者としてだけでなく、鉱山医者として鉱夫達の疾病と対峙し、鉱山経営に投資までした実地の経験・観察から得た豊富な知識を持つ実際家というアグリコラ像を本書を通して同時に観察することができる。また、ライプニッツの『プロトガイア』Protogaea (1691年頃執筆) にまで及ぶ (初期近代と呼ぶのが正当であろう) ルネサンス・バロック期の地球の理論における議論・研究対象の取り方といった学問としての枠組みを提出したのも本書なのである。 

 鉱産資源豊かで古くから採鉱活動が盛んであったボヘミア山地地方の出身であるアグリコラは医師としての教育を受け、特に古代ギリシア・ローマの古典的な著作を文献学的・文法学的に研究するルネサンス期にイタリアを中心に流行したいわゆる「人文主義医学」の影響を強く受けていた。従って、彼は当時の人文主義的な手法に基づいて古代権威のテクストを重点的に吟味する議論展開を取っている。典拠となった著作は、古代ではアリストテレスの『気象論』、テオフラストスの『石類論』、大プリニウスの『博物誌』、セネカの『自然研究』、ディオスコリデスの『マテリア・メディカ』等であり、中世ではアヴィセンナの『石類の凝固と凝結について』とアルベルトゥス・マグヌスの『鉱物論』等である。 

 『地下の事物の起源と原因について』は、五つの書からなっている。地下水や温泉、鉱泉、泉、河川や陸海の形成の原因とメカニズムを説明する第一書、造山活動や地下熱、火山、地震を主題とした第二書、鉱物の鉱脈と土類・凝固岩類の形成を扱った第三書、石類の形成を扱った第四書、金属とその鉱脈の形成を扱った第五書である。特に、鉱物類の形成に関する後半部では、中世鉱物学の巨人アルベルトゥス・マグヌスをその議論対象の中心に据えて、徹底した批判を加えている。以下、その後半部に関して少し紹介しよう。

アグリコラが提唱した四分法による鉱物分類 (土類、凝結汁類、石類、金属類) は、18世紀の鉱物学にまで大きな影響を与えるが、中でも塩類や硫黄類を主に含む凝結汁類 succi concreti という新しい概念の提出が注目される[3]。この分類法の根幹を支えているのは、鉱物の水成論である。アグリコラは、全ての鉱物がもともと鉱物性の「汁」succus が凝結したものと考えている。凝結汁類だけではなく、金属や石類も基本的には、それぞれの種に固有の汁が凝固して出来たという訳である。それらの議論の特に目玉となるのが、「石化汁」succus lapidescens という概念である。「石化汁」は自らが凝固して鉱物になるだけではなく、他の動植物を含むあらゆるものがその接触により鉱物化するというものであった。つまり、アグリコラは、この「石化汁」の理論によって化石の形成の仕組みを説明しようとしたのである。この理論の本質とその源泉については他の場所で明らかにしたのでここでは詳述しないが、16世紀にはアグリコラに強く影響を受けたドイツの鉱物学者達だけではなく、カルダーノ (Girolamo Cardano) やファロピオ (Gabriele Falloppio)、チェザルピーノ (Andrea Cesalpino) といったイタリアの大自然学者達もこの理論を受け入れていったということを述べておこう[4]

 このような鉱物形成論に限らず、火山や地震、地下水、温泉等に関するアグリコラの議論は、初期近代の地学史上において非常に重要であることを強調し、西欧最初の総合的な専門地学書としての『地下の事物の起源と原因について』の他の研究者によるさらなる研究を鼓舞して本稿を閉じる事にしたい[5]

 



[1] リェージュ大学(ベルギー)科学史研究所 客員研究員。Email : jzt07164@nifty.ne.jp

[2] 本書を扱った研究は非常に少ない。ドイツ語訳には訳編者による文献学・地質学的考察が付与されているが、まとまった研究とはいえない。G. Agricola, Schriften zur Geologie und Mineralogie I : Epistula ad Meurerum ; De ortu et causis subtennaneorum libri V ; De natura eorum quae effluunt ex terra libri IV, eds. Georg Fraustadt & Hans Prescher (Georg Agricola-Ausgewählte Werke, 3), Berlin, VEB, 1956, pp.188-211. 特に金属形成論に関する第五書の分析については、以下参照 : R. Halleux, “ La nature et la formation des métaux selon Agricola et ses contemporains ”, Revue d’histoire des sciences, 27 (1974), pp. 211-222.

[3] アグリコラの鉱物分類の影響については以下参照 : J. Schroeter, “ Georg Agricolas Mineralsystem und sein Nachleben bis ins 18. Jahrhundert ”, Schweizerische mineralogische und petrographische Mitteilungen, 37 (1957), pp. 198-216; C. P. St Clair, The Classification of Minerals: Some Representative Systems from Agricola to Werner, Ph. D. diss., University of Oklahoma, 1966; D. R. Oldroyd, From Paracelsus to Haüy : The Development of Mineralogy in its Relation to Chemistry, Ph. D. diss., University of New South Wales, 1974; R. Laudan, From Mineralogy to Geology, Chicago, Chicago University Press, 1987.

[4] 拙著 : Le concept de semence dans les théories de la matière à la Renaissance de Marsile Ficin à Pierre Gassendi, Turnhout (Belgium), Brepols, 近刊, のアグリコラについての第5章を参照。この章を若干改変・邦訳した論文「サンゴ形成の古代神話とアグリコラの石化汁理論の誕生」を準備中である。

[5] 現代ドイツ語訳を参考にした邦訳を地質学史懇話会記念事業として複数の研究者による共同プロジェクトの形で実現させることが本書には相応しいと思われる。